Fate/reminiscence-第三次聖杯戦争黙示録-   作:出張L

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第41話  黄金の記憶

――――酷い時代だった。

 

 終わらぬ戦乱、小国家に分裂してしまった狭い島。

 下から見上げても、上から見下ろしても響いてくるのは戦乱に喘ぐ悲鳴ばかり。

 切っ掛けは永劫不滅と誰もが信じて疑わなかった帝国の衰退である。

 数多の蛮族の侵攻に見舞われた帝国は、その島国から軍を撤退させてしまったのだ。

 国とは家屋に例えることができる。ともすれば〝帝国〟という主柱を失った島がばらばらに分裂してしまうのは自明の利だったのだろう。

 そんな時代に彼は生まれた。

 父であり王に仕える〝騎士〟でもある老騎士の下で、彼は自分もまた〝騎士〟となるべく修練に励んでいた。

 修練といっても彼が学んだのは剣術だけではない。

 騎士とは王の剣として敵を屠る為だけではなく、時に王の助言者となり朋友となることこそが務め。

 素朴であった老騎士は真摯にそう言って聞かせては、彼に馬術や学問など多くのことを教え込んだ。暮らしは貧しいものだったが、受けた教育は決して帝国の貴族に劣らぬものだっただろう。

 そして自分の修練に一人の〝少女〟が混ざるようになったのはいつの頃だったか。

 

「兄君」

 

 月に濡れたような金色の髪と翡翠の瞳。そこに在るだけで空気が澄みきるような佇まい。もしも彼女がドレスで着飾れば誰よりも麗しい姫として、遍く騎士たちが目を奪われた事だろう。

 彼にとっては妹というべき少女。けれど〝少女〟は妹ではなく弟であり〝少年〟だった。

 

〝兄として弟の教訓になれ〟

 

 そのまま成長すれば将来はとびっきりの美人になると、彼は一目で看破していたが、父である老騎士のその言葉に従い、少女を妹ではなく弟と見做すことにした。

 隠し通せるとも思わなかったが、他ならぬ父がそう言うならば従うまで。父が頑なに少女に自分を〝父〟と呼ぶ事を禁じるなど、厄介事の臭いは嗅ぐまでもなく臭ってきた。藪をつついて蛇を出す愚を犯す必要もないだろう。それにどうせ直ぐに少女の方が耐え切れなくなって泣き言を言い出すはずだ。その時に不自然な弟扱いは止めて、自然な妹扱いに戻せばいい。後になって思えば当時の彼はそんな楽観論を抱いていたのだろう。

 ともあれその日から彼の家族には、新たに妹の顔をした〝弟〟が加わるようになった。だから剣を振るえる年齢となった彼女が、弟として修練に混ざるのも当然のことだった。

 

「私もこれより共に剣の鍛練に加わることとなりました。どうか、ご指導をお願いします」

 

 少女は幼さを残した顔立ちで、花の咲くような笑顔で微笑みかけた。

 

「――――」

 

 少女は美しかった。そして誰よりも真っ直ぐだった。

 ともすれば彼よりも、老騎士よりも純粋に、ひたむきに――――私心なく国と苦しむ人々の為に剣技を磨かねばならぬ、という使命感が宿っていた。

 その透き通った目で見つめられ、笑顔で頼まれたのである。

 万人が万人、少女の力となれる栄誉を歓喜と共に受け入れ、ただ一言「喜んで」と応えるだけだろう。

 しかし彼は生憎と万と一人目の捻くれ者だった。

 

「指導だと? 煩わしい馬鹿らしい、そして図々しい。阿呆め! どうして俺がお前の為に貴重な時間を割いて指導なんぞしてやらなければならん。そもそも頼めば相手が教えてくれるなどというのはとんだ思い上がりだ」

 

 師事の拒絶が途轍もなく衝撃的だったのか、少女は目をパチクリしながら呆然と彼を見上げていた。彼はそんな少女に顔を向けることなく畳み掛ける。

 

「いいか、俺は俺の鍛練で忙しい。お前に構っている時間などはない。

 話は以上だ。どうしてくれる? お前のせいでもう十秒ほど無駄にしてしまった」

 

 彼は明確なる拒絶の意を告げると、少女を置いてさっさと自分の鍛練を続行しようとした。

 

「ま、待って下さい兄君!」

 

 当然少女はそんなことに納得できない。

 今日は所用で彼と少女の父である老騎士はおらず、その老騎士は自分に変わり〝彼〟に師事するように、と少女に申し付けていたのである。

 

「俺は忙しいと言ったはずだが?」

 

 実に大人気ないことだが、不機嫌さを露わに彼は少女を睨みつける。

 けれど少女も女の身でありながら男として剣の鍛錬に率先して混ざろうとする意欲と、自分の言ったことは曲げない頑固さがある。

 少女は一歩も退かずに頭の上がらない兄に立ち向かう。

 

「ですがエクターは今日は兄君に剣を見て貰えと私に仰られました。兄君は父であるエクターの仰られたことを無視されるのですか?」

 

 一部の隙もない追及。

 彼もまた少女と同じく〝父〟より教えを受ける教え子である。彼はなにかと偏屈なところもあるが、自分のやらねばならない責務は守る人物だ。

 教師である父の託を無視することはできない、と少女は思っていたのだが、剣の才能ならまだしも、こと弁舌にかけて彼は稀代の人物だった。

 

「ふん」

 

 彼は馬鹿にするように鼻で笑うと、

 

「だったらお前の教師として本日の鍛練の指示を下す。――――休息だ。今日は休息日とする故、帰って寝ろ」

 

「ふざけないで下さい」

 

 あまりにも適当極まる対応に、さしもの少女も怒る。頬を怒気で赤く染めながら、牙と角が生えてきそうな勢いで彼に詰め寄った。

 彼は嘆息しながら、このままでは埒が明かぬと見て言った。

 

「父から俺に剣を学ぶよう教えられた? だからお前にせっせと剣の教導をしろだと? とんだ愚か者だな阿呆が。それだからいつまで経っても算術で俺に及ばないのだ」

 

「なっ! 確かに算術では兄君に遅れをとっていますが、その他の学問であれば……」

 

「喧しい奴だ。では逆に問うぞ。お前がいずれ騎士として……いいや将としてこの国の軍団を預かる立場に置かれたとしよう。嗚呼、お前のようなチンチクリンが将になるなど夢のまた夢なのは承知だが、これはあくまで例え話だから流せよ。

 それでチンチクリンな将であるところのお前が、チンチクリンな指揮をして侵略者の用兵に苦しまれたとする。そんな時に侵略者共に『貴方達の戦術が良く分かりません。教えて下さい』なんて間抜け顔で乞食のように頼みこむつもりなのか? 俺ならにべもなく斬って捨てるな」

 

「そんなことするわけありません! そのように頼んだとて、敵が己の手の内を晒すわけがないでしょう。あと私はチンチクリンではありません!」

 

「教えてくれるわけがない。よし、正解だ。足りない脳味噌でよく平均点ぎりぎりの解答を捻りだした、褒めてやる。分かったな、だから俺は教えないのだ。じゃあ俺は俺の鍛練を再開するから、さっさとどっか行け」

 

「……話を摩り替えないで下さい。確かに敵は教えを請われたところで情報を教えてはくれないでしょう。ですが兄君は敵ではなく、私の兄ではありませんか」

 

「――――っ!」

 

 初めて〝彼〟に動揺の色が垣間見える。兄を見つめる少女の双眸には濁りのない兄への敬愛と親愛だけが宿っていた。そこに疑念や疑惑といったものはまったく含まれていない。

 如何な偏屈者であろうと、こんな目を向けられては観念するしかないだろう。

 だが、否、だからこそ、だろうか。

 少女の兄である彼はより意地悪げに言う。

 

「阿呆め。この世界に永遠なものなどはない。永遠だと信じて疑わなかった帝国すら、その繁栄は永劫のものではなかった。だったらなにを根拠に俺を味方だと断じる。時の巡り合わせによっては、俺がお前の敵となるかもしれないではないか?」

 

「兄君が敵……? いえ、ですが、そんなことは――――」

 

 少女は言葉を詰まらせた。

 反論を封じられたのではない。自分の兄が自分に敵対する、そんな未来など信じたくはないと、その悲しみが宿った横顔が告げていた。

 目に見えて悲しそうな顔をする少女に彼はそっぽを向く。

 少女が嫌いなのではなく、自分で自分の言った事が少し嫌になっただけだった。

 己の肺の中に溜まった毒を堂々と言い放つことに躊躇いなどない彼だが、だからこそ時には自分の言いたくないことも言ってしまうことが多々ある。

 少女と過ごしてから、そういう機会が増えてきたのを彼は自覚していた。

 

「なにを俯いている」

 

 気恥ずかしさからか、それとも他の理由からか。

 彼は顔を合わせない様にそっぽを向いたまま口を開いた。

 

「え?」

 

「頼んだところで敵はなにも教えてくれない。だったら教えを乞うのではなく相手のすることを盗めばいい」

 

「盗む?」

 

「今もそうだ。お前はこれまでなにをしてきた? 木剣を握ることが許されなかった年齢から、俺と父の鍛練を盗み見ては木の枝やらなんやらで見よう見まねの不細工な特訓をしていただろうに

 だったら今回も同じことをすればいい。俺の教えを請うよりも、俺の鍛練を見て剣技を盗む努力をしたらどうだ?」

 

「――――!」

 

 彼はそう言い捨てると、今度こそ自分の剣の鍛練へ戻る。

 少女もそれ以上は食い下がることもなかった。彼から受けた最初の〝教え〟を胸に刻み、彼の剣技を見ては息を吸うように彼の剣技を盗み、それを自分のものに昇華しては、己の業として更に発展させた。

 幾年もの修練の月日。

 少女が〝彼〟を追い越すのにそう時間はかからなかった。

 最初に剣で負け、次に馬術で負け、その次は兵法や殆どの学問においても負けた。彼が少女に守り通したのは算術などといった細やかなものだけだった。

 自分より年下の妹――――否、弟に負けた悔しさがないわけではなかったが、それ以上に充実した日々だっただろう。

 修練は辛い事も多かったが、駒を使った遊戯や水浴びなどの楽しみはあった。

 

――――兄君。

 

 ある日、少女が凛とした面持ちで彼に言う。

 

「最初に兄君から教えを受けた日、兄君は時の巡り合わせによって私達は敵同士になるかもしれないと言いました。あれは」

 

「阿呆」

 

 少女がそんな昔の他愛ない会話を覚えていることと、少女と同じようにそのことを覚えていた自分を馬鹿にするように笑う。

 

「俺が――――――、だろう」

 

 常日頃からまったく素直でない彼だったが、その時は思うことがあったのか心からの本心を告げた。

 少女は初めて兄の素直の言葉を聞いて面食らっていたが、やがて心からの嬉しさをそのまま表情に出して、太陽のような微笑みを浮かべた。

 


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