Fate/reminiscence-第三次聖杯戦争黙示録-   作:出張L

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第31話  ジャンヌ・ダルク

 スペルビアとインウィディアが去り、地下監獄には地獄のような静寂が戻ってくる。スペルビアは目撃者は殺すと言っていた。天井に穴が空いているのに、上の階層から囚人達の怨嗟や悲鳴が聞こえてこないということは、きっとそういうことなのだろう。自然と閖夜の目は険しくなった。

 ルーラーと名乗った少女、スペルビアの言葉を信用するのであればジャンヌ・ダルク。救国の聖女である筈の彼女は、そんな閖夜を聖女らしからぬ億劫そうな目で見下ろしていた。

 人から見下ろされて喜ぶ性癖などもっていない閖夜としては直ぐに起き上がりたかったが、生憎とそんな自由は自分にはない。ただ好意的とは口が裂けても言えないが、生板の上の鯉に等しい閖夜に対して危害を加える素振りはなかった。味方と断言するのは危ういが、敵ではないと判断して良いだろう。

 見定めるよう見上げた閖夜の目線が、ジャンヌのそれと交わる。

 暫しの睨み合い。先に口を開いたのはジャンヌだった。

 

「ねぇ、残念なマスターちゃん」

 

「……お前みたいなやつの御主人様(マスター)になった覚えはねぇよ」

 

「愚図ね。私も貴方みたいな汚れたハムスターみたいな男を、マスターとして仰いでいないわ。他に適当な呼び名がないから仕方なく呼んでいるだけよ」

 

「閖夜だ、神代閖夜。お前は……ジャンヌ・ダルク、でいいのか?」

 

「驚いた。マスターの癖に平然と真名で呼ぶなんて本当になにも分かってないのね。ええ、いいですよ。好きに呼んで下さい。裁定者(ルーラー)なんてつまらない戦いの、つまらない役職(クラス)呼ばわりされるくらいなら、真名呼ばわりされる方がマシですからね。

 ところでマスター。私にお願いしたいことがあるんじゃないの?」

 

「……」

 

 ジャンヌの視線は閖夜を縛る鎖へ向けられていた。

 

「この時代にしては結構な呪いで編まれた礼装みたいね。この私を呼ぶマスターだけあって及第点以上の魔力は持っているみたいだけど、これに縛られていては碌に魔力を練ることも出来ないでしょう。看守もいなくて脱獄するには絶好の好機、だけど貴方には何をする力も残っていない」

 

「なにが言いたい?」

 

「助けを請いなさい。私は聖女ではなく魔女ですから、請わない人間を助ける義理はありません」

 

 拘束の呪詛は極めて高い鎖だが、物理的な耐久性は然程ではない。スペルビアとやり合ったジャンヌの腕力なら一撃で破壊出来るだろう。

 脱獄。

 地下監獄へ収監されてから、一日たりとも忘れなかった唯一の希望(ヒカリ)。どんな凶悪犯だろうとここへ三日も閉じ込められていれば気が狂う。閖夜が腐りながらも完全に狂わずにいられたのは、柳瀬を筆頭とした看守達への憎悪があったからだ。看守達への復讐するという目的が、脱獄という細い希望の糸を掴み続けるだけの活力を閖夜に与えていた。

 けれど閖夜が最も憎む柳瀬は戎次により粛清され、恐らく他の看守達もスペルビア達によって始末された今、閖夜は復讐対象を喪ってしまっている。

 脱獄して外の世界などに出ても、果たして意味などあるのだろうか。

 

「我ながら細い精神だよ。考えるまでもねえことだ」

 

 意味などはどうでもいい。目的なんていうものは生きていれば後付けで勝手についてくるもの。

 腐りかけていた精神が徐々にだが血色を取り戻していく。

 

――――そうだ、俺はまだ死ねない。

 

――――まだ生きなくてはいけない。

 

 地下監獄の瘴気を肺から絞り出すように息を吐く。

 最初から定められていた結論に、神代閖夜は面倒な思考を経て到達した。

 

「こいつを破壊しろ、ジャンヌ」

 

「ふーん。それは命令? それともお願い?」

 

「頼みだ」

 

「……まぁいいでしょう。気に入らないけど、マスターがその様だと私としても迷惑ですから」

 

 そう言うとジャンヌは旗を一薙ぎして、閖夜を縛っていた鎖を呪詛ごと焼き飛ばした。

 精神にかかっていた霞が完全に消え去り、閖夜の全身に通った魔術回路が再び魔力を流し始める。

 ゆっくりと地を踏む足の感覚を確かめながら立ち上がった。

 もう己を繋ぐものはない。自由の二文字が圧倒的感慨となって心に流れ込んできた。

 

(ん? これは)

 

 魔術回路が生成する魔力の一部が何処かへ流れていくのを感じる。

 原因は直ぐに分かった。鎖に縛られている時はなにも感じなかったが、自分とジャンヌの間にラインが繋がっている。そこからジャンヌへ自分の魔力が供給されているようだった。

 ジャンヌは閖夜をマスターと呼び、自分を使い魔(サーヴァント)と言っていたが、どうもそれは事実らしい。

 問題なのは閖夜にはジャンヌを使い魔にした覚えがまったくないということだろう。そもそも地下監獄に収容されていた閖夜が使い魔の契約なんて出来る筈がない。

 だが思い当たる節はある。暴食(グーラ)がここへ運び込まれてきたタイミングで胸に刻まれた赤い入れ墨らしいもの。恐らくアレが自分がジャンヌ・ダルクのマスターになると『確定』したタイミングだったのだろう。

 

(しかしジャンヌ・ダルクときたか)

 

 先程は命のやり取りの真っ最中だったので深く気にすることはないが、何から何までが異常である。

 このご時世に中世の騎士のような甲冑を装備していることもそうだし、明らかに西洋人の容姿をしている癖して流暢な日本語を喋ることもそうだ。しかも名前はジャンヌ・ダルクときている。

 事実は小説よりも奇なりという諺があるが、閖夜は自分が小説の世界に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 

(怪しむなっていうのが無理なほど怪しいが…………)

 

 魔術師ではなくとも閖夜とて魔術を扱う者である。英霊についての知識も当然持ち合わせている。英霊を召喚して使い魔として使役するなんて、例え死徒の王や魔法使いだって不可能なことだ。言うまでもないが閖夜にも出来ない。

 常識的に考えるならジャンヌも『ジャンヌ・ダルク』を名乗っている別人なのだろう。だが厄介なことに眼前の少女が内包する神秘量は英霊ジャンヌ・ダルクそのものだった。呪いの業火を操る戦いぶりは聖女というより魔女のそれだが、少なくとも名を語るだけの偽物に出来ることではない事は分かる。

 閖夜は慎重に〝ジャンヌ・ダルク〟に話しかけた。

 

「どうもお前は俺の『味方』らしいが、まず一つだけ答えな。――――お前は、何者だ?」

 

「悪い予感はしていたけれど、その様子じゃ聖杯戦争やサーヴァントについて全く知らないみたいね。どうしてこんな奴に……いえ、こんな無知な輩だからこそルーラーのマスターとして選ばれたということなのかしら」

 

「聖杯戦争? 戎次もスペルビアの野郎もンなことを言ってやがったが、まさか『聖杯』ってあの『聖杯』じゃねえだろうな」

 

「さぁ。私のような清らかな聖女を、こんな穢らわしい魔女として呼び出すんだもの。聖者の血を受けた聖杯じゃないのは間違いないわね。『聖杯』があるのはこの街ではなく、遠い冬木の地だけれど。そんな所に〝救世者(メシア)〟が足を運んだなんて話は聞かないし。

 けれど逆を言えば黒く醜い姿とはいえ『ジャンヌ・ダルク』を現世に呼べるのだから、聖杯としての力は備えているのでしょう」

 

「その口振りだと自分が本物のジャンヌ・ダルクみてえだが」

 

「『本物』ですよ。ただし『本物』以上に『本物』を剥き出しにされていますけどねぇ」

 

「…………」

 

 邪悪に笑うジャンヌを見据えながら、整理する。

 よくわからないが冬木という土地には『聖杯』らしきものがあり、その力でジャンヌ・ダルクを蘇らせているらしい。

 伝説に語られる『聖杯』であれば過去の偉人を蘇らせることくらい出来ても不思議ではないが、魔術を齧った者としてはなんとも信じられない話だ。

 

「ならあのスペルビアって野郎もテメエの同類か?」

 

「さぁ。知りませんよ」

 

「おいおい。一応は助けられちまった借りがあるんだから変な隠し事はよせよ。テメエみてえなのと徒手空拳でやりあうなんざ御免だ。そんな変態野郎はあのスペルビアだけで十分だ」

 

「ふふっ。心配は入りませんよ。マスターが襲ってきたなら、組み伏せて逆に甚振ってあげますから。ふんずけて火で炙って、豚に貶めてあげる」

 

「豚以下の扱いにはここで散々慣れてるが二度と御免だ。それよりも知らねえってのはどういうことだ?」

 

「そのままの意味よ。傲慢(スペルビア)だったかしら? あいつの事は何も知らないわ。私の特権を使っても真名を看破できなかったし、聖杯もあいつのことは何も教えてくれなかった。

 一応ステータスだけは読みとれたからサーヴァントと完全に別物ではないみたいですけど、やはり私達とは異質の存在のようです。要するにさっぱり分からないわ。

 まったく! 聖杯ってのは本当に役立たずね! 世界が危ないからって呼び出して、敵が何なのかすら教えないなんて。目の前にあったら踏み潰したい気分よ」

 

 ジャンヌは一人で聖杯に対して怒りを燃やしているが、閖夜からすれば分からないことが分からないレベルだ。サーヴァントに聖杯戦争に、ジャンヌから聞かなければならない情報は山ほどある。

 しかし閖夜がそれらのことを尋ねるよりも先に、ジャンヌが旗を構えた。

 

「どうした?」

 

「新手です。別のサーヴァントが近づいてます」

 

「!」

 

 閖夜にはサーヴァントがどういうものなのか分からないが、察するにジャンヌの同類なのだろう。

 つまり彼女やスペルビア……それに戎次の従えていたライダーに匹敵する『力』をもった化物が近づいているということだ。

 

「この気配は…………嗚呼、魔術師(キャスター)のサーヴァントですね。道理でここまで近付かれるまで分からなかった筈だわ。魔術で気配を殺していたのね。

 どうします、マスター。他のサーヴァントは兎も角、裁定者(ルーラー)である私にとって他のサーヴァントは敵というわけではありません。だれど忌々しいことに今の私は貴方のサーヴァントですから、命令するなら殺してあげますよ」

 

「どうするか、だと? 馬鹿なことを聞いてんじゃねえよ」

 

 溜息を吐き出しながら閖夜は煙管に火を付け――――ようとして、自分が自由になったばかりの身だったことに気付く。肺が煙を欲している、ついでに喉が酒を欲していた。これは早急に解決しなければならないだろう。

 それはさておき新手のサーヴァントだ。

 

「英語の分からねえ奴が英語教師になれねえのと一緒だ。聖杯もサーヴァントも何もかも知らねえ俺が、ンな判断なんざ出来るはずがねえだろ。

 お前に任せた。迎撃か、撤退か、待機か。道は色々あるが好きに選べ」

 

「迎撃するのも煩わしいし、撤退するのも腹立たしいわ」

 

「なら待機か。じゃあそういうことだ」

 

 言いながら閖夜は魔力を練り上げ、いつでも力を使えるように準備した。徒手空拳ではサーヴァントや戎次級の相手は厳しいが、ジャンヌの援護くらいは出来るだろう。幸いあのスペルビアとああも見事に戦ったジャンヌなら、大抵の相手に遅れをとることはない筈だ。後は鬼が出るか蛇が出るか、果たして。

 地下監獄の壁が破壊され、複数の人影が入ってくる。

 一人はカソックを纏った神父、もう一人は蒼い甲冑の騎士。そして閖夜が最後の一人を見た瞬間、目を大きく見開いた。

 

「とんでもない召喚反応を感じてきてみれば、これはまた珍妙な顔ぶれじゃないの」

 

「テメエ……何物だ?」

 

 出てきたのは鬼でも蛇でもなく魔術師だった。

 遠坂冥馬。極東の狂児の渾名をとった男である。

 


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