Fate/reminiscence-第三次聖杯戦争黙示録-   作:出張L

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第3話  幻想崩壊

 時計塔。それは魔術協会の総本山の名であり、魔術師にとっての最高学府である。

 世界各地から集めた魔術書。抑えられた数多の霊地。

 魔術を学ぶには理想的な環境が整っており、新興の魔術師は先ず時計塔に入学することを第一の目標とするほどだ。

 現在はナチスと戦争状態にあるせいだろう。時計塔全体に学び舎に似つかわしくない血生臭い緊張感が漂っていた。

 十二の学部を支配する十二の君主(ロード)達は、一様に不景気な顔をしているし、学生達は『ヒトラーの正体は魔法使いの弟子で、死徒27祖を束ねて時計塔に復讐にやってくる』などという下らない噂話をする始末である。

 これまでは不可侵を定められた聖堂教会と裏で殺し合いをすることはあったが、ここまで本格的な戦争状態は魔術協会始まって以来だろう。それはそっくりそのままナチスドイツの力と、その頂点にいる総統の力を示すものでもあった。

 

「冥馬、どういうこと? 貴方が戦いに参戦しないだなんて聞いてないわよ」

 

 今の時計塔の雰囲気に実にマッチした、背筋が冷たくなる殺意を込めた声が轟く。

 青みを帯びた濡れ羽色の長髪と気品のある簪。白魚のような肌と端正な顔立ちも相まって着物美人を体現したような女性だった。

 彼女は間桐狩麻。始まりの御三家が一角、間桐家の現当主にして、マキリのマスターである。その証拠に着物で隠された彼女の左肩には赤い刻印――――令呪があった。

 そんな間桐狩麻は玲瓏に、明らかな怒りが浮かび上がらせていた。理由は言うまでもなく、目の前の幼馴染である。

 

「どうもこうも知っての通りだよ。第三次聖杯戦争に参加するのは俺ではなく、父上ということに決まってしまった」

 

 紅のテンガロンハットに同じく紅のカウボーイマントという余りにも派手な恰好をした男は、心底残念そうに肩を竦めた。その拍子にカウボーイマントがめくれ、茶色いガンベルトが露わになる。しかしガンベルトには本来収まるべき銃ではなく、日本刀と宝石が下がっていた。

 西部劇のガンマンと、日本のサムライと、英国の貴族をミキサーで粉々にしてから一まとめにしたかのような珍妙極まる服装。だがそんな服装を完璧以上に自分のものとして着こなしてしまうのが、遠坂冥馬という男であり魔術師だった。

 

「ふざけないで」

 

 魔術回路に魔力を通し、殺気ではなく殺意すら見せながら狩麻は脅しをかける。

 対して冥馬は回路を励起させるどころか、刀を抜くことすらなかった。その余裕の態度が更に狩麻を苛立たせる。

 

「私は知っているのよ。貴方が三年前から英霊を呼び出すための『聖遺物』を探していたことを」

 

 初めて冥馬が驚いた顔をした。それだけで冥馬の時計塔での動向を、蟲の使い魔を駆使して監視し続けた甲斐があったと暗い歓びに浸りかけるが、直ぐに我を取り戻す。

 幼い頃より常に目の前に壁として立ち塞がり続けた遠坂冥馬。彼を屈服させ跪かせる――――それこそが狩麻の聖杯戦争で果たすべき目的だ。万能の願望器など目的を果たした上で得られる副産物に過ぎない。

 だというのに肝心の冥馬が戦いに不参加であれば、幾ら令呪があろうと狩麻は自分の聖杯戦争を始めることが出来ない。

 

「ジーザス。聖遺物探しに関しては、細心の注意を払っていたつもりなんだが。まさかどんな英雄に縁のある聖遺物かまで掴んじゃいないだろうな?」

 

「さぁ。それはどうかしら」

 

 本当は聖遺物を衛宮とかいう魔術師から購入したという程度で、冥馬が入手した聖遺物がどんなものかは分からないのが、冥馬を焦らせるために敢えて狩麻は思わせぶりな態度をとった。

 すると狩麻の望んだ通りに冥馬は苦い顔をする。自分のせいであの遠坂冥馬が苦しんだ、自分が冥馬に影響を与えた――――その事実だけで狩麻の脳は溶けそうなほどだった。

 

「おいおい狩麻。幾ら俺が色男だからって、あんまり見つめられちゃ照れるぞ」

 

「誰がアンタのことなんか見つめるって言うの? 自意識過剰も大概にしなさよ。そんなんだから頭の悪い馬鹿な女共が、蠅のように群がってくるのよ。女を囲ってお山の大将気取りしているつもり? 馬鹿じゃないの」

 

 考える暇すらない速度で、冥馬の茶化しを全否定する。

 

「誰が女を囲っただ、誰が。そりゃ幾つかの家から縁談は持ち上がっているが、今のところ受けるつもりはない」

 

「……そ。どうでもいいわよ、貴方の恋愛事情なんて」

 

「まぁ付き合った淑女はそれなりにいるが」

 

「最低の下種ね、死になさい」

 

「ああ、死んでやるよ。百年後くらいにベッドの上で。死因は老衰で頼む」

 

 これまで時計塔で何度も行われた幼馴染との他愛のない雑談。その雑談をする心地よさに流されかける狩麻だが、寸でのところで自分を取り戻す。

 自分は冥馬と無駄話をするために彼の『工房』を訪れたのではない。聖杯戦争に参戦しない理由を問い詰めに来たのだ。

 

「話を戻すわよ。戦いが始まる直前で参加を止めるだなんて、どういうつもりよ。まさか死ぬのが恐くなったなんて言うつもりじゃないでしょうね」

 

 もしそうなら許しはしない。殺気から殺意となったものを、明確な形にして冥馬へぶつけてやるまでだ。具体的には大量の食人蟲をけしかけるという形で。

 だが狩麻の明確な殺意を浴びても、冥馬は碌な構えをとることがなかった。あくまで友人と団欒する気楽さを残したままである。他の凡俗であるならばいざ知れず、幾度もの修羅場を潜り抜けてきた冥馬が殺意に気付いていないはずもないだろう。なのに殺意に対して何のリアクションも起こさないのは間桐狩麻を信頼してのものか、もしくは舐めきっているのか。

 前者ならば兎も角、後者であれば食人蟲を嗾ける程度では生温い。魔術回路を潰した上で、四肢をもぎ取り蟲蔵に放り込んで思い知らせてやる。苦しみに喘ぐ冥馬が吐いた吐瀉物はさぞ甘い味がするだろう。

 狩麻の殺意(妄想)がそこまでエスカレートしたところで、漸く冥馬も反応を起こした。

 全身の疲労感を絞り出すように嘆息しながら、遠坂冥馬は言う。

 

「それこそまさかだ。〝死〟なんていうものは魔術師なんてものになる以上、まず真っ先に観念して然るべきものだ。俺だってつい最近までは聖杯戦争に参加する気満々だったともさ。帰国の準備だってしていたし。

 だが仕様もないだろう。マスターの証である令呪をマスターに与えるのは『大聖杯』だ。そして大聖杯は間桐狩麻をマスターに選んだが、遠坂冥馬をマスターにはしなかった。これはそれだけの話だよ」

 

「納得いかないわ! 貴方の父はもう隠居したはずでしょう。魔術刻印だってもう貴方が受け継いでいるじゃない。なのに――――」

 

 魔術師は生涯かけて磨き抜いた魔術の神秘を、魔術刻印として固定化させ次世代に遺す義務をもっている。そして刻印を受け継いだ魔術師は、自身もまた自分の磨いた神秘を刻印に残し、そうやって魔術師の家系は続いていくのだ。魔術師にとって歴史が重要視されるのも、これが理由の一つである。

 魔術刻印は当主の証といっても過言ではなく、父より全ての魔術刻印を異色済みの冥馬は名実ともに遠坂の四代目当主だ。

 しかし聖杯は遠坂家の当主ではなく、既に隠居した元当主をマスターとして選定してしまったのだ。こんなことはどう考えてもおかしい。

 

「御三家の魔術師が優先的に令呪(参加権)を得るのは定められたことだが、なにも必ず当主に令呪が与えられるとは定められていない。聖杯が選ぶのは優れた魔術師ではなく、聖杯を強く求めるマスターだったっていうことなんだろう。

 魔術師としての義務を果たすこともできず、父にその役目を押し付ける羽目になるとは、我ながら不甲斐ないとしか言いようがない。きっと父上は俺以上に『聖杯』にかける思いが強かったのだろうな」

 

「――――――っ!」

 

 狩麻にとって『聖杯戦争』は人生を賭けた重要な儀式ではあったが、冥馬の『聖杯戦争』にかける想いは彼の父に劣るものだった。

 ふつふつとやり場のない憤怒が狩麻の内から湧き上ってくる。聖杯戦争という純粋なる実力勝負で冥馬を破ることを夢見てきたというのに、当の冥馬は戦う前にもう脱落してしまったのだ。ここで冥馬を殺しても、それは狩麻が冥馬を跪かせたことにはならない。

 

「だったら聖杯戦争は私の『不戦勝』ってことでいいわけね?」

 

「そうなるな。〝遠坂〟が〝間桐〟に負けたわけじゃないが〝冥馬〟は〝狩麻〟に敗北した。認めるさ」

 

「いい、覚えていなさい。私は必ず聖杯戦争に勝つ。貴方の父や他のマスター達を殺し尽してね」

 

「そうか。立場上応援することは出来ないが、無事を願う。死ぬなよ」

 

「っ! このっ――――アナタはいつもいつもっ!」

 

 苛立ちをもって狩麻は踵を返すと、乱暴にドアを閉める。

 令呪が宿ってもう一週間。今頃御三家のマスター達はサーヴァント召喚の準備をしている頃だろう。御三家以外の外来のマスターも決まり始めているかもしれない。

 必ず聖杯戦争に勝利して、聖杯を持ち帰る。そして冥馬の顔を悔恨でぐちゃぐちゃに歪め、跪かせる。それだけが狩麻に残った戦う理由だった。

 

 

 冥馬とのやり取りから月日が経ち、狩麻は久方ぶりに『間桐』の家へと戻ってきた。

 七月の冬木市はうだるような熱気に包まれている。魔術属性が水ということもあって、狩麻にとっては実に不快な天気だった。急な帰国だったこともあって、イギリスから日本までの船の旅はお世辞にも快適とは言えないものだったことが不快感に拍車をかける。

 そんなこともあって間桐に戻った狩麻は間桐の実質的支配者といえる翁へ適当に挨拶しただけで、唯一の弟である霧斗に至っては完全に無視して、真っ直ぐに間桐の工房へと降りて行った。

 間桐の魔術属性は水であり、それが得意とするところは使い魔の使役である。サーヴァントを御するに必要不可欠な絶対命令権たる令呪も、二回目の戦いにあたって間桐が生みだしたものだ。

 才能において狩麻の上をいく遠坂冥馬も、こと使い魔の扱いにおいては狩麻には決して及びはしない。

 そして狩麻は間桐の工房――――蟲蔵へ足を踏み入れた。

 蟲蔵という呼称からも分かる通り、間桐が主に使い魔として使役しているのは蟲である。狩麻が足を踏み入れた瞬間、潤沢な魔力()の来訪を感知して、蟲達がにわかにざわつき始めた。

 上下左右、壁と地面を余すことなく埋め尽くした蟲の群れ。それらは全て二百年と三百年前から変わらずに間桐の支配者であり続ける翁が培養したものだ。

 この蟲達にかかれば、並みの魔術師であれば数秒と保たずに骨肉を魔力ごと喰らいつくされるだろう。

 魔力を餌とする蟲達にとって、魔術師の肉体は何にも勝るご馳走なのだ。

 だが蟲達のただ一匹たりとも、狩麻に這い寄って喰らい付こうとするものはいなかった。

 蟲達に知性などありはしない。故に蟲達は狩麻のことを、自分の生みの親の血縁であると気づいてすらいなかった。だというのに蟲達はざわつき、それが狩麻にとって不愉快であると悟ると、自然に静まりかえる。

 

「お爺様も蟲達の調教が温いわね」

 

 狩麻が歩を進める。すると蟲達は自然と彼女が通りやすいよう道を開けた。もしも蟲達に四肢があったのであれば、きっと彼らは跪いていたことだろう。

 そう、知性なき彼等は本能で悟ったのである。彼女こそは蟲の女王。我々が仕えるべき主君なのだと。

 

「呵呵呵呵呵呵呵、これこれ時計塔帰りが老骨を苛めてくれるでない。如何せん儂の術は数百年前のロートルでな。時計塔で腕を磨いてきたお主の目にはどうしても鈍く映ろうて」

 

「臓硯……」

 

 音も気配もなく『それ』はそこにいた。

 見た目は狒々のようにしわだらけの小躯の老人であるが、その実態は肉体を蟲へ作りかえることで、数百年の時を生き長らえてきた妖怪である。

 同じ蟲使いである狩麻には『間桐臓硯』の体を構成しているのが無数の千を超える蟲達であることが良く視えてしまった。

 以前は肉体を蟲にすることで生き長らえるという生き汚さに嫌悪感を抱くのみであったが、時計塔で研鑽を積んだ狩麻は嫌悪ではなく戦慄する。

 幾ら肉体を蟲にしたところで、真の不老不死など手に入るはずもない。臓硯がやっているのは、所詮は死を遠ざけているだけの延命行為だ。定期的に肉を喰らい肉体を変えなければ、間桐臓硯の体は腐って使い物にならなくなってしまうだろう。

 魔術の修練の過程で何度も骨肉を削る苦痛を味わった狩麻だが、生きながらに肉体が腐る苦痛がどれほどのものかは想像すら出来ない。真っ当な人間ならばそんな苦痛を味わってまで生にしがみ付いたりなどせず、大人しく死を選ぶ。少なくとも狩麻は自分ならばそうするという確信があった。

 けれど間桐臓硯は生きている。肉体が腐る苦痛を、死にたくないという生への執着で抑え込んで。間桐臓硯という妖怪に肉親の情など欠片も持っていないが、その凄まじいまでの妄執には圧倒せざるを得なかった。

 

「見ての通りよ。今回の第三次聖杯戦争、私が間桐のマスターとして参加するわ。異論はないわね?」

 

 狩麻は着物を崩し肩に刻まれた令呪を見せつけた。

 

「呵呵、異論などないとも! 霧斗のやつめは魔術回路が貧相で論外。儂は知っての通り隠居の身。間桐で唯一マスターたりえるお主がマスターとなるのは至極当然のことじゃろうて」

 

「本当に、いいのね?」

 

「うむ。お主は好きなように戦い、好きなように動くがいい。もし何か困ったことがあれば、儂に出来ることであれば手を貸そうとも」

 

 臓硯は好々爺めいた笑みを浮かべながら首肯する。

 基本的に外道にして邪悪である臓硯であるが、稀に人の良い好々爺めいた性格を出す時がある。嘗ての腐りきる前の人格の名残が現れているのか、ただの気紛れかは知らないが、ともかくその時に限って臓硯は『甘く』なるのだ。

 だが解せない。臓硯が『甘く』なる時というのは、決まって魔術的重要な儀式のない平日だった。聖杯戦争のような重大な儀式の際は、いつも外道な老魔術師然としていたというのに。

 

「貴方……どうしたというの? 本当に間桐臓硯?」

 

「孫娘の幸を願うのは祖父として当然のことじゃろうて」

 

「なにが孫娘よ。私が十歳の頃に戸籍に祖父じゃなく曾祖父って戸籍に載っていた癖に。十年後には私の父にでもなっているのかしら。それにお爺様は肉親だからって幸せを願ったりはしないわ。自分の悲願のためなら娘だろうと親友だろうと、平然と笑いながら食い物にする。貴方はそういう『妖怪』でしょう?

 貴方の悲願である『真の不老不死』は『聖杯』を使わなければ叶わない奇跡。アインツベルンを除けば世界で誰よりも聖杯を欲している貴方が、聖杯戦争を前に孫娘に戦いを丸投げするなんてどういうつもり?」

 

「呵、呵呵呵呵呵呵呵呵! この儂に対してよくぞそこまで啖呵をきった。狩麻よ、お主でなければ身の程を教え込んでおったところじゃぞ。

 じゃが左様。お主の言う通りよ。もしもお前が他の参加者を殺し、聖杯をその手に掴めば、儂はその聖杯を掠め取ろうとするじゃろう。否定はせぬとも。とはいえ此度の聖杯戦争に儂が過度に干渉することはない」

 

「それは、何故?」

 

「年をとると臆病になってのう。勝つか負けるか、生きるか死ぬか。戦いの趨勢がまったく予想できぬ戦いに身を投じるほど、儂は若くないのだ」

 

「ああ、そういうこと」

 

 つまり間桐臓硯という妖怪は、確実に勝利できるという確信を得られるまでは動かないつもりなのだろう。

 最初と二回目でマスターとして選ばれる器をもちながら、一切直接的に関わることがなかったのもそれが理由に違いない。

 

「ならいいわ。私の好きにやらせて貰うから」

 

「して。肝心の『触媒』は見つけてきたのかの?」

 

「当然じゃない」

 

 聖杯戦争の主役は言うまでもなくサーヴァントだ。伝説に刻まれた英霊たる彼等は、一騎一騎が吸血鬼の王達と同等の強さをもつ魔人だ。

 一流の魔術師が百人集まったって、一人のサーヴァントを殺すことすら難しいだろう。一対一で戦えばどうなるかなどは論ずるにも値しない。

 そしてサーヴァントが戦いの主役ならば、当然勝敗を分ける第一条件はサーヴァントの強さである。極端な話だが最強無敵のサーヴァントを召喚することに成功すれば。三流のマスターでも一流のマスターに勝利しうるのだ。

 故に聖杯戦争に参加する魔術師は、望みの英霊を呼び出す為、その英雄に縁のある聖遺物を召喚の触媒として利用する。触媒なしに召喚することも不可能ではないが、その場合はどんな英霊が呼び出されるかは完全にギャンブルとなるため、賢い選択とは言えないだろう。

 英霊の触媒探しは聖杯戦争の序盤戦といっても過言ではないのだ。

 

「サーヴァントの強さを決定付けるのは、英霊本人の地力と、戦う場所での信仰心――――知名度によって左右される。けれど冬木の聖杯は西洋のアインツベルンが作り上げたものだから、この国で最も知名度補正を受けられる日本の英霊は呼ぶことはできない。だったら――――」

 

 この日本にも名が轟くほど世界的に有名で、尚且つ強力無比な実力をもつ英霊を呼び出すのが最良だ。

 ギリシャ神話のヘラクレスやテセウス、偉大な征服者たるアレクサンドロス大王やチンギス・ハン、騎士道の体現者たるアーサー王やカール大帝。候補は数多くいたが、最終的に唯一手に入れることの出来た聖遺物によって呼び出す英霊も決まった。

 狩麻が魔術封印の施された風呂敷より出したのは黒い軍帽だった。

 軍帽そのものには何の神秘も宿っておらず、変わったところは何処にもない。内包している歴史も微々たるものだった。しかし大金を払うだけの価値があったとは迷いなく断言できる。

 この軍帽の本来の持ち主はナポレオン・ボナパルト。

 近代において比類なき大英雄。後の時代まで受け継がれる画期的な戦術を生みだした戦争芸術家。この日本においても知らぬ者などいない英雄の代名詞である。

 英雄たちが覇を競い合う戦争に、英雄の代名詞たる戦争芸術家を召喚する。これ以上の選択肢はない。

 蟲達を変化させて作り上げた祭壇に、狩麻は軍帽を乗せる。これに持ち込んだ蟲達の血液で魔方陣を描き、英霊召喚の準備は整った。

 人類史の守護者たる英霊を『座』から呼び出そうというには、随分と簡単な召喚陣であるが、英霊召喚の大部分は『聖杯』がやってくれるので、マスターはただ英霊を引っ張ってくるだけでいい。

 故にこの程度の準備でも、召喚の詠唱さえしっかりしていれば問題なしに召喚は可能だ。

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師マキリ・ゾォルケン。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 最初の呪文を終える。

 魔方陣にはまだなんの反応もないが、狩麻の手にはこれより降りてくるものを感じとって汗が滲んでいた。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 これで前準備は終わった。本番はこれからである。

 

「――――告げる」

 

 大気中の魔力(マナ)が魔方陣へと集まりだす。狩麻の全身の魔術回路からは魔力(オド)が魔方陣へと流れ込んでいった。

 如何に聖杯が大部分を行うとはいえ、やはり英霊の召喚。そんじょそこらの降霊とは一味も二味も違う。

 

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 いよいよとなって魔方陣は眩いばかりの光を放ち始めた。

 呼び出す英霊の魂の色なのか、魔方陣は鮮烈なまでの緋色へと染まっていく。美しくも壮絶なる奔流は、蟲達の何匹かがショックで息絶えるほどだった。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」

 

 遥かなる浄土から、戦の舞台たる穢土へ。英霊の列に加わりし偉大なる革命者は堕天(ダウンフォール)する。

 エーテルが弾け、爆発的な輝きが蟲蔵を埋め尽くした。そして、

 

「何も……ない?」

 

 魔方陣の上に狩麻が望んだ英雄の姿はなかった。魔力が雲散した後、蟲蔵に残ったのは茫然自失の狩麻と、無言の臓硯だけ。

 痛いほどの静寂が狩麻の心を締め付ける。

 

(まさか失敗したというの?)

 

 あれほど冥馬に啖呵をきっておいて、あれだけの大言を放っておいて。自分はサーヴァントを召喚するという、マスターとして当たり前の通過点すら潜り抜けることが出来なかったというのか。

 唐突に圧し掛かってきた絶望に、間桐狩麻の細脚は折れ、

 

「―――――――は?」

 

「な、なんじゃ?」

 

 これまた唐突に流れてきた音楽によって、折れかけていた脚は持ち直した。

 流れている曲はベートーヴェンの交響曲第3番〝英雄〟。狩麻と臓硯はまったくもって意味不明な展開に揃ってポカンと口を開けた。

 

(そういえば〝英雄〟は元々ベートーヴェンがナポレオンのために作った曲で、ナポレオンが皇帝に即位したと聞くと絶望して楽譜を破り捨てたとかいうエピソードが――――あったからって、なんでナポレオンを召喚したからってこの曲が流れるの!?)

 

 大体もしもこの珍事がナポレオンを召喚したことを原因として発生しているのであれば、肝心の英霊ボナパルトはどこへいるというのか。しかも、

 

「なんで三味線なのよ――――――ッ!」

 

 そう、あろうことかこの〝英雄〟を弾いているのはバイオリンでもピアノでもなく三味線なのだ。言うまでもなくナポレオンと三味線には一切関連性などない。

 怜悧な美貌をもつ令嬢という仮面をかなぐり捨てて叫ぶ狩麻。それに応えてなのかは知らないが、いきなり蟲蔵の地面が割れ始めた。

 割れた地面から地響きをたてながら競り上がってくるのは豪華絢爛な舞台。舞台では洒落た舞台衣装に身を包んだ美男美女達が、三味線を始めとした和楽器を駆使して英雄を演奏していた。

 どうやら先ほどから流れていた音楽は彼らのせいだったらしい。なんだか薔薇吹雪まで舞い始めた。

 

「お爺様。こんな仕掛けいつ用意したの? あと縁を切らせて頂いていいかしら?」

 

「か、勘違いするでない! 儂はこのような珍妙な仕掛けなどしておらぬわ!」

 

 それはそうだ。間桐臓硯がこんなものを用意するほど愉快な人間なら、肉体を蟲に置き換えての延命なんて真似はしないだろう。

 蟲蔵に反響する音楽は徐々に大きさを増していき、どこからともなく現れたバレリーナ達がリズムに合わせて踊り始めた。

 そして何時の間にやら蟲蔵に設置されていたフラッシュライトが、壇上で一際目を引く薔薇色の舞踏服を纏った貴公子を映し出す。

 赤い貴公子はギターで完全に音程の狂った演奏をしつつ、これまたリズムから外れたダンスしながら狩麻の下へと降りてきた。

 

「おお、麗しのマドモアゼル! サーヴァント、アーチャー改め赤き薔薇のプリンス! 貴女の求めに応じて参上したよ! 問おうじゃないか、君が僕のご主人様(マスター)だね!!」

 

 全力で違うと返答したかった。だが無情にも目の前の男と主従のパスは繋がってしまい契約が完了してしまう。

 さっきとはベクトルの異なる絶望感を味わいながら、狩麻はじっと目の前のサーヴァント(仮)を観察する。

 赤薔薇色の舞踏服にシルクハット、黙っていれば女性受けするであろう甘いマスク。

 服装といい顔立ちといい全体的な雰囲気といい、全てが狩麻が召喚しようとした英霊とは異なるものだ。ではこのサーヴァントは一体誰だというのか。

 

「まさかとは思うけど、アーチャー……で良かったわね。真名はナポレオン・ボナパルトだとでも言うつもりじゃないでしょうね」

 

「はーははははははははははははははははははははははっ! 大正解だよ、マドモアゼル! そう、僕こそが人類史を華麗かつ優雅に彩った英霊界の貴公子! ナポレオン・ボナパルトさ!!」

 

 にっこり微笑みながらサムズアップするナポレオン。その衝撃の告白に狩麻は気絶したい気分だった。

 別に狩麻は英霊というものに幻想を抱いていたわけではないし、特定の英霊に深い思い入れもありはしなかった。

 英霊ボナパルトに対してもそう。狩麻がボナパルトを呼び出そうとしたのは戦略的に有効であると判断したからで、ナポレオン・ボナパルトという英雄に特別な執着心などはなかった。

 しかし幾らなんでもコレはないだろう。世に伝わる伝承と現実が異なることが多々あるということくらい狩麻とて弁えているが、それにしてもこればかりはない。論外だ。

 こんなものが現実のナポレオン・ボナパルトと知れば、彼に憧れる人間達は発狂するに違いない。他ならぬ狩麻が信じたくなかった。こんなのがナポレオンだということ以上に、こんな意味不明な男と聖杯戦争を共に闘わなければならないということが。

 

「…………のう、狩麻」

 

「お願い。なにも言わないで」

 

 臓硯の生暖かい視線が辛い。穴があれば入ったまま永眠したい気分だった。

 

「あーはははははははははははははははははははははははははははははははっ!! どうしたんだい、マドモアゼル。折角の華々しい戦いの序曲(ウヴェルテュール)だというのに浮かない顔じゃないか!!」

 

「……誰のせいよ、誰の」

 

 こんな訳の分からないサーヴァントを召喚すれば、魔法使いだって唖然するはずである。少なくとも五百年を生きた妖怪が唖然したのは確かだ。なにせ証拠が隣にいる。

 

「おっと失敬! 戦いの舞台は日本(ジャポン)と聞いたから日本風の登場をしたのだが、中途半端に和洋折衷にしたのがお気に召さなかったようだね」

 

「いやいやいやいや。そういうことじゃ――――」

 

「ではレッツ! 模様替えターーーーーーーーーーーーーーーーーイム!!」

 

 瞬間。蟲蔵に吹雪いていた薔薇吹雪が桜吹雪へと代わり、バレリーナ達の衣装は浴衣へと早変わりした。ついでに流れている曲も『英雄』から夏祭りにでも流れていそうな盆踊りの曲になった。

 魔術的にとんでもなく出鱈目なことを目の前で見せつけられた狩麻だったが、それ以上にアーチャーの出鱈目な性格のせいで狩麻は沈黙することしか出来ない。

 

「さぁ! マドモアゼルと観客のムッシュ! まだ見ぬ戦いを目指して歌い踊ろうじゃないか!! はーはははははははははははははははははははっ!!」

 

 この日。生まれて初めて狩麻は過去の選択をやり直したいと思った。

 

 


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