進行ペースが遅すぎるだろと思ったのですが、平和なのは今の内ですからね。
昼食を食べた後、吹雪達は再び庁舎前に呼び出されていた。本当は座学だったが、観艦式の知らせを受けて急遽航行訓練に切り替えられたのだ。
しかし、初めての海である。何をすれば良いかも分からない。
五人が整列して待っていると士官が数人やってきた。小野弥一郎・有地十五郎の両大佐の他に横山徳治郎中佐と有馬直中佐、そして赤い髪が特徴的な白と灰の制服を来た女性が一人である。
「待たせたな。これより航行訓練を行う。こちらは君たちの教官となる軽巡鬼怒とその艦長小野弥一郎大佐だ」
「鬼怒だよぉー!よろしくね!」
「小野だ。よろしく」
「よろしくお願いします!」
鬼怒が士官の中でとびきり元気に挨拶をした。赤い髪も合わさってとても目立つ。
一通り挨拶が終わると艤装管理庫に向かう。
有地大佐が要領を説明していく。
「訓練や出撃時はここで艤装を受け取る事。もちろん事前に申請が無ければならないがな。おい、装備を頼む」
「は!」
係員が金庫を開けて六個の機械類を台車に乗せてやってきた。
「準備完了です」
「よし。各員装備せよ!」
「はい!」
六人はそれぞれ受け取った装備を身に着けていく。吹雪も"キブフ"と書かれた艤装を受け取った。
大きなブーツのような機械を一足。マストが付いた機関部。そして十二年式61cm三連装魚雷発射管二基、50口径三年式12.7cm連装砲の武装。
もちろんその大きさではないし重さも軽い(少なくとも艦娘には)が立派に機能する。
機関部を背負い、足に魚雷発射管を取り付ける。もたもたしている間に鬼怒はすでに装備していた。
「今日は仕方ないけどもっと早く装備してね」
「は、はい」
「すぐに慣れるよ」
鬼怒は笑顔で言う。五人共時間をかけて装備し終わった。
有地は全員が装備し終わったのを確認すると声をかけた。
「よし、終わったな。乗艦だ」
「乗艦?何かに乗るのですか?」
「君らじゃない。妖精だよ」
「妖精?」
「そうだ。足元に整列しているだろう?」
言われて足元を見るといつの間にか小さな妖精が軍服を着て整列していた。
士官と思われる第二種軍装を着た妖精が吹雪を見上げて笑顔で敬礼する。
「何これかわいい!」
並んでいる一人をつまみ上げる。
水兵らしくセーラー服を着て水兵帽を被っている。小さいがちゃんと金の糸で"軍海國帝本日大"と刺繍されていた。
水兵は挙動不審にきょろきょろしていたが、やがて体をよじ登ってマストにある見張り台に入っていった。
「彼ら…彼女?まあ詳しくは分からないが妖精達が機関の制御や砲の装填まで行う。彼らの働きなしでは戦えない。大切にしたまえ」
「はい」
約二百名の妖精が艤装に入る(いったいどこにそんなスペースがあるのだろうか…)と準備は完了だ。
六人は艤装を背負ったまま燃料タンクへ向かう。
「本当は弾薬を受け取りに行くのだが今日は使わないから省略する」
「撃たないんですか」
「今日は艦隊運動で終わるだろう」
係員がホースを伸ばしてきて艤装に接続する。手を上げて合図をすると制御盤を管理している係員がレバーを引いた。
燃料ホースから重油を補充する。
「これどこに燃料が入っているのですか」
その様子を見ていた東雲が係員に質問する。
「さあ。私には」
「え?」
「詳しく知らないです」
「じゃあ、どれくらい入るのですか」
「475トンですね」
「私の体より体積が大きいですよね?」
「……」
他の係員や士官の方を見るが目を逸らされた。えぇ…、誰も知らないのか。質量保存の法則などなかったのか。
「詳しくは帝都の恵比寿にある海軍技術研究所へ聞いて下さい」
完全に丸投げである。こんな謎の兵器ばかりで大丈夫なのかと吹雪は聞きたかったが、そもそも自分の存在が謎であるので聞くのはやめた。
艦娘を開発したのはイギリス海軍だったか。これが英国面なのだろうか。
栄えあるロイヤルネイビーが風評被害にあっている間に燃料補充が終わる。
書類にサインして桟橋へ向かった。
「さあいよいよ海に入るぞ。機関圧力はどうだ」
「オッケーです!」
鬼怒が元気に答えるが五人は無言だ。
「あの、どう確かめるのですか」
「え?機関長の妖精に聞いてみたらどうだ」
慌てて見下ろすと偽装から妖精の士官が不安そうに見上げていた。
喋らないが何を言いたいのかは不思議と分かる。
「機関が始動してないと言っていますが」
「なんだと」
「初めてですから仕方ないですよ有地大佐」
驚く有地に代わり、横山が指導する。
「出力が上がるまで時間がかかります。燃料が入ったら事前に焚いといて下さい」
「分かりました」
再び妖精を見ると笑顔に戻り敬礼をして中に入っていった。
重油が缶に流れ、着火される。ボイラー水が温まっていくのが感じられる。
「始動させました」
「よし」
有地はそう返事したものの何も命じず、マッチを擦って煙草を吸い始める。小野は少し離れた所で鬼怒と話し合っており、横山と有馬は顔を見合わせ苦笑していた。
「ええと」
「温まるまで30分は待機だ」
「ええ!?」
驚愕する五人に有地も笑う。
「ディーゼルならすぐに発進出来るのだがな。そういう所は変にリアルだろう?」
皆が頷く。
「折角艦娘という新機構になって質量の存在を無視出来てるのに変な所はリアル。書類手続も事務的だ」
「まあ部下数百人を統率せずとも一人で済むのはありがたいですけどね」
「兵学校ではよく一号生徒(三年生)に殴られましたが私は好きでは無かったのでホッとしています。女の子は殴れませんからね」
有地の愚痴に横山と有馬も乗っかる。
「なんだ有馬。貴様もう一度鉄拳を食らわせようか」
「いえ!もう充分でございます」
「冗談はこれくらいにしておけ」
鬼怒と話し合っていた小野が戻ってきて有地を窘める。
「ちょうどいい時間だ。俺たちもその間に"搭乗"しようじゃないか」
「搭乗」
「さっきの妖精と似ているが、鎮守府の艦娘司令システムから君達にアクセスするだけだ」
「司令システム?アクセス?」
慣れない横文字に頭が混乱する。
「おいおい。海軍軍人たるものスマートでなければならないと言われただろう?」
「ええ」
「簡単な事だよ。君達と距離が離れてても指揮が出来るようにするための装置さ」
「すごそうですね」
「英国製の世界最高性能の機械だからね。今はほとんどが国産メーカーの複製品だけど。とにかく後で脳内に直接話しかけるから待っててくれ」
「はい」
四人の士官は庁舎へ向かう。
「やれやれあんな調子で大丈夫なのか?」
「最初はそんなものですよ。艦娘といえ数ヶ月訓練を受けただけですから」
「鬼怒だって初めはそうだったのでしょう?」
「いや、途中から艦長になったから分からん」
「だからですよ」
小野大佐は有馬中佐を睨む。
「なんだ貴様詳しいな」
「磯波に付き添って来ましたから。相模湾で試験航行もしてますし」
「なんだ。経験者がいるじゃねぇか。なぜそれを言わん」
「磯波はあのような性格ですから。自信も無さそうでしたし皆に合わせようと思いまして」
「甘やかしてるな」
「親心です」
「まあまあ、そう言わず。つきましたよ」
有地大佐が仲介して言い争いは終わった。
横須賀名物の四角い赤レンガの庁舎に入らず、四人はその隣にある地味なコンクリート製の建物に入る。
今でこそ普通だが当時としては最新技術の
平屋建てに見えるが本命は地下にある。
入り口を守っている陸戦隊が銃を構え、誰何してくる。
「訓練だ。小野弥一大佐以下四名。申請書はこれだ」
隊員に身分証と申請書を見せる。
リストと照らし合わせて確認し、捺印する。作業が終わると敬礼して下がった。
「確認出来ました。ようこそ呉艦娘総合指揮室へ」
「ご苦労」
四人は揃ってエレベーターで地下に降りる。
「俺が鬼怒に。有地が東雲、横山が吹雪、有馬が磯波だな?」
「はい」
「内容は艦隊運動だけ」
「そうです」
「分かった。よろしく」
小野が最終確認をするとエレベーターの扉を開いた。
地下空間だがかなりの広さがあり、電灯も多く暗くはない。空調も効いている。
夏は最新の冷房装置が、冬はスチームヒーターで適温に管理してある。この完璧な施設に士官達は例え銀座のネオンが電力不足で消えようともこの部屋は明るいし適温のままであると噂していると聞く。
真実はともかく、世界でも最先端の技術が集まっている。隣室には電波変換の演算ための大型演算処理装置が並ぶ。しかし世界より進んでいるという訳でもなく、最近日本電気と芝浦製作所が国産化に成功したレベルだ。
仕切りで区分けされたスペースに椅子や制御装置が並んでいる。
横山徳治郎中佐は他の士官と別れると指定された座席に座った。
技官が機器を始動させ、周波数を設定していく。
「駆逐艦吹雪ですね?」
「そうだ」
「分かりました。ではこれを」
未だによく分からない注射を打たれ、頭を覆うヘルメットを渡される。
たくさんの電線が繋がっており気持ちが悪い。最初こそ訝しんだが今では慣れたものだ。
被ってしばらくすると横山の意識は薄れていった。
桟橋では五人が手持ち無沙汰に待っていた。四人は緊張の面持ちである。
緊張を和らげようと鬼怒が話しかける。
「機関の圧力はどう?」
「上がりました」
「よし!じゃあ司令官を待つだけね」
その時吹雪の頭に雑音が聞こえた。思わず耳を澄ませる。
鬼怒と東雲、磯波も順次反応していく。
「何か聞こえません?」
「え、どうしたの?」
白雲と薄雲も耳を澄ませるが聞こえないようだ。
すると鬼怒が笑いながら言う。
「司令官と繋がったんだよ」
「え?」
再びよく聞いてみると今度ははっきりとした男性の声が聞き取れた。
「こちら横山中佐。駆逐艦吹雪、応答せよ」
「吹雪です。艦長ですか?」
「そうだ。繋がったみたいだな」
「…司令ですか?私東雲です」
東雲も恐る恐る誰もいない空間に話しかけている。
鬼怒と磯波は慣れたものである。
「吹雪ちゃんみたいに驚かないんだね」
「え?ま、まあね」
薄雲に指摘されたが磯波ははぶらかした。一度経験した事は隠す事にしたらしい。薄雲はそれ以上追及はしなかった。
六人の準備が整ったところでいよいよ入水である。
「じゃあ抜錨するよ!」
「飛び込み台とか無いんですか」
「長距離航海でならあるけど今は使わないかな」
「あるんだ…」
白雲は冗談のつもりで言ったのだがあっさりと言われてしまった。
「簡単だよ。海に入るだけ」
鬼怒はそう言って海に足を踏み入れた。
沈むかと思いきや足の甲が濡れるくらいで浮かぶ。もう片方も踏み入れ、完全に海に浮かんだ。
駆逐艦達は思わず拍手をしてしまった。
「感心してないでほら入って!」
鬼怒に急かされて慌てて入水する。しかしバランスが取れず、フラフラする。
「バランス取れないと転覆するよ。吹雪と薄雲、東雲と白雲で肩を組んで!波が低い瀬戸内海で転覆したくないでしょう?」
慌てて二人組になり、互いに支え合った。
「あれ?磯波ちゃんは」
「私は大丈夫」
磯波だけは一人で立っていた。
「はえーすっごい」
「相模湾で航海したんだったね」
「す、少しね。でもすぐに慣れるよ」
「よーし、じゃあ少し動こうか。両舷前進半速!」
ただ立っているだけだった艦娘達が前に進み始める。右手に呉の町並みを見ながら約5ノットという低速で進む。
しかし同じ速度を出しているはずなのに動きが合わない。特に肩を組んでいる二組は左右へ曲がろうとしていた。
鬼怒はそれを見て指示を出す。
「白雲速いよ!赤2!」
「はい!」
「薄雲は少し遅いかなぁ。黒3!」
スクリューの回転数を上げ下げさせる事でお互いの速度を合わせていく。
「これでみんな同じ速度でしょう?」
「すごいです!どうやって調べるんですか?」
「勘だよ。訓練あるのみ!」
新人の不安を筋肉論破する鬼怒。しかし流石にひどいと思ったのか
「ま、陣形組んでる場合は前の艦に合わせて調節すればいいだけだから。艦長にも聞いてみて」
とアドバイスする。
何度かそれを訓練した後、鬼怒は次のステップに進ませることにした。
「じゃあ次は一人で航行してみようか。両舷停止!」
停止した後、二人三脚だった二組は離れてみる。少し慣れたからか今度は上手く立つ事が出来た。
「よし、じゃあ単縦陣行くよ。吹雪から番号順に」
「了解です」
「少し速度出すから間隔は300mで行こう!」
五人は縦に一列となった。
「準備出来たね。両舷前進原速!」
五人はバラバラに前進し始める。先程より速い10ノットであるが大した事はない速度である。しかし、新人にとっては難しい。間隔を保つだけで精いっぱいで他の事は何も考えていないだろう。
「…東雲、少し早いぞ」
「は、はい」
艦長からの指示で東雲は慌てて回転数を落とす。しかし下げ過ぎて急激に速度が落ちた。
「下げ過ぎだ!上げろ!黒2」
「すみません!」
急いで速度を上げるが、後続の白雲が速度低下に応じて速度を落とす。逆に間隔を狭めようとしていた薄雲は急に狭くなった間隔に驚いて両舷停止を命じた。そこに最後尾の磯波が原速のまま突っ込みそうになる。
有馬艦長が急いで指示を出した。
「磯波!追突するぞ。右舷後進一杯だ!」
「えぇ!右舷後進一杯!」
言われた通り命じると右足がガクッと後へ引っ張られて体が左に傾く。磯波は右に急旋回して薄雲をかわしたが遠心力に負けて外側に吹き飛んだ。それを見ていた鬼怒が急いでそれを抱きとめる。
「おっとー、大丈夫?」
「すみません…」
磯波は目を回して弱々しく答えた。
呉鎮守府の建物の窓から双眼鏡でその様子を眺めている人物がいた。呉鎮守府司令長官の谷口である。
「やっとるのー。新型とはいえ最初はあんなもんか」
「ええ。初めてですし大目に見てあげて下さいな」
隣で見ていた秘書艦の戦艦扶桑が応じる。
「そもそも駆逐艦なのに初日で一人で立てるだけまだマシだと思うわ」
「そう言われればそうだな」
「あの子たちはきっと上手くなると思います」
「ふむ。君の言う事を信じてみようか。さて、コーヒーを淹れてくれんか」
「分かりました」
上手く行ったとはお世辞にも言えない船出だったが、これからも特型駆逐艦の訓練は続く。
呉艦娘総合指揮室は昭和初期のテクノロジーを活かしながらSFっぽさを出しました。エヴァとかでも司令室って格好いいですよね。ロマンです。
しかし実はこのような司令室は空想の物ではありません。戦時中、本土防衛は陸軍の担当でB29が向かってくる首都圏と北九州には様々な設備がありました。その内、竹橋にあった首都圏担当の東部防衛司令部には近代的な防空指揮所が設けられました。
そこでは小笠原諸島や伊豆、房総半島に設置された電探からの情報と各地の観測所からの電話により情報を集め、帝都空襲を防ごうとしていました。指揮所の前面には東日本の地図と情報標示盤があり、壁に各監視所から報告される敵味方の情報を掲示すると共に地図にランプを灯します。中心には細かいマスで区切られた関東の地図があり、敵機の侵攻経路を順に点灯させます。
それらは女子操作員が手動で動かしていました。さらに右には肉眼情報を受ける電話対応員がずらりと並び、サイレン制御員やラジオ放送のためにNHKのアナウンサーまで詰めていました。
本当に戦時中の日本?と思いたくなるような設備です。
なお、迎え撃つ戦闘機は1万メートルまで上がるのがやっと。1万メートルまで打ち上げる高射砲は久我山に数門しかありません。結果がどうなったかはご存知の通りです。
映画や伝記ではB29の爆撃にただ指を加えて見ているだけというイメージがありますが、意外と頑張っていたんですね。それにとてもロマンがあります。
ちなみに本編で出てきた日本電気はNEC、芝浦製作所は東芝となっています。どちらも戦前から日本を代表する重電気メーカーで、日本電気は陸軍、芝浦製作所は海軍向けの無線機などを作っていたそうです。
海軍機の無線がゴミなのは東芝のせいってはっきり分かんだね。