ある日の生徒会室。その中にはいつものメンバーが集まっていた。しかし皆どこか真剣さを含んだ眼差しである。オジサンは相変わらずちゃらんぽらんな感じではあったが。
誰も声を出さない中、若狭は椅子を引き立ち上がった。
「今日、外に出ようと思います」
緊張した面持ちでいる面々を見回し、そうはっきりとした口調で言った。真っ先にオジサンが反応した。
「まあ、いつかは出ないとだもんねえ」
「うどんもなくなったし、レトルトも残り少ないからな。ちょうどいいタイミングだろ」
オジサンに続き、恵飛須沢が外に出ることに同意した。その言葉通り、今現在学校内に残っている物資は実際少なく、食料品に至っては少しずつ種類が減ってきている。すべてなくなる前に動き出そうとするのは、至極当然のことであろう。
「でも……大丈夫なの?」
丈槍は不安そうに言葉を震わせている。
「大丈夫よ。みんなで行けば怖くないでしょ?」
極僅かに体を震わせている丈槍の頭を、佐倉は優しく撫でた。するとその震えは収まったようだった。
「物資のこともそうだけど、学校以外がどうなっているかもわからないから情報も欲しいの。目的地をショッピングモールにして、それ以外もいろいろと臨機応変にって感じかしら」
「あ、じゃあオジサンの車使って行こうか。駐車場にあるよ。ミニバンだからみんな乗れるし、物もたくさん詰め込めるだろうから。もし他の人がいたら乗せることも出来るからね」
オジサンは上着の内ポケットから車のキーを取り出した。それと一緒に、煙草が引っ掛かってポケットからこぼれた。なんとか床に落下するのは回避しようと手を伸ばすが、オジサンの反射神経はそれほど良くなかった。健闘むなしく、煙草は軽い音を立てて床に当たる。
「……あ、あはは」
オジサンは笑うしかなかった。以前吸っているところを見つかり、こってり絞られたのである。思い出すだけでオジサンはため息を吐きたくなった。それを見た若狭の威圧がオジサンに伝わる。冷や汗が吹き出し、つい車のキーも落としてしまった。
「オジサンさん、体に気を付けてくださいね?」
「はい、ごめんなさい……」
本当に心配そうに見て来る佐倉に、オジサンはひたすら平謝りをするしかなかった。オジサンは人からの優しさに弱いのである。謝りながら車のキーと煙草を拾い、煙草をすぐにポケットにしまう。もう落とさないように念入りに奥に押し込んだ。
「オジサンには後で話すとして……くるみ、駐車場まで走っていくことは出来る?」
何か良くないものが聞こえた気がして、オジサンは一度肩を震わせた。
「いけるいける。昨日オジサンとタイム計ったけど、大丈夫そうだった」
「昨日のあれってタイム計ってたんだ。くるみちゃんが急いでわたしのところに来るから怖かったよ」
あはは、と丈槍は笑う。
「避難はしごがあるから三階から降りることは出来るけど、くるみさん一人で大丈夫なの?」
「心配すんなって、めぐねえ。速い奴が一人で行った方が安全だからさ」
このメンバーで恵飛須沢についていくことが出来る者はいないだろう。若狭は苦手と言うほどではないが運動神経が良い方でもない。丈槍も同じである。佐倉は見るからに運動は得意そうではないし、オジサンに至っては歳である。四十過ぎのおっさんが全力疾走でもしようものなら、足の腱を切る可能性は限りなく高い。
「じゃあ、この鍵はくるみちゃんに渡しておくよ。色は黒で、ナンバーは三四一二ね。もし危なくなったらすぐに帰って来るんだよ? あ、でも運転できるのかい?」
「少しくらいなら大丈夫だろ」
オジサンは恵飛須沢に鍵を渡す。ちゃり、と音が鳴った。
「作戦としてはこうね。三階の教室から避難はしごで降りて、駐車場まで走る。距離は大体百五十メートル。そこでオジサンの車を見つけてここまで乗って来る……行ける?」
「任せとけって」
決行は今から三十分後。皆の顔は冴えないが、希望を持っていないわけではない。なんとかなるかもしれない、無事な人が残っているかもしれない。様々な思いを抱き、準備を進めた。
○
恵飛須沢はシャベルを背負い、駐車場に一番近い教室から避難はしごを下ろし、その時を待っていた。
時間はどんなときであっても平等だ。その時はすぐに訪れた。
恵飛須沢は着地地点にゾンビがいないことを確認し、避難はしごを踏み外さないよう降りた。そして着地と同時に走り出す。うろうろとのろい動きで徘徊しているゾンビに、その動きをとらえることは出来ずに追いつくことはなかった。
元陸上部員の脚力を持って駐車場に到着した恵飛須沢は、すぐにオジサンのミニバンを発見した。しかしその周囲には二人のゾンビがいた。まだこちらには気づいていない。
恵飛須沢は動揺することなく、まず一人を後ろから頭に狙いをつけシャベルで殴り、倒れたゾンビの首をシャベルの先で抉るように切った。切った場所から血が吹き出し、制服にかかる。だが気にしている暇はなかった。
首を切ったゾンビが動かなくなったことを横目で確認し、もう一方のゾンビと対峙する。音に気付いたそれは、すでに恵飛須沢の近くまで来ていた。だが、一対一で負ける恵飛須沢ではない。距離を詰められているものの、シャベルという武器はゾンビたちに比べてリーチが長い。ゾンビは主に手や口で襲ってくるのだ。慌てなければどうとでもなる。
シャベルを横に振り、ゾンビが伸ばしていた手を払いのける。それにより仰け反った体をシャベルで叩き倒れさせ、先ほどと同じように首を切った。
ゾンビはいなくなったが、殺した感触は残っていた。人を殴る感触。首を切る感触。恵飛須沢にとってはもう幾度となくやってきたことである。慣れてはいた。慣れてはいたが、そんな自分が嫌に思うこともあった。少しだけ動きが鈍る。
「しっかりしろよ……!」
恵飛須沢はそんな思いを振り払うように車に鍵を差し込んだ。
○
一階昇降口を目指すオジサンたちは、一列に並び慎重に階段を下りていく。オジサンの手にはシャベルが握られていた。オジサン以外は物資を詰めるために、購買部に持っていったものと同じリュックサックを背負っている。その中にはある程度の外出用の道具が詰められていた。
シャベルを握るオジサンの手は、汗が酷かった。
「良かった……何もいないみたい」
佐倉は一階に着くとぽつりと呟いた。その言葉に皆が頷いた。少しだけ安心したようで、表情に余裕が出てきている。
「いやあ、怖いねえ。なんとかなって良かった、良かった」
オジサンは明るい口調で言った。相変わらず手汗は酷い。しかし、それが誰かに知られることもなかった。
「後は外に出るだけね」
若狭はもしゾンビがいないとも限らないので、やはり慎重に進んで行く。オジサンも周囲を警戒しながら先頭で歩いていた。丈槍と佐倉はその後に続いた。丈槍の手を、佐倉はしっかりと握っていた。
そして出口に着く。杜撰に打ち付けられたゾンビの侵入を防ぐための板は、意味がないくらいにまばらとなっており、酷い有様であった。ガラスも無残に割られている。逆に言えば、少し身をかがめればそこを通ってオジサンたちはすぐに出ることが可能なのだった。
外に出てすぐにゾンビがいるかもしれないため、シャベルを持っているオジサンが一番初めに外に出た。すぐにシャベルを構えて警戒するが、どうやら近くにはいないようだ。オジサンは手汗をスラックスで拭った。遠くにいるゾンビを見ると、こちらに意識を向けている者はおらず、皆一様に駐車場に体を向けていた。
「くるみちゃんが頑張ってくれてるみたいだ。みんなも出てきて大丈夫だよ」
オジサンは皆に外へ出るよう促し、校庭の方へ一歩踏み出した。するとすぐに丈槍、若狭、佐倉が出てきた。そして駐車場の方に目を向けた。
「くるみちゃん、大丈夫かな……」
「信じて待ちましょ?」
「そうそう、くるみちゃん速いし強いからねえ。オジサンじゃ勝てないくらいに」
苦笑して言う。オジサンは五十メートルを計ったときのことを思い出していた。オジサンと恵飛須沢のタイムには、シャベルを背負うと言うハンデがありながらも、三秒以上の違いがあった。若い子には敵わない。改めてそう思ったのであった。それと同時に、若い子には任せたくないとも思っていた。
校舎の陰に身を潜ませて駐車場の様子を窺っていると、少しして、こちらに向かってくる黒いミニバンが目に入った。来た、オジサンは意図せず呟いていた。
「え?」
丈槍はその呟きがよく聞こえずに、オジサンを見上げた。
「くるみちゃんが来たよ」
オジサンは陰から出て近づいてくるミニバンに手を上げ、自分たちの居場所を知らせた。佐倉と若狭、それに丈槍は恵飛須沢の無事を喜び小さく声を上げる。
ミニバンは速いスピードのままオジサンたちに近づいていき、急停車した。運転席が開くと、そこには返り血を浴びながらも、無事な姿の恵飛須沢がいた。頬は上気しており、疲れが見えた。
「早く乗れっ! 奴らが追って来てる!」
「う、うん!」
丈槍は後部座席の扉を開き、中に駆け込んだ。若狭と佐倉もその後に続く。オジサンは急いで助手席に乗った。恵飛須沢は全員乗ったことを確認する。
「全員乗ったな? よし!」
すぐ後ろに来ていたゾンビをバックしながら轢き殺し、Uターンして校門を目指す。車が来ても避けることがない進路上にいたゾンビたちは、短い声を上げながら死んでいった。
そして、学園生活部一行を乗せた車は、校門を抜け外に出たのである。
本日から、学園生活部外出中。
ゾンビ登場。
極僅かだけれど。