朝。学園生活部の面々と直樹は、いつものように生徒会室に集まっていた。そして朝食も終わり、各自今日の仕事をこなそうと動き始める。オジサンと佐倉は食器を洗っていた。恵飛須沢は見回りに、丈槍と若狭は屋上の菜園の様子を見に、それぞれ立ち上がろうとしたとき、それに先んじて直樹が立ち上がった。
「聞いてほしいことがあります」
直樹がオジサンたちに助けられてから一週間ほどが経った。直樹はもう部員同然に馴染んでいる。その間、丈槍は入部の時を今か今かと待っていたし、恵飛須沢は気にしていないようで気にしていて、若狭も入部することに期待していた。佐倉に至っては焦らされ過ぎて疲れていて、オジサンはそろそろかなあ、とのん気に考えていた時だ。
だから皆、直樹のこの言葉の次にくるのは入部に関することだろう、と当たりを付けていた。若狭はスカートのポケットを上から触って、入っている物を確認した。
「実は、学園生活部に正式に入部したいと思っています。……いいでしょうか?」
やや不安そうに、直樹は言った。その一言で、他の皆は笑顔になった。丈槍は勢いよく椅子から立ち上がって、直樹に近づいて彼女の手を取った。いきなりのことに直樹は驚き、顔を赤らめる。
「ゆ、ゆき先輩!?」
「よくないわけないよ! 反対する人がいたらわたしがやっつけちゃうよ!」
そう言うと丈槍は振り返って若狭たちの方をみて、カンフーのような動きをした。口でふしゃー、と鳴き声のようなものを出している。どう見ても弱そうだ。恵飛須沢のチョップ一発でKOに違いない。
「するわけねえだろ? それに、もう部員みたいなもんだったしな」
恵飛須沢は丈槍を呆れたように見て、そして直樹に視線を動かし笑って言った。
「そうよ。手伝ってもらったことだってたくさんあるもの」
恵飛須沢と若狭の言葉に、直樹ははい、と言って頷く。その顔は満面の笑みであった。
少し離れたところで食器を洗っていたオジサンにも、笑い声が届く。楽しそうで、幸せそうで。オジサンは自然と頬が緩んだ。横目で少し様子を窺えば、直樹のすぐ近くに丈槍が椅子を移動させて、近い距離で何かを話していた。丈槍は楽しそうだったが、直樹は面食らっている様子である。他の二人はその様子を保護者の様に見守っていた。
「うんうん。これでやっと新入部員を迎えることが出来るなあ。……あれ、佐倉先生?」
オジサンは横で食器を洗っている佐倉に声をかけた。しかし反応がない。視線を向けてみると、どこか燃え尽きたボクサーのような雰囲気を醸し出し、俯いている佐倉の姿がそこにあった。手元の食器を落として割ってしまいそうだと思って少しの間見ていると、案の定手から食器が離れた。オジサンはすかさず手を伸ばし割れるのは回避できたが、一体どうしたのだろうか。
「さ、佐倉先生?」
もう一度声をかけると、驚いたように肩を揺らして顔を上げた。
「あ、すみません……やっと部員が増えたと思うと……その、涙が出そうになっちゃって……」
ふふ、と佐倉は泡を洗い流した手で目元を拭って微笑む。綺麗な笑みだった。
「一番楽しみにしてたの、佐倉先生だもんねえ。良かった、良かった」
そんな様子を見て、直樹はほっと息を吐き椅子に座った。
「でも何で今なのかしら? もっと早く入部してくれてもよかったのよ?」
若狭がそう聞くと、佐倉はぴたっと手を止め分かりやすく反応した。大変気になるようだ。聞き耳を立てていた。直樹はそれを気にした様子もなく、ああ、それは、と話し始めた。
「先輩の腰が治ってから言おうと思っていたんですよ」
そこで自分が出て来るとは思っていなかったオジサンは、水を止めてタオルで手をふき直樹を見た。
「気にしてたのかい?」
オジサンの問いかけに、直樹は一つ頷いた。
「当たり前です。私のせいで悪化させてしまったんですから」
「あれは仕方ないさ。オジサン、ヒーロー志望だし」
「ヒーロー?」
オジサンの言葉に直樹は首を傾げた。若狭も同じようにどういう意味か分からないようだったし、隣にいた佐倉も不思議そうな目でオジサンを見た。丈槍は「おお!」と何だか楽しそうに声を上げた。恵飛須沢は見当がついたのか、呆れたような視線をオジサンに送るが、その表情は穏やかなものだった。
オジサンは微妙な空気になったのを察したのか、苦笑した。
「深い意味はないって。ただ、子供の頃からヒーローに憧れてたってだけだよ。困っている人がいたら助けたいと思うぐらい、普通でしょ?」
「だから、私を助けたんですか?」
「うん、まあ、そう言うことかな」
少しの沈黙が下りる。
「……また誰かが危険な目に遭っていたら、自分の身を顧みずに他人を助けようとするんですか?」
直樹は語調を強めてオジサンに問いかけた。
「ど、どうしたの、みーくん? なんだか怖いよ?」
すぐ近くにいた丈槍が、直樹の腕を掴んだ。少し震えていた。直樹はそんな丈槍を気にした様子もなく、オジサンを真っ直ぐ見ている。
「大事なことなんです」
「美紀さん?」
質問の意図が分からず、オジサンは直樹の勢いに押されたじろぐ。
「た、多分、助けようとするかな」
「自分が死んでしまうかもしれないんですよ?」
「……そうだねえ」
オジサンは息を吐いた。片手で頭を掻く。色々考えて、考えて、答えを探す。数秒考えて、自分を笑った。考えるまでもなかったのだ。
「うん、助けるよ」
オジサンの口をついたのは、考えるまでもなく最初から思っていたことだったのだから。
「なんで……!」
直樹は俯いてしまった。肩が震えている。
「テレビの中のヒーローに憧れたっていうのもあるけど……人ってさ、誰かを助けて、助けられて。情けは人の為ならず、って言葉もあるくらいだし、そう言うのが大事だと思うんだ。今は状況が状況だから、難しいのは分かるけど。それでも、出来る限りはね」
子供っぽいかなあ。オジサンは恥ずかしげに言う。それを聞いた直樹は、そこに留まることが出来なくなって。そして。
「――っ!」
「みーくんっ!」
丈槍の手を振り払って、生徒会室から出て行ってしまった。残された皆は、深刻そうな表情だ。
「なんであんなにムキになっていたのかしら?」
若狭は率直な疑問を口にする。
「オジサン、何か言っちゃいけないこと言っちゃったかな……」
オジサンは肩を落とし、ため息を吐いた。
「……私は、何となくわかる気がします」
「めぐねえ?」
佐倉は話し声のなくなった室内で、一人声を上げた。次いでオジサンに視線を移した。目が合ったオジサンは、いつになく意思のこもった瞳に射抜かれる。
「美紀さんは、オジサンさんが心配なんですよ」
「心配?」
「はい。自分を一番大事にして欲しいんだと思います。助けられたからこそ、その気持ちが強いじゃないでしょうか」
それを聞くと、若狭と恵飛須沢も頷く。
「そりゃわかるけどさ。ま、あたしたちより過ごした時間が短いから仕方ないな」
「そうね。もしオジサンが危険なことに首を突っ込むようだったら、無理矢理止めるか、一緒に行くわよ。いまさら言うことじゃないもの」
二人は顔を合わせて笑った。
「わたしたちには当たり前だったけど、みーくんにとっては違ったってこと?」
「そう言うことね、ゆきちゃん」
オジサンはこそばゆいものを感じた。自分を大事に思ってくれているのが伝わってきて、胸の奥が熱くなる。
「……ん。ありがとう」
辛うじて、そう言うのが精一杯だった。
このままここにいると危ないと思ったオジサンは、すたすたと扉まで歩いて行った。
「オジサン?」
「直樹君を探しに行ってくるよ」
それだけ言うと、オジサンは振り返りもせず生徒会室を出た。何時になく機敏な動きである。
「オジサン、どうしたんだろ?」
「泣いてるとこは見られたくなかったんだろうなぁ」
「涙もろいものね」
「それじゃあ、私たちは美紀さんの歓迎会の準備をしましょう?」
佐倉の言葉に否を唱えるものはいなかった。いつ帰って来るかは分からないので、出来るだけ早く飾りつけをしてしまおうと、皆がてきぱきと動き始める。
そんな中、若狭は気付いたようにポケットからクラッカーを取り出す。先ほど使うつもりだったのだが、タイミングを逸してしまってそのままだったのである。若狭はそれを机に置くと、また室内の飾りつけを始めた。
学園生活部、今日は華やかに。