アニメを見たらいつの間にか書き始めていた。
それが理由かもしれない。
オジサンはいつの間にか、見知らぬ場所に立っていた。前後の記憶が曖昧だった。周りは瓦礫だらけで、人っ子一人いない。学園生活部の皆も。ただ孤独だった。
「あれ、誰かー?」
呼びかけに答えるものはない。ただ虚しく、声は虚空に消えていく。
「……誰もいない?」
オジサンは仕方なく一人歩き出す。歩いていれば誰かに会うだろうという楽観的思考であった。多くの人間がゾンビとなっている状況で、そんな考えをしていては生きていられないだろうに。だがオジサンは自分の思考に違和感を持たない。人間と行動を共にしている期間が長いと、それが普通に思えてしまうからだろう。生きている人間がいると思ってしまう。
「瓦礫ばっかで歩きにくいねえ」
オジサンは大きいものは避けたり、小さいものは蹴り飛ばしたりして進んで行く。地面が隆起している場所もあった。歩いている途中、オジサンはどこか不思議な感覚に陥った。自分はこんなに歩けただろうか。先ほどまで、歩けないような状況だったのではないか、と。
「くっ……」
額が痛みを発した。オジサンは思わず呻き、そこを手で押さえる。温かいものが手に触れた。血が、流れていた。
「何だ、何か、おかしい……?」
違和感が大きくなっていく。オジサンは立ち止まっていた。視線を感じて、横を見た。
「ひっ……!」
そこには、今までに何度も見たゾンビがいた。オジサンは小さく情けない悲鳴を上げる。大きな声を出さなかったのは、その経験故だろうか。それとも、男としてのプライドか。
オジサンは走り出した。今の自分はシャベルも持っていないし、一人だ。戦ったとしても勝てるか分からない。もしやられれば、奴らと同じになる。それだけは嫌だった。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
息を切らせて走っていく。何度も瓦礫に躓いた。それでも止まらず逃げていく。
それからどれだけ逃げただろう。景色は変わり、そこはいつの間にか学校の中だった。普通ならばあり得ない状況だったが、オジサンにはそんなことを気にしている余裕はなかった。都合のいいことに、近くには生徒会室、学園生活部の部室があった。オジサンはまるでオアシスに入るかのように、安心した面持ちでその前に立った。
「いやあ、大変だったよ。オジサンみんなに置いて行かれたのかと……!?」
中に入り、いるであろう彼女たちに言う。しかし、そこにいたのは、変わり果てた姿の皆。呻き声を上げ、生者を貪り食らう奴らになった彼女たち。悪夢だ。オジサンは、これを現実とは認めたくなかった。
オジサンは叫んだ。言葉にならない声で。そして――。
○
目が覚めた。窓の外からは光が射していない。今は夜のようだ。オジサンはワイシャツ姿で、生徒会室にマットを敷かれ寝かされていた。シーツがかけられている。その上には上着があった。汗が酷かった。背中はびっしょりだし、手汗も。着替えようと思って起き上がろうとして、痛みと同時に思い出した。
「……はあ。そう言えば腰やっちゃったんだっけなあ……みんなは、まあ、無事だろうねえ。俺、ここにいるんだし」
痛む腰を押さえて、もう一度寝転がった。そのまま寝てしまおうと思ったが、そうしたらまたあの夢を見てしまいそうだった。それがどうしようもなく怖かった。
朝までどうしようかと考えて、いつだかに見たぎっくり腰に効くというストレッチをやってみることにした。仰向けの体勢で膝を曲げ、力を抜いて横にゆっくり倒していく。これを繰り返していくと痛みが和らぐ……とかそんな感じだったったけ、と朧気な知識でストレッチを進めていった。
当たっているかどうかは分からないやり方であったが、やっていくと少し楽になった気がした。思い込みの力なのかもしれない。オジサンは単純な人間だから、催眠などにはすぐかかってしまうだろう。
「ふう」
オジサンはストレッチを止めて息を吐いた。余裕が出てきたのだ。まあ、相変わらず立ち上がるのは難しいが。暇だなあと思い、徐に顔を横に向ける。
「あ」
ソファで寝ていたらしい少女と目があった。ソファから少し体を起こしていた。少女は目を丸くしている。オジサンと同じようにシーツをかけていた。オジサンはその少女に見覚えがなくもなかった。ショートヘアでボーイッシュな雰囲気である。年齢は丈槍たちと同じくらいに見えた。
「や、やあ……えっと、おはよう? いや、こんばんはかな?」
「あ、はい、こんばんは……誰ですか?」
何だか普通に会話が成り立っていたから大丈夫かと思ったが、やはり駄目だったようだ。少女はソファに座り、オジサンに訝しげな視線を送っている。オジサンはどうしたものかと考えて、
「ええと、オジサンはオジサンだよ。君は?」
聞かれている通り自己紹介をすることにした。
「……直樹美紀です」
直樹美紀と名乗った彼女の顔には、オジサンて名前じゃないでしょう、と不信感が現れていた。オジサンはそれが分かったが、あえて無視して話を進めた。
「よろしく、直樹さん、こんな体勢だけどさ。腰をやっちゃっててねえ」
「分かってます。さっき、声が聞こえましたから」
「あ、じゃあオジサンが起こしちゃったのかな。ごめんね」
「いえ、謝られるほどのことでも……」
距離感がつかめていない者同士、なんとも微妙な雰囲気である。若干の沈黙が訪れた後、オジサンは記憶を頼りに切り出した。
「間違ってたら悪いんだけど、ピアノの上にいたのは君かな?」
直樹は表情を変えた。オジサンはその表情の変化を見て納得していた。だから見覚えがあった気がしたのか、と。
「……はい。車が当たって倒れて、そのまま気絶してしまいましたが」
「……ごめんなさい。あの車運転してたのオジサンです……」
オジサンはあの時を思い出して失敗したなあと思った。オジサンの考えではピアノに当たらないようにゾンビを蹴散らし、壁に当たる直前に急停車すると言うのが理想だった。しかし現実と言うのは非情である。車はピアノを掠り、壁に当たって止まったのだ。理想に、現実は遠く及ばないものとなっていた。まあ、あの緊急事態では焦ってしまって、そう上手く出来ないものなのはオジサンにも分かっていたが。
「あ、謝らないでくださいよ。そのお蔭で助かったみたいですから。ありがとうございました」
オジサンは、自分の周りにはいい子しかいないなあ、としみじみ思った。
「うん、そう言ってもらえると嬉しいよ」
それからまた訪れる沈黙。話題が長続きしなかった。直樹は室内を見回して言う。
「他の人もいるんですよね? さっき、みんなって言ってましたし」
「オジサン含めて五人だね。オジサン以外はみんな女の子だから、仲良くできるんじゃないかなあ」
オジサンは楽しそうに笑う。あの中に入ったら、この子はどう思うだろう。最初は明るさに戸惑うかもしれない。でも、仲良くできそうだと思った。
「そう、ですか……ふわぁ……あ、すみません……」
直樹は顔を赤くしてそう言った。目には涙が溜まっていた。
「眠いなら眠ったほうがいいよ。疲れてるだろうしさ。オジサンも寝よう」
オジサンがそう言うと、直樹はもう一度すみませんと言って横になった。すぐに寝息が聞こえてきた。やはり疲れがたまっていたらしい。オジサンにその寝顔は見えなかったが、安心していたらいいなあと思った。
オジサンは天井を見た。汚れが酷かった。後で掃除しないと、オジサンは思った。
「新入部員、になるのかな、彼女は」
オジサンは直樹が加わった学園生活部を思い描いた。
ゆきちゃんは相変わらず笑顔で、くるみちゃんは最初は戸惑うかもしれないけど仲良くやっていくだろうし、りーちゃんもそうかな、考え過ぎちゃうところがあるからねえ。佐倉先生は嬉しいだろうなあ。歓迎会をやろうって言うかも。直樹さんはその中で戸惑ってるけど笑顔って感じかな。
明日からまた楽しそうだ。オジサンは最後にそう思って眠りについた。
学園生活部、無事救助完了。