孤島の六駆   作:安楽

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6話:青年と暁が鎮守府に戻ってきました、これより晩ご飯の時間です

 

 

 鎮守府に戻る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。

 お腹を空かせた暁と青年が食堂の暖簾をくぐると、待っていた響たちがびくりと体を強張らせてまばらな挨拶をする。

 おかしな態度に、眉根を寄せるのは暁。

 青年の方は、3人の態度の理由を何となく察していた。

 高台でのやり取りを、こっそり後を付けて来た3人が聞いてしまったのだろう。

 青年が提督になろうとしていることと、暁の願いを……。

 

 ここで響たちにも打ち明けてしまおうかと考える青年だったが、せっかくの食事時を重苦しい空気にしてしまうのは忍びなかった。

 もう少し相応しい時間と場所を選んで告げようかと考えていたところで、隣りにいた暁が一歩前へ出た。

 

「みんな、ちょっと聞いて欲しいの」

 

 まさか。

 青年がそう思った通り、暁は高台でのことを包み隠さずにすべて話してしまったのだ。

 青年に止める隙を与えない程、力強く、淀みない口調で。

 すべてを聞き終えた響たちは、「どう言ったものか……」と、話しづらそうな顔を互いに見合わせていた。

 いずれは青年も暁も高台での話を打ち明けるであろうことは、響たちもわかっていた。

 しかし、まさかこんなに早くにとは思ってもみなかったのだろう。

 己の意見や主張は持っているのだろうが、まだそれをまとめきれていないのだ。

 

 欲しかった反応が返らず一層怪訝な顔になる暁は、今度は青年の方をじっと見た。

 青年からも何か一言ないのか、ということなのだろう。

 しかし、ほとんどすべてを暁が話してしまったので、もう言うべきことが残っていない。

 

 いや、まだあった。

 青年は「いいかな?」と一言発し、響たちの注目を集めてから、ゆっくりと語り始める。

 

「大よそは今、暁の言った通りだよ。僕は提督になって、みんなをこの島から脱出させたい。暁は快く快諾してくれたけれど、まだみんなの意志を聞いていない。聞かせてほしいんだ。みんなの意志を」

 

 3人の反応を待つ青年は、電がおずおずと手を挙げるのを見た。

 

「あの……。まずは、食事にしませんか? 冷めてしまうので……」

 

 料理担当の電に言われてしまっては逆らえない。

 青年と暁は神妙な顔で手を洗いに行った。

 

 

 

 ○

 

 

 

「お兄さんが提督になるの、私は反対じゃないよ?」

 

 もぐもぐと口を動かしながら言うのは響だ。

 行儀が悪いと雷に叱られ、しばらく黙々と咀嚼を続けながらも目だけで何かを訴えかけようと、半眼気味の視線が姉妹たちや青年の方を何度も行き来する。

 そして、ごくんと喉を鳴らして、

 

「――つまり、そういうことだよ」

「どういうことか、まったくわからないのです……」

 

 響本人はかっこよく決めたつもりなのだろうが、電が突っ込んだ通り、何ひとつわからない。

 ひとつだけわかるのは、響は青年が提督になることに反対していないということだ。

 理由を聞いても? と青年が問えば、響は口に入れようとしていた揚げ物を名残惜しそうに皿に戻した。

 

「脱出しないと後がないってことが、わかりきっているからだよ。詳しいことを言うと……」

 

 響は一度言葉を止め、暁の方を見る。

 おかずを口いっぱいに頬張っていた暁は、突然響に見つめられて動きを止める。

 何を言われるのだろうと不安になっている暁だったが、響は特に何も言わず、青年の方へ視線を戻した。

 

「詳しいところを話すと、私たちが艦娘として戦える限界が近いんだ。艤装面でね」

 

 響が言うには、艦娘の装備する艤装は定期的にメンテナンスが必要なものだ。

 オーバーホールなど行う際には、大規模な工廠施設に一定期間預けなければならない。

 

「でも、この島にはそういった大掛かりな設備はない。艤装を分解して部品を交換したり掃除したりは出来るようになったけれど、それでもブラックボックスの取り扱いは、艦娘には無理なんだ」

 

 艤装のブラックボックス。

 それは、艦娘にとっての科学的な面と対を成す、呪術的な側面だ。

 いわゆる“ありし日の艦船の魂”が封じられている部品であり、それをどうにか弄ることは専門の技師でないと不可能なのだ。

 艤装の科学面に触れることは出来ても、呪術面には触れられない。

 それは言うなれば、

 

「言うなれば、自分の頭を切り開いて、脳みそを自分で手術するようなものだからね」

「それは……、あたしでも無理かなあ」

「……食事中にする例えではないのです」

「ごめん電。じゃあ……、自分の心臓、いや魂を、……いやいや、しりこだま素手で引きずり出すような……」

「わざと言ってるのなら、当分冷凍ピロシキは食卓に並べないのです」

 

 電の強い物言いにショックを受けた響は、箸で摘まんでいたピロシキをぽとりと皿の上に落としてしまう。

 

 響の話を捕捉するならば、暁たちの艤装は10年以上前の規格のものであり、それを直し直し使っているということも問題だ。

 暁たちがこの島で10年の時を過ごすあいだにも、外界の情勢は確実に変化している。

 艦娘も、深海棲艦も、より進化した力を手にしていると見て間違いないだろう。

 時代遅れで不備もあり、オーバーホールも出来ていない艤装。

 もしかしたら、敵と交戦中に不調を起こして、取り返しのつかない事態になる可能性も高い。

 

 時間はどんどん先へと進んで行く。

 動けず立ち止まっていたまま、自分たちの装備がどんどん時代遅れになっていくのを、響は憂いていたのだろうと青年は察する。

 青年がこの島に漂着して、提督として活動できる素質があるとわかった。

 今このタイミングで動かなければ、もう二度とこの島から出る事も、戦うことすら出来なくなってしまうのだと、装備系を担当していた響は誰よりもわかっているのだ。

 

「けれどね、お兄さん。お兄さんが提督になることに反対はしないけれど、積極的に賛成することもしないって、覚えておいて……」

 

 それは、暁が言ったような軍規面でのことだろうか。

 青年は聞くが、響はそれ以降、揚げ物に夢中になって応えることはなかった。

 

 

「……私も、反対はしないけれど、大手を振って賛成はしかねるわね」

 

 響の意見に同調したのは雷だ。

 医務室生活もあって、この島では青年と一番長い付き合いだが、そんな青年が見たこともないような難しい顔を、雷はしていた。

 

 

 

 ○

 

 

 

「お兄さんに提督の素質があるっていうのは、もう暁から聞いているわね? じゃあ、その素質っていうのがどんなものなのか、私も古い資料を引っ張り出して、改めて調べてみたの……」

 

 雷が指摘するのは、青年が持つ提督の素質についてだ。

 

「……提督の選出は人事部の管轄だから資料が少なかったけれど、医療面の資料で気になる部分を見つけたわ」

 

 雷の他、みんなの箸がぴたりと止まる。

 医療面で気になる部分と言われて、何か悪い部分が見つかったのではと考えたのだ。

 

「提督の素質。その第一条件が、深海棲艦の支配海域にて健全な精神と思考能力を保ち、作戦指揮を行うことが出来る、というものね。ここまでは、大丈夫?」

 

 青年から頷きが返り、雷は話を続ける。

 

「それでね、この健全な精神を保持するって部分、結構ムラがあるみたいなの」

「ムラ、というのは?」

「素質さえあれば、この海域でも活動出来るけれど、活動し続けることが出来るかどうかは、別ってこと。ムラっていうのは、時間、期間のことね。つまり、どれだけ長期間、この海域で活動できるかってことなの」

「……じゃあ、僕は明日にでも、気がふれてしまうかもしれないってことかい……?」

 

 青年の不安を押し殺した声に、響や電が表情を強張らせて雷を見る。

 しかし、そんな視線を向けられた雷は思いつめた様子もなく、さらりと「大丈夫」と告げる。

 

「現時点では、お兄さんにそういった危険な兆候っていうのは出ていないわ。精神疾患に陥る前にはそれなりの兆候というものが必ず表れるものだから、私が見ている限り見逃すことはないわ。安心して?」

 

 ほうっと、食卓に安堵の空気が降りる。

 青年にとっては自らの精神の問題だが、暁たちにとっては鎮守府で働いていた人たちのことでもある。

 過去に起こった出来事については概略をかいつまんで聞いていた青年だったが、この鎮守府で働いていた人たちがその後どうなったかを聞くことは、なんとなく憚られたのだ。

 もしかしたら、彼女たちのトラウマになっているかもしれないからと、聞くのを避けていた部分が大きい。

 

 鎮守府の裏につくられた共同墓地。

 そこに立てられた墓石の数を数えることはしなかったが、そのうちどれくらいを漂着者が占め、どれくらいをこの鎮守府の人間が占めていたのかは、あえて聞かなかった。

 その中に艦娘のものと思わしき墓もあったので尚更だ。

 だが、提督となればいずれ向き合わなければならないことだと、青年は覚悟だけは決めておく。

 

「お兄さんはたぶん、提督の素質を検査するテストなんかを受ければ、特Aクラスの結果が出ると思うわ。いくらなんでも症状が安定しすぎているもの。……ただ、それだけに、ひとつ気を付けてもらわなきゃいけないことがあるの。いいえ……」

 

 “諦めて貰わないといけないこと”かしら、と雷は目を伏せて言う。

 これこそが本題だったと言わんばかりの気の落ち様だ。

 

「お兄さんの今の安定した状態って、記憶喪失の影響が大きいかもしれないの。もしかしたら、お兄さんが記憶を取り戻したら、バランスが崩れてしまって、精神が不安定な状態になってしまうかもしれない」

「それじゃあ、安全な海域に出るまで、当分記憶を取り戻すための試みは延期した方がいいってことだね」

「そうなるわ。ごめんね」

 

 済まなそうな顔でため息を吐く雷。

 

 ふいに、食卓に箸の転がる音が立った。

 みんなが音のした方を見れば、箸を落とした暁が呆然とした表情で固まっていた。

 幽霊でも見たかのような反応に周囲を見回す青年だったが、広い食堂の中には青年と暁たち5人しかいない。

 

「あの、暁ちゃん、どうしたのですか……?」

「へえ? え、ああ、なんでもない! なんでもないのよ!」

 

 電に心配されて、あははと不自然な作り笑いをする暁。

 いそいそと落とした箸を拾ったりする中、暁は右手でスカートのポケットを押さえていた。

 位置的には電だけがその様子を見ていたが、たいして気にも留めなかった。

 

 

「まあ、お兄さんのこともそうだけれど、私たちもそろそろ限界っていうのは、そうね。響の言うとおり。艤装の問題もそうだけれど、艦娘の肉体面でも、もう限界が近いの……」

 

 雷が言うには、艦娘の体は定期的に艤装を装着して同期しないと“人間として成長する”ものなのだそうだ。

 その成長速度は普通の人間よりも緩やかではあるものの、ご覧の通りに確実なものだ。

 今でこそ10代後半の年齢の少女の姿をしている暁たちだが、10年前は小学生かそこらの年齢に見られてもおかしくはない外見をしていた。

 10年で6、7歳程の成長を遂げたのだ。

 人間であれば問題視するものでもないが、艦娘としてはある弊害を招く。

 

「艤装がね、体に合わなくなってきているんだ」

 

 雷の言葉を引き継いだのは響だ。

 暁がこっそりとピーマンを皿に移してくるのを横目で見ながら、響は青年に1枚の写真を手渡す。

 写真を手に取った青年は、思わず味噌汁を噴き出しそうになる。

 そこに写っていたのは、シャンプーハットを装着して頭を洗う暁が、写真を撮られていると気付いて慌てて振り向こうとした瞬間を収めたものだった。

 

「あ、違った。こっちこっち。……別にそっちでもいいけれど」

 

 ピーマンを寄こされた意趣返しだろうか。

 今度こそはと手に取る写真は、青年も目にしたことのあるものだった。

 提督の執務室に伏せられていたものと同じ写真だ。

 写真の中の暁たちは件の艤装を装着しているのだが、これが当時の彼女たちの体にフィットする形だとすると、今の彼女たちにはだいぶ小さくなるのではと青年は考える。

 いわば、高校生がランドセルを背負うようなものだろうか。

 

「艤装のリサイズは、ブラックボックスにも関わることだから手を出せなくてね。今のところこっちで考案しているのは、補助艤装を増設してなんとか誤魔化そうってところなんだけど……」

 

 言葉と共に響きが雷を見る。

 その先は、雷の領分だと言わんばかりに。

 

「元々の艤装に加えて、その補助艤装が私たちの体にどんな負荷を掛けるのか、まだデータが足りないのよね。それに、私たちの体は、“人間としての”メンテナンスは毎日やっているけれど、“艦娘としての”メンテナンスは、もうずっと出来ていないの」

 

 艦娘としての体のメンテナンス。

 それは、定期的に艤装を装着して海上に出て、演習なり実戦なりを行うことだと雷は語る。

 定期的に艤装を装着して海上に出る艦娘は、人間のように成長することはない。

 艤装のブラックボックスに搭載されている“艦の魂”が、装着者である艦娘を“最適なサイズ”もしくは“最適な体調・体型”に保とうと働くそうなのだ。

 

 深海棲艦の支配海域で海上に出るということは、みすみす死ににいくようなものだ。

 ちょっとだけ、見回りや練習のつもりで海上に降り立ったが最後、という可能性も捨てきれないのだ。

 よって、暁たちはもう10年も艤装を装備して海上へ出ていないのだ。

 そもそも、通信回線が破壊される前に発令された待機命令のせいで、艤装の装着が出来なかったというのが大きい。

 

「……艤装を装着して出撃することは出来なくても、艤装のメンテナンスは待機中の行動に含まれていたのが幸いだったね。そうでなければ、今頃使える艤装がなかったはずだよ。希望が完全に絶たれていた」

 

 さて、ところで、今の暁たちが艤装を装着するとどうなるのか。

 それは、艦娘としての本領を発揮することになるので、四肢の欠損や内臓の損傷といった、人間で言えば致命傷になりかねない負傷をも、入渠ドックにて再生・回復することが出来るのだという。

 まあ、その副作用というか、元々の仕様に戻るだけだというか、人間としての成長が再び止まることにもなるというのが雷の見解だ。

 

「……ということは、雷」

「……ええ、そうね。響」

「な、なんでこっちを見るのよ! ふたりとも!」

 

 響と雷の視線が向かうのは暁だ。

 正確には、暁の胸に……。

 

「な、なによ! 背はみんなより高いんだから、別にいいじゃない!」

「その代わりおっぱいは最下位だけどね」

「生理が来たのも私たちの中で一番遅かったじゃない」

「……電、嬉しくって、お赤飯炊いた覚えがあるのです」

 

 いきなり話の舵が暁の発育の方に切られ、青年は努めて何も考えないようにと味噌汁をすする。

 そのうち、青年が気まずそうな顔をしているのに気付いた電が、明日以降のおかずを一品減らす宣言で脅しをかけ、話を無理やり元の方向に修正した。

 終始真っ赤な顔で青年の方をちらちらと見ていた暁には、同情を禁じ得ない。

 

 

「……そうすると、また艤装と同期する作業が必要になるのか……。ちょっと、気が重いね」

 

 艤装と同期するという言葉が響の口から出た瞬間、食卓の灯りが一段階暗くなったように、青年は思えた。

 響には「その時になったら話すよ」と言われ、それ以上の言及を封じられてしまう。

 

 

「そういうことで、私も、雷も、お兄さんが提督になることについては反対しないってことは、わかってもらえたかな」

「話がちょっと、というか、だいぶ脱線しちゃったけれどね。でも、お互いにどういうリスクがあるのかは知っておいた方がいいでしょう? お兄さんが提督になるにあたって、改めて説明はするけれどね?」

 

 暁、響、雷と、青年が提督になることに対しての意見を述べていき、あとは電を残すのみだ。

 他の4人からじぃっと無言の視線を向けられた電は、「はわわわ!」と慌てて茶碗だの箸だのを落っことしそうになるので、みんなで落ち着くまで宥めることになった。

 

 

「えっと、私は、その……。反対なのです……!」

 

 

 

 ○

 

 

 

 電は何度も口ごもりながらも、強い口調で「反対だ」と告げた。

 暁たちのように、なんだかんだと言いながらも反対はしない、という意見が返ってくると思っていた一同は「うん」と頷いた後に「ううん?」と唸って電を二度見した。

 

「電、理由を聞いてもいいかい?」

「はい。……私は、よく秘書官として、司令官のお手伝いをしていたのですが……。その、司令官の辛そうな顔、たくさん見てきたのです。だから……」

 

 だから、青年にそういった辛い思いをさせたくないと、そう言いたいのだろう。

 青年が提督として指揮を執るということは、艦娘の負傷や損失などの責任をすべて背負うということだ。

 電は、自分たちが負傷したり失われたりすれば、この青年が心を痛めるのではないかと危惧している。

 青年がこの島に漂着してから半月あまり。

 彼との生活を経て、そして雷たちから聞く話をもとに、電は青年がそういう人物だと判断したのだろう。

 

 この島から脱出しなければ、ゆるやかに終わりを迎えるだけだ。

 それがわからない電ではない。

 それでも、賛成とも、反対しないとも言えなかったのだ。

 

 そんな電の考えを、暁たちはもちろん、青年も察していた。

 半月のあいだ、青年も電という“人間”を見ているのだ。

 青年を困らせてしまって申し訳ないといった表情でうつむく電に、暁たちは微笑ましいといった顔で頭を撫でていく。

 青年も便乗して頭を撫でたところ、電は真っ赤になって縮こまってしまった。

 

 

「電の気持ちは嬉しいよ。さて、それじゃあ、どうしたら納得してくれるかな? 僕が提督になるのを」

「えっと、電の賛成がなくても、もう暁ちゃんたちが反対しないって……」

「いいや。ひとりでも反対の者がいるなら、僕は提督になるわけにはいかないよ」

「そんな……。でも、それじゃあ……」

「……って言うと、そんな風に電を困らせてしまうよね? どうしたらいいかな?」

 

 わかっていて「どうしたら良いか」と本人に聞くなど、無茶ぶり以外の何物でもない。

 それでも、真面目な電は箸を止めて懸命に妥協案を探そうとしている。

 

 

「あの、それじゃあ……。ふたつ、約束してください」

 

 電からの要求はふたつだ。

 

「ひとつは、なるべくなら、これからもみんなで、こうしてご飯が食べられるといいなって……。もうひとつは、もし誰かが沈んでも、悲しまないでほしいなって……」

 

 難しい要求だなと、青年は唸る。

 どちらの要求も、互いを失わせず、悲しまず、そしてそれを継続していくことだ。

 現状を打破するために動こうとしている以上、大小の変化は必ず起こる。

 その中で、変わらない今を守りながら進むのが難しいということは、記憶を失くした青年でもはっきりとわかる。

 

 しかし、青年はその要求を呑む。

 

「約束するよ、電。ご飯はみんな一緒に。そして、悲しまないために、誰もいなくならないようにする……」

 

 悲しまないようにするために、誰もいなくならないようにする。

 青年は、「おそらく……」と、あってほしくない未来のことについて考える。

 この中の誰かが居なくなったら、自分に「悲しまない」なんて真似が、出来ようはずがない。

 だから、誰も失わないために、自分にできる全力を尽くすしかない。

 

 今現在、青年が提督になった場合に求められていることは、ふたつ。

 深海棲艦の支配領域で活動出来ることと。

 そのうえで艦娘に命令を与えることだ。

 このふたつだけ。

 素質があれば誰でも可能なことだ。

 このふたつに、さらに誰も失わせないことを追加する。

 それさえ守れれば、電のふたつの要求を守ることが出来るからと……。

 

 

 

 ○

 

 

 

「一応これで、みんなの同意は得られたのかな?」

 

 食後のお茶をすすりながら青年が問えば、暁たちからはそれぞれ頷きが返る。

 暁などはすでにやる気になっているようで、テーブルに着きながらもそわそわと落ち着きがない。

 

「じゃあ、いよいよ明日から、お兄さんが司令官になるのね!」

「無許可、だけどね。それに、大真面目に提督業務を行うというよりは、この島を脱出する算段を立てるために、暁たちを身動きできるようにする、という感じかな?」

「うん。それであっているよ、お兄さん。……しかし、こうして司令官になってくれることになったけれど、私たちがお兄さんを利用しようとしている、とは考えなかったのかい?」

 

 響の何気ない発言に、ぴしりと食卓の空気が凍った。

 青年を、自分たちが身動きするために利用する。

 暁たちもそういう考えに至らなかったわけではないが、努めて意識しないように、口にしないようにしてきたことだ。

 雷などは、青年が漂着した時、真っ先にその可能性について考えている。

 

 だが、暁たちに“人を利用する”などという真似は出来ない。

 考え付きはしても、それを実行するには様々な制約があり、実質は不可能なのだ。

 だから、青年に提督になってくれとは頼めなかった。

 

 それでも、遠まわしに誘導することは出来たのではないか。

 たとえば、この島を見て回り、自分たちが置かれている状況を説明し、やるべきことがあると亡き人の思いを語り……。

 決して、青年に提督になることを強要するつもりはなかった。

 しかし、密かに、……いや、絶大な期待を抱いていたことも、嘘ではないのだ。

 その可能性に気付いた時、果たして青年は暁たちのことをどういう目で見るのか。

 

 この時、この中で一番焦りと恐れを抱いたのは、雷だった。

 青年に、提督になることを無理強いするつもりはなかったが、それでも、「もしかしたら」と期待はしていた。

 青年が自分たちの現状に心を痛めて、この島から出ようと言い出してくれることを、密かに願っていた。

 

 しかし、こうして期待通りになってみれば、襲ってくるのは後悔だ。

 亡き提督の遺言を果たしたいがためとはいえ、自分はなんということを考えていたのかと、雷は泣きたくなってくる。

 思い返せば意識の有無に関わらず、青年を提督に仕立て上げるよう、言葉を誘導していた気さえしてくる。

 事実、そうだったではないか。

 

 今さら青年が翻意するとは思えないが、これから自分たちを見る目が変わってしまうのではないか。

 そう考えると、青年が漂着してからの半月が、永遠に失われる気さえしてきて、不安で視界が歪みだすのだ。

 その半月は、楽しかったのだ。

 10年振りに、誰もいないところで、ひとりで笑うことが出来たのだ。

 

 

「僕を利用するって? うん。それは、そうなっても仕方ないんじゃないかな?」

 

 青年はたいして気にする風もなく、そう告げる。

 雷は、自分の肩がびくりと震えたのを悟られなかっただろうかと、両手で肩をさする。

 

「ずいぶんと楽観的だね、お兄さん」

「悲観的になってもしょうがないからね。記憶を失くして不安な部分はあるけど……。どちらにしろ、ここからは出なければならないし、それは僕ひとりでなんとか出来ることじゃないからね。だから、僕に提督の素質があって、本当に良かったと思っているよ」

 

 俯き、テーブルの湯飲みを見ながら青年の話を聞いていた雷は、恐る恐る顔を上げる。

 

「だって、これでみんなを助けることが出来る」

 

 そこには、はるか昔に居なくなった人が浮かべていた笑顔があって、雷はとうとう、泣き出してしまった。

 

 暁や電が心配そうに声を掛ける中、ただ「何でもない」と返して。

 したり顔する響に後で覚えていろと、怒り出しそうなのを抑えて。

 この笑顔を自分も取り戻そうと、雷は決意を新たにする。

 

 だから、雷は気が付かなかった。

 正確には、気に留めていたことを意識の外に追いやってしまっていた。

 食事時、青年が右手に箸を持ち、左手に茶碗を持っていたことを。

 右腕の時計跡から青年が左利きだと推測していた雷だったが、もうそんなことはどうでも良いとばかりに、今は泣くことにしか意識が回らなかったのだ。

 

 

 


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