孤島の六駆   作:安楽

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14話:水無月島鎮守府の長い一日③

 任務中の第三、第四艦隊より無線封鎖を破っての通信が入った直後から、水無月島鎮守府の内部は即座に動き出していた。

 “隼”一号艇と二号艇のアイドリングが始まり、重巡級以上の補完艤装が急ぎ搬入されてゆく。

 物々しい雰囲気。水無月島の空気としては稀な部類だなと、二号艇の操舵室で時雨は息を吐いた。

 通信によると、敵が漂流するコンテナ内に潜伏し待ち伏せして、“隼”1隻を喪失。叢雲と初春が大破だ。

 敵潜水級は掃討したものの、今度は敵側の生態機雷がばらまかれ足止め。取り乱した熊野が提督を呼ぶ声を最後に通信は途切れている。

 仲間の負傷が確実となった上に、敵機の追撃後に通信断絶だ。逸るのも無理はない。

 かく言う時雨も、いつもよりも余計に体に力が入っているのを自覚している。

 これほどの切迫した空気は、自らの仇討に決着が付いた3ヵ月前以来だ。鬱屈した状態から回復して心穏やかに日々を過ごしていたものが、再び当時の空気に逆戻りしてしまった。

 構うものかと、そう思う。仲間を救助し、敵を排除し、島に帰れば何もかも元通りだ。榛名と飛龍の歓迎会も疎らだったものが、今度は正式なものを準備している。そうしてまた、ここでの日々を再開するのだ。

 

 二号艇に第二艦隊の面々が乗り込むのを確認して、時雨は“隼”を出撃させた。

 見送りに来ていたまるゆや飛龍は不安そうな顔で手を振っていたが、その隣の暁は仏頂面だ。

 ああ、これは後々自分も出ると言いだすだろうなと思い至った時雨は、お願いだから止めてくれと制止する気持ちと、それでも頼もしいと思う気持ちを同時に得ていた。

 暁の深海棲艦化の影響は、時雨も目の当たりにしたことがある。確かに強力無比な駆動ではあったが、それは同じ駆逐艦として恐怖と不安を覚えるに難くない光景だった。

 あれはもはや、駆逐艦と言う艦種の括りに縛り付けられたものではない。まったく別の何かだ。

 見ている側が恐れる程の有り様なのだから、変質した当人こそ気が気ではないはずだ。

 頼もしくはあるが、やはり出撃してほしくはない。

 そしてそれは、止む無く救助を求めた彼女たちとて同様だったはずだ。

 

「あ、もう陸攻が出てる。秋津洲ね」

 

 海上へ出てすぐ、窓の外を見た夕張が呟いた。

 一号艇と二号艇に軽く挨拶するように掠めて飛んでゆく陸攻たちは、自分たちよりも早く現場に駆けつけてくれるだろう。

 その陸攻たちの背後を急速に追いかけてゆくのは、二式飛行艇。島の裏手である第二出撃場から先んじて発艦したもの。秋津洲の仕事だ。

 大艇の発艦を見届けてから飛行場までエレベーターで上がり、陸攻の管制に着いたのだろう。

 これから提督が身動きの取れない状態になるのだから、いつも以上に張り切っているのだろうと、時雨は困った様な笑みを浮かべた。

 “艦隊司令部”をこの局面で投入するなど博打ではないだろうかと、そう言った懸念も大きい。しかし、だからと言って“隼”に乗り込まれるのはもっと困るので仕方なしか、というのが艦隊の総意だ。

 

 

 偵察を行っていた利根の水偵から速報が入る。

 “隼”の進路上、戦艦級含む敵の二個艦隊が接近中だというのだ。

 

「別働隊? 救援に向かう私たちを叩く狙いでしょうか……」

 

 高雄の言に、時雨はすぐに頷くことが出来なかった。

 確かに、極地突入作戦でこの海域に入った装甲空母部隊は通信の後に強襲を受けているし、散り散りになった味方の救難信号に敵艦隊が引き寄せられたことも確かだ。

 しかし、このやり方はどうなのだ。

 

「……高雄。キミが救助された時のことを覚えているかい?」

 

 時雨の、背後の仲間たちへ視線を向けずの問いに、第二艦隊の面々はしばし動きを止めて沈黙した。

 視線を集める形となった高雄が咳払いひとつして、「ええ、覚えていますわ」と声をつくる。

 

「私の場合、実際に救難信号を発したわけではありませんでしたが、周辺を哨戒していた敵艦隊に捕捉されてしまった、という状況だったはずです」

「そうだね。水無月島の皆が偶然哨戒中だったから、高雄は一命を取り留めた。けれど、この状況は?」

 

 時雨の発現の意図が理解できなかったのか、高雄が困った様に皆を見やる。

 そこで「なるほど」と呟きを発したのは、連装砲くんのモニターに別の画像を展開していた天津風だ。

 

「時雨が言いたいのは、何故救援に駆け付けた艦隊の行先に待ち伏せていたのか、ってことでしょ? なぜ、救難信号を発した第三・第四艦隊の方に合流してトドメを差さなかったのか」

 

 その場合、考えられる意図はふたつあると、天津風は皆を見て声をつくる。

 

「ひとつ、高雄が言ったように救援に来た艦隊を強襲するのが主眼だったこと。ふたつ、ならば、先に救難信号を発した第三・第四艦隊に対しては、その場に居合わせた戦力だけで充分と判断されたか、もしくは全て撃沈する必要がなかったか」

「あれあれ? ってことは、青葉たちの方が本命だったってことですかね? でもそうすると……」

「二個艦隊で、どうにかなると思っているのかな」

 

 響が怪訝そうな顔で言うのは、自分たち第一・第二艦隊の戦力ならば、例え戦艦級を要する二個艦隊であっても遅れを取ることがないと確信しているからだ。

 もしも待ち伏せを仕掛け、こちらの戦力をおびき出して叩くという意図があるのならば、本命となるこちらにはもっと戦力を配置していないとおかしい、と言うのが時雨の言だ。

 

「それとも、最初に二個艦隊で私たちを足止めして、それから敵の方も救援を呼ぶんじゃあ? わざわざ待ち伏せをするんだから、こちらの通りそうなルートに戦力を分散させて置いて、私たちと接敵した艦隊が救援を呼んでって……」

 

 夕張の推測はしかし、天津風が難色を示す。

 

「それはあるかもしれないけれど、向こうが艦隊同士で通信を取っている痕跡は、現状では確認できていないわ。連装砲くんたちの“耳”には敵の通信らしき波形は観測されていないの。これ、最初からこの配置で行くってことをあらかじめ決めていたってことよ。そして現状で敵同士の通信の痕跡がないってことは、熊野たちの方には敵の援軍は向かっていないってこと」

 

 最初から待ち伏せは二個艦隊。熊野たちのところも同様で、現状ではそこに敵の増援は向かってはいない。

 

「確かに、致命打を与えることは出来るだろうけれど、でもそれだけだ。手ぬるいんだよ。中途半端過ぎる。僕が敵なら、もっと徹底的にやるね」

「待ち伏せ部隊の数を揃えるとか、ですか?」

「うん。最低でも戦力が三倍以上になるように配置するかな。第三・第四の方を討つにしても、こちらを討つにしても……」

 

 仲間の救援に向かうとなれば、戦力はそれなりの規模を整えるものだ。

 敵に潜水級がいると報告があったため、念のため対潜装備は充実させている。

 そこに戦艦級を有する二個艦隊をぶつけて艦隊戦に持ち込めば、対潜特化の駆逐艦たちは満足な働きが出来なくなる。

 そこまでは「確かに」と、時雨も無条件で頷かんばかりだった。

 しかし、それにしては待ち伏せが少なすぎる。

 今のところ、利根の水偵からは他の敵艦隊の動きは報告されていないし、敵艦隊同士で通信している痕跡もない。

 件の統率者が用意した戦力がこれだけだと言うならば拍子抜けであり、即座に仲間の下へ駆けつけることが出来るという希望に変わるだろう。

 戦力を分散させて、高雄をはじめとする重巡たちが直接ぶつかって、駆逐・軽巡は対潜装備で救援に向かってもまだお釣りがくる。

 

「……もしかして、それを狙っている?」

 

 救援に出た第一・第二艦隊を、さらに分断させようという意図、その可能性。

 判断するための情報が少なすぎるなと頭を振った時雨は、一号艇と発光信号でやり取りしていた夕張が「敵艦隊を迂回して救援に向かう」との連絡を受け取り、先行した一号艇を追って舵を切った。

 

 

 ○

 

 

 敵はこちらの行動を遅延させるのが目的なのかと、時雨は厳しい操舵に冷や汗をかきつつ喉の奥で唸った。

 航路上の敵艦隊を迂回して加速をかけた矢先に、突如眼前に渦潮が発生したのだ。この海域で渦潮が自然に発生するなど有り得ない。

 敵の首級がまだ、周辺に潜んでいるのだ。

 

「推定姫・鬼級が最低1隻は確定。そいつが統率者でなければ、2隻で確定かな?」

 

 響が呟くように言うが、誰も頷きすら返さない。

 各々思考し、判断する時間なのだ。次のこちらの判断はどう下し、どう立ち回るか。そして、敵の次の手はなんだ。

 向こうの盤面、その全貌が見えない現状では、どこにどれだけ戦力を投入すればいいのか、その判断材料が足りない。

 並走する一号艇、利根たちの水偵も未帰還の機体が出始めた。加えて先行した大艇や陸攻たちからの続報もない。速度的にはすでに目標地点に到着しているはずなのに。

 

「……かと言って、再び通信を行えば、敵にこちらの動きを察知される、か。確かにこの局面こそ、艦隊司令部の使いどころではありますが……」

 

 高雄が言葉を濁すのも無理はない。

 試験起動こそ幾度か行ってはいたが、此度は本番なのだ。いつもサポートに着いていた夕張や天津風がこちら側に来てしまっているので、付き添って作業しているのは電と間宮の2隻。艦隊司令部の起動確認を待っていては救援が間に合わなくなる可能性が高いとして、先んじて出撃した自分たちだが、こうして偵察機からの情報が入らなくなると判断が苦しくなる。

 それに、と。時雨は体に掛かる負担に眉をひそめる。この渦潮だ。敵の首級を無力化しなければ大きく足止めされたまま。渦潮を避け、あるいは脱している内に迂回したはずの敵艦隊に捕捉される恐れもある。

 

「優先順位を確認しようか」

 

 告げて、皆の注目を集めたのは響だ。

 帽子を目深に被り、人差し指を立てた姿。

 

「私たちの最優先は第三・第四艦隊の救援だ。そこに認識の相違はないね?」

 

 艦娘たちから同意が返るのを見て、響は頷く。

 響の提案は、あえて向こうの用意した障害に引っかかりに行くことだ。

 

「例えばこの状況。私たちは救援に向かい急いでいる。それを妨害する艦隊や障害を発生させるということは、考えられる意図は大まかにふたつ。私たち全員をここで足止め、第三・第四艦隊の方へ行ってほしくないのか。それとも、救援のための戦力をここで分散させたいのか」

 

 この渦潮、船体の大きな“隼”や重巡以上の補完艤装では抜け出すのに多量の燃料を食うことになるが、駆逐艦や軽巡程度のサイズならば左程無理せずに抜け出すことは可能だ。先を急ぐのならば、軽装な艦が先行するという判断を下すだろう。あくまでこの状況だけを見れば。

 

「そうして駆逐艦や軽巡を引きはがすと言うことは、やはり残った重量級に潜水級をぶつけてきますか」

「そして、分散して先行した駆逐・軽巡の方には戦艦級などの重量級か、空母系を当ててくるかもしれない」

 

 空母という単語が出て皆が息を飲んだ様を、時雨は同じ気持ちで見ていた。

 確かに時雨は、この海域で空母の姿を見ていない。9ヵ月前の一時解除の際には敵の編成に組み込まれていたのだというが、それ以降空母の姿を見なくなったのだと、響の言で確認は取れている。

 そうして弾き出された敵の意図。

 

「敵は水無月島の戦力を吐き出させて、鎮守府を空にして。そのうえで島を空襲するつもりなのかもしれない」

 

 そのための遅延かと、時雨は拳を固く握りしめる。

 ならば、水無月島の位置がすでに敵に知られている可能性がある。

 しかし、もしもそうだとしたら、この敵は随分と嫌らしいなと、時雨は顔を歪ませる。

 期間としては、最低でも半年は準備に費やしたはずだ。

 この支配海域で空母系の深海棲艦を集め、こちらの戦力を伺い計って。

 そして、そのうえで余力を引きずり出してから叩いて行こうとしているのだから。

 

「優先順位を再度確認するよ。確かに島への空襲に対して防護を固めるべきだとは思う。けれど私たちはもうこうして出撃してしまったし、仲間を見捨てて引き返すという選択肢は、最初から存在しない。別に、島を見捨てるなんて考えはないよ。予備隊として雷や酒匂が対空装備で構えているはずだし、雷電や飛燕の用意もある」

 

 だから、こそこのまま前に進むことを、響は高雄に進言する。

 判断を渋っていた高雄だったが、一号艇の方、阿武隈たちからも同様の提案がなされ、肩を竦めて笑んで見せた。その案で行くのだ。

 艦隊を再編成する。先行し救助へと向かう組に阿武隈旗下、夕雲型駆逐艦の3隻と、第二艦隊からは響と時雨が同行する。夕張と天津風はこのまま重巡たちの援護として“隼”に残ることを選択する。

 側面の出撃口に降りた夕張が対潜装備への換装を開始し、操舵室の窓の向こう、一号艇の側面出撃口から乙丁統合パックへと換装した朝霜たちが飛び出してゆくのを見ながら、さて自分はどうしたものかと時雨は思案する。

 先行する面子に自分も含まれているのだが、高速巡航能力を失った自分ではこの渦潮を脱することは困難を極める。

 さてどういうことかと皆に問えば、揃って一号艇の方を指さすものだから、なんとなく察してしまった。そっちに飛び移れと言うことだ。

 

「まったく、回りくどい物言いにしてしまったからと言って、こんな風に仕返ししなくても……」

 

 二号艇の操舵を天津風に任せ、艤装状態の時雨は並走し接舷した一号艇へと飛び移る。

 要は、一号艇を渦から脱して持っていけと言うことなのだ。

 敵はおそらく、“隼”2隻をここで置いてゆくだろうと想定していた可能性がある。ならば、1隻持っていければ艦娘たちの消耗を抑えることも出来、あるいは敵の計算を狂わせることが出来るかもしれない。

 しかし、“隼”の巨体で渦潮を脱出することは困難だ。超過艤装と同期して操舵する艦娘の負担は大きく、ならば確かに、自分の役目だなと時雨は笑んで一号艇の操舵室へと乗り込んだ。

 水無月島に拾われた頃から、ろくに戦えなくなってしまった体を何とかしようとして、いろいろ試したものだ。“隼”の操舵はその一環で、鎮守府の中では自分が一番うまく扱えると自信もある。

 それに、彼女たちがその役割を自分に任せるというのは信頼の証でもあるのだと時雨は思う。一度ならず二度くらいは彼女たちの信頼を裏切った身としては、これ以上の期待外れはさすがに御免だ。

 

 後部の待機室、時雨に向けて手を振った利根とプリンツが補完艤装と同期して後部ハッチから出撃する。

 “隼”を通じて得られる感触を持って2隻の離脱を確認し、時雨は機関に負荷をかけて渦から脱するために舵を切った。

 

 

 ○

 

 

「阿武隈ちゃんからの発行信号。周囲に目視できる敵影無し、だって」

 

 清霜の報告に了解の意を示した時雨は、1隻だけ“隼”の外で哨戒活動を行う阿武隈の姿に苦笑する。

 確かに警戒が必要な時間帯ではあるが、電探や見張り員は“隼”に登場していても効果を発揮してくれるため、一秒でも長く体を休ませて置くのが得策ではないかと思うのだ。

 しかし、緊急事態に対応するために先んじて外に出ていたいと言う気持ちがわらかないわけでもなく、やはり時雨としては困ったなと、そんな顔をせざるを得ない。

 困ったことと言えばもうひとつ。背後の待機室でいきなりお菓子食い始めた夕雲型の娘たちだろうか。

 

「……響もなに一緒になって食べてるの。余裕の表れ?」

「余裕ないところを見せてばかりだと指揮に関わるからね。旗艦がああして先行しているなら、二番艦は落ち着いてなきゃ」

 

 そうして「時雨も食べるかい?」と、問いと共に差し出されたチョコレートスティックを、上体を捻って背後へ向きながら口に食んだ。

 “隼”と同期した状態で物を食べても大丈夫とは新発見だ。あとで夕張に教えてやらねばと頷く時雨は、窓の外、阿武隈が発光信号で「あたしの分! 残して置いて!」と眉を寄せる姿に、やはり苦笑。

 夕雲型たちも「はーい」と手を挙げて見せるだけでは伝わらないのではと思うのだが、巻雲はしっかりと量を持ち込んで来ている様子だ。

 自分たちの分だけでなく、熊野たちの分もあるのだろう。この緊急時に何を持ち込んでとため息をつかん思いだったが、今は口の中の甘みと共に笑みが浮かぶ。

 

 さて、迂回に迂回を重ねて遠回りして、ようやく目標地点に辿り着こうかという時だ。

 各員の電探が新手の存在を察知した。しかしそれは、先ほどのような艦隊ではない。

 

「単艦だ。しかも、ものすごい速度でこちらに向かって来てる」

 

 単独で活動し、しかも高速巡航能力を持つということは、敵は駆逐級か。

 肌がざわりと粟立つような感触に二の腕をさする時雨は、直後、響の「違う」と切迫した声を聞く。

 

「見張り員からの報告。単艦にてこちらへと接近するのは、完全人型。おそらくは姫・鬼級……。いや、すまない、訂正だ。敵、暫定戦艦級。戦艦レ級だ」

 

 響の発した重苦しい声に時雨は息を詰めるが、朝霜たちは一瞬ぽかんと呆けて「なんだそりゃ?」と言わんばかりの間の抜けた表情を晒す。

 

「……おいおい、そいつ南の方が住処だろう? ハワイ旅行って、昔の日本人旅行客じゃあるまいし……」

 

 言葉を切った朝霜が窓の外を凝視し、「あ、やべえ」と小さく呟いて、急いで側面の出撃口へと走って行った。

 しかし朝霜の言も確かだ。戦艦レ級の観測されている海域は南方に限定され、他の海域での目撃例は時雨でも聞いたことがない。

 何故自分のテリトリーを離れてこんな海域まで赴いたのかは定かではないが、今は対応に集中するべきかと、見張り員妖精の目を借りて敵の姿を視認する。

 まだかなりの遠距離にぽつんと姿を確認できる深海棲艦は、響の言うとおり完全人型。人間で言えば15、6歳程の少女の姿に黒いフード付のパーカーのような衣装を纏った姿だった。足元は重巡級の艦娘が用いるような艦の底部を模したようなボード状の生態艤装に両足を預けていて、見る限り高速戦艦の艦娘が出せる最高速度をゆうに超えている。

 そして最も特徴的な部位は、彼女の腰部生態艤装だ。南方にて観測された戦艦レ級は先端に咢のある一尾を持っていたが、この個体はその先端が四叉に分れ、長さも身長の3倍ほどはあった。尾の分れ方も、太い1本の尾が中ほどで二股に別れ、さらに先端近くで二股に分かれていると言った風だ。

 “隼”付きの連装砲ちゃんが検索をかけ照合した結果、個体コード:“バンシィ”という名がヒットする。10年以上前から活動する厄介者だ。

 

 その“バンシィ”に対して、阿武隈が速度を上げて肉薄する。

 敵の初動を抑えて注意を惹き付け、“隼”に搭乗している皆へが準備するまでの時間を稼ごうというのだ。

 無茶だと歯噛みする時雨は、伝声管を通じて響の声を聞く。

 

「時雨、兵装転換を要請するよ。乙丁統合パックから甲型兵装に転換」

「待って響。それは無茶だ」

 

 口ではそう窘めながらも、時雨の手元は兵装転換の操作を進めてゆく。

 甲型兵装は艦隊戦を想定した、砲雷撃能力に特化したパッケージだ。

 夕雲型駆逐艦にすればデフォルトの装備となるが、対潜対空で待機していたため、これから換装する必要が出て来る。

 しかし、敵はあの成りでも戦艦級だ。確かに魚雷装備は有効だが、あの速度で動作する対象に雷撃を当てるのは至難の業だろう。

 

「なるほど。その手で行くんだね?」

 

 響の意図を理解する頃には、時雨の手元は既に完了していた。

 いつでも出撃できる旨を伝えた時雨は、敵の動きを確認して、そして訝しげに眼を細めた。

 尾の先の咢、その口角横からせり出した副砲の連打で阿武隈の接近を妨げていたレ級が、おかしな動きを取り始めたのだ。

 四叉に分かれた尾を高く、天に向けて伸ばす姿。

 レ級から大きく距離を取った阿武隈もその動きの意味がわからずに警戒の視線を向ける中、時雨は“隼”を急旋回させて、レ級から距離を取るべく最大船速。

 鼻でもぶつけたのだろう巻雲の疑問の涙声が伝声管から大きく響くが、血相を変えた時雨は静かに「跳ぶ気だよ」と返す余裕しかない。

 時雨の言うとおりのことが起こった。尾を高く掲げるように上げたレ級は、その尾を勢いよく海面に叩き付け、その反動で上空へと跳び上がったのだ。

 大きな弧を描いての落下予測地点は、“隼”の進路上。狙いはこちらだ。

 ならばと再び急旋回して落下地点から逃れようと動いた時雨だったが、敵の動きはこちらの予想を大きく超えてきた。

 尾で海面を叩き飛び上がった反動で、宙にあるレ級は縦の回転を得ていた。その状態から、重心を本体から尾の先の咢へと移行、回転と落下地点を修正したのだ。

 

 “隼”の真上に落ちてくると、連装砲ちゃんの演算は弾き出した。

 もう数秒も猶予がない。今から舵を切っても確実に余波は食らう。下手をすると転覆の恐れもある。

 時雨は判断した。

 手元のスイッチ類を操作して、側面の出撃口で待機している響たちを強制排出。

 背後であたふたしていた連装砲ちゃんのボディの縁を掴むと、操舵室の窓を開けて外へと力任せに放り出した。

 

 直後、“バンシィ”が“隼”の操舵室に着地。と言うよりは着弾して、超過艤装の船体を操舵室もろとも粉砕した。

 

 

 


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