孤島の六駆   作:安楽

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3話:深き場所にて佇むものたちは

 

 

 

「それじゃあ、定例会議を始めようか。議題は、そうだな……。これからの私たちの運用の再確認と、それによっていずれ生じるであろう選択肢について、といったところかな?」

 

 提督の執務室。

 もはや恒例となった鎮守府の全艦娘が集結しての定例会議の時間だ。

 新入り組のまるゆと阿武隈も慣れたもので、自分の分のお菓子と飲み物を確保して「さあ、来ーい」とばかりに表情を引き締めている。

 そんな気の引き締め方をされてもと苦笑いする提督だったが、今回の議長である響は「その意気や良し」とばかりに腕組みして頷いて見せる。

 

「まずは、進めている脱出計画の情報更新っと……」

 

 いつも暁がそうしているようにホワイトボードにマーカーで書き込んだ響は、注目する皆に振り返り言う。

 

「さて、脱出計画に関する続報だよ。当初想定していたのは、安全な航路を確保した後この鎮守府を放棄して、迅速に深海棲艦の支配海域から脱出することだった。この案に今のところ変更はないけれど、それをするためには現時点でひとつ、大きな問題が発生している」

 

 それは? と皆が視線で問うなか、響はいつもと変わらない口調で続けた。

 

「この島から脱出できない可能性が出てきたんだ。――電?」

 

 一息に言って、響は続きを電に預ける。

 電はそれを受けて、執務室の隅にうずうずとした様子で待機していた自立稼働型砲塔たちに指示を出した。

 喜び勇んで動き出した砲塔たちは、執務室のカーテンを閉めて照明を落とし、備え付けのプロジェクターを展開してゆく。

 テスト起動状態とは言え、内臓AIたちは自らがこうした役割を求められていることを承知しているらしく、今のところ不満を訴えることもない。

 

 準備が整い、執務室の光源がホワイトボードを照らすプロジェクターの灯りのみになると、電は資料を手に席から立ちあがった。

 ……が、しかし、部屋が暗くて手元が見えず、結局は手元の資料を放って、皆でホワイトボードを見ながらの説明となる。

 

「私たちが当初想定していた計画では、偵察を重ねて安定した航路を確保の後、鎮守府の人員を小型艇に乗せて脱出、という手筈でした」

「その手筈のどこかに、問題が生じたのだね?」

「そうなのです。その小型艇が、調子が悪いというか……。この海域では、使えない可能性が出てきたのです……」

 

 深海棲艦の支配海域下における特性に、電子機器の不調がある。

 艦娘由来の技術を用いている機器でなければ、運良く起動できたとしても海上のど真ん中で停止してしまう、ということがあり得るのだ。

 

「……確か、この島から一番近い鎮守府までは、駆逐艦の足でも1週間。……だったよね?」

「そう。あくまで天候の影響を無視して、10年前当時最も安全と言われていたルートを行った場合の最短時間さ。実際には、補給や休息も考慮しなければならないし、予備の燃料・弾薬の搭載した小型艇を護衛しながらになるから、更に長期戦になるだろうね」

 

 響は言って、プロジェクターの画像を切り替えるように指示。

 映し出されたのは、その脱出に用いるはずだった小型艇だ。

 

「艦娘を任務地まで高速輸送するための小型艇。二次大戦中の隼艇を模した船体に現代の機関と電子機器を搭載した、懐古なのか近代なのかよくわからない代物さ。名前もそのまま“隼(はやぶさ)”。海自のミサイル艇の方の“はやぶさ型”とは違うから、ここ注意だよ?」

 

 艦娘の消耗を抑えるため、鎮守府を遠く離れた海域への輸送等には、この“隼”が用いられていたのだという。

 提督の中には、自らこの“隼”に乗り込んで現場指揮にあたる者もいるそうで、それを聞いた提督が「ほほう……」と顎に手を当て高揚しそうな口元を押さえると、艦娘総員から「ダメよ?」と考えを先回りしたダメ出しが来た。

 しかし、この“隼”も、この海域では不調を起してしまうのだという。

 

「メンテナンスや試運転自体はこれまでにも幾度か行っていて、特に異常等は見られなかったのです。それがここ最近になって、急にエンジントラブルや電子装備のシャットダウンが相次いでいまして……。陸地では何とか動きはする、と言った具合ですが、海上ではうんともすんとも言わなくなってしまう恐れがあるのです」

「ここ最近? それは、妖精さんたちの仕業じゃないのだよね?」

 

 提督が執務机の上に何故か居た妖精たちに問うと「ちゃうでー?」と揃って首を横に振っていた。

 本職のグレムリンがそう言っているのならばそうなのだろうと納得はするが、だとすれば当初から進めてきた計画がここに来て破綻してしまう。

 

「不調の原因はやはり、この海域の影響が?」

「それも考えられるね。ここ最近になって、というのが腑に落ちないところではあるけれど……。“隼”はあくまで高速輸送艇で、敵支配海域にまで突入した前例はなかったんだ。そもそも、私たち艦娘だって、敵支配海域に突入することは稀だったさ。10年前までは、の話だけれどね」

 

 “隼”に関しては試運転を繰り返し様子見するということになったが、実際に感触を確かめていた響と電の表情は芳しくなかった。

 この報告に不服そうな顔をしたのが阿武隈だ。

 せっかく、自分が水偵を運用して航路を確保するという大役を担ったというのに、肝心の脱出手段がこれでは意味がないではないか。

 そう言いたいだろうことは提督の眼にもはっきりと読み取れた。

 

「意味はあるよ、阿武隈。とても重要な役割だ。私たち、この鎮守府に取り残された暁型は、10年間外界と隔絶されてきた。漂着物の中には世界情勢を教えてくれる物はあったけれど、それは限られていた。世界的には人類が劣勢であるということこそ読み取れたが、詳しいところはわからない。司令官も記憶がないし、まるゆも阿武隈もこの鎮守府の生まれ。外の世界がどうなっているかを、私たちはあまりにも知らな過ぎるんだ」

 

 だからこそ、この偵察には大きな意義がある。

 響はそこまで念を押さなかったが、言わんとしていることは阿武隈にも理解できたし、それで納得することもできた。

 

「まあ、“隼”がダメとなった場合、最も原始的な方法に回帰して脱出、という案も無くはないかな」

 

 響が気持ち得意げに言って、ホワイトボードに「イカダ」とマーカーで書く。

 

「イカダをつくって、その上に予備の燃料や弾薬を積載するのかい?」

「その通りさ、司令官。通常海域ならば悪天候が最大の敵だけれど、敵の支配海域を抜けるまではずっと凪の海のはずだからね。推力は艦娘が牽引して稼ぐし、いざとなればイカダを分離して司令官を緊急脱出させることも可能だ」

「……緊急脱出。響、そのイカダ。材料は……」

「ドラム缶」

 

 提督は黙って、次の話へ進めるようにと指示。

 しかし、提督をドラム缶に積載して牽引するイメージが何やらツボに入ってしまった阿武隈を現実に引き戻したり、必死に運貨筒を推し勧めてくるまるゆをなんとか宥めるために、会議は一時中断となった。

 

 

「……さて、それじゃあ、ちょっと足場の再確認を兼ねて昔話でもしようか。この鎮守府の座標やこれまでの来歴など。司令官や新入り組に、私たちの置かれている現状を再確認してもらう意味も込めて、ね」

 

 

 

 ○

 

 

 

 ホワイトボードに投影された画像が切り替わる。

 映し出されたのは、左手側に日本を、そして右手側にアメリカ大陸西海岸を置く、太平洋の地図だ。

 その地図の真ん中あたりが拡大される。

 

「私たちの鎮守府がある孤島は北太平洋のほぼど真ん中。ミッドウェー諸島より北西に約50キロの地点、さらに50キロ北西に進めば、クレ環礁があるね。島自体は30年前に火山活動で海底山脈の一部が隆起したものだと言われていて、その隆起した島に補給基地兼鎮守府を建設したものがここ、というわけさ」

 

 この孤島の名は“水無月島”というのだそうだ。

 第二次大戦中、ミッドウェー海戦に日本が勝利した暁には、占領したミッドウェー島をそう名付けるという案があったのだと、電が横から捕捉を入れる。

 地理的にはアメリカの管轄ではあるが、10年前当時、実際に管理していたのは日本だったそうだ。

 国家間で何らかの取引が成されていたのだろうと電は睨んでいるが、その詳細までは定かではないらしい。

 

「正確には、ここは鎮守府ではなく泊地や前線基地というべきなのだろうけれどね。しかし、北太平洋の近海に展開していた前線指揮官たちが、うちの元司令官を頼ってくるものだから、事実上そちらへの指揮系統になってしまい、ここは補給基地なのに事実上の後方、鎮守府、という扱いになっていたのさ」

「あ、あの、響ちゃん……? ……最初は確かに、水無月島泊地、あるいは前線基地、だったのですけれどね? この島の防衛のため専属の艦娘が必須と判断されたためと、元司令官さんに前線指揮の権限が正式に付与されたため、泊地から鎮守府と変更されているのですよ?」

 

 電の捕捉訂正に、響が真顔で「そうだっけ?」と確認。

 うんうん頷く電に、響は腕組みして黙考し、何事もなかったかのように阿武隈が確保していたクッキーを強奪して誤魔化そうとした。

 涙目で抗議する阿武隈を、響は頬に手を当てて「もぐもぐー?」と口を動かしながら煽り、何故かまるゆも負けじとクッキーを詰め込んで「もぐもぐー?」とやり始めて。

 沸点に達した阿武隈がいつもの被害担当艦・暁に視線を向けた頃には、取り分を奪われると察知した暁が口一杯にクッキー詰め込んで苦しそうにしているといった有り様で。

 結局、半泣きの阿武隈に雷が自分の分のクッキーを分け与え、口にもの詰めて煽った3隻は電がそれぞれの頭に雷を落として成敗となった。

 

 

 頭に大きなたんこぶを拵えた響はそれを隠すように帽子を被り直し(かなり痛そうに顔をしかめて)、仕切り直しだとばかりに咳払いする。

 

「――さ、さて。この鎮守府の主な運用は、南西諸島海域や南方海域からの物資を備蓄し、その一部を北方海域へ輸送する他、深海棲艦の登場以来最初の支配海域とされる、ハワイ島の奪還を支援するものだったんだ……」

 

 深海棲艦が登場し、続いて艦娘が登場して、戦端が開かれた。

 それから1年と経たずに、深海棲艦側は最初にして最大の脅威を世に知らしめる。

 支配下に置いた海域の物理現象を歪曲させる力だ。

 

 ハワイ島が深海棲艦の侵攻により陥落した直後、アメリカ側によって核ミサイルの行使が提案され、それは即実行に移されている。

 しかし、放たれた2発の核ミサイルは、どちらも“不発”だったという結果が、記録には残っている。

 

「……深海棲艦の支配海域下では、物理現象は正常に働かない。核ミサイルは2発とも不発だった……」

 

 顎に手を当て噛みしめるように呟く提督は、半信半疑といった顔を上げて響の方を見る。

 

「まさか、核分裂反応が起こらなかった、とでも言うのかい……?」

「その通りだよ、司令官。と言っても、検証のしようがなかったろうね? 何せ、通常の計測器類では、敵支配海域下の現象を正確に把握できないから……。艦娘の艤装の演算機能で代用して、ようやく“どうやら不発だった”と信頼の置けない結論を出さざるを得なかったのさ」

 

 それが事実だとすれば……。

 そう呟いた提督の脳裏には、ある最悪の可能性が浮かんでいた。

 

「日本本土……。そうでなくとも、海岸に位置している都市が深海棲艦の支配領域になってしまえば……」

「原発などは、完全に機能を失うだろうね。他の発電施設でも深刻なダメージが入るだろうことが予想されるよ」

 

 これだけでも多大なダメージがだが、影響はそれだけに留まらない。

 

「電力の供給がままらなず、そして電子機器がおしゃかになるとなれば、生活レベルは昭和初期にまで後退すると予想されるね。それに、分厚い雲が人工衛星の恩恵を悉くシャットアウトするし、動植物にも悪影響を与える。極度の気温の低下と、人間に対しては精神汚染だ。人々は徐々に気が触れていって……」

 

 響は言葉を止めて、合掌して目を瞑った。

 その意味は、執務室にいる全員が理解に難しくないものだ。

 

 そういった敵侵攻に対する防護策として、本州太平洋側に防衛能力を有したメガフロートの建造計画が持ち上がっていたのだとは響談。

 この島に転属になる前は呉鎮守府に居たのだという響は、太平洋に面した海岸にそうした巨大な建造物が構築されていく様を複雑な思いで眺めていたのだと言う。

 そもそもは津波対策のためにと発案されたものが、深海棲艦の登場によって外敵の侵略を阻むものへと姿を変えたのだ。

 国を守るための措置なのだから良いことなのだろうかと黙する提督は、判断材料が少ないとして、それ以上の考えを一度保留にする。

 

 

 ハワイ島の陥落。

 それが、人間・艦娘対深海棲艦の、30年前から今に至るまでの泥仕合の始まりだったと、そう語るのは電だ。

 

「それまで、核ミサイルを撃てば短期終結が叶うという考えが、各方面にあったわけなのですが……。あ、核を用いるという、心情面や建前は別にして、なのです……。それで、決着するという充てが外れてしまったわけで、各方面大騒ぎになってしまって……。アメリカなどはこの辺からようやく艦娘の建造に本格的に着手し始めていて、宗教上の都合に問題がない海洋国家も、艦娘の開発・運用に乗り出しているのです」

「なるほど、艦娘に関しては、日本が一歩先を行っていたわけだね。しかし、アメリカ側は宗教上の問題はクリア出来たのかな? キリスト教では確か……」

「人間体がクローンである艦娘は、確かに宗教上の都合に引っかかるものではあったのです。なので、アメリカ側は艦娘の艤装面、オカルト以外の、科学分野でのサポートを確約して、その見返りに日本で建造された艦娘を輸入する、と言う形を、当初は取ることになりました」

 

 それが、アメリカ側の出だしが鈍かった原因なのだそうだ。

 “海軍”側から輸出する艦娘も、大日本帝国海軍の艦娘にとっては昔の敵国へ赴かなければならない事が負荷になるのではと慎重すぎる配慮がなされ、二次大戦中に活躍したアメリカ海軍の軍艦、その艤装核をサルベージして建造されたアメリカ艦の艦娘が赴くこととなった。

 とは言え、アメリカ側のこの問題は早期に解決することとなる。

 手薄なままの防衛線を抜けてきた深海棲艦の爆撃機に西海岸を焼かれ、世論は一気に艦娘の建造と運用の方向へと舵を切ったのだという。

 

 

「しかし、ここで問題になったのは輸送経路なのです。その頃になると太平洋上に安全な航路というものはほとんど無くなっていて、情報や物資のやり取りも困難になっていました」

「……情報や物資の輸送、いろいろやったらしいわよ?」

 

 そう口を挟むのは、早速自分の分のお菓子が無くなってしまって手持無沙汰な暁だ。

 

「特に日米間は、太平洋の海空が危険地帯になっちゃったから、空輸は北極圏経由にほぼ限定。空輸できない品物は貨物船に艦娘が護衛に付く、って感じだったっけ?」

「そ。それで私、その船団護衛の仕事がメインだったのよね……」

 

 暁に続いてそう告げるのは雷だ。

 お菓子の缶を開けて皆の皿に注いで回りながら、思い出すように虚空を見上げる。

 

「私、元々は佐世保鎮守府の所属で、本土から南西諸島行きの輸送艦を護衛するのが主な任務だったわ。それが、こっちの海域行きの護衛が足りなくなったから転属、って感じね?」

「……中部海域の輸送経路は、“ルサールカ”をはじめ、ヤツらにズタズタにされたものだからね。当時は船団護衛のための人員を各方面から集めていたから、この鎮守府に所属していた艦娘は一時期3桁にも登ったよ」

 

 そうして集められた艦娘たちだったが、護衛中に深手を負って長期の療養を強いられたり、敵地攻略に出撃して帰らぬものが出たりと、その消耗は激しかった。

 急場しのぎの寄せ集めと言うこともあり、各々の練度に大きな偏りがあったのも事実だ。

 こうした事態を重く見た海軍本部は、当時の最前線ともいえるこの水無月島泊地にある施設の設置を決定する。

 それまでこの島には存在しなかった“建造ドック”が、新たに増設されることとなったのだ。

 泊地から鎮守府へと名称を変えて、この孤島を本格的な前線基地に組み直そうという試み。

 水無月島の固有戦力の配置、船団護衛や攻略作戦に挑むための艦娘の建造と育成が、こうして開始されることとなる。

 そこで建造された第一号艦娘が、今ここにいる暁だったのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 

 ○

 

 

 

「さて、ハワイ島・ミッドウェー諸島を支配下に置いた深海棲艦は、そこを拠点として、日本・アメリカ双方に、同時に侵攻を開始しているんだ。さながら、互いの敵を深海棲艦に置き換えての、在りし日のミッドウェー海戦の再現さ。日本側にとっては善戦出来ていたけれど、もうひと押し足りなかったif。アメリカ側にとってはミッドウェー島が取られて出鼻をくじかれたifからのスタートという感じかな。当時、日本側は艦娘を早期に実装していたから戦線を維持できたし、アメリカ側も最初は敗けが嵩んだけれど、お得意の物量で地味に押し返している」

 

 この北太平洋上での激戦は10年以上続き、どうにか均衡を保ってきた。

 日米が西と東から挟撃しているにも関わらず、敵の堅牢な防護を食い破れず、しかしこちらも食い破られることもなく、という拮抗状態が続いたのだ。

 そこへ、敵の通商破壊の本格化と、姫級・鬼級の侵攻という転機が訪れた。

 

「それまでは、単に艦隊を組んで一定の海域を哨戒するだけだった深海棲艦側が、明らかに戦略染みた動きを見せ始めたのさ。こちらの補給経路を破壊するのと同時、海上にでも拠点を構築することが出来る陸上型深海棲艦、姫級が徐々にその数を増やし、前線を圧迫していったんだ」

 

 海上に敵艦載機を運用するための飛行場を構築する姫級には、もうひとつ厄介な特性があった。

 それが、この島の現状のような環境の再現、支配海域の物理現象を歪曲するというものだ。

 

「では、敵支配海域下における物理現象歪曲の正体は、その姫級の能力だったというわけだね?」

 

 提督の問いに、響は是として頷く。

 

「姫級1体でハワイ島ほぼ全土をカバーできるくらいの影響力を持っていた。ミッドウェー諸島までを支配下に置いた時は、推定4体。10年前当時、最後にあった確認報告では、姫級が12体、鬼級が9体の一大勢力。今は、もっと増えているだろうね」

 

 敵の勢力は増して、こちらは備蓄こそ尽きることはなかったが補給路が断たれて、戦える艦娘の数が減少していった。

 そうして士気を挫かれた状態に追い打ちをかけるように、鎮守府の人員は海域の影響で精神を病み始めていたのだ。

 なるほど、それで敗北の道を辿ったのかと、提督はかつての戦況を頭の中にイメージして苦い表情になる。

 

 深海棲艦が10年前当時に水無月島に上陸しなかったのは、そうせずともこちらの機器や人員等を無力化出来たからなのだろうかと提督は考える。

 すると、彼女たち深海棲艦は、自らの力を十全に理解しているということなのだろうか。

 そのあたりの事情はどうなっているのかと提督が問えば、応えるのはこれまた電だ。

 

「戦術染みた動きを見せていることからも、彼女たちは己の能力を把握しているのは確実ではないかと予測されているのです」

 

 姫級・鬼級といった、ほぼ完全に人型となった個体に関しては、簡単な言葉を話すことがあると確認されている。

 当時の海軍本部はそうした個体たちと意志疎通が図れるのではないかと考え、艦娘を派遣して非戦闘の接触を試みた例がいくつかあったのだと言う。

 その接触作戦にはここにいる電と、かつてこの鎮守府に所属していた軽空母・鳳翔も参加しており、北方海域にて幼い少女の外見をした個体と邂逅したことがあるのだとか。

 電たちが接触した個体との意志疎通は驚くほど友好的に終わったのだが、他の接触作戦が軒並み失敗に終わったため、以降こうした接触作戦は行われなくなったのだという。

 そうしてわかったことは、姫・鬼級とそれ以外の深海棲艦の差異だ。

 

 “イロハニ……”と、いろは歌順にカテゴリ分けされている艦種は、基本的には人語を解さず生物と言うよりは自立兵器に近い特性を持ち、より上位の個体に従う習性を持っている。

 しかし、姫・鬼級らはそれらの等級を完全に配下に置き、かつ他の姫・鬼級といった深海棲艦とは協調したり敵対したりと、明らかな個としての意識が見られたのだ。

 それを自我であると、実際に姫級と接触を果たした電は語る。

 

「私が接触した個体が子供の外見をしていた、と言うこともあるのですが……。彼女たちは、自分が何か強い感情に突き動かされていることは理解出来ていても、そうして駆り立てる感情の正体がどういったものかまではわからない、といった風に受け取れました」

 

 感情を、強い憎悪や悲哀の感情を持ってはいるが、その感情を理解していない。

 それが、電が当時得た姫級への感触だった。

 彼女たちが自らの感情を正しく理解した時にどういった行動に出るのか。

 電たちはその答えをひとつ得ようとしていたが、結局それは叶わなかった。

 それが得られてさえいれば、これまでの10年も、これから先の未来も変わったかもしれないのにと……。

 

 

「姫・鬼級に話が飛んだのは他でもない。私たちが島を脱出するにあたって最大の難関となるのが、これらの敵海上拠点だからさ」

 

 脱出するにあたり、目的地は現状ふたつ。

 ひとつが北方海域、アリューシャン列島を目指すルート。

 もうひとつが南方海域、ソロモン諸島を目指すルートだ。

 

「10年前までは、ヤツらの支配海域はこの北太平洋上、ハワイ島・ミッドウェー諸島近海に限定されていた。他海域にも深海棲艦の出現は確認されていたけれど、ここいらのように支配下となった海域はなかったはずだ。しかし、それからもう10年も経っている。戦局が劣勢に傾いているのを察することは出来ても、具体的な分布までは定かじゃない」

「そっかあ……。北ルートも南ルートも敵だらけかもしれない、ってことかあ……」

 

 阿武隈が唸るように言って、ホワイトボードに投影された地図を睨む。

 脱出ルート上に拠点を構築している敵がどれだけいるかによって、作戦そのものが変わってくるのだ。

 

「もし、脱出想定ルート上に敵がひしめいているなら別ルートを割り出す必要があるし、脱出計画そのものを見直さなければならない可能性も出て来る。……すでにひとつ、小型艇の不調と言う大きな問題が発生しているけれどね? それに、もしも本当に八方塞り、逃げる隙もなく敵勢力がこの海域を覆ってしまっているのだとしたら……」

 

 そうだとしたら?

 言葉を止めた響に、提督は目で問いかける。

 

「……脱出そのものを諦める、という選択肢もある」

 

 歯切れ悪く言った響が帽子を目深に被るようにすると、阿武隈やまるゆが思わず、といった挙動で椅子から腰を浮かせていた。

 それはつまり、この孤島で世界が滅ぶか自分たちが滅ぶ時を、ただ待ち続けるということではないか。

 そう、阿武隈もまるゆも思ったのだろう。

 

 しかし、提督にはそれは違うのだと、なんとなく察することが出来た。

 おそらくは、それは最も難易度の高い選択肢だとも。

 

「この島を出るのを一番後回しにして、僕たちが本来やるべきことに専念する。そう言うことだね? 響」

 

 艦娘たちが訝しげな、あるいは確信に満ちた顔で提督を見る。

 響も、目深帽子の奥から肯定の視線を提督に送った。

 

「――逃げる足を止めて、踵を返しての一転攻勢。海域奪還のための戦いを始めるのさ?」

 

 告げられた言葉に、阿武隈は理解が追いつかなかった。

 いや、頭の中でもう「それは無理!」と結論が出ていたからだ。

 正面のまるゆも同じ思いなのか、不安そうに眉尻を下げた表情で艦娘たちを見回していた。

 

 海域奪還など、現状の戦力で出来るわけがない。

 動けるのは艦娘は5隻だが、そのほとんどが建造間もない練度0であったり、艤装の不調をようやく整えたブランク持ちだ。

 艦種も軽巡、駆逐、潜水艦と、決して決戦向きの揃えではない。

 

 極めつけはこの提督だ。

 記憶喪失の一般人であり、異常に高い極地活動適正以外はこれといって戦術面に明るいわけでも指揮能力に優れているわけでもない。

 彼は艦娘の、そして深海棲艦の専門家というわけでもない、戦いとは一番縁遠いはずの人間なのだ。

 

 それでも、この面々ならばやるのだろうと、阿武隈の中には確信のようなものがあった。

 

 

「……そうするには、今以上に艦娘さんを増やさないと……?」

 

 不安そうな眉で呟くように問うのはまるゆ。

 確かにその線でいくのだろうと、阿武隈はまるゆの不安そうな表情に概ね同意する思いだ。

 戦力層が薄いのならば、それを補強すればいい。

 阿武隈を建造した時と同様の工程を繰り返して、深海棲艦から艤装核を奪取し続けるのだ。

 奪取した艤装核を用いて建造を行なえば、それだけで敵の戦力を削ぐことにも繋がる。

 

 しかし、その方法は本当に最後の最後。

 もう他に打つ手がなくなった時のための手段であるはずだ。

 艤装核の奪取と艦娘の建造を繰り返したところで、その艦娘を決戦に耐えうる練度にまで育て上げるにはかなりの時間を要するうえ、ここは敵の支配海域だ。

 鎮守府内の施設で出来ることには限りがあり、かと言って鎮守府近海ですら出撃するには危険すぎる。

 

 それにと、阿武隈は自分の胸に手を当てる。

 海軍本部の工廠施設ではないこの鎮守府には、艤装のオーバーホールを行うための施設が存在しない。

 肉体が無事だったとしても、艤装の中枢にダメージが通ってしまえば、電のように海上に二足で立つことすら困難となる。

 そういった不調を回復させるための施設が不在であることと、そして阿武隈自身の特殊な出自こそが、最大の不安要素だ。

 阿武隈の建造に用いられた艤装核は、正規の加工手順を踏んでいない。

 現状は肉体にも艤装にも異常は見られないが、これから海上に出て任務に着くうえでどう変化するのかが全く分からないのだ。

 

 この鎮守府が単独で海域奪還に乗り出すということは、それらのリスクを承知の上で動くと言うことだ。

 脱出のために、誰も犠牲にならない方法を考えて、見つからずとも考え抜いて。

 それでも誰かを失うという可能性が確固として横たわるのならば、この面々は脱出を後回しにして、敵の包囲を食い破ろうとするだろう。

 

 戦況が不利な程度では、この六駆の艦娘たちが折れないであろうことを、阿武隈は知っている。

 1ヶ月と少し。短い期間ではあるが、彼女たちと生活や訓練を共にして理解しているのだ。

 島に閉じ込められて身動きが取れなかった10年こそが、彼女たちが本当の意味で折れていた時間。

 提督が着任してその現状を打開できた今、彼女たちはもう心折れることはない。

 少なくとも、この中の誰かひとりでも欠けるようなことにならない限り……。

 

 

 

 ○

 

 

 

「まあ、脱出するにしても、海域奪還するにしても、まずは情報が集まらなければ話にならないよね?」

 

 仕切り直すように響が声をつくる。

 情報収集、水偵運用に向けて、まずは海上に出ての実地訓練が必要になる。

 その実地訓練を行ううえでも、最大の障害が待ち構えている。

 

「“ルサールカ”がいる。まずはこの脅威を取り除かないと、満足に海上に出ることも叶わない。敵空母に見つかった場合、空と海中とで挟み撃ちにされるからね? だから……」

 

 響が提案するのは“ルサールカ”含め、敵潜水艦の掃討だ。

 目下最大の脅威である“ルサールカ”の撃退と、鎮守府近海を周回していると想定される敵潜水級の把握と撃退。

 水偵を運用して情報収集するにあたり、海中への警戒を最小限に出来るようにしておきたいという狙いだ。

 編成は阿武隈を旗艦として、暁、響がサポートに着いての対潜運用。

 雷は予定通り鎮守府の防空要員、まるゆは対潜哨戒のバックアップとしての運用だ。

 作戦はかなり長期に渡ることを想定して、1週間の準備期間の後に開始することに決定した。

 

 実地訓練がそのまま本番に移行することに、阿武隈は不満を抱かなかった。

 形はどうあれ、やっと海上へ出る時が来たのだ。

 サポート役となったまるゆも、ようやく動き出せることに高揚を見せてはいたが、やはり主力として戦いたいという思いがあったのだろう、素直に喜びきれない様子だった。

 

 

 そうして定例会議は終了して、各々の訓練や作業のために散って行き、阿武隈がひとりきりになった時だ。

 突然、発作のような感触が襲って来て、体を折ってしゃがみ込んでしまった。

 この発作は身体的なものではなく、精神的なものであると、はっきりと理解できた。

 不安だ。今まで心の片隅に居座って少なからず存在を主張していたものが、ここに来て心臓を食い破らんばかりに肥大化したのだ。

 涙ぐんできつく口を引き結んだ阿武隈は、しばらくの間、そうしているしかなかった。

 誰か自分を呼びに来ないよう、探しに来ないよう、こんな姿を見られないようにと、そう願わずにはいられなかった。

 

 

 


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