「…おい楽、いい加減鬱陶しいぞ。いつまでもいじけてんじゃねえ」
「でもよぉ…、でもよぉ陸ぅ…」
部屋の隅っこで、体育座りで暗い空気を醸し出しながらいじけている楽に、辛辣なセリフを吐く陸。
今日、数日後にまで迫った修学旅行の班分けが二学年全クラスにて行われた。
何でも、その班分けで、いつもの面子が一緒の班になったらしいのだが…、楽だけは特にあまり話したこともない人達と一緒の班になったという。ハブられてしまったという。
そのため今、楽は一生懸命いじけているのだが、陸からすれば鬱陶しいことこの上ない。
「陸はどうせ良い班だったんだろ…?どうせさ…どうせさ…」
「…はぁ」
否定はしない。楽の言う通り、それなりに良いメンバーと同じ班になることができた。
「まあ、恨むならお前の運の悪さを恨め」
「ちくしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
両拳を畳に打ち付けながら楽が叫ぶ。陸はそんな楽に目もくれず、ゲーム機の電源を入れる。
「ショックなのはわかるけど、いじけすぎて修学旅行に遅刻したりすんなよ~」
冗談っぽく、この時の陸はそんな事を口にしていた。
『も~。あれだけ朝早くって言ったのに…、もう新幹線出ちゃう時間だよ?』
「…ごめんなさい」
駅とは全く違う方角の、小さなお店の前で陸は羽姉と通話をしていた。
普通、遅刻の報告をするなら担任の教師にするべきなのだが、携帯に担任の番号を登録し忘れており…、仕方なく羽に電話することにしたのだ。
会話の内容からわかる通り、今日が修学旅行の日であり、そして陸は遅刻確実である。
この遅刻にはやむを得ない事情があるのだが、それをここで言っても言い訳にしかならないため喉の奥に飲みこむ。
『とにかく一度、学校へ向かって。そこにタクシー回しておくから、それで駅に…』
羽がこれからどうしたらいいかを説明してくれるが、途中で言葉が切れる。すると、羽姉とは違う教師の声が小さく聞こえてくる。羽は誰かほかの教師と話しているのだろうか。
陸は疑問符を浮かべながら、羽の次の言葉を待つ。
『もう一人、遅刻した子がいるらしいから。その子と一緒に来て。もう遅れちゃダメだよ?』
「…はい」
羽との通話を切り、言われた通りに学校へと向かう陸。
さすがにこれ以上遅れるわけにはいかないため、カバンの位置を直しながら駆ける。
十分ほど走ると、視界に校舎が見えてきた。
(…ん、あの車だな)
残り百メートルで校門という所で、校門前に止まっているタクシーが見えた。
恐らくそれが、羽が言ったタクシーだろう。
(もう一人いるって聞いたけど…、まだ来てないみたいだな)
羽曰く、陸の他にもう一人、遅刻した生徒がいるという。
陸はタクシーの傍らで立ち止まり、辺りを見回して探すが人の姿は見えない。
(…ここで立っててもな。先に車内に座ってるかな?あ、それだけでも金取られたりすんのかな?)
先にタクシーに乗ってしまおうか、どうしようか、悩む陸。
「…あれ!?」
すると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。陸は思考を切って、声が聞こえてきた方へと振り返る。
「な、何で…?」
「…小咲」
そこには、ここまで走ってきたのだろう。頬が紅潮し、息を切らせた小咲が立っていた。
(もう一人遅刻した人って…、小咲の事だったのか)
こちらを見てくる小咲と陸の目が合う。
そのままじっと、視線を合わせたまましばらく、二人は動きを固まらせたままだった。
ともかく、タクシーに乗った二人は凡矢理駅へ辿り着き、陸が二人分の切符を頼んでいた。
(こっから京都まで二時間ちょい。…今頃、楽たちは静岡辺りか)
本来の集合時間は六時。陸たちが乗る予定の電車は七時発。
(向こうで先生が待っててくれるらしいし、午後のスケジュールには間に合うだろ)
切符を買い、電光掲示板を見上げながら考える陸。そして、買った切符を小咲に手渡す。
「あ、ありがと…」
「…」
お礼を言う小咲。それに対し、いつもならばどういたしましての一言でも口にする陸だが、何故か今は何も口にしない。
それだけでなく、二人の間に流れる空気がどこかぎこちない。
((…気まずい))
そしてその事は、何よりも陸と小咲がわかっていた。
こうなった原因も経緯も、二人は全てわかっている。
(…はぁ。あのバイトから、陸君と一言もしゃべってないよ…)
電車に乗り、隣で座る陸の横顔を横目で見遣りながら内心で呟く小咲。
そう、この気まずい空気が流れ始めたのは、先日のあのバイトの日。
正確には、不本意ながらも混浴をすることとなった、露天風呂での会話を終えた時からである。
あれから二人は一言も言葉を交わしていない。
何度か廊下ですれ違ったり、他に楽やるりたちもいたものの、一緒に帰ったりもした。
だがその間も言葉を交わすことはなかった。
(…はぁ。完全に俺のせいだよな…)
小咲と同じように、心の中で呟く陸。
そう、この事態は完全に自分のせいだ。自身と小咲の間に気まずい空気が流れているのも、小咲が悲しげにしているのも全て自分のせいだ。
自分のせい、なのだが…。あの言葉だけは認められなかった。認めることはできなかった。
傍から聞けばどれだけ下らなくても、陸にとっては大きな言葉。
(でも…、やっぱり責任感じてるよな。感じてるんだよなぁ…)
俯いている小咲をちらりと見遣る陸。その悲しげな表情は、陸の予想が正しいことを裏付けていた。
(どうすりゃいいんだ…)
ここで謝ったって、根本的な解決にはならない。
ならば、自分がどう思ったかを説明すればとも考えるが、それをするとなると、これまでの自分の過去を説明しなければならない。
それだけは避けたい。
『名古屋、名古屋ー』
あれこれ考えている内に、気づけば新幹線は名古屋に着いていた。
ここまで来れば、京都まであと一息といった所なのだが…、ちなみにここまで、二人の間で会話はただの一度も行われることはなかった。
新幹線が発車するのを待つ。すると、車内にチャイムが鳴り響いた。
『お客様にお知らせします。当新幹線は、強風のため一時運転を見合わせます。大変ご迷惑をおかけしますが…』
「「え」」
突然の知らせ。それも、陸と小咲にとってはかなり悪い、運転見合わせという知らせ。
「そういえば、季節外れの台風が来てるってニュースが…」
「…このままじゃ、運休の可能性もあるな」
「えぇ!?」
下手をすれば、修学旅行に参加できないという事にもなりかねない。
新幹線に乗ってから初めての会話をしながら、どうするべきか陸は考える。
(俺だけなら別に、運休になっても羽姉に知らせてそれまで。でも別にいいんだけど…。小咲はそういう訳にもいかないよな…)
自分だけなら、修学旅行に不参加でも仕方ないかで済ませることができる。
だが、小咲はどう思うだろう。間違いなく、がっかりする。相当なショックを受けるに違いない。
「…小咲、他の電車に乗り換えるぞ。在来線ならまだ動いてるはずだ」
「え…、でも、先生に相談した方が…」
「早くしないと、台風がもっと強くなる。そしたら間違いなく、電車全部運休になる。…修学旅行、行けなくなるぞ」
「…うん。分かった」
小咲の言う通り、教師に連絡を入れるのも一つの手だろう。
だが、相手が天候となると教師でもどうする事もできない。さらに今は一刻を争う。
だったら、すぐに行動に出るのが吉だろう。
陸と小咲は新幹線を降り、そのまま在来線へと移動して京都を目指す。
「何だか、凄い旅になっちゃったね…」
「そうだな…。まさかこんな事になるとは…」
あまりの事態に、先程まで流れていた気まずい空気はどこかへ飛んでいってしまった。
隣に座った二人は、いつもの調子で話しながら電車が京都へ着くのを待つ。
「…あれ?」
「…止まったな」
だが、まだ京都どころか途中の駅にも着いていないというのに、突然電車が停止してしまった。
そして直後、車内放送が流れた。
『お客様にご連絡します。現在、前方の線路に熊が侵入したため、緊急停車しております』
((熊!?))
さらに、安全が確認されるまで運転を見合わせると続けられる。
つまり、いつ再発進するか見当がついていないという事だ。
「これ、結構時間かかるぞ…」
「ど、どうしよう…」
「…こうなったらバスだ。バスに乗るぞ」
すぐに決断を下す。陸と小咲はバスの路線を確認し、京都へ行くバスに乗り込む。
「多少時間はかかるけど、さすがにもう…」
陸はここで、迂闊な言動をしてしまった。途中で言葉を切り、陸は目を見開く。
その直後、ぷしゅー、という煙が吐き出されるような音が響き、ゆっくりバスの速度が減少していく。
そして遂に、バスは停車した。
『…申し訳ございません。エンジントラブルが発生し…』
「ば、バカな…」
確かに、まさかと思って言葉を止めようとしたが…、本当にフラグになってしまうとは。
陸と小咲は先程と同じようにすぐに決断する。
「まさかタクシーに乗る事になるとはな…」
「ここまで来ると、もう何があっても驚かないね…」
「…小咲。それもあかん」
「え?」
この会話から、およそ三十秒後。カーブを曲がり切れず、タクシーが道路からはみ出し、木に衝突して止まってしまった。
「いやぁ、最近こういう事が多くて…」
((多いの!!?))
幸い、陸も小咲も運転手にも怪我はなく。だが、運転していた老人の言葉に陸と小咲は驚愕した。
もう、運転しちゃダメだよお爺ちゃん。
「てかやべえよこれ。…このまま待つしかないか?」
ここまでトラブルが続くとは。こういうのは漫画の世界だけに起こるものとばかり思っていた。
だが現に、それは起きている。
二人は選ばなければならない。ここで助けが来るのを待つか、それとも再び何かしらの行動を起こすか。
「すっかりお昼も回っちゃったし…。もしかして今日はこのまま、京都に着かないかも…」
「っ」
不安を含んだ小咲の声が聞こえる。
(てかおかしいだろ。何で起こした行動が次から次へと裏目に出るんだよ…)
今日ほどついていない日は初めてだ。
…何かそう考えたら、イライラしてきた。
どうしてこうなった。神様はそこまで自分たちが京都へ行くことを拒むか。
「あああああああああ!もうキレた!こうなったら何が何でも京都へ行ってやる!神なんかクソ喰らえだ!」
「え?え?陸君?」
突然叫び出した陸を、戸惑いの目で見てくる小咲。
そして小咲の視線を受けながら、陸は荷物を漁ってとある道具を取り出す。
それは─────
「…いやぁ、まさかこんな山奥で学生さんを拾うたぁ思わなかったぜ。君たち、どっから来たの?」
「えと…、凡矢理市から」
「凡矢理!?遠くない!?」
軽トラックを運転する男性と話す陸。そう、陸があの時取り出したのはペンとノート。
陸が起こした行動とは、ヒッチハイクだったのだ。
その結果、そう時間も経たない内に、今乗っている軽トラックの運転手が快く乗せてくれた。
まぁ、中には入れず、外の荷台に乗るという条件がついてきたが。
「良かったね。親切な人に拾ってもらえて」
「まさか修学旅行でヒッチハイクをする羽目になるとは思わなかった」
無事、ヒッチハイクに成功した二人が安堵の息を漏らしながら言葉を交わす。
しかし今二人がいる場所は結局は外。それも冷えてきた秋、さらに走る車。
「…クシッ!」
「…ごめんな。寒いだろ」
陸が着ていた制服の上を、小咲に貸してはいるがやはり寒いようで。
くしゃみをした小咲に謝罪する陸。
「…ぷっ、くすくす」
すると、陸が謝罪した直後、小咲が噴き出し笑い始めた。
「?何笑ってんだ?」
「だ、だって…」
突然笑い出した小咲に戸惑いながら陸は問いかける。
その問いかけに、小咲は微笑みながらこう答えた。
「だって、おかしくて…。こんなにトラブル続きで、はちゃめちゃでヘンテコな旅。他じゃ絶対に味わえないもん」
呆然と小咲の言葉を聞き続ける陸。
その陸の目の前で小咲はさらに続ける。
「私、すっごく楽しいよ?それに陸君が一緒だから…、全然不安じゃない」
「…」
ぽかんと口を開けて、目をまん丸くして、そして頬がわずかに染まる。
本当に狡い。というより、どうしてそんなことを思えるのだろう。
先日、あんな下らない事でへそを曲げて、勝手に相手から避けて。
そんな自分に、どうしてそんな顔ができるんだろう。
「小咲」
「ん?」
「…ごめんな。ずっと、俺の勝手で…。小咲、嫌な思いしただろ」
「あ…」
どうやらすっかり忘れていたらしい。事実上、自分たちは喧嘩状態に近かった事を。
まぁ、それだけこのトラブル続きが小咲にとって衝撃的だったという事だろう。
「…ううん、気にしてないよ。私だってきっと、陸君に嫌な事を言ったんだよね?…ごめんなさい」
「っ…」
全部自分が悪いのに。それなのに、小咲は謝ってくる。
本当に、自分が情けなくてしょうがない。
「…ありがとう」
こんな情けない自分を許してくれてありがとう。
きっと知りたいだろう、陸の心に触れた言葉について聞かないでくれてありがとう。
自分に、笑ってくれてありがとう。
「よし、こうなったら京都に行くぞ。今日中に辿り着いてやろうぜ」
「うんっ、がんばろーっ」
暗い話を止め、ちょっと大げさに京都へ辿り着く宣言を行う陸。
その陸のノリについていき、小咲も片腕を上げながら声を返す。
「…なるほど、愛の逃避行ってやつか」
「違います!」
「…」
このやり取りをずっと聞いていた運転手が、温かい笑みを浮かべながら言い、即座に小咲が否定する。
会話をしなくなったのはつい先日からなのに、こういうやり取りが懐かしいと感じてしまう。
(やっぱり良いよな…、こういう感覚)
顔を真っ赤にさせながら、もうっ、と恥ずかし気に憤慨している小咲を見ながら陸は思う。
こうして、大切な人の傍にいられることの心地よさに、陸は限界を先延ばししてしまうのだった。
「…ん?」
「…あれ?」
ちなみに、陸と小咲の不運はまだまだ終わっていなかった。
突如、二人が乗っていた軽トラックが止まる。
「…やべ、エンストしたっぽい」
「「!!!?」」
もう、今いる山さえ下りれば京都という所まで来ていたのが幸いだった。
二人は結局最後の手段、徒歩という手段を選択するのだった。