そして今回、短いです。
新学期が始まってから三週間。
あっという間に時間は過ぎていき、本番の文化祭は間近に迫り、劇の練習も本格的になっていた。
劇に使う器具を作る人、衣装を作る人。
そして陸や小咲たち、劇に出演する人に分かれてそれぞれ準備を進めていく。
「おお、ジュリエット…。僕の瞳には最早、君しか映らない…」
「え…あ、う…」
「…はいカットー」
陸が、手を差し伸べながらセリフを言うが、対する小咲は頬を染めて動きを止めてしまった。
練習が始まって当初から小咲はこんな調子だ。
その手に台本はないため、セリフは覚えているようだが…、こういうロミオが言う告白染みたセリフを陸が口にするとこの通り顔を赤くして固まってしまうのだ。
「小咲、恥ずかしいのはわかるけど…、頑張ってくれよ。もうすぐ本番だしさ」
「う、うん…。わかってるんだけど…」
もう、本番まであと数日しか残っていない。
陸は苦笑を浮かべながら小咲にエールを送る。
「まあまあ陸、とりあえず練習はここで区切りを入れよう。お前たちには少ししてほしいことがあるからね」
「してほしいこと?何だよ集」
外はまだ明るい。それなのに練習に区切りを入れると言い出した集を不思議に思い、陸が問いかける。
すると集は右手の人差し指を立てて、チッチッチ、と横に振る。
「二人だけでなく、役全員にはこれから…。お楽しみ、衣装合わせをしてもらう!」
集が衣装合わせをすると言ってから五分後。
教室の扉が開き、中に西洋風の、まるで貴族たちのパーティにでも行くかのような整った服を身に着けた陸が入る。
「おお陸。良く似合ってるじゃないか」
「楽…、お世辞は言わなくていい」
整った格好をした陸を見た楽が、にや着いた笑みを浮かべながら言う。
陸は目を細めて楽を見ながらうんざりしたように返事を返した。
「しかし、これが手作りか…。凄いな…」
「いかにも!作ったのはウチの手芸部員たちだが、材料集めには俺も一役買ってるんだぜ?」
「へぇ~…」
楽から視線を外した陸が、身に着けている服を眺める。
今着ている服は、お店で買ってきた代物ではない。同じクラスの生徒が作ったのだ。
手芸部員なのだから多少の裁縫は出来ると思ってはいたが、ここまで本格的な服まで作れるとは予想できなかった。
集が色々劇のために自分がしてきたことを自慢しているように胸を張りながら説明しているのに耳を傾ける。
すると、女子が着替えるためにカーテンで区切られたスペースの奥から女子たちの声が聞こえてきた。
「え~~~!?何故私の衣装がないのですか!?」
「だって橘ちゃん代役でしょ?丈は寺ちゃんに合わせるよ」
どうやら、区切りのカーテンの奥では小咲の衣装合わせが行われている様だ。
自分と同じ主役の彼女が着る衣装…、気にならないと言ったら嘘になってしまう。
とここで、区切りのカーテンがぱっと開かれる。
奥から現れるのは、白いフリルのついたドレスを身に着け、髪の毛を背中まで降ろした小咲の姿。
「あ…」
「陸君…」
小咲が現れた瞬間、陸だけではなく劇の準備を進めていた者たち全員が動きを止めて小咲の姿に目移りする。
その身麗しい姿に、目が釘付けとなる。
「えへへ…、似合うかな…」
「え、あ…ああ。似合ってる、よ」
首を傾げながら笑みを浮かべて小咲が陸に聞いてくる。
何とか小咲の問いかけに答えることができた陸だが、今の小咲を前にして体が硬直していた。
顔が熱くなり、心臓がいつもよりも高鳴って、原因がわからず頭の中は混乱する。
今まで、こんなことは一度もなかった。
人を目の前にして、ましてやこんな少女を目の前にしてこんなにも緊張して動けなくなることなど一度もなかった。
「陸君もその衣装、似合ってるね。かっこいいよ」
「っ!あ、あぁ…。ありがとう…」
褒められて嬉しかったのか、陸にはわからないが小咲は満面の笑みを浮かべて陸の服装を褒める言葉をかける。
(か、かっこいい?俺が?は?)
周りがカッコいい、と囁いているのを耳にしたことは何度かある。
これでも女子に何回か告白されているし、そういう風に思われているのかなという自覚といったら変だが思いもある。
だが、こんな面と向かって言われたことはなかった。
こんな風に向き合って、笑顔を向けられて言われたことなど…。
(…ん)
どこか舞い上がった気持ちを持っていた陸だが、不意に視界に入ったある光景によってそんな気持ちは一瞬でどこかへ消え去ってしまう。
ある光景とは、今教室の扉の傍に隠れるようにして立っている楽の姿とそんな楽に気づきながらも何も言わずに去っていく千棘の姿。
あの旅行の日からもうひと月近くたつというのに、二人の関係は全く回復の兆しが見られない。
(…今は、劇の練習に集中だ)
楽の方に向けていた視線を前へと戻して気を取り直す。
楽と千棘も気になるが、今はもうすぐやってくる文化祭に集中しなければ。
何ていったって主役なのだ。今までやって来たチョイ役とは訳が違う。
陸は教室から出て男子トイレの個室の中に入り、合わせが終わった衣装から制服に着替え、再び劇の練習を始めるべく教室へと戻っていくのだった。
しかし翌日、そんな陸の決意を揺るがす事態が起こるのである。
(…やばい。これはやばい)
まず陸は事態が起こる前から危機感を感じていた。
教室の窓の外、そこに立つクロードがナイフの腹で掌をぺシぺシ叩きながら楽に眼を飛ばしていたのだ。
これは完全に怪しまれている。疑われている。仲が拗れてしまったのではないかと、少なくともクロードは確信を持っている。
陸が見守る中、冷や汗をかきながら楽が教室から走り去っていく。
恐らく千棘を探しに行ったのだろう。
(さて、これで仲直りできるか…。まあ、何だかんだで仲良い二人だし心配ないとは思うけど)
あの二人に関してはあの二人の問題である。他人が手出しすることではない。
何があったのかは結局話してくれなかったが、少なくとも他人が手出ししていいような問題ではないと陸は思う。
今はあの二人を信じて、陸は劇の練習、本番への仕上げを進めていく。
「なあ陸、ここもっと感情込められないか?この場面は、ジュリエットに会いたくて仕方がない時なのに、召使がロミオの前に立ちふさがってるんだ。もっとこう…、そこをどいてくれっていう苛立ち?」
「何で疑問形なんだ…。まあやってみるけど」
集と二人で台本を見直しながらここはこうした方が、ここはこのままの方が良い、などと話し合う。
小咲の方もクラスメートの女子と共に台本を見直している。
皆、文化祭に向けて必死に準備を進めている。
そんな中、あの二人の中がさらにこじれていることも知らずに。
パン────────
それは、突然、嫌に響き渡った。
皆、動きを止めてその音のした方へと目を向ける。
音がした方は廊下だ。教室の中に、先程のような音を発するものはない。
教室の窓を開けて、皆が廊下の様子を見る。
「楽…?」
廊下に立っている二人の内の一人の名を呼ぶ陸。
窓を開けて飛び込んできた光景は、呆然と立ち尽くす楽と手を振り切った体勢で動きを止めていた千棘の姿だった。
皆が見つめる中、千棘はすぐに反転してその場から立ち去っていく。
「…悪い陸。少し外すわ」
「あ…、楽っ」
そして楽もまた、千棘とは逆の方向へと姿を消していく。
陸は楽を一度だけ呼び止めたが、楽が止まらないのを見てすぐに諦める。
何があったのだろうか。
楽が教室を去ってからのわずかな間、一体何があったのだろうか。
この日、家に帰った後、陸は楽に問いかけたのだが決して答えようとしなかった。
また謎が増えてしまったが、一つだけ、楽と千棘の仲がさらに拗れてしまったという事だけはわかる。
楽が何かしたのか、それとも千棘が何かしたのか。
わからないことだらけだが、それでも文化祭本番の日は近づいていく。
劇の準備も、着々と進んで行く。
そして、文化祭までの数日は飛ぶように過ぎていき、楽と千棘の間に流れる空気は最悪のまま
文化祭当日を迎えることとなる。
本当はもう少し進める予定だったのですが、何かすごく長くなりそうだったので区切りのいいところで切りました。
さて、次回は遂に劇が始まります。
陸と小咲は劇を成功させられるのか?
楽と千棘は一体どうなってしまうのか?
文化祭編が本格的に動き出します!