英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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蛇の瞳

 「それじゃ、私達も行きましょうか」

 「ああ、それはいい、んだけどさ」

 「? 何か疑問でもあるの?」

 シオン達、ティオナ達と別れ、鈴を後ろに移動させて歩いていたティオネが足を止め、首だけ振り返させる。

 「いや、あたい達は走らなくていいのか? って思ってね」

 ここまで十分、ずっと歩いていた鈴が複雑そうに言う。恐らく他の四人は走っているだろう、それがわかるだけに、まるで楽をしているかのような今の状況が受け入れ難い。

 だが、ティオネは逆のようだ。目を細め、どこか呆れているように言った。

 「……私がわからないとでも思ってるの?」

 その静かな、しかし力強い声音に秘められた迫力に気圧され、一歩下がってしまう。ティオネは下らないとばかりに鼻を鳴らし、鈴が持っていたバックパックを奪って自分で背負った。

 「疲弊した状態で走らせるような奴はただのバカよ。……それとも鈴、妙に疲れてるのに自分で気付いてないの?」

 「それは」

 気付いていない、とは言えなかった。隠していたはずの疲労を見抜かれたのだ、嘘も即座に暴かれると考えて然るべき。

 出来るのは黙る事ぐらいだったが、肯定しているようなものだった。

 「シオンが持ってこさせた、その刀が原因なんでしょうけどね。理由はわかんないけど、何でかこう、近寄りたくないと思わせられるし」

 言って、鈴の持つコテツではない刀――確か、オロチアギト、とか言ったか。奇妙なまでの威圧感を迸らせるそれを片目で見やる。

 無意識に距離を取っているティオネでこれだ。そんな物を常に持ち歩いている鈴は、肉体的な物ではなく、精神的な疲労を重ねている事だろう。

 「歩いて回復するとは思えないけど、ま、走り回るよりは楽でしょ。しばらくボーッとしててもいいわよ。警戒は私がしておくから」

 そもそもティオネが鈴と組もうと思ったのは、これが理由なのだし。戦闘ではなく、むしろ行動中のサポートをするのが役目だろう、と。

 「……いや、大丈夫さ。心配してくれるのはありがたいけど、これについては自分が一番よくわかってるからね」

 「そ。ならいいわ。こっちで勝手にやるから」

 言葉を重ねる方がむしろ失礼だと判断し、ぶっきらぼうに言葉を終える。言葉だけを捉えればかなりおざなりだが、その真意が分かるだけに、鈴は苦笑するしかない。

 礼を述べても、彼女は多分受け取らないだろうから。

 彼女の好意に甘えて、鈴は少しだけ意識を散慢とさせる。瞑想で心を落ち着かせ、だがもし何かに襲われてもすぐに反撃できる程度に意識を拡散。

 幼少より培われた心の在り方は、座らず歩いている状態でも真価を発揮する。むしろ、普段よりも反応が良くなる可能性さえあった。

 研ぎ澄まされた刀が、鞘から抜き放たれる瞬間を待っているかのような――。

 そんな緊張を背後から感じてしまい、ティオネはちょっとだけ、背中が落ち着かなかった。

 とはいえティオネも一流に近い冒険者。その状態にすぐ適応し、むしろ慣れたモノと、安心して背中を任せられるかのようにリラックスした状況に変える。

 恐らく今二人がモンスター、あるいは人に襲われても、あっさり勝てるだろう。それくらい心が落ち着いていた。

 だからだろう。

 「……あら」

 二人の前には、あっさりと目的地に繋がる空洞が広がっていた。

 「モンスターにも出会わなかったし、これは運が良かったと見るべきかしらね」

 言いつつ落ちないように片膝を付き、縁に手を置いて下を覗き込む。周囲の音を見逃さないよう耳を立てておくのを忘れない。

 「……人ね。それも結構多い。二、三パーティ、ってところかしら」

 大体四人か五人を一パーティとして、下にいるのは大凡十三人くらいか。

 さて、とティオネは頭を悩ませる。アレが味方、あるいは中立の人間なら問題はない。このまま飛び降りても問題無く接触できるだろう。

 反対にアレが敵対側の人間だとどうしようもない事態になる。鈴は未だLv.2であり、ティオナ自身もLv.3だ。

 たった二人であの人数に対抗できると考えるほど、自惚れていない。敵対を前提として考えるなら、先手必勝、奇襲を行うのが勝利するために必須の行動だった。

 だがその場合、もし彼等が味方、中立側だったらこちらは完全な悪役。事情も聞けないし、最悪こちらの名前がバレて【ロキ・ファミリア】の看板にも傷を付ける事になるだろう。心情的にも無抵抗な相手を殺したくはない。

 いっその事彼等がどこかへ行っていなくなるのを待つか、こちらが別の場所に移動するか……そちらの方が現実的か、と判断したティオネは立ち上がる。

 「鈴、少しの間だけ待ちましょう。彼等がいなくなれば降りる、そうでなければ別の場所に移動を……ちょっと鈴、聞いてる?」

 「聞いてるよ。ティオネ、ちょっと周りの警戒を頼むよ」

 「は? あ、ちょっとっ。……もう」

 言うなり鈴は先程のティオネのような体勢に移ってしまう。一つ違ったのは、刀を少しだけ鞘から抜き放つと、その柄に添えるように手のひらを乗せたことだ。

 ――まるで、獲物を狙い定めて、一息に殺すかのような姿勢。

 心なしか、彼女の存在感が増しているような気さえする。もう一度声をかけようかと思ったティオネだったが、多分、今の鈴には聞こえないだろう。

 素直に諦めて、彼女が言うように周囲の警戒を始める。

 時間にして一分にも満たない時が過ぎると、鈴は柄から手を離して穴から数歩下がり、立ち上がる。

 ――……アレ、確か摺り足、だったかしら。

 腰を落とし、片膝を立てた状態でありながら淀みなく動いていた鈴に感嘆の息を零す。相手の距離感を乱すのに便利そうだ、と率直な感想を思いつつ、鈴の言葉を待つ。

 「ティオネ、あいつ等とあたい、どっちを信じる?」

 「ハァ?」

 ただ、飛んできたのは全く想像していなかったモノ。思わず怪訝を超えて、バカにしているのかという怒気さえ滲ませた声を出してしまった。

 ……だが、それもすぐに引っ込んだ。

 鈴の真剣な顔は、真っ直ぐに射抜くような視線は、ティオネに冗談でも茶化している訳でもないと、雄弁に語っていた。

 だから、ティオネも簡潔に返した。

 「アンタに決まってんでしょ。……何やらかすのか知らないけど、いいわ。終わるまで着いていってあげるわよ」

 ただし、終わった後の説明で納得が行かなければ、そこから先は知らないが。そんな言外の意図を獰猛な笑みに乗せたティオネを、鈴は最初呆然と、次に苦笑と呆れを同時に浮かべた。

 「臨機応変に対応してくれ。ティオネならできるだろ?」

 「投げるわねぇ。いいわ、任されてあげる。背中くらいは守ってあげるわよ」

 その言葉を背中に、鈴は思い切り飛び降りた。

 ああ、やはり信じられる仲間はいいものだ――そんな、切ない思いを心に滲ませながら。

 

 

 

 

 

 ドン、という重量のある物が落ちた音が二度響き渡る。そちらを警戒しつつ目をやると、幼い少女――容姿端麗、将来的には美女になるだろう程の――が二人、立っていた。

 一体どこから、と思ったが、すぐに真上を見て納得する。あそこから飛び降りて来てしまったのだろう、と。

 仲間の内、女性の一人に目を向ける。それで察してくれたのか、彼女は仕方ないと言いたげながらも対応を請け負ってくれた。

 「運が無いね、あんたらも。今ここがどういう状況なのかわかってんのかい?」

 「いえ、実はモンスターに襲われ、仲間からもはぐれてしまって……。モンスターから逃げるために慌てて飛び込んだんです」

 少女の片割れ、恐らくアマゾネスだろう方が答えた。

 「もしかして、今この階層は危ない、のでしょうか」

 「ああ、危険も危険、超が付くほどのね。あたしらがこうして大人数で固まってるのもそのせいだからね」

 言って、全員の装備を見せるように半身になる。実際、良く見ればわかるが、彼等の装備は数人単位なら統一性があったが、全体で見ればバラけている。例え幼くとも、ここまで来れるパーティならその意味を察せられるだろう。

 少女もそれはわかったのか、小さく頷いた。次いで、申し訳なさそうに言う。

 「すいません、軽くでもいいので、事情の説明を頼めませんか?」

 「そりゃそうか。ま、そんくらいはタダでいいさ。普段だったらコレを貰ってるところだ、サーピスだよ?」

 片目を瞑って笑顔を作り、右手での親指と人差し指で丸を作る。イヤに気取った態度だが、様になっているのは彼女の気性故だろう。

 それから彼女にはいくつかの情報を貰ったが――覚えるべき点は二つだろう。

 『闇派閥』の暴走と、それによる人とモンスターの入り混じった闘争。要約すればそれだけになる。

 「なるほど、それで出来るだけ大人数になって、モンスターや『闇派閥』の襲撃に対して備えよう、という事ですか」

 「そういう訳さ」

 納得したように頷くと、彼女はチラリとずっと黙っているもう片方の少女を見る。服装や顔立ちから恐らく東の人間なのだろう。黙っているのは引っ込み思案だからだろうか。

 視線を向けられた東洋の少女に顔を向けると、彼女はあらぬ方向へ視線を動かす。それから黙ったまま頷いて、柄に置いた手を放し、腰に差した二本の刀を叩いた。

 それを確認するとアマゾネスの少女は、眉尻を下げてお願いを言う。

 「あの、できれば、で構わないのですが……私達も仲間に入れて貰えませんか? 他の仲間からははぐれたままですし、この状況を二人では……殺されてしまいます、から。戦力的には十分だと思いますし、足手纏いにはなりません!」

 血の気の引いた、どことなく青い顔で少女は頭を下げる。それを見下ろし、どうすると言いたげに請われた女性は仲間を見やる。

 「おう、こんな小さな女の子を見捨てる方が男が廃るってモンだぜ。戦力にならなくても守ってやるのが大人の男だろうさ」

 「何だなんだ、お前小さな女の子が好きなのか? それとも青田買いか? やめとけ、お前じゃ相手にされねぇよ」

 「ンだと!? 格好つけてるのは認めるが、流石に年の差をなぁ――」

 ハァ、とバカな男共の態度に額を押さえる。

 「ガキばっかで悪いね。でもま、異存は無いらしい。あたしも文句はないよ。ただし! 戦えるってんなら、必要な時は容赦無く働いてもらうから、そのつもりでいな!」

 「あ、ありがとうございます!」

 少女は一度頭を上げると、もう一度深々と頭を下げる。そしてまた頭を上げると、手を差し出してきた。よろしくしたい、という事だろう。女性は口を緩めると、握手をするために前に出た。

 だが、そのためか東洋の少女が少し横に動いてしまう。それを察したアマゾネスの少女がもう一度頭を下げようとする前に手を掴み、上下に振る。

 無理矢理ぶんぶんとやったせいで、少女はちょっと痛そうにしていたのを、からからと笑いつつ女性は気付いた。

 「ああ、そういえばお互い名乗ってもいなかったね。あたしは――」

 そこで、言葉が止まる。

 「おいどうした、まさか自分の名前を忘れるなんてバカな事、は……あ?」

 あまりに不自然な止まり方に、やり取りを見ていた一人が近寄って肩を叩いた。

 その衝撃が、始まりだった。

 ――()()()()()()()()()()()()

 「な!? ハァ!?」

 目の前で首が落ちた事に目を見開き、思考が停止する。その顔に、綺麗な断面図から吹き出た血の噴水が降り注いだ。

 ドサリ、と崩れ落ちる女性の体。それを呆然と見下ろし――それが、最期の光景となった。

 白刃が、煌く。

 今度は縦に両断された死体が、内蔵を撒き散らして血の海に沈む。

 それを、生み出したのは。

 先程まで黙りこくっていた、東洋の少女だった。

 

 

 

 

 

 「鈴? アンタ、何してんの!?」

 アマゾネスの少女が目を見開いて叫んだ。交渉事には疎い彼女に代わり、情報を引き出し、仲間として行動できるところにまで漕ぎ着けたのだ。それを無かった――どころか、改善できないレベルにまで悪化させられた。

 慌てて距離を取る。鈴の近く、ではない。先程まで交渉していた、彼等の方へ。

 「お、おい嬢ちゃん! いきなり何してくれやがった!」

 「わ、私は知りません! り、鈴が、勝手に……」

 怯えたように言う少女の様子から嘘ではないと判断したのか。男はそれ以上聞くことは無く、鈴と呼ばれた少女に向き直った。

 「まさか『闇派閥』か? 【ファミリア】に長年潜入して信頼を得て、今回盛大に裏切ったっていう奴がいるのは知っていたが……」

 少女に聞かせるように呟く。

 それを聞いて更に顔を青褪めさせた少女が更に距離を取り、一番後ろへ移動する。それを確認しつつ、腰から短剣を引き抜き前に構えた。

 「敵は一人だが、油断するな! 冷静になって制圧しろ!」

 制圧――出来れば殺さず、情報を吐かす。不可能なら殺す。分かりやすい指示だ。腰を落としていつでも前に出れるようにして――それが、彼の命を救った。

 「え?」

 それは、本当に、何気なく零れた本心。理解できない現実を前にした時の声だった。

 横にいたはずの仲間の首が、上半身が、落ちていく。残った下の体から血が溢れ、彼の全身を血で濡らした。

 ――ありえない。

 鈴は数歩先にいる。どう足掻いたって刀が届く距離じゃない。『詠唱』だって聞こえなかった。現実を否定しようとして、けれど、気付く。

 ――最初からおかしかったじゃないか。あの刀は、あの人に当たるはずなかった。

 一人目、女性を斬った時、鈴の刀ではもう一歩分踏み込みが必要だったはず。それがわかっていたから、彼女は鈴が柄に手を置いていても何も言わなかったのだ。

 彼女の肩を叩いた彼も。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「皆、ある程度距離を取って散らばるんだ! 彼女の刀は伸びるぞ!」

 それしかない。あの刀固有の能力、そう考えればしっくりくる。

 あの刀が魔剣なのか、あるいは『不壊』や『切断』のような、新たな属性が付与されたモノなのか。それはわからないが、油断していい相手ではない。

 「制圧は諦めよう。こっちが殺される!」

 ちらりと、殺された三人を見下ろす。彼等はそれぞれ重厚な盾や鎧を持っていた。一息に斬り捨てるなんて、できるはずがないのに。

 それを感じさせない鮮やかな断面が、彼の背筋を凍らせる。

 ――防御しても、意味がない。そのまま斬られる……!

 「回避を重視しよう。特に後衛の人は、できれば程度の援護でいいから」

 ジリジリと距離を詰める。

 射程が伸びる刀は、単純に考えれば近づけばその真価を発揮できない、はず。持ち前のスピードを活かして接近すれば勝てる。

 援護がある、その思考を突いて近づければ――!

 そこまでを一瞬で考えて、足に力を込める。込めようと、した。

 「あ、れ?」

 ポタ、と口から血が溢れる。息が苦しい。呼吸ができない。咄嗟に押さえた首元から、ネチャリという粘着く感触がした。

 そして手には、赤い、アカイ――。

 「く、クび、ガ……?」

 その言葉を最期に、彼の心臓は音を止めた。

 

 

 

 

 

 「後味わっる……鈴、ちゃんと説明してくれるんでしょうね?」

 主に顔と手にベットリと塗られた血にティオネが顔を顰める。そんな彼女の背後には、七人の物言わぬ死体が転がっていた。

 それぞれが同様の手口、首を掻き切られての即死である。御丁寧にちょっとの悲鳴も漏らさないよう、手まで添えて、念入りに。

 そんなティオネだが、当然ながら事情は一切知らない。鈴の様子から、相手を全滅させやすいように動いただけだ。

 嘘を信じさせ、不安がる少女を演じ、仲間に裏切られた少女を演じた。罪悪感は当然あったが、彼等には悪いが鈴を信じたから。

 ただし、事情は説明してもらう。ティオネが納得の行く説明を。

 「待ちな。まだ終わっちゃいない」

 鈴は虚空を睨み、刀を抜いた。コテツ、ではない。今までずっと使わなかった――そして、先程からずっと『柄に手を添えていた』刀。

 「喰いな、『オロチアギト』」

 真っ直ぐ、何かを突くように切っ先を向けた先へと()()()()()

 シオンやベート、アイズが本気を出した時以上の加速。その速度はティオネをもってしても見切れきれず、壁に向かって直進していった。

 それは壁にできた隙間を縫い、『何か』を貫く。

 「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!??」

 その悲鳴から考えるに、人間。

 壁に潜んでいたモノは、ただ隠れていた訳ではないだろう。そんなのんきな思考ができるほど、ティオネはお気楽じゃなかった。

 ティオネが事態を把握している間にも、鈴はオロチアギトを元の長さに戻し、別の隙間に向けて放っていた。それは寸分違わず別の相手を狙い、微かな悲鳴と共に死ぬ。今回は狙いが良すぎたようだ。

 だが、鈴が楽に相手を殺せたのはここまで。二人殺す間に隙間から這い出たのだろう、十人もの人間、エルフ、ドワーフ、獣人――殺した数と合わせて二十五人か――が襲ってきた。

 全員ティオネを無視している。いや、本当は無視したくはないのだろうが、ティオネ以上に鈴を警戒しているのだ。

 あの刀(オロチアギト)を持った鈴は危険過ぎる、と。

 「全員で襲えば殺せる。――甘い思考だねぇ、本当に、さ」

 ギィン、という音が、鈴の()()から響き渡る。上、前後左右、全てからナイフが、短剣が、剣に槌、杖――各々の武装を持って襲いかかってきていた。

 その全てを、鈴のオロチアギトは防いでいた。

 とぐろを巻くように、鈴の全身を刀が包み込んでいる。

 ――あの刀、直進以外にも伸ばせるの!?

 どう見ても湾曲している刀に、見ていたティオネが驚かされる。構造上どう考えてもありえない形をした刀を、鈴は回転しながら一気に振り抜いた。

 その様は、まるで獲物に襲いかかる蛇のよう。

 とぐろを巻いていた体を開放し、一瞬で獲物を丸呑みにしようとする蛇。だが終わらない、まだ敵は全滅していない。

 「『貫きな(アギト)』」

 剣の先が、上下に裂ける。大口を開けた蛇が獲物を呑み込むように。それぞれの刃が、二つの標的を狙って襲いかかった。

 片方は避けて、片方はそのまま体を貫かれ、空中に持ち上げられる。だがそれも、自重によって体を引き裂かれて落ちていった。……それでもまだ生きているのが見えて、思わず目を閉じる。それがどれだけ愚かな行為だとわかっていても。

 感覚で、避けた側も即座に湾曲した刀が貫いたのがわかる。そちら側は恐らく即死した。下手に生き残るよりは余程マシ、なのだろう。

 目を、開ける。

 鈴の顔を、見た。

 ――何、アレ……?

 違う。

 どう考えても、あの『瞳』は、鈴のものじゃない。

 縦に伸びた瞳孔は、人間のそれではなく、先程想起した、蛇の物で――思わず、足が一歩下がりそうになる。それを理解したティオネは苦笑すると、膝を叩いて震えを止まらせる。

 鈴の、いや、オロチアギトの暴虐は止まらない。殺した相手には見向きもしないが、殺しきっていない相手は執拗に狙っている。

 戦意を喪失し、武器を手放しても。死に掛けて、何もせずとも死ぬ相手でも。最後まで戦おうとする相手でも。全て平等に、公平に、死を与えていく。

 ティオネはそれを止められなかった。手助けする事もできなかった。ただ見ている事だけが、彼女にできる事だった。

 それだけが、鈴の仲間としてできる、たった一つの事だったから。

 やがて、敵だった物の全ての動きが止まる。それは鈴の、ひいてはオロチアギトの暴虐の終わりでもあった。オロチアギトの形が元の刀に戻り、鞘へ戻される。

 それを確認して、ティオネは鈴へ近寄った。

 「……それで」

 「ッ」

 ビクリ、と鈴の肩が揺れる。恐る恐るティオネの顔を見る彼女の瞳は揺れていて。……元々の彼女の目に戻っている。

 それを見て内心安堵しつつ近寄るが、鈴は一歩下がった。先程の惨劇を起こした人物とは思えないほど弱々しい反応だ。

 「逃げるな」

 敢えてハッキリと告げて動きを制し、鈴の前で立ち止まる。

 「最初から、全部、私に説明しなさい。今回の出来事も。……その刀の事も」

 鈴は視線を逃がすように泳がせる。だが逃げられない事を悟ると、ゆっくりと瞼を下ろし、諦めるように言った。

 「ああ。……わかったよ」

 

 

 

 

 

 「あたいの刀の名前は、『コテツ』と『オロチアギト』って言うのは知ってるだろ?」

 それが、説明の始まりだった。

 「おかしいと、少しでも思わなかったかい? いや、東洋の人間じゃないならおかしいとは思わないのかもね」

 シオンが気付いたのがおかしいのか、と鈴は笑う。その意味がわからず顔を顰めると、鈴は気にした様子もなく続けた。

 「あたいの国だとね、この刀はそれぞれこう書くのさ」

 『コテツ』――『虎徹』

 『オロチアギト』――『大蛇の顎』

 「気付かない? おかしい、ってさ」

 「あ……これ、名前の付け方がおかしい、わよね」

 そう、『オロチアギト』という名前の付け方は西()()()()()()()だ。だが、鈴は()()()()()。そしてこの二つの刀も、彼女が家から持ち出したもの。

 矛盾している。

 「元々この『オロチアギト』はただの『大蛇(オロチ)』って名前だった」

 その理由は、彼女が生まれる前から存在していた。

 「あたいの家はこれで結構な名家でね。代々『虎徹』と『大蛇』、二本の刀を当主が継承し、振るうのが習わしだった」

 二つの刀にはそれぞれの指標があった。

 『虎徹』はあらゆる物を受け止めることを。

 『大蛇』はあらゆる物を斬り裂くことを。

 それぞれがオラリオでいう『不壊』と『切断』の属性を有しているような刀だった。だが、だからこそ必然だったのだろう。

 「ある時、『大蛇』が折れた」

 あらゆる物を斬れても、己が斬られる事を想定していなかったそれは、折れた。以降、風見家は『虎徹』のみを振るい、折れた『大蛇』は鞘に仕舞われ、表に出てくる事はなくなった。

 ――そう、思われた。

 「だけど、それを直した鍛冶師がうちに来てね。以前の『大蛇』よりも圧倒的に強靭になった」

 鈴自身、幼少から家を出るまで、ずっと世話になった相手だ。今でも尊敬しているし、感謝だってしている。大恩ある相手だ。

 ただ、直した刀には大きな問題があった。

 「詳しくは知らないけど、直すために素材にしたのはある『(へび)』の……多分、牙。あるいは背骨か」

 ――使い手を激しく選別するようになってしまったのだ。

 まるで、刀が(たましい)を持ったかのような。

 かつてシオンが握り、少し鞘から抜いただけで『油断すれば殺される』と判断したのは、決して間違いではない。

 その証拠に、と鈴は鞘から刀を引き抜いた。同時に、鈴の瞳が蛇のそれに変わる。恐らくこの瞳は『オロチアギト』を使っているという証左なのだろう。

 だが、驚いたのはここからだ。

 スー、ハー、と息を吐いた鈴が、肩から力を抜く。

 同時に、刀がピクリと震え――伸びた。()()()()()()()()()

 その刃が、ピタリ、と止まる。そしてシュルシュルと、彼女の意に反するかのように、少しずつ少しずつ、元の長さへ戻っていく。

 元に戻り、鞘へしまった時。鈴の喉元には、一筋の赤い涙が流れていた。

 それを拭う事もせず、鈴はティオネに真正面から向き直る。

 「『オロチアギト』はあたいを認めていない。あたいが少しでも気を抜けば、あたいも。……あたいの大事なモノも、全部殺し尽くす、だろうね」

 正直に言って、まだ出会った頃の鈴があっさりシオンを信じたのは、シオンが『オロチアギトを使わなくていい』と判断してくれたからだ。

 それを鈴は、何より感謝している。……この刀の存在によって、鈴は何度も何度も、思い返すのも嫌な経験を繰り返されたのだから。

 「ま、それでも強力すぎる武器だ。奪おうとして殺されかけた。守ろうとした相手に怖がられて逃げられた。持ってるだけでとんでもなく疲れるし、家から持ってきたのを何度も後悔したよ」

 おちゃらけたように笑う鈴を、しかしティオネは真っ直ぐに見抜いた。彼女の内面を見透かすように。彼女の『本心』を見逃さぬように。

 やがて、ティオネは口を開く。

 「その刀の事情は理解したわ。で、彼等を殺した理由は?」

 「え?」

 まるで刀に纏わる理由はもうどうでもいいと言わんばかりの態度に、肩透かしを食らったかのような鈴は、つい口出ししてしまう。

 「それだけ、かい?」

 目を丸くする鈴に、ティオネは肩を竦めた。

 「言ったはずよ」

 それは、今回の出来事の最初から言っている事だ。

 「私は鈴を信じてる、って。だから、最後まで説明をしなさい。納得できれば、その刀とか、今回人を殺さなきゃいけなかった理由とか。……全部呑み込んで、またアンタを信じれる」

 「あ、う……」

 そう、些細な事だ。

 シオンはもう、欠片も気にしていないだろうが。……ティオネは、かつて彼を、一時の怒りに任せて殺そうとした事を、ずっと後悔している。

 その後悔があるからこそ、今ティオネは、一時の感情に身を任せずにいられる。冷静になれと理性を律していられる。

 あの出来事があったから。――ティオネはきっと、『大きく』なれたのだ。

 「私の『信じる』は生半可な覚悟で言うモノじゃないの。それがわかったら、さっさと続きを言いなさい」




 先週更新できず申し訳ない。金土日は一年の新歓コンパで潰れて書けなかったのだ。正確には日曜日は書けたんだろうけど疲労で寝腐ってました。

 今回はずっと前からあった『オロチアギト』について。性能だけ見ると作中最強と言っても過言ではありませんが、常人が握ると即死します。
 幼い頃から精神修行をしてきた鈴だからこそギリギリ扱えるレベル。というか、この刀を使うために精神修行をしていた、というべきでしょうか。……そんな鈴のような経験をしていないのにギリギリ扱えそうなシオンの経験も推して知るべし。

 あ、あと随分前ですが『ティオネがシオンを殺しかけたのにお互いアッサリしすぎているのが受け付けない』という感想を受け取ったので、今更ながらその点について描写。まぁ、やっぱり軽くしか触れませんけどね。
 シオンはあの頃義姉を殺されて精神的に色々不具合が起きていたので素で気にしていませんが、ティオネは内心結構気にしていました。
 原作のティオネと違い前に出過ぎませんし、なるべく理性的に行動しようとします。というか彼女の場合シオンに配慮した結果今の立ち位置になった、というべきか。

 まぁ語りすぎるのもアレですね。次回もお楽しみに!

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