服を着替える。簡素な寝間着から、ダンジョンに潜れるほど厚い生地の物に。ただし必要以上に厚くない、最低限の物だ。
長袖長ズボン。夏は暑すぎて嫌になるが、ちゃんと肌を隠しておかないと怪我を負いやすいので諦める。
それから胸当て。心臓部分を守る程度の簡素な鎧。ただし鍛治氏として大分有名になってきた椿が作っただけ頑丈な一品だ。
両腕と両足には、細く鋭いナイフを納めたベルトを巻き付ける。モンスターには牽制、人相手には……命さえ奪える、凶器。数が数なので結構な重さになるが、あるのと無いのとでは雲泥の差なので、割り切った。
そして、全身を覆う黒いフード付きローブ。暗闇では視覚に頼るモンスターから姿を隠せるし、休憩中の就寝では床に敷いたり、体の上に乗せて掛布の代わりにできる。内側にポケットを縫ってあるので、ポーションや暗器、携帯食料を持ち運ぶ事だって可能だ。
最後に、自身の身長もある長剣を背負う。剣帯がズリ落ちないように調整。軽くジャンプして確認し、頷いた。
「装備は……これでいいはず。後はティオネが用意してくれたバックパックを持てば行けるか」
小さく呟いて、二度目の確認。こういった命に係わる事柄において、口に出して忘れた事が無いかを確かめるのは重要だ。
まぁいいや、という考えが命を落とす最大の要因になる事は、よくわかっている。
開けていた窓を閉じる。振り返って部屋を見渡し、少しの間だけ、動きを止めた。
アイズは既に部屋に戻って自分自身の装備を整えているはず。だから、誰もいない事が当たり前のはずなのに、どうしてだろうか。
――ああ、そうか。
あそこまで密着して寝るのは本当に久しぶりで……アイズだけじゃない、シオンも知らず知らずの内に、癒されていたのだろう。それが無くなったから、ポッカリと胸が空いたかのような寂しさに襲われたのだ。
小さく頭を振る。これからダンジョンへ行くのだから、感傷に浸る余裕はない。
気を引き締めなおして、シオンは部屋の扉を開けた。
「……うーん」
「何唸ってるのよ、ティオナ」
既にダンジョンを潜り始めて数時間。上層程度のモンスターはもう相手にもならず、足を止める事すらほとんど無い。一応魔石とドロップアイテムは回収しているが、どうせ中層のあの街で二束三文で売ってしまうのはわかりきっていた。
まぁ、そういった積み重ねが大事なのだとわかっている。だからティオネも、面倒臭いが渋々腰を折って拾っていた。
そんな折、ティオナが何か気に食わないと言いたげに細まった目を作った。見ている方向は、見なくてもわかったが。
「シオンとアイズの様子が、おかしいっ」
「そんなこと? そんなの朝からずっとでしょうに」
「気付いてたの!?」
むしろアンタは気付いてないのか、と突っ込みたかった。アイズがシオンの顔を見て、滅多に動かさない表情を、ほんの少し赤く染めていたのはすぐにわかった。シオンもどことなく居心地悪そうにしていたので、多分昨夜何かがあったのだろう。
然程興味は無いが。妹には悪いが、ティオネとしてはシオンとアイズがくっ付いても悪くないと思っている。きちんと祝福できるだろう。
「うぅ、朝はシオンと話してばかりだったから……シオンはすぐにわかったんだけど」
「アイズの事に気付いたのは今さっき、と」
回収する物は取り終わったので、立ち上がる。それを袋に乱雑に詰め込み、口をティオナの方に向けて入れさせる。
両腕で抱きしめたそれを開放しながら、ティオナはまた横目で二人を見た。
「気になる、気になっちゃう……!」
「ダメだこりゃ」
ポンコツ一歩手前状態のティオナに額を押さえる。気になるなら聞けば、と軽く言えないのは、ティオネ自身、フィンがそうなっていたらティオナのようになるとわかるから。
しょうがない、と肩を落とす。
ティオナをフォローできるように注意しておこう、と苦労性の姉は腰に手を当てた。
――意識散漫でありながら、襲ってきたモンスターを叩き潰す姿を見れば、多分大丈夫だろうとは思うが。
一方、一番前を行く鈴は、一番モンスターに襲われていた。とはいえこれは鈴自身が願った事だ。今の彼女から見れば弱い相手ではあるが、それでも多少の糧になる。Lvで劣っている現状、努力しない理由はない。
魔石やドロップアイテムを回収する手間も惜しいと刀を振るう。Lv.5相当の冒険者が使っても劣らない名刀と鈴自身の腕前によって、モンスターの断面図は綺麗な物だ。
……代わりと言っては何だが、断面図から内臓が綺麗に見えるので、慣れない人間が見れば吐瀉物だが。後臭いもけっこうキツい。狼人であるベートとしては、余り近付きたくない死体だった。
「もうちょっとこう、何とかなんねぇのかよ」
「刀に『斬る』以外の何を期待するってんだい?」
言外に諦めろと言われてしまった。思わず顔を顰めたが、言っている事はおかしくないので反論もできない。
そもそも臭いどうこうだって、ダンジョンにいればどうやったって生じる物だ。せめて上層くらいは、というのもベートの我儘でしかない。
ハァ、と息を吐き出して、壁に張り付いてスタンバイしていた奴の頭を貫く。ベートの速度に反応さえできなかったそれは、あっさりと死んだ。
張り付いていた手から力が抜けて、死体が落下する。あまり高さは無かったが、頭から落ちたせいだろう。
真っ赤なザクロが出来上がった。
「……あたいに文句言えた立場?」
「うっせぇ、不可抗力だ」
どっちもどっちな殺し方である。壁を蹴って床に下りながら、軽く付着した血を払う。そこで一度、後ろをチラと覗いた。
「……で、アレどうするよ」
「さーね。微笑ましい、とでもコメントすりゃ満足?」
「使いモンにならねぇから早く修理しときたいんだがなぁ」
ついボヤいたが、ベートも鈴も、あまり気にしていない。十字路や三差路で横合いから襲い掛かってきたモンスターにきちんと反応しているし、受け答えもちゃんとする。
ただ、どうしようもなく、こう……見ていてイラッとする。
最終的に二人は気にしない事にした。
幸いというべきか、先頭だから後ろを振り向かなければいいのだし。
ちなみに四人から色々言われまくっている二人だが、本人達は普段通りにしているつもり……だった。
実際たまにすれ違う同業者は何も気付いていない。単純に、付き合いの長さからわかってしまっただけで。
「アイズ、ほら」
「うん、ありがとう」
魔石を取るときに付いてしまった血をシオンが水で洗い流す。
「あッ!」
「ちゃんと前を見ろ。……でも珍しいな、転ぶなんて」
「ごめんなさい……あと、ありがとね」
ちょっとだけ上を見ていたせいで、石の破片を踏んでしまい、体勢を崩して倒れかけた瞬間シオンが抱き留めた。
自分の腕に捕まるアイズを立たせて、シオンはちょっと驚いた様子を見せる。事実、ダンジョンで転んだ時のアイズなんて余程追い詰められて余裕が無い時しかない。そこを指摘されて顔を少し赤らめながらも油断していた事を謝り、そして支えてくれたことを感謝した。
気にするなと口元を緩めたシオンは、乱れたアイズの髪に触れて軽く整える。何度か髪を梳いて満足したのか、手を離すとベート達との距離を戻すため、若干小走りで駆けていった。
――その一部始終……というか全てを見ていたティオナが、ぐぬぬぬと唸り声を出す。
「ありえない……絶対昨日までの二人の反応じゃないんだよ……!」
「みたいねー。何というか、色気づいたってところかしら」
アイズが『上』を向いていたのはシオンの横顔を見るためだ。そのせいで注意散漫になって転びかけた。そこまではいい。
ただ、その後のシオンの反応が素早すぎる。どう考えても、アイズのいる方に意識を傾けていたとしか思えない程に。
「頭を撫でた時のアイズの顔も! 今までなら全然気にしてなかったはずなのにィ……!」
「そうねー。恋してます、って感じの顔だったわねー」
結論から言おう。
意識的にか無意識的に、二人はお互いを『男』と『女』として見始めている。
やはり昨日の夜。自分達が知らない間に、二人の意識が変わるような『何か』があったに違いない……!
「でもま、それが普通だと思うわよ? シオンはちょっとおかしかったんだし、これで正常に戻るって考えればいいんじゃない」
「それは……そう、なんだけど」
そう、至極一般的に考えるなら、別に何もおかしくないのだ。十歳ともなれば思春期目前、男女の差を感じて接するのに戸惑う時期だ。ティオナとティオネはその辺りが早かったので慣れたものだし、ベートはわかっていて気にしていない。鈴は……また別の事情がありそうだが。
わかっていなかったのは目の前の二人だけなのだ。
ただただ強くなるのを目的にしていたシオンと。
『何か』を探して必死になっていたアイズ。
この二人が、ちょっとでも周りを意識できるようになれば、それはきっと、二人の幸せになってくれるはずだから。
「ていうか、アンタが気に食わないのはシオンに『女』を意識させたのが自分じゃないからってだけでしょ?」
「もちろん!」
「……切っ掛けはアンタじゃなくても、その後は意識し始めたシオンを落とせばいいだけなんじゃないの」
それが一番現実的だと思う。うだうだいじけてないで、いっそ漁夫の利を狙うくらいがちょうどいい。
どことなくアマゾネスらしさを覚えてしまうが……それは仕方ないと割り切ろう。ティオナもそう思ったようだ。
「うん、そうだよね。拗ねてたら手に入る物も手に入らないんだし」
グッと両手を握り締めるティオナ。そして意を決したのか、いつものようにシオンのところへ駆け出し、笑顔でその腕に抱きついた。ただ、今のティオナは身の丈以上に長く重い大剣を背負っている。速度と重さによって勢いを増したそれは、抱きつきというより最早タックルに近い。
そのせいで受け止めようにも受け止めきれず倒れかけたシオンを、慌てながらアイズが横から支えた。
結果的に助かった物の、傍から見るとまるで両手に花。……シオンの容姿から考えると姦しいと見るべきだろうか。
「……ここ、ダンジョンよね?」
呆れたように言っていたティオネの口元は、言葉に反して綻んでいた。
「一応いくつかから聞いたけど、やっぱりアストレアはもう先に行ったみたいね。詳しい事はわからないけど、速ければもう目的地に着いたんじゃない?」
「目的地はどこだって?」
「少なくとも30層。それ以上の事は流石に聞いてないみたいよ」
むしろどこまで行くのか聞けただけでも上々というべきだろう。シオンは軽く頷くと、ティオネに水を差し出した。
今五人がいるのは、18層にある森の中。モンスターが階層内で出現しない、一種の安全地帯だった。ここに着いてすぐティオネに換金と情報収集を頼み、そして今報告を聞いていた、という訳である。
「18層を出たのは半日前か?」
「いいえ、五時間くらい前よ。相手は大人数みたいだし、動きはどうしても遅いんでしょ」
パーティ内で恐らく最も交渉上手な――話し合い、暴力、どちらともという意味で――ティオネのもたらした情報だ。これ以上のモノは出てこないだろう。
――休憩無しで追いかければ間に合うかもしれないが……。
ほぼ一日以上の差を持ってダンジョンに入ったはずだが、ここまで追いつけば良い方だろう。休憩しないで追いかけても、体力が無ければ足手纏いだ。
「昼飯を食べて、三十分休憩。そうしたら出発しよう」
「……随分急ぐのね。ここに来るまでの間もかなり無茶したし」
実はシオン達、1層から18層まで、たったの五時間しかかけていない。本来ならありえない時間である。通常なら、どれだけ速くとも一日近くかかるはずだ。
ダンジョンは1層は狭く、そこからどんどん範囲が広がっていく。言うなれば、一つの町、都市を十八個分巡っているような物だ。モンスターとの戦いもあるが、それ以上に、足で踏破するのに時間を食われる。
遠征で最も注意すべきなのがそこである事からも伺える。距離がある、というのは、どれだけ強くとも覆せない要素だ。
それを覆せたのは単純、ダンジョンの特性を利用しただけ。
「上手く行ったのは偶然だよ。穴の配置が悪ければ逆に遠回りする事になるし」
『穴』。それは本来ダンジョンにある凶悪な罠の一つ。唐突に出現し、数多の冒険者を一つ、あるいは二つ下の階層に引き摺り込み、殺してきたトラップだ。
ただこれは、現階層の現在地と、下の階層の地図を覚えていれば、道を無視してショートカットできる近道にもなる。
シオンの言う通り、下の階層の道筋を覚えていなければ、単なる遠回り、下手すると迷子になりかねない。
ティオネの驚いている点はそこじゃない。
「私が呆れてるのは、シオンの頭によ。まさか1層から18層までの地図を全部頭に入れてるだなんて」
そう、そこである。
先にも述べた通り、このショートカットは、
つまりシオンは――この時点で、都市18個分の、細かい道全てを覚えている、と言い換える事ができるのだ。
「いや、流石にそれはムリ」
が、それは即座にシオンに否定された。
「おれが覚えてるのは主に使う通路だけだよ。そこから外れたら流石にわからん」
「……それはそれで驚愕モノなんだけどね」
「代わりに30層までは覚えておいた。まぁ、穴を使えるのは24層くらいまでになると思うけどね。縮尺を合わせるのも結構面倒だし」
やっぱりおかしい、という言葉が喉元まで出かかる。言われるまで忘れていたが、ダンジョンは階層毎に広さが異なる。これのせいで、穴に落ちる凶悪さが増している一因になっていると言ってもいい。
正直、シオンの最も脅威的な部分はその記憶力と計算力だと思う。下手に小っ恥ずかしい姿を晒せばそれを一生覚えられるのだし。
そんな下らない事を考えてしまったティオネは肩を竦める。敵になったら厄介な手合いでも、味方なら心強い。そう判断して、シオンを見た。
「ま、頼りにしてるわ。リーダー」
「おう、任せろ」
作った拳を軽くぶつけ合って笑い合う。そして肩を並べてベートのところへ向かう。
料理に関しては全くわからないが、火を見たり煮込み具合の確認、かき混ぜるくらいはできるベートはティオナのアシスタントをしている。
「似合わないな、それ」
「うっせぇ、よくわかってら」
それを見たシオンの第一声がそれだった。ベート自身自覚があるようで、鼻を鳴らすも勢いはほとんどない。
「そこだけ切り取ると主夫よね。……ぶっ」
「殴られてぇのかテメェ!?」
「そこ、鍋が無駄になるから騒がない!」
が、思いっきり吹いたティオネは別だ。お玉を持たない片手が唸るほどに握り締めたが、即座に野菜を切り分けていたティオナから鋭く諫められた。
「ティオネも、わざわざベートを挑発しないで。食事抜きにするよ?」
それを軽く笑っていたティオネも、いつもの笑顔が無い妹に睨まれてしまった。
「う……それは、ちょっと……」
「なら素直になる。ほら」
「……。……わ、悪かったわよ」
「……チッ」
ちょっと小さくなって謝るティオネに、毒気が抜かれたベートは舌打ちしつつ、視線を鍋の中へと下ろす。
それらのやり取りを尻目に、シオンは気配を出来るだけ紛らせながら黙々と皿を用意していたアイズのところへ移動した。
そして彼女に、気になっていた事を聞く。
「なぁ、なんかティオナおかしくないか? 余裕無さげっていうか、何というか」
「それで合ってる。今のティオナ、あんまり余裕無いから」
その答えに、シオンは眉を寄せる。よく意味がわかってないシオンに、ティオネはデザートとして森から持ってきた果物……の、ような何かをカットした物を見せる。
「これは……ああ、そうか。そういえばティオナはそうだったな」
一見すれば綺麗に皮だけ切り取れているが、シオンにはわかる。いくつかミスをして、実を抉ってしまった物が混じっていた事に。
次いで思い出す。彼女は刃物の扱いが一番下手な事に。
ティオナの得物は大剣。斬るのではなく叩き潰すのを得意とする武器だ。そのせいで彼女はこういった細かい作業に対してかなり不器用になってしまった。
最近は何故か料理に凝っているようだが、それでもやはり、未熟な点が目立つらしい。味自体はかなり良くなってきたのだが……彼女はそれで満足できないようだ。
「真剣になってる理由はそれだけじゃないんだけど……」
「ん?」
「……。鈍感」
本気でわかっていないらしいシオンを、アイズはジト目で見つめる。まぁ、口で伝えていないティオナも悪いよねと、アイズは知らんぷりで配膳に戻った。
……ちなみに。
食事中、シオンに味を尋ねた乙女がいたらしい。
結果は――満開の花を見れば、誰でもわかるだろう。
情報を集め、心を満たすような食事をし、十分な休憩も取ったので、これ以上いる理由は無いと18層から19層へ。
潜った瞬間、やはり17層以前よりモンスターの密度が増していると実感する。特に一週間以上間の空いたシオンはそう感じたようで、話すのも惜しいと警戒を強くしていた。
だが、ベートのLvが4に上がったこと。そうでなくとも全員の【ステイタス】が底上げされた事によって、ほぼ苦労せずに突破できた。鈴はまだLv不足で危うい点が目立つも、持ち前の技術で何とか捌けるようだ。
途中にある穴を経由し――降りる前に、ちゃんと計算するのは忘れない――どんどん目的地に降りていく。ただこれが通じるのは24層まで。それを過ぎると、ちゃんと覚えた順路に従って1層ずつ降りていった。
そして、26層のラスト。
「……なぁ、シオン。ここが階段、でいいんだよな?」
「……の、はずなんだけどね」
27層へ続くはずの階段、そこで足止めを食らっていた。いいや、この表現は正しくない。正確には、通れなくなっていた。
『それ』を見上げる彼等の額には、疲労以外の事が原因で浮かんだ汗が流れていた。
「……なんだ、
壁というより、瓦礫の山。
それが目の前に積み重なり、壁となり、通せんぼをしていたのだ。
思ったより長くない。ダンジョンでのシーンも同じような内容だと被りますし、冗長なのでバッサリカットしたせいなのですが……。
本当は何か理由付けてリオンかサニアと合流させようかとも思ったんですが、ちょっと御都合すぎるかなとやめちゃったのも一因かも。
ま、リハビリもあるのでお許しを。
次回もよろしくお願いします!