禍根と不安を残しつつも何とか一件落着、さぁ帰ろう、とはならなかった。当然と言えば当然である、シオンは精神的に、ベートとサニアは肉体的に消耗していた。これで無理して地上に行けば愚かなミスをしかねない。
仕方無しに街の宿屋で大部屋を取った。ここで一悶着あり、
「役に立てなかったのですから、私が」
「そもそも二人を連れてきたのはおれなんだから、おれが払うのが筋だろう」
何故かおれが、いいや私が、と言い合う二人を横目に、溜め息をしながらベートが払う、なんて事があった。
未だ目を覚まさぬサニアをベッドに横にさせ、シオンとベートはベッドを背にして座る。比較的体力の余っているティオナは大剣を片手に警戒しつつ、リオンは食べ物を買いに行った。ちなみにこれについては折半となった。
「……この女は大丈夫なのか?」
「一応、命の危険は無いよ。神経と五感を狂わせる毒だから、後遺症が残る可能性はあるけど」
解毒が可能な回復魔道士はおらず、解毒薬も持ち合わせていないため、一時は危うかったが。シオンは軽症だから何の問題もないが、サニアは重度。
あのまま放っておけば呼吸や心臓の鼓動が行えず、死んでいただろう。何とか万能薬を使って体力を補い、心臓の動きがおかしくなったら胸骨圧迫をしたが、後はサニア次第だった。
彼女の『耐異常』がもう少し低ければダメだったろう。
「そうか。お前も毒にかかっているみたいだが」
「まぁ、視界が変になってて気持ち悪いとは思うくらいだ。リオンにも確認してもらったけど、特に問題ないだってさ」
「本当に大丈夫? 私も確かめていい?」
扉の方を気にしつつ、ティオナが近づいてきた。それもそうか、とベートは納得する。想い人が万が一死ぬと考えれば、不安にもなるだろう。
ベート自身若干思うところがあったので、シオンにティオナに確かめてもらえと言うと、いいよと返された。
「それじゃ動かないでね。わかりにくいから」
「ああ」
それを合図に、ティオナは膝を折って上体をシオンの体に近付かせた。そこから、ティオナはシオンの体に両腕を回して、抱きしめる。手で確かめるのかと思ったら、耳を心臓の近くに押し付けていたのだ。
ベートの眉がピクリと動く。だが、声はかけない。意外ではあったが、別に二人がくっつこうと否定するつもりもない。不仲よりはマシだろうし、と割り切っていた。
どちらかというとシオンが反応しない方が気になった。いくら神経がおかしくなっても、『触られた』という感覚はあるはず。
――まさか、気付いていないのか?
気になってベートはシオンの頬に触れ、そこそこの力で抓った。反応無し。次に喉元に手を置いて呼吸しにくくする。呼吸しづらくなっても反応、無し。これ以上はシオンが窒息死すると手を離すと、そのまま正常な呼吸に戻った。
――やっぱりか。こいつ……触覚が消えてやがる。
ティオナが訝しげに見てくるが、手振りで黙れと伝え、それから、確認できたならシオンから離れろと言った。
「……うん、私の感覚だと問題無かったよ」
「それなら良かった。このまま毒が無くなるまで安静にしてればいいか」
そう言い切った瞬間、ベートはシオンの服を掴むと、無理矢理振り向かせる。どこか焦点の合わない二つの瞳を睨みつけて、不思議そうな顔をする憎たらしい奴に言った。
「お前のそれは、毒の影響か?」
「何の、話」
「トボけてんのか本気で気付いてねぇのかはしらんが。お前のその触覚異常のことだっ。さっきから触っても全然反応無かっただろうが!」
そこまで言うと、シオンはしまったと言いたげに顔を強ばらせた。その表情から、一切知らせる気が無かったとわかる。
――いや、そもそも。
この状態、まさかホームにいた時からずっと続いているんじゃ、とまで思い至って、ベートはシオンを見た。
そこには、珍しく目を逸らすシオンがいた。
「テメェ正気か!? 普段口酸っぱくしてダンジョンで無茶するなって言う奴が一番無茶して説得力あると思ってんのか。アァ!!」
シオンは、何も言わない。自覚くらいは、しているのだろう。というかしてもらっていなくては困る。ティオナはよくわかっていないらしいが、シオンが悪いことは理解していた。だから、悲しそうな顔でシオンを見つめている。
ベートはシオンを見る。言い訳一つすらしないシオンを見下ろし――しかし殴りもせずに手を離した。
「……殴らないの、か?」
「殴らねぇよ。もし一人だけでダンジョンに行ってたなら遠慮はしなかったがな。……つーかよくよく考えたら殴っても痛み無いだろうが」
リオンとサニアを頼ってはいたのだ。パーティメンバーの誰にも告げなかったのは業腹ではあったが、舌打ちと共に苛立ちを呑み込む。
「ただし次はねぇ。歯が折れるくらい本気でぶん殴る」
「それは、ちょっと嫌だなぁ」
生え変わっていないところなら問題ないが、生え変わった歯が抜けるのは嫌だ。ズリズリとベートから距離を取ると、鼻を鳴らされた。
と、そこでノックの音がしたのでティオナが出ると、入ってきたのはリオン。彼女は部屋に入るなりシオンとベートを見て何かを察し、
「……何が、ありました?」
「あ、あはは……気にしない方が、いいと思います……」
フードに隠れて見えなかったけれど、多分目を丸くしてるんだろうな、と想像できてしまった。
一日の休息を挟み、シオンは何とか毒が抜け、サニアは目を覚ましたが自力で立つのは難しいという状態まで持ち直したが。
流石に連日泊まるのは難しい、という事で仕方無しにそのまま地上を目指すことになった。
「もうちょっと寄りかかってもいいぞ、サニア」
「うーん、それはちょっと申し訳ないというか……」
「おれは気にしないが」
「うん、まぁ、君って鈍感だよね……」
不思議そうなシオンに溜め息を堪えつつ、サニアはある少女を見る。もうこれ以上無いってくらい不満そうに両頬を膨らませているティオナに、苦笑をこぼす。
初対面であるサニアでも気付いているのに、素で気付いていないとは。
ちなみにサニアとリオンはシオンに対して恋愛感情を抱いていない。悪くないとは思うが、弟に向ける心配の情のような物の方が大きい。
後年齢。流石に二桁を超えたばかりの少年に恋愛感情を向けられるほど吹っ切れない。これが数年後であれば、気持ちが変わるかもしれないけれど。
ふぅと息を吐き出し、前方を見る。結局何もできなかったから、と率先して前に出て敵を殺すリオンは、後ろに一切の攻撃を通さない。後方は比較的体力の余っているベートが控え、サニアとシオンの横にはティオナが護衛として立っている。
まぁ、もう安全なのだろう。少なくともここから全滅する未来はそうそうありえない。
――それにしても、まさかあんなのがいるなんてね。
リオンから聞いた、二人の男女の悲劇。その真実。シオンの両親が謎の死を遂げたとオラリオ中でも話題になり、彼等の主神たるヘラなどは『もし下手人がいれば上に行っても安寧など与えん』と怒り狂った、あの事件。
まさかアレで終わりなどではなく、むしろ始まりに過ぎなかったとは。サニアは横目で自分を支えてくれている少年を見る。
――まだ、こんなに幼いのに。
一度ならず二度までも家族を喪った。そんな彼を哀れに思う。
同情なのだろう。憐憫なのだろう。それでもいい、と思う。その境遇に何とも思わないほど自分は冷たくないのだから。
ただ、思う。
もし本当に必要になった時は、彼の力になってあげたい――と。
――あんまり力になってあげられなくてごめんね。
そうサニアが告げて、リオンも小さく頭を下げながら、二人とは別れた。
シオンとしては、そんな事はない、と言いたかった。この体調でダンジョンに潜れば、仮に18層まで行けてもあの男に殺されていただろう。あの二人がいなければ、シオンは今、この場所に立っていられなかった。
だから、言えなかった感謝の言葉は、いつか別の形で返そうと思う。
目下のところ問題なのは、
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
この空気の悪さ、だろうか。シオンも、ベートも、いつもは陽気に話しかけるティオナでさえ、沈黙を保っている。
自業自得なのだろう。ベートが指摘した通り、あの状態でダンジョンへ行くなどただの自殺志願者でしかない。そんな相手に無茶をするな、命を大事にしろと言われ続けたのだから、むしろ怒らない方がおかしい。
「……えっと、その、シオンは大丈夫?」
「何とかってところかな。視覚が正常になったから、歩くくらいならね」
とはいえ先程からフラフラと体が揺れているのは理解していた。何か石ころでも踏めば転んでしまいそうだ。
それはティオナも見抜いたらしい。強がるシオンの横に無理矢理寄り添うと、そっと腕を取って支えた。
「怪我は、できるだけしない方がいいんだよ?」
どうせホームに帰るだけなのだから気にしない、そう思ったが。横目で見下ろしたティオナが、どうしてか楽しそうに見えて、シオンは見ないふりをしてしまった。
二人が今どうなっているのかを何となく察して、ベートは内心溜め息を吐いた。
ベートはもう怒っていない。シオンが勝手にまだ怒っていると勘違いしただけだ。ただ空気が悪かったのは、単純な理由。
――もうひと波乱、ありそうなんだよな。
その考えにずっと足を引っ張られ、無意識に警戒し続けていたからだ。それも二人のやりとりに毒気を抜かれてしまったが。
悪いことなんて無い方がいい。例えどれだけ時間がかかっても、地道に、少しずつ強くなっていって、レベルを上げる方がいいのだ。無茶は長続きしないのだから。
「ホーム、見えてきたぜ」
たった数日程度見ていなかっただけなのに、やっとか、と思わずにはいられなかった。それだけ今回は厳しかったのだ。
いつも通り門番をやってくれている大人に挨拶を返し、中へ入る。玄関を潜っても、待ち構えている相手はいない。ロキ辺りがいそうな気がしたのだが、忙しいのだろうか。
「俺はロキのとこに行ってくる。お前らはどうすんだ?」
「おれは、部屋で横になってるよ。プレシスの薬は後一日か二日で切れるはずだから、それまでは安静にしてるさ」
「それだったら私が看病してあげる! あんまり他の人に言いふらしたくないだろうし、流動食でも作っておけば簡単に食べられるでしょ?」
「そうか。んじゃ、また後でな」
ベートとしては二人の言葉はありがたかった。原因と思われるあの狼は倒したが、それでシオンの異常が正されるとは限らない。もしダメだったらまたダンジョンへ行く必要もある。まだまだやる事は多いのだ。
だからこそ、事情を知っている二人にフラフラとあちこちへ移動されるのは面倒だ。大人しくしてくれればそれが一番良い。
そう思いながら、ベートはロキがいるであろう部屋へと歩を進めた。
ロキの部屋にノックもせず入ってまず驚いたのは、膨大な紙の山だ。それに埋もれるようにして眠っているロキの目下には、深い隈ができていた。
試しに一枚手近の紙を取って内容を見れば、それは一目でシオンの容態を調べるための手掛かりを探していたとわかる。
容態を調べる方法、ではない。その調べるための方法の手掛かり、だ。正直手に取ったこれだけではさっぱりわからなかった。そんな物を何百、何千枚と目を通していたのだろう、その苦労は想像に難くない。
いつもなら憎まれ口を叩くところなのに、口元が変に動くだけで言葉が出てこない。これだけ疲れ切っている相手を無理矢理起こす、という事もできない。これが単に夜更かししていたせいとかなら遠慮はしなかったのだが。
今も指先に握られ、決して離そうとしない紙の束を見れば、そんな気など湧くはずもなく。ベートは溜め息を一つ落としてロキの指から紙を離し、机の上に置くと彼女を抱き抱えてベッドの上にまで運んだ。
神様が病気にかかった、なんて話は終ぞ聞いたことはないが、何も無くては寒いだろうと布を腹付近に被せておく。
「……いつもこれなら、何の文句も出てこねぇんだがな……」
己の
仮初と言えば普段の頭が足りないおバカっぷりこそが演技なのだろうけれど。少なくとも泰然とした超越者のロキなど想像もできない。
彼女が彼女だから、自分達は呆れても、頭を抱えても、不安など欠片もなく慕えるのだ。決して口には出せないが。
さて、とベートは椅子から立ち上がり、部屋を出る。目を覚ました時にお茶くらいはあった方が喉に優しいだろう、そう考えて、彼は厨房を目指した。
それから数時間。予想以上に目を覚まさないロキのせいで何度か往復させられ、しかし起こすという行為には移さず耐え続けた。
「……ん、あれ? なんでベッドで横になっとるんや……?」
日も暮れて月が見えるような頃合いになって、やっとロキが目を覚ました。彼女は不思議そうに自分が横になっていたものに目をやり、
「――体調管理くらいきちんとやっとけ、ダァホが」
「うぉ!?」
ジト目で己を見下ろすベートの存在に気付いて、飛び上がりつつ距離を取った。それと同時にかけられていた布がベッドの上に落ち、それでやっと理解する。
「……まさか、運んでくれたん?」
「……チッ」
返答は舌打ち。けれど否定はされなかった。そこでやっと室内が仄かに照らされ、窓の外が暗くなっている事に気付いた。ロキの最後の記憶では、確かまだ外は明るかったはずなのだが。どう見積もっても数時間は経っている。
「あっちゃー、やらかしたわ。ちょっと無茶したみたいやね」
「ちょっとどころじゃねぇだろ。ったく、どいつもこいつも無茶ばっかか。少しは自重を覚えたらどうだ」
言っている本人にブーメランなのだが、敢えて事実は隠す。不都合な事は見て見ぬふりだ。とはいえそんな内心など知らないロキは、誤魔化すように苦笑した。
「ところで、ベートがここにいるっちゅうことは? もしかして進展とかあったん?」
「七三ってとこか。シオンの腕を切り落とした相手は殺してきた。だが、それで元に戻るのかと聞かれれば確証は無い。経過観察ってとこだな」
「……せやね。これで異常が治ればそれでよし」
――本当に治っていれば、だが。
お互いに思うところは同じだったが、言葉にはしなかった。あのウォーウルフは絶対に何某かの指示を受けて動いていた。であれば、その指示を出した黒幕はきっと更なる布石を打っていることだろう。
布石を打っていないバカならそれはそれでいい。そんなバカはその内自滅するだろうから。
「まぁ、可能性って段階で止まってるんならうちはまだ調べるのを続けるわ」
「そうしてくれ。だが、また今日みたいな事をすんじゃねぇぞ。お前には他にも仕事があるんだからな」
特に【経験値】を『神の恩恵』に反映させる作業は、主神たる彼女にしかできない。その作業が滞れば、結果として【ファミリア】の成長を妨げてしまう。
シオンの事は、大事だ。だがそれでも、一番大事なのは【ロキ・ファミリア】そのもの。その程度の認識は持っていた。
「んー、それを言われると何も反論できんなぁ。……よっしゃ、そんならベートの『恩恵』でも弄っとくかな!」
「早速かよ。まぁいい、今回は強敵を倒したからな。結構上がってくれるだろうよ」
「それは楽しみやね。確か前回の【ステイタス】から考えたら、【ランクアップ】も無くは無いと思うで」
そこまで高望みはしない。ベートとしてはシオンに置いて行かれない程度の【ステイタス】と成長速度があればそれでいいのだ。
そう、思っていたのだが。
「ふむふむ、ほぅほぅ。……へぇ」
上半身裸になって背を向け、背中を弄るロキの態度が妙にイラつく。特に軽快な声音の中に真剣な色があるせいで、妙に鼻につくのだ。
「ベート、まず言っとくで」
「あァ?」
「……【ランクアップ】おめでとう!」
その言葉に、思わずベートの耳と尻尾がピンと伸びて、固まった。ありえなくはないと考えていたが、本当に上がるなんて想像もしていなかったからだ。
その動きにロキが触りたそうに指をわきわきさせていたが、流石に自重した。それから手近にあった白紙の紙に、『神の恩恵』の内容を記していく。
「ちなみにこれがLv.3の最終的な【ステイタス】になるで」
ベート・ローガ
Lv.3
力:B752→B763 耐久:C694→B712 器用:A861→883 敏捷:S952→989 魔力:I0
狩人:H 耐異常:I
《魔法》
【 】
《スキル》
【
・走行速度強化
・拳、脚による打撃時、威力強化
【
・走行時、『力』と『敏捷』のアビリティ強化
・『特定の人物』と走行時、更にアビリティ強化
受け取った紙を、しみじみと眺める。基本的に【ランクアップ】には、とても大きな試練が必要だ。その試練が、あのウォーウルフとの戦闘だったのだろう。
確かにあれでベートは自分が一回り大きくなったと思っている。その結果がこれなら、素直に受け止めるべきだろう。
相変わらず魔法の発現は無いが、個人的にはどうでもいい。あれば便利だが、無くてもアイズやシオンが使ってくれる。それで十分だ。
「今回の『発展アビリティ』はなんだ?」
「二つだから何とも言えん。『拳打』と『魔防』やな」
ぴくり、とベートの眉が動く。
字面から想定するに、拳や脚による打撃と、魔法に対する防御力の上昇だろう。この二つしか無いという事は、どちらかを後回しにするとして、さて、どうするか。
正直に言って、魔防は無理に選ぶ必要性は無い。このスキルは、どちらかといえば対人戦において使えるものだ。
モンスターにもそれ以外にも使える拳打は汎用性が高く、また拳や脚で戦う事も多いベートにとっては便利な物だろう。
――悩む必要性は無い、か。
「今回は拳打で頼む」
「了解」
軽く頷き、ロキはもう一度その指をベートの背中へ踊らせる。それから数十秒、ロキが指を離してすぐ様紙へと続きを書いた。
ベート・ローガ
Lv.4
力:I0 耐久:I0 器用:I0 敏捷:I0 魔力:I0
狩人:H 耐異常:I 拳打:I
それに目を通し、問題なく【ランクアップ】が終わったのだと理解する。ロキに言われても実感は薄かったが、こうして文字としてみると、ちょっとした感慨があった。
――だが、まだだ。この程度で満足なんてできるわけがねぇ。
ベートはこれで名実ともに一流冒険者へと手をかけている。だが、それだけだ。少なくともあのオッタルはLv.7になっているという。
であれば、最低でもそれを越える。その程度の目標が無くてどうする。
一度目を閉じ、開ける。
「……ありがとよ、ロキ。あぁ、それと俺はシオンのとこに向かうわ」
「ん、そか。忙しいやっちゃな」
「お前が言うな。んじゃ、また頼むぜ」
ロキは敢えて何も言わなかった。このレベルではありえない大幅な【ステイタス】の上昇。それを鑑みるに、相当な無茶をしてきたのは確実だ。
だからこそ、黙認してくれる彼女に、ベートは内心感謝する。
そしてロキの部屋を出たベートは、すぐさまシオンの部屋へと向かった。しばらく安静にするとは言っていたが、どうにも信用できない。己の目で確かめなければ安心できないのだ。
思わず足早になっているせいか、途中すれ違う者全員が驚きながらも道を譲る。それに軽く挨拶だけして、そんな事を繰り返していたら早々にシオンの部屋に着いてしまった。
今回はきちんとノックをする。それに返事をしたのはティオナだった。
「入るぜ。シオンの容態はどうなってる?」
「流動食だけどきちんと呑み込めるし、体温と脈拍もいつも通り、かな? 少なくとも私が見た限りは大丈夫かな」
入って早々聞いてみれば、ティオナがここ数時間の様子を教えてくれる。彼女はシオンの部屋を軽く掃除していたようで、エプロンと三角頭巾を身に纏っていた。
「あ、そこシーツとか枕干してるから、触らないでね」
「わかってるよ」
ティオナが指差したところには、確かに寝具が干してあった。よくよく見れば血の痕が残っていて、それが数日前、ユリエラが看病してもどうにもならなかった事を教えてくれる。
「こりゃ買い替え、か?」
「今は代わりが無いから仕方ないけど、そうしないとダメだろうね」
別に使えないことはないが、だからといって血の付着したものを使っていて気分が良い事など無いだろう。そんな雑談をしつつ、ベートは物静かなシオンに近寄った。
「……寝てんのか?」
「うん、一時間くらい前に。触覚は無いから体力もわからないみたいだけど、それでも『疲れている』って事は体が認識してる? とかなんとか」
当然といえば当然か。今のシオンは重石を全身に纏わりつかせながら動いているようなもの。その状態で、ダンジョンで動き回り、その上まともな休息ができずにいればこうなるだろう。
ティオナが使っていた椅子を彼女に断わってから座らせてもらい、シオンの額に触れる。それから手首に触れて脈拍の確認。
ベート達はお互いがお互いに正常な体温と脈拍を把握している。それはダンジョンで怪我や病気あるいは毒にかかった時のためにだ。
だから、今のシオンに異常が無いことはすぐにわかった。
掃除を終えたティオナが新たに椅子を持ってきて、ベートの反対側に置いて座る。それから予め持ってきていた林檎を、包丁で丁寧に剥いていく。
その手並みは過去の彼女から想像ができないくらい手馴れていて、ああ、頑張ったんだな、と思わずにはいられない。
「……茶化さないんだね?」
「……何で茶化さなきゃなんねぇんだよ」
「いや、いつものベートならそうするんじゃないかなぁって」
その言葉に、思わず鼻を鳴らしてしまった。とはいえ反論するつもりもない。ベートとヒリュテ姉妹はいつも互いに茶化し合い、バカにし合っている関係なのだから。今そうしても、然程不自然ではないだろう。
とはいえ、それは一つの前提を忘れている。
「努力した結果をバカにするつもりはねぇよ。過去のお前から考えりゃ似合わねぇとは思うが、そんくらいだ」
「……それ、バカにしてるのと変わんない気がするんだけど」
「だったらさっさとそれが似合う女になれ。ていうかな、バカの一つ覚えみてーにデケェ大剣振り回す女が料理できるとか思わないだろうがよ」
「むぅ」
そこを突かれるとティオナは何も言えない。そうした理由は、技術を覚えている暇が無かっただけなのだが、傍から見れば同じことだ。
話しながらもティオナの腕は止まらない。多少削りすぎたところはあったが、十分及第点と言えるだろう。林檎を適当に四つに切り分け、それから一本人参を取り出した。皮をつけたまま横に置くと、そのまま小さく切り分ける。
「それ、何に使うんだ?」
「何って、ジュースだけど。林檎はともかく人参は皮のまま食べた方が栄養あるんだよ。知らない?」
知るわけがない。ティオナは切り分けたそれらを林檎は二つ、人参は全てと纏めて、清潔な布に纏めた。そのまま放っておく。
「絞らないのか? 何のために切ったんだよ」
「今絞ると時間が経って味が変わっちゃうから、シオンが起きてから絞るの。今切ったのはシオンを待たせないためだよ」
そう言うと、残った二切れを食べやすい大きさにカットしていく。その内一つを自分が、もう一つはベートに渡す。
「……いいのか?」
「別に全部シオンに食べさせなきゃいけないわけでもないし」
そもそもティオナがジュースを用意しようと思ったのは、触覚が無いシオンのためだ。触覚が無くとも味覚があるシオン、それなら甘いジュースを飲んでもらおう、というわけだ。
流動食は食べやすいし栄養も高いが、同時に味気ない。それならこういった物を飲んだほうが、精神的に楽だろう。
一応これでも色々考えているのだ、とティオナは笑う。ベートはそれに肩を竦めて、正直侮っていたと謝った。
「……っ……」
小さな唸り声。それは聞き逃しそうな程だったが、二人の耳にはよく響いた。慌ててティオナは林檎と人参の入った布を、汁を零さないようにコップの中へと落とし、絞り切った後はすぐにゴミとして捨てた。
その後手を水布巾で拭いて、様子を見る。シオンは何度か体を揺らし、ゆっくりと目を開けた。それから目線だけを何度か動かし、
「……この時間だと、こんばんは、かな」
「別におはようでもいいと思うけどね」
そんな、どうでもいい事を口にした。思わず苦笑しつつ、ティオナは上体を起こしたシオンの背中を支えた。そして絞ったばかりのジュースを手に取る。
「えっと、絞ったんだけど、飲む? できたてなんだけど」
実は思い付きで作ったジュースなので、拒否されたらどうしようと思ってしまう。寝起きは水分補給が必要とはいえ、水で済ませても問題ないのだし。
「……うん、それじゃ、ありがたく」
戦々恐々していると、シオンは少し驚いた後、小さく笑った。シオンは表情一つ作るのにも苦労すると言っていたので、この自然な笑顔は、きっと本心から来るものだろう。
それにホッと安堵しつつ、それを噯にも出さないでティオナはジュースの入ったコップをシオンの口元に添え、ゆっくりと傾けた。
傾けすぎればきっと零してしまう。だから慎重に慎重に、気を付けて半分ほど飲ませた。全部飲ませたら多すぎるかもしれないし、これくらいでいいだろう。
「美味しい。久しぶりに、純粋に美味しいって思えた」
やはり触覚が無いと、色々な事に違和感を覚えるのだろう。余計なお節介に終わらなくて良かったと思いながら、ティオナはどういたしましてと笑った。
「シオン、触覚は戻ったのか?」
そこで、ずっと黙っていたベートが声をかける。シオンも彼の存在には気付いていたが、敢えて空気になっていてくれたとわかっている。だから、驚くことなく答えた。
「いいや、まだだ。この薬の持続は長いから、まだ時間が必要だろうな」
「そう、か。それなら効果が切れたらおれか、ロキに言ってくれ」
「ベートはともかく、ロキに?」
「ああ。あいつは今も資料を漁ってるだろうからな」
その資料が何のためか、は聞かずともわかった。シオンは軽く俯くと、小さく頷く。そんなシオンの肩をティオナが支えた。
「そこまで深く気にすんな。ロキはやりたいからやっているだけだ」
「わかってはいるけど、ね。……後でありがとうって、直接言いに行かないとな」
「うん、それがいいよ。それだけでもロキは喜んでくれるだろうし」
神妙な空気が出来上がる。気にしないほうがいいとわかっていても、やはり思うところがあるのは事実なのだろう。
それを吹き飛ばすように、ベートは軽く言った。
「そういや、俺の【レベル】が上がったぜ。今はLv.4だ」
軽く言うには、重要すぎる内容だったが。
思わず二人揃ってベートを見つめる。その眼光にたじろぎながら、ベートは笑う。嘘ではない、事実だ、と告げるように。
「……てことは、ベートがまさかのパーティ内初Lv.4!? シオンじゃなくて!?」
「おい、まず言う事がそれかテメェ」
まぁそこはベートも一度思ってしまったが。Lv.2は同時だとしても、Lv.3に誰より早く到達したのはシオンなのだ。ならばLv.4も、と考えてもそうおかしくはない。
「おめでとう、ベート」
一言物申したティオナと違い、シオンは素直にそう祝福した。ただ、その顔は、素直に、とそう表現するには引っかかる部分があった。
嫉妬、ではない。シオンは自分より強い相手がいるのは身に染みてわかっている。悔しさ、とも違う。
これは……憂い、だろうか。
だが、何を憂いているのだろう。
シオンは、一体何が気にかかっているのだろう。
その事が、ベートの心にしこりを残す。折角レベルが上がったが、素直に喜べない。それが、少しだけ残念だった。
昨日投稿する予定がちょっと横になったら寝ていてできなかった。という訳で一日ズレて今日投稿です。
閑話書くとか言って書けなかったやーつ。ネタが無かった。この時期に書く閑話って何が良いんだろうとか思ったら思い浮かばなかったんや。
いっそ賛否両論あるであろうもうひとつのダンまちの方投稿しようかなとか思ったくらいですしおすし。
次回は未定。案の定ネタがない(話の流れは考えてるんですが)。
……お楽しみに? ノシノシ