部屋を出たシオンは、ひたすら人のいないであろう方向へ歩いていった。未だに『歩く』という動作が安定していないと判断したからだ。
視界がブレる、コツコツと歩く時に発する音にズレが生じる、触覚が使えない故に他の感覚で情報を集め、他者にバレないよう、ひたすらに努力した。
ただこうしていると、周囲の気配を探るのが疎かになってしまうのが問題だった。実際間違えて何人かとすれ違っていたのだが――普段あまり接しない人達だったので、なんとか気付かれずに済んだようだ。挨拶を返すのが遅れたので、珍しいとは思われたようだが。
――どこに行こうか。
外に出る、とは言ったが、行き先など無い。だからこうしてフラフラしている訳なのだが、そうすると彼等と出会う可能性は高まる訳で――やはりというべきか、出会ってしまった。
「よう、シオン。昨日はダウンしてたみたいだが、今日は大丈夫そうだな?」
「ベートか。まぁ、ある程度は」
曲がり角を曲がった時にバッタリ、である。しかも、よりにもよってベートだ。彼は最初の言葉だけはこう言ってくれたが、シオンの体を上から足元まで見下ろすと、言った。
「……まだ不調みたいだな」
『ある程度は』と言ったシオンの言葉通り、という意味を含んでそうな声音だ。どうして気づいたのかと聞いてみると、
「あ? そんな重心ブレまくりのお前が不調じゃないなら何時不調になるんだよ」
「重心、って」
「毎度毎度決闘してりゃお前がワザと重心崩して誘ってんのか、本当に崩れてんのかわかるようになるに決まってんだろ。じゃないと負けるんだからよ」
要するに彼は、ちょっとした違和感を嗅ぎ取っただけらしい。確かに今のシオンはまともに立つだけでも一苦労の状態なのだが、まさかそんなところから察せられるとは。
「……いやぁ、やっぱりお前を誤魔化すのは無理か」
「ったりめぇだ。――俺だけじゃねぇけどよ」
「何か言ったか?」
「いんや、別に。そんなこたぁどうでもいい。それより、その体で動き回ってて支障はねぇのかよ」
ベートの呟きが気にかかるが、何となく絶対に言わないんだろうな、と思ったので諦めてしまった。言ってくれないのなら理由があるか、あるいは些細な事なのだろうし。
そう考えて、今の質問に答えた。
「戦うのは流石に無理だけど、歩き回るくらいなら問題ないよ。この状態でダンジョンに行くつもりも無いし……死にたくないからな」
「なら、まぁいいが。変なとこには行くなよ?
「……知ってるよ。だから、大丈夫」
危ないところに近づいてはならない――その事を、シオンは苦い記憶と共によく知っていた。
シオンの表情に苦いものが過ぎったからだろう、ベートは一瞬『やっちまった』というように顔を顰めたが、すぐに戻して、
「なんかあったら言え。戦えないお前の代わりに、俺が戦ってやる」
一度肩を叩くと、そのまま通り過ぎていった。その対応に少しだけ安心できて、シオンは最後に笑顔でありがとうと言えた。
気付かれているのに気付いていない、そんなシオンに、ベートはいつ自分の口から文句が飛び出てくるかひやひやしていた。
正直言えば、その辺が影響してあの場所から去ったことは否定できない。
「――そんだけじゃねぇだろうに、ったくよ」
どうして言わない、と何度言いかけた事か。自制できたのは正直偶然のように思える。
「重心が崩れて、あんなにふらついてる癖に大丈夫な訳ないだろうが」
ベートの知る限り、シオン以上に自制心に溢れた人間はいない。多少の怪我であればそうと気付かせない程の鉄面皮――だから、わかる。気付いてしまう。
シオンが体調の悪化を表に出す時は、
「昨日はユリエラが看病してたんだろ? それでもまだアレっつー事は、あの時の怪我には解析不可能な毒かなんかでも込められたのか……?」
アイツの『耐異常』を考えれば、あの階層で毒にかかるとは思えないのだが、ダンジョンでは何が起こるかわからないと言われるのが既に常識となっている。
だから、シオンの高い『耐異常』を貫くモンスターがいても不思議ではない、のだが。
「ユリエラが治せないとか、ありえるのか」
既存のモンスターが所有する毒であればまずありえない、はず。ベートは治癒系の魔法を覚えた魔道士でなければ、調合スキルを持った薬師でもないため確信はできないが。
前提として、彼女にも治せない、というのであれば、どうしたものか。
「いや、待てよ? 亀の甲より年の功……」
ふと思い付き、ベートはあまり近付きたくないあの神様の顔を思い浮かべ――ハァ、と溜め息を吐き出しながらあの部屋へ向けて歩き出す。
陰鬱そうな顔になりながらもその部屋の前まで行き、何度か逡巡し、部屋の扉を開け――
「――ん? ぉ? ベート? ベートやん? いやぁ珍しいなぁ、あんたがうちのところに来るだなんて。なんや、『恩恵』の更新は昨日やったばかりやし、お? もしかして雑談しに来てくれたとか――」
「黙れ。うぜぇ」
「――無いですよねー」
真顔で、且つガチトーンで返されたロキはガックリと項垂れた。相変わらずの塩対応、正直お互い慣れた感はあるが、どうにもやってしまう。
とりあえず、と仕切り直してロキは散らばっている部屋の物を乱雑に片付け、持ってきた椅子にベートを座らせ、自分はベッドで横になる。失礼すぎる対応だが、数年来の付き合いがある眷属に対して、ロキは取り繕うことをするつもりはなかった。
「それで、実際何の用や。ベートがくるっちゅー事は余程のコトでも起こったんだと考えとるんやけど」
「……おい、ロキ。お前、
「いきなりやな。ま、合っとるで。いがみ合ってる神様同士を焚きつけて、怒らせて殺し合わせたり、騙して上手く利用したり。その頃の影響で今でもうちを嫌っとる、あるいは畏れとる奴もいるくらいにはな」
今でこそロキは――再三言うが、あの頃のロキを知っているヘファイストスが本心から驚くくらいには――丸くなっているが、天でのロキはまさしく『悪』の体現者。
まぁあの頃の自分がやった事は特に後悔していないので、何とも言えないところはあるが。
「それを聞くっちゅう事は、
「正確には、謀略を得意とするくらいに回る知恵に、だ」
ほぅ、とロキは起き上がり、体勢を整えてベートを見つめる。普段、シオン達はロキやフィン達を決して頼らない。上位者に力を借りすぎれば甘えを生むとわかっているからだ。
それを破ってまで頼るのであれば、相応の理由があるのだろう。
と、いうようなごちゃごちゃした理由はさておき。
可愛い我が子が必死に頼ってきているのだ――断る親などいるわけがないだろう。ロキが手を貸すのは、それだけで十分な理由になる。
「いいで? 何でも聞いてきな。うちの知恵、存分に見せたるわ」
一方でシオンはホームの外を出て歩き回っていた。
体調が治ってない以上、外へ出るのは危険でしかないとわかっているが、シオンという人間はボーッとしている自分を許せないタイプ。無為な時間を過ごすのを厭う人間だ。街中の散策程度でもダンジョンに役立つものが見つかるかもしれない、そう思って出てきた。
とはいえ、そう簡単に見つかるわけもない。いっそのこと椿のところにでも行ったほうが――それこそベートが作った篭手や靴のギミックみたいなものを相談できるという意味で――余程有用だろう。
しかし椿も、アレでLv.4の冒険者。その上シオン達の専属鍛冶師、不調くらい一瞬で見抜いてくるのは想像に難くない。
「アレ、おれって意外と交友範囲狭い……?」
というより、冒険者以外に話す相手が少ないだけだろう。何の理由もなしに突撃するのは遠慮がある相手ならば、多いのだが。
「それって顔見知り程度の相手ってだけなんだけど」
ハァ、と気付いてしまった事実に溜め息。その後頭を掻きつつ、シオンはふらふらと適当に歩き回る。
いっそアオイの墓参りか、シルのところにでも食事に行ってしまおうかと考え、足を向け直したところで、視線を感じた。
触覚で、ではない。もっと深いところを見られているような――そんな、感覚。相手に気付かれないように、と思いながら顔を動かしたが、すぐに気付かれた。
原因は、『彼女』の周囲を警戒するように守り、侍っている四兄弟。彼等の顔は一度も見たことは無いが、守られている女性の顔は知っている。そこから自ずと正体も知れた。
「あら、久しぶりね。前に会ったのは随分と前だけれど……見違えるように、強くなった」
「神フレイヤ……それに、ガリバー兄弟」
かつてロキが開催した『宴』以来出会って以降、顔を見たことも無い美の女神。そんな彼女がどうしてここにいるのか、と思うも、それを聞くのは許されそうにない。
周囲にいるガリバー兄弟のせいだ。親しげに話しかけるフレイヤとは逆。あるいはフレイヤが親しげにしているからこそなのか、とにかく警戒心を向けてくる。一人は武器に手をかけていて、シオンにその気は無いのに一触即発の雰囲気を出していた。
そのせいか、シオンの驚いた顔は真顔になりだし、目付きは鋭く、体勢は戦闘時のものへと移行してしまう。職業病、だろう。
――ガリバー兄弟。Lvは全員4、おれよりも一つ上。ただし四兄弟故か、あるいは小人族だからなのか、連携はオラリオでも最高峰。フィン曰く『シオン達に勝るとも劣らない』らしい。個にして群の体現者達。
単純な強さで言えばLv.5あるいはLv.6にも届きうる、と冷静な思考が告げる。
――勝てない。
戦いにすらならない。せめてシオン自身がLv.4あるいはLv.5になっていれば、無理矢理隙を作って勝ちの目を作れるかもしれないけれど。
――どちらにせよこの体じゃ格下にも勝てない、か。
それでもただで負けるのはプライドが許さない。その空気を察したのだろう、彼等も全員が武器を手に取り、
「はい、そこまで」
お互いに飛び出しかけた、その寸前のことだった。
フレイヤは呆れながらもパン、と両手を叩いて、五人を正気に戻す。それと同時にシオンは戦闘時に纏う空気を綺麗サッパリ消し飛ばし、きょとんとしてしまう。そのギャップに驚いた四兄弟もお互いの顔を見合わせると、引いてしまった。
鋭い目つきが収まり、子供特有の丸っこい顔と目は、シオンの外見と相まって愛らしいとさえ言える。ただやはり、さっきの表情を見たあとだと不気味としか思えず、
「あなたって、本当、凄いわね」
色んな意味で、とは言えなかった。
「はぁ……?」
シオンもシオンで、生返事しかできなかったが。
「それから、あなた達四人はもうちょっと自重しなさい。確かに子供の内はやんちゃでいるべきだと思うけれど、それにも限度があるのだから」
何より彼等に課された命令は『何があってもフレイヤの身柄を守ること』であって、それ以外のことに意識を傾けるべきではない。この事を命令を出したオッタルが知れば、折檻は免れないだろう。
それに思い至ったのか、彼等の顔が一斉に青くなる。普段は温厚で優しく、気遣いのできる彼であるが――ことフレイヤに対する事柄だけは、その二つ名に恥じぬ激情を顕にする。それを一度でも見れば、そうなってしまうのは当然だろう。
「さて、シオン。迷惑をかけたわね。お詫びに一つ、教えてあげる」
というより、元からこれを伝えるためにわざわざホームから出て、シオンのところに来ただけなのだが、こうした方が不自然ではないだろうと考えて、敢えてそう言った。
ちなみに四兄弟は不自然なまでに緊張している。理由はわかるが、とりあえず自業自得としか言えない。ご愁傷様である。
「何を、教えて下さるのですか?」
四兄弟の手前、敬語で話しておく。これ以上余計なトラブルを生むのはごめんだというスタンスだ。フレイヤも察したのだろう、苦笑しつつも答えた。
「あなた、厄介な物を背負ってるわよ」
――たった、それだけ。
ただ、これ以上ないくらいの適切な助言ではあった。シオンは気付けなかったようだが、フレイヤにそれ以上の助言をするつもりはない。ただ小さく笑うと、そのまま去ってしまった。
「……厄介な物、か」
彼女の姿が完全に消えたあと、シオンはぽつりと呟いた。
はっきりいって訳がわからない。ただ、フレイヤがわざわざそう忠告してきた、という事実を忘れてはならない。
この言葉はきちんと覚えておこう、そう思いながら、シオンも背を向け、アオイのところへ行くために花屋へと歩き出した。
「――フレイヤ様、何故貴女がこのようなことを?」
シオンの気配が完全に辿れなくなった頃に、長男が代表してフレイヤに問うた。フレイヤ自身は最初、外に出かけたくなったから、と言っていたが、それにしては何の躊躇もなく彼のいるところを目指していた気がする。
己の神たるフレイヤに問いかけるなど不敬の極みもいいところだが、自分達と同じかそれ以下の年齢の者を気にかけていると知ると、どうしても、気になってしまうのだ。
フレイヤは沈黙したまま、コツコツと靴音を響かせて歩いている。やはり聞くという行為自体が不敬であったのか。
「私はね、自分の気に入ったものはできるだけ手に入れておきたい主義なの」
その為なら己ができる範囲で何でもしてきた。そう、それこそその美貌を使って無理矢理引き抜いてまで。もちろん、そうとバレないようにしたし、限度は設けたが。
己の【ファミリア】と同等以上の相手に所属する者、などが一例か。
その限度に従い、シオンの引き抜きはしなかった――イシュタルの魅了を跳ね返した時点で半ば諦めていたけれども――のだ、が。
「それができなければ、目に付いた者がどうなるか、行き着く先が見たい、と思うのよ」
結局のところフレイヤもそこらの神と何ら変わらない。
楽しいことがしたい。面白いものが見たい。この退屈を、そうと感じさせないくらいの愉悦を教えてくれ――! と。
「だからこそ」
逆に、それを阻む者がいるとすれば、
「それを取り上げようとするのだけは、許せないの。例えそれが、どんな相手であっても」
彼女達は、その対象を全力で消滅させるように動くだろう。
「だけど、あんまり過度な干渉はしないわ。あのアドバイスで生き残れば良し、生き残れなければその内死ぬ程度だった、という事なのだから」
オッタル的には生き残って欲しいだろうが。あの約束は、何だかんだオッタルにも影響を与えていたから。
神様が使うのはおかしいのだろうが。
「全ては神のみぞ知る、ということよ」
今週は熱出しました。そのため過去に書いた話の中で一番短い。とかく短い。
……先週? ネトゲ(FGOではない)で久々に本気出したら忘れてました。友人達から『久しぶりにキチってる』とか言われながらもガチってました。
気にしたら負けですヨ!
後いきなりプロットにない部分を一からぶっ込んだせいで未だに過程と終わりが定まっていない。
だから次回も短いかも。……ダメだコイツとか思いながらも付き合ってくれると大変嬉しいと思う作者であります。