先頭を行くベートの短剣が、全長二Mを越す猪『バトルボア』の眉間に突き刺さる。元々ベートに体当たりしようとしていたバトルボアは、その勢いによって自ら当たりに行く結果となった。しかしベートはその結果等気にも留めず、魔石も回収せずに走り続ける。
それは21層からずっと続く光景だった。時折交戦するも、大半を無視し、どうしても邪魔な奴だけ倒していく。勿論魔石やドロップアイテムを拾う暇なんて無いが、今は多少の金銭よりシオンの命が優先だ。
「後ろからモンスターは来てるか!?」
「来てるわよ! 途中ではぐれても、それ以上に増えてるんだから!」
やっぱりか、と思いながら一度舌打ちする。今彼等がいるのは19層手前。流石にこれ以上引き付け続けるのはマズい。自分達が『怪物進呈』で誰かを殺すのは後味が悪すぎる。
「仕方ねぇ、一度ここで奴等を全滅させ――」
「必要ない。【目覚めよ】――【エアリアル】!」
ベートの意図を察したアイズが、一秒でも止まるのが惜しいとばかりに
――ああ、盗られたのか。
そう察するのは簡単だった。
まぁ悪くない選択だ。アイズは刀を使えないが、それでも単に『振るう』だけなら問題はないだろう。第一線でも通じる刀、その切れ味に彼女の風を付加すれば、どうなるか。
それこそ紙を切るかのように、敵を真っ二つにしていくだけだ。
明らかなオーバーキル。こんな光景をフィンが見れば説教は免れない。武器に頼れば弱くなるという言葉を認識させてくれるような光景だ。
「ハー……ハァー……」
だが、それをする為にはアイズの体力をかなり消耗させた。22層から19層付近まで戻ってくるのにかかった時間は八時間強。その間休んだのは一度も無く走り通しだ。男で元々走るのが仕事のようなベートはともかく、他はかなり厳しい。
「アイズ……無茶しすぎだよ」
唯一まだまだ行けると判断できるのはティオナのみ。戻ってきたアイズに取り出した万能薬を渡したが、反対意見は出なかった。
それだけアイズの顔は張り詰められていて、追い詰められているのだ。
「無茶は承知の上。だけど、今無茶をしなきゃ、私は絶対後悔する。だから、無茶させて……お願いだからっ」
万能薬を飲み終えて、体力が戻ったはずなのに、暗すぎる顔がそう思えさせない。ティオナとしても同じ状況になったら同じような想いを抱くだろうというのは容易に想像できたので、大きな事は言えず、慰めすらかけられなかった。
「どうすんのよベート。もしこれで本当にシオンが死んでたら……」
「言いすぎたのは自覚してる。それと、そういうのはわかっていても言うな」
かつてベートは再三にわたってアイズに『シオンの鎖になれ』と言い続けた。その影響もあったのかもしれないと思うと、胸に苦いものが込み上がってきた。
後シオンが死ぬ、という言葉は縁起が悪すぎる。アイツはいつ死んでもおかしくないような人間だから、その姿が簡単に思い浮かぶから。
「鈴、背中の『指揮高揚』はまだ持続しているな!?」
「ああ、まだまだあっついよ。シオンはまだ死んでない」
曲がりなりにも鈴が彼等のスピードについてこれるのは、それがあるからだ。持続がほぼ無制限の『指揮高揚』があるからこそ、全員が力を振り絞れる。
何より――アイズの心の支えになっていた。
「ならいい。後は19層だけだ! 最後の力振り絞って走れよ!?」
思い思いの返事をしながら、また駆け出す。
ベートを先頭に、ティオナ、鈴、ティオネ、最後尾はアイズと続いていく。だから、その言葉を聞けた者はいない。
「18層に着けば、シオンを助けに行ける……行けるんだから……!」
アイズがその話を聞いたのは、21層へ戻ってすぐ。まだモンスターと一戦もしていない時の事だった。
「ねぇベート。なんで18層に戻るの? フィン達を頼るなら地上に行くはずだし」
敢えて尋ねたのはティオナ。アイズの心境が誰よりわかる彼女だからこそ、限界が近いのだと理解できた。
「そっちもきちんとやるよ。だがそっちは時間がかかりすぎるだろ。地上に戻るのに一日近くかかるとして、戻ってくるのは――フィンだけなら半日か? ……無理だろうな」
行ったことすらない25層で、シオンが一日半も生き残れるとは思えない。三桁以上のモンスターをたった一人で薙ぎ払うには、シオンの力量が不足し過ぎていた。
「そもそも大方の予想なら姉貴もできてんだろうが」
「え、それ本当?」
「……まぁ、本当に大雑把程度には。そうね、教えるのもいいけど、空気を変えるためにもクイズ形式で。もちろんヒントはあげるわ」
何だかんだシオンとベートを支えてきたティオネは、二人程ではないまでも、作戦の補佐くらいはできる。
それ故にわかってしまう、今の『空気の悪さ』。それを解消しようとおどけながら言うも、余り意味はなさそうだ。アイズの纏う雰囲気が、全てを悪い方向へ持って行ってしまう。
「ヒント。ベートの言う『18層』には何がある? それが全ての答えよ」
しかしそのままにしておく理由はない。胡乱気にティオネを見つめるアイズの視線を全て無視して、鈴とティオナにヒントを与えた。
「……『リヴィラの街』。冒険者のための街か」
答えたのは、意外にも鈴だった。19層へ行く寸前に見たあの街の景色を強く残していた鈴だからこそ即座に答えられたのだろう。
そして、答えがわかったのならアイズとティオナも『その先』が見えてくる。
「あの街は17層以前の冒険者が多い。だけど、19層に潜る人達もいる」
「それじゃベートは、その人達に頼ろうと?」
「ああ。ちょうど遠征に来るような強い冒険者がいるとは限らないが、だからといってリヴィラの街に寄らない理由はない。もしあそこに誰かいて、力を貸してくれれば、その分の時間が短縮できるんだからな」
勿論、罠の警戒はしなければいけない。誰も彼もが善人だなんて、甘っちょろい想像はしていない。とはいえその辺はティオネに任せる予定だ。
「今持ってるこのバックパックだって、その前報酬予定だしな。雀の涙かもしれないが」
自腹を切ったっていい。今まで貯めた財産を手放す覚悟もある。
そうあっさり決意できる程度には、シオンに対して友情を抱いているベート。
「細かい疑問は置いておけ。助けたいのなら――他の全てを捨てる覚悟を持ち続けろ」
――そして、やっと18層に着いた。
ベートが当初立てた予想よりも大幅に短縮された時間で、だ。代わりに全員の体力はほぼ限界に近く、今にも崩折れてしまいそう。
――これ以上は、限界だ……。
自身も息を荒らげながらそう判断する。
「おい、そこの大樹の影に隠れろ! そこで三十分……いや十五分だけ休憩だ!」
「そんな時間……いら、ない。私はまだ、動ける」
その提案に真っ先に反対したのはアイズだった。当然か、『シオンを助ける』、そのためだけに一番動き続けていたのだから。
ベートとしてもその案を受け入れたいところだが、無理だ。
「その状態で、後十二時間も動けんのか?」
現実的な問題として、体がついてきてくれない。もしも冒険者の集団がいて、その人達全員が即座に動けるならいい。だがそれが無理なら、一人だけ借りるという状態になれば。
体力のないアイズ達の方が、今度は動けなくなる。
「シオンも、フィンも、リヴェリアも言っていた事だ。『最悪を考え続けろ』ってな。事が上手く運ぶなんて甘ったれんな。わかったらさっさと体を休めろ、この時間が無駄だ」
「ッ……!!」
ベートの言葉に無理矢理自分を納得させるアイズ。だが納得できない部分が唇を噛み締めさせていて、そこから血が出てきた。
痛み以外の感情故に涙さえ流しながら、言う事に従って座り、息を整える。
誰よりも心に激情を宿しているはずのアイズが従ったからか、思うところはあるものの、各々座り始める。
その中で一人、少し遠くに座ったベートは思う。
――俺一人嫌われ者になる程度でシオンが助けられるなら、安いもんだ。
元々独りだったベートだ。今更嫌われたところで、思うところなんて無い。
――また独りになるだけだ。そう……それだけなんだ。
無意識の内に腕を掴んでいるのに気付かぬベートはそう独りごちる。
「……ッ」
その所作が全てを示しているのに。そこから目を逸らして、強がる狼。
「ったく、何離れたとこに座ってんのよ」
「あ? ティオネ?」
そんなベートの腋に手を入れ、立たせようとしたのはティオネだった。何故かその目には呆れの色が色濃く宿っていて、その目が見れるのに、どうしてか酷く安心する。
「そんなに離れてちゃモンスターの襲撃があった時に反応しづらいでしょ」
「そう考えるより、女だらけの中に交じるのが嫌だったんだよ」
「ハァ、妙なところで妙な事を。……普段のあんたなら気にもしないくせに」
いいから来なさい、と無理矢理引っ張られ、渋々といった体でベートは皆のところに戻る。ハ、と息を漏らすと、アホらしいとばかりに頭を無造作に掻き毟り、その場に座った。
樹の幹に背中を預けて体を脱力させるベートの横にティオネも座ろうとした瞬間、
――ありがとよ。
「え?」
何かが聞こえた気がしたのだが――その時にはもう、ベートは目を瞑っていた。
――会話がない。
全員が座り込んでから、まだ五分と経っていない。なのに妙に重苦しい雰囲気のせいで、居心地が悪くて仕方がない。それは誰もがわかっていたのだが、だからといって何を言えばいいのか、わからなかった。
その発信源など最早言うまでもない。しかしこのままではドツボにハマって精神的な疲労が回復しなくなってしまうと感じた鈴が問いかけた。
「そういえばベートよ、シオンを追いかけようとしたアイズに足手纏いになると答え、方向性が違うと言ったのは何故なのだ?」
「あん? まぁ、今は休む時間だから別に話してもいい、か」
鈴の意図を察し、憎まれ口を叩きながらもベートは時間までの暇潰し程度に語りだす。それはその事を疑問に思っていたアイズの注意を惹き付けるには十分な話題だった。
「そうだな。変な説明するよりも、例え話でも交えてみるか」
「例え話って、何よ」
「黙って聞け。――一つ質問だが、もしシオンとアイズが同条件――持ってる武器、『恩恵』、戦闘経験全てがほぼ同じくらい。相手するのは自分よりある程度強いモンスター。シオンとアイズ、勝つならどっちが先だ?」
いきなりな質問であった。ベートの意図が読みきれず眉を寄せながらも、しかしその内容は吟味している。
鈴だけは二人の力量差を把握しきれていないので、申し訳ないがしばらくは聞くだけになってしまう。鈴は気にするなと手を振ってくれたが。
それはさておき、今のシオンとアイズそのままなら、先に勝つのはシオンだろう。
だが、それが同条件となれば話は別になってしまう。
「アイズ、でしょうね」
「アイズだね」
「……私かな」
才能、というモノ。決して越えられない領分。
シオンは世間一般的に見れば天才。だがその本質は圧倒的な努力によるもので、精々秀才と呼ぶのが本当のところだ。
反対にアイズは紛れもない本物の天才。剣という分野に関して、彼女はこの場にいる誰よりも輝くモノを秘めている。
だから、紛い物の一流にしかなれないシオンと、本物の一流であるアイズでは、同条件で戦えばどう足掻いたとてしてもシオンは勝てない。
「その点については俺も同感だ。なら、ここに一つ条件を追加しよう。そのある程度強いモンスターと一対一を連戦し続けた場合、最終的に多く倒せるのはどっちだ?」
全員わかりきっている事だったが、更に付け加えられた条件。
――最終的な討伐数?
頭の中で疑問符を浮かべながら、悩む。この問いの答えはあるのかと思ってしまったくらいだ。
「……アイズ、じゃないかなぁ」
特に悩みもせずに言ったのはティオナだった。
恐らくアイズの方が先に倒せるのなら、アイズの方が討伐数が多いだろう、くらいにしか考えなかったに違いない。バカではないのだが、どうしようもなく頭を回転させようとしないのだ、ティオナという少女は。
「なら私はシオンにしようかしら。鈴は?」
「む? では私は……シオンにしておこう」
逆に姉と話を向けられた鈴はシオンに一票。この質問は難しく考えず、自身の直感を信じようという事なのだろう。
アイズの答えは、まぁ聞くまでもなかった。
さてベートはどちらを選ぶのか、と全員の視線が集まると、どうしてかベートはアイズだけを見て、
「言う前にアイズ、一つ問題を出すから、自分なりに答えを出せ」
「え?」
訝しげなアイズに何も言わず、ベートは問題を出した。
ダンジョンの20層、一日ソロでずっと戦い続ける。ただし食料は一食分のみで、それを配分を考えて食べて生き残らなければならない。
「お前はどんなタイミングで食べる?」
「意味はよく、わからないけど……多分最初は食べずに、半ば辺りか、最後くらいに手を付けると思う」
「その答えじゃ、やっぱシオンの方が最終的な討伐数は上になるだろうな」
「……意味が、わからない」
「わからないわけ無いだろ。20層にソロなんて、ほとんど戦い通しになるに決まってんだろう。半ばって事はつまり十二時間まで飲まず食わず、保つ訳ねぇ」
指摘された事に思わず押し黙るアイズ。つい反射的に言った答えは、言われてみれば確かにその通りだった。
「そんな思考じゃ喉が渇いたから水を飲むのと同レベルだ。そんな甘い場所じゃないのはお前もよくわかってんだろ」
だからベートは問題に『配分を考えろ』と言ったのだ。それがこの問題で最重要な部分だったのにアイズは見落とした。
この時点で、もう答えは決まっていた。
「最終的な討伐数はシオンの方が上になる」
「え? でもアイズはシオンよりも倒す速度が上なんでしょ?」
「それで勝てるのは時間制限が比較的短い時と、討伐目標数が決まってる場合だけだ。俺は『最終的な討伐数が多いのはどちらだ』としか言ってないんだよ」
つまり、二人が体力切れで倒れるまでに倒されたモンスターの数を競う、ということ。時間制限も討伐数も、一切言及していない。
「仮にアイズの方がどんどん倒していったとしても、ペース配分を考えずに戦い続ければさっさと倒れるのは目に見えてる。逆にシオンはその辺りを考慮するだろうから、倒す速度は遅くても最後は上回るだろうさ」
「さっき私にした質問は、そのため?」
「ああ。アイズは短期決戦における『勝つための力』は俺達の中でも随一だろう。だがシオンは長期戦で『生き残り続ける力』に秀でている。それは誰より俺達が知ってるはずなんだぜ」
そう、知っていなきゃいけない。
今までベート達はモンスターと何度となく戦ってきたが、その中で完全に疲弊しきって気絶した経験はあまりない。歩くのも億劫、という時は多々あれど、倒れたまま動けない、という状況まで陥った事がほとんど無いのだ。
「シオンはいつも俺達が疲れ切らないように、きちんと指示を出していたんだ。自分も戦いながらな」
それは偏にシオンが全員の体力を把握し、疲れ始めれば若干後ろに、代わりに自分が前に出て少しでも休ませる、なんて工夫をし続けたから。
もしシオンが先の質問に答えるとしたら、最初にある程度食料を食べるというだろう。まずエネルギー補給をしなきゃいけないし、一食分とはいえ荷物は荷物。ある程度軽くしなきゃ走り回るだけでも一苦労。残りは適宜食べて体力切れを起こさないようにするはずだ。
「だからダメだったんだ。お前が行けば、最初は楽でも後々面倒な事になる。あの時のお前は自責の念が強すぎた、シオンがどんな指示を出しても前に出ようとしたはずだしな」
「それは……」
否定できない。もしあの時シオンのところに行けば、何が何でも守ろうとしたはずだから。それこそ、シオンの言葉なんて聞かずに。
そうなればペース配分を考えないアイズに振り回され、二人共早々にダウンしていた。だからベートは足手纏いと切って捨てたのだ。
「俺達はシオンに頼りきっていたんだよ。自分の体力把握すら投げていた。こんな事態にでもならなきゃわからないんだから、情けねぇ」
その言葉は鈴を除いた三人の胸に突き刺さる。何とも言えない苦々しさに顔がゆがむのを感じたが、それに思い馳せる間もなくベートは立ち上がった。
「――そろそろ時間だ。体力も十分回復したし、行くぞ」
精神的な部分での疲労は取れていない。だがこれ以上休むのを良しともできない。ジレンマではあるが、妥協すべき点だった。
全員が立ち上がるのを確認してからベートは言う。
「ティオナ、ティオネ、それとアイズが18層で案内人を見つけろ」
「ベートはどうすんのよ」
「鈴を連れてホームに戻る。それからフィンに土下座してでも頼むつもりだ」
「……私は足手纏いだからな」
25層へ付いていくのは勿論、18層に戻るのも論外だ。ならば多少速度が落ちてもベートと共に戻る方が一番安全。
鈴に拒否する選択肢は無い。
「だが良いのか? 『指揮高揚』がかかっているのは私だけだが」
「構わねぇよ。色々考えた結果だ、お前の心配はいらん」
「またそういう言い方して。まぁいいけど、ベート、お金に糸目は付けないのよね?」
「俺達に払える額までならな。借金までするのはダメだ、その時は……拒否して、他を探せ」
一瞬諦めろと言いかけたが、アイズに聞かせたらマズいと咄嗟に内容を変える。
ベートの言葉を聞いたティオネはもちろんアイズも気付かなかったのは幸いだった。三人はそのまま背を向け歩き出そうとしたが、その背にああそうだ、と言って、
「ティオネ、案内人は25層全域の地図を覚えてる奴じゃなくていい。25層から26層への正規ルートを覚えている奴で十分だ」
そんなアドバイスをした。
意図が読めないティオネは不思議そうな顔をすると、
「どういう意味よ?」
「文字通りの意味だ。シオンなら自力で24層に戻ろうとするだろうからな、それ以上の説明は時間の無駄になる」
「……私に伝えたのは?」
「お前が一番落ち着いているからだ」
アイズは当然、ティオナだって本心ではかなり焦っているはずだ。そう見えないのは、アイズの方が取り乱しているからというだけにすぎない。
自分よりも慌てている人がいると、冷静になれる――という奴だ。
「俺が指示を出せなくなる都合上、纏められるのはお前だけだからな。……頼む、ティオネ」
「ま、いいわ。必ずシオンを助けるためだもの。多少の苦労なんて」
そこまで言いかけて、呼ばれたティオネはそちらに返事をして行ってしまう。それでいい。今はとにかく、シオンを助ける事に集中するべきだ。
「行くぞ鈴。ちょっと走るが、ついてきてくれ」
「否とは言わないよ。ただ、置いてけぼりにはしないでほしいね」
『――シオン、不用意に動くほうが危険なんじゃ?』
ベートから荷物を受け取ってから早数十分。
何かを確認しながら歩くシオンに、ふと思った事を告げるアリアナ。彼女は実体化せずシオンの内へと潜り込んだままだが、外の様子を認識する程度はできる。
それはシオンの五感を間借りしているようなもので、シオンが知る以上の事はわからない。だが二人分の頭脳を有するというのは、意外と役立つ物だ。
『あの場所で動かずにジッと息を潜めていれば、少なくとも彼等はすぐに追いかけれんだし』
例えば今のように、自分の行動に意見を物申してくれるから。
『確かにそうだけど、逆に言えば一度見つかったら戦い通しだ。一度逃げれば戻ってくるのに時間がかかるし、殲滅するなら休む暇はほとんど無くなる。留まっている方が危険だよ』
『だけどアテも無くダンジョンを彷徨うなんて、それこそ自殺行為なんじゃないかな。目印も無いんだから』
『確かに目印は無いけど、アテはあるから大丈夫』
『え?』
驚くアリアナに、なんて説明したら良いのかと悩む。二人共気配探知を欠かさないで話しているから、注意力が散漫しているし、長い説明では理解できないかもしれないのだ。
『おれが落ちたのってさ、22層に降りてすぐだよな』
『うん、そこから25層まで真っ逆さまだね』
『逆に言えば、そこが目印になるんだよ』
『……???』
やっぱ複雑になるよなぁ、と溜め息を吐き出すシオン。
シオンが言いたいのは、22層、23層、24層、そして25層にあった穴は全て同一の軸に存在する、という事。
そしてここで重要なのは、その軸を辿れば地図を覚えている24層の大まかな位置を探れるという訳だ。
『……やっぱり意味がわかんない。24層の位置なんてわかっても意味ないよね?』
『いや、ある。24層の穴の位置がわかれば、『25層へ続く階段の位置』がわかるんだ』
『……え、あ? いやでも、それ、もしかして?』
もうとても簡単に、超噛み砕いて言うと25層の現在位置と24層から25層へ降りる階段がある場所の大雑把な把握。
それさえわかれば、現在位置から24層への階段を目指せる訳だ。
『問題点は、25層が広すぎる事だ。その分道の分岐も多くなるし、行き止まりも……場所がわかっても、相当時間がかかるだろうな』
完全なアテの無い状態よりは良いのだろうけれど、それでも状況は絶望的だった。
――シオンの予想は当たり、既に体感で十時間が経っていた。
なのに、一向に目的地に着く様子は見えない。
『シオン、前からバグベアーが来るよ! このままじゃ後ろのデッドリー・ホーネットと挟み撃ちにされちゃう!?』
どころか、何度も相対するモンスターが行く手を阻み、シオンの体力を奪う。
『大丈夫だ! バグベアーならむしろ……ッ』
後方のデッドリー・ホーネットを引き連れたシオンは、鼻息荒く突進してこようとするバグベアーへ瞬時に近づくと、その足を斬りつける。痛みに注意が逸れ、突進ができなくなったバグベアーの影に隠れた瞬間、デッドリー・ホーネットの毒針が一斉に発射された。
ドスドスドスッ! と何本もの針がバグベアーに突き刺さる。二Mという巨体はギリギリシオンの盾となり、しかし半ば貫通した針の先がシオンの頬を裂いていた。
『……耐異常が無かったらこれで終わりだったかもな』
『言ってる場合!? 逃げないとマズいよ!』
絶命したバグベアーが倒れる寸前、目の前にあった横道へ入る。
消えたシオンに一瞬戸惑ったデッドリー・ホーネットだが、すぐにシオンがどこへ行ったのかを悟ったのだろう、独特の羽ばたき音を出しながらその道へ進んだ。
その頃にはもうシオンは先へ進んでいる。幸い十字路だったのでそこを左に曲がれば、今度は鱗を持った蜥蜴の群れ。更に後ろの十字路からはガン・リベルラの羽の音がデッドリー・ホーネットの羽ばたきに紛れて届いてきた。
『逃げ道が無い、突っ切るッ』
『いつになったら休めるんだろうね……!』
戦ってる暇はないと割り切って跳躍し、リザードマンの頭を足場にして更に跳ぶ。足元からゴキンと何かが折れた感触がしたけれど、全て無視。
仲間を殺された事に怒り狂うリザードマン達だったが、次の瞬間その顔が凍る。
シオンを追ってきた、彼等と同じく怒る大蜂が容赦なくその毒針を発射してきたからだ。その大半はシオンに届く間もなくリザードマンという盾を撃ち抜いていく。
『……シオンって、結構酷いよね?』
『おれが生き残るためだ、仕方がないな』
情けもない行動に若干引いているアリアナに、しかし欠片も気にしていないシオンは答える。その手がいきなり動くとポーチから万能薬を取り出し、ある程度飲むとまたしまう。
――これで、まだまだ動ける。
何かを食べている暇はないから応急処置。勿体無いが、割り切るしかない。
『残りは万能薬が三本に、非常食が数個……水はほとんど残ってないし、絶望的だな』
『笑ってられるような状況じゃないってわかってるよね。――シオン、そこを左に!』
『わかってる!』
何回も道を曲がり、敵の目を逸らしていく。完全に敵を撒いたと判断するまでその足は決して止まらず、判断してからも油断なく後方を睨みつけていた。
数分程してようやく張り詰めていた糸を緩め、息を吐き出す。
『……行き止まりの道を引いたら死んでたかもな』
『やめてよね、縁起でもない』
今回は何とかなったが、ダンジョンは迷路なのだから、当然行き止まりもある。あの大群を引き連れながら行き止まりにつけば、どうなるかなんて考えるまでもない。
というか、実際少数から逃げていた時は行き止まりについた時もあった。
『アリアナ、魔法を使っても大丈夫な回数は?』
『それは精神疲弊を起こすまで、だよね。それなら四――ううん、三回、かな』
『こういう時は普通の魔法が羨ましいと本気で思うよ』
軽口を叩きながら、壁から背を離して歩き出す。そして前方を見ると、遠くから何かが近づいて来るのが見えた。
『……? アレは――人?』
『え? じゃ、じゃあ、もしかして助かるかも!?』
アリアナが一瞬喜びの声を出すが、シオンはどうにも嫌な予感が拭えない。確かにアレは人影なのだが、それにしては近づいてくるのが速すぎる。
まるで――なにかから逃げているような……?
『ねぇシオン、呼ばないと! 一緒に行動して欲しいって!』
『……アリアナ、少し黙っていて欲しい』
嫌な予感がどんどん大きくなる。冷や汗が流れ落ちるのを感じていると、その人影は三人程になった。
その三人は何に怯えているのか、しきりに後ろを振り向いてはこちらへ走ってくる。
そして遂にはシオンに気付かぬまま、先頭の男がシオンにぶつかってくる。敢えて踏ん張らなかったシオンがそのまま倒れこむと、
「あ!? なんだこのガキ、邪魔しやがって……」
「言ってる場合か! このまま逃げるのが先だろ!?」
「そうよ! どうせならコイツに押し付けちゃえば……」
シオンの存在に苛立ちながらも、さっさと行ってしまう。
『な、何なのあの感じ悪い人達! いくら冒険者だからって最低限の礼儀くらい――って、シオン? どうしたの?』
『いや……』
怒っているアリアナは気付いていないらしいが、先頭の男、シオンにぶつかってきた時に何かを落としていった。
思わず手に取ると、それは真紅の宝石。まるで血のような紅を覗き込んでいたら、ふいに既視感を覚えた。
まるで、どこかで見た事があるかのような。
そんなシオンを置いて、後ろへ走っていった彼等の声が微かに届いていきた。興奮し、喜悦に歪んだ声。だがそれも、すぐに困惑、更に悲鳴へと変わった。
当たり前だ、シオンはモンスターの大群から逃げていたのだから。そんなところへ自分達で突っ込めば死ぬなんてわかりきっているのに、周囲の探索を怠った彼らはあっさり死んだ。
『……自業自得』
なんでか冷たいアリアナにちょっとだけ疑問を抱くもすぐに捨て去る。この宝石をどこで見たのか、思い出してしまったからだ。
「……まず、い」
ドッと体から汗が流れ落ちていく。
全てを理解したシオンがよろめきながら立ち上がり、前を見る。と同時に、女性の奇声が遠くから響いてきた。
逃げようにも逃げられない。まだ後ろにはあのモンスターの群れがある。
シオンの顔が引きつった笑みへと歪んでいき、そして遂に、、『そのモンスター』が姿を現した。
まず見えたのは人間と同じ五指。だがその鋭い爪は、人の物ではありえない。次に、女性とわかる程度の顔形と体。
だが、最後に見えたのは巨大な蛇の胴体と尾。全身を青白い鱗に覆われたそれは、明らかなモンスター。
「『ヴィーヴル』……」
一見すると
アレは、竜種に連なるモンスター。当然その戦闘能力は高い、高すぎる。少なくとも単独で挑むような相手ではない。
だが、それだけなら逃げればいいだけの話。なのにここまでシオンを焦らせているのは、今手元にある宝石の存在。
シオンが敢えて見なかった、ヴィーヴルの額を見る。
そこに本来あるべきモノ――『
『キシェアアアアアアアアアァァァァァァ――ッ!!?』
あのモンスターにとって何より大切な『額の宝石』、それを奪われるとあのモンスターは途端に凶暴化し、文字通り地の果てまでこれを取り戻そうと追いかけてくる。
仮に返したとしても意味はない。それ程までに必死になって追いかけてくるほど大切な物を盗んだ下手人を、普通は許すか。
――許すはずがない。
「……マジで?」
シオンの現実逃避は、再びヴィーヴルがあげた奇声に掻き消えた。
今回はシオンを助けるために行う具体的な行動の説明と行動に移すまで。
シオンの方は絶賛大ピンチ中。
途中のシオンがどうやって24層に戻ろうとしているか云々は地図があった方がわかりやすいんですけど諦めましたすいません。
わかんなかったら『そういうモノ』と割り切ってください。説明下手でごめんなさい。
次回はどうなるか、お楽しみに。