少女特有の甲高い声音は、モンスターの悲鳴入り混じるダンジョンでも、よく響いた。そう、何か大切な物を失い、絶望を色濃く宿した、少女の悲鳴が。
その意味は全員が即座に理解した。させられた。
――シオンが落ちた。
あの炎によってアイズが落とされたのは知っていた。なのに今アイズはそこにいて、助けられるような人間は一人しかいない状況で。
わからない、なんて現実逃避が通じるはずがない。
ベートはモンスターの相手をしつつ周囲に視線を走らせる。
『シオンが落ちた』という状況で、それを知ればアイズの次にヤバい相手。
「ティオナ!」
「……ッ」
表面上はいつも通りに大剣を振るっているように見えるが、ベートにはわかる。どう見ても無理をしていると。
「私は大丈夫! だけど……っ。ちょっと周りを見てる余裕は、無い!」
内心は不安で心配でどうしようもないはずなのに、気丈に振る舞う。ベートとしては、そんな今にも泣きそうなくらい細められた目を見せられたら信じきれないのだが。
「安心しなさい、あの子の危ないところは私が支えるから」
片手で
「あっちの世話もしてあげる。……何分稼げばいいのかしら?」
ベートの『意図』を何となく察しているらしいティオネが、普段は絶対にしないウィンクをしてくる。その冗談めかした動作は、すぐにでも押しつぶされそうな雰囲気の中で、ある種の清涼剤でもあった。
「一分だ! 一分だけでいい!」
「あら、そう? ならその一分、全力で稼いであげる。鈴、あなたは私の後ろにいなさい! 前はティオナだけでいいから!」
「了解した!」
『不壊属性』を利用し、刀を盾に使うという暴挙をしていた鈴が下がってくる。当然それに追い縋るモンスターを、入れ替わったティオネが湾短刀で切り裂いた。
血を噴き出して倒れるモンスターには見向きもせず湾短刀を振るい、血を拭う。
ベートからは見えない方の目が、歪に見開かれた。
「――殺す」
そして『時間稼ぎという名目の殲滅』を、開始する。
一方でアイズは、シオンから助けられてから一歩も動いていなかった。受け身すら取らずに地面に叩きつけられ、しかし痛みに顔をしかめる事もなく身を起こし、現実を再認識して、絶望のままに瞳を揺らがし続ける。
――シオンが。
視界が揺れるのは、無意識で体がガタガタと震えているせい。
――私の、代わりに。
それでも感じ取った気配に顔を上げると、リザードマンがちょうど剣を振り上げている姿が。
――落ちた……。
だが、アイズは動かない。いや動けない。凍りついた心が、体を縫い止めてしまっている。むしろその剣を断罪の剣だと思ったのか、アイズは己の首を差し出すように頭を下げた。
「――っざけんじゃねぇ」
それを、アイズを助けるために走り出していたベートは見ていた。その顔は今までに見たことが無いくらい怒りに満ち満ちていて、額には血管が浮き出ていた。
「自分から命を投げ出すなんて甘えた真似してんじゃねぇぞぉ!?」
怒声なのか悲鳴なのか区別もつかない声をあげながら、ベートはリザードマンの首を落とす。血が服に付着したが、ベートは気にせずアイズの襟首を引っ掴むと、思い切り引っ張った。
無理矢理引っ張られ、結果的に首を絞められたアイズは息苦しさに顔を歪めたが、ベートの顔を見て文句さえ言えない。
「一度しか言わねぇから、その耳よ~くかっぽじって聞けよ……」
胸中では色々言いたい事があったベートだが、その全てを飲み込み、今最も重要な事を告げた。
「シオンは、生きてる」
「え?」
本来であれば、何を言ってもアイズに意味は無かっただろう。だが、この言葉だけは、何よりアイズに効果があった。
光を失いかけていた瞳に火が灯る。死んでいた体に活力が漲る。先程までの死に体はどこかへ消え去っていた。
しかし疑問は残る。
――その根拠は? と
「俺達の背中に宿る『恩恵』に意識を集中させろ。シオンのかけた『指揮高揚』は、まだ効果が残っているはずだ」
勿体ぶらず、ベートは簡潔に告げる。
「もしシオンが死んでいたら、このスキルは消えているんだからな」
「……!」
『スキル』と『魔法』には共通するところはほぼ無いが、実は一つだけ、同じところがある。それは意識しなければ発動できない、ということ。
当たり前だと思われるかもしれないが、実はこれが重要だったりする。
特に、シオンやアイズのような『持続型』においては。
シオンの指揮高揚は単発の命令については、それをこなせば効果が消える。だがあまりにも意味が広い命令では、特定条件でなければ効果が消えない。
わかりやすく言うと、シオンがさっき鈴にかけた『生き残れ』という命令は、その特定条件を満たさない限り、消えないのだ。
一つ目は、指揮官であるシオンが命令を取り消すこと。当然だ、命令を出せるのなら取り消すのは容易。
二つ目は、シオンが眠る、あるいは気絶する。要するにシオンの意識が途切れると、スキルの発動も切れて指揮高揚の持続効果は意味を成さなくなる。
それは言い換えれば、シオンが死んでいない、という意味でもある。
死んでしまえばその背中にある『恩恵』はただの『文章』になるだけ。スキルも魔法も、そこに存在しただけに成り下がるから。
瀕死に近い状況かもしれないが、とにかくシオンは生きている。
「だがな、ここでちんたらしてればシオンを助ける方法はどんどん無くなる」
シオンが落ちた先にモンスターがいないとも限らない。あのバカの事だ、何とか凌げていているだろうが、それにも限度はある。
「……ベート。私は、何をすればいいの?」
そこに思い至ったのかどうかはわからないが、アイズはベートに問うた。
「クソモンスター共を、全滅させろ」
とてもわかりやすい答え。
「わかった」
それに対し、アイズも一言だけを返した。
発動させっぱなしの魔法を体に纏わせる。立ち上がり、剣を握り直し、構えた。その瞳はかつてない程に鋭く、剣先は揺らがず、身体を支える風は淀みない。
「……邪魔、消えて」
鬼神となった少女が、全てを置き去りにしてモンスターを斬り殺す。
彼女を止められる者は、モンスターにも、人にもいなかった。
無茶としか言い様がない戦い方ではあるものの、結果的に数分と経たずアイズは敵を全滅させてしまった。しかし無茶がたたり、肩で息をしている状態だ。
それでもアイズは、さっき言われた『シオンを助ける方法』を聞くためにベートのところへと足を向ける。そのベートはと言うと、大人の拳くらいに大きな石ころを手に取っていた。そしてポーチから取り出した布を引き裂くと、石ころに縛り付ける。
一体何をしているのかと思ったが、ベートの目が真剣すぎて聞けなかった。仕方なく待っていると、ベートはいきなりその布に火をつける。
ボワッと燃え広がるその石ころを掴む手は相当熱いはずなのだが、ベートの表情に変化はない。ベートは火が燃え尽きないのを確認すると、シオンが落ちていった穴に放り込む。そしてすぐにしゃがみこむと、落ちていく軌跡を見つめ続けた。
その間にティオナと鈴は魔石とドロップアイテムの回収を頼んである。アレでティオナはまだ精神的に動揺している。何か作業をさせておいた方がいい。
ティオネはシオンが放り投げたバックパックを持ってきた。
「……チッ、やっぱりか」
『石ころがどこで止まったか』を見終えたベートが舌打ちする。それに対し、荷物を持ってきたせいで見られなかったティオネが首を傾げた。
「何がやっぱりなの?」
「この穴の先は23層じゃない。25層だ」
「――は?」
「……え?」
ティオネはありえない事を聞いたと不可思議に、アイズはピシリ、と固まってしまった。しかしベートの視線の先は、数十M下を見続けるのみ。嘘は無かった。
「え、それじゃまさか……シオンは地図を覚えてない場所に落ちたっていうの!?」
「そうなる。アイツが覚えてるのは24層から25層に続く階段までだ。25層自体の地図は、頭の中に存在しない」
それを聞いて、アイズの意識は遠のきそうになった。体がフラつき、その場に崩れ落ちる。咄嗟にティオネが支えたが、その顔は青褪めていた。
「だから、俺達は今すぐ18層に戻る必要があるんだ」
「戻るって、ベート」
「話はティオナが戻ってからだ。二度も話す理由は無い」
ティオネからバックパックを受け取ると、ベートは中身を確認する。大体の物は無事だったが、どうしても割れ物である回復薬の類はほとんど全滅していた。無事なのは数本程度。
――シオン、投げるにしても程度を考えろよ。
どれだけ焦っていたんだと内心呆れながら、唯一割れないようにしていたために無事だった万能薬六本を取り出す。ついでに砥石や食料も。
「今あんたがやってるのと、シオンを助けるのは繋がってるの?」
その作業はどう見ても今する必要はない。モンスターの襲撃を考えれば、さっさと逃げて然るべきなのだ。
「必要かもしれないし、そうじゃないかもしれない。……待ってろ」
ただし待つのは三分だけだ、そう言ってベートは腰を下ろした、その瞬間だった。
穴の底から全てを貫くような、稲妻の閃光が駆け抜ける。その魔法はどう見てもシオンが使っている『変幻する稲妻』だった。
「……やっぱ生きてんじゃねぇか」
何とも無いように振る舞っていても、本当は心配していた。即座に返答が来なかった時は、自分の考えが間違ってるんじゃないかとも思ったくらいだ。
誰にも見られないよう安堵の息を吐き出すと、ベートは自分が付けていたポーチの中に、先程取り出した少量の回復薬、それと万能薬を四つ。砥石と食料を詰め込むと、穴の中に落とした。
きっと、シオンなら無事に受け取るだろう。
「これでいい。シオンを助ける前提条件の一つはクリアしたからな」
如何にシオンであろうとも、流石に何の荷物もなく25層で戦い抜くのは不可能。それはシオンもベートもよくわかっている。
だからベートは、シオンならある程度の時間そこから動かないと察していた。察していたから石ころを落とし、落ちた階層の確認と、シオンがいるなら必ず返事を寄越す作業を同時にこなしていたのだ。
「後は18層に戻るだけだ。ティオナ達の方も終わったみたいだしな」
ちょうど作業を終えたティオナと鈴が魔石とドロップアイテムを抱えて戻ってきた。それをバックパックに入れてもらい、ティオネに背負ってもらう。
それを見て立ち上がったベートは歩き出そうとしたが、すぐに止まった。
「……アイズ、言いたい事があるなら今ここで言え」
何度も25層へ落ちる穴を見るアイズに、これじゃまともに戦えないだろうとわかったベートが聞いた。
アイズは何度か躊躇したが、それでも意を決して言う。
「ベート。私も25層に行きたい。シオンのところに……行きたい」
「ダメだ」
それが叶わないのは最初からわかっていたのだろう、泣きそうな顔で、だが諦めたように俯いてしまう。
言い方ってもんがあるでしょと、その肩に手を置いたティオネが睨みつけてきたが、気にせず続けた。
「お前じゃシオンの足手纏いになる。なんでかわかるか?」
「あ、足手、纏い?」
「ああ。ちなみにお前だけじゃない、俺達全員、シオンの足手纏いだ」
余りにはっきりと断言され、言葉を失うアイズ。数秒待っても答える様子が無かったので、諦めた様に息を吐くと、言った。
「あいつと俺達じゃ方向性が違うんだよ。唯一シオンに付いていける可能性があったのは、鈴くらいだろうな」
「は? あたいが、かい? いや無理だろう」
咄嗟に否定したが、ベートはあくまで可能性と言っただけに気付く。そしてよくよく考えてみれば、そんな話をつい最近聞いたような気がした。
「いや、待ってくれ。確か、アレは……『勝ち残る』力と『生き残る』力、だったような」
「ちゃんと覚えてたのか、そうだ、俺達は前者で、シオンと鈴は後者。……これ以上の時間は使えない、道中で説明するぞ。納得できなくてもついてこい!」
本当は一分一秒でも惜しい。だがアイズがあの調子では途中で絶対に躓くからと仕方なく話し相手になったが、もう無理だ。
少なくともある程度の理解はしてくれたのだし、後はもう、道中で説明していくしかない。
「……死ぬなよシオン。死んだらぜってぇに許さないからな……ッ!」
ちょっとだけ時は遡り、落ちるシオンは、死にかけていた。
いくらLv.3とはいえ、高所からかなりの速度で落ちれば普通に死ぬ。体が保たない。だからシオンは、体の向きを変えると仕方なしにもう一発魔法を使った。
アイズに撃ったのと同じインパクトの魔法。その衝撃はシオンの小さな体に途轍もない負担をかけたが、大部分を減速できた。
しかし、25層まで落ちるというのはシオンの思っていた以上に距離があったらしい。何とか受け身は取れたが完全にはできなかったし、何かが割れる嫌な音も腰から聞こえた。
「……い、た……ッ」
体がガタガタと震える。それは寒さでも何でもなく、痛みのせいだ。シオンが己の体を見下ろしてみると、血だらけだった。下半身についた小さな石を手で払い、その途中ふと気付く。
アイズの手を取った時に彼女と自分を支えた方の手。その手の爪が割れ、指先に刺さっている。これを放っておく事はできない。シオンは意を決して、割れた爪を引き抜いた。痛みに悲鳴をあげそうになったが耐え抜いた。
若干貧血なのか、揺れる視界に耐えずに背中を壁に預け、崩れ落ちる。それからポーチの中身を確認したが、やはりというべきか、割れている。
比較的無事なものでも、罅が入ってそこから地味に漏れ出ている。すぐに使うべきだろう。残っていたのを全部飲んだが、それでも体力も魔力も全快には程遠かった。良かったことがあるとすれば、血が止まった事くらいか。
目下やらなきゃいけない事が終われば、考える余裕も出てくる。そして、考えるのがリーダーとしての仕事だったシオンは、ベートの手助けの可能性をまず信じた。
――ベートはいつもおれの意見を否定して、それが間違っていないかを確認していたから……気付いてくれるかな。
反対意見を言えるのは、シオンの思考を理解できるからだ。だから彼に期待して、シオンは一先ずここに留まると決めた。
次に考えるのは、なんで25層まで落ちるような穴があるのかということ。
本来ダンジョンに点在する落とし穴は罠のようなものだ。偶然上と下の落とし穴が重なって2層連続落ちる時はあるが、3層を貫いているのはありえない。
――あの炎は、どう考えても魔法だった。
しかし、そこに『人の手が加わった』という前提があれば話は別。思えば19層の最初にあったあの『怪物進呈』も、そいつ等が原因かもしれない。
そう、『等』だ。これは単独犯じゃない。シオン達の監視をする者、25層までの穴を作る者、そしてタイミングを見計らって23層から22層に魔法を放つ者。
どうして狙われたのかはわからない。『ロキ・ファミリア』だから、アイズが最短記録を持っているからか、もっと別の理由か。
ただ何となく、ではあるが、これをした集団の名前は、当然のように理解していた。
「『
どうして今になってと思うが、考えたところで意味はない。
思うのは、アイズじゃなくて自分で良かったということ。アイズが落ちれば、彼女が助かる可能性は無い。シオンとアイズの二人でも同じ。
シオン一人だからこそ、生き抜く可能性が出てくるのだ。
何故なら、
「そりゃま、来るよな」
視界の先に見える、モンスターの集団。恐らく『怪物進呈』だ。19層と同じ。
アレは本来パーティが助かるために行われる事だが、それだけじゃない。恨みを持った相手にモンスターを擦り付けて、そのモンスターに殺させれば、モンスターを引き連れる事以外にはほぼリスク無しに相手の命を奪える。
アイズを殺すつもりなら、そうするのは当然。彼女はLv.3、ただ落ちた程度で死ぬとは相手も考えていなかっただろうから。
シオンの思考が冷えていく。アイズを殺そうとした相手に対して。けれど、その感情は表に出さないようにした。隙になってしまう。
だが、溜め込むつもりはなかった。
「八つ当たり、させてもらおうか」
魔法はこれ以上使えない。
けれど、一本の剣があればそれで十分。
だってシオンは、パーティ最強なのだから。
とはいえシオンもすぐに倒しきれるとは思わなかった。モンスターを使って殺すつもりであれば間断無く引き連れてくるだろうと思っていたし、ダンジョンから産み出される事も想定しておかなければならない。
ベートの手助けを待つにも限度があるから、ある程度経てば逃げよう――そう考えていたのに、そのどちらも起きなかった。
「……何が、したいんだ?」
相手の思考が理解できない。どうしてもアイズが殺したかったとかにしても、ここでシオンを殺さない理由にはならないからだ。
しばらく警戒していたが、やはり何も起きない。相手の不可解さには納得できないが、無意味な警戒は体力を消耗するだけだ。そう割り切って、シオンは壁に寄ってまた背を預けた。
爪が割れた方の手を何度かぶらぶらさせる。とにかく違和感が凄い。その違和感を誤魔化すように手を揺らした。
『アリアナ、話せるか』
『……話せるよ。表には出ない方がいいよね』
しかし心の内では、風の精霊である彼女と会話している。今のシオンとアリアナは、胸中だけで思考のやり取りをする方法を身に付けていたのだが、それが役に立った。
『シオンが聞きたいのって、ここから22層に戻れるかどうか、でしょ?』
今までシオンをずっと見てきたアリアナは、さっさと本題に入ると聞きたいことの核心を突いてきた。
『ああ。おれの魔法とアリアナの力を合わせればと思ってな』
『結論から言えば、できるよ』
アリアナが言うには、シオンの魔法と上手く噛み合うように力を使えばできる、らしい。ただそれをするには、大きな前提条件があった。
彼女の同意については、問題ないらしいが、もう一つ。
『――忘れてないよね。私の力を使うための誓いを』
『忘れてないさ。……忘れられない』
そう、シオンは風の精霊の力を『他者のために』使うと決めていた。その場合に限り、何の代償も求めない、と。
だが今回のこれは完全に自分のため。
もしシオンの望み通りの結果を求めるのであれば、多くの魔力を持っていかれるだろう。それはきっと、あの現象を引き起こす。
話の続きをするために意識を集中させようとしたシオンは、ふと頭上から何かが落ちてくるのを感じた。
見上げると、それは炎を纏った石ころ。多分、落としたのはベートだ。シオンが落ちていった階層の確認と、『いるなら返事をしろ』という意味を含めたもの。
あまり、話していられる時間は無さそうだ。
『持ってかれる魔力の量は?』
『残っているの全部と、多分、少しだけ寿命もいるかも』
それを聞いて、シオンはガリガリと後頭部を掻いた。
――それだと『
『精神疲弊』、それは魔道士において何よりも避けなければいけない現象。魔力を全て使い果たした魔道士は気絶するという、当たり前だが、しかし何より怖いこと。
軽度であれば数時間の気絶ですみ、後遺症もほぼ無い。だが重度の精神疲弊は数日間目覚めないのも普通で、起きた後もかなりの倦怠感に付き纏われる。
仮にここから戻れたとしても、シオンは戦えない。鈴以上の足手纏い。
シオン達のパーティは6人。鈴をカバーするために1人いるから、まともに戦えるのは実質4人だけ。だがシオンが気絶すれば、シオンを背負う者が出るため戦えるのは2人のみ。
無理だ。19層以降のダンジョンは、そんな状態で生き残れるような甘い場所じゃない。
……そう、ここでシオンの悪癖が出てしまう。
自分の命と仲間の命を天秤にかけた場合、どちらに傾くのか。今更言うまでもない、後者だ。自分よりも大切な人の命を優先してしまう、変えられないシオンの性。
結論は出た。
『……いいの?』
その言葉の意味を、シオンはよく理解していた。
「【変化せよ】」
『ああ、これでいい』
『一度でも使えば、もう戻れないんだよ』
『知ってる。悪いな、付き合わせて』
シオンとアリアナは一心同体。まぁシオンが死んでもアリアナは死なないが、それでも困る事になるだろう。
そういう意味で言ったのではなかったが、アリアナはシオンを止められない。
『……今更だよ、そんなの』
『ありがと』
だから、彼女にできるのは背中を押すことだけ。それに少しだけ表情を緩めたシオンは、上を見上げて手を差し出した。
「【貫くは一条の閃光。想い届かせる雷鳴の光】」
行く先は、何だかんだ助けてくれる、あの生意気な狼の元へ。
「【サンダーボルト】」
収束する雷が、一つの線となってベートの元へと駆けていく。
……これで、シオンは自力で戻れなくなった。
精神回復関連の回復薬はシオンしか持っていない。バックパックにもあったような気がしないでもないが、まぁ、無理だろう。
アイズを助けるときに放り投げたが、何かが連続で割れるような音が聞こえていたから。
とりあえず落ちてきたポーチを掴むと、今まで付けていた物は取り外して投げ捨て、代わりに腰に巻きつける。
シオンは一度上を見上げる。
――ベートは、助けるために動いてくれてるのかな。
できれば自分を助けるよりも、多分放心してるアイズを守ってほしいのだが、落ちたシオンにはもう関与できない。
今は、自分が生き残る事を考えなければいけないから。
『アリアナ、話し相手、なってくれる?』
『うん。私ならいつでもいいよ』
シオンの本心。
それを感じ取ってしまうアリアナは、だからこそ、普段通りに振る舞う。
『それじゃ行こうか』
そうする事こそが、シオンを生きながらえさせる術だから――。
という訳で今回は女性陣よりも男性陣――というかベートメイン回。一応ティオネも指揮できたりするんですが、どっちかというとベートのが得意です。
シオンの反面教師的な役割に立っていたせい。結構前に同じ文章突っ込んでましたが、アレがここの伏線だと予想できた方はいたのでしょうか。
シオンを助ける前提条件は今回、次回はベートがシオンを助けるための方法説明と、シオンが25層でどんな行動をしているかについてになる、かも。
とりあえず次回をお楽しみに!