英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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※今回はTS、女体化の表現があります。嫌な場合は飛ばしてください。付け加えれば次話もこれの続きです。
それでも読む場合は今回と次で一話のようなものなので、あらかじめご了承下さい。

次回の後半くらいに理由付けがあるので、そこだけ読めばなんでそうしたのかくらいはわかると思います。それから三話目に入ればあんまり混乱せずに済むかと。


迫りゆく闇
聖女の再来?


 「シオン、ちょっと女になってくれへん?」

 「何言ってんだロキ。とうとう頭がイカれたか」

 ちょっとどころではないくらいの罵倒が、思わずシオンの口から漏れ出た。ロキの表情があまりにも真に迫っていて、冗談とは思えなかったせいだ。

 「何がしたいのかはよくわかんないけど、女装だろうがなんだろうが、女の格好なんてする意味が理解できないから、ごめんだ」

 「むぅ、そこまで言うなら、仕方ないか」

 なんて出来事が、昨夜のこと。

 そしてそのまま眠り、早朝になって。

 

 ――目が覚めたら、女になっていた。

 

 自分でもよく意味がわからなかったが、体が女のそれになっていたのだから、そうと認識するしかない。髪質や肌の艶なんかは元々良かったからそう大した変化はないけれど、体付きが妙に柔らかくなっていたりしている。

 何よりも――

 「これ、どっからどう見ても胸、だよな……」

 男の時には無かった確かな膨らみ。試しに触ってみれば、柔らかい。そもそも男として当然ある物が消えているのだから、もう現実逃避なんてできない。

 朝起きたら女の子になっていました。

 それが全てである。

 ふぅ、とシオンは大きな息を吐き出す。一体どんな手品を使えば男の体を女の体に変えられるのかわからないが、何かしらの理由はあるはず。

 魔法ならば、魔力が切れれば。

 薬ならば、もう一度飲めば戻るはずだ。

 鏡の前から離れて部屋の箪笥を開け、服を取り出す。持っている服の中でも比較的『女の子が着ていても不思議ではない』感じの物を選び、並べる。

 それを前にしながら、シオンは今やるべき事を見据えた。

 今、女となったシオンがやるべき事は一つだけ。

 ――おれが女になっていると、誰にもバレないようにすること。

 ただでさえ普段の外見が女寄りなせいで、噂程度とはいえ『シオンは本当は女の子』説が流れているのだ。そこに悪意が紛れているから尚更タチが悪い。

 そこに火種を投下すれば、例え男に戻れても不和を招く可能性が高い。シオン自身は有象無象の発言だと割り切れても、何となくティオナとアイズがぶちギレそうな予感がしたので、とにかくこれは必須事項。

 だから、そう。

 本当はやりたくなんてないし、自分自身気持ち悪いとしか思えないが。

 

 

 ――シオン(おれ)は今から、()()()()

 

 

 着替え終えたシオンは鏡を前に身嗜みを整える。服の皺は当然、髪の乱れを直す。正直面倒だとしか思えないが、化粧をしないで済むだけまだマシ、なのだろう。

 とりあえず及第点、といったところで、シオンは最後にコンタクトレンズの入ったケースを取り出す。

 シオンの見た目はかなり特殊だ。白銀の髪と瞳を同時に宿す人間は、オラリオにおいてもかなり稀になる。例え見た目女でも、その特徴から誰なのか看破される可能性が高い。

 幸いどちらか片方なら、という人間はそれなりにいるので、カラーコンタクトレンズで瞳の色を変えれば、ある程度は誤魔化せるだろう。

 ――青色、でいいか。

 変な入れ方にならないよう気をつけつつ、両目にレンズをはめる。目の色が確かに青色になっているのを確認して、一度頷く。

 「こんな感じ……っん、こんな感じ、かな」

 念には念を。

 声質を変えて、低いものから高いものにした。常に意識しなければいけないが、シオンの特徴からある程度離れた少女になるためには諦めなければいけない事もある、と割り切った。

 まだ皆が起きるまで多少の時間はあるが、だからといって余裕があるわけじゃない。お金だけを持って、シオンは()()近づいた。

 「……あぁ、そうだ」

 この姿の時の名前を決めておいたほうがいいだろう。

 しばらく考えて、適当でいいか、と思ったシオンは、

 「イリン。これでいいだろ」

 決め終えると、窓から身を乗り出し、飛び降りた。

 軽装ではあるが、人一人の重さで落ちれば相応の速度となる。ゴゥゴゥという音が耳元で鳴り響いてくる。頭から落ちないように体勢を考えつつ、迫る地面をしかと見据えた。

 そして、地面まで残り数M、という段階になって、イリンは横の壁を蹴った。その勢いで回転した体を制御して墜落。勢いは殺せたが、

 「折角整えたのに、全部無駄に……」

 風や諸々の理由で、髪も服もボサボサだ。若干落ち込みつつ、割り切って見れる程度に整えたら塀を飛び越えて外に出る。

 飛び終えたらまず周囲を見渡し、人がいないかどうかを見る。Lv.3の五感を最大限に利用して気配を探るも、何も感じないので一息吐き、まず北のメインストリートを目指す。

 ――服を調達しないと……。

 今のイリンの服は女が着ていても不自然ではないというだけで、男物であるのには変わりない。だからちゃんとした女物の服を調達し、着替えなければいけないのだ。

 走りはしないが、コツコツコツコツ、とかなり速く移動していく。変な人間には会わないようにルートも考えているので、メインストリートには物の数分でついた。

 そこから迷わず、イリンは『ドレス専門店』に入る。そこは大人から子供まで、幅広い物を扱っているのを、イリンは知っていた。

 開店直後、しかも来たのが子供一人というのもあって、店員だろう女性が驚いたようにイリンを見る。イリンはその視線を振り切り、子供用のドレスがある場所へ。

 既にどんな服にするかは決めている。

 条件は膝下くらいまでのスカート。場合によっては戦えるように足が動かしやすいもの。それから両肩が剥き出しで、小さな胸の膨らみが見えるようなドレス。

 『シオンは男』というのはオラリオでは当たり前のように認識されている。『本当は女』なんていうのは酒の肴に言われる程度のこと。

 だから、イリンという少女に成りきったシオンは徹底的に男の要素を取り除く。男には胸の膨らみなんてない。パッドでも入れれば話は別だが、胸が見やすい服ならそういった誤魔化しはしにくくなる。

 「あの、お嬢様。親御さんはどちらに?」

 「いませんよ。今日は私一人で来ましたから」

 「えっと、それではお手持ちについては」

 「ここのドレス、子供用なら行っても数十万くらいでしょう? 持ち合わせはあるから、あなたが気にする必要は無いわ」

 言いつつ、まだ訝しそうにする店員にお金を見せつけると、慌ててすいませんでしたと言いながら頭を下げてきた。

 それを無視してイリンは己の選んだ純白のドレスを持ち、店員に頼んで試着する。初めて着るドレスに悪戦苦闘させられたが、何とかきちんと着こなし終える。

 両肩どころか腕、背中も丸出し。露出過多な気もするが、イリンの仲間であるティオナ、ティオネは当然、アイズも結構肌を露出させているので、まぁいいだろう。

 とはいえこれだけでは淋しいので、首元にネックレスを、耳にはイヤリングを購入。ブレスレットや指輪も勧められたが、それについては拒否した。

 代わりに帽子を頼んだ。なるべく鍔の広い物を選んでもらう。店員には日差しを遮るためにと言ったが、本当は顔を隠すためだ。

 口元は見えるだろうが、全体像が見えなければシオンを幻視する可能性は更に低くなる。体付きから女だという先入観を植え付けてから顔を見せれば、誤魔化される人間は、きっと多い。

 後は日傘。淡い桃色にレースのついた日傘にして、後ろ姿を隠す。

 合計金額は軽く十万を超えたが一括払い。

 ――なんでこんな出費を……。

 相変わらずイリンに趣味らしい趣味はないが、だからといって散財を好んでいる訳でもない。ある意味貯蓄が趣味になりかけているお陰で、そろそろ手持ちのお金は一〇〇〇万を超えそうだ。もっと貯めたら一級品の武具でも買いたいところ。

 なので、今回の出費はちょっと痛い。目標が遠のいてしまう。

 外には出さないように憂鬱になりながらもお釣りを受け取り、外へ出ようとしたイリンだが、ふと思い止まって店員の女性へ向き直る。

 「ありがとう」

 「何のことでしょう?」

 「持ち合わせについて聞いた後、子供なのにお金を持ってるからって、馬鹿にしないできちんと相手にしてくれたでしょう。それが嬉しかったの」

 まだ人はおらず、店員も彼女一人。高値で売りつけたり、あるいは金自体を奪ってもバレなかったかもしれない。

 けれど彼女は、客の意向を聞き、一歩引きながらもアドバイスは欠かさなかった。

 その事が、憂鬱の中でも嬉しい出来事だった。

 「……私の役目は、お客様に似合う服を選ぶ事です。そのために、この店を開いたのですから」

 「え? それじゃもしかして、あなたは」

 「またのご利用、お待ちしております。お嬢様」

 質問には応えず、彼女は頭を下げる。イリンは小さく口元を綻ばせると、

 「ええ、必ず」

 着るのは自分じゃないだろうが。

 誰かを誘って、また来る、そう決めた。

 イリンが店を出た時には、もう人の姿は疎らながらも存在していた。行き交う人々から時折視線を向けられながらも、それに悪意を感じなかったので、少なくとも変な格好ではないのだと認識できる。

 慣れないスカートに歩くのを苦戦させられつつ、ちょっとでも慣れるために歩き方を工夫して学んでいく。物の十分くらいでスカートでの自然な歩き方をマスターし、辺りを見渡す余裕がでてきたので、何とはなしに眺めながら、喫茶店に入る。

 朝食になるような物を適当に頼み、ガラス越しに外を見る。半透明ながらも見える自分自身の姿に溜め息が出そうになった。

 イリンことシオンの身長は、九歳ながらも発育の良い十二歳の男の子と同程度にはある。そしてそんな身長のまま女の体になったという事は、つまり。

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 そして、この世界では結婚年齢は早年であり、それが示すのは、イリンである現在。

 「……嫌なことを考えるのは、やめておきましょう」

 変な想像は振り切って、ここで働いている少女が持ってきたサンドイッチに手を伸ばす。ちょっとだけピリッとした辛味に旨味を感じながら、どことなく小さくなった口に頬張る。

 胃の構造も変わったのか、いつもより少量にしたのに満腹感を覚えた。いつもの量を注文していたら危なかったかもしれない。

 食後に水を頼んで飲んでいたら、ふいに外の光景が変わっているのに気づいた。ちょっとだけ人の波が多くなっていたのだ。

 どうしたのだろう、と少し背伸びをしたら、一瞬だけ泣いている子の姿が見えた。

 「…………………………」

 どうしよう、と悩む間もなく、イリンの体は動いていた。

 「これ勘定! お釣りはいらないから!」

 「え、お客様!? こ、これお釣りとかっていう金額じゃ……」

 投げ捨てるようにお金を店員の少女に渡し、イリンは店の外へ。後ろから戸惑ったような声が聞こえたけれど、足りないよりはいいだろう。

 「あの、すいません。ちょっと、どいて、ください!」

 邪魔な野次馬を無理矢理退かして、中心へ。

 人の多いところに割り込んだので、数度肘やらなんやらを入れかけられたが、全て受け止めていきながら、やっと泣いていた子のところに行けた。

 「ったく、泣いてばかりで許されるとでも思ってるのか? 盗みは盗みだ、ちゃんとしたところで罰は受けてもらうぜ。お前からは何度も被害にあったって、俺達の間じゃ有名だしな」

 何となく、その言葉でイリンはあの男の子が何をしたのか悟った。周囲の人達も、割って入ったイリンを見つつ、自業自得だなんだと呟いている。

 ――違う。

 確かに自業自得なのは事実だろう。

 だが、あの子が泣きながら言っているごめんという言葉は、あの店主にでも、ましてや自分にでもない。もっと別の誰かの為だ。

 そもそも、あの店主の言う通り何度も盗みをしているのなら、なんであの男の子はあんなにも痩せ細っているのか。

 決まっている。その誰かの為に盗み、それを渡してしまっているからだ。

 ――見捨てるか、否か。

 正直イリンと彼の間に関係は、無い。見捨てたところで、ああ、そんな子がいたな、で終わる程度の希薄さだ。

 だけど、イリン、いいやシオンとしてのお節介さが、立ち去るのを許さない。乱れた髪を撫で付けて乱雑に整えると、イリンは人垣から離れ、二人の間に入った。

 「大丈夫? 膝を怪我しているわ、水で洗い流さないとダメよ」

 そのまま店主を無視するように、男の子の傍へ寄り、頭を撫でて落ち着かせてみる。いきなり現れた年上の少女に驚いたのか、涙が引っ込んだ少年が見上げてくる。

 「あ、あんた、誰……?」

 「ただのお節介焼き」

 端的に答えると、イリンは立ち上がり、店主を見る。その視線に気圧されたのか、店主が一歩後ずさるも、周りの視線に気づいて踏み止まった。

 「なんだ、嬢ちゃん。これは俺とその坊主の話だ。関係ないなら下がってな。それとも、嬢ちゃんはこの坊主の家族か何かかい?」

 「いいえ。初対面よ。この騒ぎがなければ会いもしなかった程度の関係ね」

 そう言えば、店主は理解できないと顔を手で覆い、大袈裟に肩を竦めた。その顔には、物分りの悪い子供に言い聞かせるような色がある。

 「それなら、知らなくても無理はねぇか。いいか嬢ちゃん。その坊主は、今まで散々ここらで物を盗みまくった奴だ。子供だろうがなんだろうが、やり過ぎだ。ちゃんと罰を受けてもらわなきゃこっちの気が済まねぇ」

 「……それは、何をしても取り返しのつかない物ですか?」

 「いや、そうでもない。だが被害総額は結構なもんでな、この坊主にゃ返せないだろうよ。それに、仮に返せたとしても、盗まれた側の心証は最悪だ。その店の子供に殴る蹴るでいじめられるのは目に見えてるぜ」

 なるほど、この店主、いかつい外見だが面倒見はいいらしい。なんだかんだで『この場での解決策』を教えつつ、だが『その後の解決策』が無いのだと答えてくれる。

 少し、悩む。

 この場での解決策なら、どうとでもなる。金ならあるのだ、凌ぐくらいはできる。だが、その後の状況はこの少年がやってきた事の返済だ。そこまでは干渉できない。

 ここで助けられたとしても、この野次馬から向けられている少年への視線が、全てを物語っているというのに。

 もしイリンに、できるとしたら――、

 「わかりました」

 「んぁ?」

 「私がこの子の代わりに、金額の返済を行います。何十――いえ、何百万ヴァリスがあれば、返済できますか?」

 「い、いや、そこまではいかねぇよ。精々数万くらいだろ。それより、嬢ちゃん、あんたそんな金額返せるのか?」

 「返せますよ。その程度には稼いでいますので」

 店主に手を出してもらい、そこに今日持ってきた金銭の大半を置く。驚きつつも店主は被害にあった物を計算しているのか、

 「……これは余計だな」

 余剰分を返してきた。

 「あの、これはあなたに渡したもので」

 「盗まれた物はツケって事にしといてやるよ。嬢ちゃんの心意気に応じてな。だが、それをするのは俺だけだ。他の奴までは、保証できねぇ」

 店主はフン、と鼻を鳴らすと、一度少年に視線を向けて、また戻してくる。

 「いえ、十分です。……話は、聞いてた?」

 どうするのか、という意味を問う視線に小さく笑みを浮かべながら、イリンは唐突な展開についていけなかった少年の傍へまた近寄る。

 「な、なんだよ。あんた、何がしたいんだ。おれは何にも持ってないぞ」

 「別に何かを貰いたくてした訳じゃないわ。それと、助かった訳でもない。まず前提条件を間違えないことね」

 そう、間違えてはいけない。

 ある意味借金が返済されたこの状況。けれど、その過程で起きた少年へ向かう悪感情は返済されていない。

 「私はこれから先、あなたと関わる事はない。だから、もしまたあなたが盗みを働き、それで捕まったら、もうどうにもできない」

 もしこの少年が同じことをすれば、イリンと店主の顔は潰れるだろうが。やっと捕まえた盗人を解放するように頼み、それに応じたのだから。

 「だったら、どうしろってのさ。雇ってくれるとこなんてない。金がないなら、また盗むしかないだろ」

 「その思い込みから、どうにかするべきね。でも、まずするべき事は決まっているわ」

 否定的な意見ばかり口にしすぎだ、この少年は。

 苦笑いをしつつ、イリンは体の向きを変える。即ち、人波の方へ。そして膝をつき、帽子を取って横に置くと、背筋をピンと伸ばす。そのまま、ドレスが汚れるのも厭わず、上体を思い切り倒して、土下座した。

 「申し訳ありませんでした!」

 全員に聞こえるように、ハッキリとした声量で叫ぶ。

 少女が見事な土下座をし謝罪するというのはインパクトがあったのか、悪意ある視線が一気に困惑へと変わる。

 それは当然、少年もだった。

 「な――何してんだよあんた!」

 「何って、謝罪だけど。悪いことをしたなら謝るのは当然。あなたが真っ先にするのは、心底からの反省であるべきよ」

 「そんなのしたって」

 「無駄だと思う? でもね、そう思ってるからいつまで経っても改善しないの」

 土下座をしたまま、横目で訳がわからないと言いたげな少年の目をじっと見つめる。やがて根負けして目を逸らす少年に、シオンは告げた。

 「あなたは、逃げた」

 「……ッ、そんなこと」

 「盗むっていう、とても簡単な事に逃げた。頑張って金を稼ぐという手段を放棄して、楽な道に進んで、そしてこうなった。だったら、人一倍苦労するのはある種当然の事なのよ」

 土下座したまま説教はちょっとどうかと思ったので、体勢を正座に戻しながら、ただひたすらに少年だけを見つめる。

 けれど、今度は少年は目を逸らさず、逆に睨みつけてきた。

 「ガキにできる事なんて、知れてるだろ。体は小さくて、重いものは持てなくて、そもそも雇ってももらえないのに」

 「そうやって決めつけたのね。それとも、雇ってもらおうとしてそう言われたの?」

 「……ッ、それ、は」

 「やってないのなら、反論すべきではないわ」

 そもそも、

 「()()()()()()()()()()のなら、楽な事をせず苦労を背負うなんて当然の事なのよ」

 そう呆れながら言うと、少年が今日一番の驚愕を見せてきた。

 「な、なんで、その事を」

 「あなたの体を見てればわかるわよ。妹? 弟? それはわからないけど、家族か誰かのために頑張ってたのだけはわかる。だからこそ助けようと思ったんだから」

 もし自分の為だけにやってたのなら、イリンは助けようとは思わなかっただろうし。図星を突かれて俯いている少年を置いて、イリンはまた土下座に戻る。

 「どなたか、お願いします。この子を雇っては貰えませんか! 確かにこの子は盗みを働いてしまいました。ですが、大人の目を掻い潜れるだけの観察眼、盗んだのを悟られない器用さ、追いかけられても逃げ切れるだけの足の速さを持っています。悪い事に使っていたこれらも、良い事に使えばきっと役立てるはずです!」

 イリンのやっている事は滅茶苦茶だ。お節介だとかそういうレベルを超えている。払わなくていい金を払い、下げなくてもいい頭を下げ、願わなくても良い事を願う。

 「どうして、おれにここまでしてくれるんだ。他人だろ!?」

 「他人であっても、どんな事をしてでも誰かの為に動ける人を、私は尊敬する。そして、尊敬する人を助けるのは、不思議な事?」

 「おれがまた盗むかもしれないのに? バカだろあんた」

 「バカかもしれない。でもね、それが私だから。どうしようもない愚か者に差し伸べる手は無いけど、でも『誰かのため』っていう優しい子になら、更生できる余地を作りたいんだ」

 イリンだって人間だ。絶対に無理、無駄だとわかるような悪人に、無為な時間を使ってあげるほど優しくも親身にもなれない。初対面なら尚更だ。

 でも、その逆なら、とことん優しく、親身になろう。

 「言ったでしょ? お節介だって。あなたはただ、甘えてればいいんだよ」

 そう優しく微笑めば、少年が息を呑んだ。

 それから何かを考え込むようにし、

 「あー、もう! そんなにされて変われない訳ないだろ!」

 唐突に叫ぶと、頭を何度も掻いて、キッとイリンを睨むと肩を掴んで無理矢理体を起こさせる。それに戸惑うイリンの代わりに、少年は自ら土下座した。

 「今まで本当にすいませんでしたっ! 盗んだ人に全員謝罪しに行きます、二度と盗みなんてしません。真面目に生きていきます、だからどうか、チャンスを下さい! きちんと働いて、金を稼いで、妹に食べさせてやるために!」

 それは少年の叫びだった。

 何が彼の琴線に触れたのか、心底からの叫びは、彼の心を確かに伝わせた。けれど、それが伝わらない人間もいた。

 「あ、あなたが言う必要は無いんだよ? これは私が勝手にやってる事なんだから、あなたまで土下座する必要なんて」

 「悪いことをしたらまず謝る。あんたが言った事だろ。それに、本人じゃなくてあんたが謝っても意味無いって思ったんだ」

 何よりも、

 「働かなきゃ……いつか、飢え死にだ。おれも、あいつも」

 だからこそ今、イリンがくれたチャンスを手放さない。

 「おれが変われるならここだけだ。あんたが言う通り、人一倍苦労するかもしれないけど、でも真っ当に生きれるのなら、頑張ってやるさ」

 「ほぉ、よく言った坊主」

 「え?」

 ガシッと、少年の頭に大きな手が乗せられる。そのまま頭を掴まれ、体を空中に浮かせられる。自重で首が引っこ抜けるかと思った少年が暴れだした。

 「イ、イッテェェェ!? は、放せ! 首が、抜ける!?」

 「は、この程度で根を上げるなら頑張るなんて口先だけって事になるぜ」

 「ッ……」

 嘲るように店主が言う。それを聞いた少年は歯を噛み締め、店主を睨むような目付きで、しかし文句を言わずに耐えた。

 「そうだ、それでいい。……嬢ちゃんのお節介と、坊主の心意気に免じて、雇ってやるよ。ただし馬車馬みたいに働いてもらうから、覚悟しな」

 「……働け、るなら……それで、いいっ」

 「ふん、威勢だけは本当にいい。行くぞ、()()()

 「……ああ! でも、その前、に!」

 人称が変わったのに気づいた少年が大きな声で返事をする。そしてそのままどこかに行きそうな感じがしたのに、器用に手から逃れて地面に立つと、未だ座っているイリンの前に来て、しっかりと頭を下げた。

 「あんたが……いや、あなたがくれたチャンス、無駄にはしません」

 「そう言ってくれるだけでも、私が余計なお節介をした意味もあったかな」

 クスリと笑って言えば、どこか顔を赤くした少年の姿があった。よくわからず小首を傾げると、意を決したのか、少年が聞いてきた。

 「えっと、最後に、名前だけでも教えてくれない……ませんか? 何も知らずに別れるのは、嫌ですし」

 「私の名前? イリンだよ。それと、無理に言葉を直さなくてもいいんだよ。私とあなたはあんまり年の差、無さそうだし」

 口元に手を当ててイリンが言うと、理解できなさそうな顔をした少年が、小さく尋ねる。どこからどう見ても十四、五歳のイリンが、精々八歳前後の少年の年に近いと言ったのだから、仕方ないのかもしれない。

 「……イリンって、何歳なんだ?」

 「今年で九歳かな」

 瞬間、空気が凍った。

 その場にいた全員の視線が、イリンの体を上から下まで眺める。流石にジロジロ眺められるのに慣れていないので、ちょっと気圧された。

 「――ハァ!?」

 「……嘘だろおい」

 一番速く再起動した少年と店主が、驚愕と呆然の声をそれぞれ出す。その反応で何となく収拾がつかなくなる雰囲気を察したイリンは立ち上がると背を向け、

 「またね。今度は立派になった姿を見せてくれると嬉しいな」

 一度だけ手を振り、さっさと行ってしまう。

 「あ――ありがとう、イリン! おれ頑張るからさ! 頑張って、立派になったら、その時は」

 そこから先は言わなかった。いいや、言えなかった。まだ盗人のガキという肩書きが付いて回るような人間が、言えるはずがない。

 「もう一度出会って、名乗りあおう」

 結局、自分の名前さえ伝えられなかった少年が、小さく呟く。もう届かないところにまで行ってしまったイリンには決して届かない言葉。

 だが、イリンはLv.3で、且つ本人同様お節介な精霊がいた。

 『届けたよ、その願い』

 「次会うときは、イリンじゃないんだけどなぁ」

 一つ苦笑を零して振り返り、少年へ向けて大きく手を振る。言葉は言わない。けれど、そこに希望を見出した少年はグッと拳を握り締め、泣くのを堪えながら店主に向き直った。

 「ご指導ご鞭撻、お願いします!」

 たった一人の少年の運命を変えただけ。罰を与えられ、妹共々死に逝くはずだった命を、救っただけのお話。

 でも確かに、そこには優しさがあった。

 イリンと名乗った少女は、その後もオラリオの各地に赴いては、小さな少年少女を初めとして、様々な救いの手を差し伸べたという。

 「……ちょっと、報告してみようかしら」

 ――そして。

 その始まりの光景を見ていた『とある【ファミリア】の少女』が、己の神へと内容を伝えに行った結果として。

 「なぁなぁフィン、今オラリオで『聖女の再来』なんて言われとる女の子がいるみたいなんやけど、一緒に勧誘に行かへん!?」

 「いきなりなんだ、ロキ。……いつもの事だから何も言わないけど。わかったよ、護衛として僕も一緒に行こう」

 「さっすが! だからうち、フィンの事大好きなんやで!」

 一番知られたくない相手が、イリンという少女を勧誘しに動き出す。

 「それにしても【聖女】か。それを聞くと、あの人を思い出すよ」

 かつてオラリオでその二つ名を与えられた女性。

 「――【聖女】イリスティア・レクス・ハイリガー。確か彼女は」

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 更にその裏で、また面倒な事も起こっていた。

 「んー、聖女様、かぁ」

 ロキの叫びに何だろうと気になって追いかけていた褐色肌の少女が、好奇心を刺激されてしまったのだ。

 「私も探しに行こっと」

 ……こうして、ある意味シオンが一番知られたくない人物筆頭の少女が、イリンを探しに動き出す。




というわけで、初っ端からぶっ飛んだ感じにしてみました。
シオンが何故か女性化して、そのままオラリオを駆けずり回ってるというお話。バレないためにホームを抜け出したのに、人助けのために騒ぎに飛び込むイリンさん、マジ無鉄砲。

ちなみに聖女云々はほぼ適当。そもそも私の中で『聖女のような人物像』があやふやだったのが原因。なのでシオンが普段やってる行動をなぞらえてみました。

次回は今回の続きです。ロキ、フィン、そしてもう一人がイリン探して動きます。
タイトルは未定。

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