英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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同類

 ヘスティアがいた時の雰囲気は、もう感じられない。

 椿の顔からは表情という名の色が消え失せ、その目にあるのは冷たいモノだけ。手にした刀はかなりの力が込められていて、今すぐにでも真横へ触れられそうだ。

 「……何の真似だ?」

 「いや何、人の話を聞かない坊やにお説教」

 「…………………………」

 「――と、いうのは冗談だ。少し、試させてもらっただけにすぎぬよ」

 目だけで笑い、シオンを見下ろす。当のシオンは不愉快そうに目を細めながら、首元に添えられた刀を眺めた。

 「試すのが終わったなら、もうこれ、下ろしてくれないかな?」

 「いやいや、まだ終わってはいないのだから下ろすことはできん」

 それに、と椿は少しだけ面白そうにすると、

 「当たり前のように受け止めておきながらそう言われると、少し落ち込むぞ?」

 笑みを苦笑に変えて、そう言った。

 実のところ、刀は確かにシオンの首に添えられてはいるが、当たってはいない。その理由は、シオンが咄嗟に刀と自分の首の間に挟んだ短剣の存在。

 とはいえ椿はLv.3。その上武器は刀。本来なら衝撃によって壊れても不思議ではないが、

 「見たところ不壊属性……たかだかLv.2程度の冒険者が持てる代物ではないのだが」

 「フィンと戦ってた時にベートが使ってたのは見ただろ。一本護身用に拝借させてもらってるってだけさ」

 ダンジョンアタックでは使っていない。あくまで護身用。ベートの双剣は小さいから、服の下にでも隠しておけば案外バレない。

 持ち出してもいい、という許可が出たのは、良くも悪くもシオンが有名だからだ。18層で結構な規模の襲撃を受けたが、小規模――それこそ数人程度――が遊びか何かでちょっかいを出してきた事は何度もある。

 それを撃退するために、借りたのだ。

 ちょうど、今みたいに。

 「まぁ、そんな事はどうでもいい。これ以上この刀を下ろさず、おれの命を狙い続けるって言うんなら」

 元々シオンは彼女と契約をしに来るだけのつもりだった。

 だが当の本人である椿は契約をしようとせず、どころか己の命を奪おうとするかのような所作を続けるばかり。

 なら、シオンにだって考えがある。

 「――体のどこかが動かなくなるのも、覚悟しておけ」

 殺しはしない。というか、できない。

 彼女が宴に来たというなら、少なくとも椿・コルブランドはヘファイストスに近しい、あるいはお気に入りの可能性が高い。そんな人間を殺せば【ロキ・ファミリア】は今後ヘファイストス達が作った武具を買い取れなくなる事さえありうる。所謂出禁だ。

 だが、襲われたから仕方なく撃退した、というならまだ何とかなる。椿が何か言っても、ヘファイストスは内心ではどうあれ出禁まではできないはず。

 何故なら、深層領域の素材を手に入れられるのは、ほぼうちと【フレイヤ・ファミリア】だけだからだ。商業系に分類する【ファミリア】を運営するヘファイストスが、利益不利益の計算ができないわけがない。

 シオン自身は嫌われるかもしれないが――命には、代えられない。

 そう、冷ややかな覚悟を決めて椿を睨みつけると、椿はどうしてか俯いた。前髪によって目元が隠れているが、見える口元は、笑っていた。

 良くはわからない。が、いつでも動き出せるように短剣を持つ手に力を入れ直し、次いで体の重心を正した、その瞬間だった。

 椿が刀を引くと、そのままもう片方の手に持っていた鞘に入れ直したのだ。

 ――一体何がしたいんだ……?

 だが、それで硬直するほどシオンは対人戦闘の経験が浅くない。フィンとの戦闘では拳でぶちのめされた事だってある。油断も隙も、この程度の奇手では生まれない。

 刀を鞘へ戻した椿がシオンに近づいてくる。ジリジリと下がりながら、椿が短剣の射程範囲に入ったので即座に剣を振るう。

 それは確かに届いた。だが椿は、当然のように『手のひら』で受け止めて握り締め、決して手放そうとしない。流石にこれにはシオンも驚愕させられた。

 ――腕を大事にする鍛冶師が、手を犠牲に――!?

 心はそう思っていたが、体は動く。短剣を手放して椿から離れようとするが、その前に、彼女は動き出した。

 その長い手足が閃き、距離を取ろうとしたシオンを追いに来る。まるで蛇のような動作に知らず気圧されながら、シオンは地についた足を動かし横に移動。

 しかし、それをして避けるにはこの部屋はあまりに狭く、また最初の距離が近すぎた。加えて椿の『敏捷』値はシオンよりも高く、あっさりと捕まった。

 ガッシリと首を握られ、そのまま壁に背中を叩きつけられる。防音付きの部屋なのか、鈍い音に反して衝撃が体を貫いた。反射的に咳き込もうとするも、首を握られているせいでそれさえ許されない。感じたことのない苦しみに体と精神が痛みを訴え出すが、全てねじ伏せて両手を椿の腕に伸ばす。

 Lv.2程度の腕力でも、全力を出せばLv.3の椿の腕をへし折れる可能性はある――そんな推測からだ。

 しかし椿はシオンがその動作を完遂する前に一気に体を寄せる。更に首を握る腕の角度を変えると、腕がシオンの腹に密着するようにさせた。これでは腕を掴めない。握り締められなければへし折る事などできないのに。

 アイズとベートの救援は期待できない。二人はこの事に気づいていないだろう。よしんば気づいていたとしても、ここに来るまで時間がかかる。

 そして、その時間があれば――椿は自分を、殺せるだろう。

 死を認識した瞬間、シオンの背筋を冷たい汗が這い出す。まさか専属契約をしたい、という話が嘘だったのでは、という思考が浮かんできたが、全て後の祭り。

 それでもシオンの思考は回るのを止めないが、空回りするだけだった。

 手持ちにある武器はあの短剣しかなかった。この体勢で繰り出す徒手空拳は威力など出ない。それでは椿の防御力を越えられない。

 無理、それがシオンの頭が叩き出した結論。同時に、死を目前にしたという現実がシオンへ牙を剥いてくる。

 思えば明確な死を実感するのはこれが初めてかもしれない。死ぬかも、と思った回数は数知れないが、それでもなんとかなってきた。

 だけど、今みたいな――どう足掻いても死ぬ、という状況はこれが初。

 ――だけど。

 屈する事だけは、絶対にしたくない。

 そう思ったシオンは、自分に出来うる限りの鋭い眼光でもって椿を睨みつける。足掻きにもなっていないが、心が死の恐怖に負けるのだけは、どうしても嫌だった。

 さぁ、殺すなら殺してみろ、と思っていたが、椿の手に力が入ると、勇ましい心と同時に、怯える心がふとした拍子に浮かんできた。

 死の恐怖に、ではない。ふいに脳裏に浮かんできた顔のせいだ。

 いつも悪戯ばかりで鬱陶しくて、でも時折見せる愛情に満ちた顔と優しさを持つロキ。

 自分のその時の限界を把握してくれて、優しくも厳しく的確に指導してくれる友人、フィン。

 誰より自分を律して、蓄えた知識と経験を惜しみなく与えてくれる先生、リヴェリア。

 脳天気に見えながらも、その逞しい体で大切な仲間を守ろうとする根性を与えてくれたガレス。

 忙しいだろうに、ちょっとした時間に来てくれて、笑いかけてきて。義姉を喪った直後は自棄に近かった修行に身が入ったのも、彼等の献身があってこそ。

 彼等がいたから、出会えた。

 誰より大事な仲間に。

 自分の知る限り一番の負けず嫌いで、同時に自分も誰より負けたくない相手、ベート。

 出会った当初からは想像もつかない落ち着きと、頼もしさを見せる姉みたいな存在、ティオネ。

 まるで妹のように接し、彼女も兄として慕ってくれる、初めての弟子とも言えるアイズ。

 そして。

 一番辛かった時に気づけば傍に居てくれて、当たり前のように友人として接してくれた。何時だって明るさを見失わず、間違えかけた時には叱ってくれた彼女、ティオナ。

 死ねば、彼等と会えなくなる。話すことも、笑い合うことも、当然できなくなる。

 何もかもが――できなくなる。

 それがシオンに怯えを与えた。

 だからこそ――生きる活力を与えた。

 ――死ねない。

 死ぬ勇気という名の逃げじゃない。怯えながら生きるという覚悟。

 ――こんなところで、死ねるわけがないっ!

 空回りしていた頭が正常に回りだす。直後に気づいた。ここの対処法に。

 シオンは椿の腕を掴もうとしていた手を、彼女の服へ伸ばす。着物と呼ばれている服の襟元へ手をかけると、シオンの意図に感づいた椿が一気に力を込めてくる。

 「――ッ――!?」

 喉の筋肉へ力を入れて無理矢理耐えながら、シオンは襟元を掴んだ腕を、思い切り引っ張った。それによって元々近かった距離が更に近づく。

 すると、どうなるか。

 

 

 

 

 

 ――シオンの頭と、椿の頭が、凄まじい音を立てた衝突した。

 

 

 

 

 

 お互いの石頭が激突した衝撃に、一瞬意識に空白ができる。両者ともに手から力が抜け、シオンはその場に、椿は後ろへと倒れこむ。

 「ッ……げほっ、げほっ」

 塞き止められていた空気を確保しながら、意識をハッキリさせて近場にあった武器を手に取りすぐ立ち上がる。遠ざかった死だが、すぐ傍で手ぐすね引いて待っているのに変わりない。

 椿へと向ける目と手をそのままに、思い切り息を吸い込んでアイズとベートを呼ぼうと口を開いて、

 「――ま、待て待て! もう手は出さんから、叫ぶのはやめてくれ!」

 「……。……へ?」

 本当に、心底から慌てた様子の椿に、毒気を抜かれた気分になった。

 しかしすぐにハッとした。もしこれが椿の策なら、見事にハメられた事になる。ヤバい、アホかおれはと自分を叱咤しながら再度口を開け――

 「だから! もう! 手は出さん!」

 ようとしたら、椿にタックルされた。その時ちょうど良い具合にシオンの舌が歯に挟まれ、ブツンというとっても嫌な音が。

 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!??」

 椿に殺されるという事は無くなった。

 が、別の意味で死にそうになってしまったシオンだった。

 その後椿から差し出された高等精神回復薬によって何とか舌を治したシオンだったが、口を開けた瞬間滝のようにドバーッと流れ出てきた血を思い出すと背筋が凍る。舌を噛みちぎって死ぬのは痛みによる筋肉の収縮と、ちぎられた舌が喉で突っかかるから、というのは知っているが。

 傷口を見た椿のあの顔――本当に、思い出したくもない。

 割と冗談にならない事態と傷によって内心の評価がダダ下がりの椿を見ると、彼女も彼女でやり過ぎたと感じたのか、ちょっと狼狽えていた。

 「す、すまぬ。少しだけ試そうと思っていただけなのだが……」

 「いやまぁ、多少の痛みには慣れてるけど、流石に舌を噛みちぎりかける経験なんてないから、内容によっては普通に許せないよ?」

 洒落抜きで死を覚悟した程だ。出来ればもう二度とやりたくない。

 「う、うむ。手前としてもやりすぎたのは自覚している。だが、折角専属契約を結びたいと思える程の相手を見つけたのだ。知りたい事を確かめたくなっても仕方無かろう」

 「知りたいこと? おれの、何を?」

 「心構え」

 これで腑抜けた答えだったらランク差等お構いなしに突っ込んでいただろうが、彼女の顔と声音から真剣な話だと察し、佇まいを直す。

 椿の方もシオンが真剣になってくれたとわかったのか、どこか身を乗り出しながら話し出す。

 「ダンジョンでは死などどこにでも転がっているであろう? 故に、簡単に死を受け入れる相手に己の造った武器を預けたくなどなかった。……例えどんなに武器が優れていても使い手の心が死んでいては意味がないのだからな」

 図星のせいか、ズキン、とシオンの心が痛んだ。まさしく先のシオンがそれだったからだ。初めて実感した死に知らず混乱していたのかもしれない。シオンはあの時の『死への恐怖』と『死にたくない』という怯えは、一度も感じた事がなかった。

 「だから、殺すつもりでやって、最後まで諦めず足掻けば合格。そうでなければ不合格として、契約は白紙に戻すつもりだった、という事だ。多分に個人的な事が含まれているが、それについては謝罪しよう。本当に、すまなかった」

 大きく頭を下げてくる椿。

 「これで足りなければ、土下座もしよう。何でも極東では最大級の謝辞だそうで、同時に最も屈辱的な行為だと言う」

 「い、いや、それは別にいらない」

 本気の声音に若干押されながら言うシオン。正直土下座なんてされても戸惑うだけで良いことなんて一つも無いので、本気の謝罪があればそれでよかった。

 「いいや、手前の気が済まぬ。それに、アレは確かに試験的な意味合いもあったが、何より個人的な感情が多かった。……暴走、してしまったのだ」

 「暴、走?」

 「うむ、暴走だ。やっと――初めて見つけられた、同類。かつてぶつかった時には気付けなかった部分を、あの宴で、見つけられた」

 その時の椿の表情に、シオンはあらゆる意味でゾクリと震えさせられた。それを誤魔化すためにシオンは彼女の言葉に重ねる。

 「そもそも、どうして椿はおれを選んだんだ?」

 シオンからすれば、そこが不思議だった。

 ヘファイストスが直々に目を向けるほどの腕前を持った鍛冶師。ならば、他の者からも相応の注目を浴びているのが普通のはず。

 仮にフィンとの戦闘を見ていたのが理由でも、単純な戦闘能力や財政力がシオンよりも上な人間などいくらでもいるだろう。だからわからない、彼女が自分と契約しようとした、その理由が。

 「選んだ理由、か。これこそが一番個人的なものなのだがな」

 椿は抽象的な表現しか言わない。そのせいでイマイチ察せられないシオンが疑問によって眉根を寄せていると、椿が身を寄せてきた。

 殺意は無い。敵意すらも持っていない。だから反応は遅れたが、先程の事が脳裏を過ぎり、一歩遅れて身を仰け反らせる。しかしその程度では回避できるはずもなく、椿の手がシオンの頬を撫で上げた。

 何がしたいのかわからず困惑するシオンに、椿はもう一度頬を撫でると、親指をシオンの目の下に置き、その眼球を指し示した。

 「その、眼だ」

 「……眼?」

 「うむ。フィンとの戦闘。そして先程試した時にも見せた、その眼差し――手前はそれに、惚れさせられたのだよ」

 恍惚とした表情で、椿が言う。

 熱に浮かされたかのようにシオンの頬を這いずる手を止めない。まるで、ずっと探していた者と巡り会えた事実に浮かれているかのようだ。

 「やっと、やっと見つけた『同類』なのだ。己の武具を融通したい、死なせたくない、そう思っても仕方なかろう……?」

 囁くような声音に、圧倒される。

 彼女は心底からそう思っている。下手に動けば彼女の親指が眼球に突き刺さりそうなせいで動くに動けないシオンが、答えた。

 「同類? おれとお前の、どこが?」

 「……。く、ふふ……そうか、自分では気づいていないのか」

 一瞬呆気にとられた椿だが、この年では仕方がないかと思い直し、少しだけ笑うと、

 「他の何を差し置いてでも叶えたい目的(ねがい)がある」

 そう言ってきた。

 その言葉がシオンの頭に染み渡ると、ほぼ無意識の内にシオンの顔が強張る。それは自身の意識から外れた部分を見抜かれたせいだ。

 「怖がる必要などない。手前も同じだ。主神様――ヘファイストスという、下界に降りたことで万能の力を封じ、人の身でありながら神の領域へと至った鍛冶師。憧れにして目標の存在」

 手前は主神様を超えたいのだ、と椿が言う。

 「神という悠久な存在と違い、手前の時は有限。だから決めた。富も名声も、女としての幸せも何もかもいらぬ。余人が使うだろう暇な時すら全て鍛冶に捧げよう。そしていずれは主神様すら超える鍛冶師になろう、と」

 人は椿を狂っていると言うだろう。

 だが、それがなんだと言うのだ。椿には叶えたい願いがあった。それを叶えるためには、常人ではいられなかった。だから捨てた。それだけの事に過ぎない。

 「シオンもそうであろう。手前とは方向(ベクトル)が違うが――己の身すら省みぬ程の願いがあるはずだ」

 けれど、椿とて人の身。

 常人であるのは捨てたが、だからと言って人を止めた訳ではない。ふとした拍子に、本当にこれで良かったのだろうか、と思い悩む時がある。

 忘れてはならない。

 椿・コルブランドは、まだ十代の少女に過ぎないのだという事を。

 だから欲した。

 全てを投げ出す勢いで一つの事に情熱を注ぎ続ける己に負けぬだけの想いを抱いた誰かを。そしてその人に、できれば己の武器を扱ってくれないだろうかと。

 その相手が、シオンだった。

 「な、にを……言って」

 「教えているだけだ。シオンと椿、この二人は同類である。常人ではない――狂人なのだと」

 「……っ」

 否定、できなかった。

 何故ならシオンは、その言葉を幾度となく投げられたから。

 ――狂っている。

 ――アレは化け物だ。

 ――本当に子どもなのか。

 血だまりに沈むような厳しすぎる指導でも気にせず受け続ければありえない物を見るような目で見られ。

 指導によってか精神年齢が上がりだすと、今度は異形を見るような目を向けられた。

 趣味など無い。持とうともしなかった。自分の持っている暇な時間全てを鍛錬にあて、あるいはダンジョンへと足を向ける。

 一年に何日ダンジョンへ潜るか、と問われれば。

 大体二〇〇から三〇〇。

 一年の半分以上をダンジョンへ行っている計算になる。Lv.2へさっさと上がったのだって当然の事だ。

 でもそれを、おかしいのだと否定され続ける。

 よりにもよって、同じ【ファミリア】の者ばかりに。

 もしこれが、椿にも当てはまるとするならば……。

 「手前は鍛冶師で、仲間(パーティ)には入れない。だが、シオンの相棒(パートナー)にはなれると思うのだ。シオンのパーティメンバーとは違うやり方で、お互いを支え合うことは……できないだろうか?」

 どこか縋るように、椿は言う。

 『やっと見つけた』

 先程言ったあの言葉は、本当の本当に、彼女が望んでいた想いが溢れでたものなのではないだろうか。

 シオンには、仲間がいた。

 隣を走るライバルが、斜め前を行く人が、横から支えてくれる友達が、背中を守ってくれる妹のような子が。

 だから頑張ってこれた。周囲の悪意に挫けず、ただ前を進み続けられた。

 だけど、もしそれが無かったら。

 今の彼女のように――心折れていたのではないだろうか。

 「…………………………」

 言いたい事は色々とあった。

 結局のところ椿の想いは自己中心的に過ぎる。勝手に同類を見つけたと舞い上がり、その相手と契約を結びたいと呼びつけたにも関わらず、死なせたくないからと殺しにかかってきた。

 何もかもがメチャクチャだ。

 なのにどうしてか、シオンの口は『断る』という一言を発さない。

 わかっている。

 自分が断るつもりなど、欠片も無い事を。

 こう言ってしまっては何だが、シオンは死にかける経験など、それこそもう数えられないくらいにある。今回のこれもその一つと割り切れそうなくらいだ、という事実に気づいて、内心乾いた笑いが浮かんできたほど。

 そんな風に自分の心を再確認していたら、いつの間にか椿が落ち込んでいた。

 「……り――手前とは…………無理……」

 言葉はほとんど捉えられなかったが、黙っている時間が長すぎて断られたと思い込んでしまったらしい。

 シオンは一つ溜め息をこぼす。それにビクリと肩を揺らす椿は、どうしてかさっき感じた威圧感も何も感じられない。どころか、身を縮めすぎて一瞬年下かと錯覚した程だ。

 そんなに怯えるならあんな事するなよ、と呆れた風に頭を振りながら、シオンはそっと、己の手を差し出した。

 その手を見てきょとんとした顔をする椿に、わからないのかともう一度溜め息。

 「()はあんな真似しないでくれよ」

 「つ、ぎ……次?」

 差し出された手の意味を、椿はようやっと理解する。

 椿が試す前に、シオンは一度、手を差し出した。

 契約しよう、と。

 だからこれは、その時の焼き直し。流石のシオンも三度目までは付き合えない。というか、下手すると死んでいたので付き合いたくない。

 呆然としている椿に、さっさと手を握ってくれないかと上下に動かすが、反応が見られない。

 ふむ、と少し考え、その手を戻すと、

 「あ――!」

 咄嗟に体を前に出した椿が、両手でシオンの手を包むように握りこんでくる。

 「……これで、契約完了?」

 「ほ、本当に良いのか? 手前も、先にやったアレは流石にやりすぎだったと、白紙に戻されて当然だと諦めていたのに」

 「なら交換条件。おれ達のパーティ、そろそろ19層に行く予定なんだ。そこで十分に通用する武器を作ってくれ。それで許す」

 「うむ……うむ! 任せてくれ、手前の腕によりをかけた逸品を作ろうぞ!」

 「いや、あんまり強すぎると地力が上がんないからそこそこでいいんだけど……」

 聞いてない。

 本気で喜んでいる椿は、勢い込んで「今ならいい作品が作れそうだ!」などと叫んでいる。

 ……ちょっと怖い。

 引いているシオンに気づかず、満面の笑みを浮かべながら椿は道具を用意し始める。だが何かに気づいたのか、ふと振り向くとシオンに言った。

 「そうだ、シオンに一つ、アドバイスをしておこう」

 「ん、アドバイス? 何のだ?」

 流石に疲れたので、椅子に座ろうと辺りを見渡しているシオン。ちょうとあった手頃な物を傍に引き寄せながら問い返すと、

 「――今の勢いでダンジョンに行くのは、やめておけ」

 予想以上に冷たい声が、帰ってきた。

 ハッとそちらを振り向くと、椿は今までに見た事のない――多分、憐憫か何か――表情を『どこか』に向けていた。

 「もしシオンという人間を武器に例えるなら、そうだな。魔剣、あるいは妖刀の類だ」

 「どういう、意味だ……それ」

 「文字通りの意味に過ぎぬよ。話は変わるが、そなたの傍にいるアイズは、鞘を得たようだ。本当に必要な時にのみその鋭い刃を向けられるようになった」

 己の手入れができる人間は、必ず長持ちする。

 そう言い放つ椿の意図が理解できず、眉を寄せる。だから、続きを待った。幸い椿もすぐに続きを話してくれた。

 「だがシオン。そなたは例え鞘に納まっていようと関係無い。『常に強くあれ』という、ある種の強迫観念染みた『呪い』を振りまいている」

 それはもちろんシオン自身にもある。

 だが恐ろしいのは、シオンの『周囲』にいる人間。

 「Lv.2へと上がったのは、そなた一人ではなかった。他にも三人、同時に上がった。だがその噂話を聞くに、その三人もシオンと同時期にダンジョンへと潜ったのだろう?」

 普通はおかしい。【ランクアップ】が同パーティ全員同時なんて、そうそうありえない。

 これが二人同時に、とかならまだわからなくもないが、四人というのはいくらなんでもおかしすぎる。

 だからこそ、足並み揃えた結果だという結論に至った。

 そして実際に接したからこそわかる。

 足並みを揃えたんじゃない。揃え()()()()()のだと。

 「シオンという人間は強くなるのが速すぎる。なればこそ、それに『置いて行かれたくない』と強く願う人間程影響されて自ずと強くなる。ならねばならない」

 進み続けて止まらないシオンを繋ぎ止め、生かすためには、常に傍にいなければダメだ。だがそれをするためには、シオンと同じくらいの速さで強くなる必要がある。

 終わらない。シオンの目的が何か、椿は知らないが――その内容如何によっては、これは永遠に終わらないサイクルを生み出すだろう。

 故にこそ、椿は『呪い』と評した。

 だが永遠などありえない。いずれどこかで破綻する。

 実際今だって、シオンとそれ以外のメンバーで【ステイタス】が徐々に引き離されつつある。それが現実だった。

 「――だが余りにも強さが乖離されれば、そなたは一人で行くようになるだろう。それを何とかしようとしたその『誰か』は無茶をする。その結果、どうなるかまでは……言う必要はないか」

 忠告だ、と椿は言う。

 「己の魔性に惑わされるな。手前とてギリギリで耐えているのだ、シオンも耐えてみせよ」

 鍛冶師として神の領域を踏み込み、憧れを超えるために全てを捨てようとする椿。

 もう喪いたくないから。たったそれだけの理由で全てを捨てて強くなろうとするシオン。

 よく似ている。だからわかる。だから理解できる。

 「……忠告、どうも。これからはペースを考えるよ」

 「うむ、そうしてくれ」

 先の言葉が、本心からの忠告なのも――。

 

 

 

 

 

 「それじゃしばらくしたら今使ってる武具を持ってくるよ」

 「頼むぞ。武装を強くしすぎない、というシオンの要望を叶えるためには、今使っているモノを見るのが一番手っ取り早いのだ」

 先程の一幕など無かったかのように振る舞うシオンと椿。打ち付けたところが微かな痛みを訴えていたが、それを悟らせないようにしていたからか、アイズとベートも、特に違和感が無さそうにしていた。

 椿から一つ、武器を渡されたのも理由だろう。使用感を教えてほしいと渡された、試作した短剣と剣に目を落としている。

 「また来る。鍛冶、頑張ってくれ」

 「シオンも、ダンジョン攻略でトチを踏むでないぞ?」

 コン、とお互いの拳をぶつけ合う。不敵な笑みを数秒交わすと、シオンは背を向けてホームへと足を向けた。それに倣い、アイズとベートもついていく。

 三人の背が完全に見えなくなると、椿は工房に戻り、着替え始める。動きにくい着物から、いつもの軽装へと。

 「久しぶりに……いい武器が作れそうだ」

 今のように穏やかな気持ちを抱けたのはいつだったろう。

 少女の小さな両肩に降り注いでいた目に見えない重りが少しだけどこかに消えた。それはきっと自分が一人じゃないと思えたから。

 だから、

 「――出てきたらどうだ? ベート・ローガよ」

 去って行ったはずの彼がいつの間にかここにいても、怒らずにいられる。

 「子供とはいえ異性の住む家に無断で侵入するのはいかがなものか。シオンはこれを知っておるのか?」

 「……いいや、知らねぇ。俺が勝手にやった事だ、すまなかった」

 苦虫を噛み潰したかのようにベートが答える。

 悪い事をしている意識は持ち合わせているらしい。

 それを承知の上で、ここに来たようだ。ノックくらいすれば良い物を、と椿は当然の思考を脳裏で考えた。

 しかしそれを言えば話が進まず泥沼になりそうだ。

 「それで、そこまでして手前の元へ来るとは、一体どんな用があるのだ?」

 「頼みが、ある」

 本当に、渋々という体で言うベートに椿は首を傾げる。

 椿はベートという少年が凄まじくプライドの高い人間なのだという事を見抜いていた。その程度の事がわかるくらいには、彼女は人を見ている。

 不思議だった。そんな人間が、どうして自分に頭を下げてくるのだろうか、と。

 「俺に――武器を、作ってくれねぇか?」

 「む、ぅ……? 武器を作るも何も、試作品ならば渡したし、これから作るであろう物もきちんと渡すぞ? わざわざ頼む必要はない」

 「それだとダメなんだよ」

 ベートの意図がわからない。思わず唸る椿に、ベートが思いきり頭を下げてきた。

 「俺が火力を出せるような、そんな武器を。……作ってほしいんだ」

 「火力? その戦い方で?」

 「ああ。俺の長所は足の速さと手数の多さ。だけどそんなの、フィン相手には攪乱すらできない程度の物でしかなかった」

 心底から悔しそうに、ベートは言う。

 「最低限、相手に俺を警戒させられるだけの火力が出せなきゃダメなんだ。少しでも俺に意識が向けられていれば、メインで戦う連中の助けになれる」

 「なるほど。そういう」

 納得の声と共に、椿はベートの体をジロジロ眺める。無遠慮な視線だが、椿に疚しい思いは一切無い。ただ彼の体付きを見て、使えそうな武器を考えていただけだ。

 「……今すぐに思いつくのは無理そうだ」

 「やっぱ、そうだよな」

 「だが、時間をかければ作れるかもしれぬ。何かアイディアを考えたらいつでも手前のところへ持ってきてくれ」

 「ッ、それは本当か?」

 「もちろん謝礼は頂くぞ? 慈善事業で鍛冶師などやっていられぬからな」

 それについては当然の事だと思っている。そもそもベートは、

 「元から借金覚悟でここに来たんだ。億を超えようが、必ず払う」

 自分の無理無茶も、それを通すために必要なのも、全て承知の上で、ここに来たのだから。

 シオンと椿の裏でこうして隠れて彼女に会ったのも、必要だと感じたからだ。

 ――奥の手を用意するのはテメェだけじゃないんだぜ、シオン。

 今の自分で満足してはいけない。

 もっと先を見据えて動かなければ、シオンのライバルとは言えないのだ。

 

 

 

 

 

 そうしてそれぞれがそれぞれの思惑で動く中、一月が過ぎた。

 開かれた『神会』において決められたアイズの二つ名【風姫】。彼女はそれを聞いた時にとても恥ずかしそうに、けど少し嬉しそうに、笑った。

 それとほぼ同時にシオンが【ランクアップ】を果たす。所要期間は一年と少しと、平均と比べてもかなり速い結果となった。

 流石にこれを見せられれば、『Lv.2になるまでの期間は偽りじゃないか』という噂は沈静化していき、更に『宴』で見せた奮戦の様子が人伝に伝わると、シオンに対する悪感情は若干の目減りを見せ、代わりに好奇の目が寄せられるようになる。

 けれど、シオンの過ごす日常は変わらず、違うといえばただ一点。

 休日を増やして、ダンジョンに行くペースを減らした、という事だろうか。椿の忠告はどうやらシオンの心境に変化を与えたようだ。

 なんだかんだ似た者同士のシオンと椿の相性は意外にも良く、時折工房に足を向けては共にダンジョンへ行く事もあるという。――甘酸っぱいモノではなく、単なる試し斬りの付き合いだが。

 『シオンに置いて行かれた』と言って頑張り、シオン以外の三人も続々と【ランクアップ】をしてくるのに苦笑して。

 気づけば、一年が経過していた――。




8歳時点でのお話はここで区切ります!

ここまでで書きたいお話は全部書いちゃいましたし。エイナ、リリとの邂逅。アイズを仲間に加え18層到達からの暴走。

そして最大の目玉だったフィンとの戦闘。

今回の椿との専属契約、といったところ。予想外に文字数行っちゃいました。

解説。
椿さんの行動について。
まず彼女の年齢を思い返してください。
十代の少女が、己の意思で決心したとはいえ狂人扱いされる上に異物の視線を向けられれば心がすり減ります。
彼女、鍛冶以外は常人の思考の持ち主ですし。
そのせいで、シオンという常識のある狂人を見つけて舞い上がり、『ちょっと』テンション上がった結果暴走。なんか戦闘紛いにまで行きましたが。
冷静に戻った後は普通に反省できる良い娘です。
シオンがなんだかんだ言って許したのもそこら辺がわかったからでしょうかね。

椿のシオン評価について
確か随分と前に『原作椿さんがアイズを剣に例えていたみたいに、シオンを剣に例えた場合どうなるのか』的な事を言われてたな……って訳で採用しました。
結果としては魔剣・妖刀。それでいいのかシオン君。

ぇー、それでなんですが。
どうして4500PT超えましたーって言った前回から今回で。

――4800PT超えかけてるんですかね(遠い目)

この増え方が皆さんの期待度を表してるみたいで超怖い。
特に感想でさり気なく見かける、
『女ベートまだかなぁ(チラッ)
 彼女の出番期待してますね(チラチラ)
 女体化楽しみでです(ニッコリ)』
……怖い。
なんで皆さん私程度の作品にこんな期待を!? これで中身が酷いと言われたら私の心がポッキリ折れるとか考えると胃ががががが。
あの時冗談で言った私の顔をぶん殴ってしまいたい。

これ以上考えると錯乱して発狂しそうなんで次回についてです。そもそも今回PTについて言ったのも万が一があるかもしれないからなので。

5000PTを超えた場合と超えなかった場合について、です。

超えた場合→ベート女体化話投稿。
超えなかった場合→本編投稿。

ちなみに本編と言いつつ中身閑話です。ご了承を。
一応ベート女体化の話のタイトルをば。

『If√ 想いの行き先』

これがタイトルなんで、これ見たら察してください。
念のため前書きでいくつか注意点とかは書いておきますので苦手な方は避けて下さい。ここまで言ったのに見て文句言われても私は知らない(保険大事)

ではまた次回ノシ

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