英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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裏で展開する準備

 エイナと共に冒険し、リリという少女と出会ってから、早三ヶ月という期間が過ぎた。

 到達階層は15層。本当ならもっと深いところまで潜っても問題はないが、命を賭け皿に『乗せすぎる』のは嫌いだ。安全を選ぶ分潜っている時間は他の冒険者と違いかなりあるので、今のままで十分なはずだ。

 とはいえ、せめてある程度の区切りになる18層にまで行きたいところなのだが。子供の体故に大きな無茶ができないのは、やはり辛い。

 そういえば、アイズの【ステイタス】が平均して大体400を越えたのだ。恐らく後三、四ヶ月程で【ランクアップ】するだろう。

 もしもそうなれば、シオン達4人の記録(レコード)、九ヶ月を大幅に更新する事になる。【ロキ・ファミリア】だからってこんな子供がどんどん世界記録を更新したら、色々苦情が来そうだ。

 まぁそれはそれとして、アイズが【ランクアップ】する寸前くらいに18層に行くのも悪くないだろう。それまでは、普通に頑張るべきだ。

 参考までにシオンの【ステイタス】は早いものだと700の大台に乗り始めている。ただここ最近の伸びはイマイチで、やはり15層程度のモンスターでは得られる【経験値】も微妙なのか。

 元々Lvが上がっていくにつれ伸びはどんどん悪くなると聞いたので、こんな物なのかもしれないけれど。

 「いえ、普通それだけの速さで【ステイタス】が伸びる事自体が異例なのですが」

 呆れと共に溜め息をするプレシス。

 今、シオンは回復薬の補充で【ディアンケヒト・ファミリア】のところへ来ていた。結構な頻度で来るためか、今では仲の良いプレシスが取引相手として矢面に立ってくれる程に。

 「って言われても、他の人を知らないから参考にする物さえ無いし」

 「自分の【ファミリア】の団員から聞いたらどうなんですか……」

 確かにフィン達を参考にすればわかりやすいかもしれない。

 フィンは今三十を超えている。オラリオに来たのが十五と仮定すると、Lv.6になるまで、大体十五年以上。割ると【ランクアップ】まで平均して二年と少し。

 「言われてみるとかなり早いね。気にした事が無かったからわかんなかった」

 「相変わらずな事で。それはそうと話は変わりますが、【ロキ・ファミリア】が『宴』を開くと噂が広まってるんです。何か知りませんか?」

 『宴』とは、文字通り『神の宴』だ。

 大雑把に言えば騒ぎたい神が宴を開き、それに参加したい神がそこに行く。料理に舌鼓を打ち、雑談に笑い、余興に酔う。ただそれだけの物。

 いつ誰が開くのかなんて決まっていない、自由奔放に開催されるお祭り(イベント)だ。

 シオンは両腕を組むと、首を振った。

 「あのさ、プレシス」

 「何でしょう」

 「おれ、立場上は単なる()()()なんだよね。知るわけ無いだろ」

 「え?」

 「ん?」

 「……いえ、何でもありません」

 無意識にシオンがかなり上の立場にいると思い込んでいたプレシスだが、確かにシオンはまだ八歳にも満たぬ子供だ。

 ……個人的には同い年の人と話している印象なのだが、そこは言わぬが花か。

 「フィン達から直接指導を受けてる点を除けば後は普通だよ。他と一緒。聞くのならフィンかリヴェリアに直接聞いてくれ。平団員にはわからん」

 一瞬、単なる平団員が【英雄】という名を与えられるのかと思ってしまったが。

 「……図太いだけなのか、単なる大馬鹿か。とりあえず、いつも通り回復薬十五本、高等回復薬が五本になります。値段は」

 気にしない事にして、いつもの対応に戻っておいた。

 「いつも通り、だろ。はいお代」

 「……確認しました。どうぞ、お受け取り下さい。またのご利用、お待ちしております」

 手渡された物がきちんと内容通りか確かめて、手に持つ。信用はしているが、誰にだってミスはある。ある程度の線引きは、暗黙の了解だった。

 「また来るよ。またね、プレシス」

 「はい。ユリによろしく言っておいてください」

 その言葉を背に【ディアンケヒト・ファミリア】を後にする。最近の行動パターンは似たような事の繰り返しなせいか、シオンが行く場所を大体悟られていた。

 基本的にシオンは回復薬を二十本、高等回復薬を十本確保してダンジョンに赴く。つまり残りの薬を取りに行くのだが、そんな場所は一つしかない。

 「ヤッホー、シオーン!」

 頭上から降ってきた声に顔をあげる。窓から身を乗り出すようにして手を振る少女は、シオンと契約しているユリエラだった。

 「いい年した女の子がそういう態度を取るのはどうかと思うんだが!」

 「えー? 別にいいじゃん、私がしたいからしてるんだし。それより速く昇ってきて!」

 言うだけ言ってさっさと引っ込むユリ。ハァと溜め息をしながら【ミアハ・ファミリア】に入ると、

 「すまないな、シオン。あの娘は今も昔も変わらないのがいい所なのだが……」

 「ミアハか」

 苦笑しながら近づいてきたのは、ここの主神であるミアハ。

 やはり神だからか、その顔立ちは端正だ。その貴公子然とした立ち振る舞い、甘いマスクに魅了された女性は数多い。ただかなりの鈍感で、同じくらい涙した女性もいるが。

 「特に気にしてないよ。もう慣れたというか、慣らされたというか」

 「ハハ、そうか。私としてはありがたいよ、シオンのようにああも気にせず接してくれる者は少ないからな」

 「そりゃどうも。薬品のあのエグさはどうにかして欲しいと思ってるけどね」

 やれやれと肩を竦めれば、我慢してくれと頭を撫でられる。

 神相手にこの態度、と思われるかもしれないが、相手の方から、敬語はいらない、態度もいつも通りで構わない、言われたので、気にせず生意気な姿勢を貫いている。

 『シーオーンー! はーやーくー!』

 「……我が儘お嬢様がお呼びみたいだから、そろそろ行くよ」

 「そうしてあげてくれ。では、また」

 横に移動してくれたので、中に入ってユリの元へ足を進める。途中ミアハの子が挨拶をしてくれたのでこちらも返しつつ、他と違い、何か汚れた扉の前へ立つ。

 「ユリ、入るぞ。……っ、くさっ!?」

 開けた瞬間鼻に直撃した刺激臭に鼻を摘み、香りを遮断する。しかし次いで襲いかかったのは眼の痛み。勝手に溢れてきた涙を拭いながら、これ以上この臭いを外に出してはならないと、決死の想いで中に入って扉を閉めた。

 「何なんだよこれ! おいユリ、聞いてるのか!」

 「聞いてるって。今調合中なんだからちょっと黙ってて」

 「調……合……?」

 ユリの手元にある、禍々しい色をしたビーカーを見る。沸騰しているのかボコボコという音が聞こえてきた。

 嫌な予感に、シオンの手が震えだす。

 「もしかして、それ……おれが飲むとか、言わないよな?」

 「あはは、何言ってるのシオン。――シオン以外の誰が飲むのさ、こんな劇薬」

 「だよなー……」

 ――あれ、なんか臭い以外の理由で涙が……。

 その後、シオンはユリから押し付けられたビーカーの中身を飲んでからの記憶が無い。

 「――ッハ」

 ベッドから起き上がり、自分の両手を見たシオンは第一声。

 「生き、てた?」

 「自業自得だってわかってるけど、その発言はちょっと心にクる物があるよ」

 部屋の換気を済ませたのか、少しいい匂いを纏わせるユリ。格好も、着替えたのかいつもとは違いまともだった。

 しかしシオンは外見に騙されない。ジト目で彼女を睨みつける。

 「だったら自分で試せ。そんで気絶しやがれ」

 「シオン、言葉遣いが」

 「荒くもなるわ! 毎度毎度気絶してればな!」

 唯一マシなところは、気絶から目が覚めた後に後遺症が無いところか。筆舌にし難い味と、全身を襲う激痛に耐えればいいだけだ。

 最近その痛みにも慣れてきたのを知ったときは頭を抱えたが。

 「ま、まぁまぁ。代わりに回復薬五本と、高等回復薬五本に万能薬一本のおまけだよ。何かアイディアくれれば万能薬もう一本おまけするけど」

 何だかんだこうして付き合いを続けているのは、ユリのサービスがいいからなのだろう。普通シオン程度の冒険者が万能約を持ち歩くなど、贅沢に過ぎる。

 「それじゃ、回復薬の使い方で、ちょっとした提案なんだけど――」

 安全を確保するためなら、その辺りは割り切って、シオンはダンジョンで役立つアイテムの制作を頼んだ。

 「ふむ、ふむふむ。確かにそれは一理あるね。でもこれだと通常の回復薬じゃそこまで効果が無いかな? とりあえずいくつか試してみるよ。ありがとねシオン」

 「いいのか? これは新薬には何の役にも立たないが」

 「いーっていーって。もしうまくいけばお金にはなるからね。薬の材料を買うための資金になればめっけものだよ」

 ニヤリと笑って、ユリはコーヒーを淹れる。シオンも貰ったが、凄まじく苦い。表面上はそんな風には見せず、素面のままなのだから、随分感情を隠すのが上手くなったと思う。

 二杯目は遠慮しておいた。お腹に水が溜まっている感じがして気持ち悪かったのだ。

 「それでさシオン。多分、プレシスからも聞いたと思うんだけど、ロキ様が開くかもしれないんでしょ? 【ファミリア】内で噂になってない?」

 「知らん。でも、少しおかしいな」

 ホームではそんな話を一切聞かないのに、実質部外者であるユリやプレシスが知っているのはどうしてなのか。

 「ああ、私達が知ってるのはミアハ様に聞いたからだよ。前回っていうか、一ヶ月前の神会でそんな事をロキ様が言ったみたいだよ? 今はまだ予定みたいだけど」

 「それだけだろ? 確かに【ロキ・ファミリア】が宴を開くのなら注目を集めるだろうが、そこまで気にする必要性は無いと思うんだけど」

 「んー、それが()()()()宴なら、私も気にしないんだけどね」

 一部分を強調して言うユリは、何かを気にかけているらしい。

 だが、シオンにはさっぱりわからない。そもそも宴がどういう物なのかを知らないのだ。単なる宴会のような物、という認識しかないシオンにとって、彼女達が何を思っているのか、想像さえできない。

 「いつもの宴は、神様同士がその宴で集まるだけなんだよ。でも今回の宴は、ちょっと違うみたいなんだよね」

 何でも、ロキは神会でこう言ったらしい。

 『詳細は追って連絡するけど、その内宴開くで。その時に見込ある奴連れてきや』

 ――本来神だけしか来ない宴で、神以外の者を連れてこさせる……?

 「詳細は追ってって事は、次回の神会で発表するのかね」

 「そこまでは私にもわかんないかなー。でもシオンに教えてないって事は、まだまだ先の話なのかな」

 「ロキのやる事には意味がある、とおれは思ってる。誰にも伝えてないのなら、相応の理由があるはずだ。そこがわからないから悩みどころなんだが」

 どちらにしろ、シオンには関係のない話だ。将来的には宴開催時に準備に携わるだろうが、それくらいだろう。

 「コーヒーありがと。また新しいのができたら呼んでくれ」

 ユリに礼を言うと、シオンは立ち上がって荷物を纏める。その姿を何とはなしに見つめていたユリは、ふと呟いた。

 「……シオンが関係ない、なんてありえないと思うんだけどなぁ」

 不吉な言葉は、やめてほしい。

 不安になるから。

 

 

 

 

 

 カァン、カァン、と金属がぶつかり合う音が部屋の中で反響する。

 鉄床(アンビル)の上で精錬金属(インゴット)をひたすらに叩く。余りの熱気に体中から汗を吹き出しているのに、それを一切気にせず彼女は形を変えていく目の前の金属だけを見続ける。

 もう何度こうして鎚を振るい、武器を作り続けたのか、彼女にさえわからない。

 「……失敗、のようだ」

 ただ、彼女自身が定めた指標が、今叩いている物は駄作になると言っていた。固執せず素直に諦めて熱した鉄を鋏で持ち、水の中へ突っ込んだ。

 瞬時に沸騰された水が蒸気し煙となって上へ進んでいく。それに見向きもせず、彼女は水筒に入れた水を頭から被った。

 「……温い」

 当然、高温となっていた部屋の中にあった水筒に冷たさなど無い。むしろ熱気にあてられて暖かくなっているような気がした。

 それでもダラダラと吹き出る汗を流せたのはいい事か。風邪をひかないよう、清潔な布を手に取って体を拭く。濡れたサラシと服を脱いで着替えて一息吐いた。

 「椿、今、大丈夫? 見たところ今日はもう鉄を叩かなさそうに見えるけど」

 「おお、主神様か。今日はこれ以上精錬金属が無いのでな、叩きたくとも叩けんのだ」

 椿と呼ばれた少女は、眼帯をした美女、ヘファイストスが来たのに気づき、工房ではない普通の部屋へ移動する。

 そこで座布団を用意してヘファイストスを座らせ、自分も座ろうとした、のだが。

 「ところで主神様よ。そこにくっついている神はどなたなのだ」

 「一応、私の神友のヘスティアよ。本当に一応、ね」

 「む、一応とはなんだいヘファイストス。ボクと友でいるのは不満なのか」

 プクッと膨れっ面になる少女のような者は、なるほど外見にそぐわぬ、確かに神と呼ばれるだけの美しさと隠しきれない威圧感を持っていた。

 ただ、その外見と仕草が内面から生じる物とのギャップを作っている。

 椿の黒髪以上に艶やかな漆黒は長く、彼女の耳を覆い、頭の天辺、その左右で青い布で結えられた髪がツインテールとなり、腰まで流れている。

 ちなみに椿個人の感覚として、ツインテールは幼さが助長されるからやめた方がいいと思う。

 ただ童顔と低い身長に相反して胸は大きい。椿やヘファイストスよりも。同性でも一瞬目が行ってしまうくらい、大きい。

 「そういう訳じゃないけど、自分の子ぐらい作ったら、とは思うわね」

 「いいじゃないか、急いでするような物でもないんだからさ。それより、椿君だったかい? ヘファイストスからよく聞いてるんだっ、将来有望な鍛冶師だって」

 ヘスティアという神が、好奇心を全面に押し出したキラキラ輝く円な瞳を向けてくる。それをむず痒く感じて佇まいを直してしまう。

 その居心地の悪さのままに、ヘファイストスへ言う。

 「主神様よ、このヘスティア、という友がついてきたのはどういう用件なのだ?」

 「特に理由は無いの。ただ『鍛冶師の仕事場が見てみたい!』ってせがまれて、なし崩し的に」

 「別に鎚を振るってる姿が見たいんじゃないんだ。ただどんな道具が置いてあるのかを見て想像するだけでいい。話し合いの邪魔はしないし、決して道具に触れないと誓う。だから、どうか見るくらいは許してくれ!」

 両手を合わせて頭を下げられて懇願されると、彼女の外見が外見なせいでどうにも罪悪感が刺激される。

 「……見るだけなら、構わぬが」

 「ありがとう椿君! それじゃヘファイストス、帰る時になったら声をかけておくれよ!」

 椿の両手を握って満面の笑みを浮かべると、ヘスティアはぴょんぴょん跳ねながら工房の方へと走っていく。

 頭痛を堪えるように片手で額を押さえるヘファイストスに、椿はつい言ってしまった。

 「何というか、台風のような親友のようで」

 ただ、その言葉は意外な程ヘファイストスの胸を貫いた。

 頭を抱え、ここではないどこかを見ている目をして、呆然と呟く。

 「昔はあんなんじゃ無かったはずなのに……もっと良い子だったのに」

 「主神様よ、まるで娘が反抗期を迎えて戸惑う母親のようだぞ!?」

 項垂れてしまったヘファイストスを回復させるのに、それから十分もかかってしまった。

 思わぬ愚痴に付き合わされて疲弊した椿だが、乱れた服を整えてお茶を再度用意している間にすまし顔に戻った。

 一方、ヘファイストスは先ほどの醜態を恥じているのか、赤い顔を誤魔化すように咳を一つしてから口を開く。

 「それで、今回来た理由なんだけどね。ロキが宴を開くみたいなのよ」

 「なんと、珍しい。しかしそれだけであれば手前の元へ来る意味がないのでは」

 「まぁ焦らないで。本題はここからでね。ロキの口振りから察するに、どうも自分の団員を1人連れて来いって感じなのよ」

 ここまで言われれば、椿にだってわかる。

 「その役目を、手前が? 別に手前でなくとも、現団長にでも頼めばいいのでは」

 「それも考えたんだけどね。でもやっぱり、椿がいいと思って。それに」

 一瞬、ヘファイストスは工房に視線を移し、

 「――最近、上手く行ってないんでしょ?」

 何でもないように、そう告げた。

 何も悪いことをしてないはずなのに、椿の心臓が跳ねる。俯く椿に、地雷を踏んだと理解したヘファイストスが慌て始めた。

 「だ、だからね? ちょっとした気分転換になるかなと思って提案したの。あの子も椿なら構わないって」

 その言葉は、椿に届いていない。

 思い出すのは先ほど失敗した武器、になる前の鉄。ここ最近、成功しても何とも言えない微妙なレベルの物しか作れていなかった。そういう意味で、椿はスランプに陥っていた。

 熱が、足りてないのだろうか。

 わからない。

 「……主神様よ。開くのは【ロキ・ファミリア】で間違いないのだな?」

 「え? ええ、そうよ。確かにロキが言っていたけれど」

 気分転換、とヘファイストスは言った。

 ならば、

 「もしその時が来たら、改めて来て欲しい。主神様にこういうのは、失礼だと思うが」

 「構わないわ。こちらから頼んでいるのは事実なのだし」

 それに乗っかってみるのも、一興だろう。

 椿の脳裏を過ぎるのは、かつて見た金の少女と、銀の少年。どちらも強く真っ直ぐな意思を持っていたが――特に少年の眼が、強く彼女の記憶に焼きついていた。

 後で知った【英雄】の名を与えられた少年。【ロキ・ファミリア】で今、【勇者】達とはまた別の意味で名を馳せる人物。

 彼ともう一度話せれば、この状況を打破できるのだろうか。

 

 

 

 

 

 何となく暗幕やカーテンを取り外し、太陽の光を取り込んでいる部屋の中。

 バベルの塔の最上階で、フレイヤはベッドに寝そべりながら紅茶片手に本を読んでいた。パラパラと紙を捲る指先一つ取っても魅力に溢れる仕草。

 格好自体はだらしないと眉をひそめるだろう者さえ虜にしてしまいそうだ。けれどフレイヤ自身にはそういった意識は無く、単にだらけているだけだった。

 やがて読み終わったのか、本を閉じて傍にあった小さなテーブルの上に投げ捨てる。それを確認したオッタルが、暗幕を設置し直した。手馴れたもので、すぐに終わる。

 くぁ、と欠伸をするフレイヤに、オッタルが聞いた。

 「一度お眠りになられますか? なされるのでしたら、退出しますが」

 「いえ、その必要は無いわ」

 単に文字の見すぎで眼が疲れただけだ。それに真昼間に寝たら、夜寝れなくなる。美の女神たるフレイヤにはあまり関係無いが、夜更しは美容の大敵なのだ。

 要するに気分の問題なのだが、フレイヤは何となく健康的な生活を心がけていた。

 起き上がって椅子に座り、紅茶が空になったところへすかさず新たに注ぎ入れる。フレイヤの纏う雰囲気でいるいらないを察せるようになったのはいつからか、なんて思いながら、オッタルは執事の真似事を続けた。

 「こちら、お茶請けのお菓子になります」

 「あら、ありがと。ちょうど小腹が空いてたのよ。……あ、美味しい」

 美味しそうに菓子を摘むフレイヤに、内心ホッと息を吐き出すオッタル。フレイヤにバレないよう、女性の部下に美味い菓子が販売しているところの情報を調査させたのだが、この笑顔を見れるのなら何の苦労もない。

 後で情報をくれた部下を労わなければ、と思いつつ、彼女の仕草を見守る。

 フレイヤが食べ終わったのを見終えると、手を拭くためのハンカチを渡し、皿を下げる。全ての作業を終えてフレイヤのところへ戻ると、彼女は何か楽しい事でもあったのか、笑っていた。

 「ねぇ、オッタル」

 「何でしょう」

 「ロキが面白い事をやるみたいなの。宴で誰かを連れて行くっていう趣旨みたいなのだけれど、一緒に来る?」

 オッタルがどう言うのか、わかっているのに敢えてフレイヤは聞く。

 「……いえ、誠に申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」

 果たして、オッタルは予想通りの言葉を返してきた。

 主神の『命令』であるならば、オッタルは否と答える事は無かっただろう。しかし『提案』であるのなら、彼は断る。

 その程度がわかるくらいには、一緒にいるのだ。

 「もし私が【ロキ・ファミリア】のホームへ行けば、ほぼ確実にあの少年と顔を見合わせます。それは本意ではない。私にとっても、あの者にとっても」

 心底残念そうに、ただその硬い意思だけは変えられないとばかりに眼を輝かせて、オッタルは首を振る。

 フレイヤには全くわからない、男の意地、だろうか。

 「もしまた顔を合わせるのなら、その時こそ決着を。……私が勝手にそう思っているだけかもしれませんが」

 笑うオッタルは、フレイヤにとって見慣れた物だ。

 「あなたは生粋の武人だものね。でもオッタルが断るとなると、誰も連れて行けないのよね」

 「アテは無いのですか?」

 「というより、誰を連れて行っても角が立つのよ」

 オッタルは、『都市最強の冒険者』だ。

 ロキが出すどんな条件でも、その称号だけでねじ伏せられる。誰も文句は言えない。真正面から戦えば、勝つのはオッタルだ。流石にフィン、リヴェリア、ガレスの3人が同時に来たら、無理かもしれないが。

 ただこれは、面倒な事に【フレイヤ・ファミリア】内部でも通用する。オッタルではない誰かを伴うというのは、No.2はその人であると示すような物だ。

 オッタルが一番なのは、誰の目から見ても明らかで、仕方ないと思える。ただせめて二番手はと思う人間が多いのは、どうしようもない。だから【フレイヤ・ファミリア】では一番のオッタル以下幹部は全員同列の状態になっていた。

 フレイヤが一声かければどうとでもなるだろうが、だからといって余計な火種を作ろうとは思わない。自分の選んだ可愛い子達が争うのなら、なおさらだ。

 「仕方ない、か。当日は私だけで行くしかないわね」

 「参加はできませんが……せめて、送り迎えだけは」

 「お願いね、オッタル」

 主従は笑い、数ヶ月後の光景を思い浮かべた。

 

 

 

 

 

 「とりあえず宣伝はしといたで。ただ、うちはどうなっても知らんぞ?」

 「ああ、それでいい。今はとにかく『噂』をバラ撒くのが優先だ。そういう意味では、神会は都合が良かったね」

 書類に目を通し、処理する合間に答える。

 この部屋にいるのは、椅子に背を預けるロキ、溜まっていた書類を処理するフィン、その手伝いのリヴェリア、そしてガレスの4人。

 「でもなー、フィン。うち、宴の内容()()()()()()()。二ヶ月後どうすりゃええん?」

 「その頃には教えるさ。今は神達が噂に好奇心をそそられるのを待つ時。餌が食いついた、その時一斉に引っ張り上げるためにも」

 「うわ、こいつ神を畜生扱いしたわ。真っ黒いなぁ」

 ロキのお望み通り、真っ黒い笑顔を返すと顔を逸らされた。実は好奇心を最もそそられているのがロキなのは、この4人の間では周知の事実。

 つまり、遠まわしに教えろと言った結果がこの返答だった。

 「しかしフィン、あの内容では失敗しても……いや、失敗するのが当然だ。あまりにもかかる負担が大きすぎるのではないか?」

 「失敗前提なのは承知の上だよ。リカバリーする方法もちゃんと考えてある」

 「私が言っているのはそういう事ではっ」

 「わかってる」

 リヴェリアが何を気にし、何に憤っているのか、それくらい理解できないフィンではない。ただそれでも、成功した時のリターンの大きさを考えれば、やった方がいい。

 「でもねリヴェリア。これから僕達は過去の人間になっていく。次代の為に打てる手は、全てとは言わないが打ったほうがいい。苦労するのは僕達じゃない、彼等なんだ」

 「っ……! わかったっ、私はもう何も言わん」

 顔中に『心配だ』という言葉を貼り付かせて、しかしフィンの説得に納得してしまったせいで引き下がるしかなくなったリヴェリア。

 「ところで、ガレスはどう思っとるん? そこんとこうち気になるわ」

 暗くなりかけた雰囲気を気にも留めず、ロキは黙々と苦手な書類を片付けていたガレスに笑いかける。

 その意図を瞬時に察したガレスも、ニヤリと笑い返した。

 「ふん、こんな真っ黒いドロドロしたやり取りなんぞ性分じゃないわい。酒でも飲んで騒いでる方がよっぽど楽しいわ」

 「……ガレスが関わらないから僕とリヴェリアに皺寄せが来ているんだけどね」

 「同感だ。少しはガレスも考えてもらいたいな」

 「おっと、藪蛇であったか。しかし儂は言ったはずだぞ? お主達のやり方に従おう、その代わり余計な口出しはせぬ、とな。約束は守らなければな? ガッハッハッ!」

 その通りなので一切反論できない。

 ガレスの茶化しによって、何とか後に引きずる事は無さそうだった。

 「すまない、2人共」

 ただ、その真意は思い切り見抜かれているようだったが。少し気恥ずかしいのは、安い駄賃だと思う事にしよう。

 

 

 

 

 

 ――そして、次の神会が開かれ、そこでロキから招待状が配られた。

 本来行きたい神が行くだけの宴でこういった正式な書面は用意される物じゃない。その物珍しさもあって、神達は渡された書面に書かれた最初の一文を、強く意識させられた。

 『二ヶ月後に開かれる宴に参加する条件として、最も可能性ある人物を連れて来ること』

 可能性、つまり、才溢れる人物。

 もっと言えば、その神が一番目にかける子を連れてこい、そういう文面。

 神達の疑問の視線を一身に浴びながら、彼女は不敵に腕を組み、

 「参加したい神がいるなら、うちに話通してな?」

 そんな事を、(うそぶ)いた。

 

 

 

 

 

 そんな裏事情など知らないまま、シオン達は変わらぬ日々を過ごし、一月が過ぎた。

 着実に実力を伸ばし、アイズの【ランクアップ】がリーチにまで届いた頃。シオンは一つの決心を固めていた。

 ――これ以上16層に留まり続けても、意味がない。

 目的は17層? いいや違う。

 13層へ続く道を前に、シオンは4人の顔を見渡し、叫んだ。

 「今日で18層へ到達する! 目標じゃない、決定事項だっ、いいな!」

 いきなりの事に戸惑うか、そう思っていたら、

 「今更か、慎重すぎんだよ、シオン」

 ベートは犬歯を剥き出しにして笑い、

 「私としては、遅すぎるくらいね」

 ティオネは呆れたように息を吐き、

 「異論無し。シオンのこと、信じてるからね」

 ティオナは静かな表情を見せ、

 「……頑張る」

 アイズは真っ直ぐに、シオンの眼を覗いていた。

 反対意見、無し。なら何を気にする必要も無い。

 「――行くぞ!」

 「「「「応っ!」」」」

 目指すは18層。

 そして――アイズの【ランクアップ】。




今回は山も谷もない、単なる日常です。謀略なんてない。……ホントだよ?

プレシスとユリの長年の付き合いから『分かり合ってる』感じのライバル感。
ヘスティアとヘファイストスの、甘えて、甘やかしてしまう、手のかかる娘を持った母親的な複雑な関係と、愚痴を聞かされる苦労人椿。
最早執事の真似事さえできるくらいの年月を共にした主従、フレイヤとオッタル。
結成当初メンバーだからこそ、腹を割って言い合える【ロキ・ファミリア】中心の4人の気安いやりとり。

シオンと、一番最後以外主要メンバー出しませんでしたが、どうだったでしょう。前回に引き続きプロットにすら入れてなかった話Part2なので、ちょっとだけ不安だったり。

それはさておき、次回もダンジョンダンジョンして行きますよー!
次話は文字通り『目標階層、18層』です。
強くなったシオン達の勇姿、待っててくださいね!

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