英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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『冒険者』とは

 エイナ、と名乗った少女の言葉に、シオンはしばらくの間思考停止していた。見た目だけで言うならそう大差無い人間から言われた言葉はシオンの目的と違いすぎたせいだ。

 ――……いや、待てよ。冒険者依頼? なんでそれに限定した?

 ふと気づいた事実に、シオンは自分の見た目と、今いる立ち位置に目を向ける。

 シオンの年齢は七、八。身長は同世代よりも高いが、それだって多少誤魔化せるだけ。正直に言って外から見たシオンは単なる子供でしかない。

 そして、今居る場所。冒険者依頼の貼られた掲示板の前にいるということ。つまり、彼女の目からシオンを見た場合。

 子供が誰か、あるいは自分の意思で冒険者に依頼を出しに来た、と。

 そう判断するのが妥当である。彼女が来たのはシオンを怖がらせないためか、あるいは単に手が空いてるだけなのかまではわからない。

 がしかし、シオンは一つ、聞きたい事があった。

 「お前はここで、正式に働いてるのか?」

 お前呼びしたからか、彼女はピクリと顔を動かす。それでも必死に貼り付けたような笑みを浮かべてきたのは、相応に『働いている』自覚があるからか。

 「将来的には、ですね。今は違いますが、学区を卒業したら受付嬢で働くよて――」

 「受付嬢で?」

 「あ、はい。いえ今は見習いみたいな扱いで、ノウハウを学んでいる真っ最中なのですが」

 「見習い」

 ――そうか、それは益々好都合。

 実のところ、シオンはフィンが言わなかった言葉の裏を読んでいる。がしかし、シオンはこの特殊な状況のせいで身動きが取れない部分があったのだ、が。

 「――専属受付嬢、確保」

 「え、え? 専属? いえちょっと、っていきなり走――まぁ――!?」

 反論されるのが面倒なので、彼女の膝裏と背中を持って駆け出す。周囲の視線を感じるが、実害は無いので無視。

 比較的人の少ない場所を選び、床を蹴り、カウンターを更に蹴ってそこにいた女性を飛び越えていく。意識が逸れていたのか、驚いた様子は見せなかった。……気づいていながら見逃していた可能性はあるが。

 しかし彼女が気付かなかっただけで、他の人は気づいている。時間は無い。何故か腕の中で真っ赤になって固まっているエイナに疑問を覚え、しかし暴れられないのならいいか、と思い直して周囲に視線を巡らせる。

 そして、1人の男性を見つけた。

 単なる直感。だがシオンの勘では、この場で一番偉いのはあの人物のはず。最後にまた足を加速させて近づき、彼が気づいたのを確認してから、

 「お願いがある。――エイナを、おれにくれ」

 「へぁ!?」

 「……君は一体、何を言ってるんだ?」

 何故だか石像のようにほぼ全員が動きを止めたのを、シオンは不思議そうに見ていた。唯一何かを言えたのは、エイナと、その男性だけだったという。

 結局凍った空間が動き出したあと、シオンはつまみ出され――る事は無く、男性に連れられどこかの部屋へと移動した。椅子が足りなかったから途中一個拝借して。

 男性はシオンの真正面に座り、シオンとエイナは隣り合って座る。ちなみにこの時点で誤解は何とか解いて――シオンにその自覚はないが――あった。若干赤い顔をされて距離を取られたのに傷つきながらも顔には出さないようにする。

 「さて、君の言葉は大体理解した。つまり見習いであるエイナを、冒険者である君の専属受付嬢にしたい、と」

 「ああ、そうだ」

 男性の――責任者、としか言ってくれなかった――言葉にシオンは頷く。突き詰めればシオンが彼女に求めているのはそれだけだ。

 男女の情やらを求めているわけでは、決してない。キャーキャーと一部の受付嬢が黄色い声をあげていたが、それは全く関係ない。

 「その真意は?」

 「……正直に言えば、ちょうどいいから、だ」

 「ちょうどいい……?」

 それに反応したのはエイナだった。事は彼女に関係するのだから、この場にいるのは当然なのだが、先程までカチコチと固まっていたから何かを言うのはもう少し先だと思っていた。

 それならそれでちょうどいい、と割り切って、シオンは言う。

 「おれは、Lv.2だ。だけど、冒険者としてギルドを利用するのは今日が初めてになる」

 エイナはこの発言に息を呑み、責任者でさえも一瞬眉をひそめた。しかしシオンのような、色々な意味で目立つ人間がいれば気付かないはずがなく、何より彼はシオンの姿を、間接的にとはいえ知っていた。

 「正直今から受付嬢に仕事を依頼しても、面倒なだけだと思うんだよ」

 仕事とは、ある一定のルールがあるからこそ機能する。彼らからすれば、シオンのようなもうある程度、というか【ランクアップ】してからギルドを利用する人間など、初めてだと言ってもいいだろう。

 いきなりポッと現れた、どこに区分すればいいのかわからない冒険者。しかも冒険者自身、ギルドの利用方法がわかっていないのだから、対処の仕方の取っかかりさえ見つからない。

 「だから、見習いで、誰にも対応していないエイナなら、イレギュラーにも対応できるんじゃないか、と考えた」

 「……ふむ。確かに、一理ある。基本的にうちも、冒険者と変わらないからな」

 仕事とは一朝一夕で身につく物ではない。ある程度を覚えるためには、相応の期間が必ず使われなければならない。

 そして、例えばLv.1、新米の冒険者を相手するのは、仕事に就いてノウハウを覚えたばかりの新米受付嬢が相手する。もちろん新米受付嬢とてちゃんとした教育は受けさせるが、それはその教育内容を極めて限定するからだ。

 例えば、覚えるのは『上層』の、1層から5層までのモンスター、とか。

 冒険者が強くなり【ランクアップ】するのは年単位。彼らが『中層』に進出する頃には彼らを担当していた受付嬢の知識も増え、中層以降のモンスターの知識も覚えられる。

 向きとしては違うが、冒険者も受付嬢も『成長』していく、というわけだ。そうして彼らが更なる【ランクアップ】を果たし、いつかギルドから足を遠のき始めたら、今度は別の仕事をしたり、他の受付嬢を手伝ったりする。

 まぁ『受付嬢』という仕事の役割上柄、彼女達がそこに居続けるのは、長く二十年程度になってしまうのだが。

 だがしかし、そこにシオンのような、初心者ではなく、しかし熟練者とも言い切れない中途半端な人間は、少し持て余す。

 新米の受付嬢では荷が重い。多少慣れてきた受付嬢は、自分の冒険者を相手するので大体手一杯になる。何せ仕事は多岐に渡る。担当する者が1人増えただけで、かなり厳しくなるのだ。

 手慣れてきた受付嬢はもっとダメだ。手馴れている、という事は一定の年齢に達しているという事であり、シオンが青年になる頃には彼女達はギルドの受付嬢では無くなっている。

 基本、冒険者は人格的にどこかが『ズレ』ている人間は多い。見知らぬ相手より見知った相手、できれば長く付き合いのある方がギルドとしては好ましかった。

 「そもそも、どうしてそこまでエイナに拘るんだい? 君の目的さえ言ってくれれば、別の人を教える事もできるんだが」

 「……実を言うと、今モンスターの基本行動と弱点を覚えるのって、おれしかやってないんだ」

 「ふむ、それはまた極端な。君のパーティの人数次第だろうが、後1人か2人は覚えるべきだろう。だがそれで回っているのなら、問題は無いのでは?」

 「おれにかかる負担が大きいのを無視すれば、ね」

 この人は知らないだろうが、シオンはダンジョン、フィン達からの指導、アイズの指導、自己鍛錬で凄まじく時間を圧迫している。そこにモンスターの知識を覚えるのを追加すると、洒落にならない。

 一時期シオンの目に隈ができたのは、そのせいだ。まぁ、誰にも言わずに本の虫になっているのが悪いのだが。

 「うちにある本からダンジョンに出現するモンスターを覚えているんだけど、『名前の付けられ方』っていうアホみたいな情報とかが大量にあるんだよ」

 意味わかる? と視線で問うと、何故か凄まじい同情の視線を向けられた。

 「まさか、『あの』本か……現段階で確認されたモンスターの全てを収録したという」

 文字通り全て、である。そこから本当に必要な情報を抜き取り続けたシオンの労力は察してあまりある。

 そして躍起になる理由もわかった。確かにアレから抜き取るのは苦労する。なんせ、上層のモンスターが先に描かれている、なんて事はなく、編纂者の基準で記されているため、目的の階層に出現するモンスターがどれだけいるのか確認することさえ面倒くさい。

 それさえ除けば、凄まじくわかりやすい便利な代物なのだが……。

 まぁ、シオンの要件はわかった。

 つまり、彼の目的は『アドバイザー』だ。

 冒険者側から任意でギルドに申請し、迷宮探索の支援を担当する者達。だが、それは別に受付嬢でなくともできる仕事だ。

 それをシオンが知らなければ、この行動にも納得がいく。全部1人でこなせないと知っているからこそ、知識方面で自分をサポートしてくれる人間を求めた。

 そっちに割く時間を減らせれば、その分を休息何かに回せるのだから。

 シオンにアドバイザーを紹介すれば、それだけでこの交渉は終わる。しかし、と悩み、黙って聞いていたエイナに問いかける。

 「……と、この少年は言っているが。どうする、エイナ。君もまだ学区で学ぶ身だ。今やっているバイトの内容も覚えきれていないのなら、断ったほうがいい」

 「わ、私は……」

 戸惑うエイナ。十歳の、『普通』の少女が決断するには早すぎる問い。そも『働く』という意識が芽生えてきたのさえここ最近の出来事なのだ、仕方がない。

 それでも、彼女は毅然としながら言った。

 「手伝いたい、と思います。私は受付嬢をするのに必要な心構えがわかってません。ですから、彼という冒険者を助け、理解したい」

 「そう、か。……わかった、それならば私は何も言うまい。それで、シオン。代わりといってはなんだが、君に一つ、条件を出そう。エイナもこれに関わることだ」

 「できることなら、請け負う」

 「拝聴します」

 2人が真剣な顔をしたのを確認し、言った。

 「エイナ・チュールを連れて、ダンジョンへと潜ってきなさい」

 あまりに予想外な、その言葉を。

 「「……はい?」」

 

 

 

 

 

 反論は許さぬと押し切られ、頷かされた。シオンの都合上明日になり、エイナは首を傾げながらも業務に戻っていった。

 そして、シオンはというと。

 「それで、目的はなんだ?」

 「人聞きの悪いことを。君も言ったことだ、エイナに受付嬢に必要な経験を積ませると」

 「それとこれが関係することなのかよ」

 シオンはまだ、良くも悪くもダンジョンが中心にある。

 だからどうしても、それ以外には疎くなる。つまり、まだまだ世情に詳しくない。ギルドの事情を知らないのもそのせいだ。

 「ギルドで働く以上――いや、違うな。彼女が受付嬢として働くのなら、絶対に避けては通れない物がある」

 「……?」

 「冒険者の死、だ」

 一瞬、小さくシオンの息が止まる。その言葉はシオンにも無関係ではない。明日は我が身、なのだから。

 「見たのならわかるだろうが、受付嬢は見目麗しい娘が多い。そして普通の男なら、お近づきになりたいと思っても不思議ではないのだよ。だがそうして近しい仲になれても、冒険者が死ねばあっさり断ち切れてしまう」

 「……親しくなりすぎれば、そこで後悔する」

 義姉が死んで、その後感じたあの喪失感は、絶対に忘れられない。

 ――ああ、そうか。つまりおれは。

 「エイナはまだ、十歳だ。君と親しくなり、その後死ねば。……心に傷を負って、やめてしまうかもしれない。私は何人も見てきたよ、そういう女性を。彼女は私にとっても娘みたいな存在だ、傷つくところはなるだけ見たくない」

 ――下手すると、自分と同じ感情を相手に与える可能性を押し付けたのか。

 若干の後悔に拳を握ると、彼は苦笑しながら言った。

 「だから、死なないでくれ」

 「え……?」

 「エイナのために、君は絶対に死ぬな。そして明日は、彼女に教えてやって欲しい。生半可な覚悟で人の『死』を間近で見続ける事はできないと」

 「それじゃお前の目的は」

 「ダンジョンの危険性を肌で理解して、君への支援を適当にさせないようにする。後悔するのは彼女だが、せめてその形だけは変えさせたい、という親心だ。最低限の保険だよ」

 彼の言葉には、シオンが死ぬという想定も済ませているという意味があった。けれど、シオンはそれを気にも留めない。

 「……要するに死ななければいいんだろ? だったら答えは簡単だ」

 ――死ななければいい。強くなり続けていけばいい。

 「……期待、させてもらうよ」

 「ああ、してくれ。十二分にな」

 クスクス笑うシオンは一見ふざけているが、その眼はしかと相手を見つめている。そこに込められた意思を感じ、息を吐いて言った。

 「冒険者依頼の復唱だ。明日はエイナ・チュールと共にダンジョンへ潜ること。どこまで行くのかについては問わない、君で判断してくれ。ただし、エイナが傷つくことは許さない」

 「了解した。命を懸けてでも彼女を無事に帰すよ」

 不敵に笑って、シオンはギルドから背を向けた。

 

 

 

 

 

 翌日、シオンとエイナはギルドの前で顔を合わせた。

 待ち合わせ場所はバベルすぐの中央広場でも良かったのだが、それだと慣れないエイナが人ごみで戸惑うと思ったので、こちらにしておいた。その分時間を早めたので、問題無い。

 「ふむ、責任者とやらに言ったとおり、軽装にしてくれたか」

 「あ、はい。でも本当にこれでよろしいんでしょうか?」

 シオンもエイナも、今日はかなりの軽装だった。

 シオンは急所を守るために胸当てと、念の為に左腕にプロテクター付きの手甲。腰に二本の短剣をやり、レッグホルスターに高等回復薬。後は背中にいつもの剣。

 エイナはシオンと同じく胸当て、それから胴回りを守るためのプレートと転んだ時用に膝当て。まず扱えないが、護身用の短剣を一本。基本的に急所を狙われても何とかなるような装備になっている。足を守っているのは、もしもの時モンスターから逃げるためだ。腕なら最悪、痛みを我慢すれば何とかなる。

 軽装なのは体力の問題。彼女に重い鎧を長時間付けられる体力なんて無いだろう。

 「死ななきゃどうとでもできる。……それと、ダンジョンは一秒を争う状況になる事が多い。呼び捨てにさせてもらうのと、汚い言葉が出るかもしれないが、許してくれ。代わりにならないだろうがそっちもそうしてくれ」

 真面目に言うと、エイナはどうしてか戸惑った様子を見せる。真剣になりすぎた、のだろうかと思っていると、彼女の中で何かが解決したのか、頷き返した。

 「わかった、ならそうさせてもらうね。私は足手纏いにしかならないから、シオンの指示に従うよ」

 「……ああ。それじゃ、行こうか」

 そして、1層。

 コボルトとゴブリンの混成状態で襲いかかられた、のだが。

 「ふっ!」

 Lv.2のシオンがいる時点で、まず攻撃する事さえ許されない。短剣二本で通り抜けざまに切り捨てればそれで終わりだ。離れている間にどこかからエイナを襲われてはたまらないため、即座に戻るまでが一巡だ。

 「血、凄い、ね……」

 モンスターの返り血を見て、震えた声を出すエイナ。今ではもう手馴れたシオンは何も感じなくなったが、彼女はそうではない。倒れたモンスターにさえどこか痛ましく目を伏せている。

 甘い、と言い切ってしまえば、そうなのだろう。ここはダンジョンで、命のやり取りをするところだ。余計な事を考えている暇はない。

 でも同時に、彼女は冒険者ですらないのだ。この甘さも、彼女の美点の一つなのかもしれない。

 「魔石の回収をする。その間はできるだけ周囲を警戒してくれ」

 「う、うん。頑張るね」

 モンスターから魔石を抜き取る作業は、見慣れていないと結構グロい。気絶されても困るのでそう言ったが、彼女の警戒の仕方は素人感丸出しで、しかもそこまで役立ってなかった。

 「あ……」

 「どうしたんだ、新手か?」

 「ううん、そうじゃない、んだけど……」

 一旦手を止め、エイナの見ている方向に体を向ける。念のため剣に手をかけたが、遠目に見えた光景に、手を離した。

 距離があるため、会話は聞こえない。しかし大柄な冒険者が、小柄な、恐らく少女の頭を殴っているのはわかった。

 エイナが息を呑んだのがわかる。そしてもう一度少女が殴られているのを見て駆け出そうとしたのを、シオンが腕を掴んで止めた。

 「シオン!? どうして止めるの! やめさせないと……」

 「ダメだ。それに、やめさせても意味がない。やるだけ無駄だよ」

 「っ、そんな言い方」

 激昂して振り返ったエイナが見たのは、

 「自己責任だ。あの男がやってる隙だらけの行動も、女の子がその男の手伝いをするのも。全部自分で選んだ行動でしかない。それに、他所のパーティに絡んでもいい事はない。……だから、やめろ」

 驚く程感情のこもらない、シオンの眼だった。

 納得などしていないのだろう。実際エイナを掴んでいない方の手は震えているし、感情がこもっていないのは無理矢理心中で抑え込んでいるせいだ。

 「今のおれの最優先事項はエイナを守ることで、それを脅かすような行動はできない。わかってくれ」

 「……ごめんなさい。頭に、血が上ってた」

 何年もダンジョンに潜っているのは、シオンだ。何回これと似たような光景を見てきたのか、想像できない。

 その度にこんな、モヤモヤとした想いを抱えていたのだろうか。

 「『冒険者』って、大変なんだね」

 「アレを同業者だなんて思いたくないけど、そうだな。大変だよ。モンスターよりも、同じ人間を警戒しないといけない時が多いから」

 クソばっかだ、と唾を吐き捨てる、常のシオンらしからぬ発言と行動。エイナが眼をパチクリさせているのを見てバツの悪そうにすると、誤魔化すように歩き出す。

 置いてかれないよに自身も歩き出しながら、

 「……冒険者って――」

 ――一体、何なんだろう?

 そう考えてしまうのを、やめられなかった。

 結局7層まで来てしまった。先ほどの一件が尾を引いて、どうにも気まずい。考えても仕方がないとはわかっているが、ああいう光景は見たくないものだ。

 シオンはもう、こういった感情を飲み込むのに慣れていた、はずなのだけれど。エイナが見せたあの行動は、シオンのあの少女を見捨てるという判断に後ろめたさを覚えさせていた。

 こみ上げてくる無力感のような何かを、キラーアントを斬って誤魔化す。遠くにパープルモスがいるので、アレも倒さなければならない。速効性は無いが、毒の鱗粉は後々悪影響を与えてくるのだから。

 「次は耐異常でも取るか……」

 なんて、まだまだ先の次の【ランクアップ】に思いを馳せ、パープルモスを斬る。特段考える必要はない。エイナがいても、力任せの行動だけでどうにでもできる。

 「……ん?」

 ふと、先ほど殺したキラーアントを見る。

 ――なんだ? 何か違和感が……。っ、マズい!

 咄嗟にエイナがいる方を見る。とにかくここから離れないといけない。

 「えっ」

 それなのに。

 自分の後ろにいたはずの彼女。

 それが、今はどこにもいなかった。

 「ど、どうしよう……」

 シオンと、はぐれた。

 ほんの一瞬目を離した時に、彼の後ろ姿を見失った。更にその場所が運悪く三叉路だったのが、この状況に陥った原因だ。

 ある程度進んで、道を間違えたのに気づいたのから、今は戻っている最中。一回でもモンスターと遭遇すれば、エイナは死ぬ。

 「だ、大丈夫。きっとシオンも私を探してくれてるはず」

 そう思わなければ、歩く気力を失う。

 シオンを恨む、という事はしない。先ほどの一件を気にしてボーッとしていたのは自分だ。

 ガタガタと死の恐怖で震えそうになる体を、短剣を握り締めて押さえ込む。なのに、現実は残酷だ。

 「キラー……アント」

 ウォーシャドウと同じ『新米殺し』と呼ばれるモンスター。

 頑強な硬殻に覆われた、鎧のような体。半端な攻撃は弾く防御力。エイナの持つ短剣など、何の役にも立たない。

 ギチギチという異音がキラーアントの腕から響く。湾曲した鉤爪が、ダンジョンの光を反射して不気味に光る。

 『ギ、ギギイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!』

 「イ、イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッ!??」

 逃げる。

 戦おう、なんて思わない。思った瞬間殺される。

 だが、逃げられるはずがない。エイナは所詮一般人。キラーアントが接近し、そこからもう一歩踏み込んで腕を振るえば、当たる。

 「くっ!」

 反射的に伸ばした腕が、衝撃で跳ね除けられた。キラーアントの鉤爪に当たった短剣が、どこかに吹き飛んでいく。

 短剣の当たった腕、それとは反対の腕が持ち上げられた。

 エイナの瞳に輝く爪が映り、体を貫こうとして。

 ――パシュッ。

 『何か』が、飛んできた。

 それが何なのかを確認する暇もなく、更なる乱入者。その影は一撃でキラーアントを屠ると、焦燥を隠そうともせずエイナの体を眺めた。

 「怪我は……無い、か」

 「シオ、ン?」

 一頻り見て怪我がないのを確認すると、手を伸ばしてエイナを起き上がらせる。それから周囲を見渡しつつ言った。

 「悪かった。エイナが来てると思って確認を忘れた。いや、言い訳だな。とにかく、今日はここまでにして戻ろう。これ以上は意味がない」

 「そこまで急がなくてもいいんじゃないかな。少し落ち着いてからでも」

 「ダメだ。キラーアントがフェロモンを出してる。コイツ、興奮してただろ? 仲間がやられて憤ってるんだ。すぐ離れないとキラーアントが殺到するぞ」

 キラーアントはピンチになると、仲間内でしかわからないようなフェロモンを発し、近くにいる仲間を呼び寄せる。シオンがそれに気づいたのは偶然でしかないが、とにかくすぐ近くにいるはずのエイナが危険だと判断して、全速力で探し出したのだ。

 動きを止めたエイナの腕を引っ張って、この場を離れる。

 「ねえ、シオン。さっきキラーアントの攻撃を弾いてくれたのって、シオンが?」

 「……? 何の話だ?」

 訝しむシオンに、心当たりはない。つまり、誰かがエイナを助けてくれた。

 ――あの時、見えた服。

 視界の端で捉えた、あの服装は。

 「……1層で見た、あの女の子?」

 確証は、無いけれど。

 きっとあの子だと、そう確信できた。

 シオンとエイナは逃げ出すようにして7層から脱出する。若干速度は落としたが、それでもまだ駆け足は維持していた。

 妙に焦りすぎている、と自己分析する。それは多分、エイナを死なせかけた事が原因だろう、ともわかっていた。

 ――クソッ、ダンジョンで余計な事に気を取られてたら死ぬなんて、わかってただろう!

 無意識に自惚れていた。よくわからないが、先ほどのエイナが言っていた通りなら、誰かが助けてくれなければ彼女は死んでいた。

 ――自分の命ならまだしも、守るべき人を危険に晒すだなんて。

 モンスターが接近しているのを感覚で察して、足を止める。同時に止まったエイナの息が荒れているのを目にして、また視野狭窄に陥っているのがわかった。

 誰かを守りながらダンジョンに潜る、というのがこれほどやりにくいだなんて知らなかった。あの4人は、常に目を配る必要は無かったから。

 ――言い訳か。とにかく、今はエイナを守る事だけを考えよう。

 後は戻るだけだが、先ほどのような事が起こらないなんて言えない。誰か連れてきて、エイナに張り付かせていればよかったかもしれない。

 「エイナ、少し休むか」

 「え? ううん、まだ大丈夫。ただ、走るのはちょっと無理かな」

 苦笑を返された。確かにまだ疲れていそうだが、移動するくらいなら平気そうだ。後はシオンが気にかけて調節すればいい。

 それだけを決めて――シオンは全力で、敵の殲滅を開始した。

 

 

 

 

 

 ダンジョンから外に出て、飛び込んだ光に目を細める。

 結局何のためにダンジョンに潜ったのか、わからない。アレでよかったのか、もっと違う事をすればよかったんじゃないかと思うが、もう一度行く気力は残っていなかった。

 「……どうせだから、適当に店でも覗いていくか? 一緒に」

 「うーん、確かに中途半端な時間だし。わかった、行こう!」

 気分転換に、という訳じゃないが、誘ってみると色好い返事。あまり慣れない場所へ行くのは疲れるので、北西のメインストリートへ。

 ギルドへ行って装備の返却。冷やかしに近いレベルで店をザッと覗き、時間を潰す。物を買うのが目的ではなく、エイナを楽しませるのが目的だ。

 彼女が死にかけた、その事実は変わらない。

 今は現実感が無いのか特に気にした様子は無いが、ふとした拍子に思い出せば、恐怖で怯えてもおかしくはなかった。

 そうして長くいた店から外に出ると、もう陽がくれて夕闇が辺りを包んでいた。

 「もうこんな時間か……。エイナ、どうする? ここで終わりにするか、あるいはご飯でも食べに行くか。金は持ってきてるから、奢るけど」

 「本当? それなら、行ってみたいところがあるの」

 ダメ元で提案したのだが、何故かエイナは顔を輝かせた。腕を掴まれて引っ張られる。今日一日見て知った彼女らしからぬ思い切りの良さだ。

 「ここ!」

 「って、酒場?」

 連れてこられたのは、どこか薄汚い酒場。飲み食いするだけならどこでも変わりないだろうが、こういった場所に来るとは思わなかった。

 どうしてと視線で問うと、

 「だって、こういう時じゃないと無理なんだもの。皆『行くな!』って言うから、ちょっと気になってたんだ」

 「ああ……」

 要は、好奇心か。ダメだダメだと言われると行きたくなる心理、というのもあるだろう。

 シオンにはよくわからない事だ。大人が『危ない』と言うからには理由がある。下手に藪をつつく気にはどうしてもなれない。

 ダンジョンであんな事があった後だ。どう諌めようかと考えていると、

 「1人じゃダメだけど、今はシオンが守ってくれるんでしょ? だったら、いいかなって」

 「――――」

 心底から浮かべられた笑みに、シオンは言いかけた言葉を飲み込まされた。

 どうしてそう言えるのか、と思った。だけど、そんな物はこの笑みの前では無粋にすぎる。呆れた顔を浮かべることで、せめてもの反撃にした。

 「……わかったよ、何とかする」

 「頼りにしてるね」

 そうと決めればさっさと行動。先のやり取りで人目を集めかけているので、エイナの前に出て酒場の戸を開けた。

 入った瞬間はそうでもなかったが、やはりこの見た目のせいか、注目を集め始める。エイナを連れていればなおさらだ。

 一部は興味無しと一瞥しただけですぐに視線を外し、一部は下世話な笑みを浮かべ、一部はシオンを見て関わるのはゴメンだと肩を竦めた。

 「へぇ、中はこうなってるんだ」

 ひょいとシオンの肩から顔だけ出したエイナが周囲を見渡す。正直、外同様、いやそれ以上に中は汚い。食べ物は落ちてるし、よくよく見ると酒やら唾やらがこぼれたり吐き出されたりしているのか、妙に変色してるところもあった。

 場末の酒場、なんて印象。

 幸いシオンの事を知っている人間は多いのか、トラブルが起こる可能性は少なそ――

 「ハッ、テメェみたいなクソガキに払う金でもあると思ってんのか?」

 「キャァ!?」

 「……せめて思うくらいは許してくれないかな」

 恐らく女の子が殴り飛ばされた音。そちらに視線を送ると、どこか見覚えのある女の子。それは1層で見かけたあの子のはずだ。

 お腹を押さえて蹲る少女。痩せぎすの体に大人の冒険者の一撃は辛いはずだ。さて、どうしようかと考えていると、

 「――っ!」

 「おい、エイナ!?」

 一瞬遅れてその姿を視認したエイナが、シオンの後ろから飛び出す。手を伸ばして静止させようとしたが、エイナの表情を見て、下ろすしか無かった。

 「大丈夫? 意識はしっかりしてる?」

 少女の体を起こし、薄く開いた眼の前に数度手をかざす。呻き声をあげながら、それでも首肯してくれた事にホッとし、目の前にいた冒険者の男を睨みつける。

 「何をしてるんですか、あなたは。こんな小さな子を殴るなんて……!」

 「あ? んだよ、関係無いだろうが」

 いきなりの乱入者に驚いた男だったが、それが女で、しかもまだ子供だとわかると、嘲笑の笑みを浮かべてエイナを見下す。

 その顔にイラッと来たエイナだが、ここで怒っても意味はないと必死に冷静を保つ。

 「確かに関係無いかもしれませんが、ギルドで働く者として、見過ごせません。……見たところ彼女はサポーター。報酬の配分で揉めるとしても、殴るのは筋違いのはずです」

 「んなもん知るかよ。役立たずに払う金なんざねぇ。そうだな、それじゃ拳で殴ってやるのが報酬にしてやる。精々ありがたく思えよ?」

 「…………………………は!?」

 あまりにもあんまりな言い分に呆れて物も言えない。しかしあちらはそれで納得したのか、更に言い募ってくる。

 「それによ、俺達が殺した奴から稼いだ金の一部をサポーターに渡すってもんだが、つまり俺達とそいつが納得してれば問題ねぇだろ?」

 「おお、そういう考えがあったか」

 「いいぞいいぞ、そら、もっといいもん見せろよ!」

 なんだこれは。

 これが、冒険者なのか。シオンと同じ、冒険者……。

 誰も彼もが目の前の男を賞賛し、止めようとさえしない。こんな小さな子を殴る事を許容し、むしろはやし立てる。

 呆然とするエイナに、小さな手が触れ、か弱い力で握られる。

 「……逃げて、ください」

 「な、何言ってるの?」

 「リリが、悪いのです。相手に騙された、リリが。あなたが巻き込まれる謂れはありません。逃げて」

 骨と皮ばかりで、まともに食事にさえありつけてないとわかる、そんな体で。

 今にも消えそうな、儚い笑みを必死に浮かべて、エイナに心配かけまいとする少女、リリ。そうする間にも、男は2人に一歩近づいてきた。

 「おい、そろそろそこどけ。ガキにゃ興味はねぇが……ストレス発散の良い道具にはなるだろうからな。それとも殴られるのを望むタイプか?」

 ゲラゲラと嫌な笑い声。ドロリとした悪意。

 「私は、大丈夫です。こんなの……いつもの、事ですから」

 泣きそうな笑顔なのに、それに気づきさえしないリリ。

 何もかもが、間違っているのに、誰もがそれを見ようとさえ、いやわかろうとさえしない。

 「……ううん、逃げないよ」

 「何を、言って」

 「だって、リリが助けてくれたんでしょ? キラーアントの攻撃から、矢を放って」

 その言葉に、腕の中の少女が小さく息を呑む。その唇が「気づいて……」と形作るのを見た。エイナはそれに口元を綻ばせ、それに、と続けた。

 「私は大丈夫」

 「……?」

 そう、絶対に、大丈夫。

 「私を守ってくれる、騎士様(ナイト)がいるんだから」

 その言葉と、同時だった。

 

 「――おい」

 

 普段は高い音を、極限まで低くしたような声。

 いつの間にかテーブルの上に座っていたシオンが、男の喉元に剣を添えていた。だがその視線は全く見当違いの方を向いていて、下手すると喉を斬ってしまいそうだ。

 反射的に仰け反りそうになった男だが、動けば斬られると思ったのか、動きを止める。

 「テメェ、いつからそこに……!?」

 「ついさっき。それより、面白い言葉を聞いたんだけどさ」

 ――誰が、ストレス発散の道具だって?

 ゾクリとエイナの背筋が泡立った。殺意、ではない。しかしそれとよく似た冷たい意思のこめられた言葉は、彼女の心の奥底を撫でた。

 それを感じたのはエイナだけではないらしく、男は何度も口をパクつかせ、それでも言った。

 「テメェ、は、その女の……」

 「今日一日、ボディーガード、いや騎士様をやらせてもらっててな。命を懸けてでも守ると言った手前、傷つけさせる訳にはいかないんだよ」

 と、態度自体は至極どうでもよさそうなのに、剣を持つ手は先程からピクリともしない。と思った瞬間、剣を動かし、その腹で首筋を舐めた。

 先ほどとはまた別の意味でゾクゾクしている男に、シオンは言う。

 「見たとこLv.1か。おれとしても無駄な殺し合いをするつもりはない。見逃してやるから、さっさとこの店から出て行きな」

 男から目線を外し、テーブルから降りてエイナの元へ移動する。一見隙だらけに見えたが、奇襲をかければ即座に反撃すると、その背中が物語っていた。

 「テメェ、なにもんだ」

 その問いの意図は一瞬でわかった。

 「【ロキ・ファミリア】所属【英雄(ブレイバー)】シオン」

 わかっていて、敢えて乗った。

 肩越しに振り返り、見下すような嘲笑を浮かべる。それでも相手は何も言えない。シオンの所属を聞いた瞬間、その気力が失われたのだ。

 ――なるだけフィンには迷惑かけたくないんだけどな。

 しかし自分の二つ名には、まだそれだけのネームバリューがない。虎の威を借る狐に甘んじるしかなかった。

 「……クソッ、行くぞテメェ、等? ……か、金はどこ行った? 俺の金は!?」

 騒ぎ立てる男を背に、シオンはリリとやらの手に袋を乗せる。チャリ、と金属が擦れる音が、不気味に響いた。

 そして、響いたのなら気づかないはずがない。

 「テ、テメェ!? それは俺の金だぞっ、さっさと返しやがれ!」

 「んー? おかしいな、これでいいはずなんだけど」

 「っ、っざけんな! 関係無い奴が口出しを」

 「『俺達とそいつが納得してれば問題ねぇ』、だったっけ?」

 一語一句違わず言う。リリは理解できないとシオンを見上げ、当のシオンは不敵な笑みを浮かべているだけ。

 「つまり――テメェが納得すれば、リリがこの金を貰っても文句は無いわけだ」

 「……っ」

 「おっと、文句は言うなよ? お前が言い出した事だ、当然リリにも適用される。そっちが一方的に得するなんて、おかしな話だよねぇ?」

 振り返り、クスクスと口元に手を当てて嘲笑う。そして一度リリの手から袋を借りて持ち上げ、見せびらかすように揺らした。

 「納得できないなら、これを対価にして、見逃す。そういう条件でもいいんだぜ? ――まあ、その場合おれはこう言うべきなのかね? よかったね、ってさ」

 「何が」

 「このお金が、お前達の()()()()……随分安くて、よかったよなぁ?」

 稼いだ金額はわからないが、重さからザッと五万だかそこら。頭割りすると、1人頭一万とちょっと、だろうか。

 シオンの言葉を理解したのか、顔面真っ赤にする男達。だが反撃できない。二つ名持ちはイコールでLv.2以上。例え相手が子供でも、勝てる見込みはなかった。

 「クソ、が……!」

 そう悪態を吐く程度が、相手の限度だ。

 肩を怒らせ出て行く男達を油断なく見据える。シオンはまだしもエイナとリリが狙われれば、シオンでも厳しい。

 まぁ、相手の眼にはシオンしか映っていなかったから、大丈夫だろうが。

 グルリと酒場を見ると、全員から目を逸らされる。……()()、やりすぎたみたいだった。

 バツの悪そうに2人に向き直って、

 「……とりあえず、何か頼もうか?」

 先程から人を殺しかねない眼光で睨んでくるマスターにも聞こえるような声量で、そう言った。

 テーブルではなくカウンターに3人並んで座り、注文。騒ぎを起こしたので、その慰謝料も含めて多少高めに金を渡した。

 その甲斐あってか、出てきた料理はまともだった。野卑な料理ではあったが。

 何というか、生焼けだったり逆に焼きすぎていたり、色々ごった煮状態なのだ。そこを我慢すれば一応美味しくはあるのだが、何か、物足りない。

 それはエイナやリリも同じようで、何とも言えない微妙な顔をしていた。

 「……うちの料理は酒前提のもんだ。我慢しろ」

 コト、と飲み物を入れたカップを置かれる。それを飲むと多少マシな味になったので、普通に食べれた。感謝の言葉を述べておく。

 騒動によってできた嫌な雰囲気が、酒の勢いもあってまた盛り上がっていく。

 「何故、リリを助けたのですか?」

 なのに、この近くだけは、その声が妙に遠く聞こえた。喧騒が届かない中で、リリは、硬い声を出す。

 「リリを助けても、何も得られません。意味などないんですよ」

 何もかも諦めている声音に、感情論を問うても意味はないだろう。エイナがどう答えるか、そう思っていたら、

 「キラーアントから、助けてくれた。そのお礼、って事じゃ、ダメなのかな」

 「アレは……っ。単なる気紛れです。射った矢がたまたま当たっただけの偶然なのですよ」

 たまたま射った矢があんなピンポイントで当たるはずなどないのだが。苦しい言い訳とわかっていても、言うしかない。

 「それでも、そのおかげで私は助かった。だから、私がリリを助けてくれたのも、気紛れにすぎないんだよ」

 「……変な人」

 穏やかな声を向けてくるエイナに、リリは居心地悪そうにしている。と思ったら、なるだけ関わるまいと料理をパクパク食べていたシオンを標的にした。

 「なら、どうして【英雄】様はリリを? 食事を奢る必要は無いはずです」

 「さっきも言ったがおれはエイナの護衛でね。その護衛対象を守ってくれたリリに、矢の代金をと思ってな」

 感情ではなく理屈で解く。そのせいでリリも感情で訴えられない。しかもその内容が正論なせいで、理屈で反論も封じられた。

 ――いいえ、まだです。

 「なら、先ほどの杜撰な助け方は何なのですか。アレでは彼等がいつ私を襲撃してくるのかわかりません」

 確かに、一時的とはいえ彼等の憎悪はシオンに集まっただろう。

 だがそれは本当に刹那的な物であり、冷静さを取り戻したら、シオンではなく、『その周囲』に手を出すかもしれないのだ。

 睨みつけてくるリリに、シオンは溜め息を返した。

 「そもそもあの状況、どうにもできなかったんだよ」

 「……? Lv.2のあなたが、ですか?」

 この際Lvはあまり関係がない。

 「あそこでエイナが前に出た時点で、闇討ちして気絶させる事はできなくなった」

 エイナがリリを庇い彼等に認識された瞬間、不意を突いて気絶させられなくなった。理由は単純で、エイナが前に出た、イコールエイナが何かしたという認識に繋がるからだ。下手に気絶させれば彼等の悪意はエイナに牙を剥いただろう。

 「わ、私のせい……?」

 「どうとも言えない。ここにいる他の奴に聞けば誰がやったかなんてわかる。だったらいっそおれの姿を全面的に見せて脅しつけるのが一番単純で手っ取り早かった」

 「……あなた様に手を出せないと、散々言っていたじゃないですか。周囲に手を出されるとは考えなかったのですか」

 「おれの知人は、大抵おれよりも強い。少し関わっただけの人を巻き込むのなら、相手はかなりの愚か者というだけだ。エイナはギルドで働いている。ギルドの職員に手を出せば、所属【ファミリア】が睨まれるから、彼女には手が出せない」

 「……っ、ならリリは! リリはそういった後ろ盾がありません! まさか、勝手に手出ししておいて後は知りませんとでも言うつもりですか!?」

 台を叩き怒りに肩を震わせシオンを睨む。だが当のシオンは涼しい顔で、手の中にあったカップを回し、氷を鳴らした。

 「だから、おれに憎悪を集めたんだ」

 「意味が、わかりません」

 「言い方は悪いが、お前はエイナに()()()()()いただけだ。接点なんて何もない。お前を人質に取っても、報復にはならない。するだけ無駄だ」

 それでも、と言いかけて。

 後は可能性の問題に過ぎないのだと、気づいた。

 彼等が自分に襲撃してくる、かもしれない。

 彼等は自分に襲撃してこない、かもしれない。

 全てはその時の状況次第。その中でシオンは、一瞬の出会いにすぎないリリを守るべくその時打てる手段全てを考え行使した。

 そもそも、リリがもっと強ければ、こんな状況にはならなかった。助けてくれた相手に礼を言うのならまだしも、これ以上の責め苦は八つ当たりにしかならない。

 思い返せばシオンもエイナも、リリという少女に対して同情を向けてこない。あの哀れみの視線に苛立っていたリリにとって、この対応は新鮮すぎた。

 エイナの場合は命の恩人に対して感謝しているから、他の感情を抱く隙間が無いだけで、シオンの場合はもしフィンがいなければ自分も似たような物だっただろうな、と感慨を抱いているだけだが。

 ふと、リリの口から言葉が溢れた。

 「どうして冒険者様は、あんなに横暴なのでしょうか」

 ピタリと2人の動きが止まる。

 エイナは困ったように眉をハの字に変え、シオンはどう答えようかと迷った。それから数秒してシオンが言う。

 「精神の安定を維持するため、かね」

 「……どういう意味で?」

 「冒険者なんて言えば聞こえはいいが、要するにやってるのは命のやり取り、つまり単なる殺し合いだ。目に見えないだけで、ストレスは溜まるよ」

 その上殺し合いで興奮した感情は色々な方向に発露されていく。

 例えばそれは暴力だったり。

 例えばそれは料理や酒だったり。

 例えばそれは――性欲であったり。

 何かに感情をぶつけなければ、人はきっと、壊れてしまう。

 「誰かを見下すなんて誰でもやってる。形が違うだけで。正直おれにはよくわかんないけどな。時間の無駄だ」

 大人よりも子供の方が健全、というのもおかしな話だが、事実そうなのだから仕方ない。リリはこれからの事を考え、俯いた。

 今回は無事だったが、また次も殴られるのか。

 今持っているなけなしの金も、誰かに奪われてしまうのか。

 エイナが視線でどうにかならないかと言っていたが、シオンにはどうしようもない。とはいえ一つくらいなら、アドバイスできた。

 「リリ、これからもサポーターで生計を立てるつもりなら、()()()()

 「選、ぶ?」

 「そうだ。冒険者から誘われるのを待つんじゃなくて、自分から相手を選べ。人を見て、そいつが自分に役立つかどうか考えろ。横暴そうなら切れ、だけどもし自分を『パーティの一員』だと思ってくれる相手がいたら、その時は」

 ――相手が折れるくらいにしがみつけ。

 「後は、エイナにでも頼んだらどうだ。まだ正式じゃないが、ギルドで働いてる。同じ職場の同僚からこの冒険者はどうだとか聞けるはずだ」

 「わ、私に丸投げするの? いやまぁ、表面的な事なら聞けるだろうけど」

 シオンの言葉は、軽い。

 どうしたってシオンのアドバイスは、何も知らない第三者からの発言だ。参考にはなるかもしれないが、その程度。

 そうと割り切って話しているから、リリが受け取るかどうかは、わからない。

 「……お食事、ありがとうございました。リリはこれで、失礼しますね」

 「ああ、それじゃあな。もう二度と会わないかもしれないが」

 「シオン、その言い方は無いでしょ! バイバイリリ、もし用があればギルドに来てね」

 リリはペコリと頭を下げて、走って行ってしまう。

 それを見送ってから、ハタと気づいた。

 「……私、名乗ってないや」

 「おい」

 一気に脱力して頭をカウンターに叩きつけかけたのは、シュールとしか言えない光景だっただろう。

 「んー、今日はいい経験ができたかな。死にかけたのは予想外だったけど」

 「うぐっ。悪かったよ、ちゃんと守れなくて。……その礼って訳じゃないけど、ほら」

 エイナの手を取って、そこに袋に包まれた物を置く。

 不思議そうに見ていたエイナがリボンを取って袋から何かを取り出した。

 「……ブローチ?」

 恐らく加工された、青く透き通った羽をあしらった装飾品と、藍色の大きな石がはめられたブローチ。

 「『ブルー・パピリオ』からドロップする羽を使ったブローチ、らしい。運が良ければ7層で見れたんだけど、無理だったからせめて、ね」

 モンスターだが綺麗な蝶、という話は聞いたことはあるが。

 「……綺麗な羽、だね」

 ここまで鮮やかだと、見てみたくなってしまう。

 だけど、それは叶わない。エイナは今日、痛感した。自分は足手纏いだと。少なくとも、もう一度ダンジョンに行こうなどとは思わないくらいに、刻み込まれた。

 「ありがとう、シオン」

 それでもこのささやかな贈り物は、嬉しかった。

 

 

 

 

 

 ハーフエルフの少女は、今日も学区に通い、そしてギルドで仕事する。

 ダンジョンでは様々な冒険者が、毎日命を賭けている。命をチップに、富と名声を得ようとダンジョンへ潜るのだ。

 だけど、エイナはそれが嫌だった。

 確かにその二つは大事かもしれない。だけどそれ以上に、生きて欲しい。

 『冒険者は、冒険(ムチャ)をしてはいけない』

 その信条を胸に、彼女は今日も紙に目を通す。

 

 

 

 

 

 小人族の少女は、薄暗い路地から空を見上げる。

 自分はサポーターで、冒険者とすら呼ばれない。そしてこれからも、そう呼ばれる日が来る事は無いだろう。

 冒険者とは、何か。

 彼らは一体、何を成す人なのか。

 【英雄】という少年と、ギルドで働く少女の言葉が、脳裏を過ぎる。

 「……関係ありません。リリは、生きるために頑張るだけなのです」

 フードを被り、彼女は暗い道を進んでいく。

 

 

 

 

 

 冒険者の少年は、自室の窓から外を見ていた。

 力持たぬ少女と、力があっても戦えない少女を思う。

 【英雄】などと呼ばれていても、まだ自分には彼女達を満足に守るだけの力さえない。やはりまだ分不相応なのだと、痛感させられる。

 「それでも、いつか」

 まだ弱い、一介の冒険者に過ぎないけれど。

 絶対に、この名に相応しい英雄に、なってみせる。




UA10万突破しました! 読んで下さる方、感想で応援下さる方、本当にありがとうございます。感謝の念に耐えません!!

さて今回はそもそもの原点、『冒険者』という存在に疑問を呈してみた……んですが、うまく纏まってる自信は無いっ!
わざわざエイナを登場させた理由がこれだというに。

そもそも前半部分色々捏ねくり回してるけど、一言で言うと『エイナを専属受付嬢にしたかった』で終わるという情けなさ。余計な部分ががが。

戦闘部分はシオンとモンスターの力量差の関係上あっさりめ。ガッツリ書くと現時点で17000文字超えそうなのに色々ヤバくなる。

・リリの登場。
『冒険者』について何かを問うのなら彼女は必要かな、と。生計を立てるために小さな頃からサポーターやってたはずだから彼女の登場は問題無い、はず。
ただ彼女が再登場する可能性がかなり低い。接点がまず見当たらない。出てくるとしたらかなり先の原作入ってからかな……。
ちなみにこの頃のリリは荒んでいてもそこまで捻くれていませんでした、という設定。

・シオンの挑発
記述できなかったのでこちらで。彼らしからぬほど、やりすぎなくらい挑発してましたが、実はエイナとリリに対する憎悪(ヘイト)を自分だけに集めるためでした。
報復対象を自分だけに固定、ただその後ろには【ロキ・ファミリア】がいるからどうなるかわからないよ、と。結構腹黒い。守るためなら仕方がないけど。
解説追伸
感想でご指摘あったので
――いえ、まだです
から
~八つ当たりにしかならない
までの1000文字を加筆しました。

・それぞれの信条
『冒険者』とは何かと問うたら、当然答えを出さなければいけません。
ギルドで働くだけの一般人、冒険者とすら呼ばれないサポーター、そして冒険者。立場の違う3人がそれぞれの答えを出しましたが、納得頂けたでしょうか。
3人の個性を考えた結果があんななのですが、エイナは原作から引っ張っただけだ……。

次回は予定無し。恐らく日常を入れるかも、と。
大雑把な道筋はあるんですけど、色々横道に入っちゃいます(今回の話とか)ね。どうかこれからもお付き合いの程、よろしく願います。

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