英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

17 / 92
アイズの『冒険』

 滴り落ちる汗を拭う。手で取れる量などたかが知れているが、少なくともこの汗がダラダラと流れ落ちていく状況よりはマシだ。

 目に汗が入らない程度までそうすると、シオンは近くに置いてあるタオルを水筒に入れた水でバシャバシャと濡らす。それで思い切り額に押し付けると、とても気持ちよかった。

 「はー……冷たい」

 「シオンだけズルい! 私にもそれちょうだい!」

 「はいはい、少し待ってろ。全く、ここ数日アイズの遠慮が無くなりすぎだ」

 シオンは苦笑を浮かべると、アイズの分の濡れタオルを作る。まぁ手間暇もそんなにかからないので、可愛らしいお願いではあるのだが、何だか吹っ切れたみたいにシオンに色々と言うアイズは新鮮だった。

 あ”―……とダミ声で先ほどのシオンのように濡れタオルを顔に押し当てる。今日は一段と暑いこともあって、体中汗だくだ。顔だけ拭っても気持ち悪さは残る。それに体から汗を拭き取らなければ風邪を引いてしまうので、さっさと部屋に戻って着替える必要があった。

 「ああそうだ、アイズ、着替えたら一度おれの部屋に来てくれ」

 「ん、わかった。できるだけ早く行くね」

 軽く言い、それぞれの部屋へ戻る。

 今日の分の鍛錬は終わった。反省もしたいところだが、それは後だ。早く着替えなければ冗談抜きで風邪を引く。それは望むところではない。

 基本的にシオンとアイズの部屋の配置は近い。恐らくリヴェリアが提言し、フィンが考えた結果だろう。服については見栄えが悪くならない程度なら、後はどうでもいいと考えるタイプのアイズは着替えに時間も取られない。

 部屋に戻るまでの時間を含めても二十分かからずシオンの部屋にまで行けた。一応、三回ノックしておく。マナーは大事だ。

 どうぞ、と言う言葉をアイズに扉を開ける。

 部屋に入ると、本当に殺風景な部屋が目に入る。家具を置かないせいだが、シオンはここを『自分の部屋』じゃなくて『単なる寝床』程度にしか思ってないのではなかろうか。

 呆れていると、シオンがどこか居心地悪そうに立っている。それを不思議に思っていると、チラチラと彼の背に輝く何かが見えた。

 「シオン、それって……?」

 「あーうん、その、なんだ。女の子に贈るような物じゃないけど……プレゼント」

 スッと横に動いた事でアイズの目に入ったのは、鎧だった。太陽の光を浴びて銀色に煌くそれは目に眩しい。鎧の腰に当たる部分には剣が帯刀されており、恐らくそれも、アイズに渡すプレゼントの一部なのだろう。

 思わず近寄って触ってしまうが、ハッと我に帰ってシオンを見る。

 「シオンこれ、高かったんじゃないの? 少なくとも剣は安物には見えないんだけど」

 いつも鍛錬で触っている物だからか、剣に対してだけは少しだけ目利きがある。そんなアイズが一目見てわかる程度には、この剣は高級品だった。

 「確か合計で三十万ちょっとだったかな」

 「ふーん、さんじゅうまん……って三十万!? ちょっと待って、これ私に上げるって、本当にいいの!?」

 「むしろ女物の鎧を男が付けるってどんな罰ゲームだ」

 いや、シオンなら行けると思う、なんて思考が寄り道しかけたが慌てて戻し、目の前にある武具を穴が開くほど見つめる。

 三十万、三十万だ。洒落になっていない値段である。正直ダンジョンにまともに潜ってすらいない人間には過ぎた代物でしかない。

 ちなみに初心者が使う武器と防具は大体一万前後。

 それを考えれば、シオンがアイズに渡す物は過剰装備と言っても過言ではない。

 「ていうかそのお金はどこから出てきたの」

 「おれ、食事はある程度で満足するし、趣味とか鍛錬くらいしか無いから、実はお金は貯まる一方で……貯蓄の半分も使ってないくらいなんだけど」

 つまり、最低でもシオンは七十万近いお金を持っている計算になる。シオンは本当に普段から買い食いしないし、趣味は無い。精々が前にヒリュテ姉妹にプレゼントを渡したくらいだが、それだってそう高価な物ではない。

 そもそも休日の過ごし方が人助けくらいな時点で察してほしい。シオンには『強くなる』以外に向ける欲がほとんど無いのだ。

 そんな事情は露知らず、子供が持てる金額ではないと驚くアイズにシオンは言う。

 「とりあえず、一度着てみてほしい。鍛冶屋にある程度調節できるように頼んではいるけど、やっぱ実際に試さないとわからないし」

 「あ、うん。でも私の採寸ってやったっけ?」

 「背丈がティオナと同じくらいだから、それをある程度参考にした」

 ピタリ、とアイズの動きが止まり、胡乱気にシオンを見た。なんでいきなりジト目を向けられたのかわからず気圧される。

 「つまりこれを選んだとき、ティオナと一緒にいたってこと……?」

 「そうなるね。二人で『デート』しに行った時に付き合ってもらったんだ」

 「へー……『デート』、かぁ……」

 ゾクリとシオンの背が凍りつく。アイズの冷静な声音が妙に恐ろしい。しかもアイズは何事も無かったかのように淡々と鎧を付けていくので、何をやらかしたのかさえわからない。

 恐々としているシオンを他所に、アイズは鎧を着る。やはりシオンの見たとおりほとんど問題無いみたいだ。この辺りは鍛冶師達の腕前だろう。同じくらいの背丈とはいえ体格の問題はあるのだから。

 どうにも手甲の位置が悪いらしく、何度も調整しているが、手馴れていないためかどうにも要領を得ていない。仕方がないと近づいてシオンが調節してやる。右手が終わったので左手もだ。後は膝当てなんかも。

 靴は大丈夫のようだ。胸当ても問題なし。スカート状のアーマーなので、これも大丈夫。

 結論から言えば手足の一部に微調整が必要なくらいで、それ以外はティオナの体格が参考になっていた。彼女に頼んだのは正解だったらしい。

 ふとアイズが大人しいのを不思議に思って見てみると、彼女は少し顔を赤くしながらシオンを見上げていた。

 眼が合うと、サッと視線を下ろす。一体何がしたいのか疑問に感じたが、深くは気にせず剣を腰に佩かせて剣士アイズの完成だ。

 一頻り満足して頷いているシオンにアイズは溜め息を吐き出すと、

 「……鈍感」

 と、シオンに聞こえないよう呟いた。

 そして自分が着ている鎧を見て、ほんわかと口元を緩ませる。無骨な物であるはずの鎧だが、当て布はアイズに似合う色を選んでいるし、少しだけ付けてある装飾がそのイメージを打ち消してくれている。腰部分をスカートの形にしたのも、アイズが女の子だからだろう。

 後は手や足を動かしやすいように、その箇所は関節部位の可動領域がかなり幅広い。弱点も多くなるという事だが、メリットの方が多かった。

 大人とは違い子供であるから材料費は多少安いだろうが、使われている材料以上に、この細かな細工が鎧の値段をはね上げているのだろう。すぐ成長してしまう子供であるというのも入れれば大損だ。

 まぁ、それを見越してある程度調節可能にしたのかもしれないが、シオンの過保護っぷりがわかるプレゼントだった。

 嬉しいと、素直に思う。

 もうアイズに親はいない。生きていたとしても、ずっと先まで会えないだろう。

 だからシオンの心配は擽ったくて、でもどこか、心地いい。いつの間にか着替えていたシオンの手甲を付けていない手に抱きついた。

 「……ちょっと、痛い」

 「思っても言わないのがマナーだと思いますっ」

 鎧の角が当たって身動ぎするシオンを封殺する。それでも少しだけ角度を変えてくれたのだから優しい方だろう。

 まぁ、それはそれとして。

 「……なんで、着替えたんだっけ?」

 サプライズ的に渡されたはいいものの、それだけならもう脱いでいいはずだ。それなのにシオン自身も着替えている。

 不思議そうに小首を傾げるアイズに、シオンはまぁまぁ、と背中を押す。腕を抱きしめられているので、正確には腰だが。

 廊下を歩いていると、当たり前だが人とすれ違う。金と銀を纏う2人は相応に目立ち、格好と相まって何だか温かい目で見られているような気がする。若干気恥ずかしはあったが、こうして兄のような人の体温を感じている方が嬉しいので、赤くなった顔を俯かせる程度に留める。

 自然体重がシオンにかかるのだが、彼は何も言わなかった。

 期せずして目隠しのような状態になったので、アイズを引っ張っていく。ガチャガチャという音は鎧からだろう。

 「そういえば聞き忘れてたんだけどさ。その鎧、重たいとかそういう問題はないか?」

 「うーん、今は特に。ただ着て歩くだけなら、普段より疲れそうってくらいかな。ただ剣を振り回してってなると、慣れないまでは厳しいかも」

 「なら、多少余裕を持って回ったほうがいいか」

 「……?」

 何のことかと思って顔を上げたら、シオンはホームの玄関扉を開けていた。飛び込んできた光に手を翳すと、声が聞こえてくる。

 「ったく、準備長すぎだろ。そんな悠長な行動してたら置いてくぜ」

 「とか言いつつ何だかんだ待ってあげるんでしょ?」

 「本当に素直じゃないよねーベートってさ。そんなだからツンデレベートって言われ」

 「それ以上言ったらその口が二度と動けないようにするぞ……?」

 今にも噛み付かんばかりに犬歯を剥くベート。このまま放っておいたら本当にやりそうなので、アイズの腕を放して3人を諌める。

 「はいはい、そのやり取り一旦やめ。減らず口もからかいも、時と場合を弁えろ」

 「弁えたらやってもいいんだ……」

 「言っても止めないなら言う状況くらいはちゃんとしたいからな。今日からアイズもパーティメンバーなんだし、邪魔だったら容赦無く言え」

 「うん、わかった。……え」

 相変わらずここまでがいつもの事なのだが、今日初めて『パーティを組む』アイズには戸惑う部分も多いだろう。

 そう思って言ったのだが、アイズは何故か固まってしまう。

 その様子を見て真っ先に気づいたのは、ベートだった。

 「おい待てシオン。まさかテメェ、何の説明もせずにここに連れて来たのか……?」

 「はは、まさか」

 「……そう、だよな。いくらテメェでもそれは」

 軽く笑みを浮かべるシオンに、疑った事を恥じるように呟いたが、

 「一言も教えてませんけど、それが何か」

 「テメェの脳みそにネジでも突っ込んどきゃ少しは回転早くなるか!? それとも油かどっちがいいんだアァン!?」

 「お、落ち着いてよベート、シオンのコレはいつもの事じゃない」

 「そうね、一々気にしてても仕方ないわ」

 しょうもない程おバカな時のシオンは信用できない。吠えるベートの肩を押さえるが、姉妹としても叫びたいのが本音だった。

 頼りになるリーダーのはずなのに……と3人がガックシと項垂れていると、アイズは先ほどのシオンの言葉と、全員の格好を見て大体悟った。

 とりあえずいつまでも玄関先にいるのは邪魔だろうと思ったので、出発。

 その途中、先ほど気づいた事をシオンに聞く。

 「もしかして、今から私達でダンジョン行くの?」

 「そういうこと。あの時にアイズもダンジョンで多少戦えるってわかったからね。ああでも、おれ達と一緒に行く事が大前提だからな。1人では行くなよ!」

 アイズが爆発するくらいに我慢していたのを、シオンは知った。

 だから3人と相談し、彼女にある程度――それこそ中層でも十二分に使えるような――強い装備を与え、更にもしもの為に全員が集まっていれば問題無いだろうと判断したのだ。

 アイズがシオンを思って行動し始めているように、シオンもアイズの事を考えている。今回の件もその一つ。

 「まぁ、フォローくらいはしてやるが、足手纏いになるなら次からは連れて行かねぇ」

 「アイズは私と同じ前衛だから、頑張ろうね!」

 「少なくとも壁になってくれれば、後はこっちで何とかするわ」

 「だ、大丈夫っ。逃げてもいいならだけど、ウォーシャドウ三体は倒せるから!」

 かけられた声はアイズの緊張を解すための雑談だろう。

 「ほぉ……」

 「へぇ……」

 「ふぅん……?」

 けれど、3人は驚嘆しつつもアイズの言葉が真実かどうかを確かめるように見つめ出す。動揺しつつも本当の事なんだからと胸を張ると、ベートがニヤリと笑った。

 「少しは期待できそうだ。頑張れよ」

 「っ、はい!」

 ひらひらと手を振って足早になるベートの背を見ながらティオナは言う。

 「珍しい、あんな素直に褒めるなんて」

 「惚れた……は、無いか。思うとこでもあったのかしらね」

 ――ベートの扱いって、どうなってるんだろ……。

 散々な言われようについシオンを見ると、苦笑を返された。これがいつもの事だとすると、彼の性格上怒りそうな物だが。

 気の置けない仲、という事だろうか。

 少し、羨ましくある。

 アイズにはここまで言い合える友達はいない。強いて言えばシオンだが、この人はどちらかというと兄に近く、友とは言い切れない。

 ――なれるかな、私も。

 こんな風に、じゃれ合えるように。

 

 

 

 

 

 正直言って、5層辺りまでは作業でしかない。

 Lv.2になってから跳ね上がった五感で元からわかりやすかった奇襲が完全に把握できる。それ以前にベートの特に鋭い嗅覚が事前に敵の位置をある程度教えてくれるため、笑うしかない。

 とはいえシオンの頭に叩き込まれた1層から12層までのマップを参照して最短ルートを通っていくため、少し時間を無駄にするだけだ。後はパーティの動きをアイズに把握させるために、適当に戦うだけ。

 ウォーシャドウに関しては一対一なら完封できる。念のため遠距離攻撃持ちのフロッグ・シューターや『新米殺し』と名高いキラーアントなんかも相手をさせたが、少し戸惑う程度で大した怪我も無く倒しきった。

 単純な剣の腕ではシオンよりも優っている。その片鱗が垣間見えるのだ。現状は始めた年月差でシオンが勝っているが、近い内に追い越されるだろう。

 ティオナが若干シオンを心配しているが、シオンとしてはそこに固執しても意味がないと割り切ってるので、結構どうでもよかったりする。元々器用貧乏タイプなのはフィンに言われてわかっていた。

 重要なのはそこからどうするかだ。思考停止している暇なんてない。指揮をしているのだって、それが性に合っているのもあるが、このパーティではこの役割に徹するのが一番機能するとわかっているから。

 まぁ、体術を始め短剣やら投げナイフやらの腕も磨いているし、器用貧乏なりに工夫はしているので、本気の戦闘で負けることは当分先、と思いたい。

 この辺りの教育はリヴェリアとガレスのお陰だろう。正直無い物強請りをしているのなら今ある手札をとことん見つめ直す方が合理的、とこの年齢で判断できる程度には扱かれた。

 見たところ他の4人はそこまでやられてないらしい。

 ――フィン、英才教育にしても程度があるんじゃないかな……。

 暗に後継者指名してくれるのは嬉しいが、あの地獄の日々は思い出すだけで目から光が消えていくくらいには、トラウマになっている。

 「……オン、シオン! ちょっと、何か目が死んでるけど大丈夫?」

 「問題ないよ。指示だってちゃんとしてるだろ?」

 「意識がどっかにトンでるのに指示だけはちゃんとできるっていうのもどうかと思うんだけど」

 そこは知ったことじゃない。

 気づけば12層に到達していた。無意識って怖い。

 そもそも8層を超えた辺りから記憶が無い、と言ったらキレられそうなので、黙っておく。正直は美徳にならないのだ。

 遠方に見えたインプを投げナイフで打ち落とす。実力的に見れば雑魚とはいえ、ダンジョン内でボーッとするなど自殺行為だ。

 意識を切り替える。

 と同時に、全員が背筋を伸ばしたのは気のせいか。

 それを気にする間もなく、ダンジョンからモンスターが湧き出す。先ほどインプを落とした方向からも敵が来る。

 「乱戦準備。ベートはうざったいインプを最優先。余裕があったらオークを。ティオナとティオネはハード・アーマードを斬れ。アイズはオーク」

 矢継ぎ早に指示を出したら、自分はシルバーバックに突っ込む。運良く数は三体と、そう多くない。一体は通り過ぎる時に胴を一閃。もう一体はシオンを無視してアイズに向かおうとしたため、即座に通せんぼし腰にあった短剣を心臓に突き刺す。

 その間に一回転した視界で状況を判断。ベートは気にしないでいい。ティオナはともかくティオネは湾短刀という武器のせいか、若干手間取っているようだが、大勢に影響はない。

 肝心のアイズは、意外と普通にやれていた。オークは『力』が高く、一撃の威力は相当高い。がしかし、一時期シオンが刃引きしていない剣で急所を狙う、という行動をした結果。

 威力が高かろうが低かろうが、当たり所が悪ければ死ぬのは一緒だから怯えても無駄、という刷り込み――ではなく、恐怖の克服ができた。

 オークの攻撃自体は遅いため、アイズの表情を見る限りむしろ余裕そうだ。

 ――あ、股下に剣が……。理解してやって、ないみたいだな、アレは。

 何故か武器を手放し膝をつくオークを不思議そうに見やり、そのまま剣で脳を突き刺す。結構容赦無かった。

 『グルゥァ!』

 「おっと」

 残った最後のシルバーバックがシオンを襲う。焦らず剣で攻撃を逸らす。

 見たところ後一、ニ分で敵は全滅できる。それならちょうどいい。

 「少し、遊んでもらうぜ」

 『グ、ガァゥ!』

 言い方が悪かったのか、シルバーバックの顔が歪み、吠え声を返される。

 突進してきたシルバーバックは、しかしいきなり目の前で止まり、その反発を利用してグルンと縦に回転する。両腕の爪による切り裂きと、両足の踵による踏み潰し。まるで車輪のような高速回転だが、焦らず横にズレればいいだけのこと。

 ただ若干方向を修正されたので、プロテクターで受け止める。

 ギャリギャリギャリッ! という異音に顔をしかめ、次いで腕にかかる衝撃に足を踏ん張る。けれど、どうしてかその衝撃をどうとも思わなかった。

 オッタルから食らった、あの攻撃。

 アレと比べると――そもそも比べるレベルでさえ無いが――どうにも弱い。ただ、この一撃でよろめいたのは事実。

 『ガッ!』

 シルバーバックは足を地につけると、体を捻って拳を放つ。それに対し、片足だけ曲げて、即座にジャンプ。側転しながら、その腕を躱す。一歩間違えれば頭を殴られていただろうが、タイミングは測っていたので問題なし。

 その気になれば側転状態から反撃できたが、しない。目的は『遊ぶ』事であって、コイツを『殺す』事ではないのだ。

 さて次はどうしようか、と剣をクルクルと回す。

 それを余裕の表れと思ってのか、シルバーバックの苛立ちがどんどんと増していく。

 「おいシオン、いつまで遊んでんだ。さっさとそいつ殺しやがれ」

 と、魔石と、あればドロップアイテムの回収が終わったのか、ベートが声をかけてくる。その顔にはどうして殺せるのに殺さないのかと疑問が浮かんでいる。

 バックステップで距離を取りつつ、視界を回転させて誰がどこにいるのか把握する。本当に全員終わったようで、残るは自分だけのようだ。

 「……なら、いいか」

 そうポツリと呟いて、近づき腕を伸ばしてくる敵を見据え。

 その攻撃を受け流し、そこからシルバーバックに近づき、トン、と軽く押す。攻撃が持続したままのそれが、()()()()()()()向かっていった。

 「――え?」

 目の前に迫った拳が、アイズの視界を埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 ほぼ反射的にアイズは体を投げて回避する。

 頭の上を撫でる風を感じながら、尻餅をついた瞬間後転して起き上がる。その時にはもう既にシルバーバックも体勢を整えていたが、何か、あるいは誰かを探しているかのように周辺を見渡している。

 けれど、お目当ての物が見えなかったからか、シルバーバックは怒りを宿した目をアイズに向けてきた。

 ――え、待ってもしかして。

 とばっちりを食らった、という事になる……?

 そろそろと視線をシオンに向けると、ニッコリと笑顔を返してきた。

 ――頑張れアイズ。

 ――無理無理無理だよぉ!?

 圧倒的に【ステイタス】で負けている。思わずシルバーバックの顔を見上げると、その威容に圧倒された。

 「ア、アハハ……」

 知らず引きつった笑みが浮かんでくる。

 「ごめんなさいちょっと時間を――」

 『ギュルガァ!』

 「くれないよねイヤァァァッァァァアアアア!??」

 背を向けて走るアイズに、容赦無くその丸太のような腕を振るう。

 それを必死に避けているアイズを見ながら、シオンは3人のところに戻った。と同時に、ティオナが言う。

 「えっと、助けなくていいの? あの子の【ステイタス】じゃ厳しいんじゃ」

 「まぁ、確かにアイズの【ステイタス】は魔力以外を除いて平均100を超えた辺りだっけ? いやでもウォーシャドウとかと戦ってたんだし、少しは伸びてるか……?」

 それはそれとして、と言って顔をあげ、何か変な顔をしているティオナに言う。

 「むしろどうして助けると思ったんだ。おれがけしかけたのに」

 「だよねー」

 あっさりと返されてしまっては、ティオナとしても何一つ言えない。ティオネもこのやり取りを見て説得する気力を失ったようで、肩を竦めるだけだった。

 ベートは元から放っておくと決めているようで、壁に背を預けていたが。

 シオンが助けないのなら3人の内誰かが助ければいい、と思うかもしれない。

 だが、信じていたのだ。

 こうする事に、きっと意味はあるのだ、と。

 スパルタすぎる、と思いながらもアイズとシルバーバックを見ているだけなのは、その想い故だった。

 アイズとシルバーバックでは『敏捷』に差がありすぎて、ただ逃げるだけでは簡単に追い詰められる。右に左に小刻みに動いて、わざと相手に空振りを誘発させる。その隙に距離を取って逃げるを繰り返す、くらいしかできる対応が無い。

 けれどその動きにも慣れ始めたのか、シルバーバックは時折フェイントを混ぜるようになった。そうなるともう、アイズはただただ翻弄されるだけ。

 無理して避けた瞬間、アイズの足が曲がり、地面に片膝をついてしまう。

 「しまっ――」

 『ガッ!』

 顔を上げると、正面に爪。逃げられない。先ほどのように体を投げ出す暇さえ無い。

 ――せめて、真正面からは。

 爪に合わせるように手甲を掲げる。火花が散ったかと錯覚するような音が目の前で響く。肩に力をこめて一瞬耐え、その後すぐに腰から下を動かし、横に飛ぶ。

 シルバーバックの爪を受けて生じた衝撃と、飛んだ勢いで傷を避けた。しかし受身は取れなかったせいで地面を何度か転がるハメに。

 痛みを堪えて立ち上がると、全身土埃に塗れていた。怪我してないかと見渡し、ふと気づく。

 「……ッ!」

 元々追い立てられ続ける理不尽に、怒りはあった

 「……ない」

 だが、何よりも。

 「絶対、絶対に」

 手甲に付けられた、鋭い爪で引っかかれたような痕。

 「絶対に――許してやらないんだからぁ!」

 シオンから貰った、初めての贈り物(プレゼント)

 それを傷つけた相手を許すだなんて、絶対にできない。

 ――【ステイタス】の差? 体格の差? 何それ、()()()()で退く理由になる?

 スッとアイズの眼が細まり、視界の中心にシルバーバックを収める。ヒュンと剣を一度振って体調を確認。

 特に怪我をしていないとわかった。多少疲れはあるが、戦闘に支障は出ないだろう。

 この瞬間、彼女の中にあった覚悟が燃え広がる。

 ――私は今日、初めて『冒険』する。

 自分より格上の相手に、アイズは一歩、踏み出した。

 シルバーバックからすれば遅い歩み。だが今まで逃げ惑う一辺倒だっただけの獲物がいきなり反撃してきたのは、微かな動揺となった。獣の本能で距離を測るため数歩下がり、それから一気に駆け出した。

 伸ばされてきた腕。それに対しアイズはその場で急激に停止し、一歩分横にズレる。自身の真横を通る腕を冷静に見つめ、そして恐らく肘になるだろう部分に剣を突き刺し即座に切り裂く。

 痛みに呻くシルバーバックを冷徹に見つめ、未だ近くにいる敵の足を攻撃。流石に上手くはいかなかったが、小さな傷がつけられただけでも儲け物。

 アイズは剣を構え直し、シルバーバックと相対する。

 恐怖はない。シオンを相手にとことん追い詰められて――それこそ本気で泣く寸前まで――きたせいか、たかだか図体がデカくて多少自分より強い相手でも、ああ、そう、としか思わなくなったのだ。

 「……おいシオン、一つバカな事聞くがよ」

 「なんだ。悪いが生返事になるかもしれんぞ」

 「アイズとテメェ、兄妹、とかいうオチはねぇよな?」

 その質問に、思わずベートの顔を見る。正気か、と言いたげなシオンの顔に、ベートはふんと鼻を鳴らし返してきた。

 しかし意外な事に、横合いから飛んできた声が同意してきた。

 「そうね、ありえそう」

 「ハァ!? ティオネまで?」

 「いや、うん。私もそう思うよ」

 「ティオナもか。髪も目も顔の形まで違うのに兄妹とか無いからな? 父親が同じとか、そういうオチも無いからな?」

 言ってから、ありえない話ではない、と思ってしまったのは忘れておこう。両親の顔すら覚えていないシオンにとって、そもそも兄弟姉妹がいるかすら定かではないのだし。

 けれど、今回は少し事情が違った。

 代表して、ベートが言う。

 「アイズのあの『眼』なんだが……テメェとそっくりすぎだ」

 「え? ……いや、ちょっと待って。もしかしておれの眼って、あんなに鋭いの!?」

 ――気づいてなかったのか……。

 思わず3人の心が重なったが、実際似ていたのだ。シオンに聞いてしまう程に。

 敵を冷徹に見据え、下手するとゴミを見るかのような瞳。それに見つめられると背筋を伸ばしてしまいそうな、言い換えれば『凄まじく目つきが悪い』状態。

 ダンジョンにいる時の、いわゆる本気シオンと、目の前にいるアイズが重なる。

 アイズが再び動き出す。応じる様にシルバーバックも動いた。けれどその動きは鈍く、片腕を庇うようにしているし、何より走り方が変だ。

 「……ああ、脹脛(ふくらはぎ)か」

 どうやら先ほど斬られたのはそこのようで、足に力を入れるのが難しくなっているらしい。速度で勝っていたはずのシルバーバックが、一つの、いや二つの武器を取り上げられた形になる。

 もちろんアイズはそのわかりやすい弱点を狙わないはずはない。剣をゆらゆらと動かし、少しでも隙があれば狙い撃つ姿勢を崩さない。

 自然消極的な動きになるシルバーバックに、アイズは小さな傷を積み重ねていく。

 一つ、二つ、三つ。決して大振りな一撃は入れない。あくまで小振りで、ジワジワと追い詰めていくだけだ。

 ――忘れちゃダメ。

 煮えくり返るような怒りの中で、冷静な理性が呟く。

 ――私よりシルバーバックの方が、強い。一気に終わらせようなんて考えないで。

 あるいは『魔石』という、人間でいう心臓や脳に位置する部分を壊せれば別かもしれない。だがここで知識不足が足を引っ張って、アイズはこのモンスターの魔石のある場所を知らなかった。

 だからこそ、小さな傷を入れ続けるのみ。

 ――私がシルバーバックに勝ってるのは、剣技だけ。だから、ひたすら速く!

 鋭い一撃を、叩き込み続ける。

 五分か、十分か。あるいはもっと。

 アイズの目の前に、血だらけになった状態で膝をつくシルバーバック。荒い息をあげて、それでもその眼に宿る殺意は薄れようとしない。

 小さく歩むアイズに、シルバーバックは叫んだ。

 『グ、ギュガアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァアアアッッ!!』

 後先考えない、最後の一撃。

 アイズは敢えてそれを避けず、『その一撃』ごと相手を切り裂いた。例え全てを賭した一撃であろうと、傷つきすぎたシルバーバックの拳は、弱かった。

 「ハァ、ハァ、ハァ、フゥ……スー……ハー……」

 遅れてやってきた息の乱れを、何度か深呼吸して整える。

 それからシオンを見て、どうだった、と視線で問うと、満面の笑みを返された。どうやら合格を得られたらしい。

 警戒心を残したまま弛緩する。しかし、すぐにドンッと何かに抱きつかれた。

 「え、な、何!?」

 「凄い、すごーい! まさかシルバーバックに勝っちゃうなんて! 私だったら無理だったろうし、本当尊敬するよ」

 「テメェはまず力任せの戦い方をやめれば少しはマシになるだろうよ。……まぁ、よくやったんじゃねぇのか」

 「無理じゃない? むしろ考える方が弱体化しそう。おめでと、まさか本当にシルバーバックを倒すだなんて思ってなかったわ」

 「あ、えっと、その……ありが、とう」

 手放しに褒められて戸惑うアイズ。気恥ずかしくて顔が赤くなっているような気がする。4人の様子に苦笑をこぼしていたシオンもアイズに言う。

 「何ていうか、アイズを諌めていた意味があったのかって思うよ。強くなったな」

 違う、と言いたかった。

 アイズが勝てたのは、シオンからひたすら教えられたのと、この鎧と剣のおかげだ。鎧が無ければ腕を持ってかれただろうし、この武器が無ければ相手の『耐久』を上回る一撃なんて到底与えられなかった。

 何より1人だったのなら、きっと諦めていた。シオン達が見ていたから、諦めず、同時に安心感を覚えながら戦えたのだ。

 けれどそう言う間もなくいつの間にか4人は準備を整えていた。ダンジョン内で一箇所で話し続けるのは愚策だ、と言って。置いてかれないよう、アイズも必死についていくしかない。

 そうして歩いている最中、ふとシオンが言った。

 「よし、それじゃ今から『中層』行くか」

 「「「「…………………………」」」」

 空気が、凍った気がした。

 「おいシオン、今『中層』に行くって聞こえたんだが」

 「ああ、間違ってないぞ? そもそもさっきアイズをシルバーバックと戦わせたのは、その前哨戦みたいなもんだし」

 「詳しく説明してもらいたいところなんだが?」

 「後でな。少なくとも『中層』行ってからの方が話が早い」

 ベートの言葉を一蹴して、シオンはアイズに向き直って聞く。

 「アイズ、行けるか? 本当に厳しいのなら今日は終わりにするが」

 確かに、シルバーバックを相手取ったのは辛かった。

 でもそれ以上に、あやふやだった自分の道が明確にできたのは嬉しかった。アイズは『力』を使った剣ではなく、手数によって敵を倒す『速さ』の剣士なのだと。

 「ううん、大丈夫。私、頑張るよ。……お兄ちゃん」

 興奮で赤くなった頬で上目遣いをするアイズは、目眩がするほど可憐だったが。

 「「「……お兄、ちゃん?」」」

 ――最後の一言は、余計だった。

 ベートはまだいい。純粋に疑問に思っているだけだから。

 ただ、姉妹はダメだ。

 面白いものを見た、と言いたげなニヤニヤとして笑みを浮かべるティオネと、何故か戦慄し焦燥の顔をしているティオナを放っておいたら、余計なトラブルの種になる。

 「アイズぅ……」

 「……ごめんなさい」

 先ほどとは別の意味で顔を赤くするアイズを見ては、怒れもしない。そもそも好きに呼んでいいと言ったのは自分なのだから、身から出た錆である。

 『中層』に行く前に、まずはこの状況をなんとかするのが先のようだ。




今回はちょっと甘えんぼなアイズを描いてみた! 原作の無表情さとは正反対にコロコロ感情変えさせたいから色々やるのだ!

ティオナとアイズの可愛らしい嫉妬する姿も……いやまぁこれはどうしよ。現時点では書こうとしても頭の中ですら案が無いから没にするかも。

さて毎回恒例解説を

・アイズの武具
先日の閑話の時に作成を依頼した。ちなみにあの後シオンとティオナは北東→北→北西と回って商店街を覗いてきちんとデートしていた、という裏設定。
武具の選択はあくまでシオンが行ったため、『シオンが感じたアイズのイメージ』を元にして作られている。

・シオンの貯蓄
アイズが七〇万ヴァリスと予想したが、実は一〇〇万を超える貯蓄があったり。コンビやらソロで潜ってたら自然と貯まる模様。
顔良し性格良し年齢に反して強く、趣味が無いため散財はしない。加えてあの恋愛観、重すぎるというのは一途とも取れるため浮気もしない可能性大。
――アレ、何か超優良物件?
自分で書いておいて何だけど完璧超人? 隠れた地雷除けば。

・アイズの『冒険』
キレるとシオンと同じ眼が鋭くなるのは仕様である。
アイズの剣は原作の【ステイタス】で大体予想できる。『力』と『耐久』が低いけれど『敏捷』と『器用』が高いから、ティオナみたいな一発重視ではなく手数重視と判断。
シオンが無理矢理格上と戦わせたのにはちゃんと理由があるけど、前述した通り理由は次のお話にて。

次回も引き続きダンジョンダンジョン予定。
初『中層』ですけど、そこまで複雑にはしないかな。擦り付けられるとか。
後文字数次第ですけど原作組から新たに1人登場。誰かわかるかな? お楽しみに!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。