英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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時系列的には前話ラストの数日後の話になります。


閑話 ティオナの決心

 抱きしめた枕に顔を埋めて、私は一人ゴロゴロとベッドの上を転がっていた。

 かと思えばうつ伏せになって、パタパタと足を振ってしまう。とにかく落ち着きがなく、何かしていないとソワソワしてしまうのだ。

 「ううぅ~~……」

 つい、唸ってしまう。

 誰かに見られたら注意されるとはわかっていたけど、この部屋にいるのは私一人だけだから、大丈夫。そう自己弁護してしまうくらい、今の私は精神的に追い詰められていた。

 その原因は、一つだけ。

 シオンのせいだ。彼が『()()()()()』を言ってから、私は落ち着けなくなって、ソワソワして、皆から呆れられてしまうのだ。

 だから私のせいじゃない。

 「……なわけ、ないんだけどね」

 言い訳がましいなんてわかってる。だけどだけど、まさか()()シオンが、あんな言葉を言うだなんて思ってもみなかったのだ。

 思い出すのは、二日前のシオンのセリフ。

 『ティオナ、今度デートに行かないか?』

 「あんな事言われたら落ち着けるわけないよ~~~!??」

 また枕に顔を押し付けてしまう。

 わかっている。

 わかっているのだ、シオンは冗談で言っていることくらい。

 多分だけど、アイズを助けに行けと叱咤激励したことへのお礼なのだろう。それを誰かの入れ知恵で、2人(の男女)で行くならデートだよねって感じに変な事を吹き込まれたに違いない。

 でも、私はシオンが好きなのだ。

 狂おしいくらいに、想っているのだ。

 理解していても期待するのは止められないし、止めるつもりもない。だからきっと、言い方は違えど『今度の休み、この前の礼に2人で遊びに行こう』とでも言われたら、私は今と同じ状態になっていたと思う。

 「惚れた側の負け、かぁ」

 よくある恋愛小説物で書かれている言葉を、何度も何度も身に沁みて思い知った。だけど、今ほど知ったことはない、と、思う。

 正直シオンは鈍感すぎて、思った回数が人より『ちょっと』多い。だから、きっと、私は色々負けているのだ。それさえ楽しんでいる節があるのは、否定しないけれど。

 ふ、と小さく息を吐き出す。

 そして意識を、明日の休みへと切り替えた。

 基本的にシオンは凄く忙しい。私が週に三日休んでいるとしたら、シオンは一日休むくらい。私はたまにフィン達に聞きに行くくらいだけど、シオンは今でもフィン達から指導を受けている。

 それはきっと、責任の違い。

 シオンは自分を含めた4人の命を背負っている。だからシオンは、命を落とす確率を少しでも減らすために手を打っている。努力して、色んなことに手を伸ばして。その事にちょっと落ち込んでしまう私がいるけど、すぐ感情剥き出しにする私は、むしろ足手まといだ。

 だから、明日の休みでは、シオンが休みながら楽しめるような日にしたい。出かけるのは確定らしいから、比較的疲れるような事はせずにいられるような……流石に夢物語か。

 と、そこでふと思う。

 「服装、どうしよう?」

 私が持っているのはアマゾネス用の服ばかりだし、最近は新しい、いわゆる流行物なんて買ってもいない。お金の入用があったからだ。

 でも、折角シオンと2人っきりで出かけられるのに、何度も着た着古しで行くのは、やっぱり恥ずかしい。

 そこで立ち上がりかけて、だけど、と思ってしまう。

 「気合入れすぎて引かれたり……とか、無い、よね」

 あっちは普通に出かけるくらいにしか思ってないのに、ガッチガチの服装で行ったら迷惑じゃないだろうか。

 シュンと萎みかけた気持ちは、けれど、完全に消えることはなかった。

 『ティオナはもうちょっと身嗜みに気を付ければ、お姫様になると思うけどね。素材はいいんだからお洒落してみなよ』

 あの、言葉。

 「――~~……!!」

 今でも思い出すと顔が真っ赤になっていると自覚できる。

 それくらい恥ずかしくて。

 それ以上に……嬉しくって。

 「落ち着け、落ち着くの私!」

 何度も深呼吸。やっと顔をあげるとベッドから出て所持金を見る。幸い、と言っていいのか、向こう一ヶ月ほとんど使わずお金を貯めていたからか、資金には余裕があった。

 私達は4人パーティでダンジョンに潜っているから、資金の分散は面倒だ。そのためシオンの提案で、十の内四割を私達で分散し、六割をパーティ共同資産に。私達で分散したお金は各自の生活費に充て、パーティ共同資産からは【ファミリア】への税金を納めたり、装備購入の費用を捻出している。

 要するに、個々人のお金と4人共用のお金、というわけだ。アイズという子がパーティに入ったらこの割合も変わるだろう。

 ちなみに私達の一日の稼ぎは大体一〇万ヴァリスを超えるので、個人の稼ぎは、月十五、六万くらい。フィンからは『子供の稼ぎじゃないね』と呆れられていた。

 まぁそういうわけで、この十万で服を選びに行こう。比較的大きな鞄の中にお金を入れてカムフラージュし、私は部屋の外へ出た。

 【ロキ・ファミリア】の存在する場所は都市のほぼ最北端。そこから南下した場所に存在する北のメインストリートは、商店街として繁盛している。

 その中でも、ここは特に服飾関係で有名だった。

 種族間に横たわる衣装の壁は歴然と存在している。ヒューマンの子供の身長でありながら成人する小人族や、そこまでではなくとも低身長でガッシリとした体つきのドワーフ等の体格という単純な問題。風土、文化の違いによってほんの些細な装飾が受容できない、なんて事さえあった。

 アマゾネスの私にも、当然服装の好みはある。普通の人ならお断りするような、露出の激しい服装だ。だから彼らの言うことも理解できる。

 更なる問題は、ただでさえここは世界中の人が集まるオラリオ。こういった些細な違いはありえないくらいの溝となることだ。

 まぁその問題点を解決したのが商人達なのだけれど。

 海千山千の商人達が協定を作り、各種族毎の専門店を設立。信頼と実績を瞬く間に生み出し、そこに商業系の【ファミリア】が市場に進出したことで拍車をかけた。

 ある意味でこの北のメインストリートが、世界の流行を担っているとも言える。

 ちなみに大通りよりも路地裏のお店の方が品揃えは良く、お店も一杯ある。そのためオラリオの外から来た人以外の常連はそっちへ行くのが普通だ。

 通り慣れた道を行き、目当ての場所へ行く。少ししてたどり着いたそこは、紫を基調とした看板がまず目に入る。無造作に開け放たれた扉の外からでも見えるとっても際どい衣装。

 ここは私と、ティオネと、その他色んなアマゾネスが利用する服飾店。

 店内に入ると、店員が手を振って挨拶してくれる。とはいえその後何かするでもない。服選びはご自由に、というわけだ。

 私としてもその方がありがたい。横からアレコレ口を出すのは好きだけど、出されるのは好きじゃないからだ。

 普通の人から見れば過激になるだろう衣装を手に取る。子供の私では着れない服も多いけど、それはそれで工夫しようと思えるからいいスパイスなのだろうか。

 ちなみにアマゾネスの衣装は踊り子の服装に似たようなもの、と考えると一番わかりやすいだろうか。その中でも特に露出の激しい――忌憚なく言えば『誘っている』感じが、私達の着る一般的な服になる。

 実際私がいつも着ている物は胸に当てる横巻に、下着のような何かにパレオを巻いているだけというもの。ティオネは足にもつけてるけど、私達の観点からするとアレは比較的露出が少ない部類になる。

 まぁ私の場合ダンジョンに行くから、見た目より機能を――この服で機能性云々なんて聞いちゃダメだよ?――優先してるところもあるんだけど。

 なんて考えながら、デートに行くなら出歩くんだし、あんまり過度な装飾がついてたら邪魔だよね、とか、あの店員のお姉さんみたいな体型ならシオンを悩殺できるのかなーとか、そんな取り留めのないことを思う。

 「まぁ、あの鈍感(シオン)を悩殺できるわけないか」

 自分が考えたことに苦笑をこぼしながら、あ、なんかこれスリット大きい、と思って服を手に取ったとき、ふと視線を感じて顔をあげる。

 「……悩殺、するの?」

 「ふにゃあああああああああああああああああああ!??」

 口元に手を当てて、ムフフと笑うティオネが、立っていた。

 ――聞かれた? よりにもよってそこを!?

 困惑する私に、ティオネは私が持つ物を見て、どこか優しげな目で言う。

 「あんたにそれは早いわ。自滅するだけだから、やめなさい」

 「余計なお世話だよ!? ていうかなんでティオネがここに……」

 「服選びに、付き合わされて、ね」

 答えたのは、フィンだった。ティオネの後ろにいたのに気づかないほど視野狭窄に陥っていたらしい。

 どこか疲れているフィンにお疲れ様と思いつつ、

 「デート?」

 「ですよね団長♪」

 「いや、僕は【ファミリア】での交渉の帰り……いや、なんでもない。デートだよ、うん」

 ティオネの満面の笑みが鬼の怒気に変わりかけたのを見て訂正するフィン。尻に敷かれている感じが凄い。

 でもねティオネ。今はいいけど、そんなんじゃいつか逃げられるよ……。

 「そういえばティオネも最近服買ってなかったっけ?」

 「毎日ダンジョンダンジョンだし、そうじゃなくても色々忙しいからね。団長も、シオンに付き合ってるんですよね?」

 「そうだね。最近はゲームなんかで『こういう状況ではどう対応するか』って事をしてるよ。シオンの指揮能力と危機対応能力を養うためにね」

 ダンジョンで死なないだけの体と技術を手に入れてきたシオンは、今度は頭の方を鍛えだしているようだ。それ以外にも簡単な書類の処理の仕方だとか……少なくとも、フィンはシオンの言っていた通り、彼を次期団長にでもしたいのだろうか。

 「団長、そろそろ」

 「ああ、わかった。行こうか」

 「ええ! あ、でもその前に」

 ティオネは私の耳元に口を寄せると、

 「アマゾネスじゃなくて、ヒューマンのお店に行きなさい」

 「え……?」

 「良くも悪くもアマゾネスは偏見で見られるわ。でもヒューマンの服を着てれば、褐色肌のヒューマンの子供に見られる。余計なトラブルを避けたいなら、考えなさい」

 ポン、と私の肩を叩くと、ティオネは小さく笑みを浮かべて店の奥に行ってしまった。呆然とティオネを見送ると、私は手元の服を見る。

 過激な服装だ。アマゾネスとしては正しくとも、シオンと出かけるという意味では、正しくないだろう服。

 だけど、私にヒューマンの服が似合うのだろうか。アマゾネスが着る物ばかり選んで買っていたせいで、ヒューマンの服のセンスなんて欠片も無い。こんな時、誰かが一緒にいてくれれば心強いんだけどな。

 『素材はいいんだから』

 素材、つまり私の外見。

 本当に、シオンはそう思ってくれてるの?

 『お洒落してみなよ』

 あの時のシオンの声と表情を、脳裏に浮かべる。

 トクン、と心臓が跳ねた。

 ――……ティオネのバカ。シオンのバカ。

 私は持っていた服を置くと、一つの決心をしながら店を出る。

 私はヒューマン専門の店の場所なんて知らない。だから一度大通りに戻る。種類の豊富さは路地裏だけど、いくつもの店をはしごする前提なら、大通りでも十分事足りる。ショーウィンドウに飾られているマネキンに着させられている服を見て、子供の服も置いてある店を探す。

 一日かけたって構わない。

 シオンに、可愛いって言ってもらう。

 そう、決めたのだから。

 

 

 

 

 

 一方その頃、ティオナを悩ませている張本人はといえば。

 「うーん……どうすればいいと思う?」

 「俺が知るかっての。相談相手間違えすぎだ」

 『お礼、どうすればいいと思う?』と言いながらベートのところへ押しかけていた。嫌そうな顔をしつつもなんだかんだ対応してくれるのだから、やっぱりいい奴だと思う。

 2人並んでホームを歩きながら、シオンは明日のお出かけに思いを馳せる。

 ティオナに声をかけたはいいものの、何故か彼女は真っ赤になって大慌てになったのをよく覚えている。嫌だったのかなと思ったけれど、俯きながら答えてくれたとき、確かに口元に笑みが浮かんでいたからそれはない、はず。

 「ったく、面倒くせえ奴等だ……」

 シオンが悩んでいるのを横目で見ながら、そろそろか、とベートは道を左に曲がる。そこにいた目当ての人物に声をかけ、後を任せる。

 ベートがいなくなったのに気づかないままシオンは歩き続け、

 「わぷっ」

 目の前にいた相手に、ぶつかった。

 「歩くのなら前くらい見て歩け。危ないだろう」

 そう言うと、その人はシオンの頭に手を置き、数度撫でた。口調は厳しくとも声音は柔らかく優しいリヴェリアには、どうにも頭が上がらない。

 「悩みはなんだ? 私でよければ、相談に乗るが」

 「あ、うん。お願い」

 シオンが明日の事について相談すると、リヴェリアは顎に手を当てて少し考える。シオンとティオナの事を考えれば、変な事を言っても意味が無い。

 好かれている自覚どころか、誰かを好いた経験すらないシオンに発破をかけたところで、暖簾に腕押しだ。

 つまり、シオンにとっては普通な場所で、ティオナにとっては重要な場所。

 難しいかもしれないが、事シオンに対しては、簡単だった。

 「お前がいつも行っているところにでも、連れて行けばいいのではないか」

 「そんな事でお礼になるの?」

 「なる。少なくとも、ティオナならば」

 断言しよう。ティオナは絶対に喜ぶと。

 驚く事に、アレだけ仲のいい彼らであるが、休日になると付き合いはかなり悪くなる。だからこの4人は休日に各自が何をしているのかを知らない。

 そこを利用する。シオンが普段何をしているのか知れば、恋する乙女であるティオナは『好きな人を知れた』と喜ぶだろう。

 とはいえそれがわかるのはリヴェリアだからだ。眉間に皺を寄せるシオンのおデコに人差し指を押し付けて、ぐりぐりと回す。

 「そんな考え込むな。あの子はいつものシオンといられれば、それで満足する。余計な考えは大きなお世話だ」

 「……うん、わかった。ありがとリヴェリア」

 素直に頷くシオンに破顔する。

 こういうとき、この子はとても素直だ。そこが可愛らしく見えるのは、親の――いや、身内の贔屓目だろうか。

 うまくいけばいいのだが、そんな風に見守っていると気づかず、シオンは背を向けてどこかへ行ってしまった。

 

 

 

 

 

 次の日、まだ朝早い時間。

 私はデートに持っていく荷物の最終確認をしていた。

 「えっと、手を拭くためのハンカチと、ティッシュ。汗用のタオル。後今日は暑いから水筒に水を入れて、それからお金に……」

 一応新しく購入した小さなバッグに細々とした物を入れていく。中身はティオネからアドバイスを受けた物が多数。

 清純さを出しても今更な気がするけど、だからってガサツなところは見せたくない。複雑な乙女心という奴、らしい。

 まぁそれには同意するので、素直に入れていく。

 とはいえどうしよう。早く起きすぎて約束の十時までまだまだ時間が余っている。時間まで後二時間以上もある。下手に部屋にいると二度寝してしまいそうだから、約束の場所近くで食べ物を買って朝食代わりにしよう。

 そう決めると荷物の確認を終えたバッグを机の上に置いて、昨日買ったばかりの服を手に取る。センスに自信が無かったから、単品勝負。誤魔化しが効かないから、似合わなければ多分、とっても酷いことになる。

 ――似合うって……可愛いって、言ってくれるかな。

 不安は、ある。

 でもそれ以上に、期待している。

 私は服を着替えて、ふと目に入った物を手の上に乗せた。

 それは、もうずっと前にシオンが私に送ってくれた物。壊すのが怖くて、最初にシオンがつけてくれたあの時以来、一度もつけていなかった。

 小さな手鏡を持って、ひまわりの髪飾りをつける。位置を確認して、うん、と頷く。

 「これでよし!」

 後はただ、時間を待つだけ!

 気合を入れて、私は外へ飛び出した。

 シオンとの待ち合わせ場所は、オラリオの中心バベル、その手前にある中央広場だ。ここからならオラリオの東西南北どこのメインストリートにでも行ける。

 今の時点で茹だるような朝日を頭上に感じつつ、何かいい物無いかなぁと周囲を見渡す。八時という時間帯だけあってまだまだ店は盛況。まぁ、北は服飾関係が多いから、食事関連のお店は少ないんだけど。

 結局めぼしい物は見つからないまま中央広場に着いてしまう。ちょっと別の場所にでも行こうかな、と思っていたら、日光を反射する見慣れた髪色が目に届いた。

 「え、シオン?」

 噴水に程近い場所の木の陰に背を預けて、彼はそこに立っていた。タオルで軽く汗を拭い、虚空を眺めている。

 あの容姿だから若干の注目は浴びているけれど、ダンジョンに潜るために中央広場で待ち合わせる人は多い。だから必要以上に注目を集めることはない。

 でもだからって、二時間も前から待つ必要は流石に無いよね……?

 まぁ、私も人のことは言えないんだけど。

 とはいえシオンを見つけてしまった以上、あまり待たせるのもしのびない。ってことで、ちょっと駆け足で彼の元へ走る。

 「……ん?」

 後もう少しってところシオンがこちらを見る。

 【ステイタス】というか、【ランクアップ】すると単純に強くなる他に、五感が鋭くなったりといった副次効果がある。シオンの場合ダンジョン内では常に警戒しているから、その辺りも相まってるんだと思う。

 私だから気づいてくれた……なんて、ありえないか。

 そしてシオンは私を視界に入れると、

 「ティオ、ナ……か?」

 ポカン、と目と口を丸くしていた。

 な、何かおかしかったかな。思わず自分の体を見下ろしたけど、うん、特に問題ないはず。

 淡い桃色のワンピースに、あんまりふわふわしてると落ち着かないから腰にベルト。手首に巻いてる金色のブレスレット。靴は、白色のミュール。

 最後に髪にシオンがくれたひまわりの髪飾りをつけた。これが今の私。

 全体的に私の肌色である褐色とは違う明るい色。今の私にできる精一杯。これがダメなら、私だけじゃヒューマンの服は選べない。

 シオンは驚いた表情を維持したまま全身を見回す。そして私の頭についている髪飾りを見て、嬉しそうに笑った。

 「似合ってる。可愛すぎてちょっと驚いた」

 「――~~……!?」

 やったっ! という叫びを呑み込むのに、かなりの労力が必要だった。

 嬉しい。

 思い切った甲斐があった!

 内心で喝采をあげる私に、シオンは言う。

 「あと、髪飾り、つけてくれたんだな。一度もつけてるところ見たことないから、気に入らなかったのかと思ってた」

 「ち、ちがっ! 大事な物だから壊さないよう大切にし――……っ!」

 ちょっと安堵した様子のシオンを見て慌てて答えたら、自滅した。

 多分真っ赤になってるだろう顔を隠すために俯く。でもこのままではいられないから、一度大きく咳払いして、叫ぶ。

 笑顔は、作れてる……と、思う。

 「おはよ、シオン!」

 「……ああ、おはよう。来るの、早いな」

 いきなりそう言われて呆気に取られていたシオンだけど、口元を緩ませて返してくれた。

 「それシオンが言う? 私よりも先に来てたじゃん」

 ぷくっと頬を膨らませて言うと、シオンは暇してたから、と返してきた。うーん、嘘ではないけど本当でもないみたい。まぁ、別にいっか。

 「この暑さで待たせるのも悪いしな……」

 「え? 何か言った?」

 「いいや、なんでも」

 「な、に、か、い、っ、た!」

 絶対何か言った。思わずジト目になってシオンに詰め寄ってしまう。けれどシオンは教えないと悪戯っ子みたいな笑みを浮かべて走っていってしまう。

 「あ、待ってよ!」

 全力で走ってるわけじゃない。

 だから私は、慣れない靴にちょっと戸惑いながらも追いかけれた。

 結局シオンは何を言ったのか教えてくれないまま、中央広場から少し離れた場所にまで来てしまった。

 見覚えはあんまりないけど、多分、東のメインストリート。

 「そういえば、ティオナは今日行きたいところあるか?」

 「私は特に。ていうかレディをエスコートしてくれないのかな、シオンは」

 そう茶目っ気たっぷりに言うと、シオンは苦笑いをした。

 「それじゃ、普段おれが休日に行ってる場所回ってもいいか?」

 「え、嘘ほんと? いいの!?」

 「あ、ああ……むしろこっちのセリフのはずなんだけど……」

 シオンは何か言っているけど、私の耳には届かなかった。

 私達は休日一緒にいる機会が少ない。普段一緒にいる分他の人と接するためっていう理由からなんだけど、少しくらいは遊びたかったのが本音だ。

 でもシオンは気づけばいなくなっていて、休日何をしているのか、私は全然知らない。

 こんな時でもないと、彼は何も教えてくれないのだ。

 そんなシオンが、教えてくれる。

 シオンの知らないところを、見れるんだ。

 と考えていると、誰かが誰かを呼んでいる声。

 「そのまま落としてくれ! 拾うから!」

 と思ったら、真横にいたシオンが上を向いて叫んでいる。一体何だろうと不思議がっていたら、シオンは腕を伸ばしてパシンと何かを受け止めた。

 「すまない、ありがとう!」

 「いいっていいって! おめぇにゃ世話になったからな、お安いもんだ!」

 カラカラと二階から笑みを飛ばすおじさんに、シオンは手を振り返す。

 「彼女さんと仲良く半分にな! じゃあな!」

 「「え」」

 ……なんか、特大の爆弾を残してくれたような気がする。

 思わず顔を見合わせてしまったけれど、シオンはおじさんの冗談だと受け取ったのか、何とも言えぬ顔で渡された袋を開ける。

 ――……むぅ、少しは意識してほしかった。

 中身は特大のジャガ丸くん。美味しそうな香りが私の鼻を擽った。

 ――ぐ、ぐぐぅう~……。

 そんなまぬけな音が、聞こえてきた。

 「……お腹の、音?」

 「うえ、あっ!?」

 そういえば朝ご飯食べてなかった――!??

 あまりの羞恥に何も言えない。チラチラとシオンを見ると、対処に困ったのか、シオンは頭を掻くと、思い切り大きく口を開けてジャガ丸くんに食いついた。

 そして口の端に食べカスを付着させながらジャガ丸くんを飲み込むと、袋にしまって残りを私の前に置いた。

 「残り、全部あげる。おれはもうお腹一杯だ」

 「でもおじさんは半分って」

 舌で食べカスを舐め取りながら、シオンは私にジャガ丸くんを押し付ける。

 「いいのいいの。おれはちゃんと朝食を摂ったから、半分はいらない」

 いくら大口で食べたからって、それは子供の口でだ。ジャガ丸くんはまだ八割以上も残ってる。どう考えたって言い訳だ。

 呆然としたまま受け取ると、シオンはそのまま歩いてしまう。

 その時、気づいた。

 シオンの頬に、まだ食べカスが残っている。舌で取りきれなかった物だ。バッグに手をかけてハンカチを取り出してシオンの横に移動する。

 そしてそれを取ろうとして、ふと、悪戯心が湧いてしまった。

 ――ペロッ。

 「うぇ!?」

 頬を舐められた感触にゾクリと体を震わせると、シオンは飛び退いて距離を取った。

 「い、いきなり何するんだ!?」

 「え、頬についてたから取ってあげようと思って」

 「手を使えばいいじゃないか。わざわざ舌で舐めとる必要は」

 「両手、塞がってるし」

 そう言って両手で袋を持つと、シオンは私の真意がわかったのだろう。ジト目で私を見た。でも気にしない。

 いつもタジタジにされてるお返しだよ!

 思わず笑みを浮かべたまま、和やかな気分でジャガ丸くんを食べる。

 「あ、美味しい……」

 素材がいいのと、配合がよく考えられてる。

 柔らかくて、でもちゃんと噛める。バターの甘さと塩のしょっぱさが、舌の上で転がって私の腹に訴えかける。大きさが大きさだから、これだけでも小腹を埋められそうだ。

 自然の恵みと、人の手による加工。それが素晴らしくマッチしている。

 気づけば全部食べ尽くしていた。もっと食べたかったな、とほぼ反射的に考えながら、今出したティッシュと、先ほど取り出したハンカチを水で濡らして、口と手を綺麗にする。

 その間は待っていてくれたので、慌てないですんだ。

 私の支度が終わったのを見ると、シオンは歩き出す。私の歩幅に合わせてくれてるので、急いで追いかける必要はない。

 「ところで、さっきの人、誰なの?」

 「恋愛相談された」

 ……え、と思ってしまったのは悪くないはず。

 この鈍感の塊みたいな人に、恋愛相談? ちょっと選出ミスな気がしてならない。あ、でも観察眼は人一倍だから、アドバイスには適してるのかも?

 「その縁あって、色々お裾分けを貰ったりしてね。そこまで大したことはしてないんだけどな」

 「……結局、結ばれたの?」

 「さあ? でも最後は笑ってたから、叶ったにしろ破れたにしろ、後悔する恋ではなかったんだと思うよ」

 後悔する、恋。

 シオンにその気はないんだろう。でもその言葉は、今の私には鋭く突き刺さるものだった。

 私は将来、どうなるんだろう。

 後悔、してしまうのだろうか。

 それとも、してよかったと思えるのだろうか。

 叶えたい恋。でも叶わない想い。

 ……今が楽しいと、胸を張って言える。だけどいつか、今この瞬間で時を切り取ってほしいと願う時がくるのだろうか。

 わからない。でも、今は。

 私は、シオンと一緒にいて、幸せだと思える。

 今はそれだけで十分だった。

 思い馳せて無言になった私を気遣ってか、シオンは何も言わずに先を進む。数分すると、シオンは数度道を曲がってとある場所へと入り込む。

 「ここ、もしかして」

 「『ダイダロス通り』だよ」

 私も名前だけは聞いたことのある場所。

 人を惑わすという一点だけならダンジョンよりもダンジョンしてる場所。

 オラリオに存在する、迷宮街(ダンジョン)だ。

 でも、どうしてシオンはこんなところに?

 「……一年以上前まで、おれはここに住んでいたんだ」

 そう言うシオンは懐かしそうで。

 私が一度も見たことのない、表情だった。

 チクリとした痛みを覚えながら、私は、なんでシオンがここにいたのかな、と思った。ここはオラリオの貧民層が住む場所のはず。

 そんな場所に住んでいたなんて、知らなかった。

 「行こうか。逸れないように、ちゃんとついてきて」

 迷いのない足取りで、シオンは先へ行く。

 その背に、どうしようのない不安を覚えた。このままどこかへ行ってしまいそうな、そんな理由のない不安。

 気づけば私は、シオンの手を握っていた。

 ……? と私を見る無垢な瞳に、私は慌てて言う。

 「え、っと、こうしてたら逸れないよね? 迷惑なら、手を放す、けど」

 シュンとしてしまった私に、シオンは苦笑しながら手を引っ張ってくれた。

 上に、下に。右に、左に。かと思ったら螺旋を登ってグルリと一回転。一見わからないような細い小道を通ったりもした。

 私1人だったら絶対に迷ってた。シオンの案内があっても、どこをどう通ってきたのか、さっぱりわからない。

 シオンがダンジョンの道を覚えてたとき、『昔ノウハウを覚えた』と言ってたのを思い出す。アレはこういう事だったのか。

 確かに『ダイダロス通り』に比べれば、ダンジョンは随分と簡単な道だ。

 ……むしろ街にこんな迷宮を作ったダイダロスって人が変人すぎたんだろうけど。

 流石に九時頃だからか、人の通りは微妙だ。早起きする人はもっと早くに仕事に行くだろうし、そうでなければ家でダラダラしているか。今日、暑いしね。

 そうしていると、ちょっと開けた場所に出た。

 ――教会? こんなところに?

 木造で、かなり大きい。正面の広場にある噴水は壊れているのか、水が出ていない。教会自体は周囲の建物にめり込むように立っていて、普通なら気づかないだろう。

 私が驚きながら教会を見ている間にシオンは動いていて、教会の扉に手をかけると、そのまま中へ入ってしまう。

 「え、ちょ、不法侵入!?」

 「大丈夫大丈夫。おーい、シルー! 遊びに来たぞー!」

 恐らく誰かの人名を叫ぶ。ちょっと人見知りなところがある私はシオンの背中に隠れて、教会を見た。

 外からはわからなかったけど、意外にも奥行があるここは、幅十Mもある。左右にあるいくつもの扉と、一番奥に鎮座する祭壇。雑草生え放題の床と、高い天井。昔は使われていただろう横長の木の椅子は、積み木のように重なっていた。

 私が教会の中を見渡していると、ガチャ、と扉の一つが開かれる。

 「……シオン?」

 ピョコ、と顔だけ出したのは、少女だった。

 薄鈍色の髪を揺らし、彼女はシオンを見る。その瞳がシオンの姿を捉えると、大きく破顔した。

 「久しぶり! 最近あんまり来てくれなかったから、心配してたんだよ?」

 「いやまぁ、少し忙しくて。別に忘れてたわけじゃないから」

 ぷんぷんと腰に手を当てて怒る少女と、どこかバツの悪そうにしているシオンは、とても仲が良さそうで。

 「シオン、この子は?」

 それに言いようのない感覚を覚えた私は、つい、横槍を入れていた。

 「ん、ああ、ずっと前に友達になった」

 「シル・フローヴァだよ。シオンとは、三年くらい前に知り合ったかな」

 「私はティオナ・ヒリュテ。シオンとは……色々?」

 何でも、シルには親がいないらしい。1人ボーッとしていたところに、暇していたシオンが声をかけたのが出会いだそうだ。この教会に入り浸るようになったのは、ダイダロス通りを駆け回っていた時に偶然見かけた場所。

 どうやらこの教会は、個人が経営してる孤児院らしい。そのため慎ましやかな暮らしを迫られているが、それでも毎日楽しく日々を過ごしている。そこにいた子と仲良くなって、毎日とは行かずとも遊んでいたようだ。

 「今でも何週間かに一度は遊びに来てるんだ。頻度は比べ物にならないくらい減ったけど、それでも折角出来た繋がりだから」

 「私としては、無茶しないでほしいんだけどね。シオンってば、少しでも目を離してるとすぐ何かしらやってるんだもの」

 「あ、それわかる! いっつも危ないことしてるから心配なんだよね」

 うぐっ、と口ごもるシオンだけど、自覚が有るなら少しは自重してほしい。シルと目が合ったけど、多分彼女も同意見だろう。

 「……あ、来た」

 ふと、シルがどこかを見て呟く。次いで何重にも折り重なった足音が届いてきた。

 「シオン来たの!?」

 「ねーねー遊ぼ! 今日もシオン鬼ね!」

 「ん……眠い……くぅ」

 「え、ちょ、うわっ!? 待て待て自分の足で歩けるから!」

 一気呵成にシオンに襲い掛かり、その腕を引っ張っていく。その勢いに押され、シオンが連れて行かれるのをただ呆然と見ているしかなかった。

 「いいの? あれ」

 「いつものことだし、大丈夫じゃないかな。そ、れ、よ、り」

 口元に手を当ててニンマリと笑みを浮かべる。

 ……アレ、なんかつい最近こんな感じの笑顔を見たような。

 シルは私の耳に口を近づけると、手で音が広がらないようにして、

 「――シオンのこと、好きなの?」

 「んな、ななななななななあああああああ!?」

 「図星みたいだね。なんとなく、そうだとは思っていたけど」

 なんでバレたの? 私とシルって初対面だよね。私そんなにわかりやすい!?

 シオンに聞かれてないかとあちらを見るけど、シオンは大勢の子を追い掛け回していて、私の方を気にかけている様子はない。

 「なんで、そんな」

 「んー、シオンとの距離感? 後は単純に、ティオナの態度がシオンを好きな子に少し似ていたから、かな」

 シルの言葉に、私の肩が揺れてしまう。

 シオンを好きな、子。いるとは考えていたけど、実際に昔のシオンを知っていた人から聞くと、思う所がある。

 「シルは、どうなの? シオンのこと、好きだったりする?」

 「まさかそう返されるとは。私は特に。親友だ! って言えるけど、異性としては好きってわけじゃないかな」

 何とも微妙な反応だった。

 だけど、そんなものなのかもしれない。一番身近な異性だから好きになる、なんて単純な話で片付けられるほど、『好き』という感情はわかりやすくない。

 思わず胸に手を置いた私に、シルは言う。

 「私は違ったけど、シオンを好きな人は多いよ。単なる憧れだとか、妥協だとか、そんな恋とはちょっと違うのもあるけど……そうじゃない人も、いる」

 どうして、彼女はそういうのだろう。

 「彼を誰かに渡したくないなら、あんまり悠長にしてる暇はないよ?」

 それが私に対するアドバイスだと気づくまでに、かなりの時間を要した。

 「ハァ、疲れた。いくら【ステイタス】で身体能力が上がってるからって、限度はあるっつーのにさ」

 何だか私の知るシオンとは違う口調で愚痴を漏らす。あの孤児院は、【ロキ・ファミリア】とはまた違う意味で大切な場所なのだろう。

 「でも、楽しかったんでしょ?」

 「……ま、そうなんだけどね。あそこは、変な色眼鏡を向けられないから、落ち着くんだ」

 【英雄】という二つ名を得てから、シオンは神や多くの冒険者から、色んな感情を向けられた。それは確かに好感情ではなかっただろう。

 ああいった場所だからこそ、無意識にシオンを追い詰める束縛から解放されるのかな。私達とはまた違う意味で『日常』にいさせてくれるのかもしれない。

 シオンはいつも、頑張りすぎる人だから。

 ダイダロス通りから東のメインストリートに戻る。昼食は、悪いとは思ったけど孤児院でご馳走になった。いつもホームで食べている物とはまた違う温かさがあって、ちょっとほんわかしちゃったり。

 東のメインストリートに戻ったのはいいけど、次に行くのはどこだろう。シオンは明確な行き先があるみたいだけど……。

 しばらくついていくと、いきなり止まった。そして何か、あるいは誰かを探すように辺りを見渡し出す。私もそれに倣うと、あるのはクレープ店と、女の人が1人、ベンチに座ってるだけ。

 そしてシオンは、何とその女の人のところへ歩き出した。

 ちょっと待って。シオンってば女の人との面識ありすぎじゃないかな!?

 愕然とする私を置いて、シオンは女性のところへ行ってしまう。そして楽しそうにお喋りしているではないか。

 ……彼の交友関係がどうなってるのか、少し知りたくなってきた私がいる。

 同時に、ムッとしている私がいるのも気づいていた。横顔しか見えないけど、あの人、かなりの美人さんだ。しかもシオンを見る眼にどこか哀愁を感じられる。

 何となくだけど、好きになりたい、でもシオンの年齢のせいで好きになっちゃいけない、好きになったらおかしい……そう考えてる気がする。

 確かにシオンの年齢は七歳で、彼女が十八くらいだとしても、年の差十一。まぁそれ以前に小さな子供を本気で愛してしまうっていう事に罪悪感を覚えているのかも。

 そうして1人考察していると、シオンは近くにあったクレープ店に並び始める。意外な事に繁盛しているらしく、そこそこ人がいるのにどうしたのだろう。

 と思っていたら、ベンチに座っていた女性が私を手招きしだした。クレープはシオンを離れさせるためのもので、私と話したかったのかな。

 少し考え、素直に近づく。見たところ、演技でなければ彼女は素人。Lv.2の私が負ける事はまずないだろうし、最悪を想定しても問題なし。

 ……なんで私、戦闘行為前提に考えてるんだろう。

 無意識で『恋敵』って考えてたせいかな。いやいや、いくらなんでも力尽くはないでしょ、力尽くは。アマゾネスとしては正しいのかもしれないけど。

 なんて思ってる事は表に出さないようにしつつ、女性に近づく。

 ――やっぱり、綺麗な人だ。

 腰までありそうな空色の髪と、澄んだ水のような瞳。優しそうな垂れ目で、穏やかに私を見下ろしてる。ゆったりしてる服を着てるから気づきにくいけど、よくよく見れば出てるところは出て引っ込むところは引っ込んでる。

 包容力溢れた大人の女性。

 か、勝てる気がしない……。本当、どこでこんな人と知り合ったのシオンってば!?

 大丈夫、大丈夫よティオナ。私だってこの人くらいになれば、きっとボンッ、キュッ、ボンッになれるはずだし!

 ――なれません。

 何今の電波ぁ!? ちょ、待って不吉なんだけど!

 ……な、なれるよね? お母さんとか、他のアマゾネスの人だってスタイルいいんだし、まさか私だけとか……。

 ――やめよう。考えだすと終わらない気がするし。

 空いていた部分に腰を下ろす。隣り合う私と女性の間に横たわる雰囲気は、私の気のせいじゃなければ険悪だった。

 どこか戸惑う女性だったけど、困ったように言った。

 「えっと、そこまで警戒しなくてもいいんだよ? 私、あなたに何かするつもりはないから」

 「……シオンのこと、好きなんでしょ」

 「えぇ!?」

 ボフッと顔を赤くする女性。

 何だろう、この容姿なら男の人なんて選べる立場なはずなのに、どこか初心な気がする。

 訝しむ私に気づかず、女性は話を逸らすように口を開く。

 「そ、そんなんじゃないってば。私……あ、名乗ってなかったね」

 ルミル・クレッチェ。そう名乗られたので、私も自分の名前を返す。

 それからルミルは続けて、

 「シオンには、一年くらい前に助けられただけだし……」

 なら、そんな顔をするのはやめてほしい。

 そんな、とても尊くて、何より大切な宝物を見るかのような、綺麗な顔をするのは。

 「実を言うと私、一年前はこの辺りで有名なくらい太ってたんだ」

 「うっそぉ!?」

 反射的にルミルを上から下まで見てしまったけど、どこも太ってない。

 強いて言えばその胸部装甲――……私、疲れてるのかな。思考が色々変な方向に行きやすくなっちゃってる。

 とにかく冷静に。

 「そ、それがどうやったらそこまでなるの?」

 「結局のところ、自分の努力ではあったんだけど、シオンがいたから頑張れたの」

 体質なのかなんなのか、ルミルは太りやすかったらしい。最初はそれでもなんとかなると思っていたみたいだけど、それが取り返しのつかないところまで来て後悔したようだ。

 自分1人で出歩くのも辛くなって、外に出ても男性女性問わず嘲笑を向けてくる。そんな環境では痩せようとする気概も奪われて、ずっと家に閉じこもる日々。

 「それが変わったのは、シオンと出会って少ししてからかな」

 どうしても外に出なければいけない用事ができたルミルは、久しぶりに家から出た。ローブを纏って俯きながら歩いても、体格から誰かわかってしまうせいで、笑われる。その現実に涙をこぼした彼女に声をかけたのが、シオンだった。

 『嫌なら、変えればいいだけじゃないか』

 「何も知らないくせに! って、思ったなぁ」

 「あはは、シオンらしいね。シオンってああ見えてスパルタだから」

 実際彼女は反発して、その時はそれだけで終わったらしい。

 それでもシオンの言葉はルミルの心の内に何かを落としていった。それが何なのかわからず苛々としたまま外に出て、そしてまた、シオンと会った。

 その時に文句を言おうとしたルミルだが、シオンはボロボロで、何があったのかと怒りの感情すら吹っ飛んだらしい。だけど当のシオンはその傷をあまり気にしてないようで、混乱させられたのは今でも覚えているとのこと。

 『強くなるために頑張ってるだけだよ。この傷は、痛みに慣れるために敢えて治してないだけ』

 「ガツンと頭を殴られたような気がしたの。シオンは、私よりも前から頑張ってるのに。ただ反発して蹲ってるだけの私のほうがわかってなかった」

 「うーん、シオンのアレは筋金入りだし……むしろもうちょっと抑えてくれないと、私達がついていけないくらいなんだけどな」

 「だけど、そんな彼だから私は救われた。一月に出会えるのは二回か三回程度。それでも、その瞬間だけは、痩せるための努力が報われた気がするの」

 シオンは、少しずつ痩せるルミルに気づいていたらしい。家族でさえ期待していなかった中で、ただ1人、シオンだけは『頑張れルミル!』と、応援してくれた。

 そして実際に、ここまで来れた。

 豚と、醜女と言われた彼女は、一転して美女に『生まれ変わった』のだ。

 「ただ、ね」

 なのに彼女は、とても苦しそうに笑っている。

 「皆、気持ち悪いの」

 「気持ち、悪い?」

 「うん。痩せた私を見て、褒めちぎる。太っていた時はあんなに酷い言葉を言ってきたのに、どうしてそんな笑顔で私を見れるの? 気持ち悪くて、仕方が無かった」

 人間不信。

 そんな言葉が、ふと脳裏に浮かんできた。

 「シオンだけだったの。太っていても、痩せていても、変わらず『ルミル』を見続けてくれるのは、シオンだけ。あの子だけが……態度を変えないでいてくれる」

 シオンの話をする時だけ、ルミルは優しく笑っている。

 思えばルミルが痩せようと思ったのだって、シオンが起点だ。だからこそ、ルミルは他の人の態度が目に余るのかもしれない。

 そしてその反動で、シオンに対する想いが膨らんでいく。

 何だろう、シオンが誰かを助けるのを誇らしく思うのに、それとは反対にモヤモヤした嫌な想いが湧いてくるのは。

 私って、こんな嫌な子だったっけ。

 「もし」

 「……?」

 「もしも、シオンか私が、後五年早ければ」

 ――そしたら私は、シオンを好きになっても良かったのかな。

 小さく呟かれた言葉は、私だけに届いていた。

 悲痛な声音だった。同じ人を想っているからこそわかる、胸を貫くような痛みだった。かける言葉が、見つけられないくらいに。

 俯く彼女に声をかけたい。でも、何を言えば?

 私だって、シオンを好きなのに。

 いざ恋敵を前にしたら、私はこんなにも弱くなるの――?

 「――五年早ければ、なんだって?」

 「ひゃぁ!?」

 いきなり真横からかけられた声に、素っ頓狂な悲鳴をあげてしまう。

 思わず赤面しながら振り向くと、三つのクレープを持ったシオンが不思議そうに立っていた。けれどそのまま立っていても仕方ないと思ったのか、クレープを私とルミルに渡す。

 「んで、一体何話してたんだ? 最後の言葉は聞こえなかったんだが」

 パクリ、とクレープを食べながらシオンは言う。

 ルミルの言葉がほとんど届いていなかったのに、2人ホッとしながら、でもどうやって誤魔化そうかと横目で見合う。

 「えっと……シオンって、年の差恋愛どう思うかな!?」

 「へ?」

 ズコッ、とルミルさんが転げ落ちかけたのがわかった。ていうか私もなんでこんな話を……全然誤魔化せてる気がしない。

 「それって他人の話? それともおれの主観的な意味?」

 「どうせだから、両方? 意見は多いほうがいいし」

 どうやら気づいていないらしい。

 そうだよね、鈍感なシオンが気づいてくれるわけないよね……。

 ホッとしつつも残念に思う私がいるのは、複雑なオトメゴコロという物です。

 シオンはクレープを咀嚼しながら、腕を組んで顎に手を当てる。そしてゴクリと飲み込むと、口を開いた。

 「……面倒くさい設定が無いって前提で話させてもらうな。まず、年の差ってだけで否定するつもりはないよ」

 思えば、初めてな気がする。

 シオンの口から、彼が思う恋愛観を聞けるのは。

 「そもそも恋愛は当人同士の問題だから、他人がどうこう言うのはなんか違うと思ってるし。実るも枯らすも当人次第ってわけ」

 「でも、その面倒くさい問題があったら?」

 「その面倒くさい内容によるけど、その問題を解決する方法を探るか、全部を捨てて愛だけを手にするか、あるいは諦めるか」

 シオンの言っていることは、とても単純だ。

 とても単純で、わかりやすく表現すると『子供の考え』だ。

 大人になれば誰もが捨ててしまう……しがらみのない、考え。

 本を読めばわかる。

 現実はそんなに単純じゃないって。子供の私にだってわかる事なんだから。

 「……」

 ルミルは、何かを耐えるように顔をしかめている。

 シオンの言った三通りで彼女が選べるのは、一つ目か三つ目。現実的に考えるのなら後者で、でもそれは、彼女の大切な想いを捨てる事を示している。

 そしてシオンは、それに気づかないだろう。

 気づかぬまま、一つの想いを殺すのだ。

 「んで、おれの主観なんだけど」

 だけど、それを私が口出しする事はできない。

 本当に、複雑だ。人の気持ちは。

 「なんか、自分の考えを言うのは恥ずかしいな……特に、誰かを好きになるっていう類は」

 ちょっとだけ顔を赤くするシオン。珍しい、シオンがこういう表情を浮かべる事なんて滅多に無いのに。

 自覚はあったのだろう、コホン、と咳払いして、シオンは言う。

 「()()()()()()()()()()()()――だから、年の差なんてどうでもいいね」

 「うぇ?」

 あまりにも男らしい言い切り方に、思わず変な声が漏れる。

 「それって、どういう事なの? もっと詳しい内容が知りたいんだけど……」

 逸早く持ち直したルミルが問う。

 「言葉通りの意味なんだけど……。んーと、そう、だな」

 何故か、シオンはいつもの穏やかな目ではなく、ダンジョンにいる時みたいな鋭い目つきで空を見上げる。

 「抱きしめていたい。傍にいてほしい。笑い合いたい。毎日を隣にいて、肩を寄せ合って生きていたい」

 純粋な想いだった。

 それこそ、恋する乙女みたいな。

 「そこに、余計な情報はいらない。年の差だとか、相手が子供を産めないとか、そういった部分を気にしたくない」

 好きになったから、その人を抱きしめ続ける。

 「――まあ、おれは誰かを好きになった事はないから、参考程度にしてくれ。それに、おれが好きになった相手が誰かを想っている可能性だってあるから、実際に手放さない云々は気にしないでほしいかな」

 『誰かを好きになった事はない』、か。

 私はまだ、シオンに異性とすら認識されてないのかな。

 わからない。わかんないけど、今は、そういう事を言うべきじゃない。

 「……もし、可能性があるなら?」

 「んー、振り向かせるための努力はするだろうね。でも好きになった人が幸せになってほしいから、相手の人が良い人なら、胸の痛みを堪えるかな」

 だけど、どうしようもないクズだとしたら。

 「絶対に、行かせない。諦めさせる。例えそれが」

 ――鎖で縛り付けるような行為だとしても。

 不幸にさせないためなら、嫌われたって構わない。

 ゾクリ、と背筋に怖気が走った。

 シオンの眼が、どうしようもなく本気だったから。今は何もなくとも、シオンはその時そういう状況になったら、絶対にそうする。

 これが、シオンの恋愛観。

 どこか壊れた、彼の価値観。

 ――もう、愛してる人を失いたくないから。

 どこか泣き笑いしてるようなシオンに、胸が痛む。

 「ゴミ、捨ててくるよ。ちょうだい」

 「あ、うん。ありがと」

 手渡すと、シオンは背を向けて歩いていく。

 その背中を追いかけて抱きしめたいと思ってしまうのは、惚れた弱みだろうか。

 「あの……」

 ルミルの方を振り向く。彼女はシオンの話を聞き終えてから、黙って考え続けていた。だけどその顔には、話を聞く前の悲しさはほとんど残っていなかった。

 「……うん、決めた」

 何かを決意したのか、ルミルは晴れやかな笑みを浮かべている。

 「私、シオンを想い続ける。諦めて後悔するのなら、諦めないで後悔したい」

 「んな……」

 「それに、シオンは今七歳なんだから、数年待つ程度、問題ないし。うん、いい考え!」

 ……もしかして私、余計な事しちゃった?

 こんな綺麗な人が、ライバルになっちゃうの?

 「だから、それまではティオナに譲る。でも」

 彼女はイタズラっぽい笑顔に変えて、

 「あんまり悠長にしてると、奪っちゃうよ?」

 「……!!」

 それはダメだ。

 ハーレムについては、まぁ、百歩譲っても仕方ないと諦めよう。

 だけど、一番だけは。

 彼の一番だけは、絶対に渡せない!

 キッと睨みつけると、ルミルは私の頭を一撫でして行ってしまう。

 「ぜ、絶対に奪わせたりなんてしないんだから!」

 思わず叫んだけど、彼女は楽しそうに手を振り返してくるだけ。

 な、なによあの態度! 大人の余裕!?

 「悪いティオナ、待たせ」

 「シオン、私、絶対諦めないし誰にも渡さないから!」

 「お、おう……? そうか、頑張、れ?」

 絶対、ぜーったいに。

 私がシオンの一番になるんだから!




恋愛描写苦手なりに頑張った。超頑張ったよ私!

……でも実際に見直すと恋愛描写と言えるシーン少ないような……あれぇ?
しかし日が暮れるまでデート続けると文字数がヤバい。現時点で2万行きそうだからこれ以上はちょっと厳しいんですよね……。

普段シオン視点だから、どうしても表現しにくいティオナの心情書きたくてティオナ視点にしたけど、そうするとこう、ティオナが慌てふためく姿を想像してニヤニヤするくらいしかできない。

あと原作では恐らく一度もしていないティオナのお洒落なんですけど……すいません、正直適当であります!

私個人、服装なんて相手を不愉快にさせない、最低限常識ある程度でいいよね的な思考なんでどうにも辛い。イベント考えるより服選ぶほうが悩むとか、それはそれでおかしいですよね……?

今回シルさん登場。彼女もシオンも『ダイダロス通り』で生活してるので、ほぼ同年代なら出会っていてもうんまぁ、不思議じゃないよねってことで。
ぶっちゃけると【ロキ・ファミリア】に来る以前のシオンの事を知ってる人とティオナを話させたかっただけなんだけど。

ついでに一般人のオリキャラのルミルさん。
彼女は『シオンに助けられた人達』の一人。彼女のスタイルの良さはティオナのあのセリフと作者からの言葉を入れたかっただけ。悩んだけど面白そうだから突っ込んでみたり。
思わせぶりな最後で退場しましたが、今後出てくるかというと予定にない。ティオナに発破かけたかっただけなんだ、ごめんなさいルミルさん……。

ちなみにこのオリキャラを『神会』で名前だけ出したティリア嬢にする考えもあったけど、ヤンデレ出すとカオスになるので諦めた。
ん? 彼女の好きな人は別だろって?
やだなぁティリア嬢の好きな人の名前出してないんだよ? つまりその相手の『愛しの彼』がシオンでも問題ない。
スプラッターまで待ったなしだけど。

ヤンデレといえば、実はシオンにも素養があったり。義姉さんの死はそれだけシオンの精神に影響を及ぼしているのさ!
……あっれーどんだけ地雷設置してるんだろ。

まぁそれはそれとして、今回の流れはティオナがシオンの一番になるために決心するためのお話。
複雑な恋愛模様が描けていればいいんですけど。むしろできていなきゃ今回のお話投稿した意味が無いんだけど!

本編の日常非日常とはまた違う風にしたかった。

次回投稿は、まぁ、頑張ります……。

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