パンドラ
問一. 「裏ボス」とは何か、端的に説明しなさい。
こう問われたとき、どう答えたら一番しっくりくるだろうか。
ダンジョンの一番奥に隠れている。
倒さなければ世界が破壊されてしまう。
第二、第三形態がある。
これに似た答えを出した人は何人かいるだろう。
なるほど全て一理ある答えだ。
どれも人外の強者であるために必要な要素である。
しかしこれらの答えは△、正解とは言えない。
もっと言えば×にしてもよいくらいだと考える。
魔物を従えるとか、世界を壊すとか、そんなものは「ラスボス」に押し付ければいいのだ。
裏ボスはそんなことはしない、する必要がない。
一つ一つ照らし合わせてみよう。
裏ボスは必ずしもダンジョンの一番奥にはいない。
とても思いつかないような、道端の片隅に存在することだってある。
小さな村の中に老人を装って居座っている。
極低確率でダンジョン内のどこでも出現したりする。
神出鬼没、常に予想のできない動きをしたりするのだ。
裏ボスは世界を壊さない。
そもそも裏ボスにソレを行う力があったとしても動機がない。
何を目的として「世界」ごときに力を使う必要があるのか。
別に世界が憎かったり、自分の物にしたいといった感情があるわけでもない。
ならば力など行使せず、世界に溶け込み生きるのが一番ではないか。
わざと封印され、永遠に眠り続けるのもアリだ。
そして起きた自分を倒した人間の願いを叶えてあげたりする。
至高の武器を与えたり、代わりにラスボスを秒殺したり、肉親を生き返らせたりするのだ。
裏ボスは第二第三形態など存在しない。
いや、稀に存在する裏ボスもいるが大抵は最初から最後まで同じ形態だ。
裏ボスは牙をむくときに一切容赦しない。
故にいくつかの形態を用意して力をキープしておくなど論外である。
常に全力、本気で殺しにかかる姿こそ裏ボスの誉れである。
そして、だからこそ裏ボスは恐ろしいのだと考える。
さて、以上が裏ボスの何たるかという説明になるのだが、これはあくまで前説に過ぎない。
本題はここから、とある青年から開始する。
始まりは暗い暗い闇の中。
男は気付いたらそこに居たのだ。
全くの「無」より、それは淵より生誕した。
まず視力が生まれ、しきりにあたりを見渡した。
ここはどこだ、自分は何者だ。
そう言った思考は一切なく、ひたすら周りを見るという行為に徹した。
そもそも場所を知りたい、自分が何者なのかといった疑問を持つための感情、気持ちが一切生まれていないのだ。
故に不要な考えは一切せず、ただひたすらに周りを見た、見ざるを得なかった。
次いで、彼は自分の一部を動かせるようになり、自分で視界に寄せてソレを見た。
成熟した、所謂大人の手足。
男はマジマジと見続けていた。
しかし、かろうじてソレが自分の一部なのだと理解できたのだが、どういうものなのか一切理解できていなかった。
数週間経ち、いい加減手足や周辺だけ見るのに飽きた男は、次に何か見つめるモノを探した。
ずっと見ていて飽きない、楽しいモノ。
それを彼は無自覚に欲したのだ。
そのために彼は手足を駆使し、ポツポツと暗闇の中を歩き出した。
ジメジメした、何処まで行っても同じような道が続いていた。
普通の人間ならそこが地下洞窟であると分かったのだろうが、如何せん彼はソレが分からなかった。
無理もない、分からないも何もそもそも洞窟という概念を知らないのだから。
そんなことを数ヵ月経続け、男自身に大して変化は無かったのだが、男の周辺は劇的に変化していた。
男の周りで、自分以外の生物が跪いているのだ。
大きなフカフカした生き物、小さくヌメヌメしてそうな生き物、様々な種類がいたが、皆一様に男を前に動かない。
自分以外の生物に出会えたことに驚き喜んだが、男は理解できなかった。
生物たちは自分に対して何をしているのか、何をしてほしいのか。
自分はただ、周りを歩き回っていただけだというのに。
なぜ生物たちが微動だにせず自分を見つめているのか分からなかったのだ。
故に、次に男はコミュニケーションを図る方法を模索した。
生物たちがどのような動きをし、どのような音を発しているのかを細かく分析していった。
その過程で彼は感情を理解し、喜怒哀楽を会得したという。
生物たちが何を欲し、何を感じているのかを理解し、特有の「言葉」というモノを覚えたのだ。
全ての生物の感情を完全に理解するまでに、おおよそ一年ほどかかった。
彼らは自分に「王」を求めていた。
彼らにとって自分は我々を束ね、率いてくれる存在であるという。
大抵の同胞は群れず、本能のまま生きているそうだが、目の前にいる彼らはそれを良しとしないようであった。
仲間が欲しい、種族が違えど、分かり合えるようになりたい。
確かに、目の前にいる生き物たちの形は様々であった。
そして、自分は出来ていたのでさほど気にしていなかったが、恐らく同じ形の生物同士での意思疎通は出来ても、違う形とは出来ないみたいだった。
しかし共にありたいという気持ちだけは本能レベルで理解しあえているのか、故にこうして近くにいるのだという。
男は簡単に了承した。
もとより男は退屈を嫌っていたのだ。
今までと違う景色を眺められるのなら、それに越したことはない。
それに、男も彼らと共に生きてみたいと思った。
健気に生きる彼らを見て、自分も彼らと同様に他者と心を通わせて生きてみたいと考えたのだ。
男は生物たちの仲介役となり、それぞれの考えを皆に伝えるようにした。
生物たちはそれぞれ自分のできることを行っていき、各々の役割を全うした。
男も、この小さな集落を襲いに来る敵を追い払う役を担った。
なぜか男がお願いすると、侵略者は皆そそくさと帰って行ってしまうのだ。
どうしてだろうと生物たちに聞いても、皆「貴方が一番分かっているでしょう?」と意味ありげなことを言うだけでハッキリとは教えてくれなかったそうだ。
何年か経ち男は生物たちに、違う形の同胞との意思疎通方法を教えた。
この生物は目元が緩むと喜んでいる、この生物は赤く変色すると怒っている。
細かく伝えることは出来なくても、簡単な喜怒哀楽くらいは分かるようにしたのだ。
彼らは他種と感情を理解しあえることに喜び、「貴方に出会えてよかった」と一様に男に感謝した。
男も、感謝する彼らを見てまんざらでもない様子であった。
そして、遂に男にとって最大の転機が訪れたのだった。
教え始めて数年、いつものように生物たちと話をしていた時にソレはやってきたのだ。
轟音と共に現れたのは、今まで見たことのない生物であった。
何か硬そうで無機質なものを身にまとい、鋭い刃物を腰辺りに着けている。
フカフカの種族たちと同様に二本足で歩いているが、毛むくじゃらではない。
自分と同じように、毛でおおわれてはいないのだ。
あると言えば、頭部に若干である。
そう、自分と同じなのだ。
ここまで自分と似ている種族を見たことがなかったせいか、男は喜び感情を高ぶらせた。
同胞たちが何か焦っているようであったが、男はソレを気にする余裕もないほどであった。
そしてその者達の意思疎通方法が一番男を驚かせた。
今まで聞いたことのない鳴き声、しかもピーとかンギャーではなく単調でないモノ。
男は心ひかれた。
今まで見たことのない全く新しい存在がそこにいたのだ。
何とかして彼らを理解したい、この集落に生きる者達のように話をしたいと考えた。
幸い彼らはここを去ろうとしない、自分と理解したいと思っているのだろう。
そう思い、男は笑みを浮かべその者達に歩み寄った。
だが男は気付かなかった。
自分たちと似た姿をした者達が抱いている感情が「恐怖」であったことに。
自分が感情を高ぶらせたと同時に地鳴りが生じ、自身が歪な魔を放っていたことに。
自分に似た彼等、「人間」は決して彼と話そうとしていたわけではない、むしろ逆。
すぐさまこの場から離れようとしたのだ。
自分たちが目の前にいるナニカに敵わないことは一目で分かっていたのだ。
動けないのは恐怖で足がすくんでしまっていたせいである。
ゆっくりと、ゆっくりと歪な笑みを浮かべやってくるソレは、彼らから見れば化け物そのものであった。
様々なモンスターを従わせている得体の知れない人間らしきもの。
ソレが目の前にまで迫った時、彼らは死を覚悟した。
「挨拶…ですか?」
朝の賑わう大通りを歩きながら、新米冒険者であるベル・クラネルは主神たるヘスティアと話しをしていた。
「うん、本当はベル君がファミリアに加わった二日前に会うべきだったんだけど、彼と会うのはなかなか難しくてね…。 でも、この街で冒険者になるんだったらまず挨拶しておかないといけない相手さ」
「そ、そんなにすごい人なんですか!? もしかして都市最強の冒険者みたいな方ですか?」
ヘスティアの言葉に驚いたクラネルを見て、彼女は少し笑いながら慌てる彼を落ち着かせるために言葉を続ける。
「いや、そんな仰々しいものじゃないから安心しなよ。 …でも、ある意味ではそれ以上にマズイ相手かも…」
彼女はクラネルの前に立つと、真剣な表情で彼を見つめた。
「いいかい、ベル君。 今から会う人はこの迷宮都市で一番怒らせちゃいけない相手なんだ。 神とか、強い冒険者とか、そういう枠組みで収まらない存在なんだよ。 会ってからの話はボクが最初にするから、まずはボクの後ろに立ってて」
「は、はい…分かりました」
今までにない真剣な表情を見て、クラネルは事の重大さを理解した。
今から会う人間、それがこれからの自分の冒険者人生を大きく左右しかねない存在なのだろう。
一体どんな人が…そう思っていると、彼女は大通りの気付かないような小道に入っていった。
日の当たらない、暗い道。
そこを少し歩いていくと、明かりが見えてきた。
目を凝らさないと分からないほどの小さな光。
その入り口につくと、ヘスティアは一度立ち止まり深呼吸をした。
「ふぅ…どうにもここは苦手なんだよなぁ…。 彼も悪い人じゃないんだけど。 …よし、行くよベル君」
そう言って、彼女はドアを開いた。
まず最初に見えたのがカウンターに椅子、そして棚に置いてある様々な酒瓶。
それだけで、まずここが酒場であることが分かった。
問題は目的の人間。
人が10人入れるかも怪しいほどの部屋を見渡すが、肝心の人が見えないようであった。
(もしかして…留守?)
クラネルがそんなことを考えていた時に、ソレは聞こえた。
「…おや、いらっしゃい」
カウンターの奥から声が響いた。
クラネルは驚いた、先ほど見渡した時には人の気など一切感じなかったというのに、そこから声がしたのだ。
声がする方向を見ると、そこには一人の男が立っていた。
スラリとした細身、清潔感のある青を基調とした服装、短めに切った黒髪、そして少々細い瞳。
一見何処にでもいるような、いたって普通の一般人がそこに居た。
しかし、何か違う。
目の前の男はタダの人間だというのに、それ以外の得体の知れない何かを感じるのだ。
まるで、日々ダンジョンで出会うモンスターのような、いやそれ以上の。
「あ、あの…神さま…?」
「大丈夫だよベル君、ボクにまかせて」
クラネルを落ち着かせるために、極めて優しく話しかける。
だがその声は強張っており、冷や汗が流れている。
それでもヘスティアは笑みを浮かべてクラネルと男の間に立つと、男に話しかけた。
「…や、やぁ…一ヵ月ぶり…です…」
「おや…敬語だなんて貴方らしくない。 …それとも、私が何か失礼なことでもしてしまったのでしょうか?」
「いっ!? いやいやっ、あな…君は全然悪くないんだ! その…ほんのちょぉっと緊張してしまって!」
ヘスティアは引き攣った笑みを浮かべ男に必死に話す。
見ると先程以上に勢いよく額から汗が流れており、明らかにテンパっているようであった。
クラネルは主神たるヘスティアがどのような性格なのか分かっているつもりだ。
おっちょこちょいではあるが底抜けに明るく、無邪気で優しい、それが彼女である。
そして神であることをしっかりと自覚してもいる。
自分たちが生活するためにバイトをしていたり、他の神にお金を借りたりするが、それでもただの人間相手にここまで臆することなどあるのだろうか?
(この人は…いったい…?)
言い様のない不安を感じていると、例の男は苦笑するとヤレヤレといった感じで首を横に振った。
まるで主神の動揺が、全て自分のせいであるかのように。
「成程、それは失礼なことを致しました。 …そうです、お詫びに何か御馳走しましょう。 貴方はいつものを…そちらの彼にも同じものをお出ししますね」
「ちょぉっ!? 失礼なことなんて全くないから! むしろこっちが失礼なくらいだし、お金だってちゃんと払うから気にしないでよっ!」
慌てふためくヘスティアを尻目に、男は何か飲み物を作り出す。
そんな風景を見て、クラネルはますます混乱したという。
ただ、一つだけ。
目の前の男が、主神の言っていた「絶対に怒らせてはいけない存在」なのだと察したのであった。
迷宮都市、オラリオ。
そこには様々な人、生物、そして神が暮らしている。
神はファミリアを形成し、人々と共に毎日楽しく暮らしている。
その門を毎日多くの商人や冒険者が通り、日々各々の力を発揮しているのだ。
そんな都市の片隅、賑わう大通りから少し離れた小道にその店はある。
経営しているのは男一人、カウンターしか存在しない小さな店はほぼ常連客しかやってこない。
店の名前は「if」。
男の名前はパンドラ。
またの名を、『裏ボス』。
ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。