英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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ベル・クラネルの長い一日①

 正式にレフィーヤの子分となったベルは、冒険者として行動する時は基本的にレフィーヤの監督を受けることになった。

 

 ダンジョンに行くのも訓練をするのも一緒と、顔を見ないと落ち着かないくらいの密度でレフィーヤと行動をするようになったベルは、他の団員から見ればレフィーヤが飼うペットの兎のようだった。最初こそ幹部に贔屓されているとのやっかみもあったが、ベル本人の人当りの良い性格とレフィーヤとのコンビの微笑ましさもあって、ベル・クラネルという少年は次第にロキ・ファミリアの冒険者達に受け入れられていった。

 

 後輩の面倒を見ることに時間を取られるというレフィーヤの懸念も、良い形で解消されることになる。ベルの監督をしているレフィーヤは、彼と纏めてリヴェリアの傘下に入ることになった。これは正式にファミリアとしての辞令が降りた訳ではないが主神であるロキが決定したもので、リヴェリアもそのように動いている。

 

 今までもリヴェリアには目をかけてもらっていたレフィーヤだが、これからはより彼女に面倒を見てもらえることになったのだ。現にベルと一緒にダンジョンに行く時は、たまにリヴェリアも同行してくれる。いくら話を聞きたくても声をかけにくい所にいた人が、向こうから声をかけてくれるようになったのだから、その成果はベルの面倒を見ることに時間を取られても余りある程である。

 

 そういう頼みをされるかも、という時にレフィーヤが感じていた懸念は、リヴェリアの指導の成果を実感するにつれ、綺麗に消えていった。自分の心配がなくなれば、後はもう後輩のベルのことだ。今はもう、ベルの教育に専念している程である。

 

 そのベルの教育であるが、自分の命を守るために鍛錬を欠かさない冒険者の中でも、更にストイックに鍛錬をすることで有名なロキ・ファミリアの団員でさえ、その密度に思わずげんなりする程、過酷なものだった。

 

 まず、朝起きて身だしなみを整えてベルが向かうのは、リヴェリアの部屋である。この時点で身だしなみが合格ラインに達していないと、朝から拳骨を落とされることになる。これは冒険者である以前に、人間として当たり前の行動だ。失格した時は小言を言われながら、リヴェリアの膝の上で髪を梳かされることになる。耳元で囁かれる穏やかな声も、何とも言えない良い匂いも、ただそれだけならばいつまで聞いていたい、嗅いでいたいものだが、女性の膝の上というのは男として恥ずかしい。

 

 せめて次はちゃんとしようと思いつつも、何度も何度も不合格を貰うベルである。一体何がダメなんだろうと、リヴェリアに素直に疑問をぶつけてみたことがあるが、その問いを聞いたリヴェリアは、小さく笑いながらベルの頭を小突き、言った。

 

「それが理解できない内は、私の膝はお前の指定席だな」

 

 朝から恥ずかしい思いを味わったベルは、その後にリヴェリアから今日の課題を言い渡される。

 

 それはその日によって様々であるが、その日ごとに前日よりも厳しいノルマが課せられるのだ。例えばこのモンスターを何匹討伐してくるように、というものだがそれは本人のコンディション、ダンジョンの状況を全く考慮しない厳しいものだった。日が悪ければそのモンスターと遭遇しないこともあるが、そのくらいではリヴェリアは許してくれない。

 

 多少のことでは自分の課題を曲げないと、一昼夜ダンジョンを彷徨ったことで心で理解したベルは、とにかく迅速に動くことを第一とした。素早く動いて素早く見つけて、素早く倒す。何よりそのモンスターを見つけなければ話にならないから、ダンジョン内をとにかく走る。

 

 そうして、大抵のノルマを昼を過ぎた辺りでこなせるようになってくると、今度は黄昏の館(ホーム)に戻って昼食を取り、訓練場での戦闘訓練である。相手を務めるのはレフィーヤだ。

 

 自他共に認める『魔法使い』のレフィーヤであるが、現在のレベルは三である。ステイタスの伸びは敏捷の伸びが大きい、手数を前提とした前衛型を示しているベルであるが、レベル二つの差は大きく、真剣な表情でレフィーヤの振る杖の動きを、まだ完全には捉えられないでいた。

 

 リヴェリアが科したのは、自分では及びのつかないものに対する、いざという時の対処法である。

 

 やり方は簡単だ。ベルがレフィーヤに襲い掛かり、それをレフィーヤが魔法を使わず杖でぶっ叩いて撃退するというものである。原始的な方法だがベルにはこれを回避することができず、強引に襲い掛かっては杖で返り討ちにされ、訓練場をごろごろと転がるという光景が繰り返されることになる。

 

 美女と美少女のエルフと訓練していることにやっかみを向けていた男性冒険者たちも、そのあんまりな訓練内容にあっという間にベルに同情的な視線を向けるようになったほどだ。リヴェリアの指示のもとやっていると解っていなければ、豪快ないじめと思われても仕方のない行為である。普通ならばこの辺りで心が挫けそうになりそうなものだが、ベルは全くめげずにレフィーヤに襲い掛かっては転がされ、たまにやってきたリヴェリアにも吹っ飛ばされ、とにかく訓練場をごろごろと転がって午後を過ごす。

 

 その一方的な訓練が終わると、シャワーを浴びてから夕食である。これは大抵レフィーヤとリヴェリアと三人で、たまにロキかフィンが混ざるくらいである。基本的に三人で行われるその食事に、他のメンバーが加わることは少ない。三人が他の団員から距離を置かれているかと言われれば、そうではない。食事の後に行われる座学に巻き込まれることを、どの団員も嫌っているからだ。

 

 祖父からの教育により読み書きは一通りできるベルであるが、その他の学識と言えば祖父が何故かため込んでいた英雄譚を読み込んだくらいで、お世辞にも博識とは言えなかった。頭のデキも決して良くはないから、リヴェリアの座学について何度も何度も追試を受ける羽目になる。

 

 ちなみに試験で一回落第するごとに、乗馬鞭で掌を叩かれるという古風なお仕置きをされる。痕も残らずただ痛いだけという絶妙な加減をされたそのお仕置きは地味に効果的で、最初は睡眠時間にすら影響の出る程だった座学の時間も、たまに追試があるというくらいに短くなった。

 

 この熱心な教育方針から、教育ママと陰口を叩かれるようになったリヴェリアを他所に、新しいことを学ぶのが嬉しいベルはどんどん知識を吸収していった。黄昏の館(ホーム)内で出会う冒険者を捕まえては、昨日はこんなテストをしたと嬉しそうに話すベルに、座学がとにかく嫌いなティオナとベートは近づきもしなくなっていた。

 

 そんな文字通り朝から晩までの休みない訓練と勉強を、ベルは文句や愚痴の一つも言わずに、一つ一つ丁寧にこなしていた。

 

 そして、ロキ・ファミリアに入って一月半も経つ頃には、上層のモンスターについてのベルの知識は同じレベルの冒険者の中では並ぶ者がいないほどになり、モンスターの討伐数において、目を見張るほどのものになっていた。流石にレベル1歴が長い冒険者と比べれば見劣りするだろうが、各々が駆け出しだった頃と比べると、ベル以上の成果を上げたのは、ロキ・ファミリアの中でもアイズを始めとした幹部たちくらいのものである。

 

 朝起きてはダンジョンに行き、戻ってきては訓練場で二人で訓練。それが終わればリヴェリアの部屋に呼び出され、彼女がテストを行う。この一か月でベルがしたことといえばそれくらいだが、たったそれだけのことでベルのステイタスは凄まじい伸びを見せた。

 

 ベルのステイタスの更新に付き合うのがもはや義務となったレフィーヤだが、ベルの背中に浮かんだ道化師のエンブレムを見る度に、ベルの成長のあまりの速さに驚かされる毎日である。何より恐ろしいのは、魔力以外のステイタスが全てAランクに達しても、ステイタスの伸びが全く衰えを見せないことだった。ほとんどの冒険者はBランクまで行けば喜び、Aランクまで行けば出来過ぎで、Sランクはもう夢のまた夢だ。

 

 何か一つでもその騒ぎであるのに、ベルは魔力以外の全てのステイタスがAランクで、一際才能があるらしい敏捷については既にSランクに突入している。この時点でも杯を投げられそうなくらいに異常なのに、まだ伸びる目があるというのだから、笑うしかない。

 

 ステイタスの数値では既に、レベル1の冒険者の中ではぶっちぎりのトップだろう。下位であればレベル2の冒険者と比べても、総合値では遜色ないかもしれない。アイズを超えて半年という概算を立てていたレフィーヤだがとんでもない。これはレフィーヤどころか、リヴェリアやロキの予想をも上回る驚異的な成長速度だった。仮に今日ランクアップしたとしたら、ロキと契約して45日。これまでオラリオでの最短記録であるアイズの一年よりも、ざっと計算して約八倍の速度である。

 

 他を知らないベルは皆がこういうものだと思って日々の訓練に励んでいるが、流石にランクアップしてしまったら、自分がどれだけおかしいのか、知ることになるだろう。

憧れのアイズの記録が抜かれるのは複雑な気分ではあるものの、ここまで速い記録だと期待と興奮しか生まれない。

 

 凄いスキルに目覚めたおかげだと揶揄する者も出てくるだろうが、そこまで含めてベル・クラネルの才能である。

 

 ランクアップした時は頭を撫でてあげたりして、沢山褒めてあげよう。

 

 心にそう決めたレフィーヤは、自分がベルの成長を素直に喜んでいることに少し驚いたが、兎のようなあのかわいらしい見た目のせいだと自分を納得させた。きっと愛玩動物的な情が移ってしまったのだろう。間違っても男性として素敵とは思わないが、とてもかわいい顔立ちをしているのは認めても良いんじゃないかと思わなくもない。

 

 思考すら言い訳がましくなってきたことを意識したレフィーヤは、邪念を振り払うように一つ咳払いをした。その音に、隣を歩いていたティオナが顔を挙げる。

 

 ダンジョンに蓋をするように建設された、バベル。冒険者御用達の商店が並ぶエリアを二人は歩いていた。ベルと一緒にダンジョンに向かう時間に、ティオナが急用があると嘘を吐いて、レフィーヤを連れ出したのである。

 

 その日、レベル2冒険者のルートが率いるパーティがダンジョンに向かうことは確認してあった。たまたまそこを通りかかった彼らに、自分が合流するまでという約束でベルをお願いし、レフィーヤはティオナの急用に付き合うことになったが、もちろん、彼女に急用などあるはずもない。ベルの目の前で怪しまれずに席を外す口実だ。事前に声をかけることのできた者は他にもいたが、こういう系統の頼みをできて、かつ後々尾を引かないような者はティオナしか思い浮かばなかったのである。

 

「ありがとうございます、ティオナさん」

「いーのいーの。内緒でプレゼント買いに行くなら、こういう方法しかないもんね」

 

 レフィーヤとティオナが並んで歩いている商店区画であるが、数層ぶちぬきでヘファイストス・ファミリアが借り上げている専用フロアではなく、それ以外の商業ギルドが営んでいる区画である。そこでレフィーヤは探し物を見つけることができた。ここにないようであれば、少し大枚を叩いてでも上の層に行く覚悟はあったが、下のフロアで見つけることができたのは、お財布的にも幸運なことだった。

 

 どうせなら普段身に着けられるものを、とレフィーヤが選んだのは一組のシャツとズボンである。ノンブランドではあるが防刃、耐火に優れた素材で編まれたもので、その機能の割に動きを阻害しないようにできている。ロキ・ファミリアではフィンやベートが愛用している類のもので、これならベルのちょろちょろとした動きにも邪魔にはならないだろうと、一週間ぐらいベッドの中で悩んだ末に購入を決めたものだった。

 

 荷物を抱え嬉しそうにほほ笑むレフィーヤの顔を見て、ティオナが嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「会ってまだ二か月も経ってないのにプレゼントとか、身持ちの固いエルフにしては攻めてるんじゃない? そんなにベルのことが好きになっちゃったのかな?」

「好きとか、そういうことではなくて……最近、ベルも頑張ってますからそのご褒美というか、ほら、私が監督役になった訳ですから……」

 

 レフィーヤからすれば至極当然なことを言ったつもりだったが、言っている自分でも苦しい言い訳だなぁと思ってしまう辺り、聞いているティオナにはもっと苦しい言い訳に聞こえているのだろう。事実、レフィーヤの言葉を聞いたティオナは、機嫌良さそうに彼女のことを眺めていた。近い年代の少女の、こういう甘酸っぱい話がティオナの好物なのである。

 

 これは追求が厳しくなりそうだな、と思ったレフィーヤは視線をティオナから切った。その先で、綺麗な翡翠色を見つけた。目の良いティオナよりも先に見つけることができたのは、偶然だろうと思う。翡翠色の髪を見つけたレフィーヤは、反射的にティオナの影に隠れようと動いてしまった。急な動きは人の目を引く。勘が良い者ならば猶更だ。大分距離があったはずだが、それで綺麗な翡翠の髪の持ち主――リヴェリアの視線は、レフィーヤに固定された。

 

 遠くから歩いてくるリヴェリアの様子がただ事ではないと悟ったティオナは全力で逃げようとしたが、レフィーヤがそれを全身全霊の力でもって引き留めた。

 

 ベルを驚かせるという目的のため、監督役の監督役であるリヴェリアにも黙って出かけたのだ。言い訳を保証してくれる者が一緒にいないと、沢山怒られてベルとの合流が遅れてしまう。

 

 近くまで来たリヴェリアは、内心の怒りを抑えているのだということが解るほど怒気に満ちていた。美人が凄むとこうなるのかぁ、ともはや他人事のように思いながら、黙っているとその分リヴェリアの怒りは増していくと知っていたレフィーヤは、全てを正直に白状することにした。監督すべき人間を放ってサボっていたと誤解していたリヴェリアは、レフィーヤの言い分を聞いて深く溜息を洩らした。頭痛を堪えるようにこめかみを押さえる仕草も、絵になっている。

 

「そういうことは私に言ってからにしろ。無駄に怒ってしまったではないか……」

「そういうリヴェリア様は、どうしてバベルに? お連れの方がいるようですが……」

 

 リヴェリアの横には、メガネをかけたエルフの女性がいた。エルフらしい清楚な感じの装いではあるが、この美人さんをどこかで、レフィーヤは見たことがあるような気がした。誰だろう、と考えていると、同じ疑問にぶち当たっていたらしいティオナが、先にあぁ! と声を挙げた。

 

「ギルドの人だ!」

「エイナ・チュールです。日頃のご愛顧ありがとうございます、ヒリュテさん」

 

 営業スマイルを浮かべるエイナに、レフィーヤも小さく声をもらした。ベルからもその名前を聞いたことがある。ギルドでベルを担当している職員であり、彼がギルドを訪れる時には色々を面倒を見てくれるとか。正直、ベルの口からエイナさん、エイナさんと聞くのは何というか、微妙にむかむかとして仕方がなかったのだが、ベルが世話になっているのならば強くも言えない。凛とした美人ではあるが、ベルに他意はないのだろう。それにしても、酒場の運命のエルフと言い、自分と言い、リヴェリアと言い、善く善くエルフに縁のある少年である。

 

「かく言う私も、お前と同じ目的だよ。日頃頑張っているから、その褒美とでも言おうか」

 

 リヴェリアの言葉に、微妙な歯切れの悪さを感じ取れたのは、事情を知っているレフィーヤだけだった。彼女もおそらく、ベルがそろそろランクアップするだろう、ということを感じ取っていたのだろう。こういうプレゼントは選ぶまでに時間のかかることもあるもので、ランクアップしてから選んだのでは時期を逸してしまう可能性がある。

 

 プレゼントというのは、渡すタイミングが肝心なのだ。一番欲しい時に実は前から用意してました、と渡すのが一番効果的なのであるが、それが被ってしまったというのは由々しい問題である。リヴェリアが相手では、彼女を押しのけてという訳にもいかない。どうにか角の立たないように、ベルに渡すようにしなければ、と考えながら四人はバベルを降り、ダンジョンの入り口へと向かって歩いていた。

 

 ギルドの職員であるエイナは当然冒険者ではないから、入り口までの見送りだろうが、リヴェリアもティオナもさも当然という顔でついてきている。今日も二人でと思っていたレフィーヤは聊か怫然とした表情を浮かべていたが、それもダンジョンの入り口が見えるまでだった。

 

 ダンジョンの入り口付近に、人が大勢集まっている。この時間ならばそれも珍しいことではないが、雰囲気がただごとではなかった。

 

 重傷者がいるらしい、という声を聴いて、リヴェリアが駆けていく。回復アイテムはタダではない。緊急事態とは言え、他のファミリアの者に使うのは気が引けてしまうこともある。そのせいで処置が遅くなって手遅れになれば目も当てられないが、回復魔法ならばその心配もない。

 

 人ごみをかき分け、怪我人を見たリヴェリアはその怪我人よりも血の気が引いた。応急処置を受けていたのはベルを引率しているはずのルートだったからだ。遅れてやってきたレフィーヤもその事実に気づき周囲を見回すが他のメンバーは全員いるのに、ベルの姿だけが見えない。レフィーヤの脳裏に浮かんだのは、最悪の想像だった。

 

「ベルはどこですか!」

「第一層、Lの13、ミノタウロスが……」

 

 どこで何が起こったのか、それを把握したリヴェリアは腰のポーチからエリクサーを投げつけると、脱兎のごとく駆けだした。レベル6の力で投げつけられた瓶が頭に直撃したルートはその痛みでのたうち回るが、頭からかぶったエリクサーは彼の傷を瞬時に治療していく。致命傷は脱したが瓶が直撃した分の痛みまでは消してくれない。

 

 用量さえ適正ならば、生きていればどうにかなるレベルの秘薬である。これでダメならばもう手遅れだ。元気にのたうち回るルートに大事ないと判断したレフィーヤは、

 

「ティオナさん!」

「舌噛まないでね!」

 

 その意図を察したティオナは、レフィーヤを抱えて走りだした。リヴェリアよりも1レベル低いレベル5だが、獣人と並んで高い身体能力で有名なアマゾネスである。華奢なエルフ一人を抱えたところで、走る速度で早々遅れは取らない。前を走っていたリヴェリアにあっさりと追いつくと、脳裏に浮かんだ地図を頼りに、ベルの元に向かう。

 

 ルートが言った番号は、ダンジョンの地点を簡易的に表したものである。全ての階層に割り振られている訳ではないが、浅い階層。とりわけ、一番通る回数が多くなる第一層については、どこを通ってどこで合流、という指示を簡単に出せるように文字と数字が割り振られている。Lの13番というのはバベルからの入り口と、第二層への階段のちょうど中間くらいの位置であり、間違ってもミノタウロスが出るような場所ではない。

 

 高いステイタスを誇っているとは言え、ベルはまだレベル1だ。レベル2のモンスターであるミノタウロスの相手は、手に余る。事情を聴き損ねてしまったが、レベル2のルートが重傷を負っているということは、既に一度は交戦している可能性が高い。自分よりもレベルの高い人間が既にやられているのだ。普通ならばその場で戦意を喪失していてもおかしくはないが、冒険者歴の浅いベルは、まだレベル一つの差がどの程度のものなのか、肌で実感してはいないのだ。

 

 おそらく自分が残るべきと普通に判断し、殿を務めたのだろう。ベルらしい判断だが、レベルが上回る相手にたった一人で、というのはあまり褒められたことではない。戻ってきたら説教だ。後から後から湯水のように文句が湧いて出てくるが、それと一緒に、レフィーヤの目からはぽろぽろと涙が毀れていた。最悪の想像が、どうしても頭から離れてくれないのだ。

 

 そんなレフィーヤを走りながら見て、リヴェリアは静かに言った。

 

「泣くな、レフィーヤ。例えこの先どうなろうとも、今この時点で泣く必要はない。泣くのは全て、人事を尽くしてからだ。その一粒二粒涙を流した分だけ、ベルの命が遠ざかるものと知れ」

 

 ベルの命。

 

 その言葉一つでレフィーヤの震えは収まり、涙は止まった。恐怖はやる気と怒りに変わり、拳が白くなる程に杖を握りしめる。ティオナに揺られながら黙っていることしばし、通路を抜けて、広間に出た。Lの13.ルートの報告にあった場所である。

 

 果たしてそこに、ベルはいた。

 

 満身創痍ではあるが、まだ生きている。しかも、武器を持って、戦意を失わずにミノタウロスと対峙していた。かの怪物もまた、健在である。大剣を持ち、ベルを殺さんと息を巻いている。こちらも無傷ではない。両者、頭から血を被ったように全身が真っ赤に染まっている。ベルの綺麗な白い髪も、今は見る影もない。痛々しいまでのその姿はしかし、いつものかわいらしい彼ではなく、いっぱしの冒険者のように見えた。その横顔に、いつにない男らしさを見て、一瞬だけどきりとする。

 

 とにかく、ベルは生きていた。その無事を確定させるべく、ティオナの腕を離れ、駆けだそうとしたレフィーヤの腕を、当のティオナが掴んだ。殺意すら籠った目でティオナを睨むと、彼女はいつになく真剣な表情で首を横に振った。

 

「今ベルを助けるのは、私、賛成しない」

「どうしてですか!」

「だって、今ベルは、頑張ってるもん。ここでレフィーヤが助けたら、あの子は絶対、一生後悔することになると思う。私、頭が悪いから上手く言えないけどさ。男の子が、男になろうとしてるんだよ? そこを、女の私たちが邪魔したらダメだよ」

 

 それは普段、ベートが口にするような男の理屈だった。男はそういう風に思うものだと女のレフィーヤも頭の片隅では理解していたが、自分とは関係のないものだとずっと思っていた。ベルは男性である。そういう願望を持っていることは、レフィーヤも薄々と感じ取っていた。英雄譚を読むことが趣味という彼が物語の英雄を語る時、その赤い瞳は、宝石のようにきらきらと輝くのだ。レフィーヤはその綺麗な瞳を見るのが好きだった。

 

 彼が憧れるという英雄はきっとこういう時、女に助けられたりはしないのだろう。ティオナは今、ベルが男になろうとしていると言う。これはベル・クラネルという少年が、英雄になるための第一歩であると。冒険しない冒険者は、どこにも到達することはできない。レフィーヤも、こういう壁を乗り越えて、レベルを一つ、二つと挙げてきた。

 

 壁に挑むべき機会が今、ベルにも訪れている。ただそれだけのことだ。ティオナの言葉も、冒険者としての一般論が形を変えたに過ぎない。多少なりとも命をかけなければ、冒険者として前に進むことはできないことは、レフィーヤも理屈では分かっていたが、それと心で納得できるかは別の問題だ。

 

 英雄になろうとしていようと、冒険者としての壁がどうであろうと、ベル・クラネルという少年が生命の危機に瀕しているという事実に代わりはなく、そして自分は今、彼を助けることのできる力を持ち、それができる場所にいる。レフィーヤに、ベルを助けない理由はなかった。

 

「それは……命がかかっててもですか? 無事に帰ってきてほしいって、そう思うのが悪いことなんですか!? そこをどいてください。今助けないと、ベルが死んじゃう!!」

「ダメ。絶対許さない。どうしても行くなら、私を倒していって」

 

 梃子でも動かない、と言った風のティオナを前に、レフィーヤは一瞬で沸点を突破した。相手が誰で、自分が何であるかなど関係ない。倒されなければどかないというのであれば、倒すまで。本気でそう考えて一歩踏み出したレフィーヤの肩を、しかし、リヴェリアが掴んだ。

 

「……ティオナの言うことも、一理ある。少し待て」

「リヴェリア様まで……ベルのこと、大切じゃないんですか? ベルがここで死んだら、私――」

「顔を立ててやることも大事、という一般論を言ったまでだ。何も愚かな男の意地を通すための迂遠な自殺未遂に、我々女が付き合ってやる必要はない。本当に、どうしようもなく危なくなったら、私が助ける。即死でなければ間に合うだろうが、もしものこともある。その時は……ロキ・ファミリア副団長、リヴェリア・リヨス・アールヴが命じる。ティオナ・ヒリュテ。我々と一緒に、喪に服してもらうぞ」

「いかようにも。でも、私はベルが勝つと信じるよ。だって、英雄になるなら、こんなところで死ぬはずがないもん」

「ベルはベルです。英雄ではありません」

「だって、そんな目をしてるよ。命がかかってるこんな状況なのに、あの子楽しそうだもん。これなら、私が面倒を見ても良かったかな。あの子と一緒だと、すごく楽しそう」

「ベルは私が監督するんです!」

 

 戦うベルの姿に見とれていた自分を恥じるように、隣で世迷言を言ったティオナに吠える。ムキになった姿がおかしかったのか、けらけらと笑うティオナを無視し、レフィーヤはベルの戦いに集中した。

 

 

 

 

 

 




次回、ベル側の視点に移ります。
ベルの話なのにレフィーヤの方を多く書いてるような……

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