英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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ある愛の女神の黄昏①

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待ちどうさん。本日はお招きどうも。まぁすぐ帰るんだけどさ」

 

 指定された部屋。バベル最上階、フレイヤの私室に入室したヘルメスは外套を預かろうとするオッタルを視線で制し部屋の中央まで歩いた。

 

 中央にあるテーブルには差し向かいで二柱の神が座している。上座に座るのがこの部屋の主である女神フレイヤ。従者オッタルの入れた紅茶を飲む彼女の差し向かいに座るのが女神ロキ。フレイヤの長年の友人であり、現在の盟友でもある。

 

 糸目の女神は自分で持ってきたらしい安酒を手酌で楽しんでいた。できあがっていたら事であるが、前後不覚になる程ではないようである。おう、と手を挙げたロキの動きは泥酔した時の彼女を知っているヘルメスをしてまだ辛うじて大丈夫と判断できるものだった。話は早いうちにしておいた方が良いと判断したヘルメスは早速話を切り出した。

 

「フレイヤにも協力してもらった内偵だけど、結果が出たよ。イシュタルは完全に黒だ」

「ようやくかー。えらい時間かかったもんやな」

「それだけあちらも慎重になってたってことなんだろう。何しろ地上にあっては神と言えども大仕事だ。ギルドに寄ってウラヌスからも了解をもらってきた」

「これから起こる私闘に目こぼしをしてくれるって? 悪い神もいたものだこと」

「俺たちが言えた義理じゃないと思うぜ?」

「まったくやな!」

 

 ははは、と全員で一笑いして一息入れる。

 

「つまりはイシュタルは排除ってことで話が進む訳だ。決行日と計画は事前の資料の通りに。仕込みも今の所予定通りに進んでる。そっちの役者の様子はどうだい?」

「私の所はこれからね」

「ウチは当日まで知らんぷりや。楽でええな!」

 

 計画の内容に反して、二柱の女神は気楽なものである。他神を陥れる程度、彼女らにとっては息をするのと同じくらい簡単なこと。まして今回排除するのは明確な敵であるのだからためらいなど生まれるはずもない。

 

 女神イシュタル。ロキ達やヘルメスとも生まれを異にする神であり、今回の敵である。

 

 例の事件以降、ウラヌスを中心とした一派は密に闇派閥の内偵を進めていたのであるが、今回尻尾を出したのがイシュタルだった。己の眷属の命を対価として他の眷属の大幅な戦力増強を図り、武力で持ってフレイヤ・ファミリアを打倒するのが彼女の目的だ。

 

 神同士、およびファミリア同士の私闘は『神会』での協議により禁止されている。まだ実行に移されてはいないが、これは明確な協定違反であり『神会』にかけられれば最悪追放処分もありえる重罪であるが、それは『神会』がまともに機能すればの話である。

 

 イシュタルに関しては排除ということでここにいる三神の見解は一致している。「神会」もまた表向きは闇派閥に対しては強い態度で臨んでいるが、神々の内心は様々だ。地上の子供以上に神は一枚岩ではない。闇派閥に属さないまでも消極的に支持している神はいるだろうし、そもそもロキたちとて構成神を全て暴いた訳ではない。『神会』の中にもまだ闇派閥に属している神はいるのだろう。今回はたまたまイシュタルが尻尾を出したに過ぎないのだ。

 

 そのイシュタルであるが、オラリオでは歓楽街の顔役をしている。事実上の支配者と言っても過言ではなく、歓楽街は区画全体がイシュタルの支配下にあると言っても良いだろう。イシュタルの排除により、その区画が一時的にでも立ち行かなくなるとなれば自分本位の考えでイシュタル排除に否という神が片手の指では数えられない程度にいる。

 

 イシュタルの排除に『神会』の力があてにできないとなると後は制裁を覚悟で私闘を行うより他はない。私闘に関する罰金は多大なものでありそれはファミリアの規模によって増減する。ロキもフレイヤもファミリアの規模はオラリオでも最大級であり、それが大規模な私闘を行ったとなれば、一撃でファミリアを傾けかねない程の制裁金が科されることは想像に難くない。

 

 それはロキやフレイヤでも拳を振り上げることを躊躇う理由になりえることであるが、そこを回避するためにヘルメスはウラヌスの所にまで話を通しに行った。

 

 私闘の禁止を破った制裁は例えそれがどのような理由であっても通常の通りに行われるだろうが、その裁定を行うのはギルドなのだ。全ての法には抜け穴がある。ウラヌスも本心ではロキやフレイヤがどうなろうと知ったことではなかろうが、眷属の強さがファミリアの強さであれば、資金力はその強さの持続力を象徴する。

 

 闇派閥に対して戦力として期待されている二つのファミリアが、肝心な時に資金不足で動けないとなれば目も当てられない。ギルドの代表としてはあまり褒められたことではなかろうが、イシュタルが行動間近となればその排除は何より優先される。ウラヌスも今回はそれだけ本気ということなのだろう。

 

 何にせよこれで戦うための体裁は整った。後は戦いイシュタルを排除するだけであるが、問題はイシュタルがオラリオでの立場を捨て、眷属を連れて逃げるという判断をした時だ。神及び冒険者はオラリオの出入りが厳しく監視されているが、戻ってこないことを覚悟すれば強行突破はたやすい。何しろ神には無限に近しい時間がある。オラリオの外でゆっくりと時間をかけて捲土重来を図るというのも悪い手段ではない。かかる時間によっては今回の虎の子である「狐人」は使えなくなるだろうが、無限に待つ気持ちがあるのであれば次の当たりを待てば良いのだ。いくらでも待つという気概さえあれば、神にはそういう戦法が取れる。

 

 とは言え、ロキもフレイヤもイシュタルという女神の気性を知っている。事が露見した場合、彼女の場合はそのまま打って悪あがきをするというのがロキたちの見解であるが、それでも逃げられては面白くない。万が一の可能性を潰すためこちらから先手を打ち確実に潰す必要がありそのための絵図も既に完成しつつあった。ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアが共同歩調を取り他のファミリアの加勢をさせないように奇襲を行うのだ。イシュタルの命はもはや風前の灯である。

 

「イシュタルのほえ面近くで見れんのは残念やけどもな」

「私もそれは気がかりだけど、兎さんの活躍を見る方が大事よね。特等席は用意しておくわ」

「助かるわ。とって置きの肴もっていくから楽しみにしとくと良いで」

 

 からからと笑うロキに、上品に笑うフレイヤ。主に二人の提案で、今回もベルが苦労をすることは内定している。その分良い目も見れる……ようにヘルメスは手を回しているが、この二神が関わる以上、目の前のごちそうに手を付けるような機会は訪れないだろうと見ている。

 

 作戦はヘルメスが立案した通りに進行するということで二神も同意したが、それが崩れない範囲であれば容赦なく手を入れてくるような性格であることはヘルメスも熟知していた。予想する着地点が大幅にずれるということはなかろうが、逆に言えばそこに到達するのであれば途中は何をしても良いのだ。そういう好き勝手な振る舞いが、この二神は抜群に上手い。

 

 味方にいる今の時点でさえ、何をされるのかと落ち着かない気分にさせられるのだ。事が起こり、絵図の向こうにいるのがこの二神だと気づいた時のイシュタルの心中を想像すると、敵のことながら複雑な気分になるヘルメスである。

 

(明日は我が身と負い目でもあるのかね……)

 

 今のところ敵対する予定はないのであるが、ふらふらする身の上がそうなった時のことを考えさせてしまうのである。自分のノリが下降線を辿ると察したヘルメスはそうなる前に努めて明るい声でその場を辞す。

 

 ベルの提案からこっち、以前と比べると格段に一緒にいる機会の増えたロキはしばらく差し向かいで酒を楽しんでから『戦いの野』を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後に残されたフレイヤは一人になった部屋でたっぷり時間をかけてお茶を楽しんでから、アレンを呼んだ。常に傍に付き従うオッタルも、アレンを呼び出した後に退出させている。フレイヤの私室では現在正しく、女神フレイヤとその眷属アレンの二人きりだった。

 

「アレン・フローメル。罷り越しました」

「イシュタルを排除することが決まったわ。細かい絵図はヘルメスが描くことになると思うけれど、私もロキと一緒に協力することにしたの」

 

 フレイヤの言葉を受けて、アレンの表情が僅かに歪んだ。神を排除する。オラリオでなくとも穏やかでない内容であるが、フレイヤとイシュタルの仲が険悪であることはオラリオではその辺の子供でも知っている。イシュタルの排除にしても前々から、かの女神には黒い噂が付きまとっていた。アレンもフレイヤ・ファミリアの代表として情報収集に当たらされたから良く覚えている。次の「神会」の開催はまだ先。それを待たずに行動を起こすということは強硬手段を取るということだ。

 

 腕が鳴るとこの世界に飛び込んだばかりの頃のアレンであれば思っていただろう。武器を存分に振るい敵を思うさまに打ち倒すのは冒険者を志すような者の本懐である。しかしながら彼の女神は最近殊更、例の兎について執心で自分を絡ませようとする。

 

 今回のこともフレイヤ・ファミリア単独でということならば少しは安心できたが、説明の最初からロキ・ファミリアの名前が出てきている。ほどなく奴の名前が出てくるだろう。別に俺は奴の担当ではないのですが、と心中だけでなく直接物言いもしたがフレイヤが気にする様子はなかった。

 

 別にそこに不満がある訳ではない。神とは自由な存在であり、アレンもそれに納得して眷属となったのだ。神に不満がない以上、これは自分の問題である。粛々と神命を遂行できないのは精神が未熟である故である。荒い気性は自分の欠点であると思っているが、レベルが上がってもこれが収まる気配はなかった。大方、死ぬまでこうなのだろうと諦めてもいる。穏やかな性分になった自分というのも想像できない。

 

「俺の仕事は奴のフォローですか?」

「察しの良い子は好きよ。愚鈍な子でも好きだけど」

 

 フレイヤは微かな笑みを浮かべて作戦の説明をする。イシュタルの作戦の核となる狐人の女を白兎が確保、イシュタルの管理下から外れた段階で、ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアの混成軍が歓楽街に向けて進軍する。

 

 歓楽街に通じるメインストリート及び、中小様々なルートを全て眷属で封鎖。外部からの援軍を防ぐ目的もあるが、何よりイシュタルを歓楽街から逃がさないようにする。

 

 そして封鎖するのは地上だけではない。大都市に様々な理由で地下空間が存在するというのは珍しい話ではく、オラリオもその例には漏れない。特に歓楽街の地下スペースは地下通路が無数にあることで有名だ。元々スペースを確保するために各々の施設が好き勝手に地下室を作り、それを繋げることを目的に非計画的に広がったそれはイシュタルの『本拠地』である『女主の神娼殿』からも伸びているという。

 

 フレイヤ・ファミリアもロキ・ファミリアも探索系ファミリアの中では最大手だ。戦力の質もさることながら頭数も他のファミリアに比べても、人がいればいるほど良いらしい農業系のデメテル・ファミリアのような例外を除けば飛びぬけて多い。

 

 だがそれでも高所を確保できれば目視で何とかなるだろう地上と異なり、蜘蛛の巣のように広がった地下通路を全てフォローすることは、如何に最強ファミリアでも困難を極める。

 

「どういう訳かヘルメスが歓楽街の地下通路の正確な地図を作製済みだそうよ。既にトラップも設置してあるそうだから、地下の受け持ちは彼の子供たちで何とかするって」

「負けるつもりはありませんができれば敵には回したくないファミリアですね」

 

 力技で押し切れない敵というのは戦っていてストレスが溜まる。倒せないということはなかろうが、戦って面白くないというのはいただけない。

 

「奴が狐人を確保して逃げ切れるように背中を守るということで良いのでしょうか?」

 

 イシュタルの作戦の核はその狐人である。それを確保するのだから戦功第一はあの兎ということになるだろう。それを見ているだけというのも当然面白くはないのだが、眼前の女神からの神命がこの程度で終わるはずがないということはアレンにも解っていた。

 

 その問いが嬉しかったのだろう。フレイヤは笑みをことさら深くして、アレンに告げた。

 

「アレン。貴方には兎さんの初めてを守ってほしいの」

「…………恐れ入ります我が女神。どうも俺の耳がイカれてしまったようで。今一度ご下命いただけますでしょうか」

「貴女に兎さんの童貞を守ってほしいの」

 

 自分の耳が正常であったことにアレンは全く安堵できなかった。できることなら何も聞かなかったことにして部屋で不貞寝でも決め込みたい所であるが、既に神命は下されてしまった。忠実な女神の眷属であるアレンにはもう、それがどれだけバカらしくくだらないものであっても神命を遂行する以外に道はないのである。

 

「……よろしければお心を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」

 

 眷属として断腸の思いでそれを口にする。アレンだってこんな質問はしたくないのだが、敬愛する女神の顔に聞けと書いてあるのだから仕方がない。言外の望みまで十全に叶えてこそデキる眷属というものだ。

 

「私には理解できない考えだけど、地上の子供の中には殊更男性にまで処女性を求める傾向が強い種族がいるわよね?」

 

 問を深く掘り下げるまでもなく、アレンはこの時点でフレイヤの意図が理解できてしまった。

 

 アマゾネスほど奔放という訳ではないが、獣人は大体の種族で性に対して大らかな考え方をしている。強い個体に複数の異性という家族は地方に行けば行くほど珍しくはなくなるし、オラリオにもそういう家庭は少ないが存在する。

 

 番がいるのにそれ以外に手を出すというのは勿論獣人の倫理観を以ても褒められた行為ではないが、そうなる前に行為については男女ともに不問にするのが普通だ。獣人に限らずほとんどの種族は程度の差こそあっても全体としてはこの考えでまとまっているのだが、その例外がオラリオにも存在する。エルフというお高くとまった種族である。

 

 エルフは全体的に結婚という契約を重視しており、婚前というのはそのための準備段階であると考える。婚前交渉などもっての他。交わるのは生涯でただ一人……流石にここまで凝り固まっているのはエルフの中でも少数であるが、古き良きエルフとして持ち出されるのはこの考えであり、当のエルフたちでも手放しで同調するのはちょっと、と考えていても種族に根付いたその考えが日常生活の中で度々顔を出してくる。

 

 男女問わずエルフというのは遊んでいる者を許容しない。よほど高貴な者でない限り、複数の相手を持つことはない。浮気は死んでも許さない。一度火が点くと末永く燃え盛ることを『愛情が深い』と表現することもできるが、その炎は嫉妬深さにも直結する。風向きが変わればその炎はたやすく相手も飲み込むことは想像に難くない。

 

 人間種族の男性が好む猥本ではその高嶺の花っぷりからエルフが人気を誇るが、実際にカップルとなるケースが他の種族と比べても少ないのは、その気性が原因なのではというのがオラリオに住む男性諸氏の通説である。眺めている分には良いが一生一緒にいるのはちょっと、と考えるのは女神以外の異性に興味のないアレンでも理解できる。一言で言うなら息がつまって面倒くさい相手だ。

 

 そんなエルフであるから、異性には清廉であることを求める。これは血が濃いほどその傾向が強いと言われており――ここが女神にとっては大事なことなのだろうが、例の白兎の周辺にいるの女はエルフが一番多い。

 

 いくら平素から目をかけているとは言え、白兎が娼館に連れ込まれ一晩そこで過ごしたとなれば、事実として何もなかったとしてもエルフたちは疑いを持つことだろう。拒否感が態度に出るかもしれない。女神にとってはそこが狙い目なのだ。

 

 例え白兎がエルフが一番そそるというような性癖の持ち主であったとしても、そのエルフがいるのが分厚いガラスの向こう。しかし自分の近くを見れば魅力的な女性が他にも沢山いるという事実に気づいてしまえば目移りする可能性も高いというものだ。例えば彼の馴染みの食堂にいるウェイトレスなどであるが……アレンにとっては白兎が誰と交わったとしても奴が自分の義弟にでもならない限りどうでも良い話である。

 

「『女主の神娼殿』の中で何があったのか知っているのは、奴以外には貴女と俺だけで良いという訳ですね?」

「話が早くて助かるわ」

「地上の子供の傾向という話では?」

「あら。興味がないともいらないとも私は言っていなくてよ」

 

 口の端をあげて小さく笑う女神に、アレンは同じような笑みを返した。強欲なことだ。だからこそ女神らしいとも言える。

 

「神命。謹んで拝命いたします」

「期待しているわアレン。兎さんと仲良くね」

「…………御意」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま、アスフィ」

「おかえりなさいませ、ヘルメス様」

 

 会談を終え簡単に話をまとめた後、ヘルメスは彼にしては珍しくまっすぐに自らの『本拠地』に戻った。己の主神の帰りを待っていたアスフィは、彼が身支度を整えるまでの間に全体の進行状況を伝える。

 

 ロキやフレイヤに確認を取るまでもなくヘルメスの計画は既に進行している。下水道の詳細な地図を手に入れることもそうであるし、そこにトラップを仕掛けることもそうだ。既に眷属にはそれとなく動員をかけているし、一部の眷属は歓楽街に潜入までしている。

 

 二神に確認を取ったというのはあくまで通過儀礼であり、計画の中核は基本、自分が決めるという意思表示をするためのもの。ロキもフレイヤも大概自分が自分がというタイプであるからそういう意思表示はことさら大事なのだ。話が違うなどとは思っても口に出してはいけない。それは負け犬の言葉だ。子供は神が自由奔放に生きていると思っているのだろうが、神には神の苦労があるのだ。

 

「神イシュタルの排除は成功したものとして、歓楽街の勢力図はどのように?」

「話し合い次第だろうね。音頭を取ってたイシュタルがいなくなるんだから俺も私もって神は多い。だからって歓楽街が群雄割拠になっても困る訳だけど、今現在、歓楽街の支配に興味を持ちそうなファミリアで、今のイシュタル・ファミリアと同じ仕事ができる所はない。多くて十柱くらいの合議制ってところになるんじゃないかな」

「そこに、一枚噛むつもりはないのですね?」

「噛んでほしいのかい?」

「いいえ。むしろしてほしくないので釘を刺したつもりでした」

「理解のある眷属を持てて俺は嬉しいよ。権力やら立場なんて、何でも持てば良いってもんでもないからね」

 

 実より名がほしいという考えも解らないではないが、ヘルメスはその逆だ。土台ヘルメス・ファミリアの規模でイシュタル・ファミリアの代わりなどできるはずもないのだから、支配に噛んだ所で苦労が増えるばかりで旨味は少ない。ヘルメス自身、遊び目的で歓楽街に足を延ばすことはあるが、あくまで遊びでそこに仕事を持ち込みたくはない。

 

 ならば旨味を少しだけでも吸えればそれで充分だ。今まではそれすらできなかったのだから、それだけでファミリアとしては十分にプラスになる。ローリスクローリターン。良い言葉だとヘルメスは思う。

 

「それを合議制に参加する神全て相手にやれば良いんだから、全く楽な商売だよな」

「どういう経緯であれ『戦争遊戯』以外の私闘をする訳ですから、うちもギルドから制裁金を科されるのでは?」

「ギルドの規定では神が送還された場合、その資産はどうなる?」

「種類によります。眷属は個々人の意思に任せ、不動産やら貴金属はギルド預かり、債権などについては一旦その効力を停止。引き受けるファミリアがいればギルド立ち合いの元に引き渡し、そうでなければ基本的にはギルドが処理をすることになります」

 

 眷属個々人の資産は基本的にはその眷属に帰属するが、ファミリアとしての負債は神に帰属する。ファミリアはその主神を中心として成立し維持されるが、その主神が天へと送還された場合、その時点でファミリアは解散されたものとされ、眷属以外のかつてファミリアに類したものは全てギルドの管理下に置かれる。

 

 土地建物、あるいは貴金属など現金化が簡単なものの処理は良いが、問題になるのはそれ以外のものだ。神の名の下に交わされた契約が、神が送還されたからといって反故にされては他の神々の信用にも関わる。

 

 神が送還されようと、その名の下に交わされた契約はギルドが代わって履行することになる。負債があれば資産を売却してこれを補填することになるが、負債込みで資産が欲しいという神がある場合は、この段階で横やりが入る。負債はいらないが資産は欲しいというのは認められない。

 

 資産引き渡しの優先権が発生するのは、負債を引き受ける時のみだ。そして負債やら宙ぶらりんになった契約の処理が全て完了した後、資産の現金化が始まりそれが終了した時点で正式にそのファミリアは解散したと見做される。

 

「――というのが通常の流れのはずですが……言葉にする間に考えもまとまりました。負債の処理が送還された神の資産を使って優先的に行われるのであれば、発生の順序的に私闘の制裁金にもそれは適用される」

 

 発生の経緯、関わった神やその数によって割合は大きく変動するが、ファミリア同士の私闘が行われた場合、発生に至る経緯がどうであってとしても私闘に参加したファミリア全てに制裁金が科されることになる。

 

 重要なのは参加したファミリアの制裁金はゼロにはならないということ、その割合を決めるのはギルドであること、私闘に参加したファミリアが正式に解散したと見做されるのはその処理が終わってからということだ。主神が送還されようと所属する眷属が一人もいなかろうと、その処理が終わるまでギルドの規約的にはファミリアは存続しているのである。

 

 ウラヌスが了解している時点で制裁金の割合はイシュタルが相当高くなるはずだ。送還されるのだから文句など出るはずもないし、ファミリアが行った合法的な契約はそのほとんどをギルドが管理している。財産の差し押さえさえ上手く行けば、処理の方は問題ない。

 

「つまり神イシュタルに逃げられては全てがご破算になるということですか。なるほど、地下道まで埋める必要があると強く主張した理由が解ります」

 

 強制的な財産の接収には神が送還される必要がある。私闘に勝利してイシュタルを撃退しても

例えば眷属を連れてオラリオから逃げられるようでは困るのだ。戦いを始めたら最後、イシュタルには何としても天に還ってもらわねばならないのである。

 

「下水道のトラップ設置は抜かりないだろうね」

「既に設置そのものは完了し、現在は調整を進めているところです。当日は更に団員を増やしますので、ネズミ一匹通しませんよ」

「フレイヤほどじゃないがあいつは魅了の使い手だ。対策は怠らないように」

「地下班には改めて伝えておきます。ヘルメス様は、当日はどのように?」

「地上でベルくんの活躍を見たい所ではあるんだけど、俺も地下かな。アスフィ、お前の隣にいることにするよ」

「……地上では仕留めきれない、という読みですか?」

 

 後の功績を考えればイシュタルの送還に貢献したい所ではある。地上で送還されるということはアスフィを始めヘルメス・ファミリアの団員が待ち構える地下には到達できなかったということだ。トラップこそ設置したがあくまで万が一の備えという気持ちでいた。戦闘力でオラリオ最強を争うファミリアが両方参加しているのだから、彼ら彼女らが問題なく動くことができれば神一人始末することなど造作もないはずなのだが、

 

「ロキ・ファミリアはあくまでベルくんの奪還という名目で動くだろう。フレイヤ・ファミリアは地下には戦力を送らない。イシュタルが鈍くさくも『女主の神娼殿』から逃げられないのであればフレイヤの子供の誰かがやるだろうけど、あれも中々悪運が強い。地上がロキとフレイヤの眷属で埋め尽くされ、自分の供も少ないとなれば、地下しか道はないからね」

 

 加えて地下に潜伏するという選択肢はあのイシュタルにはない。あれだけ自己顕示欲の強い神だ。雌伏の時と解っていても暗い地下で耐えるということは彼女にはできないだろう。地下狩りまでされる可能性を考えれば、イシュタルはオラリオの外を目指すはずだ。

 

 オラリオ地下の道は入り組んでいるが、出発点が解っていれば後はその周辺を抑えれば良いだけの話だ。懸念があるとすれば早い段階で逃げを決め打たれること。ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアを相手に主力を温存し大人数で地下に逃げ込まれた場合、地下でも激闘が予想される。まさか準備万端待ち構えてイシュタルを逃がすということはないはずだが、地下道が崩落などしたら被害は地上の比ではない。イシュタルには命からがら地下までお越しいただきたいというのがヘルメスの本音である。

 

「絵図を描いた上に大将首まで取れれば功一等は俺たちのもので間違いないな。いやぁ内通者まで苦労して作った甲斐があったってもんだ」

「うちだけ儲けたら神ロキと神フレイヤに恨まれませんか?」

「あの二人なら気にしないよ。ロキはソーマでもおごってやれば喜んでくれるだろうし、フレイヤ様はイシュタルの最後を聞かせてやったら、褒めてくれるだろうさ。ま、私がやりたかったって恨み言くらいは言われるかもしれないけどね、そんなの俺にとってはご褒美さ」

 

 イシュタルが送還されたという結果さえ得られれば、フレイヤは文句など言わないだろう。逆に取り逃がしでもしたらヘルメスはオラリオにいられなくなるだろうが、そうならないために手回しにも全力を尽くしたし、眷属にも綿密な指示を出した。適当を絵に描いた神という世間の評判に反して、今回のヘルメスは本気である。

 

 懸念と言えばフレイヤよりもロキである。彼女の考えていることはイマイチ読めない。他神を刺す時に笑顔でやれるという点ではフレイヤと共通する所があるが、物事のどの辺りを妥協点とするのかが、ロキについては見えてこない。

 

 着地点がその線よりも手前で、彼女の不興を買うのも面倒な話である。最終的な取り分では損をしないどころか大儲けという所にまで調整している。それこそ、作戦の過程で娼館を目についた端から吹っ飛ばしでもしない限りは、赤字にはならないはずなのだ。ベルにも見せ場はきちんとあるし、何よりイシュタルの顔をしばらく見ないでも済むようになる。正直これ以上の絵図は描けそうにない。

 

 後は自分たちにとってのアクシデントが起こらないように祈るばかりだが、神たる身でもそればっかりはどうしようもない。もっとも、その不運をこよなく愛するからこそ天界を離れて地上にきたはずなのだが。神とて環境には慣れてしまう生き物なのだ。退屈こそが神を殺すとはよく言ったものである。

 

「俺も状況を確認しておこうかな。アスフィ、ガイドを頼むよ」

「おや、こう何度もお出ましとは今回は本気ですねヘルメス様」

「ここを落とすようじゃオラリオにはいられなくなるからね。いくら俺でも本気になるさ」

「お好きなようになさってください我が主神様。一応、夜逃げの準備も既に済んでおりますので」

「……やっぱりうちの団長はお前しかいないな。いつも頼りにしてるよアスフィ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦決行当日。ロキはその日まで特に何をするでもなくただ待った。特等席で事態を見物するための準備だけ整え、バベルまでの馬車も既にこっそりと待たせてある。後は眷属をたきつけるだけだ。

 

 事細かに説明する必要もない。謀などたった一つの言葉だけで全てが転がり、行き着く所まで行きつくものだ。微に入り細に入り手を入れる気分でもない。今日のこの日は勢いで乗り切ると決めたロキは腿上げまでして息を切らせてから自分の部屋を飛び出し、眷属の屯している食堂に飛び込んだ。

 

 リヴェリアがいる。レフィーヤがいる。今日はエルフのグループがここを使うのは事前に把握していた。役者は揃っている。心中にやりと笑みを浮かべているのをおくびにも出さず、ロキは居並ぶ眷属に向かって大音声を上げた。

 

 

 

 

 

「大変や! ベルが……イシュタル・ファミリアの連中に攫われよった!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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