英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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『アマゾネス・ストライク』

 

 

 

 

 

 

「『白兎』だ!」

 

 ダンジョン探索を午前で切り上げ、昼食を適当に済ませての後。元々午後の鍛錬は休息日であったため、久しぶりに一人で午後を過ごすことになったベルが、たまには店売りの装備でも眺めに行こうかとバベルに足を向けていた所、それを呼び止めるような大声にあった。

 

 正面から金髪の少年が走ってくる。まだ10にもなっていないおそらく人間の少年だが、白い貫頭衣から除く腕は妙に引き締まっており、日に焼けている。何か武芸を学んでいることは明らかで、特に体幹の良さはただ走ってくるという動きの中でも感じられた。

 

 短く刈り込んだ金髪のその恰好から、アテナ・ファミリアの関係者であると察する。かのファミリアは冒険者同士の格闘興業をやる傍ら後進の育成にも力を入れており、格闘及び護身術の教室なども広く一般に向けて開放している。

 

 冒険者を目指してアテナ・ファミリアの門を叩く者も、最初はここに放り込まれる。見込みがあれば眷属となり、冒険者となってダンジョンに赴くなり興業に参加するという仕組みだ。

 

 そのため、大抵のファミリアは関係者というとほぼ眷属で占められるのであるが、アテナ・ファミリアは候補生と門下生を合わせると、冒険者以外の方が数が多いというオラリオでも珍しいファミリアである。

 

 候補生らしき金髪の少年は人好きのする笑みを浮かべてばたばたとベルに近寄り、殊更にベルのことを褒めたたえながら、ベルの身体をバシバシと叩き、周辺をぐるぐると回り出す。感情を表現するのにやたらバシバシくるのは女神アテナの眷属に見られる特徴である。少年の言葉に相槌を打ちながらベルが苦笑を浮かべていると、

 

「レグルス。その辺にしておきななさい。『白兎』も困っているぞ」

「はい、父さん」

 

 レグルスと呼ばれた少年によく似た面差しの偉丈夫だった。その立ち姿を見て、ベルは思わずため息を漏らす。武の研鑽に心血を注いできた男の姿がそこにあった。

 

「息子が失礼をした。先の『怪物祭』での君の戦いを見て以来こうなのだ。アテナに仕えるのならばもう少し落ち着けと日頃から言ってはいるのだが……どうか子供のやることと、寛大な心で許してほしい」

「お気になさらず。応援ありがとう」

 

 見ず知らずの少年であるが応援されるというのは純粋に嬉しいものである。ベルが特に気を悪くしていないと見るや、ほらー! と調子に乗るレグルスに、深い笑みを浮かべた父親は思い切りげんこつを落とした。

 

 ごつん。身体の芯に響く鈍い音に、ベルは思わず身震いする。頭を抑えて蹲っているレグルスをいないもののように扱いながら、

 

「聞いた予定では、この時間君は『大切断』と訓練をしているというが、今日は休暇なのか?」

 

 僕の予定はオラリオ中に知られているのかしらという疑問を心中に押し込めながら、ベルは今日ここにいる経緯を説明する。これからどこに行く予定だったか言わずにいると、要するに暇なのだと解釈した少年の父親はこんなことを言い出した。

 

「良ければうちで汗でも流していかないか?」

 

 その提案にベルは目を輝かせた。休息日というのは休まなければいけない日という訳ではなく、定期的に設けられた自由時間のようなものだ。予定が合うことは少ないので一人で過ごすことが多いが、軽い訓練をすることだってあった。

 

 できれば何か訓練したいというのがベルの本音で、そして一目で強いと分かる御仁から誘われているのである。冒険者としては乗らない手はない。ぜひ! と食いついたベルに、2つ返事で受け入れられることが意外だったのか、父親は僅かに苦笑を浮かべる。それでも『白兎』との経験は得難いものと判断したのか、ベルの食いつきをそのまま受け入れることにした。

 

「提案を受け入れてくれて感謝する。自己紹介が遅れたが、私はアテナ・ファミリア教皇補佐

獅子座(レオ)』イリアスという。今日はよろしく頼む」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファミリアの慣習として、眷属の代表を団長ではなく教皇と呼ぶのだと思い出したのは、案内されたアテナ・ファミリアの訓練場で、イリアス相手の掛かり稽古で全く手も足も出なかった後のことだった。

 

 身体を地面に投げ出し荒い息をするベルを他所に、イリアスは涼しい顔をして座禅を組んで目を閉じている。休息をしているという訳ではない。彼は最初から訓練場の中央で座禅を組んで目を閉じ、ベルに好き放題打たせていた。

 

 舐められていると思ったのは拳を打ち込もうとした直後、上下さかさまに宙を舞うまでのことだった。速度を上げようが後ろから打ち込もうがとびかかってみようが全て当たり前のようにいなされてしまったのだ。目を閉じて座禅を組み、その場から一歩も動いていない相手にである。

 

 隔絶した実力差を肌で感じ取ったベルは荒くなった呼吸を整え、イリアスの元に歩み寄る。訓練は終わりと察したイリアスはようやく目を開き、その場に立ち上がる。汗一つかかず、呼吸も全く乱れていないのがいっそ清々しい。

 

「どうでしょうか」

「筋は悪くない。良い師の元で真剣に訓練していることも見て取れる。このまま訓練を続けていれば十二分に強くなれるだろうが……現状の問題として、君の能力は君の感性と釣り合っていない」

「どういうことでしょうか……」

「肉体の急速な成長に君の精神の方が追いついていないのだ。普通肉体と精神は共に成長するものなのだが……君の急激な成長の弊害だろうな。だがそれも、いずれは厳しい訓練をするようになれば解決するだろう。ロキ・ファミリアは人材豊富で相手には困らんだろうしな」

 

 精神と肉体の間に解決できない齟齬があったとしても、それを鍛錬で補うことができる。齟齬を生み出したのが神々の恩恵であれば、それを埋めるのもまた神々の恩恵なのだ。

 

 とは言え、ベルもまだまだ少年である。時間と努力で解決できると言われても、できれば今すぐどうにかしたいという思いが強く、またそれを隠せるような性格でもない。期待と不安と不満の絶妙に入り混じった、いかにも向上心のある少年らしい表情に、かつては自分もこうだったなと苦笑を浮かべたイリアスは、聊かの嗜虐心を持って助け舟を出すことにした。

 

「今時分、君に実行できるものがあるとすればアマゾネス・ストライクをおいて他にないと思う」

 

 イリアスの言葉に、神アテナの眷属に動揺が走った。ベルが視線を向けると気まずそうに逸らす者までいる。そのアマゾネス・ストライクというのはそんなに厳しいものなのだろうか。疑問渦巻くベルの心中だったが、それがどのようなものなのか聞くよりも先に、イリアスは遠巻きにベルの訓練を眺めていた一人に声をかける。

 

「シジフォス。お前は『アマゾネス・ストライク』に初めて挑戦した時どうだった?」

「兄上に促され、身も世もない悲鳴を挙げたことを昨日のことのように思い出せます。兄上のことは尊敬しておりますが、あの時ほどお顔に拳を叩き込んでやりたいと思ったことはありません」

「自制心のある弟を持った私は幸せ者だな。私の時はハクレイ殿に蹴りを飛ばしてやったらしこたま殴られたものよ」

 

 イリアスが笑うと周囲も笑う。女神アテナの眷属にあってはどうやら鉄板のジョークであったらしい。

 

「元々アマゾネスが行っていたものを先達が取り入れ改良したものであると聞く。シジフォスの言った通り苦しいものであるが……効果はある。女神アテナの眷属は誰もが通る道ではあるが、そうでない者としても効果はあると保障しよう」

「では……僕も?」

 

 ベルとて人間であるから苦しいと聞いて尻込みしないでもない。しかし、ベルとてまだ駆け出しとは言え冒険者であり、生まれた時から男であるのだから、先達が強くなれると言うのであればやらない訳にはいかない。

 

 強くなることに貪欲である。冒険者とはそうあるべきもの、というのがベルにもようやく染みついてきた。

 

 かの『白兎』が乗り気であるらしい。それを察した女神アテナの眷属たちが俄かに活気づき――

 

「話は聞かせてもらいました!」

 

 その眷属たちの前に、その主神が降臨した。足音高くやってきた女神アテナに、レグルスたち見習いも含めた眷属たちが跪く。

 

「時の人『白兎』がアマゾネス・ストライクに挑戦となれば、このアテナが見ない訳にはいきません! シジフォス! 『戦いの野』に使者として出向き、フレイヤにこのことを伝えなさい。『黄昏の館』の先ぶれには――」

「ドウコが暇を持て余していたようですので、奴をやりましょう」

「よきに計らいなさい、アスプロス。ああ、今日は何て良い日なんでしょう! 早速支度をしなければ!」

 

 言うが早いか、アテナはすっ飛んでいく。それに金髪の偉丈夫も続いた。後にはベルたちが残される。アテナは黙って立っていれば深窓の令嬢といった風であるのだが、一度心に火が入ると流石戦神という剣幕でまくしたてる。地上の子供とはどこか感性が異なる。やっぱり神様なんだなと不思議に思っていると、

 

「女神アテナにおかれては、地上の子供がアマゾネス・ストライクに挑戦するのを眺めるのが大層お好きであられる。見られて気分が良いものではないかもしれないが、寛大な心で受け入れてほしい」

「女神アテナの御心のままに」

 

 訓練など見られて困るような相手でもない。冒険者同士は同業者ではあるが競争相手ではない。共に手を取り合って助け合う可能性がある以上、できる限り仲良くしておいた方が良いに決まっている。

 

 加えて己の主神でないとは言え、神様の思し召しなのだ。自分の訓練が見たいと仰るのであれば、どうぞご覧になってくださいというのがベルの答えである。

 

「ここでやるというのであれば私がやっても良かったのだが、アテナの言葉から察するに『黄昏の館』に場所を移す腹積もりの様子。神フレイヤにも声をかけるようだし、遅れて待たせてもコトだ」

「僕も急いで戻ります」

「それが良いだろう。今日は私も良い訓練になった。懲りずにまた来てくれると嬉しい」

「機会がありましたら是非!」

 

 言うが早いかベルは己の二つ名の如く駆け出し『聖域』を後にした。後に残るのはこれから訪れる彼の苦難を我が事のように感じている女神アテナの眷属たちである。

 

 そんな中、不憫に思う心よりも好奇心が勝ったレグルスが父の袖を引いた。

 

「父さん」

「なんだレグルス」

「俺も『白兎』のアマゾネス・ストライク見に行きたい」

「お前はこの父と足腰が立たなくなるまで組手だ」

 

 えー、と口答えする息子に、イリアスは微笑みを浮かべると拳骨を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フレイヤ・ファミリア本拠地『戦いの野』。そこにアテナ・ファミリアの幹部の一人、シジフォスが伝令でやってきたのは今先ほどのことである。彼はよほど急いで書いたと思しきアテナの書状を携えていた。単語を殴り書いた、文と言うのはあまりに乱雑なものを見てフレイヤは苦笑を浮かべている。

 

「神アテナは何と?」

「兎さんがこれから『黄昏の館』でアマゾネス・ストライクに挑戦。貴方もいかが?」

「…………奴にはまだ早いように思いますが」

「貴方はこういうの苦手だものね。でも、アテナも私も、そういう子供が挑戦するのが好きなのよ」

 

 楚々とした笑みを浮かべるが、フレイヤの口の端は隠し切れない興奮で上がっていた。本神が言うように、どちらかと言わずとも嗜虐的な心を持っているフレイヤの嗜好は、こういう点に限り女神アテナと一致していた。

 

 オラリオで顔を合わせてからはあまり交流のない女神であったが、こういう時にきちんと知らせを寄越してくれるなど、意外と義理堅い女神なのである。戦神だけあって敵対するものには苛烈な所があるものの、同好の士には殊更寛容なのだ。戦とは基本的には徒党を組んでやるものだということを戦神だけによく理解しているのである。

 

「供にはアレンを連れていくことにするわ。呼んでもらえる?」

 

 フレイヤの命令に、オッタルは傍仕えを呼びアレンを呼んでくるように命ずる。今日はこの『戦いの野』に詰めているはずだ。

 

 程なく、部屋に現れたアレンはフレイヤの前で膝をついた。

 

「アレン・フローメル。御前に」

「これから『黄昏の館』に行くわ。供をお願い」

「御意に。しかし何用で?」

「兎さんがこれから、アマゾネス・ストライクに挑戦するの。アテナと一緒に見物に行くわ」

 

 アレンは伏せていた顔を上げた。主神より下命があったのである。眷属としてまずすべきはその下命に対する返事であるのだが、アレンが返したのは主神の言葉に対する疑問だった。

 

「…………奴にはまだ早いように思いますが」

「皆兎さんのことが大好きね!」

 

 フレイヤの言葉にアレンは渋面を作った。己が主神に返事をするよりも先に、彼女に対する疑問を口にしたことに、今この時気づいたからである。

 

 先の一件以来、彼の女神は何かと『白兎』の話題を振ってくる。フレイヤ・ファミリアにおける『白兎』担当くらいには思っているようで、暇を見ては聞いてもいないベル・クラネルの情報を耳に入れてこようとするのだ。

 

それらの情報は大抵、()()()()()()()()()知っている。最近はなんだかんだで週に一度は食事を共にしているからか話をする機会も多いのだ。

 

 アレン・フローメルを知っている者からすれば、彼が主神フレイヤと妹以外に気を払うなど驚天動地のことであるのだが、元より他の眷属と交流など持たぬ主義であるアレンは、他の眷属たちが自分のことをどう思っているかなど気を払うこともなかった。

 

 彼の女神が言っているように、アレン・フローメルは『白兎』と仲良しであるというのは眷属たちに留まらず、オラリオ中に知れ渡っている最中であるのだが、やはり自分の風聞に気を払わない彼がそれを知るのは、もう少し先のことである。

 

「貴方やオッタルの見立ての通り、兎さんにはまだ早いのでしょう。けれど、私もアテナもだからこそ、そういう兎さんが見たいのよ」

 

 ヒトの苦しむ姿を見て喜ぶともなれば悪趣味とも思われようが、フレイヤもアテナも地上の子ではなく神であり、また彼女らのような考えは神の中では珍しい物でもない。もっと悪辣で子に害が及ぶ行為もオラリオの外では散見される。地上の子の感性においても、まだ理解の範疇にある分だけ、フレイヤやアテナはマシと言えるだろう。

 

 アレンは深く息を吐いた。元より、不利益を被っているのはアレンではなくベルである。生きるの死ぬのという問題であれば腰も上げようが、この程度であれば何ら問題はないはずなのだ。胸に燻る言いようのない感情を錯覚であると強引に処理し、アレンは御意と短く答えた。

 

 その心の動きが手に取るように見えたフレイヤは、下げられたアレンの頭を眺めながら笑みを深くする。あの人見知りのアレンに友達ができたのだ。『白兎』のことはお気に入りだが、その友達に自分の眷属から、それもあのアレンが収まるとは喜ばしいことだ。

 

 愛情の示し方が複雑なだけで、アレンはこれで情の深い子供である。そのアレンが『白兎』がアマゾネス・ストライクに挑戦するのを見れば、彼に何もしてあげない訳がない。今これからの『白兎』も楽しみであるが、フレイヤは何よりそれが楽しみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イリアスたちと別れ『聖域』を出たベルは、その足で『黄昏の館』に急ぎ戻った。今日は午後の訓練は休養。その担当であるティオナもフリーのはずで居場所は不明。最悪ダンジョンに走っている可能性もある。

 

 走って『黄昏の館』に戻る間不安だった。アマゾネスならば誰でもできるという話なのでティオナが捕まらないのならティオネでも良かったのだが、今の担当はティオナな訳で彼女に不義理はしにくい。ティオネも頼めばやってくれるだろうし、頼むことそのものにベルも抵抗はないのだが、それを理由にティオナが悲しい思いをしてしまうというのは本意ではない。

 

 しかし、女神が出張ることが決まっている以上、子供の都合で予定に穴をあける訳にはいかない。『黄昏の館』でティオナが捕まらなかったらティオネに頼むことになるだろう。ティオネも不在だったら……それなら問題ない気がしてきたが、誰か別のアマゾネスに頼むことになるのであれば本末転倒だ。

 

 ティオナが『黄昏の館』にいてくれることが一番問題がないし、嬉しい。その思いが天に通じたのか、ティオナは部屋で読書をしていたらしくベルが『黄昏の館』に飛び込んだ時には既に彼を待っていた。相当急いで走ってきたつもりだったが、アテナ・ファミリアの先触れは既に到着し、もう帰ってしまったらしい。

 

 自分はまだまだとしみじみと実感しているベルに、ティオナが寄ってくる。

 

「何かアテナ様とかフレイヤ様が来るんだって?」

「アテナ様はそう言ってましたね。僕がアマゾネス・ストライクに挑戦する所を見たいんだとか」

「…………え? ベル、アマゾネス・ストライクやりたいの? なんで?」

「アテナ・ファミリアのイリアスさんの話ではそれをやれば強くなれるということでした」

「んー、強くなれるとは思うよ? 思うけどさー」

 

 どうにもしっくりこない様子のティオナに、今さらベルは不安になった。基本的には他人を疑うことをしないベルであるが、やはり人間なのでどの程度信用できるかというのは相手によって異なるものだ。

 

 年齢からおそらくイリアスの方がティオナよりも冒険者歴は長いのだろうが、ベルにとってどちらが信頼できるかと言われればティオナの方である。そのティオナが首を傾げているのだから不安にもなるというもので、ではどうしたものかと相談しようと口を開きかけたその時、

 

「ここにおったんかベル! 話がちょー大事になってしもうてな。聞いてるとは思うんやけども、これからアテナとフレイヤが来るからそれまで準備して待っといてな。何や、身体あっためとくのがええて聞くんやども、ティオナ、どないなん?」

「人間とかはそうするらしいねー」

「……アマゾネスはやらないんですか? その、アマゾネス・ストライクを」

「アマゾネス以外がアマゾネスみたいにするにはどうしたらってとこから始まったらしいよあれ。私もティオネも物心ついた時にはもう必要なかったし……あ、でもやってる所は見たことあるから私でもできるよ。ベルには私がやってあげるから安心してね」

 

 にっこりほほ笑むティオナを見ると、やっぱりまたの機会に、とは言えなくなってしまった。勢いで話に乗るとロクなことにならないんだな、と今更ながらに学びつつ、ロキの勧めでゆっくり熱めのシャワーを浴びてから訓練場に戻ると、今日のゲストが勢ぞろいしていた。

 

 フレイヤ・ファミリアからは主神フレイヤと、その供としてアレンがきていた。ひらひら手を振るフレイヤに頭を下げてからアレンを見ると、苦々しい表情を浮かべた――つまりはいつも通りの表情をしたアレンがいた。

 

 そのアレンにも頭を下げ、アテナ・ファミリアの方を見る。眷属の訓練を眺めるのが趣味のアテナであるが、自身は訓練をする訳ではない。

 

 先程『聖域』で見た時もドレス姿だったが、今は違うドレスを着ている。お化粧にもドレスのレベル的にも、気持ち気合が入っているのが見て取れた。まだ何も始まっていない今の段階で、興奮冷めやらぬといった風で、ロキに熱く今の気分を語っている。手に汗握るとはこのことだろう。

 

 一応、今回の主催であるロキは隣にお気に入りであるアイズと、団長のフィンを侍らせている。神が集まる時は神のみが参加を許される『神会』を除いて、誰か一人は眷属を侍らせる慣例なのだ。他の女神が一人の所にロキだけ二人連れているのは、主催が誰であるのかを明確にするためだ。

 

 一礼し、ベルは彼女らの前に立った。何しろロキ・ファミリアの本拠地である。訓練場の周辺には暇を持て余したロキの眷属の面々がおり、その中にはリヴェリアやレフィーヤの姿もあった。こういう時の定位置なのかエルフはエルフだけで固まっており、リヴェリアを先頭にその隣にレフィーヤ、アリシアの姿もある。

 

 物見遊山の気分でいるのかと思えば、揃いも揃って深刻な顔をしている。中でもレフィーヤは今にも卒倒しそうな顔色だ。まるで死地に赴く人間を見送るような有様にベルの内心も穏やかではなくなるのだが、状況がそれを待ってくれない。

 

 意を決してベルはティオナの前に立った。ロキたちの前、入念にストレッチをしていたティオナはやってきたベルを見て微笑む。

 

「ベル。準備できた?」

「はい。シャワーを浴びて身体もほぐしてきました」

「んー。もう少し時間かけた方が良いと思うけど、時間押してるみたいだしね。じゃあ、やろっか? アマゾネス・ストライク」

 

 ちょいちょい手招きするティオナに大人しく従う。いつもの装いのティオナはベルの身体を確かめるようにぱんぱん叩くと、両手をベルの肩に置いた。上から押され、それが座れという指示だと気づいたベルは大人しく腰を降ろす。ティオナも腰を降ろしたベルに合わせて膝をついた。

 

 目線と距離がいつもより近くなったことでティオナの整った顔が近くに見える。アマゾネスらしい薄着から見える胸元に、ベルは視線を彷徨わせた。温まった身体の体温が一気に上がる。

 

 ロキ・ファミリアでは主にベートなどがティオナのことをド貧乳などとからかっているが決してない訳ではない。大きい人たちと比べるとないように見えるがあくまでそれは比較しての話だし、別に小さい訳ではないというのがベルの認識だ。

 

 種族的にアマゾネスは豊満な体型をしていることが多いから、その特徴から外れたティオナをからかってのことだろう。最近ティオナと仲良しらしいリリルカは小人にしてはとても大きいらしいので、彼女とは逆のパターンである。

 

 そのリリルカよりも小さいとからかわれることもあるのだから、体型を気にしているティオナにも忸怩たる思いがあるのだろうが、それはベルの考えの及ぶ所ではない。

 

 今のベルからすれば胸の大きさについて論ずるのは意味のないことである。目の前に美少女がいて、しかも自分に密着しているのだから思春期の少年としては心も動くというものだ。

 

 どきどきしている内に、ティオナは細かな指示をしていく。既に向かい合うような形で座っているが、ベルは尻を地面につけ、ティオナに向けて足を広げるように姿勢を修正された。ティオナはそれに合わせてベルと同じように、しかしベルの両足の内側に足を合わせるようにして座る。

 

 ベルの手はティオナの両肩に置かれる。人間の身体の構造的にティオナの胸元が目の前に来るのだが、ティオナにそれを気にした様子はない。こんなことがあって良いのだろうかと視線だけを動かして周囲を気にするが、こういう時、決まって目くじらを立てるレフィーヤは今なお顔色を変えていない。彼女が気にする危険はまだ訪れてさえいないのだ。

 

「声は我慢しない方が良いらしいから好きに叫んで良いからね」

「…………え?」

「あと死ぬほど痛いらしいから頑張ってね。それじゃ、行くよー」

「あ、ちょっと待って――」

 

 

 

 

 

 

 

 その直後、『黄昏の館』にベルの絶叫が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東方においては股割りなどと呼ばれるこの試みは、神々が地上に降りたつよりも前、人間の格闘家がアマゾネスの種族的な柔軟さに目をつけ、教えを乞うたことが始まりとされる。

 

 とは言え、生まれた時からできるアマゾネスとしては、どうしたらそうなるのかと聞かれても解るはずもない。ならば無理やりやってみようと短絡的な考えで始まったこの方法は、やられる側の激しい痛みを無視すれば功を奏した。

 

 目標としたアマゾネス程ではないにしても比較的短期に、より確実に身体の柔軟さを手に入れた人間の格闘技術はそれまでよりも少しだけ高みに上ったという。オラリオでも徒手格闘を行う一派には取り入れられており、素手での殴り合いを主とするアテナ・ファミリアでは全ての眷属、あるいは候補生に義務付けられていることであるが、全ての探索系ファミリアに伝播している訳ではない。

 

 これを行えば全ての種族がアマゾネスのような柔軟さを手に入れられるかと言えばそうではなく、種族的に身体の固いドワーフなどには痛いだけで効果が非常に少ないと知られている。逆にアマゾネス程ではないにしても、身体が柔軟な狼人や猫人などは元々柔軟であるが故にドワーフとは逆の意味で効果が少ない。

 

 身体の柔軟さというのは種族だけでなく個々人においても差が大きく、人間でもアマゾネスのように柔軟な者もいれば、お前はドワーフかというくらい身体の固い者もいる。アマゾネス・ストライクはそういう者を対象に短期的に、より確実に身体の柔らかさを手に入れるための技術であるのだが、ではその柔軟さが果たして探索に必要なのかというのは、個々の判断による所である。

 

 ロキは『必要ないとは言わない』という消極的な賛成派だった。やりたい奴は好きにやれば良いという方針のため、興味がある者がティオナなりティオネなりに声をかけ、大抵が挫折して諦めていく。身体が柔らかいことに越したことはないが、これをやるくらいならば他にやることがあるだろう、というのが主流の考えである。

 

 旧友のフレイヤも似たような考えであるのだが、悟りを開いた修行僧のような顔でベルを眺めるロキと対照的に、フレイヤは恍惚とした表情を浮かべて、身も世もない悲鳴を挙げているベルを眺めている。反対側を見ればアテナなどは大興奮だ。

 

 自らの能力向上のため、痛みに耐える子供というのは一部の女神に非常に刺さるものであるらしく、定期的に子供にこれを施すアテナ・ファミリアに神々の訪問が絶えないのはこのためだ。

 

 卒倒しそうな表情でベルを眺めるレフィーヤを見ると申し訳ない気持ちになるが、悲鳴を挙げても痛いと口にしても、止めてくれとは言わないベルの姿には、ロキをしても心を打たれるものがあった。

 

 これを楽しむ感性というのは理解できないものであるが、定命の子供たちが少しでも前に進もうとするその姿勢は、貴いものであると思う。リヴェリアもレフィーヤもそう考えるからこそ、あんな顔をしてまでベルを止めなかったし、こうして見守っているのだ。

 

 神の恩恵を受けている身でも、アマゾネス・ストライクの効果が表れるのは個人差があると言う。痛みに耐えるベルはこれで終わりと考えているのだろう。

 

 継続して複数回やるのが普通だと知っても、きっと彼は首を縦に振るのだろうが。それを宣言され、絶望の表情を浮かべるだろうベルを想像し、ロキはいつもよりもずっと、彼に優しくしようと決めた。

 

 

 

 

 

 




次回からイシュタル・ファミリア編です。春姫が出ます!

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