英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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ギルドに行こう

 

 オラリオにおいて、一般人が逆らってはいけない組織というのは沢山あるが、その中でも三指に数えられるのがギルドである。

 

 ギルドは冒険者を管理統括する組織であり、ダンジョンから回収した利益を街に還元する業務も担うことから、不定期に開催される神の寄合、神会よりも実質的な権限は高いと目されている。

 

 ギルドの代表は神であるウラヌスである。これだけを見れば、ギルドはウラヌス・ファミリアであると捉えられなくもない。他のファミリアから出向しているレアケースを除けば構成員の全ては一般人なので、直接的な戦闘力は皆無とされているが、所属不明の冒険者が現れると、ギルドの非正規戦隊に違いないという噂が流れる辺り、表裏のない平和的な組織とは思われていないのが現状である。

 

 もっとも、そんな黒い噂もオラリオ歴が一週間に満たない、駆け出しの冒険者であるベルには関係がなかった。冒険者のフォローをしてくれるありがたい組織というロキの説明を額面通りに受け取った彼は、割り当てられた部屋でせっせと明日の準備を進めていた。

 

 必要事項を書く必要がある関係上、文字が読めないとその手続きには手間がかかるのだが、祖父から簡単な読み書き計算を教わっていたベルには問題なかった。

 

 全ての準備が整い、さて寝ようと思ったその時、ベルの部屋の戸がノックされた。

 

 は~い! と何も考えずに戸を開けたベルは、そこにいたとんでもなく美しいエルフに絶句し、軽いパニックになった。

 

 いきなり挙動不審になるベルがおかしかったのか、絶世の美女は腹を抱えて笑った後、明日ギルドに行くベルに、あれやこれやと世話を焼き始めた。彼の準備に抜かりはないかと一通り確認すると、リヴェリアはベルにある物を手渡した。

 

「ファミリアに所属しているという証明のためには、そいつを出すと良い。本当は明日の朝渡す予定だったのだが、今でも構わんだろう。今日はしっかりと寝て、明日に備えるようにな」

 

 言って、飲んだ後の割にしっかりとした足取りで去っていくリヴェリアに、母親の顔も良く覚えていないベルは母親の姿を見たのだった。

 

 

 そして、翌日。

 

 

 

 早朝に起床し、部屋で最低限の身だしなみを整えていると、昨夜に続きノックがあった。戸を開けると、やはりリヴェリアである。ベルの顔を見た彼女はずんずんと部屋に入り、文机の上に小さい鏡を置いた。

 

「自分の顔も見ずにどうやって身だしなみを整えるつもりなんだ、お前は」

 

 呆れた様子で溜息を吐いたリヴェリアは寝台に腰掛け、小さく手招きした。意味が良く解らなかったベルは目を瞬かせたが、彼女は苦笑し、今度は自分の膝をぽんぽんと叩いた。今度はベルにも『ここに座れ』という意味だと解ったが、それと同時に顔が真っ赤になる。

 

 意味の解らない言葉を発するベルに業を煮やしたリヴェリアは、問答無用でベルの手を掴むと強引にベルを自分の膝の上に乗せた。がちがちに固くなるベルを他所に、リヴェリアはその納まりの悪い白い髪に手櫛を入れていく。

 

「お前と違って、髪は根性が曲がっているな。世話のやりがいがあるとも言うが」

 

 よし、と仕上がりに満足のいったリヴェリアはベルを立ち上がらせ。自分の正面に立たせる。神も嫉妬するというリヴェリアの整った顔立ちが間近に迫り、ベルのドキドキは頂点に達していたが、彼女はそんな少年の気持ちなど知りもしないとばかりに顔を近づけて、服装をチェックしていく。

 

「まぁまぁだな。今の状態が最低限だから、良く覚えておけ。これ未満で外に出てきたら、きついお仕置きが待っているからそのつもりでいろ」

「わ、わかりました」

「よし。では気をつけて行って来い」

「いってきます!」

 

 逃げるように自分の部屋を出ていくベルを、リヴェリアは苦笑と共に見送った。

 

 生まれた煩悩を振り払うように、教えられた道を全力で駆けたベルは、予定の半分の時間でギルドに着いた。途中、リューに会うために『豊穣の女主人』亭に寄ったのだが、それでもまだ時間には相当の余裕があった。

 

 オラリオでも有数の壮麗な建物の門を潜ると、朝一番にも関わらず冒険者の姿が沢山あった。登録以外にも様々な要望を聞いているというが、早朝でもこれだけいるのだから、混雑する時間はどれくらいになるのだろう。まだまだ田舎者であるベルは人の多さに気を飲まれそうになるが、これが自分の冒険者としての第一歩と気合を入れ直して、手近な順番待ちの列に並んだ。

 

 周囲にいた冒険者は、小柄で童顔で全く冒険者に見えず、武装もしていないベルに奇異の目を向けていたが、初めてのギルドで緊張してたベルは、そんな視線に気づく余裕もない。緊張したまま順番を待ち、やがてベルの番が来る。

 

「ギルドにようこそ」

 

 にっこりと、営業スマイルを浮かべた受付嬢の耳はピンと尖っていた。またもエルフである。縁があるなぁ、と思いつつ、ベルはリヴェリアに教えてもらった内容を思い返し、

 

「え~っと……冒険者の登録をお願いしたいんですが」

「かしこまりました。失礼ですが、所属はどちらで?」

「ロキ・ファミリアです」

 

 ベルの告げたそのファミリアの名に、周囲に騒めきが走った。それが『ふかし』である可能性もないではない。どこのファミリアにも入れなかった人間が奇行に走ることは、数年に一度くらいではあるが、あるのだ。この小僧もそうなのだろうと思い、周囲で成り行きを見守っていた面々は、ベルがカウンターに置いたものを見て、沈黙した。

 

 古ぼけた、しかし凝った意匠のメダルである。

 

 ロキ・ファミリアが結成された時に作られたそれは、言わばファミリアの認印のようなもので、黄昏の館にはこれと同じものが 後何枚か存在する。ベルが今回持ち出してきたものは、リヴェリアの執務室から借りてきたものだ。

 

 メダルを見て、周囲の面々は流石にベルの言葉が本当のことなのだと理解した。

 

 ファミリアに入ることのできなかった人間が大嘘を吐いたくらいならば笑い話で済むが、エンブレムまで持ち出しては、嘘でしたごめんなさいでは済まなくなる。このオラリオでは神に不敬を働くとそれだけで罪になるが、神の作ったファミリアを騙ることも同様に罪なのだ。エンブレムを偽造してギルドでそれを見せたとなれば、よほど複雑な事情がない限り実刑は免れない。

 

 もっとも、こういう行き違いやアレな子供の出現を防ぐために、ギルドは神同伴での登録を勧めてはいるのだが、ギルドでまで子供につきまとって嫌われるんも嫌やし……と、神々には評判がよろしくない。やりたいことは是が非でもやるくせに、妙なところで体面に拘るのが、神々のおかしなところである。

 

「……確かに本物のようですね。確認しました。それでは、書類を提出の後、簡単な講習を受けていただきます。講習は引き続き私が担当しますね。え~っと…………ベル・クラネルさん。申し遅れました。私はエイナ・チュールと申します。本日は、よろしくお願いします」

 

 にこやかにほほ笑むエイナに、ベルはほんわかした気分になった。

 

 仕事のできそうな人で安心だ。やっぱりエルフの人って頼りになるなぁ、と喜んでいたのもつかの間。冒険者としての予習どころか、冒険者を目指す者ならば当然知っていそうなことを全く知らなかったベルに、講習を開始して十分で、エイナはキレた。

 

 デキる受付嬢の雰囲気はもうなく、そこにいるのは近所の世話焼きお姉さんといった風の、年齢相応の女性だった。

 

「ベルくん。君は冒険者というものを舐めています」

 

 断定されてしまった上に、エイナは口調まで変わっていた。思わず椅子の上で姿勢を正したベルに、エイナは教師のように説教を続けた。

 

「心構えもできてないと、いざという時大変なんだからね? 冒険者のいざという時って、どういうことか解る?」

「え~っと……死にそうな時ってことでしょうか?」

「その通り! まぁ、その辺りはファミリアの誰かが教えてくれると思うけど。人が多いとこういう時は助かるよね。これでベルくん一人のファミリアとかだったら、私胃に穴が開いてたよ」

 

 ここではないどこかの世界のことを想像してお腹を押さえるエイナに、ベルは苦笑を浮かべる。

 

 ギルドの職員というのは皆こんなに親切なんだろうかと疑問に思うが、何となく、このエイナが特別なような気がした。特に根拠はないが、強いて挙げるとしたら彼女の尖った耳が原因である。

 

「ご家族に仕送りをしたいって人も結構いるから、本当ならその説明もここでするんだけど、それは必要ないのよね?」

「僕、家族はファミリアの人たちしかいないので……」

「そう。ごめんね? 悪いこと聞いちゃって」

「いえ、冒険者になるっていうのは、おじいちゃんに勧められたことでもありますから……」

 

 ベルの言葉には、勧められたのだからなって当然、というくらいに祖父への信頼感が感じられた。家族仲が良いのは勿論良いことではあるのだが、祖父がいなくなって天涯孤独ということは当然、ベルには他に家族がいないということになる。その祖父が存命の時も、ベルと二人で暮らしていた可能性が高い。

 

 つまりは祖父から見ても、ベルはたった一人の家族であった訳だが、その家族に危険と隣り合わせの冒険者という職業を勧めることに、エイナは抵抗を覚えていた。亡くなったそのお爺さんに軽い文句の一つも言ってやりたい気分だが、その家庭にはその家庭の事情がある。ベル本人が抵抗を覚えているのであれば、今からでも遅くはないと力の限り止めただろうが、彼は彼で乗り気である。

 

 男性にしては聊か頼りない容姿を見ていると、本当に冒険者なんてできるんだろうかと不安になってくるが、ロキ・ファミリアくらい大手で優良なファミリアであれば、大事にはならないだろう。そう思ってエイナは自分を納得させようとしたが、母から受け継いだ世話焼きの気質は、そこで留まることを由としなかった。

 

 念のため、これは念のため……と心中で念じながら、エイナは手近にあった便箋を取り手紙を書き始めた。

 

「……さて、こんなところかな。くれぐれも無理をしたりしないこと。先輩の言うことはちゃんと聞いて、なるべく安全に冒険してね?」

 

 安全な冒険はもはや冒険ではないのでは、とベルは思ったが口にはしなかった。兄弟姉妹のいなかったベルだが、このエイナのことはどこか姉のように感じていた。祖父が言うには、姉というのはこの世で最も恐ろしい生き物で、怒らせると地の果てまでも追いかけてきて、弟に酷いことをする生き物だという。

 

 祖父の姉も美しい人だったそうだが、それ以上にとてもとても恐ろしい人だったようで、姉の話をする時の祖父の顔は、いつも青ざめていたことを、ベルは良く覚えている。

 

 エイナに地の果てまで追いかけられる自分を想像するが、祖父が語った程に怖くはない。きっと祖父の姉が特別怖くて、エイナさんは優しいお姉さんなんだろうと勝手に解釈したベルの前で、優しいエイナさんは手紙の最後をサインで結ぶと、それを封筒に入れて、ベルに差し出した。

 

「それからこれ。ベルくんからリヴェリア様に渡してもらえる?」

「エイナさん、リヴェリア様とお知り合いなんですか?」

「母の親友なの。それで今も付き合いがあるのよ?」

 

 へー、とベルは感心しながら手紙を受け取った。世界は狭いものである。もしかして自分の知り合ったエルフの人は、皆知り合いなんじゃと思えてくるが、リューには特にエルフの知り合いはいないというから、きっと勘違いだろう。

 

 昨日の今日なので大丈夫かしらと訪ねた『豊穣の女主人亭』では、リューが特に変わった様子もなく出迎えてくれた。昼食の予定がないのならとお弁当まで持たせてくれたのだが、その包みを受け取った時、ミアを始め従業員全員が気の毒そうな顔をしていたのが、ベルの印象に残った。

 

 まさか毒でも、と一瞬だけ疑ったベルはそんな自分を恥じた。エルフのリューがそんなことをするはずがない。

 

「あ、今思い出したんだけど、エルフのお嫁さんを貰ったのに、養いもしないで働かせてるロクデナシっていうのは、もしかしてベルくんのこと?」

「どこからそんな情報が!?」

「冒険者の人たちが皆噂してたよ。今日一日はその噂で持ちきりなんじゃないかな」

 

 エイナからは生暖かい視線が注がれている。噂は噂であると本気にしていない様子ではあったが、火のない所に煙は立たないと、ベルにも何か原因があるのだと決めかかっている風だった。

 

 どうしてああなったのか。ベルには全く原因が解らなかったが、既にお嫁さんを貰っていると、事実に反する話が広まっているのならば、火消しをしなければリューにも迷惑がかかってしまう。

 

 結局、講習にかかった以上の時間を噂の言い訳に費やしたベルは、来た時よりも大きく疲労した様子でギルドを後にした。疲れたらお腹が空いた。黄昏の館(ホーム)に戻る前にご飯を食べようと、ギルド近くで公園を見つけたベルは、そこのベンチでリューからもらったお弁当を広げ、サンドイッチを口に入れた。

 

 

 ベルが意識を取り戻したのは、それから一時間後のことである。サンドイッチのあまりのマズ――いや、個性的な味に自分を戒めたベルは、これからリューには誠実に接し、優しくしようと心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、私のところに戻ってきた訳か」

「はい。これがそのお手紙です」

 

 ベルから手渡された手紙を、リヴェリアはさっと一読し、視線を上げた。容姿に優れると評判のエルフであるが、リヴェリアはその中でも飛びぬけて優れた容姿をしていると言われている。

 

 そんな絶世の美人が機嫌良さそうにほほ笑むのを見てベルはどきりとしたが、それ以上にあまり良くない未来をその笑顔に見て、思わず身構えてしまう。言えば本人は喜ばないだろうが、こういう時の顔は主神であるロキにそっくりである。

 

「エイナはお前が相当に頼りなく見えたらしいな。お前のことをくれぐれもよろしく頼むと、この手紙で念を押されたよ」

 

 本当は非常に堅苦しい言葉で持って回った言い回しが使われていたのだが、要約するとそういうことだ。あの娘はエルフの王族を里から連れ出すくらい豪胆な母親に似て、困っている者を見ると放っておけない性質らしい。

 

 リヴェリアの言葉に、ベルはがっくりと項垂れた。頼りがいのある男に見えると思ったことなど一度もないが、改めて言葉にされると堪えるものである。

 

 しょぼんとするベルに、リヴェリアはリヴェリアで母性本能が擽られるのを感じていた。

 

 どうやってベルへの監督を切り出したものか一日考えていたのだが、エイナからの手紙はリヴェリアにとって渡りに船だった。これがアイナの娘の手によって成されたのだと思うと、運命を感じずにはいられない。久しく顔を見ていない親友に感謝しながら、リヴェリアは一つ咳払いをし、ベルに向き直った。

 

「だが、よろしく頼まれたところで、私にも立場がある。ロキが直接ねじ込んだお前を、さらにレベル6で副団長の私が面倒を見ているとなれば、他の団員からは贔屓をしている、されていると思われるのは間違いがない。それは私にとっても、お前にとっても、ロキにとっても良くない結果になる。それは解るな?」

「解ってるつもりです」

「ならば良い。しかし、親友の娘たっての頼みを断ったとなれば、私があいつに顔向けできなくなる。そこでだ。私が推薦するある女に、お前の指導監督を任せようと思う。これからはその者を、師として仰ぎ、先達として崇め、姉として慕い、大いに尽くすように」

「先生をつけてくれるんですか?」

「先生というほど堅苦しいものではないが、似たようなものだ。これはロキにも許可を取ってある。これからはその者とダンジョンに潜ることになるだろう。ロキ・ファミリアでは、レベル1の間は、それ以上の者に監督してもらう習わしがあるのだ。普通は複数人でパーティを組むのだが、そいつならば一人で十分だろう」

 

 リヴェリアからの推薦でその団員が面倒を見るのならば、遠回しにそれも贔屓とされるのは否めないが、何度も直接面倒を見るよりはマシだろう。いずれベルが成長し、今の幹部たちと肩を並べるようになれば、やっかみも消えるはずだ。そこに至るまで、どの程度の時間がかかるか知れないが、人間の成長をゆっくり待つのも悪くはない。

 

 いよいよ冒険だ、と一人わくわくしてるベルに、リヴェリアはそっと慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。

 

 




原作を読み返していたらリヴェリア様はお酒を飲まれないと聞きました。
……あの時は祝いの席だったから、という理由で一つ。

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