英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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『怪物祭』①

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君一人?」

 

 俯いていた顔をあげ、声をかけてきた女性を見る。二十歳に僅かに届かないくらいの人間の女性だ。雰囲気から冒険者ではなく観光客という風でもない。オラリオ在住の一般人で、おそらくは現在恋人がいない人間の女性だ。

 

 苦笑を浮かべてリリルカは首を横に振った。懐から赤い造花を出すのも忘れない。それは待ち人がまだ来ていないというだけで今日この日に相手がいるという証明だった。女性は目に見えてがっかりした表情を浮かべたが、あっさりと引き下がってくれた。安堵の溜息を吐いたリリルカは苦笑を浮かべたままその背中を見送った。

 

 これで六人目である。

 

 今日は『怪物祭』の当日だ。相手は外で待ち合わせをしようというのでそれに付き合った形だが、それはリリルカにとっては不本意なものだった。同じ所に住んでいるのだから一緒に出れば良いのでは? と思っていたことを直接言ってみたのだが、こういうのは雰囲気が大事なのだと押し切られてしまった。

 

 その意見には同意できるところもあるし、何よりリリルカには相手の意見に異を唱えられるような立場ではない。意見は言うが最終的には相手に従う。それが今のリリルカ・アーデだ。意見も言えなかった今までに比べれば雲泥の差である。

 

 意見を言うことを許してくれる相手は、まだこの場に現れてくれない。この場――デートの待ち合わせ場所としては定番の一つ。ベルたちが待ち合わせをしている噴水とはまた別の噴水だ。

 

 噴水ならばどちらも同じではというのがリリルカ個人の考えであるが、街の中央に近い方が人気があるらしい。ベルたちの待ち合わせは一番中央に近く、リリルカが今いるのは彼女らの『本拠地』である『黄昏の館』に最も近い。

 

 やはり一緒に『黄昏の館』を出るべきだったのでは。そう考えるリリルカの恰好はいつものものと異なっていた。

 

 髪はちゃんと撫でつけて後ろで一つに縛っている。肌の露出は最小限にし、ズボンの丈も足首までのもの。いつもは白やら赤など、暗いダンジョンでも目立つ色を使っているが、今日は黒や草色などダンジョンではまず着ない色の服を着ている。

 

 総じて、年頃の少女が好む色でも服でもない。元の顔だちと種族も相まって、今のリリルカは人間の少年に見えていることだろう。

 

 それがリリルカの狙いでもあったのだが、流石に片手の指では数えられないくらいに女性に声をかけられると気分も滅入ってきていた。()()()で並んで歩くことが恥ずかしく思えたのでいっそ少年に見える服を着れば良いのでは、と思ったのが良くなかった。カップルの定番イベントだからと言って、カップルだけが来ている訳ではない。

 

 観光客もそこかしこにいるし、オラリオの住民も遊びに出ている。中には女同士、男同士で楽しんでいる者もいれば、一人でうろうろしている者もいる。一人でうろうろしている者にとって余っている異性というのは目の前にぶら下げられたエサなのだ。

 

 中には好んで一人でいる者もいようが、そうでない者の方が多いというのが今日この日を迎えたリリルカの感想である。

 

「お待たせ」

 

 声をかけられそうな視線を感じ、場所を移動しようか本気で考えていた頃、ようやく待ち人が現れた。

 

「待った?」

「少しだけ。でも、今来た所です」

 

 差し出されたティオナの手を取り立ち上がる。

 

 少年のような恰好をしているリリルカであるが、ティオナの恰好も普段とは違う。アマゾネスというのは仰ぎ見る主神に関わらず肌の露出を好む傾向にある。ロキ・ファミリアのヒリュテ姉妹もこの例に漏れず、ティオナもダンジョンに行く時は元より平素も肌の露出を避けない傾向にある。

 

 だがこれも絶対ではないらしい。肌の露出を好むことに宗教的な理由がある訳でも、ある種の強迫観念を持っている訳でもない。先祖も今も生きる同胞もこうであるから、自分もこうするという消極的な種族的特徴とでも言うのがアマゾネスのファッションだ。単純にその方が動きやすいというのもあるだろう。

 

 故にアマゾネスが他の恰好をするのに、特別な抵抗がある訳ではない。特別な理由は必要であるが逆にそれさえあればアマゾネスだって肌の露出をしないし、エルフのような服を着て街を歩くこともあるのだ。

 

 淡い色のブラウスにチェックのロングスカート。細かなアクセサリーこそアマゾネスといった風であるが、全体を見ればアマゾネスとは思われないだろう。ティオナ・ヒリュテの顔と名前を知らなければ、普通の年頃の少女にも見える。

 

「今日はそういう恰好なんですね」

「尾行するなら目立つ格好はできないしね」

 

 リリルカの言葉には『そういう服も持ってたんですね』という意味も込められていた。アマゾネスのイメージではないこの服は、見た感じおろしたてという風でもない。以前からこういう服を持っていたのだとしたら購入した経緯も謎だが、アマゾネスとてこういう服を着たくなる時は普段からあるのだろうと考えることにした。土台、ファッションについて他人にとやかく言える程、リリルカも精通している訳ではないのだから。

 

「リリも何だか男の子みたいだね」

「女二人というよりは、男女の方が目立たないかと思いまして」

 

 いかにも気を回しましたという風に言うと、ティオナは納得してくれた。女二人でカップルの祭典を歩くのはみっともないと思いましたと、正直に言うのは憚られたのである。

 

 人間の少年に見える服を持っているのもファッションではなく自衛のためだ。小人の少女というのは冒険者の中ではとかく下に見られるために、特に同業者からウザ絡みをされることが多々ある。

 

 その点、人間の少年に擬態することができれば問題はある程度解決できる。小人の少女が冒険者をしていることはままあるが、小人の少女が男装して誤魔化せる範囲の人間の少年が冒険者をしている可能性は皆無に近く、小綺麗な恰好をしていれば孤児にも見られることはない。

 

 細かな種族的特徴も魔法で調整すればどうということはないし、少女にしか聞こえない声も声変わり前と押し通せば通じる。問題があるとすればリリルカの実年齢よりも大分若く見えるということだが、小人の少女に見られなくなることに比べれば些細な問題ということで今まで気にしたことは一度もなかった。

 

 少年のふりをしている時は面倒なトラブルに巻き込まれたことはなかったから、リリルカはずっと自分の擬態に何も問題はないと認識していた。その認識に間違いはなかったのだが、それはリリルカ・アーデという小人の少女の顔が周囲に知られていない前提での話だ。

 

 『戦争遊戯』が終わり、『白兎』ベル・クラネルはまたその名声を高め、その『白兎』に助けられた小さなシンデレラの名前と容姿はオラリオ中に知られることになった。『戦争遊戯』の興奮を座敷牢の中でやり過ごしたリリルカにとっては、世間と自分の認識の乖離についてまだ理解が追いついていなかったのだ。

 

 同道するティオナは元々オラリオでも上位に入るレベル5で『大切断』の二つ名を持つ第一級冒険者であり、こちらは元々顔が売れている。

 

 有名人が二人並んで歩いているのだから人目を惹くのは当然のことだが、噂程度に彼女らのことを知っているオラリオの住民たちからすると、今の彼女らの恰好は奇妙の一言に尽きた。

 

 エルフのような装いのティオナが、どういう訳か男装しているリリルカを伴って歩いているのだ。

 

 アマゾネスがエルフのような恰好をしているというのはまぁ良い。ファッションというのは必ずしも民族的な主義主張を掲げてするものではない。

 

 エルフがアマゾネスのような恰好をすれば社会問題にもなろうが、逆な分には変わり者がいるなと思われるだけで済む。とにもかくにもアマゾネスだ。他種族のオスを狩ることに余念のない彼女らであるから、それが男を狩るために必要なことなのだと言われれば、大抵の者は納得する。

 

 これで隣を歩いているのが他種族のオスであれば話は早かったのだが、隣を歩いているのは間違いなくリリルカ・アーデであったし、オラリオの基準で言えば彼女はどう見ても男装していた。しかも堂に入っている。中々の美少年っぷりだ。

 

「あ、忘れてました。ティオナ様」

 

 少々お顔を。リリルカの手招きに大人しく顔を近づけたティオナの髪に、リリルカがそっと懐から取り出した赤い造花を差し込む。髪の短いティオナには少々収まりが悪かったが、そこは商売上手のファミリアが手掛けた商品である。髪飾りとしてもしっかり機能するよう、オプションも万全なのだ。

 

「この方が目立ちませんよ」

「リリってば賢いね」

 

 見ない組み合わせが見ない恰好でカップルの装いをしてカップルのイベントに繰り出していく。居合わせた者たちにとっては訳の解らないことばかりだったが、とりあえず目の前で起こったことは見たままのことなのだと認識して知り合いに言いふらすことにした。

 

 翌日、男にモテない貧相なアマゾネスがついにおかしくなって、立場の弱い小人の少女を男装させてまでカップルの祭典を連れ回したと噂が広まることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでベル様たちを尾行するというお話でしたけど、何かプランがあるんですか?」

「ないよー。必要ないかなって」

 

 ほらあれ、とティオナが指さす方を見ると、物陰にひっそりとエルフが佇んでいるのが見えた。ロキ・ファミリアの冒険者で、リリルカも顔と名前くらいは知っていた。ティオナがにこやかに手を振ると、あちらも手を振り返してくる。

 

 人目に付かないように、というよりは特定の相手の視界に入らないように振る舞っているように見える。尾行ではなく監視の要員だ。この場所をフォローしているのが彼女だとすると、他の場所にも人員が配置されているはずで、イベントの規模と彼女らのグループの大きさを考えると、相当な範囲をカバーしていることは想像に難くない。

 

「あれでベルのフォローするんだって。レフィーヤにはバレないようにベルを誘導するらしいから、見失うこともないよ」

「バレないものなんでしょうか。あれで」

 

 監視をされていてもそれが知らない相手であれば風景に溶け込むこともあろうが、知り合いばかりがそこかしこにいたら、いくら察しの悪い者でも気づく可能性が高い。監視をしているエルフも別に監視のプロという訳でもあるまいし。せっかくのデートの日なのにデバガメされていると解ったら、いくらレフィーヤでも傷ついてしまうのでは。

 

 そんな懸念が顔に出ていたのだろう。ティオナは笑みを浮かべて手をぱたぱたと振る。

 

「大丈夫だって。今日のレフィーヤはベルのことしか見えてないから」

「……それはそれで悔しいような気がします」

 

 懸想をしていると言うと大それた感じがするが、リリルカの中で今最も憎からず思っている異性はベルである。そのベルに他の女性が懸想をしているというのは、控えめに言っても愉快な話ではない。

 

 立場のある人間が異性を複数囲うという話は珍しい話ではないし、獣人やエルフの間には複数の夫や妻を持つ種族もあるが、全体としては一夫一妻を押し通す国や都市の方が多数派である。

 

 オラリオはその点については寛容で、ここで生まれたリリルカもそういった習慣には理解があるものの、個人の主義主張としては一夫一妻派だ。

 

 ベルの周囲にある女性としてはリリルカは最も後発で、現在は最も立場が低い。言えた義理ではないというのは解っているのだが、それは感情と別のものだ。

 

 平素であれば口にすることさえなかっただろうが、今日のティオナ相手ならば許してくれそうな気がした。事実、ティオナは笑って同意してくれる。

 

「ティオナ様はそれで良いんですか?」

「良いに決まってるじゃん。だって私はそれ以上のことをしてもらえるんだから」

 

 当然といった風でティオナは言い切る。その姿はまさに恋に夢見る乙女……と言えれば良かったのだが、遠目にベルたちの待ち合わせ場所を見るティオナの横顔はこれまで裕福でない生活を送ってきたリリルカには馴染み深い、何が何でも取り立てるという歪んだ意思を持った場末の借金取りと言った風である。

 

 つまりは恋する乙女というのは狩人であるということか。これをレフィーヤがやっていたらまた違ったのだろう。全くアマゾネスというのは損なところがありますね、と他人事のように考えながら、リリルカもティオナの視線を追う。

 

 カップル待ち合わせの聖地、中央の噴水の縁にレフィーヤ・ウィリディスが立っている。余所行きの恰好、軽いお化粧、髪には今日の主役の証である赤い造花が差し込まれている。ティオナのように同性に差し込まれたものとは違う、正真正銘主役の証だ。

 

 俯き、じっと佇んでいるレフィーヤのことを、周囲の人々は微笑ましそうに眺めている。彼氏待ちの少女というのは誰の目にも明らかだし、彼女本人もそれなりの有名人である。相手がベル・クラネルというのも想像に難くない。

 

 十代の少年少女のせっかくのデートなのだ。ヤジウマをしたいという気持ちは周囲の者たちにもあったが、邪魔をしない程度の風情を理解する心はあった。気分を害するような悪質なナンパに絡まれることもなく、レフィーヤはただ待っている。

 

 あれが乙女の姿ってものですよね、と思いながらリリルカは時計を見た。

 

 今日のリリルカの予定は、ベルたちについていくのに都合が良いようにとティオナが組んだものだ。ベルたちが無事に合流した後は案内のエルフたちに従うとして、当日の待ち合わせ場所を知っていても、既にベルたちが出発した後では意味がない。

 

 最低限、ベルたちの合流よりも先に待ち合わせ場所に来ている必要がある。つまりリリルカたちの予定は、ベルたちの予定を想定してかなり余裕を持って組まれた物なのだが、リリルカたちがここに来た時点で、レフィーヤは既に待ち合わせ場所にいた。

 

 時刻は今午前九時十分。半端な時間に待ち合わせるとは思えないから本来の待ち合わせはおそらく午前十時。ベルが時間通りに来たら一時間は待つことになるが、それより早く来てくれるという確信がレフィーヤにはあるのだろう。

 

 何とも甘酸っぱいことだ

 

 定番のコースとしては早めに待ち合わせをして二人で街を少し散策。ランチを一緒にとってショッピングを楽しみ、午後の『怪物祭』を一緒に鑑賞して夜の街に――

 

(そして朝帰り……は無理ですよねぇ)

 

 定番であり、大抵の若者の願望であるが、風紀的にリヴェリアが許してはくれないだろう。目をかけている二人が揃って朝帰りとなったらお説教では済むまい。

 

 ロキやフィン辺りは歓迎しそうであるが、ファミリアの心的な立場としてはリヴェリアの方が上の気配である。年齢のこともあるし、リヴェリアが早いと言えば早いのだろう。

 

 いくら若い勢いがあると言っても、相手はベルでレフィーヤだ。まさか一足飛びに大人の階段を登ったりはしないだろうとリリルカも安心している。勢いだの熱意だのが理性や常識を必ず上回るのであれば、世の中の未婚の男女はもっと少ないに違いないのだ。

 

 さて、と買った飲み物に口を付けているとレフィーヤの元に走ってくる少年の姿が見えた。そのベルを見て――リリルカは目を丸くする。横で眺めるティオナも同じような顔をしていた。

 

 お洒落というのは知識と経験が物を言う。流行の速度やら人種の多様さなど様々な影響が加味されるため、田舎者が都会者に洗練の度合いで劣るのは仕方がないことなのだ。

 

 加えてアールヴ領都とオラリオでの流行が異なるように、お洒落というのは万国共通ではない。誰が、何処で、どういう状況で、連れが誰かなど、様々な要素を加味して行われるものをコーディネートと呼ぶ。

 

 究極的にはセンスが物を言う世界であるが、ある程度までは知識と経験で何とかなるのは戦闘技術やリズム感と同じである。掴んだ結果こそ非凡なベルであるものの、蓄積された知識やら持って生まれたセンスやらに光る物があるとは言い難い所がある。

 

 少なくとも素晴らしいお洒落さんということはない。そのベルが今日初めてのデートなのだ。ティオナにデートを持ちかけられて以来、ベルには干渉しないようにしていたが、これでクソダサい恰好で現れてレフィーヤに幻滅でもされたらこっそり慰めてあげようと密かに思っていたことは、リリルカの杞憂に終わった。

 

 白のズボンに赤のシャツ。深緑のベスト。見立てた者はよほどの自信があったのだろう。余計な要素のないシンプルさが、ベルの白髪赤目の容姿にも馴染んでいる。服は高い程良いという者も多いが、遠目に見る限りではお高いお店のオーダーという風ではなく、既製の服をベルに合わせた物のようだ。

 

 それが行き過ぎた背伸びが滑稽に見えるという悪い結果を防いでいる。背伸びをしつつも常識の範囲内に押し込みつつ、それが押しつけがましくもない。見る相手にとっては『自分のために努力してくれた』という風が刺さるのだろう。

 

 そしてリリルカの見る限りレフィーヤはそのタイプだ。ベルの姿を見たレフィーヤは口を半開きにして目を丸くしている。程よいお洒落をしたベルが余程意外だったのだろう。その気持ちはリリルカにも良く解った。

 

 待った? という定番のやり取りをしているのだろう。ベルのかけた声にレフィーヤの反応が少し遅れる。今来た所です! と誰が見ても解る嘘を返したのだろうレフィーヤに、ベルが苦笑を浮かべたのが見えた。それを態々突っ込まないのがお約束というもので、男の役目だ。

 

 笑みを浮かべたベルが、左手を差し出す。そつのない恰好の割に、動きはぎこちない。これも服を見立てた者の入れ知恵なのだろうが、それを完遂するにはベルには経験が足りなかったようである。

 

 だがそのぎこちなさが、たまらなく愛おしく見える者もいるのだ。差し出された手を無視してレフィーヤは、ひったくるようにしてベルの腕を掴んだ。ぎこちなさは残るが、こちらは勢いで押し通した格好である。

 

 耳まで真っ赤なのが離れた所からでも見て取れる。年頃のエルフの少女にとっては、普段のダンジョンよりも大冒険だろう。それは人間の少年にとっても同じだ。手を繋ごうとするのもベルにとっては大冒険だったのだが、レフィーヤはあっさりとそれを超えてきた。

 

 とっさに悲鳴を挙げようとして――堪えた。何でもない。これは予定通り。僕は何も慌ててませんとレフィーヤと共にこちこち歩いて行く。あれでは今度の予定も全て飛んでいるのではないかと思わないでもないが、そこはデバガメエルフたちの想定の通りだ。

 

 レフィーヤには見えない位置からベルを誘導し、今回のデートコースへと先導していく。まずは大通りを見て回るのだろう。お洒落なランチの前には定番のコースである。

 

「じゃ、私たちも行こうか」

 

 あれだけ幸せ一杯のカップルを追い回して空しくならないんでしょうか。やっぱり止めませんかと言うことをリリルカは諦めた。いつか自分はそれ以上のことをしてもらうつもりのティオナはむしろ、先のやり取りを見てテンションをあげていたからだ。

 

 虚しさと戦うのは自分だけだと知ったリリルカはひっそりと溜息を吐き、ティオナに引きずられるに身を任せた。いつか絶対リリもああしてもらうんですから。そう割り切れるようになるのは、もう少し先のことのようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お洒落な服に袖を通して人格までお洒落になった気でいたベルは、それが錯覚であったことにすぐに気づいた。

 

 待ち合わせ場所にいたレフィーヤはいつにも増してかわいくて、思わず見とれてしまったほど。そんなかわいいレフィーヤと一緒に今日は『怪物祭』を楽しむということに相成った訳だが、腕を掴まれて歩き出してからベルは自分の準備不足を悟った。

 

 予定はあるのだ。打ち合わせは昨日のうちに呼び出されてしたし、そもそもそこかしこにエルフが潜んでレフィーヤにバレないように誘導してくれている。それは良いのだが、人間やエルフというのは目的地から目的地まで一瞬で移動できる訳ではない。

 

 その間、自分の足で歩いていかなければならないのだが、その間何を話したら良いのかベルには皆目見当がつかなかった。

 

 今日のこのイベントが特別なものであるというのは解る。世間一般で言う所の『デート』なのだろう。レフィーヤとの間柄が世間的にはどうであるのか。その辺りは置いておくとして、特別な今日のこの日用の会話というのが、ベルには解らなかった。

 

 普段してるような話をしても良いんだろうか。特別な日なんだから、何か特別な話題をするべきなのでは? そもそも『怪物祭』について良く知らない。オラリオに住んでいる期間はレフィーヤの方が長いのだから、自分が知っているような話はレフィーヤだって知っているだろう。そんな話をしたら退屈されてしまうのではないか。

 

 解らない。本当に解らない。

 

 こういう時英雄譚の英雄たちならどうするのかと考えてみた。英雄だけあって大抵の英雄は女性にモテる。それが特定の相手のこともあるし複数のこともあるが、いざ色事に及ぶという時、それが直接的な物であれソフトなものであれ、ほとんどの場合そのシーンはぼかされるか飛ばされる。英雄譚に求められているのはそういうものではないからだ。

 

 ベルはそのことに少しだけがっかりしたものだが、それとは別に数少ないデートやら逢引やらのシーンでも会話がないことが多く、お互いの手を握り見つめ合っているだけでそのシーンが終わることもある。

 

 いざそういう場面に遭遇してみると、その展開はちょっと特殊なんじゃないかしらとベルは思った。手を握り見つめ合っているだけで間が持つのだろうか。愛があれば可能なのかもしれない。では自分とレフィーヤの間にそれが全くないのかと考えると気分も滅入る。

 

 試しに自分の左腕を離さないレフィーヤの方をちらりと見てみる。ちょうどレフィーヤもこちらを見た所だった。視線が交錯すると、レフィーヤは花が咲いたように微笑む。それがいつにも増してかわいらしくベルの心も温まるのだが、それが余計にベルの心を焦燥感で満たすのだった。

 

 こんなかわいい子が一緒に歩いてくれているのに、退屈だったとか思われたらどうしよう。そんな話を後で聞いたらもう、『黄昏の館』から身を投げるより他はない。

 

 それはそれとして、レフィーヤと回る『怪物祭』は本当に楽しかったのだが、会話を繋ぐのに精一杯だったベルは、心中でどうにも乗り切れないでいた。

 

 通りを歩いていても、レストランでランチをしても、その後オラリオを散策しても変わらない。覚えていることは今日これまでの時間が凄く楽しかったことと、隣を歩くレフィが凄くかわいいということだけだった。

 

「ベル?」

 

 レフィーヤの声に気づくと、そこは今日のメインイベントである『怪物祭』の会場だった。瞬間移動でもしたのかと考えてしまうベルだったが、ここに至るまでの記憶が幸か不幸か全部残っている。凄く楽しいとレフィがかわいいしか考えていなかったせいで、何をしたのかは覚えていても、何を話したのかをほとんど覚えていないだけだ。

 

 曖昧な相槌を打ってレフィーヤから飲み物を受け取り、舞台に向き直る。

 

 イベントとしての『怪物祭』は、オラリオ全体で行われる催し物全てを総合したものであるが、同じ名前を冠したメインイベントは『グラード・コロッセオ』で行われる。

 

 大規模な興業を行うファミリアが共同で出資して建設したもので、アテナ・ファミリアの企画する『銀河戦争』なども行われるオラリオで最も大きな『ハコ』だ。

 

 立ち見で良ければ安価に観戦でき、かけた予算によって席が前の方に、あるいは見通しの良いVIP席などになる。ベルが取った――正確には取ってもらったチケットはほぼ最前列の、一般用に開放されているチケットとしては最も高額な代物だった。

 

 その席二つ分。余所行きの服を着てレフィーヤと並んで座る。二人とも有名人であるから人目を集める。中には話題の『白兎』と見て声をかけようとする者もあったが、隣を歩くのが赤い造花を髪に差した女性であるのを見て、デート中であると察して気を使ってくれた。

 

 にやにやと、若い二人を眺める周囲の視線は生暖かく、心中焦りを感じていたことも相まってベルの体温を無駄に上げていた。隣席に座ったレフィーヤが周囲の熱気にやられたのか、身体の熱を逃がすために胸元をぱたぱたやっており――思わず視線が吸い寄せられたタイミングと、たまたまレフィーヤが顔を向けたタイミングが重なってしまう。

 

 視線が交錯するのはその一瞬後のことだ。ベルが咄嗟に目線を挙げたことで何を見ていたのか理解したレフィーヤは僅かに眉を吊り上げ――ビンタが飛んでくると思ったベルは咄嗟に身構えたが、飛んできたのは手のひらではなく指だった。

 

 もう、と小さく息を漏らしたレフィーヤは、ベルの鼻の頭をちょんと突くとへにゃりと笑う。どうやら許してくれるらしいと理解すると、羞恥と嬉しさがベルを襲った。

 

 ひょっとして僕は今日死ぬんじゃなかろうか。故郷で寝る前に夢見ていた『女の子にモテる』が半ば叶っているこの状況に挙動不審になったベルは、このままレフィーヤを見ていたら倒れてしまうと、強引に舞台に視線を戻した。

 

 舞台上では調教されたモンスターによる演目がちょうど終わった所だった。司会の男性による次のイベント――と紹介されて舞台に上がったのは、ガネーシャ・ファミリアの主神であるガネーシャと同じ仮面をつけた女性の冒険者だった。

 

 裾の長いゆったりとした服をきたその女性は、司会の男性の紹介を気にするでもなくそれが役目とばかりに踊り続けている。それが後にベリー・ダンスと呼ばれる種類の踊りであるとベルは知るのだが、それはともかく。

 

 その女性冒険者は踊りながら観客席を見渡すと、ベルに視線を止めた。気のせいかとも思ったが、ガネーシャ仮面はじっとベルに視線を送ってくる。何か強い意思を感じるが一体何だろう。ベルが首を傾げていると、隣のレフィーヤが袖を引き、舞台を指さした。

 

「――誰か、このガネーシャ仮面に挑む者はいないか!?」

 

 どうやら観客席から参加者を募って戦闘をやらせるというイベントらしい。それでガネーシャ仮面の視線の強さには得心がいった。誰も名乗りを上げないのでは企画倒れだ。流石にそうならないための手配はしてあるのだろうが、できれば本物の参加者をというのは考えた側からすれば当然のことかもしれない。

 

 それなら最初から話を通しておいてほしいと思わないでもないが、女性に助けを求められたならば英雄志願の少年としては助けない訳にはいかない。

 

 ベルの心は既に決まっていたが、ハイ! とすぐさま手を挙げることはできなかった。今はデートの途中。一人の身ではないのである。

 

「レフィ――」

 

 許可を取ろうと振り返ったベルの口を、レフィーヤの指が塞いだ。正面に、真っ赤になったレフィーヤの顔が見える。強い決意の中にも、僅かな逡巡が見えた。羞恥と理性が戦い、結局は勢いで押し切ったレフィーヤは、ベルを前に微笑む。

 

「貴方の無事と幸運と、勝利を祈ります」

 

 ベルの首に腕を回したレフィーヤは、そっとその頬に口付けた。周囲からからかうような歓声が上がると羞恥に震えるレフィーヤだったが、どうにかベルの身体をぎゅっと抱きしめることで誤魔化し――きれなかった。周囲は大盛り上がりだ。

 

「がんばってください、ベル。いってらっしゃい!」

「いってきます!」

 

 レフィーヤの激励に応えると舞台に飛び出す。

 

 白髪に赤目の冒険者。遠目に見ても解る特徴に観客のボルテージも一気に上がり、『白兎』のコールまで始まる。

 

 そんなコールにベルは苦笑を浮かべながら片腕を挙げて応える。『戦争遊戯』を経てベルも少しは観客に対する対応を覚えたのであるが、自分を誇ることにはいまだに慣れない。いずれ慣れるとフィンなどは言ってくれるのだが、早く慣れたいものだとガネーシャ仮面に向き直る。

 

 舞台には既に二人だけ。舞台から降りた司会の男性が基本ルールの説明をする。武器の使用はなし。魔法を含めた飛び道具の使用はなし。時間以内に倒せなかったら挑戦者の負け。時間以内にガネーシャ仮面の仮面を奪えば挑戦者の勝ち。己の肉体のみで戦うならば、多少のことには目を瞑るという、アテナ・ファミリア辺りが好みそうなルールだった。

 

 深窓の令嬢然とした女神の姿を思い浮かべながらVIP席の辺りを見回すと、本神がいた。隣に『教皇』アスプロスを控えさせた女神は、まだ始まる前だというのに拳を握りしめて何やら叫んでいる。既にテンションは最高潮のようだ。

 

 視線を感じてその隣の部屋に目を向けると、こちらにはアレンを控えさせたフレイヤがいた。視線に気づくと笑みを浮かべて小さく手を振ってくれる。同じく笑みを浮かべてベルが振り返すと、隣のアレンがわざとらしく舌打ちをしてみせた。これだけ距離があるのに音が聞こえそうな見事な舌打ちである。

 

 アレンが気分を害するのも解らなくはない。彼のコーディネートのおかげで楽しいデートを過ごすことができたのに最後の最後でこんなことになってしまった。袖を通したばかりの服であるが、これから格闘するのだ。無傷という訳にはいかないだろう。

 

 お詫びに食事の一回や二回で許してくれると嬉しいのだが。ぶっきらぼうでもちゃんと話は聞いてくれるし、アレンとの食事は中々楽しい。ロキ・ファミリアの仲間にはあんな乱暴者と一緒で大丈夫かと心配されるが、噂されているほど俺様でもない。凄く良い人ですよ、と返すと皆意外そうな顔をするのが気になる所だ。

 

 さて、と気を引き締める。アレンに笑顔でお詫びをしに行くためにも、何より、女の子と一緒のデートで良い恰好をするためにも、このガネーシャ仮面とやらには勝たないとならない。

 

 ガネーシャ仮面がぴたり、とダンスを止めると構えて見せた。一部の隙もない構えに、自分よりも高レベルの冒険者だと自覚させられる。ベルの緊張を悟ったガネーシャ仮面が親指で僅かに仮面を持ち上げて見せた。

 

 怜悧な風貌の女性は、ベルにだけ聞こえる声音で、名乗る。

 

「こんな恰好で名乗るのは不本意だが……私は神ガネーシャの眷属(ガネーシャ・ファミリア)が団長。レベル5。『象神の杖(アンクーシャ)』シャクティ・ヴァルマ。例のパーティ以来だが『白兎』。大衆にとって今日を良き日とするために、今しばらく付き合ってもらうぞ」

 

 

 

 

 

 




「オラリオで初めて買ったお洒落な一張羅! 袖を通したその日に乱闘でボロボロにしました!」

次回デートの残りと小技のお披露目回です。

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