英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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『怪物祭』 その準備

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そろそろじゃない? とアリシアにからかわれるのはもう何度目のことだろう。『黄昏の館』の食堂の一風景である。

 

 例によってエルフで固まって食事をしているところに先のアリシアの言葉だ。その度に『ベルが決めることですから』とはぐらかしてきたが、内心でレフィーヤはアリシアと同じことを考えていた。

 

 今週末には『怪物祭』が開催される。既にオラリオはそれ一色となっており、既に前乗りで到着した観光客でオラリオは賑わいを見せていた。定期的に開催される催しとしてはアテナ・ファミリア主催の『銀河戦争』と並んでオラリオでも最大級のもので、オラリオに定住する者にとっては定番のデートイベントだ。

 

 主催はガネーシャ・ファミリアであるが、今年はデメテル・ファミリアも盛り上げ役を買って出ており今回は男性が女性を誘う時には花を送り、当日を過ごす時には女性の頭にその花を差すというイベントを演出していた。

 

 これにも紆余曲折があり、最初は赤い生花を推す予定だったところ飲食店の連合から反発を食らい用意しやすい造花でOKという風に相成った。既に売り込むつもりで赤い生花を大量に用意していたデメテル・ファミリアには少なくない損失が発生したが、流石に生花を始め作物の生産に関してはオラリオでも最大級の規模を誇るファミリアである。

 

 生花がダメなら造花で行こうと方針を転換し、元から大量にストックしていた造花――現在生産している生花のサンプル用で、その作成はご婦人方の内職によって賄われている――にアレンジを加えて大々的に売り出す方針に切り替えていた。生花ならともかく造花なら、と他のファミリアも生産販売に乗り出し、現在のオラリオでは造花が飛ぶ様に売れている。

 

 その造花をベルは既に購入し自室に保管しているという話である。流石に男子塔のベルの部屋にまでは忍び込めなかったため確定情報ではないが、オラリオに張り巡らせたエルフのネットワークからの筋なので間違いはないだろう。何しろベルに造花を販売したのはエルフで、内緒にしてくださいと念を押されたそうだから。

 

 あっさり情報を売り渡した同胞に思う所はないではないが、背に腹は代えられない。他の情報を総合するとベルが購入した造花は一本とのこと。皆で一緒にと仲良しの女性皆に造花を送るという展開が唯一の懸念だったが、少なくとも誘う相手は一人に決めているようである。

 

 ならばその一人はレフィーヤに違いないというのが、リヴェリア以外のロキ・ファミリア女性エルフの考えだ。ちなみに彼女らはラウルが胴元になっている『ベルのヒロインレース』で

全員がレフィーヤに賭けている。年齢が近いこともあり、ファミリアの中ではティオナを抑えて大本命だ。

 

 外に目を向ければ『運命のエルフ』ことリュー・リオンなる強敵もいる。時間をかけると出走馬が増える可能性が大いにあり、レフィーヤ一点賭けの身としては、ここいらで勝負を決めておきたいというのが正直な所なのだ。

 

 そんなことを知らないレフィーヤは、身だしなみを無駄に気にしたりと忙しい。放っておくと階段から転げ落ちそうな有様なので、エルフの誰かが自主的に張り付いている有様だ。今日も共に食事をしている訳だが、とにかく上の空で悶々としているため、今まさに食堂の入り口にベルが来たことにも気づいていない有様である。

 

 レフィーヤが一人で悶々としていると、一人、また一人と、ひっそりエルフたちが席を立っていく。食堂から出て行ったという訳でもなく、トレイを持って遠巻きにレフィーヤを眺められる位置に移動したのだ。

 

 しばらくして意識を取り戻すと、自分一人が取り残され皆が離れていることにレフィーヤは気づいた。何故? と視線でアリシアに問うと、彼女は苦笑を浮かべながら食堂の入り口を指す。

 

 食堂の入り口にはベルが立っていた。ついに幻でも見るようになったかと本気で自分を疑ったレフィーヤは、テーブルの下でひっそりと腿を抓ってみるが、痛いだけで目の前のベルは消えなかった。

 

 つまりこれは妄想ではなく現実である。現実のベルは花束をくれた時のように挙動不審で、肩まで真っ赤になっていた。アリシアが先に言った様に本当にこの時が来たのかしらと思ってしまうとレフィーヤもベル同様に真っ赤になった。

 

 ぎこしゃこ音を立てながらレフィーヤの前に立ったベルは、後ろ手に何かを隠していた。離れて見ていたエルフたちにはそれが赤い造花であることが解っていたので、盛り上がりも最高潮である。

 

 先の経験から時間をかけても良いことは何もないと理解していたベルは、

 

「レフィ、『怪物祭』なんだけど、僕と一緒に行かない?」

 

 赤い造花を差し出しながら、単刀直入に切り出した。ああ、とレフィーヤは熱の籠った溜息を漏らして、赤い造花に手を伸ばす。何も言葉は聞いていないが、OKという意思表示なのだと解釈したベルは内心嬉しさで悲鳴を挙げそうになりながらも、どうにか堪える。

 

 ちらと、真っ赤な顔で上目遣いで見てくるレフィーヤが、いつも以上にかわいい。

 

「…………私とベルと、二人で、ってこと…………ですよね?」

「うん。最近ゆっくり話す機会もなかったし、どうかな、と……」

 

 この腰抜けが! とエルフたちは思っていた。これはデートで貴女を誘っているのですと匂わせるくらいできないのかと。あれだけ受け入れ態勢のできているレフィーヤを相手に、ここまで受け身になれるものかと悶々とするが、その相手がベルであると考えるとこれでも進歩したのだろう。

 

 お上りさんの少年が、頑張っていますという風がエルフとしてはとても微笑ましい。純情な少年が自分から女の子を誘っているのだから、大した進歩のはずだ。冒険者にしては擦れてなさ過ぎるところが彼の魅力でもあり、同時に不安な所でもあるのだが余計なことをして話を良くない方に転がすのも面白くない。外野としては今はまだ、事の推移を見守る時だ。

 

「いいですよ。レフィーヤ・ウィリディスは、貴方のお誘いを喜んでお受け致します。当日はどうしますか?」

「ゆっくり見て回りたいし、朝に一緒に『黄昏の館』を出て――」

 

 べルの言葉を遮るように物陰から飛んできた杖は綺麗にベルの頭に直撃した。また俯きもじもじしだしたレフィーヤは幸か不幸かそれが目にも入っていない。

 

 痛む頭を摩りながら飛んできた方を見ると、ヤジウマエルフたちが全員揃って大きく『×』を作っていた。何はともかく一緒に出るのはダメらしい。女の子を誘うのって難しいなと頭を捻る。今の何がいけなかったのかとしばし考え、 

 

「外で待ち合わせなんてどうかな」

「良いと思います。中央の噴水なんてどうですか? ちょっと遅めに出て、一緒に外でお昼でも」

「お祭当日だとどこも混んでそうだけど」

 

 すす、と今度はレフィーヤには見えないようにカンペが出された。カップルに人気、お洒落なレストラン、場所はココ、予約済。ヤジウマエルフ達の手回しは気持ち悪いくらいに良かった。混んでいるという話の後に出てきたのだから混んではいない場所なのだろう。

 

 駆け出し冒険者のベルからするとお高いお店の気配がビンビンにするが、女性と会う時に金のことを気にするようなしみったれた男にはなるなとおじいちゃんも言ってたことだし、とヤジウマエルフたちの提案を受け入れることにした。

 

「楽しみにしてますね!」

「僕もだよ。それじゃあ」

 

 二三会話を繋いでからレフィーヤに手を振り、猛ダッシュで食堂を出ていく。どういう訳かお腹の底から笑い声が出てきた。それも全く止まらない。わははと笑いながら全力疾走する同胞にロキ・ファミリアの団員は奇異の目を向けてくるが、笑い声の主がベルであると認識すると、まぁベルだしなと納得した。

 

 しかし、である。笑うのにも走るのにも気づいたベルは、男子塔の入り口辺りで幸運にも気づいてしまった。

 

 ベル・クラネル。田舎生まれの田舎育ち。一念発起してオラリオにやってきて、どうにか冒険者として成功する……切っ掛けを掴んだ男。最近お金の出入りは激しいが貯金もしている。女の子と遊びに行って困るようなことは一応ない。

 

 だが、年端もいかないベルでも解る重大な問題が一つだけあった。お祭とは冒険ではない。いや女の子と遊びに行くのだからある意味冒険かもしれないが行先はダンジョンではないし、そこではモンスターと戦う訳でないから武器も持って行かない。

 

 つまりは普段ベルが着ている戦闘用の装束の出番は全くない。小太刀もいらなければ魔剣もいらないし、鎧も着なければレフィーヤからもらった防刃シャツも必要ない。実用ではなく嫌み過ぎない程度にお洒落な服というのが必要になるのは解るのだが……

 

 生まれてこの方、年頃の女の子と一緒に出掛けたこともなく、適当以上に見た目に気を使う機会がなかったため、必要に迫られなかったのだ。

 

 ベル・クラネルという少年は、ダンジョンでモンスターと戦うための装備と、休みの時に何となく着る服しか持ち合わせがなかった。余所行きの、所謂勝負服やら一張羅やらを一着も持ってはいないのだ。

 

 一応、『戦争遊戯』の後のパーティでダンスをした時の燕尾服はあるが、それが外に女の子と出かけるのに適当でないことくらいはベルにも解る。それがダメとなるともう普段の服を着ていくしか今のベルには選択肢がないのだが、特別な日に普段通りの恰好で出かけて行ってめかし込んだ女の子にがっかりした顔をされたらもう死ぬしかない。

 

 早急に服を調達する必要がある。お金はある。まだ時間もあるのだが……どこに行けば良いのか全くもって解らない。服は服屋さんで買えば良いのだろうか。オーダーは明後日までにできる? そもそも目当ての服はどの辺の界隈に行けばあるんだろう。解らない。何も解らない。今まで身繕いにほとんど時間をかけてこなかったことが、まさかこんな形で仇になるとは夢にも思わなかった。

 

 しかし、捨てる神様あれば拾う神様あり。そもそもここは『黄昏の館』である。ロキ・ファミリアのホームにして、

 

「お困りのようやな!」

「ロキ様!」

 

 主神ロキの住まいである。田舎者のベルからすれば相当に進んだファッションなロキは、ベルが振り返った先で壁に背を預けていた。出てくるのを狙いすましていたかのようなタイミングであるが、きっと気のせいなのだろう。何処を見ているのかイマイチ解らない糸目の女神は、いつも以上にニコニコしながら歩み寄ってくる。

 

「どうやらレフィーヤとデートみたいやからな。困ってるやろうと思って飛んできたで」

「デートとかそんな……」

 

 そういう甘酸っぱいことではない、とは思うのだ。デートというなら最低限、お互いの了解が取れていないといけないのでは……というのが一度もデートなどしたことのないベルの考えだ。そうでないと相手に悪いとどうやら本気で考えている様子のベルに、ロキは内心で深々と溜息を吐きながら、話を進める。

 

「着てくお洋服。ないんとちゃうの?」

 

 流石主神様。堂々の図星である。

 

 助けに来てくれたのは純粋に嬉しいのだが、自分の主神にまで『女の子と出かける日に着ていく服を一着も持っていない』と当たり前のように思われていることは、年頃の少年であるベルの心を少しばかり傷つけていた。これからは僕も少しはお洒落になろうと誓ったベルである。

 

「…………恥ずかしながら」

「まぁ仕方ないんやないかな。でもまぁ、ここはウチに任しとき。ウチの力でベルをイケメンウサギにしたるからな!」

 

 イケメンだろうとウサギはウサギな気もする。凛々しい兎というのがそもそも存在するのか疑問であるが、神様が言うのだからいるのだろうと前向きに考えることにした。

 

「じゃあ、神様が僕の服を?」

「いや、ウチは女の子専門やからそういうのは男の子に聞いたりや」

「男の子というと……」

 

 ロキ・ファミリアの団員の中で、ファッションということで頼りになりそうな男性を思い浮かべようとしてみるが、いまいちピンとこない。ベルの感性で行くとロキ・ファミリアの中で一番かっこいい男性はベート・ローガなのだが、そのベートはベルの周囲の女性にはあまり評判がよろしくない。特にレフィーヤの反応が顕著で、

 

『ベートさんにきちんとした考えがあるのは理解しています。考えそのものは立派だと思いますし、それに同調する人がいるというのも解ります。そこを今さらどうこう言ったりしませんし、尊敬に値する部分も勿論あります。ですが、誰に対してもああいう態度の人を好んで周囲に置きたいとは思いませんし、ベルにはそうなってほしくありません』

 

 何というかとりつく島もない。理解を示すと言うだけあって嫌いという訳ではないのだろうが、好きではないというのは本当のようだ。少なくとも自分からレフィーヤがベートに絡みに行っている所を、ベルは一度も見たことがない。

 

 今や正式にパーティを組むことになった女性の言葉である。ベルとしてはできる限り尊重したい。

 

 考えてみればベートのセンスはベートだからこそ合うものだ。兎と周囲に評されるだけあってベル・クラネルというのは童顔とまではいかないものの人間の少年としては年相応の風貌をしている。

 

 兎と狼は違う生き物だ。その狼にしても実用と元々の習慣からあの恰好に落ち着いているだけであって、努めて着飾ろうとしてああなった訳ではないような気がする。ベートは狼として振る舞うことに長けているのであって、兎を狼にする素敵な魔法を習得している訳ではない。

 

 今のベルが欲しいのは、今よりマシになるためのアドバイスだ。今日がベートの人生で最高に機嫌の良い日だったとしても、彼から適切なアドバイスがもらえるとは思えない。意見を聞く相手として、ベートが適当でないことはベルにも理解できた。

 

 では誰に聞けば良いのかという話だが、元より友人知人が多いとは言えない上、お洒落などオラリオに来てから考えもしなかったことであるだけにいざ必要に迫られても助言者がさっぱり思い浮かばない。本気で困っている様子のベルに、ロキはからから笑いながら助け舟を出した。

 

「おるやろ? 最近ベルが仲良しで、お洒落さんな男の子」

 

 お洒落さん、男の子……と考えに考えて、ようやくベルの脳裏に一人の男性の姿が浮かんだ。男の子と言われると違う気もするが、確かにお洒落さんではある。

 

「いましたね! でも、こんなこと頼みに行っても良いんでしょうか」

「かまへんかまへん。ギルドにも正式に届け出して、うちら『仲良し』になったばっかりやしな。ベルならフリーパスやろうし、本拠地にでも顔出してみたらどないや?」

「今からですか?」

「善は急げ言うやろ。時間もあらへんのやから、ぱぱっと行ってきーや」

「分かりました! ありがとうございます、ロキ様!」

 

 ほんならなー、とひらひら手を振りベルを見送ると、ロキは足早に『黄昏の館』の屋上に移動した。居住塔の最上階。オラリオを見渡せる景色の良い場所であるが、ただ景色を楽しむには聊か風が強い。髪を押さえながら方角を確認し、バベル上層と旧友の本拠地に向けて備え付けた大型の鏡で合図を送る。

 

 旧友が暇を持て余しているならどちらかから反応があるはずだ。風に耐えながらロキがしばし待つと、本拠地の方から反応があった。どうやら旧友自ら相手をしてくれるようである。

 

 自分でおもしろおかしく仕立て上げるのも良いが、たまには自然な成り行きに任せるのも良いものだ。ベルの認識こそ曖昧であるが、デートそのものは決定しているのだから後は当日を楽しみにするだけである。

 

 元よりロキも、アイズとデートの予定であるしちょうど良い。わざわざ追い回すようなことはしないが、同じ祭に行くのだから顔を合わせることもあるだろう。会えなくても一興。偶然を頼みにすることの、何と不確かで楽しみなことだろう。

 

 それが子供の明るい未来に関わることなら言うことはない。今夜は美味い酒が飲めそうだ。晩酌の相手を誰にするか考えながら、軽い足取りでロキは屋上を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お洒落さんに会うために息を切らせて走ったその先は、『戦いの野(フォール・クヴァング)』。ロキ・ファミリアと双璧を成すフレイヤ・ファミリアの本拠地だ。つい最近までは敵対とまではいかないものの緊張した関係であったのだが、ロキとフレイヤが共同で出した声明により、共同歩調を取ることが公式に名言された。

 

 期間は『ベル・クラネルが存命の間』となっている。色々な意味で簡単には死ねなくなったベルは、共同歩調の要にして象徴として、フレイヤからいくつかの特典を下賜されることとなった。

 

 その一つが『戦いの野』への入場権である。基本、異なるファミリアの本拠地に他の神の眷属は足を踏み入れない。ファミリアの本拠地は神の領域であり、足を踏み入れるためにはその主神の許可が必要になる。

 

 鍛冶系ファミリアを始めとした開かれたファミリアはともかくとして、探索系のファミリアは特にその傾向が強く、オラリオでも特に排他的として知られるフレイヤ・ファミリアはその最たる例として周知されていた。

 

 お茶に招待されるまでは足を向けたこともなかった場所に息を切らせて走ってきた『白兎』に今日たまたま『戦いの野』の守衛をしていた眷属二人は怪訝な目を向けた。

 

 何しろベルは目立つ風貌であり、フレイヤ・ファミリアの全団員に顔を知られている。知られているだけで決して好かれている訳ではないのだが、彼が女神フレイヤのお気に入りであることは、眷属たちも大変に忌々しいことではあるが理解は示している。

 

 女神の意思は基本的には何よりも優先される。女神への取次でも繋がない訳にはいかないのだが、

 

「ロキ・ファミリアのベル・クラネルです。アレン・フローメルさんにお取次ぎをお願いします!」

 

 渦中の『白兎』が指名したのは女神ではなく俺様の副団長だった。個人主義の極致であるフレイヤ・ファミリアにあっても特に俺様で有名なアレンに、態々本拠地まで訪ねてくる者があるとは驚きである。

 

 女神相手と思って機嫌を悪くしていたことも忘れて、守衛たちは純粋な好奇心でベルを見返した。

 

 レベル6の冒険者にしてフレイヤ・ファミリアの副団長。女神フレイヤに心酔しているフレイヤ・ファミリアの団員で、極度の俺様と知れ渡っていても、そういうのが良いという女は一定数いるし、裕福でさえあれば他の部分は全て無視するという女もいる。

 

 無論、それらを理由に忌避されることもあるのだが、アレンはフレイヤ・ファミリアの冒険者の中では比較的外の女にモテる方だった。その誘いは全て袖にしているとは聞いていたしそこまでは他の団員たちも予想の通りだったが、目の前の兎もその類なのだろうかと考えないでもない。

 

 思えば少し前、『白兎』がギルドでちょっとしたもめ事に巻き込まれた時に、他人に干渉しない主義のアレンにしては珍しく助け舟を出してやったそうだ。その礼という形で『白兎』がその場で食事に誘ったそうだが、その誘いをアレンは受けたそうである。

 

 あのアレンがと考えると驚天動地のことであるが、彼とて神ならぬ地上の子供だ。気に入る相手とそうではない相手というのはあるのだろし、その相手がロキ・ファミリアの『白兎』であるというのも解らないことではない。

 

 人畜無害そうな白髪頭を眺めつつあのアレンがねぇと心中でぼんやり考えながら、中と連絡を取るために、守衛の一人が走り出そうとした所で、直立不動の姿勢になった。

 

 守衛が呼びに行くまでもなく『戦いの野』の中からアレンが出てくる。相変わらず不機嫌そうな面構えであるが、その隣には供があった。というよりも、そちらの指示で一緒に出てきただけであってアレンの方が供なのだろう。我らが女神は『白兎』の訪いとその目的を知っていたようである。

 

 直立不動の姿勢になる守衛二人に軽く笑みを向けると、態々門まで歩いて出迎えに来るという、神としては最上級のもてなしをした女神は、『白兎』を前に微笑みを浮かべた。

 

「ごきげんよう兎さん。ロキから聞いているわ。アレンに用事があるとか」

「お久しぶりですフレイヤ様! できればこれからアレンさんをお借りしたいんですが」

「それはアレンに直接頼むと良いわ。私はロキから少し聞いたけど、彼は何も知らないから説明してあげて?」

「解りました! アレンさん、突然申し訳ありません。これから少しお時間をいただきたいんですが、大丈夫でしょうか!?」

「女神の話を聞いてなかったのかよお前は。それはもう把握してるから、何で態々俺に声かけに来たのか言えってんだよ」

「今度女の子と出かけるので、僕が着ていく服を選んでください!」

「他を当たれ」

「一度断られたくらいで諦めたらダメよ兎さん」

「アレンさんしか頼れる人がいないんです!」

「知ったことかよ」

「兎さん、もう一声よ」

 

 寸劇のような軽妙なやり取りをしだした女神と副団長と外の『白兎』を、守衛二人がぼんやりと眺める。如何にも洗練された言葉のやり取りに慣れていない風なベルはうんうん唸りながらその場で言葉を探し、意を決して大声を張り上げた。

 

「アレンさん、僕を男にしてくださいっ!!」

 

 しん、と『戦いの野』の門にベルの声が響いた。守衛二人もアレンも呆れ顔である。

 

 現在地上で最も神が住まうオラリオにあって、恋愛やら性欲の対象というのは何も異性だけとは限らない。主流派ではないが先にベルが戦ったアポロン・ファミリアの主神アポロンに代表されるように、男神の立場で少年青年を相手にする神もある。

 

 その趣味嗜好は地上の子供たちにも伝播しており、こちらも決して主流ではないものの、地上の他の地域に比べると遥かに、同性愛の気は多くある。

 

 そういう視点に立ってベルを眺めてみると、かのアポロンが懸想しただけあってその筋にはそそりそうな顔だちをしている、と思われる。アレンにはその気がないので完全な推測であるがともあれ、アポロンに懸想されそういう見た目をしているベルがそういう発言をするとどういうことになるのか。

 

 言われた相手もそういう相手だと思われるに違いないのだ。フレイヤ・ファミリアは狂人の集まりとして知られている。女神フレイヤを第一に考える集団であり、そこに余人が立ち入る隙はない。

 

 それは事実として周知されているが、噂というのはそれが事実であるかどうかを重視しない。らしいと思われればそれで噂というのは成立するのだ。それを口にする者たちとてもっともらしくありさえすれば、真実でなく事実でさえなくても気にもしないだろう。

 

 現にフレイヤ・ファミリアの団員は元よりオラリオでの評判はよろしくなく陰に日向に悪評が付きまとっている。副団長アレン・フローメルの『スキャンダル』となれば、人々は喜んでそれを吹聴する。

 

 アレン個人としては自分の悪評などどうでも良い。自分がどうであるかを決めるのは自分自身であり、それがブレさえしなければ他人の評価など心底どうでも良いと思っている。

 

 だがアレンは個人としてここに存在しているのではなく。恐れ多くもフレイヤ・ファミリアの副団長という職を賜り、何より女神フレイヤの眷属として存在している。

 

 己の悪評で女神の名前に傷や泥がつくことを、アレン・フローメルは良しとしていない。フレイヤ自神そんなことなど気にはしないだろうが、女神が女神としてあるように眷属にも眷属としての矜持がある。

 

 自分発の悪評が女神の名誉に傷をつけることなど、アレンとしてはあってはならないことなのだ。ベルの発言はそれこそ発したのがベルでなければその瞬間に拳が飛んでいたことであるが、多少の付き合いのあるアレンは、そこに悪意が全くないことを理解している。

 

 無神経な発言が飛んでくることもあるが、それはベルの無知故だ。それに一々怒っていてはキリがない。とは言え、何度もそんな発言をされても困るから、言って聞かせる必要はあるのだが。面倒くさいとは思うが、そこに嫌悪感はない。

 

 弟がいればこんな感じなのかと思いつつ、多分な嫌みを乗せて苦情を言ってやろうと口を開きかけたアレンの耳が、信じられないものを聞きつけた。

 

 隣に立つ女神が笑っている。淑女らしく楚々としているのではなく、そこらの町娘のように腹を抱えて声をあげて笑っていた。初めて見る女神の姿に眷属三人が呆然としていると、ひとしきり笑い終わったフレイヤは、涙を拭いながら

 

「久しぶりにこんな笑い方をしたわ。長く生きてみるものね。美しく、洗練されてもいないけれど良いわ。笑わせてもらったお礼に私が口添えしてあげる。アレン?」

「……はい」

 

 女神フレイヤの眷属としてはあるまじきことに、フレイヤの呼びかけにアレンの反応は一瞬遅れた。初めてみる女神の笑顔に見とれていたことを恥じた彼は、彼にしては珍しく固く姿勢を正した。

 

「兎さんのお手伝いをしてあげて? 貴方も美の女神フレイヤの眷属なら、美の何たるかを知らない訳はないわよね?」

 

 挑戦的なフレイヤの物言いに、アレンははっきりと顔を顰めた。

 

 お願いという体を取っているがこれは実質的な神命である。眷属にとってこれを拒否する選択肢は存在しない。フレイヤがやれと言った以上、アレン・フローメルはやるしかないのだ。

 

 それにフレイヤは、これで自分の器を図ろうとしている。何とも気まぐれなことであるが、ベルの願いはフレイヤにとっても渡りに船だったのだろう。

 

 冒険者が強くあらねばならないのと同様に、神の掲げる『看板』というものは、眷属たちを守護すると同時に縛りもする。フレイヤは美の女神だ。その美しさはオラリオだけでなく世界に知れ渡っており、その美しさ、評判に嫉妬する女神も少なくはない。

 

 フレイヤをこき下ろすネタをとにかく探している女神たちは、その嫉妬を眷属たちにも向けることがある。アレンたち眷属は、美の女神フレイヤの眷属。詰まる所、彼らはそんな連中にダサいなどと思われることなどあってはならないのだ。

 

 あのオッタルでさえ身だしなみには最低限以上の気を使う。副団長という立場上、オッタルの次に外向けの用事に駆り出されることが多いアレンも、その例に漏れない。それそのものに生きる連中には見劣りするのは否めないが、田舎から出てきたばかりのベルに比べたら試行錯誤の回数は比ではないし、それ故のアドバイスもできる。

 

 自分も嫌々ながらも通ってきた道で、女神の神命だ。助けてやる気がないのでもないのだが、他の神の眷属発で、自分の器を図られるこの状況に、アレンは苛立ちを覚えた。焦りと緊張の表情を浮かべる『白兎』の顔が、憎らしくて堪らない。

 

 深々と、身体の熱を吐き出すよう息を吐いたアレンは、神速のデコピンをベルに打ち込む。

 

「用意してくる。そこで待ってろ」

 

 痛みに蹲るベルの背中に吐き捨てると、アレンは踵を返す。

 

「照れてるだけだから許してあげて。あれで、アレンも兎さんのことが大好きだから」

 

 女神の言葉を、忠勇なる眷属は聞き流すことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、アレンとのデート編……ではなく、普通に『怪物祭』回になります。
アレンのセンスの成果は当日のベルの恰好を参考にしてください。

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