英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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ちゃんと変われるんだ①

 

 

 

 

『白兎』ベル・クラネルのスケジュールというのは実の所オラリオではかなり有名だったりする。管理を受け持っているという噂のリヴェリアの性分なのだろう。本拠地を出る時間は基本的にいつも一緒で、たまに『豊穣の女主人』亭に寄り道をしてからダンジョンに入る。

 

 ダンジョンに入る時間は毎日ほぼ変わらないが出る時間はまちまちだ。その後の予定に関係あることなのだろうというのが、ギルド関係者や行違う冒険者たちの感想である。

 

 昼食はダンジョン内で取るか、そうでない場合は『黄昏の舘』まで戻って済ませる。その後は戦闘訓練をしているのだそうで、レベル3に上がるまでは現在幸せ一杯の『千の妖精』レフィーヤ・ウィリディスが受け持っていたそうだが、現在は『大切断』ティオナ・ヒリュテが受け持っているそうな。

 

 レベル1の時から後衛とは言えレベル3が。レベル3に到達してからはバリバリの前衛職であるレベル5を、それも毎日相手にしているのだからリヴェリアの期待以上に本人の根気強さが伺える。

 

 才能のある人間がそれに胡坐をかかないのだから強くなるはずだ、と『戦争遊戯』での彼の活躍を目にした冒険者たちは、ダンジョンに挑む頻度もさることながら自己鍛錬にも余念がなくなったのだという。

 

 オラリオ一厳しいと評判で普段は懲罰くらいにしか使われないアテナ・ファミリアにもちらほらと入門希望者が現れ戦神を歓喜させたというのだから、修行ブームの熱狂っぷりも中々である。

 

 鍛錬が終わったら夕食を取り、その後はリヴェリアによる座学が待っている。ダンジョンそのものに関する知識から、判明している範囲でのモンスターの生態。更にはオラリオにおけるファミリアのパワーバランスから経済についてなど、ダンジョン攻略に関するものからそうでないものまで、実に幅広い知識を詰め込んでいくのだそうだ。

 

 定期的に行われるテストの判定は厳しく、合格ラインを超えるまで果てしない追試が行われるのだとか。元からリヴェリアの一番弟子のような扱いであるレフィーヤは何とかついていけているが、興味本位で首を突っ込んだティオナは早々に逃げ出している。

 

 懇意にしているギルド職員が根ほり葉ほり聞いた所に依れば、ギルドの初心者講習を上級向けに開放したらこうなるんだろう、というような内容だったそうな。

 

 このことから初心者以外にも講習をやっても良いのではないかという意見がギルド職員の間で上がるようになった。冒険者の死亡率の高さが減らないことは冒険者の入れ替わりを考えればそれは健全なことなのかもしれない。弱肉強食は自然界では当たり前の法則であるが、できることなら死んでほしくはないというのが人情というもので、それは神の立場でも地上の子供でも同じことだ。

 

 とは言うものの、教育というのは生活に余裕がある者が受けるもので、レベル1の冒険者の半数以上は生活に困窮しているような有様である。ギルドは本来そういった冒険者を扶助するのが目的だったはずなのだが、食うに困らないように釣りの仕方を教えようとするギルドに対し、冒険者たちは魚そのものを要求している。

 

 一向に減らない死亡率の高さからも解るように、ギルドの取り組みは上手く行っていないというのが現状だ。初心者の育成のほとんどは本人のやる気と経済力と、ファミリアの主神と先達たちに委ねられている。

 

 そういった意味では厳しくはあるものの、全てに至るまで面倒を見ているロキ・ファミリアは流石大手というだけあって手抜かりはない。とにかく殺伐としていたソーマ・ファミリアとはえらい違いだと、ベル一人を見ているだけでも良く解った。

 

 よろしくと笑顔であいさつされたのも、何でもない世間話をしながらダンジョンに向かうのも、如何に相手を出し抜くかの算段をせずに誰かの後をついて行くのも、久しぶり……いや初めてのことかもしれない。

 

「リリルカさんは――」

「ベル様。お立場のこともありますのでリリのことはリリとお呼びください。敬語も不要です」

 

 お立場、と強調しての言葉にベルは僅かに難色を示した。人の好さそうな少年のことだから他人を下に扱うような行いに抵抗があるのかもしれないが、リリルカもここだけは譲れなかった。

 

 リリルカの身柄がロキ・ファミリアに移される見込みとなったのは、ベルが『戦争遊戯』で勝利した結果に依るもの……つまりはリリルカ・アーデという冒険者の身柄そのものが、ベルにとってのトロフィーのようなものである。

 

 慣例に則るまでもなく『戦争遊戯』の結果は細かな所まで公開される。そこまで含めて娯楽だからだが、その際リリルカの経歴まである程度はつまびらかにされることだろう。まるで娼婦の身請けであるが、事実そのようなものであるとリリルカは認識している。

 

 何事もなければおそらく死ぬまで奴隷として食いつぶされたろうことは想像に難くない。それを考えれば奴隷のようにベルに尽くした所で罰は当たらないとリリルカは考えているし、周囲もそのように認識しているだろう。

 

 オラリオで最もリリルカ・アーデの立場を正確に認識してないのが、ベル・クラネルという少年だ。彼にとってリリルカは仲間の一人であろうが世間はそう見てくれないし、認識の齟齬から大きな問題に発展しないとも限らない。

 

 リリルカ本人もこれ以上面倒に巻き込まれるのは御免であったし、自分一人が酷い目に合うのであればまだしも、苦境から救ってくれたベルまで巻き込むとなればお願いする声にも力が籠る。

 

 それが顔にも態度にも出ていると理解してくれたのか。リリルカが梃でも動かないと悟ったベルは早々に諦めて苦笑を浮かべた。

 

「解ったよ。リリ」

「お気遣いいただいてリリは嬉しいです」

 

 ベルにとっては何でもないことかもしれないが、リリルカにとっては涙が出そうなほどに嬉しい。態度一つ。ここまで気にかけてくれる少年なのだ。自分にできることは荷物運びくらいだけど、これは精一杯お仕えしなければ……

 

 他人に使われるなど反吐が出ると一月前までは心の底から思っていた自分の変わりように、リリルカは心中で驚いていた。

 

「話を遮って申し訳ありませんでした。それでベル様、リリに何か?」

「今までダンジョンに潜る時、サポーターの人って一緒じゃなかったから良く解らないんだけど、サポーターって具体的に何をしてくれる人なの?」

 

 ある意味、荷物持ちにとって最も残酷な質問である。他にできることがない、もしくはないに等しいから荷物持ちをやっているのがほとんどだ。辛うじてスキルに恵まれたリリルカはそんな荷物持ちの中でも使える方ではあるが、何気ない一言が他人を傷つけることがあるということは、ベルにも知っておいてほしいことである。

 

 才能にも環境にも恵まれ、名声もほしいままにしている冒険者から、そんなことを言われたら人生に疲れたサポーターだったらその場で泣き崩れてしまうかもしれない。

 

 だがまぁ、これから初めてパーティを組んでダンジョンに潜る空気に水を差すのも無粋である。改宗予定とは言え現時点ではまだ部外者であるリリルカが、時の人に物言いもつけるのも外聞がよろしくない。

 

 これについてはいずれ知ってもらうということでリリルカは言いたいことを飲み込んだ。

 

「基本的には名前の通り荷物を運ぶことが主になります。冒険者様は装備を預けるのを嫌がるので行きは主に回復アイテムや野営用品などの管理運搬、帰りはこれにドロップアイテムが加わります」

「戦闘とかはしないんだよね。危なくないの?」

「危ないですね。戦闘力で他の冒険者様に劣りますので、最低限何とか走って逃げられるくらいのモンスターがいる場所でないと仕事はできません」

 

 自分で戦える冒険者からすれば、戦闘力で他の冒険者に大きく劣るサポーターというのは蔑みの対象でもあるのだろうが、戦利品の大部分を運んでいるのがサポーターである以上、ダンジョンの中にいる間はある程度の安全は保障してくれる。サポーターにとってダンジョンの中というのはある意味では安全なのだ。

 

 もっともダンジョンを出ればその限りではなく、せっかく運んだ戦利品の配分からもハブられて一定の賃金を渡されてさよならとなる。ギルドもダンジョン攻略中にサポーターがいなくなったとなれば調査もしようが、出てきた後に当事者たちの間で何があるとしても、当事者たちの問題として関知しない。

 

 こうして得る賃金はダンジョンに潜るという危険を冒すにしては少ない。フリーのサポーターが割りに合わないと言われる所以であり、それで稼ごうという冒険者崩れが少ない理由の一つでもある。

 

 潜れる階層が深くなればそれに比例して収入が上がる見込みはあるものの、戦闘力で劣ると自覚しているサポーターが安全マージンを取らない階層まで足を伸ばすことはないし、雇う側もそれは理解しているため、深い階層に行く冒険者程フリーのサポーターには声をかけなくなる。必然、フリーのサポーターが活動できるのはリリルカの言う通りに最低限自分の足で逃げられる範囲内ということになる。同行する冒険者の腕にも依るがどんなに冒険してもリヴィラに行くくらいが限界だと言われているのがフリーのサポーターだ。

 

「じゃあリリのことは僕が守るってことで良いかな」

「頼もしいお言葉ありがとうございます。そう言えばまだ本日の予定を聞いていませんでしたが……」

「ああ、ごめんね。今日はリリと顔合わせのつもりで、ダンジョンには軽く潜る程度なんだ。最近左手でも武器を使えるように訓練してるんだけど、それをモンスター相手にもやるように言われててさ」

 

 はは、と何でもないことのようにベルは笑うが、その物言いにどうしようもない能力の差を感じて若干憂鬱になるリリルカである。今日初めて会う小人族の女と一緒でも、今日中に行って帰れるくらいの距離であれば問題なく立ち回る自信があるのだ。しかも利き腕じゃない方の腕で戦う制限付きでだ。

 

(流石にレベル3の二級冒険者ですね……)

 

 童顔であまり強そうには見えませんけど、とリリルカは心中で付け加える。中々整っていて可愛い顔だちではあるのだが、頼もしさとはイマイチ無縁の雰囲気である。

 

 これで装備まで残念であればリリルカも不安になっていたのだろうが、前を少し前を歩くベルの装いは間違いなく冒険者のそれだった。

 

 皮のズボンにこれだけはやたら年期の入った頑丈なブーツ。ロキ・ファミリアは団員の使い古しの装備をストックすると聞くが、多分それなのだろう。

 

 上は何やら固そうな素材のシャツ――触ってみないことには確かなことは解らないが、リリルカの見立てでは防刃繊維のもので、これは冒険者だけでなく一般にも市販されている類のものだ。十代の人間男性が選んだにしては色合いが落ち着き過ぎていることから、他人からのプレゼントであると推測され、贈り主はあの日も一緒にいた『千の妖精』辺りかとリリルカは判断する。

 

 首から何やら下げているがそもそも見えないために詳細は不明である。ただそれを吊るすただ古典的なエルフ風の飾り紐はパッと見でもそれなりに高級品であると解る。ならばそれに吊られているものも高級品なのだろうと察しはつくが、ここまでのベルのやり取りから彼が好んでアクセサリーを、それも人目に付かない場所に付けるとは思えなかった。

 

 おそらくはこれも貰い物――古典的なエルフ風ということからリヴェリア辺りからの贈り物であると推察できる。

 

 ベルの細身の身体を覆うのはよく手入れのされた鎧である。これはシャツと違って身体に合わせたオーダーなのが解る。オラリオの冒険者の半分がレベル1で、彼らの最初の目標が装備品のオーダーであることを考えると、ベルはこの年齢で既に彼らの目標の一つをあっさりと達成していることになる。

 

 神様というのは不公平だ。と思いつつ、一際目を引く腰のものに目を滑らせる。

 

 装備は武器一つという冒険者も多い中、ベルは腰に三本も剣をぶら下げていた。左右に一本ずつと腰の後ろに一本。その全ての鞘に『Hφαιστοs』の銘が刻まれている。鍛冶系ファミリアの最高峰であるヘファイストス・ファミリアの主神ヘファイストスとその幹部が認めた証であり、その価格は一番安い短刀でもおよそ800万ヴァリスからとも言われている。

 

 上を見ればキリがない世界であるが、果たしてこのお値段はおいくら万ヴァリスなのだろうか……

 

「ぶしつけな質問で恐縮なのですがベル様。お腰の武器はどういう来歴で?」

「僕のレベルアップ祝いってことでリヴェリア様が依頼して作ってくれた武器なんだ。こっちが『紅椿』で椿さんが打ってくれたんだよ」

「椿さんというのはコルブランド様ですか? ヘファイストス・ファミリア団長の?」

「そうその椿・コルブランドさん。で、こっちが『果てしなき蒼(ウィスタリアス)』でヘファイストス様が――」

 

 予想を遥かに超えるビッグネームの登場にリリルカは眩暈を覚えた。ヘファイストスその神と眷属代表でオラリオを代表する鍛冶師である椿・コルブランドのオーダーメイド品。オラリオでは微妙に需要の少ない東洋系の武装であることを差し引いても、どんなに安く見ても二振りで一億五千万。材質やら属性やらが加われば倍々と跳ね上がっていくだろう。

 

「後ろのは『不滅ノ炎(フォイア・ルディア)』って言う魔剣で補充すれば何回でも使えるんだよ。この防具を作ってくれた友達のヴェルフが作ってくれたんだ」

「防具職人が魔剣を打ったんですか?」

 

 魔剣まで……と突っ込みたくなるのを無理やり飲み込み『何回でも使える』という危ない単語を無視して、別の無難な疑問をひねり出す。

 

 鍛冶の世界に精通している訳ではないが、防具なら防具、武器なら武器で住み分けをしているように思わないでもない。何でもできるに越したことはないのだろうが。

 

「元は魔剣鍛冶だったんだって。しばらく魔剣を打ってなかったんだけど、壊れない魔剣を作るんだって今頑張ってるんだよ」

「…………もしかしてそのヴェルフ様、姓はクロッゾというんじゃありません?」

「よく知ってるね」

 

 あー、と意味のない声を漏らしてリリルカは絶句した。山を削り海を燃やしたと言われる魔剣貴族の、それも現代の作である。単純な見た目で区別する方法はないと言われているが、基本的には()()()が威力が高く、現代に近づくにつれて威力が下がると言われている。

 

 その基準に当てはめるならば現代の作であるベルの魔剣は現存する他のクロッゾの魔剣に比べて威力が低いはずであるが、聞いた話ではラキアに本拠を構えるクロッゾの一族は既に魔剣を打てなくなって久しく、そんな中久しぶりに魔剣を打てるスキルを発現した唯一の一族はラキアを出奔して現在はヘファイストス・ファミリアに籍を置いている――という話は、彼が魔剣を打たないとへそを曲げているという事実と一緒に有名である。

 

 噂が全て真実であるならオラリオでは彼の作品である魔剣が威力を発揮している所を見たことがある者はいないはずだが、その噂では彼が先祖返りと言われる程に高い威力の魔剣を打てると言われている。事実はさておき、魔剣貴族の血統が打った魔剣となれば、神ヘファイストスやその眷属筆頭である椿・コルブランドが打った武器と比べても値段の上では遜色ないに違いない。

 

 このお方は全身レアアイテムで固めないと気が済まないお人なのでしょうか。

 

 上を目指すのであればこそ装備には拘るべきという気持ちも解らないでもないが、真っ当な稼ぎでは今日食べるものにも困っていたリリルカからすると、ベルのコーディネートは狂気の沙汰である。

 

 ロキ・ファミリア所属の二級冒険者という現在のベルの立場を考えても、装備のランクは聊か過剰なように思える。詳しくは知らないが、例えばベルの前に最短記録で話題になった『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインでも装備の総額はベル程ではないんじゃないかと思うが……その辺りはレベル1のリリルカが気にしても仕方のないことだ。

 

 世間話に興じつつ、ダンジョンに近づいてくると冒険者たちの姿も増えてくる。これからダンジョンに行くもの、ダンジョンから帰ってきて宿に戻るもの様々だが、そんな中でも白髪赤目の人間種族であるベルは目立っていた。

 

 普段からも人目を引くのに、今や時の人。それに加えて話題の小人を連れているのだから、冒険者の目は集めに集められている。来たな、とリリルカは身構えたが視線の圧はリリルカの想像を遥かに下回っていた。

 

 てっきり罵詈雑言くらいは飛んでくるものだと思っていたリリルカは凪のような雰囲気に釈然としないものを感じながらも、ベルについてダンジョンへと入っていく。

 

 二人の背中を見送ったその場にいた冒険者たちは、その姿が見えなくなると深々と溜息を吐いた。

 

 トラブルは既に解決したとは言え、リリルカ・アーデというのは二柱の神が『戦争遊戯』に踏み切る原因となった小人族であるという情報は冒険者の間には知れ渡っている。加えてベル・クラネルの預かりになったということ、ロキ・ファミリアに改宗という話も既に知られている今、ちょっかいをかける冒険者は皆無と言って良かった。

 

 それでも視線を向けられているのは、悪事に手を染めていたという事実から侮蔑の視線を向けるものなどリリルカの過去に少なからず思う所がある者と、後は単純に興味本位からである。

 

 とは言え、底辺層の冒険者がどういう境遇かというのは冒険者であれば皆知る所だ。悪事は悪事。良くないことと認識していても、自分がその状況に追い込まれたらそれに手を染めないとは言い難い所があった。

 

 明日は我が身となれば糾弾の声を挙げるのも躊躇われ、それも時間が経てば同情に近いものへと変わる。冒険者同士は商売敵であると同時に、苦楽を共にする仲間という面もあった。主神が違えど冒険者という括りに思う所がある者もあり、全体としてはとりあえず様子を見るということで概ね一致していた。

 

 一方で市井の評価はそれ一色と言って良い程に同情寄りである。劣悪な環境を悪事に手を染めてまで耐えていた少女を『白兎』が救い出したというストーリーがロキ・ファミリアに依って広められたためだ。完全にソーマ・ファミリアが悪者になってしまっているが、ファミリア内の雰囲気が劣悪なことは事実であること、ソーマ・ファミリアの冒険者たちの評判が市井、冒険者問わず良くなかったため、当のソーマ・ファミリアからの抗議を他所に受け入れられていた。

 

 自分で思っている程リリルカの風聞は悪い物ではないのだが、それを実感できるようになるのはもう少し後の話である。

 

「速かったら言ってね」

 

 ダンジョンに入るなりベルはリリルカにそう呟いた。何のこと、と思う間もあればこそ。ベルはリリルカの感覚では随分な速足で歩きだす。完全に鍛錬目的であれば想定したコースがあるのだろう。脇目も振らずに一直線だ。

 

 その割に周囲の警戒も怠っていない。低層を何度も往復していると警戒すべきポイントというのも身体に染みつくもので、ベルが視線を向ける場所はリリルカのそれと変わらなかった。

 

 ベルのレベルからすればこの辺りに出てくる怪物など敵ではないはずなのに、視線は真剣そのものである。童顔からくる『イマイチ頼りない』という第一印象とも、時の人『白兎』という言葉から抱いていたイメージとも違う。

 

 まだぎこちなさは残るものの、地に足を着けようとする振る舞いは冒険者になってまだ一年とはとても思えない。これが『九魔姫』たちの教育の成果なのだとすれば、実に行き届いたものだと思った。

 

 ベルの背を追いながらリリルカは第一層の地図を脳裏に思い描く。第二層への最短コースを外れベルは蛇行を繰り返していた。第一層にはいくつか集団での戦闘に適した広いスペースがあるのだが、ベルはそれを避けて第二層を目指しているように見えた。

 

 相対的に狭く細い場所では戦闘がやりにくい。第一層で戦うのが適当な冒険者からすると危険行為も良い所であるが、ベルのレベルであればそもそもこの層に出てくるようなモンスターはそれほど危険でもない。

 

 ではなぜこんなコースを取っているのか。本人は戦闘訓練のためと言っていたが、ダンジョン踏破のための訓練という向きもあるのだろう。既にレベルは3とは言えまだ冒険者になって一年も経っていないのであれば覚えるべきことは山ほどある。

 

 一人で行動する時の立ち回りを身体で覚えさせられている段階なのであれば、集団の構成員としてのベルの評価はファミリアの中ではあまり高くないのだと判断することもできる。 集団戦闘での連携作業はまだ早いという訳だ。

 

 リリルカの目で立ち振る舞いを見るにベルの行動は問題ないように見えるのだが、相手はロキ・ファミリアである。要求される水準はそもそも集団での戦闘行為の想定など皆無であったソーマ・ファミリア出身のリリルカには、どの程度ならば合格なのかという基準がそもそも解らなかった。

 

 この辺りはそれとなく確認しておく必要があるだろう。ベルがどういう期待をされているのかを知ることは、彼のサポーターとなったリリルカにとっても重要なことだ。それに水を差すような行動を取ってしまっては、リリルカの立場が悪くなる以上に、ベルに迷惑がかかってしまう。何より自分の身の安全が大事、という考えは今も変わっていないものの、どういう意図があるにせよ自分を助けてくれた人に迷惑はかけたくなかった。

 

 早歩きで動きながら10分程。途中に冒険者とすれ違うこともなく、最初のモンスターに遭遇する。ゴブリンが三体。ダンジョンでは最弱のモンスターの一つであるが、そのモンスターを前にベルは小さく息を吐くと足を止め左腕を突き出すようにして東洋風の武器――小太刀を構えた。

 

 薄暗いダンジョンの中、仄紅い刃を構える姿はそれまでの如才なさに比べると微妙にぎこちない。本来は右利きなのだとリリルカでも解る。

 

 ある程度は形になっているとは言え、利き腕でない方の腕だけで戦えと言うのはそれこそ新人冒険者相手では死んで来いと言っているようなものだ。ベルはレベルこそ高いが聞いた話が全て本当であれば冒険者になってまだ一年と経っていない。それだけを見れば新人駆け出しと言って差し支えないだろう。

 

 強さを信頼しているのだろうが、監督しているリヴェリアは良くこの状態でダンジョンに潜れと良く言えるものだと思う。

 

 そしてそれに従う方も従う方だ。よほど命がいらないか怖いもの知らずなのかと思えば、べルがダンジョンを舐めている訳ではないのは、歩き方一つを見ても解る。命を危険に晒して強くなろうと努力するのは、ベルにとっては既に日常の一部なのだ。

 

 他人から見れば狂気の沙汰であっても、これが強くなる人間の取り組み方なのだろう。小人族だからサポーターだからと言い訳をしている自分が果てしなく小さい存在に思える。才能という言葉一つでは片づけられないべルの取り組みっぷりが見て取れた。

 

 ベルが自分の動きを確かめるようにしながら、一体一体確実にモンスターをしとめていく。安全を確認し、ドロップアイテムを全て回収するのがリリルカの目下の仕事である。

 

 前衛の戦闘員一人にサポーターが一人。人数が多ければ生存の可能性は高まる――ある程度までならという但し書きのつく鉄則を無視したたった二人のパーティは、リリルカが過去に経験したどのパーティよりも迅速に、かつ安全にモンスターは駆除していく。リリルカが身の危険を感じるような場面など一つもない。

 

 見つけさえすれば後は近づいて殺す、ベルにとってはただそれだけの作業である。ここまでスムーズにやれるなら何か新しい動きを掴むもなにもないと思うのだが、ベルにはベルなりに見えるものがあるらしく、リリルカの目にさえぎこちなく見えていた動きは、一時間もする頃には幾分なめらかになっていた。

 

 こういう所に才能と努力の成果が見られるのだなとぼんやり思いながら、ドロップアイテムをいそいそと回収する。警戒しながら進んでいる割りにモンスターの排除は非常にスムーズなので時間効率も悪くない。

 

 レベルとして適正でない場所をうろうろしているのだと考えると、この速度も当然であるのだが、慣れない武器を慣れない腕で振るうという制限付きと考えると、やはりこれくらいが適正なのかもしれない。

 

 安全と成長を秤にかけた微妙に哲学的な問答をしているリリルカの背後に、笑みを浮かべたベルが忍び寄る。こほん、とわざとらしく咳払いをした彼は、上ずった声で知識を披露しようとして――

 

「さっきのモンスターだけどあれは――」

「もう少し深い階層に出てくるキラーアントの弱小個体でしたね。浅層の弱小個体はただの大きくて強いアリですが、本物はもっとアゴが強靭で蟻酸を吐く個体も多いとか。毒はないとされていますが、一年前に毒を使う変異個体と遭遇したという報告があります。用心に越したことはありませんね。解毒剤も用意がありますので入用でしたらお申し付けください」

「…………」

 

 あっさりと撃沈した。言葉が返ってこないことを不思議に思ったリリルカは、ドロップアイテムを全て回収し終わったのを確認すると、ベルを見上げた。

 

「どうかしましたかベル様。一晩考えた小話のオチを先にばらされたおじさんのようなお顔をしてますけど」

「リリってもしかしてモンスターの生態に詳しかったりする?」

「詳しいという程では……自分で足を運ぶ可能性のあるエリアに出たことのある個体くらいです」

 

 情報の確度は冒険者の生死を分ける。特にリリルカのように戦闘力で劣る冒険者であれば猶更だ。多くの情報は実地で仕入れたものであるが、ギルド発の情報に目を通すのも怠ったことはない。

 

 どこの階層でこんなイレギュラーがあった。自分が行く時にそれが起こらない保障はない。大抵は解決された後に掲載されるものであるが、どういうモンスターがどんなレベルでどれくらいの人数の冒険者を相手にどの程度の被害を出した上で殲滅したのかされたのか。

 

 自分がその場に置き去りにされた時にはどうするのか。そもそも置き去りにされないようにするためには。サポーターをしていない時には、いかにして自分の身の安全を確保するかに腐心してきた。

 

 加えてその知識は金にもなる。他にない情報であればギルドでさえ金を出すし、どのモンスターを相手にするのが最も安全で効率が良いのかも知識があれば判断できる。単独でダンジョンに挑み、そして生還するには心もとなかったため挑戦したことはまだなかった訳だが、いつか自分で使う時のために温めていた情報でもあった。

 

 知識の充実は力ないものが生き残るために必要な、その最たるものだ。リリルカは謙遜しているが、ことリヴィラくらいまでの浅層であれば、彼女のモンスターに対する知識は全冒険者の中でも上位に位置する。

 

 対して僕だって少しは知ってるんだぜとプチ自慢をしたかったベルは、オラリオ歴と冒険者歴がほぼ一緒で、ダンジョンに出てくるモンスターの知識は冒険者になってから詰め込まれたものだ。勉強して覚えまだ知識が先行している状態のベルと、必要に迫られて普段から知識を活かしているリリルカ。どちらの理解が深いかは比べるまでもない。

 

 一方、何やらしょんぼりしてしまったベルに、リリルカは気を揉んでいた。日陰に生きてきたリリルカは、まさか自分の知識に感心されているとは思いもせず、しかし何か踏んではいけない場所を無神経に踏みつけてしまったことを感じていた。

 

 俯いていたベルが顔を上げるとほぼ同時に、リリルカは反射的に防御姿勢を取った。気の短い冒険者の場合、こうなると即座に拳なり蹴りなりが飛んできたものだ。ベルはまさかそういうタイプではないと思う……思いたいが、外面だけは良いという冒険者というのもゴマンといる。

 

 ベルがそうでないという保障はどこにもない。恐る恐ると言った様子でベルを見上げると、彼はバツの悪そうな顔で小太刀を納刀していた。拳も蹴りも来ないし、リリルカが身構えていたことを見とがめてもいない。完全に自分の杞憂だった。

 

 すると、こんな良い人を疑ってしまった罪悪感が凄まじい勢いでリリルカの中を駆け巡った。そんな精神状態なのに童顔の少年が眼前でこれ見よがしに凹んでいるのだから、頭も上手く回らない。

 

「僕はまだまだだね……」

「い……え、そんなっ。ベル様は、ちゃんと強くてらっしゃいますよ」

「ありがとう。リリがいてくれてよかった」

 

 何でへこんでいるのか解らないが、それを押して気づかいの言葉まで掛けてくれている。そんな良い人に殴られる心配をしていたのかと思うと、自分のあまりの心の汚さに気分が滅入るリリルカであったが、落ち込むだけなら後でもできると、要反省と心のメモ帳に赤字で書きこむと気持ちを切り替えた。

 

 ここはダンジョン。いつ死んでもおかしくない場所なのだ。

 

 


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