英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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『戦争遊戯』③

 

 

 

 

 

 

 

 

 その戦いの初手はベル・クラネルが取った。彼は自分を激しく痛めつけつつも鍛えてくれた先達の冒険者たちの教えを忠実に実行する。それは先手必勝を旨としての行動であるが、これが明確に勝利に繋がるとはベル本人も教えた冒険者たちも考えていなかった。

 

 全ては最終的な勝利のための布石である。途中経過がどうであろうとも、最後に立っていればそれで勝ちなのだ。その過程でどれだけ痛めつけられようと関係ない。ベルのレベルが2で相手のヒュアキントスは3である。その差は絶対的で普通であれば一対一の戦いで勝つ見込みなどないが、冒険者として色々な意味で規格外なベルにはヒュアキントスに勝る点があった。

 

 ヒュアキントスもベルから視線を逸らした訳ではない。必勝のつもりで挑んだ勝負だ。敵を侮る気持ちも自分の力を過信するつもりもなかった。レベルで劣ろうとも眼前にいるのは強敵だ。そこに一切の油断はなかった……つもりでいたのだが、ヒュアキントスはベルが自分に向かって踏み込んだ次の瞬間、ベルの姿を見失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レベルが一つ上がるとステイタスの数値はリセットされるがそれは見た目だけの話だ。一度上がったステイタスは見えない所で累積し続け、それは『貯金』などと呼ばれる。

 

 仮にレベル1の時全てのステイタスが500の冒険者がレベル2になったとすると、レベル2になった段階でのステイタスは0(+500)となっている訳だ。

 

 これに加えて現段階でのレベル分の補正がかかる。このレベル分の補正が大体の場合『貯金』の累計よりも大きいために『レベル差は絶対』という考えが冒険者の中に強く根付くことになった。魔力特化のレフィーヤでもレベル差が1でもあれば、ミノタウロスを殴り殺せるというのが補正の良い例と言える。

 

 そういう事情から大体の冒険者はランクアップできるとなった段階で即時実行する。ランクアップをしただけでレベル分の補正を即座に受けることができるのだ。その分命の危険が減ると考えればそれをしない理由はない。神と違って地上の子供たちは死んだらそれでおしまいなのだから。

 

 だが最終的な数値がどれだけ高いかを追い求めるのであれば、レベルが低いうちにステイタスを上げられるだけ上げるという選択肢も存在する。ステイタスは表面上の数値が大きくなればなる程に伸びが鈍化するが、一度上げたレベルを元に戻すという選択肢が地上の子供に存在しない以上、レベル1時点でのステイタスの伸びやすさはレベル1の時にしか実感することができない。

 

 ならば少しでも、と考える者はオラリオでも一定数存在するが、最終的には即時のランクアップを選択するようになる。ランクアップが可能になった時点で大体の冒険者はそのレベルでの伸びが頭打ちになっており、レベルを維持したまましがみついても、危険に見合っただけの伸びが期待できないためだ。

 

 身の安全を犠牲にしてまで得ようとしたステイタスが誤差の範囲となれば、やはり危険を冒すだけの価値はない。それをしているのはベルの周囲では魔力の伸びを期待しているレフィーヤのみだ。

 

 しかし、ベルは自身のスキルによって異常なまでに高い経験値効率でステイタスを上げることができる。数値が増しても伸びが鈍化しないそのスキルは、全ての冒険者と神が求めてやまないものだ。そのスキルを如何なく発揮したベルは、ミノタウロスを倒した段階で通常のレベル1冒険者では考えられない程のステイタスを有していた。

 

 その分を『貯金』してレベル2となり、この二週間地獄のような特訓を繰り返した彼は並のレベル2では考えられない程の累計ステイタスを有していた。元から伸びの良かった敏捷であれば、レベル差による補正を上回る程に――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レベル2でありながら自分よりも明らかに素早く動いてみせたベルに、ヒュアキントスは僅かに動揺した。彼とて冒険者であり神の名の下にその眷属たちの命を預かる団長である。今がどういう時かを理解した身体は瞬時に動き出したがその一瞬は『白兎』には十分過ぎる時間だった。

 

 十分に加速したベルはヒュアキントスの死角から『紅椿』を打ち込む。人間の男性としてまだ成長期であるベルの身長はヒュアキントスよりも大分低く、狙える急所は限られている。殺すつもりであれば首でも狙うのが常道であるが大抵の場合急所というのは防具で守られていて、いかに不意打ちの攻撃とは言え一撃ではそれを貫通することは難しい。

 

 駆け出しの冒険者とは言え、ロキ・ファミリアに入団してからのベルの面倒を見ていたのはレベル6のリヴェリアである。後衛である彼女がベルに仕込めたのは知識のみだったが、この二週間ベルの面倒を見ていたのは前衛型であるリューと椿だ。

 

 レベル2にしては豊富な知識は、ようやく実践的な経験でもって裏打ちされた。自分のステイタスでは防具で守られた急所を攻撃しても意味がないのでは。ベルは率直な疑問をリューたちにぶつけたが、それを否定したのは椿だった。

 

『誰がお前の武器を作ったと思っているのだ!』

 

 ただの防具など問題にならないとオラリオ最高の鍛冶師である椿は保証した。それを実感しないまま戦闘に臨んだベルだったが、今はそれを信じるのみである。

 

 一方のヒュアキントスはベルの姿が視界から消えた段階で一撃もらう覚悟を固めていた。高位の冒険者たちとは比べるべくもないが、アポロン・ファミリアの団長だけあって他の団員達よりもヒュアキントスの装備は良いものだ。使っているフランベルジュも業物であり、防具一つにもそれなりの金額がつぎ込まれている。

 

 弘法こそが筆を選ぶのだ。それだけ金を突っ込むことが許されているのは、ヒュアキントスが団長でアポロンのお気に入りということもあるが、単純にアポロン・ファミリアの中で最も優れた冒険者だからだ。力あるものはそうでない者を導き、時には守らなければならない。端整な顔立ちに反して団員たちとダンジョンに潜る時にはヒュアキントスも泥臭い戦い方を強いられるのである。

 

 その経験則から、レベル2の攻撃であれば一度くらいは……と判断した。それを起点に反撃する。受ける覚悟を固めてさえいればその後に動くことは容易い。不意を打たれたことは忌々しいが、今は何よりも勝つことだ。ベルの方がレベルが低いということは、もはやヒュアキントスの中でただの情報にまでなり下がっていた。

 

 そこに油断はない。だが、認識の甘さがあった。

 

 相手を強者として認めた。自分が怪我を負うことも考慮にいれ覚悟を固めたヒュアキントスだったが、相手が自分の想定を上回ってくることにまでこの時考えが回らなかった。防具は質の良いものであるが、ベルのために椿が打った『紅椿』は、オラリオに出回っている武器の中でも最上の業物である。

 

 ベルの剣の腕は大したものではないが、武器の質と冒険者としての腕力はヒュアキントスの防具の強度を容易く上回った。ダメージを貰うことは覚悟していたヒュアキントスだったが、よもや防具がほとんど抵抗もなく斬り割かれるとは思ってもみなかった。

 

 それでも反撃の手を止めなかったのはヒュアキントスの経験の勝利であり、逆に手足を止めないまでも自分の成したことに目を奪われてしまったベルは経験のなさが裏目に出た形である。

 

 速度による奇襲で先手を取ったベルだが、その一瞬で有利を使いきってしまった。斬撃を貰いながらもベルに向かって強引に踏み込んだヒュアキントスは柄尻でベルの顎をかち上げる。速度、耐久力ではレベル3に伍する準ずると言っても腕力まではそうはいかない。1レベル上の腕力でクリーンヒットを貰ったベルは溜らず吹っ飛んだ。

 

 アポロン・ファミリアの団員との稽古では一瞬で意識を刈り取るのが常なのだが、かち上げた瞬間ヒュアキントスは入りが浅いと直感した。それでも手は止めない。返す刀で振り下ろされたフランベルジュを、ベルは不利な体勢のまま身体を捻って中空で避ける。

 

 背中から地面に倒れ込むと獣のように低い姿勢で距離を取る。速度を活かすためには距離を詰められてはいけない。この戦いの前に口を酸っぱくして言われたことの一つが、戦う時には距離を取りなるべく場所を広く使って戦うことだ。

 

 自分の不利をしかしヒュアキントスは理解していた。距離を取ろうとするベルを追いかけ、フランベルジュで連撃を加える。身体を両断せんと迫る大剣をベルは紙一重の動きで避けていく。その様に恐怖はまるでない。自分を殺しうる攻撃を受け続けた二週間は、相手の攻撃を冷静に分析するだけの余裕をベルに与えていた。

 

 ヒュアキントスは間違いなく自分よりも強者であるけれども、椿やリューに比べれば力量は低い。自分を殺しうる攻撃にも程度があり、ヒュアキントスの攻撃はまだまだマシな部類だ。当たり所が良ければ自分がヘマをしない限り死なない致命傷で済むのだから、椿やリューよりも優しいとさえ言える。

 

 それでも窮地には変わりない。戯れに殺しうる椿たちの攻撃には殺意や敵意というものはまるで感じられなかったが、今のヒュアキントスからは全身からそれが感じられる。ここにバケツポーションはないし、仮にあったとしても即死であれば対応はできない。当たり所が悪ければやはり死ぬのだ。

 

 今さらながらにそれを理解するが、自分が死ぬということさえ今のベルにはどこか他人事のように思えた。これは修行の功罪の罪の部分と言える。致命傷を受けすぎて、一時的に死を身近に感じるようになってしまったベルは自分を殺しうる攻撃にさえ無頓着になっていた。

 

 無論のこと生物として痛いのは嫌だから全力で回避防御はするがそれだけだ。この二週間致命傷を受けても回復され続けた弊害である。

 

 臆病過ぎては前に進むこともできないが、考えなしに前に進んでは死ぬだけである。そのさじ加減を冒険者たちは身体で覚えるのだが、経験が浅く急激に強くなったベルはその辺りの感覚が曖昧だった。明らかに危うさの残るベルの立ちまわりを見て、リューは眉を顰めていた。

 

 今のところ、1レベル上の冒険者を相手に良く戦っているが、これから先もこういう戦い方をしていては遠からず命を落とすだろう。二週間前のベルより格段に強くなったが、強さを追及するあまり肝心なことを置きざりにしてしまった。

 

 急激に強くするにはこれしかなかったと断言できるが、これ以降はもう少し丁寧に教え導く必要がある。これから彼を強くするにはどうしたら良いのか。ベルの戦いを見ながら、自分ならどうするかを考えている自分にリューはかすかな驚きを憶えた。

 

 駆け出しの冒険者にとっては地獄の日々だっただろう。折れるだけの骨は全部折ったしそれらの痛みだけでも全てを投げ出して逃げてもおかしくはない苦難だったはずだが、ベルは痛みに涙を流すことはあっても弱音を漏らすことは一度もなかった。どれだけ骨を折って血を流しても、ポーションで回復した彼は立ち上がりまた骨を折られた。

 

 今の危うさはその成果である。真剣に相手の攻撃を見極めギリギリのところで避け続けている彼の姿は、まさに彼の目指した冒険者の姿であり英雄の雛型だ。

 

 兎のような真っ赤な目がせわしなく動き大剣の動きを捉える。完全に避け、あるいは受け流し、機を見ては踏み込み、ヒュアキントスに一撃を加える。最初こそ防具を割かれたヒュアキントスだが、武器の鋭さを意識してからは立ちまわりを変えていた。

 

 ベルは踏み込んでいるが、それはヒュアキントスが踏み込ませているようなものだった。自分がベルに速度で劣ると最初のやり取りで理解したヒュアキントスは、攻撃を加えながらも迎え撃つ戦法を選択した。

 

 移動しながらの攻撃ならば致命傷にはならず、足を止めての攻撃ならばベルを捉えられるという確信があったのだ。反撃で倒せなくても良いのだ。自分に勝る要素があるとしても、総合力で劣っているはずはない。地力では勝っているのだ。持久戦になれば自分が有利である。

 

 とは言えレベルで勝るヒュアキントスからしても、ベルは楽に勝てる相手ではなかった。スタミナを気にせず短期決戦で決めに来ているということは、裏を返せばそれで勝てる算段があるということだ。まさか最初から仲間頼みという後ろ向きな姿勢ではあるまい。

 

 消極的ではあるが攻めの姿勢を続けるヒュアキントスに、ベルの方でも攻めあぐねていた。土台、技量で勝る相手に速度だけで勝てる程世の中甘くはない。あくまで自分の力のみで決めるつもりであれば、最初の奇襲で致命傷を与えるくらいのことが必要だった。

 

 それに失敗し現在もどっしり構えられると、技量と経験で劣るベルにこれを崩すのは難しかった。加えてトップスピードを維持したままの立ち回りは、短期決戦を前提で動いているにしても、ベルの体力を急激に消耗させていた。大剣というこれまた体力を消耗する武器を振り回しているヒュアキントスよりも、常に動き続けているベルの方が先に体力の限界がやってくるのも自明の理と言えるだろう。

 

 息が上がり始めたベルを見ても、ヒュアキントスは攻め方を変えなかった。一発逆転などあってはならない。確実に仕留められる時にこそ、彼を仕留めるべきだ。対外的にはもはやアポロン・ファミリアの敗北は決定的であるが、後のことを考えるならばヒュアキントスはここで拾えるだけの勝ち星を拾っておかなければならない。

 

 ベルに勝つのは現在の最低条件だ。万が一にも負ける訳にはいかないのだ。普段の彼であれば我慢できずに早い段階で決めに行っていただろう。自分で思っている程、ヒュアキントスは我慢強い方ではない。今日これだけ耐えていられるのは、それだけファミリアが追い詰められているということでもあったが、レベルで劣る眼前の少年を侮らないという思いが何より強かったからだ。

 

 そしてとうとうベルの膝ががくりと落ちた。足に限界が来ていたにも関わらず踏み込んだ彼の姿勢が大きく崩れる。待ちに待った好機だ。飛びかかりたいのをなけなしの精神力で堪えたヒュアキントスは冷静に、前のめりになった『白兎』の顔面に左の膝蹴りを加えた。浮いた身体を追いかけるように、その場で限界まで身体を捻り、腕を畳み込むようにして振りぬいた大剣の腹を叩きつける。左腕の骨を砕いた感触がヒュアキントスに伝わった。

 

 レベル3の冒険者のフルスイングを受けたベルは、砲弾のように吹っ飛んだ。受け身も取れないまま壁にぶつかり顔から床に倒れ込む。判官贔屓でベル一色だったオラリオ中に悲鳴が響いた。これは決まったと誰もが思ったがベルをアップにした映像は、彼がまた意思を持って動き出そうとしている所を映し出していた。手をつき立ち上がろうとしているが、足に上手く力が入らないのか、立つことすらできないでいる。

 

 口は静かに動いている。何かを呟いているらしいが、小さすぎて映像はそれを拾えていない。使えねえな! とバベルに神々の怒号が響くがここが天界であるならばいざ知らず、様々な制限のかかった下界では技術的にも限界があった。

 

 ベルの声は対決しているヒュアキントスにも届いていない。彼は大剣を持つ手に力を込めながら、ゆっくりとベルに歩み寄った。反撃を狙っている可能性を潰すように、一歩一歩踏みしめて距離を詰めていく。ベルが顔を上げヒュアキントスを見た。血の赤が白い髪によく映えている。ともすれば少女のようにも見える童顔も相まって、その痛々しさは冒険者であるヒュアキントスをしても痛々しいものだったが、髪の白と血の赤。その向こうに見えるベルの赤い瞳はまだ意思を失ってはいなかった。

 

 こいつはまだ勝つつもりでいる。それを悟ったヒュアキントスは、自分が慎重に過ぎたことにようやく気が付いた。今この場で勝負を決めなければと焦ったヒュアキントスはそれまでよりも大きく踏み込み――そして、それこそがベルが待っていたチャンスだった。

 

 それまでの動きが嘘のように素早く、上着に隠してあった『武器』を取りだし投擲する。低い軌道。ナイフなどの殺傷を目的とした投擲武器であれば、あるいは多少の怪我を負わせることはできたかもしれないが、ベルが放ったのはそういう目的の武器ではなかった。

 

 ボーラと呼ばれるそれがヒュアキントスの足に絡みついた。動きが制限されるが、それは下半身に限ったことで振り上げた大剣には影響がない。無駄な抵抗か。ヒュアキントスさえそう思ったが、投擲した腕を引っ込めると同時、逆の腕で抜き放ったそれをベルは掲げる。

 

 燃え盛る炎を凝縮したような真っ赤な刀身を見て、それが何であるのかヒュアキントスは理解してしまった。情報はあったのだ。クロッゾの魔剣がベル・クラネルの手に渡ったということ。それを今回の『戦争遊戯』にも持ち込んでいるということ。

 

 今回の『戦争遊戯』は攻城戦だ。城を攻めるに、高威力の魔剣というのは都合が良い。フレイヤ・ファミリアが乱入したことで機会はなかったが、本来はそういう用途に使うものだと、ヒュアキントスを始め、アポロン・ファミリアの全員が考えていた。

 

 海すら燃やすと言われたその魔剣を、同業者相手に向ける冒険者がいるとは考えもしなかったのだ。それはどう考えても地上の子供のすることではない。何をも恐れない神の所業である。

 

 加えて場所と位置取りも良くない。高威力の魔法なり武器というのは開けた場所で十分に距離を取って使うものだ。間違っても武器を振り回して当たるような距離にいる相手に屋内で使うようなものではない。ともすれば余波に仲間が巻き込まれる、と思って横目に見れば、観戦していた二人はどこから取りだしたのか耐火用のマントで防御を固めていた。あれだけ距離があれば多少焦げたとしても大怪我まではするまい。

 

 今この場で危険なのはぶっ放されるヒュアキントスと、ぶっ放すベルの二人だけである。こけおどしであってほしいとヒュアキントスは心の底から己が主神に祈ったが、据わった目をしたベルはヒュアキントスが一番聞きたくなかった言葉を口にした。

 

「――――目覚めろ、『不滅ノ炎(フォイア・ルディア)!!』

 

 

 次の瞬間、爆炎が世界を包んだ――――

 

 

 

 

 


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