英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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『神会』の裏で

 

 

 

 

 

 

 

 ロキの神命で椿に匿われることになったベルは、アポロン・ファミリアとの『戦争遊戯』が実質的に決まったその日、ヘファイストス・ファミリアの本拠地にある椿の私室に連れ込まれた。事務仕事をするなら団長室、鍛冶仕事をするなら専用の鍛冶場と、仕事とプライベートをきっちりと分けている椿の部屋は、その豪放磊落な性格に反してきちんと整理整頓されている。

 

 これは本人が無駄に几帳面さを発揮したということではなく、単純に物が少ないことに由来していた。部屋にあるのは寝台とあまり使っている形跡のない文机。着物が収められている箪笥と秘蔵の酒が押し込まれている棚くらいだ。

 

 部屋の主である椿は、殺風景な自室にベルを放り込むと『今日はもう寝ろ』とだけ言い残して部屋を出ていった。寝ろと言われても、初めて訪れる女性の部屋である。初心なベルは緊張して仕方がないが、実は女性の部屋に入るのはこれが初めてな訳ではない。

 

 黄昏の館ではリヴェリアの部屋にも足を踏み入れたことがある。その事実だけでリヴェリアを敬愛する男性冒険者からは聞いたら耳が腐りかねないほど怨嗟の籠った罵詈雑言が投るに値する。女神も嫉妬すると言われるほどの美貌を持ったリヴェリアには、男女を問わずファンが多いのだ。

 

 実際、それを理由にベルに絡んでやろうという冒険者は多いのだが、『白兎』が『九魔姫』とその弟子である『千の妖精』の庇護下に入り、その寵愛を受けているというのは、ロキ・ファミリアだけでなく他の冒険者たちも知るところである。

 

 閉鎖的に暮らすことの多いエルフは血統を重視する傾向にあり、王族であるところのリヴェリアはオラリオにいる全てのエルフの中で、最も高貴な立場にある。王族である。エルフにとってはそれだけで、敬愛を向けられるに十分な条件なのだ。

 

 それ故に、オラリオのエルフのコミュニティは、エルフが人間にするにしてはそれなりに好意的にベルに接している。ベル本人に思うところがある訳ではなく、彼に何かあるとリヴェリアの不興を買うという理由だ。無論、これはリヴェリアがそうしろと号令をかけた訳ではない。単に、オラリオのエルフが自発的にそうしているというだけである。

 

 その事実もことさら流布した訳でないが、オラリオの冒険者たちの間には、既に浸透しつつあった。『白兎』に何かあったら、オラリオ中のエルフが立ち上がる。冗談のように語られていたそれが、ほとんど事実であるとオラリオの冒険者たちは後に知ることになるのだが、それはまた別の話である。

 

 椿の部屋で一人になったベルが最初に考えたのは、今日は座学は休みだな、ということだった。厳しいがちゃんと優しいリヴェリアから教わることは、ベルの密かな楽しみだったのだが、こうなってしまっては仕方がない。事情が切迫しており、自分が匿われているという事実も、ベルは自覚している。

 

 こういう時は無駄に動かない方が良いのだ。下手な考え休むに似たりである。勉強も訓練もないとすると、他人の部屋である。まさか女性の部屋を家探しすることもないし、ベルにはすることがなかった。椿には寝ろと言われたが、まだ日は高い。女性の寝台を勝手に使う訳にもいかないから、とりあえずごろりと床で横になる。

 

 石造りの床はひんやりとしていたが、今日はダンジョンに潜って色々な武器を試した。慣れない動きに、地味に疲労も溜っている。もそもそと装備を外したベルは、防具をその辺りに放り投げ、そのままくーくーと寝息を立て始めた。初めて訪れる女性の部屋の床で抵抗なく眠れるのだから、本人が思っている以上に彼の肝は太い。

 

「起きろ、ベル」

 

 すぴすぴ呑気に寝息を立てていたベルは、椿のそんな声で目を覚ました。床で寝ていたために身体の節々が痛い。痛む関節をごきごき動かしながら立ち上がると、眼前には椿の姿。窓から差し込んでいる日の光から、本当に一晩明かしてしまったのだと気づいた。頭もぼーっとしている。

 

 ほれ、と椿が差し出したコップを受け取り、中身を飲む。ただの水だが、寝起きの頭には心地よい。

 

 空になったコップを返す。見れば椿には同行者がいた。東洋風の着流しを着た、背の高い短い赤毛の男である。手にはタコ。大いに火に焼けたその褐色の肌から、彼も鍛冶師であることが解った。

 

「まずは紹介しよう。これはヴェルフ・クロッゾ。手前の後輩で、ヘファイストス・ファミリアのレベル1の冒険者だ。ヴェルフ。これはロキ・ファミリアの『白兎』ベル・クラネル。今から手前が武器を作ることになった」

「ヴェルフだ。よろしく、『白兎』」

「ベルです。こちらこそ、よろしくお願いします」

「これからどういう予定になるか解らんから、一応ホーム内の案内役ということで連れてきた。『戦争遊戯』の日程は定かではないが、何しろ片方が最大手のロキ・ファミリアだ。どんなに早くても二週間といったところだろうな。それに間に合うよう、一週間を目途に武器を完成させる予定だ」

「一週間で完成するんですか?」

 

 もっとかかると思っていたベルは純粋な疑問として聞き返したのだが、既に気持ちを高めて仕事人の顔になっていた椿は、それを挑戦と受け取った。ベルに間近まで顔を近づけると、息がかかりそうなその距離で獰猛に笑う。

 

「手前を舐めてもらっては困るな、ベル。手前はやると言ったらやるぞ。全身全霊を賭けて、お前に相応しい武器を完成させてやる。お前はそれまで、腕を磨いておくと良い。神の名の元にならば何をしても良いと考えているようないけ好かない連中だが、だからこそ、手前たちの武器の試し斬りにはもってこいだ」

 

 かかか、と笑って、椿は部屋を後にした。聞きたいことは山ほどあったが、その背に言葉をかけることはできなかった。武器を一週間で仕上げてくれるというが、そもそも『戦争遊戯』というのはどういうものなのか。冒険者歴の浅いベルは、それも良く解っていなかった。

 

 助けを求めるように、ベルはヴェルフを見た。どうにも名前の音が似ている赤毛の男は、年下の少年からすがるような視線を向けられて、気まずそうに頬をかく。

 

「俺もオラリオに来て日は浅いし、神やファミリア間の事情になんぞ興味ないから、知ってることはお前と大差ない。ついでに言えば、俺は今朝いきなり『白兎』の面倒を見ろって椿に言われただけで、お前たちの事情は何も知らん。椿の部屋で寝にくいって言うなら、俺の部屋に来ても構わないが……」

「そういうことではなくて……その、僕が色々やったせいで、よそのファミリアと戦争することになっちゃったんです」

「何とも難儀な話だな。そういや、今日が臨時の『神会』だってな。ファミリア間の抗争ならさっさとおっぱじめた方が良いような気もするが、椿が二週間って言うならそうなんだろう。あんなでも団長だからな。ファミリア間の事情には詳しい」

「その『戦争遊戯』は回避できないんでしょうか?」

「無理だろうな。俺が出会った神のほとんどは娯楽に飢えたロクでなしだ。他人が戦ってるのを見るのが、何より大好きな連中だ。よほどのことがない限り、戦争の中止は無理だろうさ」

 

 ヴェルフの言葉に、ベルは心底落胆の溜息を漏らした。

 

 神は元来自由な生き物だ。オラリオの法も人より神が貴いという前提に立って作られている。土台、神と地上の子供はまず平等ではないのだ。事の発端が地上の子供であったとしても、一度話が神々に移ってしまえば、子供たちにはどうすることもできない。全ては神の御心のままに。よくも悪くもそれがオラリオの法の根幹にある。

 

 その中でもロキは比較的子供たちの言葉に耳を傾ける神であるが、それ故に子供たちに対する情が深いことで知られている。他の事情であれば何とでもなっただろうが、自分の子供がよその子供に殴られたのだ。主義主張の違いというのもあるだろう。冒険者の流儀に倣えばベルに一点の非もないとは言えないのだが、ロキにそんなことは関係がない。

 

 子供の痛みは自分の痛み。子供の怒りは自分の怒りだ。普段ちゃらんぽらんで雑に扱われるロキであるが、ここぞという時自分たちのために本気で怒ってくれると知っているからこそ、子供たちは彼女に付いて行くのだ。

 

 ベルも、そんなロキの気質をよく理解している。自分のために他人が何かしてくれるというのはとても嬉しい。そうありたいと思っていたからこそ、ベルは小人の少女に助け舟を出したのだが、そのせいで己が主神と仲間たちに多大な迷惑がかかってしまっている。それがベルには心苦しかった。

 

 しかし、ベルは同時にそれを仲間たちの前で口にしてはいけないということも理解していた。仲間が困っている時に助ける。それに理由などいらない。今の自分の立場に立っているのが、例えばレフィーヤだとしたらベルは特に何も考えずに彼女の味方をしただろうし、助けられることが心苦しいと言われてしまったら、ほんの少しではあるが、傷ついてしまうだろう。だから助けてもらうことに否やはない。

 

 そして、自分の力の限り仲間のために戦うと心に決めた。そのためにはこんなところでじっとしている場合ではないのだが、椿に匿われるべしというのはロキの神命であり、それが撤回されない限りベルは椿の庇護下から動くことはできない。

 

 ロキの使いが来るまで本気で暇なのだ。身体を思う存分動かしたいのに、それもできない。色々な意味で途方に暮れるベルを、ヴェルフはぼんやりと眺めていた。

 

 ベルに言った通り、ヴェルフもオラリオに来て日が浅い。生まれ故郷でもとある神の眷属をしており、所謂冒険者になったのはオラリオに来るよりも以前の話だが、オラリオの外の話をヴェルフはあまり他人にしたことはない。

 

 事情を知っているのは主神であるヘファイストスと、団長であり根掘り葉掘り聞いてきた椿くらいのものであるが、ヘファイストス・ファミリアは鍛冶師の集団である。ヴェルフの家名である『クロッゾ』を聞いただけで、その来歴を想像できた。

 

 クロッゾと言えば、魔剣の代名詞である。その炎は海を焼き、数えきれない程のエルフの里を焼き払った。亜人の中には、クロッゾという名前に嫌悪感を抱く者もいる。家名を名乗る時は注意しなさいと、ヘファイストス・ファミリアに入って、主神から注意されたのがそれだった。

 

 自分の代より前のこととは言え、魔剣の炎で里を焼かれ同胞を殺されたのであれば、クロッゾに対する恨みもまた一入だろう。気持ちは解らないでもないが、自分には関係がない、というのがヴェルフの正直なところだった。当分魔剣は作らないと決めたのである、しばらくはただ、鍛冶の腕を磨くのみだ。無心で鎚を振るう毎日は、オラリオにやってくる前には得ることのできなかったもので、ここでの生活にヴェルフは大きな充足感を憶えていた。

 

 名前を聞き知った冒険者が魔剣を打ってくれと押しかけてくることも儘あるが、そんな輩も余裕を持って叩きだせるようになった。怒鳴ったり罵声を浴びせたりはしない。単にバケツにためておいた水をぶっかけて背中を蹴り飛ばすだけである。思えば紳士になったものだと自画自賛しながら、何の気なしにヴェルフは問うた。 

 

「興味本位で聞くが、お前魔剣には興味ないのか?」

「魔剣って……名前を叫ぶと魔法が飛び出すあの魔剣ですか?」

「他に魔剣があるなら聞いてみたいもんだが……」

 

 ヴェルフはベルの反応に戸惑っていた。もっと魔剣というものに食いついてくると思ったのだが、反応がどうにも渋い。命を賭けて戦う冒険者にとって、魔剣というのはただの『魔法が出る便利な剣』ということでは片付けられないものなのだが、ベルの認識はその程度に留まっている。

 

 こいつは本気で魔剣に興味がないのだろうか。魔剣を打てという連中にうんざりしていた身としては願ったりかなったりではあるのだが、興味がないというのはそれはそれで悔しい。悶々とした感情を持て余していると、今度はベルがヴェルフに問うた。

 

「椿さんと昨日話したんですけど、魔法を撃たない魔剣って作れないものですか?」

「………詳しく聞かせろ」

「えーと…………神代で、この大陸の更に南の大陸の南にある島には、かすり傷をつけただけで魂を砕く魔剣があったそうです。オラリオにある魔剣はそういう魔剣とは違うものらしいですけど、絶対に壊れないみたいな属性と一緒で、理屈の上では不可能ではないと椿さんは言ってました。だから、魔法を撃つ分の力を、そのまま剣に残しておくことができれば、消耗しない魔剣ができるんじゃないかなと素人考えで思うんですが……」

 

 どうでしょう、というベルの問いに、ヴェルフは答えない。鍛冶師の端くれとして、鍛冶貴族と呼ばれたクロッゾ一族の末裔として、ベルの口にしたことが可能なのか沈思黙考した。

 

 そもそも魔剣とは何だろうか。冒険者に問うてもまた鍛冶師に問うても、出てくる答えは同じだろう。それはベルの認識と大差ないものだ。つまり回数制限のある魔法を撃ち出すことのできる消耗品である。鍛冶師の腕によってその威力が増減するが、使用者が誰であってもその威力が変わることがない。

 

 魔法はそれそのもののスキルを持っていないと使用することもできないが、魔剣は本体を持っていれば誰でも同じ威力で、使用回数が残っている限り何度でも使うことができる。その分値段が張り魔剣というだけで大したデキでなくても目の飛び出るような値段がするが、魔剣を持つことは冒険者として一種のステータスとなっており、多少無理をしてもこれを求める者は後を絶たない。

 

 ヴェルフが出奔したクロッゾの一族が作った魔剣はその中でも最高峰とされ、その一撃は海すら燃やすと言われた。今はその力を失って久しく一族にもかつての勢いはないが、それはさておき。その末裔であるヴェルフですら、魔剣に対する認識はその他大勢と一緒だった。

 

 使用回数を増やすとか、放たれる魔法の威力を調整して浮いた分を他の方向に向けようとか、そんなことは考えもしなかった。クロッゾが没落しきった今こそ、そういう研究が求められているのだろうが、クロッゾの一族の中で唯一魔剣を打てるヴェルフが出奔してしまった今、かの一族の中に魔剣鍛冶は一人もいない。

 

 そしてそれは鍛冶師の研究課題として、ヴェルフの興味を大いに刺激した。世の冒険者や鍛冶師がそう呼ばないだけで、『不壊属性』なども所謂魔剣の一形態なのだとしたら、クロッゾの血の力で似たような現象を再現できても良いはずだ。自然から生まれた精霊から力を授かったという、クロッゾの一族が魔剣を打てるに至った来歴を考えれば、その方がより『らしい』とも言える。

 

 海すら燃やすと言われた炎が放たれず、剣に留まるのだとすればどんなにか。自分の産み出した魔剣が城塞を破壊するのを見てきたヴェルフ自身にも、見当がつかない。久しく忘れていた鍛冶師としてのやる気が、身体に満ちていくのを感じる。魔剣を打たないと決めたことも忘れていた。今ヴェルフが考えているのは、自分が一体どんな魔剣を生み出すことができるのか。それだけだった。

 

「そいつを今から打ってみる! 椿と一緒にお前の『戦争遊戯』には間に合わせてやるから安心しろ! アイデアをくれた礼に、その魔剣はタダでくれてやるから!!」

 

 それじゃあな! とヴェルフは振り返りもせずに部屋を飛び出していく。その背中をベルは茫然と見送った。椿の話では彼がこの場所の案内役だったはずなのだが、もう戻ってきそうにない。役目を放棄した理由が理由だけに文句を言う気にもなれなかった。上手くすればベル自身が想像する『魔法を撃てない魔剣』というのを見られるかもしれないのだ。今からわくわくが止まらないが、まず解決すべきは……

 

「僕はこれからどうすれば……」

 

 違うファミリアのホームで一人、外の事情を知ることもできないベルは途方に暮れた。

 

 

 




次回ベル以外のロキ・ファミリアの面々のお話。
謎のブルマスクエルフの登場はもう少し後になります。

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