「――それでは小太刀を軸に短めの武器を中心に話を進めようか。手前の工房にいくつか試作品があるから、今日はそれも試してもらおう……いや、この後リヴェリアの座学があったのだったか? それなら別に明日でも構わないのだが……」
ちら、と椿はベルではなくレフィーヤに伺いを立てた。
鍛冶師の言い分としては、座学などキャンセルさせられるものならさせたいのだが、その座学を主催するのはここにいる面々ではなく『黄昏の館』にいるリヴェリアである。
ベルの教師は血統が重視されるエルフ族において無類の高貴さを誇る存在にして、オラリオにおいては全冒険者の中で十指に入る実力のレベル6。女神も嫉妬する美貌すら持つ彼女の予定を妨害したとなれば、多くのエルフを敵に回しかねない。
種族の坩堝と言われるオラリオに住む亜人の中で、エルフは多数派に属する。その多くが冒険者として登録されていて、オラリオでエルフと言えば概ね、実力が伴っていると言っても良い。つまり鍛冶師にとってエルフというのはそれだけで、潜在的なお客様なのだ。
無論、全てのエルフが同じファミリアに所属している訳ではない。ファミリア単位で行動する冒険者たちは、それ以外の一般人が想像する程に横の繋がりは強くなく、いかにエルフと言えど普段は一致団結して行動することなどほとんどないのだが、出身地や氏族を越えて団結するケースがいくつかある。
その中で最たるものが、高貴な血統による大号令である。声を挙げる必要はない。高貴な血筋に何かあったという、その事実だけでオラリオのエルフはファミリアも主義主張の壁も超えて一つになる。
それ程までに、エルフにとって高貴な血統というのは重要視されている。最大ファミリアの片割れであるロキ・ファミリアの副団長という立場が影響していることもあるが、客商売でもある鍛冶師にとって、オラリオのエルフの顔役のような存在であるリヴェリアは、できることなら敵に回したくない者の一人だった。
椿が伺いを立てたレフィーヤは、対外的にはリヴェリアの一番弟子として認識されている。この場で問うならば間違いなくベルではなく彼女だ。
「明日でも構わないなら、明日にした方が良いと思います。都合がつくようなら、リヴェリア様もそちらに行くかもしれませんし……」
「急いでいるのは手前ではなく、お前たちだからな。手前の方は別に問題はない。今週はずっと工房にいる。都合の付いた時間に、都合のついた面々で来てくれれば良い。他の団員には、話を通しておこう」
「ありがとうございます」
椿の言葉に、レフィーヤは深々と頭を下げた。地上の子供たちの中では最高の腕を持つ鍛冶師である。金に糸目はつけないという条件とは言え、レベル2になったばかりのベルの武器作成に真剣に取り合ってくれるか若干不安ではあったのだが、今日の態度を見るに随分と乗り気のようである。
ただでさえ最近はティオナも参加するようになって、パーティの女性比率が上がってきたところなのだ。これ以上人員が増えるのは正直、レフィーヤとしては歓迎できるものではなかったが、人員の充実は自分だけでなくベルの生存率にも影響してくる。
前衛がベル一人で、残りは魔法使いの自分という編成では浅層ならばまだしも、深層まで攻略しようとなればいずれ無理が出てくるのは目に見えていた。いつまでも2人でというのが通らないのは解っているつもりなのだが、理性と感情は全く別のものだ。
近場で見つけるならば同じファミリアの冒険者というのが手っ取り早いのだが、パーティというのは何も同じファミリアだけで組むものではない。椿ならば力量としては十分過ぎるほどだし、鍛冶師がパーティにいるというのは心強いものである。
いずれにしても、ベルのパーティに入るのであればリヴェリアの『面接』を突破しなければならない。レフィーヤが思うに、あれは自分よりも遥かに高い壁だ。早々パーティメンバーは増えないと思うが、気になるものは気になるのだ。
「それにしてもさ。ダンジョン内を一気に移動できるような方法があると良いと思わない? 一層から十層まで一気に行ける方法とか、誰か発明しないかな。毎回お金がかかるとしても、それだったら私喜んで使うんだけど」
内心で苦悩しているレフィーヤを余所に、ティオナが軽い口調で言う。一度でも浅層以下の場所まで行ったことがある冒険者ならば、誰もが思うことだ。移動にかかる時間を短縮できるのであれば、その分色々なことができるし、安全もより確保できるようになる。
どういう方法にしろ、経路短縮ができるのであれば冒険者にとって夢のような話だが、そういう方法があるという話は、レフィーヤも聞いたことがない。
「その昔、ドワーフの工夫が床に穴を空けて固定化できないかと試行錯誤したようだが、上手くいかなかったようだな。ダンジョンが許容したものしか、永続的には形状を保てないらしい」
「魔法で移動、とかできないんですか?」
これを問うたのはベルである。そんな便利なものがあったら良いな、という軽い気持ちで聞いたのだが、それに応えたのはレフィーヤの深い溜息だった。
「……そこまで行くと、もう神の御業と言っても良いですね。マジックアイテムを作成するスキルを持った人たちなら、そういう便利なアイテムを作ってくれるかもしれませんが、現状、良い話は聞いてません。ヘファイストス・ファミリアの方で、何か聞いてませんか?」
「手前どもは武器や防具が専門だからなぁ……そういうことは『
「誰なんです? その『
「ヘルメス・ファミリアの団長で、レベル3の冒険者だよ。空飛ぶ靴とか見えなくなる兜とか、そういうマジックアイテムを作るのが得意なんだって」
「その人なら、一層から十層まで一瞬で移動するようなアイテムを作れるんでしょうか」
「私の専門は戦うことだからねー。できたらいいなって、そういう話。だからもし、私がそういう便利なアイテムを手に入れたら、特別にベルにも使わせてあげるよ」
「……ありがとうございます」
特別に、という言葉を強調したティオナは笑みを浮かべながらベルとの距離を近くする。それをあまり警戒しないベルに、レフィーヤは僅かに眉を顰めた。性に奔放と言われるアマゾネスにとっては、異性であってもこれが普通の距離感なのかもしれないが、女慣れしていないベルにはきっと身体に毒な距離だ。
異性関係について正反対の慣習を持っているエルフとアマゾネスは、その距離感から良く対立することがあるのだが、その種族間の縮図が、このパーティにも持ち込まれつつあった。レフィーヤも、ティオナがからかっているだけというのは解っていたが、それでもいらっとするのを止めることはできなかった。
イライラする心を無理やり鎮める。私の心が狭いんでしょうか、と自問するレフィーヤの耳に人の声が届いた。
複数人の声だが、それはどう聞いても、多数の男性が女性を含む少数を一方的にいたぶっているような物言いだった。何故こんな場所で? と疑問に思ったのはレフィーヤの他にはティオナと椿――つまりは、ベル以外の全員だった。
誰かの窮地であると察したベルは、一も二もなく駆け出していた。どういう状況で誰が誰に襲われているのであろうと、それを見過ごす道理はない。ベルの行動は人倫に基づいた反射的なものだったが、それを椿が止めた。
足を止めたベルは、彼にしては珍しく迷惑そうな顔をして振り返る。それを迎えた椿はいつも快活な彼女にしてはこれまた珍しく、神妙な面持ちでベルに問うた。
「よく考えて行動するんだな。冒険者同士の争いは、簡単には片付かないことが多いぞ? ここであの某を助けることは、争いの最後までケツを持つということだ。お前にそこまでの覚悟があるか?」
その問いには答えずに、ベルは再び駆け出した。生意気で無鉄砲な態度に椿は苦笑を浮かべ、肩を竦める。普段であれば拳の一つも出ていただろうが、不思議と悪い気分ではない。冒険者とは刹那的な生き方をするものだ。感情の赴くままに行動するべきで、それがどうなろうと自分のしたことには責任を持つ。
どんな職業であれ、それが一人前というものだ。思いのままに行動し、それが他人に誇れるようなものであるならば、なお良い。ベルの青臭い行動を笑う冒険者もいるだろうが、椿はそれをしなかった。周囲をみればレフィーヤもティオナも、それが困惑しつつも、ベルの行動を当然と受け入れていた。
人間としては、それで良いかもしれない。
問題は、今からベルが首を突っ込もうとしていることが明らかに面倒ごとであることだが、向こう見ずな後輩の面倒をみるくらい、先達としてやってやるべきだろうレフィーヤもティオナも満更ではないそぶりなのだから、ファミリアの中でもそれなりに愛されていることが伺える。
あの見た目であの性格ならば、女性団員は放っておかないだろうと、椿でも思う。ヘファイストス・ファミリアは鍛冶師という職業上無駄にいかつく、火事場の炎で肌の焼けている者が多い。肌が白く線の細い人間の男性というのは、椿のファミリアにあっては希少な人種なのだ。
見た目で良い武器が打てる訳ではないが、眺めるだけならば話は別だ。周囲にいかつい連中の多い環境で育った椿は、どちらかと言えば線の細いかわいらしい男性の方が好みなのである。問題はそういう連中は大抵椿のような豪放磊落な性分を好まないということなのだが……まぁ、それはそれだ。
「あれは中々良いな。一晩で良いから貸してくれんか? 小さくて抱き心地がよさそうだ」
「私の一存では何とも……リヴェリア様にお伺いを立ててみていただけますか?」
「あれはあれで猫っかわいがりをしているという話だから無理そうだな。時に、お前の一存で決められるとしたら、手前の問いに何と答える?」
「寝言は寝て言ってください!」
「了解した。愛されているようで何よりだ」
お前は? と視線で問えば、ティオナは無言で首をかっきる仕草をしてみせた。こちらはレフィーヤ以上に取り付く島がない。レフィーヤほど好意を持っているようには見えないが、何しろティオナはアマゾネスだ。お友達程度の関係であっても、アマゾネスから男を取り上げるとなれば流血くらいは覚悟しなければならないだろう。
抱き枕にするには、ハードルが高そうだ。とりあえず、今晩は毛布を代わりに抱きしめることを心に決めて、ベルを追って走り出す。そこそこに距離があったことが幸いしたのか、椿たちが追いついたのとベルが目的の場所に到着したのはほとんど同時だった。
眼前ではやはり、いかにも冒険者といったなりの男が五人、一人の少女を囲んでいる。子供のように見えたが、小人族だろう。散々殴る蹴るをされた後なのか、薄汚れて自分の流した血にまみれている。もはや自分の力では動けまい。
この場所で、これだけのことをしたのだ。ただの『落とし前』ということではないだろう。ここで殺すかあるいは動けなくして放置し、モンスターに処理をさせるか。いずれにせよ、少女を亡き者にしようとしていた可能性は非常に高い。最初からトラブルの臭いを感じていた椿だったが、予想以上のきな臭さに顔をしかめた。
だが、そんなトラブルの臭いも頭に血がのぼっているベルには関係がない。彼は多数の男が少女を囲んでいると言う事実にのみ着目し、男たちに向かって声を挙げた。
「待ってください! その娘が何をしたって言うんですか!」
「俺の仲間の持ち物を何度も何度も盗んで金に換えてやがった。これはその落とし前だ」
「だからって――」
「待て、ベル坊」
無抵抗の少女を多人数で囲んで、殴る蹴るをして良い訳ではない。倫理的に判断するならそうであるが、冒険者の事情が絡むと話は変わってくる。
オラリオにおいていくつかの特権を有している冒険者であるが、神でない以上人の作った法律に縛られる。人の物を盗み、それが明るみに出れば当然窃盗として裁かれるのだが、冒険者が冒険者の物を盗んだ場合、特に荒っぽい連中の間では私刑が黙認される傾向が強かった。
大抵の場合は金品が戻ってくることはなく、無い袖は振れないと盗まれた側が一方的に損をすることになる。ならばと、ある程度の報復ならば許容する風潮があり、殴る蹴るをされた方も負い目があるから傷害などで訴えることは少ない。
少女が盗み男たちが盗まれたとなれば、その制裁に部外者が口を出すものではない。少なくとも、冒険者の慣習に従うならばそうであるが、冒険者になって日が浅いベルはその辺りの機微を理解していない。
仮にしていたとしても、ベルは声を挙げていただろうという確信が椿にはあった。そういう向こう見ずなところは嫌いではないが、ここで直情的に突っかかられると、話がややこしくなってしまう。
ベルの言葉を引き継ぐ形で、椿は前に出た。褐色の素肌にサラシ。袴姿に眼帯という特徴のある風貌に、少女を囲んでいた冒険者たちも、一目で椿が何所の誰かを理解した。
「手前が誰か分かるのならば話は早い。お前たちの怒りも理解できるが、ここは手前に免じてそこまでにしておいてくれぬか? 手前も一応女でな。目の前で男に、一方的に少女が嬲られているのを見るのは好かんのだ」
「だから、お前らには――」
「手前は、そこまでにしてくれと頼んだぞ? それとも何か? 頼む以外の方法でなければ、いけないのか?」
椿が凄むと、冒険者たちは一歩後退った。ヘファイストス・ファミリア団長である椿は、レベル5の一級冒険者である。彼らが一致団結したとしても、勝てる相手ではない。
加えて鍛冶系のファミリアは、ポーションなどの消耗品を製造するファミリアと並んで、冒険者たちの命を預かっている集団である。親子兄弟に暴言を吐いても、鍛冶師と薬師には阿るべしというのはオラリオに伝わる小話のオチもある。素材などの関係で意外と横の繋がりの強い鍛冶系ファミリアが、揃ってそっぽを向いてしまっては冒険者として生きていくことはできない。
椿が止めろというのならば、内心でどう思っていたとしても、冒険者たちはそれに従わざるをえなかった。苦虫を噛み潰したような顔で、男たちの一人が吐き捨てる。
「…………好きにしろ」
「話を理解してくれて助かる。ああ、無論のことタダでとは言わん。これは手前の作った試作品なのだがな、これをお前たちにやろう」
椿は男たちに、自分の持っていた鞄を放り投げた。椿は軽々と持っていたが、彼女はレベル5。現在オラリオにいる全ての冒険者たちの中でも上位五十人に入る強者である。対して男たちは高い者でもレベル2。その膂力には大きな差があった。
武器をこれでもかと詰めた鞄は、男たちが全員で担いだとしても一仕事だ。試作品とは言え椿・コルブランドが作った武器が大量にある。捨て値で捌いたとしても一財産なのは間違いないが、全員で担いでも持っていけるかどうか……
「話は済んだ。もう行って良いぞ。失せろ」
持てるかどうかというのは、この言葉の段階で関係がなくなった。自分たちのしなければならないことを理解した男たちは全員で分担して鞄を持ち上げた。ふらふらとした足取りである。これでモンスターに襲われたらどうするのかと心配になるベルだったが、今気にするべきは男たちのことではなく襲われていた少女のことだ。
「あ、ありがとうございます」
何とか起き上がった少女に、レフィーヤがポーションを振りかける。外傷はそれで何とかなるが、身体の中の傷はそうはいかない。痛みますよ、と前置きしてから、残ったポーションを少女の口に当てる。ゆっくりと薬品を嚥下するのに合わせて、少女の胸が揺れた。
こっそりと、ティオナの視線が自分の胸元に向く。小人族だから見た目通りの年齢をしているとは限らないが、まず自分よりも年上ということはないだろう。頭二つは身長が低いのに、明らかにその胸元は自分よりも豊かだ。
やっぱり助けない方が良かったんじゃないかな、と激しく私的な理由でティオナが人知れずやさぐれる中、一同を代表して椿が少女の前に立った。
「まぁ、知り合ったのも何かの縁だ。ここは共に食事でもしながら今後のことを話さないか?」
言葉通りに受け取るならば、親睦を深めようという前向きなお誘いであるが、椿が少女を見る目にそんな友好的な光はなかった。レベル5の冒険者が放つ重圧を伴った眼光に、少女は自分がまだ窮地を脱していないことを理解して、そっと溜息を吐いた。