ダンジョンでモンスターをやるのは間違っているだろうか   作:BBBs

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前回で終わりと言ったな、あれは嘘だ


変わったあの子

 最近、冒険者達の間でちょっとした迷信が流行りだした。

 

黒焔(やつ)と戦って生き残れば、冒険者として大成する』

 

 そんな命をドブに捨てるような迷信が真しやかに囁かれていた。

 迷宮上がりの酒場で話し合うような、下らない笑い話にも劣る迷信。

 一笑に付して終わるそれを、少なからず信じてしまう者たちがごく一部だが存在しているのもまた事実。

 現時点で発見されているモンスター、階層主を含めて最も強いと判断された怪物に験を担ぐ初心者が最近増えているのだ。

 やつが現れたと聞けば武器を担いでダンジョンへと潜る冒険者(おろかもの)達、結果遭遇した者は誰一人として帰ってこない。

 

 ギルドとしては文字通り自殺しにいくのは極力止めて欲しいが、発見報告が入って公布すればやつ目当てに潜って死者多数。

 それを危惧して公布しなければ普通に潜って遭遇して死者多数、どっちもどっちだが公布するかしないか内部で揉め始める始末。

 故にギルド、そしてまともな冒険者たちにとって大きすぎる死活問題となっていた。

 最上位冒険者でも殺されるだろう大怪物を排除できない故に、出てこないように、遭遇しないように祈るしかない現状。

 そんな頭を悩ませるしかない問題を、喜々として受け入れるごく少数の冒険者達は少々どころかかなり頭をやられていると言っていいだろう。

 

 では、なぜそんな迷信を信じてしまうのか?

 ギルドとしては悩ましいことに、信じてしまうような実例が飛び出してきてしまったからだ。

 発端は黒焔討伐作戦、ファミリア・ギルド戦争を経た後の、ギルド前の立て札。

 その内容は冒険者のレベルアップ報告、殆どの冒険者にとってファミリアの仲間ならともかく、他の冒険者のレベルアップなどその冒険者のファンだったりしなければ気にしない。

 だが今回に限っては誰もが注目した、立て札に張り出された名前は殆どが第一級冒険者。

 

 それも一人や二人ではない、黒焔討伐作戦に参加して実際戦闘を行った冒険者達ばかりだった。

 オラリオ最強と名高い『猛者(おうじゃ)』オッタルのLv.8へのレベルアップ。

 同様にフレイヤ・ファミリアのアレン・フローメルやガリバー兄弟もレベルを一つ上げた。

 特に顕著だったのがロキ・ファミリアの面々だ。

 団長たるフィン・ディムナはLv.7、ではなく一つ飛ばしでLv.8に。

 その他九魔姫(リヴェリア)重傑(ガレス)怒蛇(ティオネ)大切断(ティオナ)も一つレベルが上がった。

 

 凶狼(ベート)剣姫(アイズ)も一つ飛ばしでLv.7にレベルアップを果たした。

 それはレベルアップの大盤振る舞い、レベルが上がれば上がるほど経験値(エクセリア)が大量に必要になって上がりにくくなる。

 第一級と称される冒険者ならなおさらだ、それこそ今までに踏破した階層では不足でより高難度の偉業を成し遂げなければならない。

 そしてそこに考え至るのは簡単だ、その偉業の鍵となったのがあの『黒焔(アステリオス)』で有ることも簡単にわかるだろう。

 

 そして極めつけが一つ、第一級冒険者達のレベルアップ祭りと一緒ではなかったが、世界最速がまた世界最速を更新した。

 冒険者に成ってから二ヶ月も経っていないと言うのに、『世界最速兎(ベル・クラネル)』がLv.4へと到達したのだ。

 そのことを知っていた、元より煙たがっていた冒険者達は相当揶揄したが、18階層のリヴィラの街壊滅時にアステリオスとベルが交戦したこと、そして生き残ったことから迷信が頭を過ぎ。

 さらにどこからか最初にアステリオスと遭遇して生き延びたのがベル・クラネルであることも流れ始めた、それらが合わさって世迷い言が事実ではないのかと拍車を掛けた。

 そのためにあれ(アステリオス)と戦って生き残ればレベルアップ、否、大成すると言う眉唾ものの迷信が生まれた。

 

 結果から見ればその迷信は間違っていない、実際生き残った殆どの者がレベルアップを果たしたのだ。

 問題はその生き残った者の10倍以上の死者が出ていること、1人生き残りレベルが上がれば10人以上が死ぬ。

 階層主や単一種の群れと戦い、長期間を経てそれだけの死者が出るのであれば納得も出来よう。

 だが短期間で数百の冒険者が死んでいる、それもLv.4の冒険者を含めて、だ。

 中には適切に経験を積めばLv.5に届くかもしれない、そう評価される者も居た。

 

 そう言った未来に芽吹く輝きが、一匹の絶望的なモンスターによって摘み取られている。

 実情を知るギルドからすれば何としても解決したい問題、だが命知らずな冒険者達は現実を見ずに死にに行く。

 あまりにも魅力的なのだ、生き残れば成功が約束されると言う話は。

 くすぶっていた者、限界を感じ始めていた者、そんな冒険者達を駆り立てる逸話も。

 黒焔討伐作戦を除いた、急速に身を立ててしまった一人の冒険者の話も、どうしようもない程に眩く感じてしまっていたのだ。

 

 そんな死に急ぐ冒険者達を創りだしてしまった、その話を一つしよう。

 

 

 

 

 

 

 時を遡り、黒焔討伐作戦から十日ほど経ったある日の18階層。

 そこでは歓声が上がっていた、突如現れた強大なる黒い階層主。

 それを打ち破った英雄への賛歌でもある、皆が一体となって新しい英雄の誕生を祝う。

 それを眺める神も例外ではなく、声を上げる冒険者と英雄の誕生を喜んだ。

 だからこそ、次の衝撃に表情を強張らせた。

 

 ──地面が揺れた。

 

 ほんの僅かだった、殆どの者が気が付かず、感じたとしても気のせいだと断じてしまうような小さすぎる揺れ。

 その数秒後にまたほんの少しだけ大きくなった振動が起き、そこで多くの者が漸く地面が間違いなく揺れていることに気がついた。

 

「な、なんだ……?」

 

 更に揺れが大きくなった、グラっとはっきり体感できる揺れ。

 もう一度、更にもう一度、次第に大きくなる揺れに困惑から不安へと感情が移っていく。

 

「な、なんだよ! また来るのかよ!?」

 

 誰かが叫ぶ、この場に居る冒険者が全力を尽くして倒したモンスターがまた現れるのかと。

 そして激震、多くの者が転倒した。

 先の黒いゴライアスが天井から現れ、地面に着地した振動よりも遥かに大きなもの。

 

「ち、ちくしょう!」

「何が来るんだよぉ!?」

 

 既に悲鳴だった、満身創痍の者ばかりの現状でもう一度あの黒いゴライアスが来れば全滅は免れない。

 出入り口は瓦礫に埋まったまま、今から逃げ出すのは先ほどの状況と変わらない。

 

「てめぇら! 気合を入れろ! ここでくたばりたくねぇんならよ!!」

 

 リヴィラの街の顔役のボールスが声を張り上げる。

 せっかく黒いゴライアスを撃退して生き残ったんだから、次もなんとかして生き残りゃいい。

 そう言って周囲の冒険者をなんとか奮い立たせ、戦闘準備を行わせる。

 どんなモンスターが現れようと退治してやると、変な自信をもたせた瞬間に【それ】は現れた。

 何かが地面を突き破ってそのまま高速で天井へと食いこむ、反動でまだ残っていた幾つかの水晶が砕けた落ち始めた。

 

「……何が出やがったんだよ、誰か見えたか!?」

 

 ボールスが叫び、周囲の冒険者に聞くも返事は帰ってこない。

 舌打ちをしながらボールスはもう一度天井を見上げた時、何かが天井を砕いて落下し始めたのが目に入った。

 

「……あ? ありゃあ、ミノタウ……ッ!?!?」

 

 燃えるような赤と、全てを吸い込むような黒。

 その二色だけで構成された怪物が落下してきた。

 一瞬でその怪物が何なのか理解したボールス、顔色を青くしながら叫んでしまった。

 

「おいおいおいおいおい!! ふざけんなよ!!!」

 

 以前リヴィラの街で行われた小さな殺戮、その時ボールスは出遅れて直接見ることはなかったが、その惨状は確かに目に納めていた。

 縦に潰れた者や頭だけもがれた者など、非力な者では絶対に作れないだろう奇怪な死体を確認していた。

 それだけなら強いモンスターが上に上がってきただけと酒のつまみになる程度であったが、少し前に行われた討伐作戦の話を知っている以上声を荒げずにはいられない。

 

「くそが! なんで今出てきやがる!」

 

 第一級冒険者が束になっても敵わなかった怪物、緘口令を敷かれたとしても人の口には戸を立てられない。

 討伐作戦に参加していた支援冒険者の口から作戦の結果が漏れていた、ボールスもそれを耳にしていたが自分には遠い事の話だと大して気にしていなかったが。

 その討伐対象のモンスターが今近くに現れた、こんな疲弊した状態の中でだ。

 

「く、くそ、どうすりゃいい……」

 

 話が事実ならどうしようもない、遥か格上の第一級冒険者たちでも敵わないモンスターを相手にしろなど無茶にも程がある。

 逃げる? どうやって? 出口は未だ塞がったまま、堀りだすのは間違いなく数日がかりになる。

 

「くそ! くそ! くそ! くそ!」

 

 先ほど消滅した黒いゴライアスより上かもしれない、そんな相手に連戦など全滅と言う結果しか出ないことにボールスは苛立つ。

 打つ手なし、その結論しか出ないボールスを他所に、怪物は離れたところに落下した後、距離など関係ないと言わんばかりに冒険者たちが集まる場所へと飛んできた。

 地面を砕きながら着地して、ゆっくりと体を起こす怪物。

 誰もが何も言えずに見つめることしか出来ない。

 右、左と見回す怪物、誰も動けない。

 

 誰かが息を呑んで喉を鳴らし、武器に手を掛けた瞬間には無言で、リヴィラの惨劇を知る冒険者が腕を掴んで止めた。

 止められた冒険者は振り返って、どうして!? と言いたげな表情を向けるも、見えたのは顔色を青白くして震える姿。

 本当なら身動ぎすらしたくはない、だがここで止めなければ巻き添えを食って死ぬかもしれないと制止を掛けたのだ。

 それは正解であり、アステリオスは文字通り冒険者たちを無視して無造作に進みだす。

 向かう先は一点、英雄と神が居る場所。

 

 その途中、草原の方にも視線を一度向けたが、すぐに視線を戻して近い方へと向かう。

 当然気付く、階層自体が揺れていたような振動と、地面を突き破って現れた存在に。

 意識を失っている英雄を抱く女神と、英雄の仲間たちとの間に立ち塞がるのはエルフとヒューマン。

 

「……リオン、Lv.5が束になっても敵わなかった相手よ?」

 

 先の討伐作戦の全容を知るアスフィ・アル・アンドロメダは、【アレ】に立ち向かう事が一体どういう事かエルフに諭そうとするも。

 

「先ほどの状況と変わらない、違う?」

 

 返すエルフ、リュー・リオンは変わらないと呟く。

 逃げ道は未だ塞がったまま、アレが襲ってくるなら迎撃して討伐しなくては生きる目がない。

 

「……桁違いの難度でしょうけどね」

 

 つい先程討伐出来た黒いゴライアスとは訳が違う。

 この階層に居た全ての冒険者と、討伐作戦に参加した冒険者達の質は遥かに違い。

 こと戦闘に参加した第一級冒険者たちは、たった一人でもこの階層に居る冒険者全てに匹敵しうる。

 その桁違いのLv.5以上で構成された討伐団が、あの怪物に手傷の一つすら負わせることも出来ずに見逃されて帰還するしか無かった。

 そんな超常の怪物をLv.4相当でしかない二人で相手にしなくてはならない、しかも疲弊した状態でだ。

 

 絶望的だ、黒いゴライアス以上の。

 それでもやるしか無い、死ぬ気はないし死なせる気もない。

 だからこそ今動ける冒険者の中で一番強い二人が立ちはだかるが……。

 

「………」

 

 歩幅を緩めず進んでくるアステリオスは、立ちはだかった二人がまるで見えていないかのように邁進している。

 ドスンドスンと、地面に足跡を残すように深い踏み込み。

 

「行くわよ、疾風(リオン)

「ええ、万能者(アスフィ)

 

 踏み込む、先陣を切るのは緑髪のエルフ、リュー・リオンは右手に木刀を持ち。

 水色髪のヒューマン、アスフィ・アル・アンドロメダは残り少ない魔道具を構える。

 まるで駆け抜ける一陣の風のように、一度の瞬きの間にリオンは肉薄し、木刀を振り抜いた。

 

「──ッ」

 

 確かに当たった、身を低くしながらアステリオスの踏み出していた右足を捉えた。

 木刀でありながら先ほど消滅した黒いゴライアスの硬い外皮を切り裂く威力を持ってして、かすり傷一つ付かなかった。

 

(これは硬いのではなく……!)

 

 奇妙な手応え、硬いと言えば硬いが柔らかさも含んだ感覚。

 強靭性と言えば良いだろう、靭やかで粘り強い、衝撃が内側に届いていない事をリオンは確信した。

 だからと言って止める理由にはならない、足を動かして一度離れる。

 僅かに遅れて赤い光がアステリオスを包み、紅蓮の爆裂を引き起こした。

 

 肌を叩く激しい衝撃波、遅れて熱風も肌を撫で付ける。

 この階層に出てくるモンスターであれば、欠片も残さず消滅する威力を受けて、黒い煙を引きながら無傷のアステリオスが闊歩する。

 

「化物め……!」

 

 アスフィが呟く、黒いゴライアスの戦闘能力から考えれば推定潜在能力(ポテンシャル)はLv.5に届いていただろう。

 だがギルドから発表されたこの黒焔のアステリオスの推定潜在能力(ポテンシャル)はLv.8『以上』と言うオラリオ史上最悪の怪物。

 それこそ三大クエストの怪物達に匹敵しうる、もしかすると凌駕しかねない存在。

 だが止まらない、止まることは出来ない。

 今彼の英雄と神を守れるのは自分たちだけ、故に果敢に挑みかかる。

 

 だが知っておかねばならない、勇敢と無謀は似て非なる事を。

 

「──リッ!?」

 

 アスフィが唐突に声を上げた、その理由は踏み込んだリオンが突如消えたから。

 一旦アステリオスから離れたの? そう思うも周囲から完全に消え去っていた。

 その直後に気がついた、アステリオスが右腕を上がっていることに。

 格好は『右腕を振り払い終えた』、そうとしか見えない体勢。

 同時に一つの結果が頭の中に過ぎり、アスフィは背筋に巨大なつららでも打ち込まれたような悪寒を覚えた。

 

 僅かに遅れてアステリオスの右側、対するアスフィの左側から何かが激しくぶつかり圧し折れたような音。

 素早く視線を送れば、一瞬だけ緑色の何かが木々をへし折り赤色を撒きながら森の中に消えていく光景。

 それは考えた状況そのまま、最悪が具現化した光景だった。

 一瞬足りとも見逃さずに動きを注視していたにも関わらず、始点と過程が全く見えない速度で攻撃された。

 文字通り、『気が付いたら攻撃が終わっていた』。

 

 回避も防御も間に合わない攻撃にリオンが曝されて、次にその攻撃に曝されるのは自身であると理解してしまったから。

 リオンの死、そして自分の死。

 意識せずとも避けようのない絶望が頭の中にちらつく、それを振り払おうと次なる最善の行動を模索し、次の瞬間死に曝された自分の姿が見えた。

 その思考の瞬間にもアステリオスは進んでくる、その進路上に自分は居て、進路上から逃れなければリオンと同じようになるかもしれない。

 だが背後には彼らが居る、ここで逃げれば彼らが襲われる。

 

 板挟みだった、逃げなければならない、見捨ててはならない。

 その性格ゆえにどちらも選べず、結局は動けない。

 アステリオスが進んでくる、見る間に距離が縮む。

 腕を伸ばせは届く距離、息が乱れる、声が漏れる。

 

 

 

 

 ──死ぬ。

 

 

 

 

「こっちだ!」

 

 アスフィの目の前に居たアステリオスがずれた。

 顔の向きが変わって、体の向きが変わる。

 

「待ってください! 危険です!」

 

 アスフィの右側をすれ違うように、背後から聞こえた声の方へと動いた。

 ドスンドスンと足音が遠ざかる、そしてアスフィの足が自然に折れて座り込んだ。

 腰を抜かした、緊張の糸が切れた、抗いようのない絶対から逃れられたことによる放心。

 

「……ぁ、リオン……」

 

 数秒か数十秒か、ふらふらと起き上がったアスフィは赤い染みが出来た森へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 走る、走る、走る。

 森の中をひた走る、後ろから付かず離れず重い足音が響く。

 逃げるのは女神、追うのは怪物。

 アスフィの命を救ったのはヘスティア、声を上げて怪物の注意を引きつけたのだ。

 

 ヘスティアにはわかっていた、あの怪物は最初から自分が目当てだったことを。

 現れた時からずっと見ていたのだ、数多の冒険者たちに目もくれずに。

 ただひたすらヘスティアを見ていた、その正体を見定めようとただ只管見つめていた。

 だからこそ気が付いた、だからこそ後悔した。

 黒い巨人を打ち倒すのに貢献したあのエルフが消えた時に、もっと早く動いていればあんな事にはならなかった、と。

 

「はっ、はっ、はっ」

 

 息が切れる、それでも走る。

 一歩でも遠くに、皆と離れるために。

 

「運動、不足、は、まず……ぃ」

 

 こんな事ならもっと運動していればよかった、そう後悔するも当然遅い。

 神が地上に化現している際の肉体は地上の生き物、人間を基準とするために身体機能は鍛錬の有無によって変化する。

 普段から鍛えていればもっと軽快に、かつ長い距離を走れていただろう。

 だが鍛えていなければあっという間に息が切れる、今のへスティアと同じくぜぇぜぇとだらし無く口を開いて呼吸を行う。

 足だってすぐ痛くなり、腕を振る力もすぐに無くなる、全力で走っているつもりでも平均的な成人男性の駆け足にすら負ける。

 

「へぇ、はえぇ……」

 

 ヘスティアは変な声を出しながら息を吸って吐く、なんとか振り返って追跡者を見ると大股ながら付いてきている。

 

(何で……)

 

 喉に強い乾きを覚えながらも考える、自身でもはっきりわかるぐらいに足が遅いというのにあの怪物は未だ追いついていない。

 大股だがまだ歩いているといった格好だ、ちょっと走ればすぐに追いつくと簡単にわかる。

 だというのに付かず離れずと言った速度、ヘスティアは追いかけてきている怪物がなぜそんなことをするのかまるでわからなかった。

 止まっても案外……、そう考えると自然と足が遅くなる。

 歩いているよりも少し速い、その程度の速度でヘスティアは振り返ってみると。

 

「ヴォヴォヴォ」

 

 口角を吊り上げ裂けたように見える表情、声も相まって笑っているようにしか見えなかった。

 そして速度は緩んでいない、距離が少しずつ詰まってヘスティアは力を振り絞って足を動かす。

 

(こ、この牛は!)

 

 追い立てている、それも遊びながら。

 

 そうだ、追いつけるのに追いつかない。

 そして笑っている、ボクが必死に逃げる姿見て楽しんでいるんだ!

 

 ヘスティアはその考えに至り、反骨心で捕まってなるものかと必死に足を動かし続ける。

 しかしだ、天上に居る時と違って人間相当の能力しかないヘスティアは物理的限界にぶち当たる。

 

 出そうとした足が疲労によって出ず、縺れさせて前のめりに転倒する。

 反射的に腕が前に出て、顔面から地面にダイブするのを避けれた。

 それでも手足をすりむき、痛みに顔をしかめる。

 

「ッ……!」

 

 強く息を吐く、ここで止まってはだめだと言い聞かせる。

 そして起き上がろうとして足が動かない、地面をこするだけで思った通りに動かない。

 それを認識した途端、全身に伸し掛かるような重みがヘスティアを襲う。

 その名は『疲労』、必死に動かし続けた体は疲れ果てていた。

 

 足は動かない、腕はまだ何とか、這いずるぐらいには出来る。

 その程度しかできない、それでも少しでも距離を取ろうと腕を動かす。

 右腕を一度、左腕を一度、胸元を地面にこすりながら体を引きずる。

 

「ぅ、ぁ……」

 

 たったそれだけで腕が引きつる、先程まで感じていなかったものが、今思い出したかのように襲い掛かってくる。

 体が重い、全身に重りを付けたかのように、神として長く存在してきて初めての事。

 それでもより遠くに、僅かでも離れようとして、それでも足音がどんどん大きくなって行く。

 わかる、もう間近に迫っている、疲れ果てたこの体ではもう逃げることは出来ない。

 

「っ……」

 

 足音が止まることはない、何とか腕を立ててうつ伏せから仰向けに転がる。

 肩で息をしながら、迫る怪物を見た。

 大股で近づいてくる姿は恐ろしい、怪物と呼ばれるに相応しい姿だ。

 15メドル、10メドルと近づいてきて5メドルほどの距離で足を止めた怪物。

 

「……?」

 

 そのまま襲いかかってくるわけでもなく、立ったままじっとこっちを見つめてくるだけ。

 それどころか首を傾げるようなしぐさ、この怪物は一体何をしたいのか本当にわからない。

 

「……君は、なにを、したいんだ……」

 

 言葉が通じるわけもないのに、そう聞いてしまったヘスティアは悪く無いだろう。

 でももしかしたら通じるかもしれないと変な期待をしていたのも確か、その問いかけの答えなのか怪物が動き出した。

 止めていた足を動かし、ドスンドスンドスンと三歩で目の前に来て右腕を伸ばしてくる。

 

「ぅっ……」

 

 掬い上げるようにヘスティアの腰をその大きな手で掴んで持ち上げた。

 抵抗しようにも体が痛む、そもそも抵抗した所で振り解け無いのは目に見えてわかる。

 持ち上げられて怪物の顔の前、牛の顔が目の前にあって鼻息が顔に掛かるが意外と臭くない。

 

「……い、意外と可愛い目をしてるんだね」

 

 怪物の視線が動く、顔から胸、ヘスティアを掴んでいる腕を動かして足とかも見ている。

 本当に何がしたいんだろうか、ダンジョンがボクを殺すためにあの黒い巨人と同じように送り込んできたんじゃないんだろうか、と。

 そんな考えを浮かべたのは、間違いでしか無かった。

 

「……ぁ、ぅ……」

 

 ヘスティアが感じたのは圧迫感、視線を掴んでいる怪物の手に落とし、すぐに怪物の顔に戻した。

 ほんの少しずつだけど、指が曲がり始めていた。

 手を握っている、握り拳を作るように。

 ヘスティアを握ったまま、少しずつ、少しずつ。

 慌てて怪物の指を掴んで開こうとするも、微動だにせずゆっくりと絞まり続ける。

 

「っ……、こっの……!」

 

 キリキリと、圧迫感でお腹が痛くなり始める。

 

 この怪物は、ボクを握りつぶそうとしている!

 

 怪物の指とヘスティアのお腹の間に、何とか指を潜りこませて力の限り押し返そうとする。

 

「あ、ぐ……」

 

 ミシミシと、鳴ってはいけない音がお腹から鳴り出す。

 同時にお腹の中身が動くのがはっきりと分かった。

 

「うっぐぅぅ……!」

 

 もがく、足をばたつかせ、逃れようと身をくねらせる。

 だが全て徒労、締め付けられ続けて痛みが倍々と増えていく。

 吐き気がする、内臓が押し上げられて息が、声が漏れる。

 

「……が、……だ、れ……か」

 

 内蔵全てがせり上がってきて、口から飛び出そうとしている。

 助けを呼ぶ声など届くはずはない、逃がすために皆から離れたんだから。

 

「……ご、め……、ベ…く………」

 

 痛みで意識が遠のく、こんな風に終わってしまうなんて、なんて、ベル君に謝ったらいいんだろうか。

 こんな情けない神様で、ごめんね……。

 

 

 

 

 

「──神様を、離せぇぇぇぇ!!」

 

 耳を劈く金属音、続いて地面をこする音。

 そして衝撃、背中から打ち付けられて急速に意識が戻ってくる。

 圧迫が無くなり、せり上がっていた内臓が元の位置に戻っていく。

 何度も咳をしながら、体を動かして起き上がれば、──英雄(ヒーロー)が居た。

 

「……ベ、ル……君」

 

 肩で息をしながら、胸元でナイフを構える姿が見えた。

 ベル君を前に、怪物は振り返ってこっちを見る。

 そしてベル君へと視線を戻した、それを何度か繰り返す。

 それこそ何かを確認するように何度も。

 

「……ダメだ、無理だ、今の君じゃ……逃げ、るんだ」

 

 ヘスティアは何とか呼吸を整える、満身創痍のベル君では決して勝てない。

 だから逃げて欲しいと、そう声を上げるも。

 

「嫌です! そんなの、出来ません!」

 

 胸元に構えるナイフに光が宿り、左手を添える。

 視線はまっすぐに怪物へ、その瞳は燃えていた。

 

「神様を見捨てるなんて、そんなのできっこないですよ!」

 

 怪物が動く、ヘスティアとベルの間に割りこむように。

 

「帰りましょう! 皆で! あの教会に!」

 

 ヘスティアは怪物の股先からベルが腰を落としたのが見えた。

 それに応じるように、怪物もまっすぐにベルへと向き直って腰を落とす。

 いや、もっと低い、股をもっと大きく開いて前傾姿勢。

 左手を地面に付きながら頭、と言うより角を突き出すように構えた。

 

 態勢は整った、怪物は動かずにベルだけを見る。

 

 その体勢からベル君の動きを待っている、間違いなく迎え撃つ気だ。

 先手を譲ると待ち構えているんだ、でもその待つ姿勢は怪物ではなくベル君に有利に働いている。

 ベル君の手に宿るのは白い光、怪物を打ち払う『英雄の一撃』。

 だけどその一撃を放つには少し時間がかかる、だからこそ怪物の待つ姿勢はベル君の有利に働く。

 

 時間が経つごとに光が強くなっていく、半透明だった光がより強く輝き純白の極光へと昇華されていく。

 眩い、ただただ眩い輝き、漆黒の巨人を消し去った光は誰もが希望を胸に抱かずにはいられない。

 これなら、この英雄の一撃なら、黒焔の絶望を打ち払える。

 

「ぅああああああああああああああああああ!!」

 

 

 

 ──でも、知っておかなければならなかった。

 

 

 

 ベル君の怪物を見据えての絶叫。

 

 

 

 ──ベル・クラネルの一撃が『英雄』のものなら。

 

 

 

 姿が霞むくらいの速さで怪物へと突っ込み。

 

 

 

 

 ──怪物の一撃は『英雄殺し』であったことを。

 

 

 

 

 すれ違いざまに、視界を埋め尽くす純白の閃光が炸裂した。

 

 

 

 

「っ……」

 

 眼と耳が一時的に役立たずになった。

 でも数瞬後には機能を取り戻し、ゆっくりと瞼を開いた。

 そして目に入ってきたのはすぐ近くに居るベル君の姿。

 

「ベル……」

 

 ベル君の無事な姿を見て喜びに声を上げようとして気が付いた。

 その直後にベル君の背後で何かが落ちた音が一つ、それが一体何なのか、何が音を鳴らしたのか理解してしまった。

 

「……ぁ」

「──神様!」

 

 ベル君も気付いていた、それでも足を前に出して左手を差し伸べてくる。

 ボクも反射的に左手を伸ばして、ベル君の左手を掴んだ瞬間──、世界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の顛末を語ろう、ボクらは全員生きて帰還した。

 一瞬で吹き飛ばされたリューも辛うじて生きていたし、何とか目標を達成して帰ってこれた。

 そうなると牛の怪物、──あれが噂のミノタウロスだったのは戻ってから知ったんだけど、の行動は結局意味がわからなかった。

 半分以上土に埋まって気絶していたボクらに止めを刺さなかったり、黒い巨人のようにボクを抹殺するために来たんじゃないことは確か。

 あのアステリオスがやった事と言えばボクを痛め付けたことと、ボクがベル君に上げた……神の(ヘスティア)ナイフを折ったということだけ。

 

 正直あれは痛い、いや、かなり痛い、いやいや、とっても痛すぎる……。

 まだ借金を殆ど返していないのに、折れて使い物にならなくなってしまった。

 ヘファイストスのところに行って何とか出来ないかと聞いてみると、刀身が折れたことによって『死んでしまった』との事。

 折れた刀身の方もあればただの武器として直せたらしいけど、折れた刀身は行方知れずで見つからなかった。

 あとギルドとか神会から罰則があった、多分色々思惑があって強制送還にはならなかったけど、ファミリアの総資産の半分を罰金として取られてしまった。

 せっかくベル君が頑張って貯めてくれたのに、半分も持って行かれた……。

 

 いや、それはいい、今は忘れよう、……正直忘れたい。

 一番の問題はベル君だ、地上に帰還して、僕らのホームの協会で、折れた神の(ヘスティア)ナイフを前にして泣きながら謝って嘆いていた。

 

『せっかく、神様がくれたナイフを、僕の力が足りないせいで……』

 

 もっと強ければ、そう声を震わせながら後悔していた。

 僕のせいで、僕のせいで、そればかり呟くベル君は小さく非力な眷属(こども)だった。

 悪いけどボクはこどもを泣かせたままにする気なんてない、だからベル君にこう言ってやった。

 

『自惚れるんじゃないっ!』

 

 両手でベル君の頬を強く抑えながら、無理やり顔を上げさせた。

 

『ベル君、君は確かに強くなった。 戦いにも慣れてきて、レベルも上がった。 でもそれだけだ、君は本当の意味で強くなっちゃあいない!』

 

 顔を近づける、涙に濡れる赤い瞳は光を乱している。

 

『……ベル君、強いってことはどういう事かわかるかい?』

『……強い、事……?』

『そう、強さだ。 武器を振り回す力? 素早く走り回れる足の速さ? モンスターの動きを正確に予測する頭脳? ボクにしてみればそんなものは本当の強さの上に乗っかってるだけにすぎないんだ』

『本当の……』

『そうだよ、本当の強さ。 それは、ここにある。 神々すら持ち得ない、未完成の力』

 

 ベル君の顔から手を放し、胸を指差す。

 

『……心、希望……?』

『わかるかい? なら簡単だ、ベル君は強くなれる。 その希望を持って、俯かず前に進んでいく力で強くなれる』

『………』

『ベル君、君は立ち止まるのかい? 確かにボクが送ったナイフが折れてしまったけど、それを嘆いてばかりで止まってしまうのかい?』

 

 そう問いかければ、ベル君は頭を横に振ってくれた。

 ボクからの贈り物だからと言ってここまで思ってくれるのは嬉しい、でもそれを失ったからといって嘆き続けるのは違う。

 だから笑顔でベル君に言い聞かせる。

 

(ナイフ)が折れてしまったのはボクだって悲しい、でも武器でありながらボクらを守ってくれた。 犠牲には成ってしまったけど、そのおかげでボクたちが生き残れた。 今はなくなってしまったけれども、ベル君の手には神の(ヘスティア)ナイフがあったという事を忘れないでくれたら、送ったボクとしても嬉しいな』

 

 ベル君は強くなれる、スキルだアビリティだなんて関係ない。

 憧憬一途(リアリス・フレーゼ)英雄願望(アルゴノゥト)が無くったって、きっとベル君は歴史に名を残す英雄になれる。

 ボクは誰に聞かれたって、そう応えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──深層階、未踏破領域にて。

 

 あ…ありのまま 今起こったことを話すぜ!

 『めちゃくちゃ美味しそうに見える折れたナイフの刀身を齧ったら いつの間にか炎が出せるようになっていた』

 な…何を言っているのか分からねーと思うが 俺も何で出せるようになったのかわからなかった…。

 頭がどうにかなりそうだった…

 わざマシンだとかメガ進化だとか そんなチャチなもんじゃあ断じてねぇ。

 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。

 

(しゃくねつ!)

 

 俺の口から凄まじい炎が溢れ出る、頭を動かしながら吐いているため扇状に広がって向かってくる奴らが炎にまかれて燃えカスとなっていく。

 残るのは焼かれて火の粉が残る地面だけ、纏めてぶっ飛ばすには良いが何も残らねーから不便だ。

 腹が減っているときは使わねーようにしよっと。

 それにしてもあの少年、なかなか面白いことになっていた。

 強くなってた、あの謎の光もそうだが、俺の角に傷を付けたのは評価できる、もう治ったけど。

 

 死ななきゃもっと強くなるかもしれない、将来が楽しみな逸材だった。

 へへへ、これだから戦いってのはやめられねぇぜ!

 

 早く強くなんねーかなー、そんなことを考えながら俺は下へ下へと降りていった。

 




牛が(神威を感じ取って)深層からきますた

ヘスティアナイフが折れました
ベル・クラネルの強化フラグが立ちまくってます
ベル・クラネルが力の信奉者になりました

なんかロキ・ファミリアの面々がくっそ強くなっていってる模様(新しいアビリティやスキルも覚えた)

牛が何となくヘスティア・ファミリアメンバー(ヘスティアとその恩恵を受けた者)の居場所をわかるようになりました(ダンジョン内限定)
牛が炎を出せるようになりました(口から炎を吐いたり、グッとガッツポーズを取ったらリヴェリアのレア・ラーヴァテイン並の広範囲火炎が巻き起こるようです)

今夜は俺とお前でダブルアステリオスだからな(自称と他称の二体が居る模様)

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