ハルケギニアの誓約者   作:油揚げ

75 / 79
お待たせしました。



第六話 出陣

 

 年末はウィンの月の第一週、マンの曜日たるこの日はハルケギニアの歴史に残る日となった。

 今日はトリステインとゲルマニア、ロマリア皇国の連合軍九万人を乗せた大艦隊が、アルビオン侵攻の為にラ・ロシェールを出航する日であった。

 弾薬の関係上、風石を節約せざるを得ない為、アルビオンがトリステインに最も近付くこの日が出陣する日と前々から決定されていた。もちろん迎え打たんとする神聖アルビオン側もこれを予想しているだろうが、戦力差がこちらの方が上なのと、とっておきの切り札が連合軍には有る為に彼らは敢えてこの日を選んだ。

 三国大小合わせて七百を超える艦の内、戦列艦が百、残りは兵や補給物資を運ぶガレオン船である。

 女王アンリエッタと枢機卿マザリーニはラ・ロシェールの港、世界樹桟橋(イグドラシルさんばし)の頂点に立ち、出航する艦隊を見つめていた。

 

「するべき戦いでは無いと言うのに……」

 

 それは本来なら女王の立場にあるアンリエッタが、口にしてはいけない言葉であった。

 三国の同盟があれば、アルビオンを空から封鎖して国力を削ぐのが正攻法だろう。だが、まだ年若く在位間もない彼女に三国の同盟を得られて優位に立った状況で勝ちを確信した国内の貴族達を押さえておくことは出来なかった。

 ヴァリエール公爵も口添えしてくれたが、いかんせん教皇の勅令がそれを邪魔してしまったのだ。そして、その教皇の勅令でアンリエッタは大切な友人のルイズとナツミをその戦争に送らねばならなくなったのだ。

 アンリエッタにその勅令を跳ね除ける事は出来なかった。

 女王という役職は、アンリエッタに最上の権力を与えると共に不自由も同時に与えていた。アンリエッタの政策は成功すれば多くの国民に益を与えてくれるだろうが、逆に失敗すれば同じ数の国民を苦しめる。

 何と言う不自由。気ままに我儘を言える姫殿下という立場とまるで違う。

 今回のアンリエッタのルイズ、ナツミへ王軍への参加を頼んだのはまさに血を吐く想いであった。勅令に逆らえばトリステインは異端扱いを受ける可能性がある。

 その業を背負うのはアンリエッタだけではない。国民達だ。

 国民達と友人、本来アンリエッタと同じ年頃の娘が迫られることのない選択肢にアンリエッタが下した結論は……国民達だった。だが、何も二人を死地に送り込むつもりで従軍させるわけではない、偏に彼女達が持つ、何者にも屈しない力をアンリエッタは信じたのだ。

 ウェールズを救ってくれた彼らならきっと帰って来てくれると。

 

「……それでも私が罪深いのは変わりありませんね。お友達を戦争に送るという事実は変わらない」

「……陛下」

 

 血が滲むほどの唇を噛み締めるアンリエッタを悲しげにマザリーニは眺めていた。

 自らの上司である教皇が出した勅令に苦しむアンリエッタに何も言えずマザリーニもまた苦しんでいた。

 

ヴィヴラ・トリステイン(トリステイン万歳)!!」

ヴィヴラ・アンリエッタ(アンリエッタ万歳)!!」

 

 見送るアンリエッタに将兵達が敬礼し、万歳を唱える。それは、船が見えなくなるまでアンリエッタの耳に鳴り響いた。やがて将兵達の声は聞こえなくなったが、アンリエッタ達の罪の意識が消えることは―――――無かった。

 

 

 

 畏敬と恐怖、羨望、多種多様な感情が入り混じった視線を浴びながらナツミはワイバーンの背からルイズ共々、甲板へと降り立った。

 ここは竜騎士達を効率良く運用するために建造された艦、ヴュセンタール号。役割を考えれば名も無き世界で言うところの空母に近い艦である。

 ワイバーンは見慣れぬ空に浮かぶ艦に降り立ったことで怯えるように周りを見る……なんてことはある訳も無く、ナツミに視線を飛ばす輩をじろりと睥睨する。

 その視線にナツミを見ていた者達は耐えられずに、ナツミ達から瞳を逸らした。

 ただ睨まれただけでまるで死を感じる程の生物を前にして、その視線を真っ向から受けられるほどの心胆を有す者はこの艦に居ないようである。

 若干それに気落ちしたのかワイバーンは僅かに火気を孕んだ溜息を吐く。彼女のマスターである誓約者(ナツミ)のリィンバウムにいる仲間達は、彼女を見ても僅かな怯えすら見せない生っ粋の英傑達だというのに、そんな者達にマスターの背は預けられないと、ワイバーンは自らが奮戦することを心に誓う。

 何故か闘気を漲らせるワイバーンに粗相をしてしまったのかと、船員達はますます怯える。

 そんな状況下でナツミ達に近付く者がいる訳も無く、二人はどうしたもんかと頭を悩ませていた。

 ここは軍艦、下手に歩き回るのは流石の二人も憚られた。と言うか何故誰も近付かないのか、ワイバーンを見慣れた二人に船員達の心が分かる訳も無くただただ立ち尽くすだけだ。

 だが、そんな二人に声をかける勇者がいた。

 いかにも腰が引けた様子のその人物には護衛官がついており、相応の階級を持った人物であることは軍なぞ分からないナツミ達でも理解できた。

 

「か、甲板士官のクリューズレイと、もも申します!」

「どうも」

「こ、こちらです」

 

 メイジの実力を見るには使い魔を見よ。と言う言葉がハルケギニアには存在する。そして、その言葉が間違っていない事は長いハルケギニアの歴史の中で証明されていた。

 その半ば常識と化したそれからワイバーンをなんなく御するナツミの実力を士官の男は理解していた。そうでなくても、ナツミに声をかけようとした瞬間にワイバーンが主に近付く自分達をじろりと見る様に彼らは肝を冷やしていたのだ。

 この艦に乗せられたどの竜と比べても倍以上も大きい体躯も怖れを抱くには十分だが、彼らだけを睨むその目には他の竜ではありえない深い知性を宿す理性の光を宿らせているのだ。それがなによりも彼らは恐ろしかった。

 このワイバーンはただのワイバーンなどではありえない。仮に韻竜と言われても信じるだろう。

 底知れぬもの、理解及ばぬもの、人はそれに恐怖する。

 その恐怖は主たる二人の少女にも及んでいた。

 彼は、二人に用意された、個室そして会議室に少女達を案内する最中、二人の問いに答える事さえ出来なかった。

 

 

 

 会議室にナツミ達を招いた将軍達は、冷や汗が流れるのを止められずにいた。最初見た時は年端もいかぬただの少女だと思い、見下すような視線を送っていたが、今はそれが無い。

 なぜなら入ってきた二人の内、剣を二振り佩びた少女からとてつもない威圧感が放たれていたからだ。

 その威圧感たるや、それぞれの国の皇帝、教皇、女王達を凌駕するほどなのだから。だが、ナツミがそんな威圧感を出しているのは何も最初に舐められては面倒な任務を次から次へと任されるからと頭を働かせたわけではない。……そんな、腹芸ナツミには不可能だ。

 ナツミが不機嫌な理由、それは自分達を案内していた士官の態度である。礼を失さずに丁寧に敬語で問いかけるナツミに対して、彼が取った態度はずばり無視。

 幾度となく問い重ねたが無視を決め込む態度にナツミの機嫌は急転直下の勢いで悪くなった。ただでさえ、参加したくもない戦争に駆り出されたのだ。しかも、その理由が教皇による勅令だというからなおさらだ。

 確かにナツミにはアルビオンに行く理由がある。だが、それはそれだ。

 それに、幼馴染を戦争に参加させねばならないアンリエッタに申し訳無い気持ちがあった。自分がルイズに召喚されたから、ルイズは戦争に巻き込まれてしまったのかもしれない。歴史にもしかしたら、なんて事は無い。それは人々の想像の中でしかない。だが、それでも自分に原因が有ると思ってしまうのは彼女のお人好しだからだろう。

 そんな事を思っている時に、あの士官の態度だ。

 誰であろうと怒るであろう。

 まだソルが隣に居ればいかようにでも宥められただろうが、隣に居るのはお嬢様育ちのルイズ。宥められる事はあっても宥める事など数えるくらいしかしたことのない彼女に今のナツミを鎮めろというのが無理と言うものだ。

 とは言え、このままナツミの威圧感に皆が黙っているわけにもいかず、一番上座に座る将軍が口を開いた。

 

「アル……ぅっ!ゴホッ!失礼っ……。アルビオン侵攻軍総司令部へようこそ!ミス虚無(ゼロ)、ミス・ヴァリエール」

 

 声をあげた途端にナツミの鋭い視線が将軍の瞳を射抜き、将軍は思わず閉口してしまったが、舐められてはいかんという貴族のプライドによりなんとか言葉を紡ぎ直すことを成功させる。

 

「私が総司令官のド・ポワチエだ」

 

 威圧感に背から汗を吹きだしつつも将軍は自らの身分を明かす。

 

「こちらが参謀長のウィンプフェン」

 

 将軍の左に腰かけた、皺の深い小男が頷いた。

 

「そして、ゲルマニア軍司令官のハルデンベルグ公爵だ」

 

 角のついた鉄兜を被ったカイゼル髭の将軍が、ナツミ達に重々しく頷く。多くの将軍達が乗艦するこの竜母艦ヴュセンタールはこの大艦隊の脳であり心臓。つまり旗艦であった。

 今この会議室には、この大艦隊を動かす将軍達の全てが集結していた。その理由はルイズとナツミ達の紹介である。

 

「さて各々方、集まって頂き大変恐縮です。彼女達こそ我々が陛下、そしてロマリア皇国の聖下より預かった切り札、虚無の担い手なのです」

 

 総司令官たるド・ポワチエの言葉に対する反応は彼女達を胡散臭げに眺めるというものだった。

 だが、それはあくまで表面上のみ。半数以上の将軍達が内心ではそれを認めざるを得なかった。ヴァリエール公爵の娘はともかく、その隣の少女、ナツミが放つ威圧感は圧倒的と言って差支えない。

 将軍達は決して口に出すことはないだろうが、ナツミとポワチエを比べるとまるで主人と奉公人程の格の違いを彼等は感じていた。……どちらが主人でどちらが奉公人かを明言はしないが。

 

「タルブ戦で艦隊を殲滅した奇跡の光を生み出し、そして七十騎以上の竜騎士を先程のワイバーン一騎で屠ったのは彼女達なのです」

「――――――っ」

「……なんと」

 

 胡散臭げに彼女達を眺めていた者達もその言葉にようやくその力を認めたのか、感嘆の声をあげていた。

 なにせ、先程上空を雄大に飛ぶワイバーンの姿を彼らは見ていたからだ。それを見て、ポワチエは満足したのか、演技臭い笑みをナツミ達へと向けた。

 その視線からようやくナツミは自分の立場を思い出す。

 あくまで虚無の魔法を使うのはナツミであり、ルイズは平均的なメイジで通す。それがアンリエッタ達と決めた事だった。虚無の力を持っているなど知られれば要らぬ争いに巻き込まれてしまう。

 それからルイズを守る苦肉の策だった。ルイズも最初もナツミばかりに重荷を背負わせることに顔を渋らせたが、マザリーニから下手をすれば家族にも迷惑がかかる可能性があることを聞かされると流石に黙った。

 せっかく本当の意味で仲の良くなった家族……それを壊すような真似は彼女には出来なかった。そんな泣きそうなくらい申し訳なさそうな顔をするルイズを見てナツミは一言。

 

「まぁ、世界の運命を背負わされるよりは大分軽いよ。気にしない気にしない」

 

 流石、とある世界を救った大英雄。

 器がデカかった。

 

 

 

 ポワチエの笑みからナツミが自分の役目を思い出して一人頷いていると、それをどう捉えたやら、ポワチエは総司令官としての立場を誇示するためか大人物然と話し始める。

 

「いきなり司令部に通して驚かせてしまってすまない。しかし、見て通りこの艦は旗艦ということで極秘扱いなのだ。竜母艦として特化させた故に大砲の一つも積んでいないのでな。それをきゃつらに知られるのは避けたかったのだ」

「は、はぁ……、しかし、どうしてそのような艦を司令部になさったのですか?」

 

 あのワイバーンを使役するという底知れ無さを持つナツミとは違い可愛らしいルイズの質問に、緊張感が和らいだのか、将軍達が苦笑にも似た笑いを辺りに漏らす。

 

「普通の艦では、このような会議室を作れんのだ。大砲の弾の置き場もあるしな」

 

 軍を指揮するのは攻撃力では無い。効率よく情報を集め、処理する能力が問われる。特化艦ということで、攻撃力が不足するが、その分は護衛艦に補って貰えばいいという考えなのだろう。

 

「談笑はそのぐらいにして、軍議を続けましょう」

 

 ゲルマニアの将軍の言葉に、他の将軍達も笑みを消し、姿勢を正す。

 二人を交えた軍議が今、始まった。

 




ネットが三週間ばかり繋がらず昨日ようやく復活した次第です。思わず暇を潰すために小説を大量購入してしまいました。
歴史小説はそれぞれの作者の考えがあって面白いです。三成さんは書く人のよっての評価が違い過ぎ。
自分は結構好きです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。