「ナツミ!」
「ナツミちゃん!」
ギーシュとの決闘も無事終了し、心の中で召喚術が思い通りに放てたことに安堵していたナツミにシエスタとルイズ、二人の少女が抱きついてきた。
「わわ!?、ルイズにシエスタどうしたの?」
「無事でよかったです~うう……」
「もう!心配掛けないでよ!」
本物の戦いを幾度も繰り返したナツミにとっては何でもないようなことだったが、命のやり取りを知らない二人には少々刺激的だったようで、不安を押し隠すようにナツミを力強く締め付ける。
「ちょっと……痛いかも」
サモナイトソードや魔力での身体強化が無くば、ナツミも肉体の強度は少女のそれと大差無い。二人分の力で締め付けられた彼女の肉体は少々悲鳴をあげていた。
ギーシュとの決闘と呼べない決闘から数日。
異世界世界も二回目、既にナツミはこの世界にある程度慣れ、すでに生活のリズムを作りつつあった。フラットに馴染むのに幾分か時間が掛かったソルとは比べ呆れるほどの順応性だった。
まず午前中、衣食住に関しては召喚主であるルイズにより快適なニート環境が提供されることとなったが、リィンバウムでのガゼルの言葉を思い出したのか流石に気も咎め、ルイズの衣服の洗濯や部屋の掃除をすることになった。
十人近い人数が住む孤児院で生活していたナツミにとって自分とルイズの二人分の洗濯は対した労力ではなかったし、掃除にしてもそうだった。
洗濯が終了した後はそのまま屋外で剣術の反復練習、リィンバウムに帰った時、二人の剣鬼になまった姿は見せられないし、ルイズを守るためにも訓練しておいて損は無い、それにどうせやることが無い。
そして食事。食事は基本的に使用人用の食堂で食べていた。貴族用のところでは要らぬ軋轢を生みかねないし、そもそも貴族の食事のマナーは知らない。というか朝からあんなこってりしたものは食べられない。
そして午後、いまだに全容が把握しきれぬ学院内の探索をしていたのだが、いくら広いと言っても数日もかければ回り切れてしまうため先日ナツミは学院の探索を終了させていた。
そして夕方。ルイズが部屋に戻る頃、ナツミも部屋に戻り彼女が以前いた異世界の話をルイズに聞かせ疲れた頃に就寝という生活である。
こちらもそろそろネタが尽きかけてきたので簡単な召喚術の講義でも始めようかとナツミは考えて眠りに落ちるその日を終える。
それがここ数日のナツミの活動だった。
ちなみにギーシュとの一方的な戦いよりナツミを見る学院関係者の目は以前とは違うものになっていた。
生徒や教師は以前のルイズを馬鹿にしたりナツミ自身を蔑むような視線は少なくなって代わりに畏怖を込めた視線が多くなった。
そして、シエスタや使用人達のある意味人間以下の使い魔として召喚されてしまった不幸を憐れんだような視線は一変し憧憬や尊敬の視線へと変わっていた。
特に顕著なのは
「おう!我らの剣姫!どうした?」
このマルトーであった。マルトーは魔法学院の厨房を預かる料理長でありながら、貴族を毛嫌いしており、魔法ができるからと言って自慢散らすだけの貴族には作れない程の上手い料理を作って貴族に上手いと言わせるのが趣味の変わった人種であった。
そんなマルトーの現在一番のお気に入りが昨日、決闘で見事貴族を打倒したナツミであった。
しかも貴族相手に決闘をした理由がマルトーと同じ使用人であるメイドのシエスタを泣かせたのと、自らを召喚した主を馬鹿にしたからだという。
自身ではなく他人を貶められた事に義憤を覚えたという正義感溢れる理由にマルトーはナツミに心底惚れ込んだのだ。
「あの……マルトーさん。その我らの剣姫ってのやめてもらえますか?」
形の良い眉を顰めナツミはやんわりと剣姫という尊称を止めるように頼む。
「なんでぃ気に入んねぇのかい?」
ナツミ自身は『我らの剣姫』と呼称を気にいってはいなかったにも関わらずマルトーが使用人の皆に広めてしまったため、シエスタ以外の使用人の多く(男性が主に)は彼女のことをそう呼ぶようになってしまっていた。
「女の子に剣は無いです」
「だから姫をつけたんだろうが?男だったら剣だけだ!わははは」
「もういいです」
何度も新しい呼称にして下さい、むしろ使わなくていいです。と嘆願しては今のように軽く返されるため若干諦めが混ざり始めたナツミであった。
溜息と共に、ナツミは食堂に来た理由を思い出す。ただからかわれにきたわけでは無い。
ちょっとした頼みごとをマルトーにしに来ていたのだ。
「もういいです……。あの、昨日の夜、頼んでた釣竿ってありますか?」
「おお!すっかり忘れてたぜ、待ってな」
ここ数日、ハルケギニアでの生活もようやくリズムができかけてきたナツミであったが、どうにも授業は苦手で昼間はもっぱらブラブラ探検していたのだが流石にそれも次第に飽きる。
それを昨晩、使用人達と夕食の時に漏らすとマルトーが近くに大きな川もあるし、釣りでもどうだと言ってきたのだ。
釣竿も貸してくれるというマルトーにナツミがぜひという形で決まったことであった。
実はナツミ、リィンバウムではお世話になってる孤児院フラットの財政があまり良くないため、頻繁に近くの川に赴いて釣りをして食材の調達に貢献していた。
というかそんなことでもしないと、
魚釣り以外の家事もしてはいたが、さすがにリプレの足元にも及ばない。さらにリィンバウムではまだまだ女性の社会進出は遅々として進んでいないこともナツミの暇さに拍車をかけていた。
リプレの手伝い以外の仕事はたまに起こる召喚獣がらみの事件の解決を依頼される程度であった。
そんなわけで釣りはナツミの得意分野かつ趣味の領域にまで達していたため、マルトーからの釣り具を貸すという提案は渡りに船であった。
「なぁ我らの剣姫?」
異世界の魚はどんなものが居るのだろうと、あまり女子らしからぬ思考をしていると釣竿を持ってきたマルトーが、興味津津と言った顔でナツミに問いかけてきた。
「……なんですか?マルトーさん」
「お前さんどこで剣を習ったんだ?鍛え上げた傭兵でも剣だけじゃメイジに勝つのは難しいって聞くぜ?」
「……元騎士団長と元副騎士団長さんからですけど?」
シエスタとそう年も変わらぬ少女が、メイジを剣であしらった。これが大女ならまだ納得ができるが、ナツミの腕はマルトーの半分の太さも無い。特別な技術を使っているではと考えるのは無理らしからぬ事だった。
その問いにナツミは小首を傾げるも、特に隠すことも無いので素直に答えた。
「なんだって!騎士団長?どうやって貴族連中から剣術を学んだんだ?というかあいつらは魔法しか使わねんじゃねぇのか?」
「ああ……そっか。説明してなかった……。マルトーさん、あたし。えっと、ロバ・アル・カリイエってとこから召喚されたんですよ」
「ロバアルカリイエ……そうか。東方じゃあ貴族はいねぇって聞いたことがあんなぁ……でもそれにしたって俺の半分も生きてねぇお前さんが元とはいえ騎士団長から剣術を教えてもらえるなんてすげぇなぁ、才能ってやつか!?」
とっさにルイズと決めていた嘘の素性を話すナツミ。
そんな嘘に気づかぬマルトー。ナツミのすごさを改めて認識したのか、マルトーはさらに興奮し出す。それを見て若干嘘をついた罪悪感に苛まれるナツミであった。
「……ははは、全然すごくないですよ。その二人にはまだまだ追いついてないですし」
彼女に剣術を指南しているのは不壊の剣聖、荒ぶる剣神と言われる二人である。いかに
もちろんそんなことを知らないマルトーはそんなナツミがひどく謙虚に見えていた。
「おお!あんなすごい剣術を使えるくせに、その謙虚さ……。流石俺が見込んだけはある!聞いたか皆、達人は誇らない!」
「「「達人は誇らない!!」」」
マルトーのナツミを称賛する言葉に厨房にいた皆が唱和し、厨房の空気が揺れる。
「どうしてくれる!?我らの剣姫」
「……な、なにがですか?」
嫌な予感がして思わず後ずさるナツミ。
そんなナツミの両肩に手を載せるマルトー、心なしか顔が近い。
「お前にキスがしたくなっちまったぞ!」
「はあああ!?ちょっとやめて下さい!!」
息も荒く、んーと唇を近づけてくるマルトー。ナツミを引き寄せようとする力は割と強く、冗談では無く本気のようであった。
思わず魔王と戦った時ばりの魔力が内から溢れ出しかけ、ナツミは奥歯を噛みしめなんとかその衝動に耐える。
女の子が陥る脅威としては魔王に匹敵するとナツミの
そのまま衝動に任せればおそらく塔が吹き飛んでしまうだけに我慢するナツミの負担は加速度的に増していった。
「い、いい加減にして!プニム~!」
「プ二!!」
魔力が暴発してしまう前になんとか自らの召喚獣プニムに助けを求めるナツミ。
人知れずナツミの足元に侍っていた優秀な相棒は即座に主の指示と危機を感じとりマルトーの顎にいいアッパーをかます。
「うごぉうふ!!」
顎を打ち抜かれナツミから手を放すマルトー。数多の戦闘を潜り抜けたナツミがそんな隙を見逃すはずは無い。即座に救世主プニムを抱き上げると敵陣から脇目も振らずに脱出する。
「し、失礼します~!!!!」
何とか暴発しそうになる力を必死に抑えナツミは足早に食堂を後にする。その手にはちゃっかりと釣り具が握られていた。
「痛たたた……照れやがって、わははは!!」
プニムにぶっ飛ばされたマルトーであったがあっさりと復活していた。これは別にプニムが弱いわけではない。プニムの打撃特性が精神への攻撃のために肉体的ダメージがほぼ無かったためである。もちろん手加減がしていたが。
「マルトーさん」
「料理長」
「な、なんだお前ら?」
がははと笑うマルトーであったが、シエスタその他の女性の使用人が底冷えするような声をマルトーに向けていた。
貴族にも臆することがないマルトーであったが女性陣の冷え切った瞳は、男であれば誰でも恐怖を覚えるような恐ろしい視線を発していた。
「「サイテーです」」
「な、なんだと!」
そして、マルトーは自らの行いが使用人の女性達からの株を大幅に下げたことを知り、がっくりと肩を落とした。
「ふぅー着いた~、腰が痛いけど……」
「ぷに~」
まるで中年のおっさんの様にナツミは伸ばした腰をとんとんと叩く。
馬乗りはリィンバウムでもしたことがなかった為、腰を痛めてしまったのだ。とはいえ、馴れない乗り手にも関わらずナツミの手綱にきちんと馬が合わせてくれたのは、やはり幻獣、神獣、鬼神に限らず慕われるエルゴの王としてのカリスマなのだろう。
「えっと、餌をつけて、ミミズにえっと……にぼしがあったわね」
そんな圧倒的なカリスマを持つ少女は素手でにぼしやら、ミミズを弄っている。蒼の派閥や金の派閥のエルゴの王の伝説を知っている召喚士からすれば卒倒ものの光景だった。
無駄に手慣れた手つきで釣り針に餌を取り付けていくナツミ。餌は比較的オーソドックスなにぼしに決めたようだった。
「変な魚はいないわよね……」
リィンバウムでは何故かマタタビ団子で魚が釣れたり、そもそも猫や犬の上半身、下半身は魚を始めまともじゃない魚も居た事をナツミは何故か思い出す。
(でも、あんな魚でも意外と調理すんのよねリプレは…)
若干、不安げな様子で釣り糸を垂らすナツミ。
「こうしてるとハルケギニアもリィンバウムもあまり変わらないわね~」
暖かい日の光を浴びてナツミは気持ち良さそうに釣り目気味の瞳を細める。緩やかな風が穏やかな空気とナツミの髪を優しくそよがせた。
異世界に飛ばされ、帰るアテも未だに無いのにそこに危機感は一切見られない。
元からの楽観的な性格もあるだろうが、その身に宿る力の大きさが危機感を感じさせないのだろう。
水面に揺蕩う糸を見詰め、ナツミは小さく深呼吸し肩の力を抜く。リィンバウムでも頻繁に行っていた釣りをしていることで、無意識に張りつめさせていた緊張が解けたのかも知れない。
「学院の探検も終わったし、しばらくは釣り三昧もいいわね~」
しばらく、現在のナツミのように穏やかな水面を糸が緩やかに揺れ……僅かに釣り糸が引っ張られる!
「来たぁ!フィッシュオン!!!!!」
ミニゲームの名前……もとい謎の掛け声を叫びながらボタンを連射……じゃなくて釣竿を引くとタツノオトシゴのようなものがぶら下がっていた。
「……川にタツノオトシゴ?……こ、ここに来てもこれぇ?はぁ、いまさらか……」
どうやら彼女の変な生き物を釣るという特性はこの世界でも普遍的事実であったようだ。
「まぁこれだけ釣ればいいかな?」
「ぷに」
その後も変な魚は何匹か釣ったものの、まともな魚も幾つか釣り上げ満足したナツミは魚を皮袋に入れると帰り支度を整え川を後にした。
夜、ナツミはルイズとともに中庭に出ていた。
あの後、釣った魚をマルトーに渡し、調理して貰い今晩の夕食にしてもらっていた。思いの他多く釣れたたため、シエスタを始めとした使用人の皆にも魚料理が振る舞われていた。
何故かナツミに対し、マルトーが昼間とは打って変わって距離をとっていたのが少々気味悪くナツミは感じていた。
(なんかあったのかな?まぁセクハラされないのはいいけど)
「さぁナツミ始めましょ?」
「え、ああ。うん」
「ちょっとボサッとしないでよ」
「ごめん、ごめん」
ルイズが錬金の授業で失敗し泣いてから数日、あれからナツミはルイズからこちらの魔法の話を聞いたり、逆に召喚術の話をし、ルイズに召喚術を教えるという話に落ち着いていた。
ルイズの魔法が使えないというコンプレックスを少しでも無くしたいという気持ちからだった。
リィンバウム式の召喚術を覚えれば、自然と送還術を覚えてナツミがリィンバウムに帰る手段を考える手間が省けるのだが、ルイズの事を心配するあまりにそこまで頭が回っていないのは非常にナツミらしいと言えた。
「じゃあまずこの石を持って気持ちというか念じてみて」
いい加減極まりない説明と共にナツミはルイズに緑色の石、
「う、うーん……」
しーん。うんともすんと言わぬサモナイト石。
落ち込むルイズ。
「まぁまぁじゃ次はこれ」
次は赤色。
「次こそ……うーん」
しーん。落ち込むルイズ。
紫色。
しーん。
黒色。
……。
「おかしいわね……。誓約は召喚師じゃないと出来ないけど。召喚自体は四界どれかの適性があるってソルが言ってた気がしたけど……やっぱりこの世界じゃ無理なのかなぁ……。いや私を召喚したんだし……」
うーんと首を傾げるナツミ。
しかし、もともと召喚師としての教育は受けて無いうえ誓約者の既存の召喚術とは違う法則で召喚を行うナツミには人に召喚術を教えるというのは酷く不適格であった。
そんなナツミの指導力を知らないルイズは、魔法だけでなく、召喚術にも適性が無いのを知り落ち込み地面にのノ字を書き始めた。
「ふん、どうせ期待してなかったもん。召喚術は魔法じゃないからいいもん…」
ぶつぶつ言いながらどんよりしているルイズの傍ら、自ら
念もとい魔力を込めたサモナイト石は当然、鮮やかに緑色に光り出す。
ちなみにナツミはエルゴの王の名に相応しく四界全てのサモナイト石に完璧に感応する事が出来る。教えられずとも……というかリィンバウムに訪れた瞬間から召喚術師として既に完成しているという冗談としか思えない身だった故に、出来ないという感覚が無いのだ。
「……あたしの説明がおかしいのかも……はぁソルの講義真面目に聞いときゃよかったわね」
自分の時とは違い鮮やかに光るサモナイト石を羨ましいそうに見るルイズ。
「あれ?」
ふと、ルイズの目にさきほど試した四界のサモナイト石には無かった色、灰色の石が映った。
「ナツミ、その色だけ試してないわよ?」
「ん?あー忘れたわ。そう言えばもう一つあったわね」
「……あっ!」
ルイズがその灰色のサモナイト石を掴み、念を込める。
すると、
「わぁすごい光ってる……」
「光った?」
リィンバウムでは誰であれ四つの属性の内、一つとそして今ルイズが光らせた灰色のサモナイト石、名も無き世界への感応力を秘めた物、少なくとも二つに感応する。
四つの属性がダメだった時点で、ルイズの召喚士としての才は無いとナツミは思っていた。
にも関わらず、ルイズが無属性のサモナイト石を光らせた事に驚いていた。
「ナツミ……?どうしたの?」
「え……いや、なんでもないわ」
まさか光るとは思わなかったとは言えず、思わずナツミは多少焦りながらも誤魔化した。明らかに焦りを隠せない下手くそな演技だったものの、サモナイト石を光らせた事にルイズは素直に喜びの声を上げていた。
光り輝くサモナイト石を、同じくキラキラした瞳で見続けるルイズを見ながら、ナツミはなけなしの知識でこの現象を自分なりに考える。
本来リィンバウムの召喚術の誓約は召喚師のみが行使可能な術であり、一度誓約を交わしたサモナイト石であればたとえ召喚師でなくても、相性の良い属性の召喚術を使うことは誰でもできる。
そして、それとは別にどの属性でも使えるのが無属性と称される名も無き世界からの召喚であった。
ルイズは四界のどれとも感応出来ない。
でも本来、個人差が無いはずの名も無き世界との感応は何故か相性が良好。
もう少し、思慮深い召喚師であったならば、このサモナイト石の感応をおかしいと思うだろうが、ナツミ自身が型に嵌らない召喚師ということもあり、それ以上気にすることはなった。
「まぁいいや、よかったねルイズ」
「うん!よし頑張るわよ」
召喚術が使える見込みが出来て喜ぶルイズの手には光輝くサモナイト石が握られていた。