ハルケギニアの誓約者   作:油揚げ

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第十話 復讐者

 アカネとアンリエッタが魅惑の妖精亭で食事をした日の深夜。

 シオンはアニエスとともにリッシュモンの屋敷を見張っていた。リッシュモンが先のアンリエッタ誘拐事件の手綱を握っていたとするなら、先程アニエスが伝えたアンリエッタの行方が知れないという情報は寝耳に水のはずだ。

 彼が裏切り者ならアンリエッタの身柄を手土産に神聖アルビオンに取り入るだろう。だが、それが他の者の仕業だったら?

 手柄は別の者に取られ、彼が望む地位、金は手に入らないことになる。それを避けるためにリッシュモンは必ず、急ぎ連絡を取るはずである。リッシュモンの手の者が誘拐したのならよし、もし違う者なら手柄を横取りすればいいと彼は考えるあろう。

 それが、今回の作戦の肝。

 今まで、リッシュモンが疑われながらも決して足を出さなかったのは、神経質過ぎる程に危険を排してアルビオンの手の者と密会していたからだ。だが、それも予定通り行動してしていたからだ。

 不意の事態にはそれも綻びるはず、そこを突くのが今回のアンリエッタ行方不明事件の目的である。

 

 ぴくりとも動かずにリッシュモンの屋敷を監視するシオンにアニエスは目を見張っていた。気を張っている様で、何処か涼しげにに見える。まさに自然体、それになにより驚くのが、目の前に居るというのに気配が全くしないのだシオンは。

 まさに、さすがアカネの師匠といったところだなとアニエスは思っていた。

 

「ん?」

 

 そんなアニエスの頬にぽつりと水滴が当たる。

 雨が降るとアニエスの主武装の内の一つ、銃が火薬が湿気り使えなくなる。その事に思わずアニエスは顔を顰めた。そんなアニエスの背に、油で鞣した毛皮がかけられた。

 

「む?」

「若い娘さんが体を冷やすのは良くはありません。かけておきなさい」

「お、女扱いするな!私は騎士だぞ、騎士に女も男も無い!」

「有りますよ。女性は何処までいっても女性……逆もまた然りです」

「なんだと!」

 

 自分を女扱いするシオンに激昂するアニエス。

 その言葉は自分の村を焼いた者に復讐するために女を捨て、騎士にまでなったアニエスにとってシオンの言葉は二十年間の努力の全てを否定するに足る言葉であった。

 

「別に馬鹿にしているわけではありませんよ」

「馬鹿にしているだ……」

「静かに」

 

 シオンの言葉が静かに、だがある種の威圧感とともに放たれ、アニエスは怒り心中に留まらせながらも、シオンの言う通りに、静かにする。

 今は作戦中、騎士として一個人の感情を優先して、作戦を失敗することは許されない。

そんなアニエスを全く気にせずにシオンはリッシュモンの屋敷の扉が開き、先程アニエスを招き入れた小姓の少年が姿を現した。

 少年はきょろきょろと当りの様子を見ると、一度引っ込み今度は馬を引いて、再び姿を現した。少年はカンテラを片手に馬に乗ると、瞬く間に影が深い町に馬を走らせ始めた。

 

「では行きましょうか」

「行くって、馬が無いではないか」

 

 先の女扱いがまだ尾を引いているのか、アニエスの言葉には棘が含まれている。

 シオンはそんなアニエスに文句も言わない。

 

「御心配なさらずに、このままで十分です」

「し、しかし……」

「いいから行きますよ。見失っては事です」

 

 人間と馬では足の速さがまるっきり違う。メイジと比べたって馬の方が早い。

 だから移動手段として馬が成り立つのだ。なのに要らないというシオンにアニエスは心の何処かで警鐘がなる音を聞いた。

 常識が崩されるとその鐘は告げる。

 だが、シオンの言う通りこのまま、見失っては事なので、カンテラの明かりを目印に馬を追い始めた。

 

 

 

 

 

 

 夜気の中を、小姓を乗せた馬は早駆けで走る。主人に言い含められたのか、急ぐその様には余裕は一切見受けられない。そんな、少年をアニエスは付かず離れずの距離を保って、後をつけた。

 

(ぐうぅう、突っ込みたい!大声で突っ込みたい!)

 

 アニエスは任務中と言うこともあって必死に自分を抑える。

 そんなアニエスのやや前方には、夜に紛れるような隠密服に身を包んだシオンが馬と同じ速度で疾走していた。速度もさることながら、一向に陰ることを知らないその速度からスタミナも相応にあることが見受けられた。

 

(何故だ!?何故、人間が馬より早く走れるのだ?しかも足音一つせんとは……)

 

 任務中なのに彼女の頭はシオンの超人的な身体能力への疑問でいっぱいだった。

 だが、やがて彼女も悟るだろう、あのアカネの師匠なのだから常人の枠に収まる身体能力なわけがないと、そしてやがて諦めるだろう、その二人が君主候補として見ている一人の少女は、この二人に輪をかけて常識から外れていることを。

 

 小姓の馬は一軒の宿の前に止まり、少年は馬を軒先に繋ぐと、宿へと入っていた。

 

「行くぞ」

「いえ、ここは私が」

「何?」

「アニエスさんはあの少年に顔を見られているでしょう?あの狭い宿の中で顔を見られる可能性は、低くはありません。私が適任でしょう」

「む、確かにそうだな」

「それに」

 

 次の瞬間。

 シオンの姿が一瞬で掻き消えた。

 

「な、ど、どこに行った!?」

「ここに居ますよ?」

 

 声はすれども姿は無し、これぞ隠密の術。攻撃をしない限り、姿を完全に周りから隠す、偵察及び暗殺型の忍術である。

 ちなみアカネも習得済み。

 

「居ないじゃないか!」

「ふふ、忍術と言うやつですよ……ではあの少年が去った頃に来てくださいね」

 

 シオンはそう言うと宿に向かって走り去った。

 そうとも知らずアニエスが相変わらずきょろきょろと周りを見ている。

 

「にんじゅつ?はっ!?あのアカネが使っていた流派の総称だった気がする……底が知れんな」

 

 独り言は夜闇に溶けた。

 

 

 

 

 シオンは隠密の術を使って店へと入る。

 別に隠密の術を使わなくてもシオンの顔は割れていないので必ずしも使う必要はないのだが、相手が一人とも限らないので一応使う事にしていた。それにアカネが話していたからかうと面白い女騎士がいると聞いていたので試しにからかってみたというのも、意外に大きい。

 

 シオンが一階の酒場に、小姓の少年が居ないのを確認すると、二階へと向かった。階段の踊り場までシオンが昇ると、ちょうど階段が昇り切った先にある部屋から少年が出てくる。

 そのままシオンは扉の前で隠密の術そのままに姿を消し、アニエスを待つ。

 五分もしないうちにアニエスは二階までやってくると、きょろきょろと周りを見渡す。

 

「ここですよ」

 

 アニエスの目の前で不意に焦点が合ったかのようにシオンが姿を現した。

 

「……もうどう驚いていいのか分からんな」

「さぁ、入りますよ」

「……どうするのだ?鍵がかかってるはずだ」

「こうします」

 

 そう言うなり、シオンは腰の刀を一閃。

 閃光の如く、刃が扉に向かって走る。

 木製の扉はそれだけで、音も無く只の木片となり、床へと吸い込まれる。シオンは床へと木片が散らばるその前に、室内へと飛び込んだ。中には商人風の一人の男がベッドに寝転んでおり、シオンを見るなり脇に置いた杖に右手を伸ばす。

 咄嗟のその反応を見る限り、男は中々の使い手のようではあった。

 だが、相手がシオンでは中々の腕では役不足も甚だしい。

 この世界で既に何人かのメイジと相対したシオンはメイジの弱点を既に知り尽くしていた。男が杖をその手に納めるその前に苦無が二本放たれる。

 

「ぎゃあああああああ!?」

 

 右手の手の甲と、左の肘関節に苦無がそれぞれ深々と突き刺さった。

 

「杖を持たないメイジなど平民にも劣ります」

「き、貴様……!」

 

 激痛から耐える様に汗をだらだらと流しながら男は鋭い視線をシオンへとぶつける。

 その瞳の光はただの商人とは違う、自らよりも劣る者に嵌められた屈辱に塗れていた。そして上から人を見る目はこの男が貴族であるのを証明するようであった。シオンはそんな視線を軽く流し、男の元へと近づき刀を喉元に突き付ける。

 

「動かないで下さいね。……アニエスさんお願いします」

 

 まさに早業、アニエスはシオンの淀みのない動作に驚くことしか出来なかった。

 こういった突入作戦は幾度となく銃士隊でも訓練していたが、シオンのそれはまさに理想の具現。こうであったらいいの最上。完璧すぎるがゆえに、なにも出来なかった。

 

「ああ、任された」

 

 アニエスはシオンに言われたままに、腰に付けた捕縛用の縄で男を縛り上げた。やがて何事かと、宿の者や客が部屋を覗きに集まってきた。

 

「騒ぐな!手配中のコソ泥を捕縛しただけだ!」

 

 騎士服を纏ったアニエスがそう叫ぶと、とばっちりを恐れ皆が去って行く。

 部屋の中には、幾枚もの極秘文章が見つかった。アニエスはそのうちの一枚を見つけると男へと突き付ける。

 

「貴様らは劇場で接触をしていたようだな。さきほど貴様に届いた手紙には、明日例の場所で、と書かれている。例の場所とはここの劇場で間違いないな?」

「……」

 

 男は答えない。じっと黙ってそっぽを向いている。

 

「答えぬか……貴族の誇りと言うわけだな、なら!」

 

 アニエスは冷たい笑いを浮かべると、腰に差していた剣を男の足の甲に突き立てようとした。がそれはシオンによって防がれた。

 

「き、貴様!」

「ーーーっ」

 

 アニエスと男はそれぞれ驚いた表情をしてシオンを見やる。アニエスは自分の行動を邪魔されて、男は今自分がやられようとした行為に身を震わせて。

 男は荒い鼻息をしながらも、足に剣を突き刺されたかったことに安堵しているようであった。

 

「甘いですよアニエスさん。やるなら」

 

 だが、その安堵も無意味に終わる。

 アカネのそれですら大抵の者が口を紡ぐのを即座に止める尋問術の師匠、シオン。男が口を割るのに大した時間はかからなかった。

 アニエスすら途中で見てられなくなったそれが語られることは……ないと思われる。

 

 

 

 長い夜が明けて、昼。トリスタニア中央広場、サン・レミの聖堂が鐘を打つ。十一時。

 劇場、タニアリージュ・ロワイヤル座の前に、一台の高級馬車が止まった。中から降りてきたのはリッシュモンであった。リッシュモンは堂々と、劇場の中に入っていく、切符売り場の男はリッシュモンを見ると一礼をし、リッシュモンを通す。

 高等法院長を務める彼にとって芝居の検閲も仕事、切符を買う必要はないのだ。

 客席は演目が女性向けとあって、若い女性達ばかりで六分ほどしか埋まっていなかった。開演当初は盛況で多くの客で賑わっていたのだが、役者の演技はあまりにもひどいためにかなりの酷評を受けた為だ。

 リッシュモンは客席を一瞥すると自分専用の席にどかりと座り込み、じっと幕が開くのを待っていた。リッシュモンが席に着いてからさして時間がかからずに幕が上がり、芝居の開幕となった。

 だが、リッシュモンは芝居を見ず、顔に険しさを滲ませていた。約束の刻限になっても、待ち人―アルビオンの手の者―が一向に現れないからだ。リッシュモンの脳裏には、今回の女王アンリエッタの失踪にアルビオンは絡んでいるのか?もしそうなら自分を解さなかった理由は?万が一に自分と関係がない者がアルビオンと手を結んでいるなら、ややこしいことになる。

 ……手柄が少なくなるないし、無くなる可能性だってあるからだ。そこで一度こんがらがった思考をリセットするために、頭を左右に振る。その時、自分の隣に一人の人物が腰かけた。待ち人かとリッシュモンが顔をあげると、そこには……。

 

「……陛下!?」

「静かに……芝居の最中ですよリッシュモン殿?……観劇のお供をさせてくださいまし」

 

 大声とはいかないがやや大きな声を出したリッシュモンを諌め、アンリエッタは舞台に視線を向ける。

 

「劇場での接触とは考えましたね……高等法院長の業務には芝居の検閲も入っています。貴方が劇場に居ても誰も不思議に思わない。……それに周りも劇に夢中で周りを気にしない」

「接触とは穏やかではないですな陛下。この私が、愛人とここで密会でもしていると仰られるか?」

 

 リッシュモンはこれは参ったと笑うが、アンリエッタは一切笑わない。そしてその双眸がまるで糸のように鋭く細められる。

 

「戯言はそこまです。貴方と連絡を取り合っていた密使は昨日捕まえました。ちょっとキツイ尋問をするだけでぺらぺら喋ってくれましたよ。アルビオンの貴族の方は」

「くっくく、なるほど昨日姿を消したのは私を炙り出す為ですか、陛下が居なくなれば私は密使と連絡を必ずとると……ああ、そうかだからあの粉ひきの下女めが深夜に我が屋敷に訪れたのですか」

 

 そこでアンリエッタは懐から杖を取り出し、リッシュモンに突き付けた。

 

「あなたを女王の名において罷免します。おとなしく逮捕されなさい。外はもう魔法衛士隊に包囲させています。逃げ場はありませんよ?」

「……まったく、小娘がいきがりおって……。私に罠を仕掛けるなど、百年早い!」

 

 リッシュモンが両手を叩くと、今まで芝居を演じていた役者たちが……衣装に隠していた杖を引き抜き、アンリエッタに突き付けた。観客の若い情勢たちは突然の事態に怯え声をあげる。

 

「黙れ!座っていろ!殺されたくなければな!」

 

 優雅と言ったもとは遥かに程遠い、歪んで醜い声を張り上げるリッシュモン。王宮で見せていた忠臣の裏に隠されていた本性が現されていた。

 そしてリッシュモンは叫ぶと同時に付きつけられたアンリエッタの杖を己の杖で弾く。

 

「あっ!」

「くく、陛下自らいらしたのは下策でしたな……絶対の自信があったようですが、おっと動かないで頂きたい。彼らは皆、一流の使い手ぞろいですぞ?」

 

 そういうとリッシュモンは杖を握っていない方の腕、左手でアンリエッタの腕を掴む。白魚のように美しい腕を一撫でするリッシュモンに彼女は限界に達した。

 

「限界ね……っ!」

「なっ!?」

 

 アンリエッタは瞬く間にリッシュモンの腕を振りほどくとその姿が掻き消える。

 

「ぐぅ!?」

「がっ!」

 

 くぐもった声が舞台から響き、リッシュモンが慌てて舞台を見ると、そこには。

 三人のアンリエッタが次から次へと手に持った苦無と刀で六人の役者に化けた不届き者達を打倒しているという信じがたい光景が展開されていた。

 

「ば、馬鹿な!陛下は水のトライアングルはず……何故風のスクエアスペルの偏在を使っているのだ!?」

 

 明らかに狼狽するリッシュモン。予想を遥かに逸脱する展開に彼は軽い恐慌状態に陥っていた。

 そんなリッシュモンに凛とした声が響く。

 

「それは舞台にいる彼女は私ではないからですよ。高等法院長……いやさ裏切り者リッシュモン!」

 

 声がする方向には一人のフードを被った少女が左右を銃を構えた女性に守らせて立っている。

 少女が片手をあげると、ただの平民であるはずの女性達が一斉に銃を取り出して、リッシュモンに照準を合わせる。劇場の女性達は全て、前もってアンリエッタが客のふりをさせて、待機させていた銃士隊のメンバーであったのだ。

 

「な、へ、陛下……!?」

「諦めなさい。カーテンコールですわ」

 

 思わず、リッシュモンは上ずった声をあげてしまう。フードを捲った少女はどう見てもアンリエッタ。

 格好こそ平民の女性のそれだが、内から溢れる気品がそれに紛れる訳も無く、幼少からアンリエッタを見てきたリッシュモンから見ても非の打ちどころのないアンリエッタであった。

 だが、さっきまでリッシュモンの隣に居たのも間違いなくアンリエッタのはずである。そして、舞台にいる三人のアンリエッタも目の前のアンリエッタも顔はもちろん背、体型、髪の長さにいたるまで完璧に一緒である。

 

「……フェイス・チェンジ?」

 

 リッシュモンは咄嗟に水のスクエアスペルのフェイス・チェンジかと思ったが、即座に脳裏で否定した。

 フェイス・チェンジはあくまで顔を本人と同じにするだけ、体型はもちろん、髪も変えることは出来ない。アンリエッタが三人に増えたからくりはシオンが得意とする分身の術。

 だが、使用者はシオンでは無い。

 使用者はアカネ、アルビオンで力の無さからナツミを危険に晒した彼女が珍しく本気で師匠から技の手ほどきを受けて習得したのだ。

 

「ちっ……!」

「下手に動けば命はありませんよ」

「く、くく、あははははははあはははっはっはっはっははっは!!!!」

 

 リッシュモンは気が触れたかのように大声で笑い始め、舞台へと上がる。

 周りを銃で囲まれながらも、笑い続けるその異様な様子に、周りの銃士隊も圧倒され、ただ周りを囲むことしかできなかった。

 

「往生際が悪いですよリッシュモン!」

「諦めなさい」

「動くな」

「止まれ!」

 

 本物のアンリエッタに続き、アンリエッタに扮するアカネとその分身達の声も意に介さずにリッシュモンは舞台の真ん中に立ち、大仰に腕をあげて芝居がかった様子でしゃべり始める。

 

「陛下……素晴らしいですぞ。ただの箱入り娘と思っていたましたがここまで頭が回るとは……、この私めが年甲斐もなく感動してしまいましたぞ!だが、一つだけ忠告を聞いてくださいますか?」

「……言いなさい」

「昔から、そうでしたが……陛下は」

 

 言葉とともにリッシュモンは床を足で力強く打ち鳴らした。

 すると落とし穴の要領で、かぱっと床が口を開く。

 

「詰めが甘い!!」

 

 リッシュモンの姿は瞬く間に穴に吸い込まれ行く。アカネが急いで駆け寄るが、床はすでに閉まっており、押しても引いていも開くことはなかった。

 

「くっどうやら魔法がかかってるみたいね。……陛下!」

「ええ、皆、出口探して!」

 

 隊員はアンリエッタの命を聞くと、瞬く間に散っていく。残ったのは護衛のアカネのみ。

 周りにアカネしか居なくなったのを確認するとアンリエッタは悔しそうに、爪を噛んでいた。

 

 

 

 アニエスは地下通路で一人息を潜めていた。

 心中にあるのはアンリエッタの忠誠よりも、私怨の感情。

 普段は隠し、だが決して消える事の無い種火の様に、些細な燃料でそれは彼女の心を染め上げる。

 その対象は……。

 

「おやおやリッシュモン殿。こんなところで会うとは奇遇ですな?」

 

 リッシュモンは、突然声をかけられたことにびくりと体を強張らせる。

 

「貴様か……」

 

 だが、相手がメイジでないアニエスと分かると、侮蔑に満ちた表情をしてアニエスを見やった。多くのメイジ同様にリッシュモンも剣士を自らよりも劣る者として認識していたからだ。アニエスは侮辱に満ち満ちたその表情を見ても眉一つ動かさずに、腰に差してあった銃をリッシュモンへと向ける。

 

「止めておけ、二十メートルも離れれば銃弾など当たらぬ。……貴様なぞ殺しても構わぬが、貴族の高貴な技を貴様のような虫に使うのはもったいない。死にたくなくば、さっさと失せろ!」

 

怒鳴るリッシュモンにアニエスは全く反応せず、そのままの姿勢を保っていた。

 

「聞いているのか?たかだか平民の貴様がアンリエッタに命をかけてどうする?」

「……私がここに居るのは、陛下への忠誠からでは無い」

「何?」

「ダングルテール」

「?……なるほど!貴様はあの村の生き残りか!」

 

 目を見開いて得心が言ったかのように笑うリッシュモン。何故、二十年も前の事件をアニエスがわざわざ自分に聞いた理由がようやく分かったからであった。

 

「貴様に罪を着せられ、わが故郷は何の咎なく滅ぼされた」

 

 アニエスはそこまで言うと、内から湧き出す怒りの感情が抑えられなくなったのか、リッシュモン目掛けて駆けだした。

 

「馬鹿め!……これも運命か。我が手で最後の生き残りを殺してやろう!!」

 

 リッシュモンは小さく呟くと、杖から巨大な火球を飛ばす。アニエスは纏ったマントを翻し、火の玉を受けようと身構える。が、突然火球はアニエスとリッシュモンの中間地点で爆発した。

 咄嗟の事態にアニエスは驚くが、幸いにも翻したマントが爆風を受け止め、また熱風もマントに仕込まれた水袋が破裂したおかげでアニエスはほぼ無傷となっていた。

 

「なっ!?」

「今だ!」

 

 同じく驚くリッシュモンとは対照的にアニエスはいち早く、恐慌状態から脱出し、一気に距離を詰めるべく駆けだした。

 

「っき、貴様!」

「遅い!」

 

 慌ててリッシュモンが風のスペルを唱え始める。それに気付いたアニエスが手元の銃を発砲した。

 単発式で未だに命中精度がよくないものだが、距離を詰めればとアニエスは思ったが、アニエスの期待とは裏腹に弾丸はリッシュモンの頬を掠るのが精々であった。

 だが、銃なぞ滅多に当たる者では無いと考えていたリッシュモンにその弾丸は一度唱えていた呪文への集中力を切らすことに成功する。リッシュモンもそれに気づき、もはや数メートル前に迫ったアニエスになんとか詠唱を間に合わせ、魔法を放つべく杖を振る。

 

「―――――――――」

 

 やったとリッシュモンは思った。

 だが、アニエスは無傷で自分へと突き進んでくる。何故か異物感がある腹をリッシュモンが撫でると、温かい液体が溢れ、冷たい金属が……彼の腹から生えていた。

 

「ぐああああああああ!?」

 

 自覚した瞬間、灼熱感を伴う激痛が彼の腹部から発生した。体を折り曲げる様に激痛から逃れようとするリッシュモン。だが、彼が真に逃れなければならないものがあった。

 それを確認しようと、力を振り絞り、リッシュモンは顔をあげる。

 

「あっ」

 

 彼が最後に見た光景は、剣を両手で振り下ろすアニエスの姿だった。その瞳は内面の憎しみを現す様に、ごうごうと燃えているようにリッシュモンには見えた。

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 リッシュモンが息絶えた事を確認するとアニエスは地下道の壁に振るえる体を預けた。懐から一本の苦無を出すとアニエスは一人苦笑する。

 ふらっと射撃練習場に来ては、腕で投げているにも関わらず銃よりも長い射程を持ち、百発百中という馬鹿げた技の持ち主アカネ。しかも片付けが甘いのでいつも一、二本忘れていくのだ。毎回、忘れるたびに文句を言っていたのだが、今日ばかりは感謝した。

 そして、アカネの投擲術があまりに美しかったためにこっそり練習していた自分もちょっぴり褒めるアニエス。

 

(ホントは頭を狙ったんだがな……要練習だな)

 

 そこで一度、深呼吸をするとアニエスは両手を開いたり閉じたりして震えが取れたのを確認すると、暗い地下道に視線を走らせる。

 

「居るんだろう!出てきたらどうだ」

 

 人の気配が全くしない地下道にアニエスの凛とした声が響き渡る。

 

「ま、出て来いと言われたら出ないわけには行きませんね」

「おわっ!」

 

 アニエスのまさに真横に突然シオンは姿を現した。

 

「お、驚かせるな!ほんとにお前ら師弟はそっくりだな。居るとは思ったがまさか隣とは……」

「一応弟子ですからね。似るもんなんですかね?それで呼んだ理由は先の戦いのことですか?」

「あ、ああ」

 

 にこにこと相変わらず底の知れないシオンはアニエスの質問を先取りする。

 先のリッシュモンとの戦いで火球が不自然に爆発したのはシオンが火薬玉を火球へとぶつけたせいであった。

 

「まぁ、わたしが手を出さなくても勝てたと思いますが、女性が傷つくのは見てられませんからね」

「ち、貴様はまた私を女扱いする。何度言ったら分かる?私はとうに女を捨てたのだ」

「ふぅ、じゃあ一つ質問しますが、貴女から見てアカネは強いですか?」

 

 今にも襟首を掴まんとするアニエスにシオンは問いを投げかける。

 

「……強い、私よりも」

「ではもう一つ聞きます。アカネは女を捨てているように見えますか?」

 

 はっとシオンの言葉にアニエスは気付かされた。自分よりも強い、勝手にライバルと決めた少女の在り方を。だらしない様に見えて、きっちりと任務はこなし、年頃の少女の様に甘いものをアンリエッタと嬉しそうに食べたりしているアカネ……とても女を捨てているようには見えなかった。

 

「……」

 

 シオンは考え込んだアニエスを見て微笑みを一つするとリッシュモンの死体を担ぎ始めた。

 まさかとは思うが、この死体をアルビオンが利用する可能性もあるため、このままにしておくのは良いとは決して言えない。

 魅魔の宝玉の欠片の低級悪魔の憑依召喚はさておき、アンドバリの指輪で生き返らせた死体は生前の記憶を有しているのだ。高等法院長であり長年トリステイン王宮に努めていた彼はトリステインにとって知られては拙い情報の塊だ。

 

(考えなさい。復讐に囚われるよりもきっと正しい道が貴女にはあるはずです)

 

 シオンは答えを出せないままでいるアニエスをそのままにして、その場を去っていく。怪我をしているのなら無理にでも連れて行くところだが、幸いにも彼女は無傷であった。

 答えは自分で出すもの、悩む彼女を置いてシオンは地下通路から出て行った。もちろん誰にも見つからぬように。

 アニエスは悩み続ける。過去に置いてきた自分を探す様に。

 

 

 

 

第五章   了

 




これで第五章が終りです。
今年も後僅かです。体調には気をつけて過ごしたいものです。
自分は仕事納めが30日、仕事始めが1日(白目)です。
元旦から当直とは……ついてない。

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