深夜、そろそろ新たな日付になろうとしている時間帯にアニエスは、高級住宅が立ち並ぶ中でも一際豪華な屋敷をどんどんと叩き、大声で来訪を告げていた。
門に付いた窓が開き、カンテラを持った小姓が顔を出した。
「どなたでしょう?」
「女王陛下の銃士隊、アニエスが参ったとリッシュモン殿にお伝えください」
「こんな時間ですよ?」
怪訝な声で小姓が言う。主はとうに寝ているのだ。第一、主はトリステインの重鎮、法務院の長。そんな人物をこんな深夜に何故起こすのか。
「近衛隊のアニエスです。急報ゆえに是非とも取次ぎ願いたい」
小姓は半分納得が行かないように首を傾げるも、相手は新設されたとはいえ近衛隊。一平民がどうこうできる人物ではない為、屋敷の中に消えていき、しばらくすると門の閂を外した。そして暖炉のある今にアニエスが通され、しばらくすると寝間着姿のリッシュモンが姿を現した。
「急報とな?高等法院長を叩き起こすからには、余程の事件なのだろうな」
見るからに不機嫌に、ふんと鼻を鳴らしながら、アニエスを見下すリッシュモン。侮蔑の視線を隠そうともしないリッシュモンの視線を真っ向から受けながらも、意にも介さないアニエス。
「女王陛下が、お消えになりました」
「かどわかされたのか!?」
「調査中です」
慌てながらリッシュモンは顎に手を当てて考え込む。
「なるほど、大事件だ。しかし、この前にも誘拐騒ぎがあったばかりではないか!またぞろアルビオンの陰謀か!」
「調査中です。……つきまして、閣下には戒厳令と街道、港の封鎖許可を頂きたく存じます」
その言葉にリッシュモンは苦々しい表情を浮かべるも、腰に差した杖を振り、手元に飛んできたペンを取り、羊皮紙に何事かを書き留める。
「貴様ら銃士隊が無能を証明するために新設されたのではないのなら、全力で陛下を探し出せ!……見つからぬ場合には、貴様ら銃士隊全員、法院の名に懸けて縛り首だ。分かったな」
脅す様な言葉と共に羊皮紙を受け取り、部屋から退出しようとするアニエスだったが、ぴたりとその足が止まる。
「どうした?まだ用があるのか?」
「閣下は……二十年前の、
アニエスの言葉にリッシュモンは、天井に視線を送り記憶の糸を辿り始める。二十年前といえば、国を騒がした。
「ああ、それがどうかしたか?」
「ダングルテールの虐殺は、閣下が立案なさったと聞き及びました」
「虐殺?人聞きの悪いことを言うな。アングル地方の平民どもは国家転覆を企ておったのだぞ?あれは正当な鎮圧作戦だ。そんな下らないことを言ってないで、早く陛下をお探ししろ!」
アニエスはリッシュモンの言葉に何の感情も見せずに、頭を一つ下げて退出した。
リッシュモンはしばらく、閉じられた扉をじっと見つめていたが。アニエスの気配が無くなると羊皮紙とペンを取り出して目の色を変えて、何かをしたため始めた。その様子には明らかに、焦りの感情が込められていた。
アニエスは小姓から馬を受け取り、そのまま馬をリッシュモンの屋敷の傍の路地へと向かわせる。その場を去ると思いきや、路地に息を潜め、リッシュモンの屋敷を見張る。
瞬きを忘れたかのように集中しづけるが、がそのまましばらくは何も起こらなかった。
だが、集中状態のアニエスに声をかけるものがあった。
「集中力は目を見張るものがありますが、気を張り過ぎて周りがおろそかになっているのは減点ですね」
「っ何奴!?」
驚きに心中を乱されながらも、アニエスは声が居た方向に剣を抜き放ち視線を飛ばす。
だが、
「残念、こちらです」
声がする方向とは真逆、先までアニエスが見張っていたリッシュモンの屋敷の方向から声がかけられた。
「っ!?……貴様」
翻弄された事と、任された任務が失敗に終わったのではという考えから、アニエスは怒りに顔を染めた。
「そう焦らなくてもいいですよ。私も陛下付きの忍……間諜ですので、こちらをどうぞ」
「……何?」
アニエスの怒りをおそらく察しつつも、殺気ももろともに軽く流して声をかけた人物は胸元から一枚の羊皮紙を取り出してアニエスへと差し出した。アニエスは陛下付きという言葉に一応、剣を収めるも警戒心はむき出しにその羊皮紙を受け取った。
「む、本物のようだな……ってシオン!?まさか、貴様がアカネの師匠か!?」
アニエスは羊皮紙に書いてあった。全権の委任状を見て驚くがそれ以上に、王宮での自分の好敵手であるアカネからよく聞かされていた人外師匠の名前がその委任状に書いてあったことに驚いた。
「仰る通りです。アカネはまだまだ未熟者で皆さんに迷惑をかけていないか心配ですがね」
普段の作務衣ではない隠密服を着込んだシオンは、普段通りの笑顔でアニエスを眺めていた。
「さて、狐狩りとしゃれ込みますか」
狩る者の戦いが始まった。
「アン、ほらこれなんてどう?」
「あら?これは?」
「これはねー。うどんだよー」
アニエスがリッシュモンの屋敷を訪れる六時間ほど前、魅惑の妖精亭でアカネはアンリエッタと食事をしていた。アカネもアンリエッタも最近、町娘達の間で流行っている黒いワンピースに黒いベレー帽を被り、何処からどう見ても町娘にしか見えない格好をしていた。
これも、裏切り者の炙り出しのための作戦の一環なのだが、お忍びで城下に来ている様にしか見えないほど二人はのんきであった。アンリエッタはしばらく姿を隠すのが作戦の肝なので、姿さえ隠していればいい、護衛はアカネが付いていればスクエアクラスのメイジが来たとしても盤石だし、大抵の相手は一対一の初見で彼女に勝てる者はそうはいない。
というのが前提があってこそだが。
本当なら身を完全に隠すところなのだが、アンリエッタよりもアカネが性格上、下手に閉じ込めておくとこっそり外に出かねないのである程度、シオンは容認していた。
それに自分が働いている店なら多少の無理は効くし、現在のアンリエッタはシオン仕込みの変装術を施されているので至近距離でアンリエッタを見ても見破るのはまず無理だろう。
「食べた事の無い味ですね」
「はは、そりゃあうちの故郷のもんだからね。食べる機会はないだろうしね」
未知の味にアンリエッタが舌鼓を打っていた。
それに、誰が裏切り者か分からない。気の抜けないあの王宮に缶詰では、即位して間もない年若い女王の心労も溜まる一方なので、今回の作戦の中で息抜きができればという配慮も多分に含まれていた。
「そういえば今晩はどこに泊まるんですか?」
「ん、師匠が適当な場所を用意したらしいから、そこに泊まるよ」
「そうですか」
「あ、そうだ。アンが思ってるよりも大分、安っぽいところだと思うよ?」
あらかじめアカネはアンリエッタに釘をさしておく、今までは最上級のみしか使ったことがないアンリエッタに庶民の宿屋は驚く可能性があるためだ。
とは言え、
(師匠が選んだんだから、警護のしやすさ重視で選んだんだろうなぁ。せっかくなんだし最高級のホテルを準備して貰いたいもんだよ。ケチ師匠め)
「っ!?」
「どうしましたアカネ?」
「い、いえなんでもないよ」
師匠の悪口を思った瞬間アカネは厨房から自分に固定された殺気を受けて思わず背筋(せすじ)に冷たい汗が流れるのを自覚する。
後からされるであろうお仕置きと言う名の訓練にアカネは心の中で涙を流した。
裏切り者を狩る為の作戦がこれから始まるとは思えない程に平常運転な二人だった。