ルイズの故郷、そして彼女の父、ヴァリエール公爵が治める土地、ラ・ヴァリエール領地。
ナツミの故郷の名も無き世界において市にも匹敵するほどの広大な土地を個人で納めているというだけで、どれだけルイズの家が高い地位に位置するか分かるというものである。
端的に言ってしまえば現在ワイバーンに乗るナツミの眼下に映る土地全てがルイズの家の物なのだ。
「しっかしとんでもなく広いわね。サイジェントよりも広いじゃない。もしかしてルイズって凄いお嬢様なの?」
ハルケギニアでナツミが過ごしてきた聖王国きっての大都市、紡績都市サイジェントと比べても明らかに広い。広すぎる。
「うん。学院でも多分、一番すごい家柄だよ。とはいえ、まさかこんなに広い領地をもっているなんて……」
ナツミの隣で同じく、感心しきっているのはナツミの親友兼弟子のシエスタ。
一週間前からナツミは彼女の帰省に合わせてシエスタの家で御厄介になりながら、戦争で傷ついた村の復興に協力していた。
ワイバーンの力を借りた村の復興は中々に進み、瓦礫の排除などが終わったのを見計らってルイズの故郷へと向かうとことにしたのだ。
ナツミ的には完全な復興まで手を貸したかったのだが、ルイズには一週間ほどで向かうという約束もあった為、後ろ髪を引かれる思いはあったものの約束重視という形で村を離れたのだ。
村人達はナツミが居なくなるのを多少は惜しんだものの、ナツミとワイバーンだけで村人何百人規模の働きをしてくれただけで大いにありがたかったので、不満なぞ一切なかった。なんせ本来、民草に手を差し伸べるはずの領主は先の戦で戦死しているし、王都の貴族達も戦力増強、外交交渉にご執心で辺境の村の復興が頭にある者なぞ一人もいなく諦めかけた中でのナツミの助力だったので感謝こそすれ不満など出るはずもなかったのだ。
ナツミ自身は、名も無き世界の出身だっただけにこういった事態に国が何もしないなど思ってもみなかったのでタルブ村の遅々として進んでいない復興作業に憤ったのは余談だ。
「そう言えば領地に入ってから家に着くまで馬で半日かかるって言ってたわね」
「そ、そんなに広いの……すごい」
ナツミの言葉にシエスタは再び驚きの表情を浮かべていた。
「あ、見えてきたよ。ん?あれって……」
「え、どれどれ?って、お、お城!?」
ナツミの声にワイバーンから見えるこの世界では平民が見る機会がほとんどない景色を楽しんでいたシエスタがワイバーンの首の付け根に座るナツミの元へ歩み寄る。どうやらワイバーンに乗りなれたようでルイズよりもその足は軽い。
そんなシエスタもルイズの実家を見て度肝を抜かれたようであった。
周りに比較する物もないので正確には分からないが、王都トリスタニアにあるトリステインの宮殿と比べても大差はない程立派なお城であった。
高い城壁の周りには敵を寄せ付けぬ深い堀が掘られ、城壁の内側には大きな尖塔が幾つもそびえている。
さらに巨大な門柱の両脇には二十メートルを超えるゴーレムが控えている。流石、トリステイン開祖の庶子の子の家系、つまり伝説の虚無のメイジ、ブリミルの血に連なる家系。貴族は貴族でもまさに大貴族と呼ぶにふさわしい家柄の象徴であった。
そこまで考えて、シエスタは自分の隣に座り小さな欠伸をしている少女を見やる。
(うーん。よく考えるとナツミちゃんは向こうの世界ではエルゴの王って呼ばれる始祖みたいな物の再来なんだよね。……そう考えると実はヴァリエール嬢とか女王様よりもすごい人なんだよね。そうは見えないけど)
「ん?どうしたのシエスタ?」
「ううん。なんでもないよ」
(なんか貴族とかメイジとか平民って括りで人を見るのってもしかするとすごい馬鹿馬鹿しいのかなぁ?)
ナツミの傍にいるとそれまで絶対的だと思っていた身分が下らないもののように最近のシエスタは感じる様になっていた。
もちろん、それを馬鹿正直ほかの貴族にやればただでは済まないのでやらないが、少なくともルイズやタバサなどナツミの傍によくいる貴族に対して、その他の貴族たちにする様な遠慮する態度をあまりしなくなっていた。
敬意を忘れたわけでも自分の身分も忘れたわけではない。ただそういった態度をすることがむしろ彼女達に対し、失礼に思える様になったのだ。
命を懸けた戦いを一緒にしたせいなのかもしれない、作戦会議や戦いでの連携の際に遠慮などしていては怪我をさせてしまうかもしれない。そればかりか、下手をすれば命すら危うくなってしまうのだから。
そんな最近の意識の変化をぼんやりと考えたシエスタを乗せ、ワイバーンは眼下の城の中庭にその身を向かわせた。
「あんのバカナツミ……!」
実家であるヴァリエールの城の中でルイズは自らの使い魔に悪態を吐いていた。こめかみに走る血管がルイズの怒りに呼応するようにぴくぴくと動き、怒の感情を表現する。
そんなルイズに気付かず、城の中の使用人や守護に当たる兵が蟻の巣を突いた様に走り周っている。
特にヴァリエールの長女であるルイズの姉の慌てようといったらなかった。怒鳴り声を辺りの使用人にぶつけている。
原因……言いたくもないが、原因は我らが誓約者ナツミの駆るワイバーン。トリステインの王宮でもあれだけの騒ぎを起こしたにも関わらず同じことを平然とやってのけるのは、ただ単純に忘れているのだろう。
なんせ、中庭が一望出来る位置にある窓から見えるナツミはのんきに欠伸をしているのだ。しかもワイバーンも一緒に、ただの欠伸でも城を鳴動させるのだから正直言って止めてもらいたい。
「ナツミーーーーあんた……って、お母様!?」
取り敢えず怒鳴り声をぶつけてワイバーンだけでも余所にやってもらおうと思ったルイズであったが、思いもよらなかった人物―母―の登場に途中でその言葉も途絶えてしまった。
なんとルイズの母―カリーヌ―はルイズが居る別の窓から、一切躊躇うことなく飛び降りたのだ。
落ちる!とルイズは思ったが、恐怖により目を閉じることもできない。
カリーヌは何も気が動転して窓から飛び降りたわけではない。ワイバーンを見た瞬間にそれを駆る相手がそれに見合う力の持ち主だと判断したためだ。カリーヌはフライを纏いワイバーンに突撃し、その顔面やや上空に至るとフライを解除し、エアハンマーをナツミに向けて放った。
「っあいぼ……」
「はっ!」
最近めっきり出番のないデルフがここぞとばかりにナツミに警告の言葉を発するが、それよりも早くナツミはデルフを抜き放ち、蒼い魔力を持ってエアハンマーを迎え撃つ。
「ーーーーっ!?」
ルイズの母、カリーヌはかつて魔法衛士隊の一隊を預けられた程の猛者であった。
その実力は非常に高く、特に情勢が不安たる現状に至っては現役復帰の期待の声が非常に大きい。なんせスクエアが最高位のメイジなのであえてその身をスクエアに置いているだけに過ぎないという同じスクエアを子供の様にあしらう程の実力を持っているのだ。
彼女の活躍により風の属性こそ最強と豪語するメイジもいる程だ。風の属性が最強なのではなく、彼女の実力あってこそのなのにも関わらず。
だが、ワイバーンの乗り手はそんなカリーヌのエアハンマーを打ち消しただけでは飽き足らず、そのまま押し切るように攻撃してくる。
蒼い奔流が、まるでカリーヌを飲み込まんばかりの勢いで襲い掛かった。だが、彼女とて百戦錬磨を誇る経験豊富な英傑、先程解除したフライを再び発動させ、地面へと向かう。呪文の効果と重力の力を借りて、急加速を得た彼女はなんなくナツミの攻撃を回避する。
(……できる!)
ただそれだけの攻防で、カリーヌはナツミがかつて自分が所属していた魔法衛士隊に匹敵……いやそれ以上の力を持つ相手だと認識すると同時に後悔する。
アルビオンの手の者の可能性があったので、生け捕りの方が良いだろうと手を加えたのが不味かった。これほどの相手であったのなら、最初から殺す覚悟、我が家を半壊させる規模で魔法を唱えていたほうが良かった。
「エア・ニードル」
落下しながら途中で魔法を切り、無駄なく魔法を詠唱し、エア・ニードルをワイバーンの足へと突き刺す。ワイバーンの体制を崩し、ナツミを襲うためだ。
だが、再び予想外にその経験豊富な頭脳からはじき出した策は阻まれる。
「なに!?」
金属の鎧すらやすやすと貫く彼女のエア・ニードルも鋼鉄を遥かに凌ぐ硬度を誇るワイバーンの鱗に傷一つつける事すら出来なかったのだ。
驚くものの、再びフライを唱え、ワイバーンの股を
まさに風のごときスピードでワイバーンの背にまで上昇し、ナツミの背後を目指していたカリーヌの目の前にどこからどうみてもメイドにしか見えない少女が目に止まる。邪魔だと言わんばかりにフライを掛けたままで魔法を唱えるカリン。
本来、フライを唱えたままで魔法を唱えることは並みの術者ではできない。一つの脳で二つの魔法を処理するのは片方を無意識に近い状態で唱えることが出来る程の練度が必要だ。カリーヌはそれほど練度を誇るが、魔法の強さが単体で放つよりも弱くなるのは否めない。
が、ただの平民にそこまで強力な魔法を要らない。
ウィンド・ブレイクで遠くに弾き飛ばせばいいだけだ。とカリンが思っていた矢先、突然目の前に巨大な岩が降ってきた。
「っ!!!?」
ウィンド・ブレイクに割いていた思考をフライの方向転換に咄嗟に回す。
ワイバーンは背中にロックマテリアルをいきなりぶっ放されて流石にびくっと体を痛そうに動かしていた。
「わあああ!?ワイバーンさんごめんなさーい!!」
ギリギリのところでロックマテリアルを躱すともう目の前にはワイバーンの乗り手たる少女が両手に剣を構えていた。その後ろで空気を読まない言葉が聞こえたりしたが、戦闘中どうでもいいことなど彼女の耳には入らない。
距離が短くカリーヌは強力な魔法を撃つのが難しいと判断すると、ブレイドを唱える。杖に光が集まり、名剣となんら遜色ない剣と化す。
カリーヌはそれをナツミ横薙ぎに叩き付ける。切り裂くよりもふっと飛ばすことを念頭にいれたそれは、読み通りカリンの風と見間違える速さの斬撃をナツミは危なげなく受け止める。しかし、さすがに威力までは打ち消すことができず。カリーヌの策通りナツミはワイバーンの背から弾かれた。
「……」
読み通りとはいえカリーヌの表情には若干以上に苦々しいものが滲んでいる。かつてトリステインにその人ありとまで謳われた女性を隠してまで得た称号『烈風』のカリンにここまで付いてくるとは。
全盛期とは程遠いにしても悔しさを彼女は感じていた。だが、心と表情はともかく、カリーヌの体は条件反射でナツミへと追撃する。人にとって頭上と言うのは致命的な死角だ。
先よりも長い詠唱を唱えながらカリーヌはワイバーンの背から飛び降り、体ごとナツミへと躍り掛かる。
「エア・ストーム」
風のトライアングルスペルを纏ったカリーヌはまさに風の槍、ナツミを砕かんと襲い掛かる。
「デルフ!吸い尽くしなさい!!」
「イヤホゥ!任されたぁ!!」
デルフに声をかけながらもカリーヌの魔法の強さが分かるのかナツミ自身も蒼い奔流を放ち身を守る。そして、いつになくテンションの高いデルフがナツミの期待通りにその身に宿る能力をフルに使い、相棒たるナツミの身を守る。
「なっ!?」
カリーヌは思わず目を剥いていた。手加減無しの自分の魔法に対し、目の前の少女が拮抗していたからだ。
蒼い奔流とエア・ストームが互いを食いつくさんとぶつかり合う。その余波だけで服が裂け、肌に傷が増えていく。
「くぅ……」
ナツミも今まで戦ったこの世界の魔法使いを基準にしていたため、カリーヌの規格外の力に思わず焦る。
そしてカリーヌと同じくナツミの体も余波で傷を負う。
その拮抗を破るのはデルフの力、魔法を吸い込む力がエア・ストームの威力を時間を追うごとに削いでいく。
自らの魔法の違和感を感じ取ったカリンは僅かばかりの逡巡も見せずにエア・ストームだけをナツミに叩き込み、自身は後方へと飛び退いた。
その直後、エア・ストームはそよ風のように吹き消されてしまう。
五メートル程の距離を持って二人は睨み合う。
ナツミはとりあえず自分を襲う敵として、カリーヌはトリステインの重鎮の夫やかつての自分の力を恐れるレコンキスタの手の者だと考えて。
あたりの空気がまるで放電するかのようにぴりぴりとした緊張感が辺りを包む。本来この城を守る衛兵もルイズの上の姉のエレオノールも次元が違う戦いを見ていることしかできない。
限界までの張りつめた空気の中、ナツミの足が僅かに動く。それを見たカリーヌが密かに唱えていたフライを使い近接戦を挑む。ナツミもそれを迎え撃つべく、もう一つの相棒サモナイトソードを抜き放つ。
そして、
「打ち砕きなさい光将の剣」
「シャインセイバー!!!」
「「っ!?」」
二人の間に光り輝く聖剣が突き刺さり、刺さった場所が爆発し、土煙が辺りを覆う。
「ふっ!」
「はぁっ!」
二人は驚きに一瞬ではあるが体を強張らせるものの、風と蒼い奔流、それぞれの力で土煙を吹き飛ばす。
すると、そこには……
五本の聖剣を従えたルイズが腰に手を当て、ナツミとカリーヌを順番に睨みつけていた。
「二人ともそこまでよ」
……ナツミはともかく、カリーヌを睨んだルイズはちょっぴり震えていたのはご愛嬌。
「ふぅ、なるほど……よく分かりました」
ルイズの実家の中庭に圧倒的なまでの魔力を漲らしていたカリーヌがそう言って、戦闘状態を解除する。
持ち主の命あらば即座にその命を成すであろう魔力も風となってあたりに溶けた。
それと同時にナツミもデルフとサモナイトソード、二振りの剣をデルフは背中に、サモナイトソードは腰にそれぞれ納めて、闘気を霧散させる。
「その娘がアルビオンの手の者ではなく、ルイズの使い魔であることは分かりましたが……どうしてこうなったのですかルイズ?」
カリーヌの言葉にルイズはびくぅっとまるで叱られた子犬のように竦み上がる。
先程は緊急事態故になんとか精一杯の虚勢を張って場を収めたが、冷静になってみるとあの母になんてことをしてしまったのかという恐怖が襲ってきたのだ。
「い、いえワイバーンは騒動になるから直接は来ないように私は言ったんですが……」
「言ったんですが?」
「そ、そのナツミがそれを忘れてしまったみたいで……」
ルイズがそこまでなんとか説明し終えると今度はナツミの方にじろりと視線を移す。
「あ、そう言えばそんなこと言われたかも」
並みの使い手であれば失神しても不思議では無い程の眼力を受けてもナツミはけろりとしている。威圧感と言う感覚なら最高位の召喚士やら、魔王やらと小細工無しで正面からぶつかり合ったため、ナツミはよほどの威圧感でもないかぎり脅威に思わなくなっていた為だ。
だがルイズは違う。
自身の使い魔があっけらかんと放った言葉に反応し、母カリーヌはまるで物理的とも思える威圧感を放ち、それがルイズに圧し掛かっていた。だらだらと冷や汗がルイズの背中を流れる。
カリーヌは無言ではあったがその瞳が雄弁に語っていた。
―使い魔の躾は主がして当然―
これからの事を思いルイズは心の中で滝のような涙を流していた。