「シオンさ~ん、これもお願いします」
「分りました、あと先程のオーダー出来あがってますのでお出しして下さい」
「はーい!」
一人の少女がオーダーを書いた紙を置き、返事もそこそこに皿を持ってホールへと再び戻って行く。ここは魅惑の妖精亭、一見ただの居酒屋だが、可愛い女の子がきわどい恰好でメニューを運んでくれることで有名なお店だった。……だった。そうそれも今は過去形である。
現在は東方から来た料理人というふれこみの青年―シオン―により料理も美味しい店という評価になりつつあった。
その中でも特に評判なのが、うどん呼ばれる独特のコシを持つ麺であった。
「わぁ、やっぱり手際が良いですねぇ」
シオンの料理をする様子を見て、ハルケギニアでは珍しい黒髪をストレートに流した少女―ジェシカ―はさも感心したといった声をあげていた。その胸元は大きく開かれ、平均よりも大きな胸が強調されていたが、精神修行というかそういったことに興味がないシオンは何とも思わない。……これが某金髪ドットメイジだったら違う反応をしたであろうが。
「褒めても何も出ませんよ?ジェシカさん。ところで何の用ですか」
「えっと、結構お客さんが来てるから。お皿がそろそろ無くなるかなと思ってきたんですけど……」
そう言って口ごもるジェシカの目の前には綺麗に洗われた皿が山と積まれていた。本当はシオンの手伝いをしたかっただけにジェシカはほんの少し、表情を曇らせた。
「ああ、お皿でしたら私が洗っておきました」
「料理しながらお皿も洗えるって前から気になってたんですけどどうやってるんですか?」
「なに、茹でたり、蒸したりするときは少し空きますからねその時にやってるんですよ」
本当はバレないように分身の術を併用しているのだが、それを一般人に知られる程シオンの腕は甘くない。一人で3人分近いの仕事を瞬く間にこなしていく。
何故シオンがこんなところで働いているかというと、それは一週間程前に遡る。
屋台あかなべ、シオンが考えた町の情報収集をするための策は、リィンバウムでも悪魔の動向を調査する際にも使用した作戦。屋台の店主に化けて、さりげなく地域住民から情報を集めるといったものであった。
それに屋台であればそれ程時間に縛られることもないので、深夜、アカネがマークした貴族の屋敷に侵入して情報を集める事も出来、まさに一石二鳥、ハルケギニアの社会を理解出来ることまで踏まえれば三鳥と言ってもいい。
幸いシオンの料理の腕はかなりのもの、忍者としてありとあらゆるところに潜り込める技術はアカネをも上回る。そんなわけで屋台を始めたシオン。ちなみメインのメニューはこの世界ではないうどん。本来なら得意の蕎麦を出したかったが蕎麦粉が手に入らないハルケギニアでは不可能。ナツミに頼んでリィンバウムから取り寄せようかと思ったが、どうせなら醤油だけ取り寄せればこちらにある小麦で麺が打てるうどんでも売り出すかと思い至ったのだ。
アンリエッタから貰ったお金を元手にものの数時間で屋台を作り、次の日にはもう営業を始めるという離れ技を涼しい顔でこなすのは流石シオンとしか言いようがない。
「なかなか人が来ませんねぇ」
簡単なハルケギニアの文字を読み書きできるようにして、屋号あかなべと書いた旗を立てて営業をしているが、朝から昼まで立ちっぱなしで客は無し、やはりうどんと言う聞きなれない言葉に誰も惹かれないだろう。
にも関わらず未だに困った顔をしないシオン。とはいえこのまま客が来ないのでは情報収集もへったくれもない。このままの状態が続くようならなにか策を講じなければとシオンがのんびり考えていると、シオンの瞳が何人かのがらの悪い男に路地裏に連れ込まれようとしている少女を捉えた。
「……ふむ」
頬をぽりぽりと掻くと次の瞬間にはシオンは既にその場から掻き消えていた。
路地裏に連れ込まれた少女―ジェシカ―は少々焦っていた。
実家であり仕事場の店長かつ父親のスカロンに店で使うもののお使いを頼まれた帰りにいかにもな男達に絡まれたのだ。普段であれば走って逃げるなどの対応が出来たが、今日は荷物があった為と男たちも五人と人数も多かったことがそれをジェシカの逃亡の機会を奪っていた。
なにより男達のなかに杖を持っている者が一人いたのが不味かった。
マントをしていないので貴族ではないようだが、メイジと言うだけで周りにいた他の人達は見て見ぬ振りしていた。ドットメイジでさえ一人で傭兵何人分もの戦力になるのだ、ただの平民が口を出しては良くて大怪我、最悪殺されてしまうだろう。誰も殺されるのは嫌なのだ。
ジェシカもそれが分かっているので、救いの手を差し出さなかった人達を恨むことはなかった。恨むとすれば自分の不運と今から自分を手籠めにしようとする暴漢だ。
「は、放しなさいよ!痛いでしょ!」
これから起こることは想像もしたくはないが、おそらく予想と大筋外れていないだろう、だがジェシカは少し声を震わせながらもいつもの気丈な彼女であろうとした。こんな奴らに弱いところなど微塵も見せたくない、心は屈服しないという意思の表れであった。
「うるせぇアマだなぁ、ちっと黙らせようぜ?足でも焼いちまえば大人しくなるだろ」
「そうっすね。あ、間違っても顔とか胸とか傷つけないで下さいね」
「っ!!」
メイジと思われる男とその部下らしい男のおぞましくも
「い、やぁ……やめ……は、放して!」
「ファイ……がああああああ!?」
「アニキ!」
ジェシカが決まらぬ覚悟のまま黒い瞳を宿した目をその瞼で閉じた。その瞬間、メイジが悲鳴をあげて杖を取り落とす。
その手にはジェシカが見た事も無い刃物―苦無―が掌を貫いていた。何事かとジェシカが目を開けるが、突然その体が優しく抱かれたと思うと凄まじい勢いで風景が流れる。上下左右前後、体の感覚が今までにない情報に混乱の極みに達するが、彼女の体を傷つけまいと包むそれに不思議な安心感をジェシカは感じていた。
「きゃああああ、な、何?」
「大丈夫ですかお嬢さん?」
「え?ってうわああ」
にっこりと青空を隠す形で優しそうな青年の顔がジェシカの瞳に飛び込んでくる。
それと同時に自分がいわゆるお姫様抱っこされていることに気付き、先とは違う意味の悲鳴をあげてしまう。
「路地裏にお嬢さんが連れ込まれるのを見ましてね。これは放っておけないと、お助けしようかと思いまして」
おそらくされるであろう質問を先取りして言うシオン。こんな状況でも落ち着いているのはシオンだからの一言に尽きるだろう。
「何だてめぇ!?」
「女をこっちに寄越せ!殺されてぇのか!?」
殺気だった男達が獲物を奪ったシオンに罵声を浴びせる。
「やれやれ貴方達は礼儀というものをしらないのですか?特にこんなうら若い女性に対してあのような粗暴な態度に行動。見過ごせるわけがありません……しかも」
罵声を軽く受け流し、心底呆れたといった声色で話していたシオンであったが、次の瞬間、一瞬ではあるが凄まじいまでの殺気が溢れだした。
「手をあげるどころか、魔法で傷つけようとするとは……覚悟はいいですね」
殺気を瞬く間に霧散させると、ジェシカを地面に下ろしたその刹那、シオンは男達の背後に既に移動する。
「一人」
「へぷっ!」
軽く首を叩いただけで男は白眼を剥いて地に臥した。
「い、いつの間に!」
「うおおおりゃあああ」
怯える者、果敢にも攻めに出る者、反応できない者。同じ暴漢とはいえ、リアクションも様々であった。だが、シオンに対して一般人にすぎない彼らのその行動は全て悪手、というかなす術など最初からない。
「っぐぅ!」
「二人」
男の右ストレートを体を半歩ずらすことであっさりと避け、右肘で男の顎を跳ね上げ、瞬く間に意識を奪う。
「三人、四人」
続けざまに二人の男の意思を遥か彼方に吹っ飛ばしたところで、シオンがその場から飛びのいた。
「て、てめぇ、よくもやってくれたなぁああああ!!」
最初に無力化したと思っていたメイジは思ったよりも骨があったのか、溢れだす血を無視してファイヤーボールをシオンに向けて放っていた。だが、あからさまな殺気を向けられてぼさっとしているシオンではない、術が唱えられるよりも前に既に回避していた。
「避けるんじゃねぇええええよぉ!!!」
痛み故に言語障害でも起こっているのか、メイジは若干呂律が回っていない、怒りに任させるままにシオンに向かってドットスペルの魔法を乱発する。
(仕留めるのは簡単ですが、この世界の魔法とやらも少し見ておきますか)
リィンバウムでは存在しない魔法という技術を初めて見たシオンはあっさりと無力化するよりも魔法というものを知るために避けることに徹することにした。もちろんジェシカが魔法の射線上に決して重ならないようにしている辺りは流石シオン。
メイジは自分の自慢の魔法がかすりもしないことに悔しがり、加速度的に魔法を連発するが、詠唱し、杖を相手に向け、呪文を放つというシオンからすれば丸分り極まりない単調な攻撃に過ぎない。やがて、力を使い果たしたのか、汗を垂らしながらシオンを睨みつけることしかできなくなる。
「もう終わりですか?」
多少物足りなさを滲ませながら、シオンはそう呟いた。ハルケギニアの魔法について知りたかったにも関わらず、男が放ってきたのはドットスペルのファイアボールのみ、これでは投擲武器を永遠避けるのと変わらない……いや、両手に持てば続けて投げられる分だけ投擲武器のほうがまだマシだ。
溜息を吐きながらシオンは男へと向かって歩を進める。
「うわぁ、く、来るなぁ!」
魔法も打てなくなった今、杖は無用の長物となり果て、ただ振り回すだけの鈍器となっていた。
「終わりです」
「がぁう!?」
サルトビの術で背後に移った瞬間に首に手刀を落とし、男の意識を落とす。五対一の戦いは戦いと呼んでいいものかどうか、そう考えるほど一方的なシオンの勝利で終わったのだ。
「あの時のシオンさんすっごく恰好良かったなぁ」
ぽやんといった擬音がぴったりの表情でジェシカはシオンとの出会いを思い出していた。
胸に抱かれた時のそれは細身でありながら男性としてのたくましさはまるで鍛えられた鋼。まさに極致。
性格も紳士そのもの、穏やかな物腰、それでいて自分の中に確固たる芯というものを彼は持っているように感じた。
居酒屋という家業がてら数多くの男達をジェシカは見てきてし、中には口説こうという者達もそれなりの数に昇ってはいたが、シオンのようなタイプは初めてだった。
「あ」
心のここに在らずと言った体で、シオンの手伝いをしていたジェシカはうっかりシオンに渡そうとした皿をその手から滑らせてしまった。しまったと思うことしか出来ず、皿が無残に割れる瞬間が脳裏を掠める。
だが、それは想像でしかなかった。
「おっと、危ない危ない」
すっとまるで落ちることが分かっていたかのような自然な動作でシオンは皿を転落死から救い出す。
「あ、ありがとうございます!」
「別にそこまでお礼を言われるようなことではありませんよ。でも割れちゃったら怪我をするかもしれませんし気を付けてくださいね」
怒ることもなくいつもの笑顔をシオンは浮かべいるが、ジェシカは自分の失敗をシオンに見られたのが余程恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしてしまう。
「わ、わ、分かりました。き、気を付けます!……そ、そういえばシオンさんは家で働くの慣れましたか!」
「ええ、そこそこ慣れてきましたね。とは言ってもまだ一週間も経ってませんからね。分からない事もそれなりにありますがね」
ジェシカの照れ隠しの話題転換にも笑顔でシオンは答える。
「まだ、一週間経ってないんですね……シオンさんなんでも卒なくこなすから昔からいたように感じちゃいますね。お父さんもすっかり頼りにしてますし」
「そこまで言ってもらってありがたいですね。スカロンさんには本当に感謝してます。あのまま屋台をやっていたら満足に暮せていたかどうかも怪しいですから」
「いえいえ!感謝するのはこちらですよ!暴漢から助けてもらった上にお店で働いて貰うなんて……」
ジェシカを助けて後、シオンは家までジェシカを送り届けていた。シオンのサルトビの術を一緒に体験したせいでジェシカが腰を抜かしていたからだ。見知らぬ男に娘がおんぶされているにも関わらず、ジェシカの父、スカロンはシオンに詰め寄ったりすることはなかった。居酒屋を営業するだけあって多くの人間と関わっているせいか、人を見る目はそれなりに鍛えられているようであった。
シオンが屋台を始めたばかりだと聞き、人が全然来ないことを知ると、夜の間自分の店で働かないかと進めたのだ。シオンにとってその話は渡りに舟。居酒屋であれば情報収集には事欠かない。彼の聴覚すれば店での全会話を把握するのはさほど困難ではない。そんなわけでシオンは昼間は屋台、夜間は魅惑の妖精亭で働くことになったのだ。
スカロンは最初は皿洗い程度に考えていたが、屋台をやっていることで料理を試しに作らせてみるとこれが思いの他美味かったので、厨房にも立ってもらうことになり、更に屋台の宣伝にもなるからと屋台のメニューうどんも店で出したところこれが中々に評判で女性客もちらほらと見かける様になっていた。
「最近はこちらの評判が効いてきたのかあかなべの方にもいらっしゃる方が増えてきて助かっているんですよ?」
「そうなんですか、でも両方で働くのは大変じゃありませんか?」
このまま屋台の方が忙しくなれば、この店を辞めるかもしれない……。シオンに憧れに近い感情を抱きつつあるジェシカはそれを危惧していた。
「いえいえ、別に大したことはありませんよ。どちらもやってることは大差ありませんし、好きでやってますからね」
「ほっ、そうですか、でもあんまり無理はしないで下さいね」
ジェシカは胸を撫で下ろすと、シオンが働き過ぎないように釘を刺しておく。
(やはり人助けはしておくに越したことはないですね。まさか居酒屋で働けるとは思いませんでした。……それにしてもやはり治安は徐々に悪くなっているようですね。アルビオンがらみでしょうか?女王様に報告する前に、何人か狩っておきますか……)
憧憬の眼差しで彼を見るジェシカとは違い、シオンは忍者らしく結構えぐいことを微笑みの裏で考えていた。
(アカネも気になりますが……ナツミ君は今なにをやっているんでしょうね?彼女が動けば彼女を監視する者も動く、ナツミ君には話していませんがそこそこ派手に動いてくれればありがたいですね……まぁ彼女なら普通の行動が派手ですけど)
その間もシオンが料理を作る手は休まることなく作業を行っていた。
あれ?
シオンさんって主人公だっけ?と勘違いしてしまいそうな回。