第一話 忍者娘の新たな任務
「ふぅ」
王宮、謁見の間にて女王アンリエッタの溜息が静かに漏れる。トリステインの有力貴族との謁見を終えて肩の荷がやっと下りたといった感じであった。
「今日の謁見はこれで終わりですか?」
アンリエッタは傍に控えていた侍女に、侍女に話しかけるとは思えない敬語で声をかけた。
その言葉を聞き、ぴんと背筋を伸ばしていた侍女が急にその表情をがらりと変える。
「にゃはは、これで終わりですよ女王様~。早く部屋に戻っておやつでも食べましょう。やっと一週間分の謁見を終えたんですから疲れちゃいました」
女王誘拐事件から二週間。王宮の警備強化をするために、謁見がしばらく行われなくなっていたが、ここ数日前ようやく謁見が解禁となり、アンリエッタは政務をマザリーニに任せ、謁見をひっきりなしに行っていたのだ。
だが、それも今日まで、さきほどの謁見で溜まりに溜まっていた分をようやく消化出来たのだ。
「そうですね。一度部屋に戻って少し休みましょうか。でもその後は執務室で書類仕事ですからね」
「にゃはは……大変ですねぇ女王様っていうのも」
ちなみ侍女にしてはやたらと砕けた感じの人物は自称せくしぃくのいち―アカネ―その人であった。何故、ナツミの友人たる彼女が異界の女王様の侍女なぞしているのか……。
それは二週間近く前、女王誘拐事件の二日後まで遡る。
「まずはお礼をば、先日は女王様を助けて頂きまことにありがとうございます」
アンリエッタが女王に即位したとはいえ、十年近く、トリステインの舵取りに関わってきたマザリーニ枢機卿が、ナツミ達に腰を折って礼を述べた。
「ちょ、ちょっとそこまでしなくても……」
「ええっ」
いきなり年上の男の人に頭を下げられてなんの反応もしないほどナツミの精神は図太くない。
普段の彼女では考えられないほど狼狽えている。
ちなみにナツミの隣にいたシエスタに至っては頭を何度もかくかくと振っていた。平民・オブ・ザ・平民の彼女にとって一時国のトップであった彼は天にも等しい存在ましてや女王まで同じ部屋にいるのだ。下手な戦場よりも緊張して当然だろう。
「いえ、これでも足りないほどです。あのまま女王様が誘拐されていたら、間違いなくこの国は瓦解していたでしょう」
ナツミの言葉を遮りマザリーニとして真摯な気持ちで彼は再び頭を下げる。
「ちょっといいか?」
「なんでしょう?」
ナツミでは狼狽するだけで埒が明かないと、フラットの頭脳たるソルが手をあげる。
それを待っていたとばかりにマザリーニいや枢機卿は鷹の様な瞳でソルを見やる。そこにはこれからされるであろう質問を既に分かっているような色が滲んでいた。
「……いかに戦時中とはいえ、国家の盟主たる女王が誘拐される。これは明らかに異常だ。それにこの場に俺達しかいない……やはりそういう事と考えていいのか?」
「お恥ずかしながらソル殿が考えている通りです」
「?何、なんなの?」
「?」
ナツミは楽観的故、ルイズはそんな事など起こりうるはずがないと言う先入観から二人とも疑問符が頭の上を飛び回っていた。そんな似たもの主従を見てソルは深く溜息を吐くと、その言葉を明確に口にした。
「女王様の誘拐を手引きした者が城内にいる」
「え!……いったぁい!」
「デカい声出すな馬鹿」
ナツミのリアクションを完全に予想していたソルはナツミが大声を出した瞬間、一秒にも満たないタイミングでナツミの頭を引っ叩いていた。
「なにを」
「なにをすんの?じゃないぞ。事が事だ。誰に聞かれるか分かったもんじゃない。手引きした輩が居るってことは誰が敵か味方かも分からない……いや下手に信用したときのリスクを考えると味方がいないと考えた方がまだ安全だ」
「っ」
ソルの真剣な表情もそうだが、それよりも話の内容にナツミは息を呑む。
「やっと分かったか?……で枢機卿、それを踏まえた上で聞くが、俺達に何の用だ?まさかただ礼を言うために呼ん訳じゃないだろう」
「……流石ソル殿と言ったところですな」
「はわ~」
「ソルすごい……」
一国の重鎮と対等以上に話を進めるソルに、平民代表のシエスタがあんぐりと口を開け、ナツミは珍しくソルに尊敬のまなざしを送っていた。
というかかく言うナツミの持つ称号たるエルゴの王は、リィンバウムでは一国の建国者にもなれるほどのもの。メイドと一緒に給仕を行うには大きすぎる肩書きである。当の本人がその称号の凄さが知らない故に問題になっていないので良いと言えばいいのだが、少しは威厳を出して欲しいと各界の
「実はナツミ殿には新設される銃士隊の隊長を務めて頂きたいのです」
「ぶふぅ!」
枢機卿の言葉に思わずナツミは吹き出す。
「いやいやいやいや。な、なんであたしがそんな立派なもんに任命されるですか!?」
「おい!いくらなんでもそれはないだろうが。第一、知っての通り俺達は異世界の人間だ。そんな役職にはつけんぞ。ってか、どうしてそうなるかまず説明しろ」
「……ええ」
ナツミの質問はさておき、ソルの問い詰める様な言葉にマザリーニはトリステイン王国の現状を話し始めた。
現在のトリステイン王国は王宮を王を守護する三隊の魔法衛士隊のうち、グリフォン隊は隊長たるワルドの裏切りと先のタルブ戦で消耗し、ヒポグリフ隊は先日の女王誘拐事件でほぼ壊滅。現状マンティコア隊のみがその任に付いているという危機的状況を迎えていた。
しかも、その王宮には女王誘拐を扇動した裏切り者がいるのだ。
可及的速やかに女王を守護する強者が必要なのだ。しかも信のおける人物という条件を満たした者が。王宮のメイジ達は実力はあっても、魔法衛士隊の隊長たるワルドさえ裏切るのだ。誰が裏切り者かなぞ分かりうる訳も無い。それに男性では女性であるアンリエッタを守り切れない場所もある。
だがナツミならその条件に合う。
ウェールズを救い出し、先日もアンリエッタを誘拐から救い出した事で信頼という点ではもちろん。その強さはいちいち言うまでも無い。
「なるほどな……まぁ理には叶っているが」
「なにか問題が?」
「貴族主義に凝り固まった連中を差し置いてぽっとでのナツミがそんな役職付くのは無理だろ?そんな事をすれば逆に貴族達の反感を買って、裏切りに走る連中が出るかもしれない」
「ええ、それも計画のうちです」
レコンキスタの貴族主義に共鳴した連中なら、貴族以外でも有能なら重要な役職になれるという見本を作ることにいい顔はしないだろう。
ましてやそれがタルブ戦で大戦果をあげたワイバーンの乗り手ならなおさらだ。
そんなことになれば、劣勢になりつつあるレコンキスタの連中はよからぬ行動をとるだろう。そう、今回の女王誘拐事件のように。だが、それがマザリーニの策でもあった。
「……そうか、あえてナツミを表舞台に立たせることで、トリステインの貴族がどう動くか見極めるのが目的と言うわけだな。それにその銃士隊にナツミがいればいざという時の女王の警護に付くこともできると」
「ええ……そのと……」
その通りですと続けようとしてマザリーニの言葉は、次の怒りを込めたソルの言葉によって遮られる。
「
どさくさに紛れて家族と言いたかったソルだが、結局言えず、正論をマザリーニにぶつけることでウサを晴らす。
「ちょっとソル言い過ぎよ。それに魅魔……むむぐ」
「……それ以上は喋るな」
ナツミの口を素手で押さえ、その事実に気付きちょっと顔を赤くしながらも抑えるのは止めない。そのまま少し後ろに下がり、耳打ちをする。
(余計な事は言うなよ)
(なによ余計な事って、大事な事でしょ魅魔の宝玉はリィンバウムからこっちの世界に来たんだよ?)
魅魔の宝玉の欠片……完品で条件さえ整えば魔王の召喚さえ可能にする秘宝。そんな危険な物をあえてマザリーニに隠すソルを思わずナツミはじと目で睨む。
(アホっ、下手に弱みを見せたらそれを理由にどんどん面倒ごとに巻き込まれるぞ?それともお前は銃士隊の隊長にでもなりたいのか?)
(うぐっ、なりたくないわね)
(だったらこの場は俺に任せてろ)
正義の味方……というわけではないが、困ってる人を放っておけないナツミ。
だったのだが、それでも一国の女王を警護する大役は流石に避けられるものなら避けたいようであった。
そんなわけでソルにそれを一任すると、ソルがやたら張り切っていたのだが、その理由をナツミが知ることはなかった。……哀れソル。
「ナツミ、とりあえずシオンさん呼んでくれ」
「は?シオンさん?なんで?」
「いいから、こうなることは予想してたからなもう話は通してあるから大丈夫だ」
きょとんとするナツミにいいから召喚しろと言外にいいリィンバウムからシオンを召喚するナツミ。
「どうもナツミさん、お久しぶりですね」
光と共に現れた作務衣を纏った青年―シオン―はにこにこと笑いながらそこに立っていた。
「私を呼んだということはソルの予想した通りになったようですね」
「ええ、枢機卿ちょっといいか?シオンさんとオレ、あんたで話をしたい」
「……え、ええ、別に構いませんが何故?」
「あんたがさっき考えた案を出すことは予想していた。それに付け足すことがあるからだ。三人で話すのはこの話を聞いて確実に騒ぐヤツがいるからな。話の最中に騒がれても面倒だ」
シオンにはさんづけ敬語なのに、枢機卿には呼び捨てタメ口。枢機卿にカリスマがないのか、シオンにカリスマがあるのか、ソルが裏表のない性格なのかは……どうでもいい話ではある。
「なんか嫌な予感するよ~」
「アカネ……いくらなんでも行儀が悪いわよ」
「ふふいいのですよルイズ」
「……プルプル」
三人の腹黒……もとい頭が回る男性陣に枢機卿の執務室を追い出されたアンリエッタ以下ナツミ、ルイズ、アカネ、シエスタのかしまし娘達はアンリエッタの部屋で三人の話し合いが終わるのを待っていた。
アカネはアンリエッタのベッドでごろごろ転がるというトリステイン貴族が見たら卒倒するほどの行儀の悪さを見せていた。それをルイズが窘めるが、同世代の自分に気を使わない同性たるアカネのその態度が嬉しいのかアンリエッタはにこにこと笑って許している。そしてその真横に鎮座する羽目になった置物……じゃなくてシエスタは先ほどから生まれたての小鹿のようにプルプルと震えていた。
しばらくはアカネの飾らない態度を微笑ましそうに眺めていたアンリエッタも微振動を続けるシエスタにようやく気付き声をかけた。
「どうかしたのですか?先程から震えて……もしかして寒いのでしょうか?」
「は、はい美味しいです!」
「は?」
「え、あ、いえ……なんでもありません」
「ん?」
シエスタのとんちんかんな受け答えにアンリエッタは首を傾げる。
それを見たシエスタも自分のアホすぎる回答に気付いたのか、顔どころか首まで真っ赤にして縮こまるシエスタ。
「あははは、シエスタは女王様に話しかけられて緊張しちゃたんですよ」
「まぁ、そんなに緊張しなくてもいいのですよ?貴女も私の命の恩人なんですから」
「は、はい~(怖れ多すぎですぅ~)」
などと女三人寄ればなんとやらプラス二人で会話を膨らませていると(一人小鹿)ドアがノックされる。
「女王様、マザリーニ殿がお呼びになっています」
「分かりました直ぐに向かいます」
「……」
名残惜しさを表情に貼り付けながらも、女王の威厳を精一杯込めて返事をするアンリエッタ。
ナツミはそんな彼女を見て、せめて自分たちの前では年相応の姿でいられるようにしようと思った。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと、ちょっと!ええーーーど、どういうことですか!!師匠!」
マザリーニ達に呼ばれ、話し合いの結果、決まったことを伝えられた直後アカネが騒ぎ始めた。そんなアカネを見ても普段のにこにこした表情を一切崩さないアカネの師匠、シオン。
「どういうこともありませんよアカネさん?ナツミさんではなく貴女がアンリエッタ様の警護をしなさいと言っているんですよ」
「だ、だからそれが納得いかないんですって!ナツミが頼まれたんでしょ。ど、どうしてあたしがやることになるですか!?」
「どうもこうもありませんよ。確かにナツミさんは貴女より強いです。ですがその強さの質は貴女と違い、屋外に適したものです。……良いですか?ナツミさんが屋内で全力で戦ってしまえば王宮なんてひとたまりもありませんよ」
噛みつく勢いでシオンに抗議するアカネ、それをまるで柳の様に受け流すシオン。端からアカネの言うこと聞く気はないようであったが、その言葉に一人の少女が微妙に傷つく。
(え、シオンさんの中ではあたし怪獣なの……)
そんなナツミがしょんぼりするのを隅に置き。ソル達がどうしてこうなったのか話し始めた。
「枢機卿の言う通り、獅子身中の虫を飼ったままにして置くのは不味い。下手に内乱が起きてレコンキスタどもに攻められても困るからな。とは言ってもナツミを国の重大なポストに付けるのも俺は賛成しかねる。そこで」
「私の弟子のアカネさんをアンリエッタ様の護衛に付けることにしました」
「えー痛ぁう!」
抗議しようとしたアカネがシオンの投擲(苦無じゃない)を受け突然後ろ向きに倒れた。
「護衛と言っても銃士隊に入るわけではありません。あくまで表向きは侍女といった形で傍にお仕えする形を取りたいと思います。一応忍びですから、王宮内の諜報活動にも向いていますしね」
シオンの言葉に今度はマザリーニが続く。
「アカネ君に関しては魔法学院で有能な仕事ぶりが目に付き雇ったという形を取りたいと思います。女王が即位して間もないので、そういった人材が入職しても不自然ではありません。それに学院のメイド達は基本的に素性がはっきりしている者ばかりですから反対もしにくいでしょう。学院長に話を通せば特に問題は無いですしね」
「ちょっとぉ!あたしの意見は!?」
「アカネさん。これは師匠命令ですよ」
びくぅと背筋を伸ばすとアカネはそれっきり喋らなくなる。よほどシオンが怖いのであろう。
「……と、ともかく。ナツミ殿の素性はこれまでと同じで、特に隠しもしないが敢えて公表もしない方針で行きたいと思います。それを執拗に探す者が居れば個別にアカネ殿が諜報活動をするということでよろしいですか」
「ああ」
「意義ありません」
「……(意義あり!って言いたいけど師匠の目!怖ぁ!)」
「それにアカネさんの修行にもなりますし、一石二鳥ですね。ふふふ」
師匠たるシオンの笑顔が無性に腹が立つアカネであったが、文句を言えなかったのは言うまでもない……。
そんなわけでナツミの傍を離れて、しばらくの間アンリエッタの敬語と王宮の諜報活動をすることになったアカネ。
ハルケギニアの忍者娘始まります。