ハルケギニアの誓約者   作:油揚げ

50 / 79
第七話 夜半の襲撃者

 

 青く澄んだ水が、優しくナツミを包み込む。

 彼女の視界は今や青一色、その向こうに彼女の仲間達が慌てふためく様子が見える。だが、不思議とナツミは落ち着いていた。なぜなら、彼女を包む水の精霊から悪意や殺意といったナツミに危害を加えるという意思を感じなかったからだ。

 それに水の中でも何故か息をすることが出来た。これは生命と精神を司るという水の精霊の力なのだろう。そんな事をのんきに考えていたナツミの心に直接、水の精霊の声が響く。

 

『単なる者よ。汝を流れる水はこの世界の水ではない……汝は何者だ』

『ん?えーと貴方が水の精霊って事で良いのかな?』

『そうだ。単なる者よ』

『やっぱりそうか……えっと、ちょっと話が長くなるんだけどいい?』

 

ナツミのリィンバウムから召喚されてから経過した時間は二年に届かない期間であったが、その間に起こった出来事は映画にすれば三部作。ゲームにすれば二十時間は遊べる程だ。ちょっと説明しろと言われて、気楽に話せる量ではない。

 

『問題ない。我は水の精霊。命と心を操るのは容易い』

 

 さり気にお前の命は握ってます。的な発言を水の精霊はさらっというが、当のナツミは気付いていない。水の精霊はそんなナツミの様子を了承と捉えたのか、その力を遺憾なく発揮する。

 

『わっな、なになに!?』

 

 自らの心の中に何かが入ってくる感覚に思わずナツミが困惑する。それはまるで│霊界《サプレス》のエルゴが己が内に知らずの間に宿っていていきなり声をかけてきた時のような感覚。……さすがに霊界のエルゴに比べれば微々たる力であったが。

 水の精霊がナツミの記憶を覗いているのか、次々と昔の記憶が走馬灯のように脳裏をよぎる。心が好き勝手に読まれているのにも関わらず、ナツミは嫌な感じはしなかった。

 やがて、何かが心の中を入ってきた感覚は始まりと同様に唐突に終わりを告げた。十数年と言う膨大と言うには短く、それでいて数々の大きな出来事があったナツミの思い出は僅か数瞬で水の精霊が読み取ったのだろう。

 

『なるほど、単なる者よ。汝は異世界の大いなる意思の代行者なのだな』

『大いなる意思?』

『この世界のありとあらゆるものの運命を左右する意思を我らは大いなる意思と呼んでいるのだ』

 

 大いなる意思。エルフや韻竜などの多くの先住種族に広く信仰されている、精霊の力の源。運命や事象を左右する力を持つとされる存在である。

 ナツミはそれを聞くと真っ先にある存在を思い出していた。

 そうまるで大いなる意思とはまるで、自分を│誓約者《リンカー》へと導いた『│界の意思《エルゴ》』そのものではないかと、漠然としながらもその考えに彼女は至っていた。とは言っても頭脳労働派ではないので、彼女の思考はそこで止まってしまったのが彼女らしいとは言えば彼女らしかった。

 

 

 

 

『それで何のようだ大いなる意思の代行者よ。我を呼んだからには何かしらの用があるのだろう?』

『ん、まぁ聞きたいことがあってきたんだけど、その大いなる意思の代行者ってのは気にしなくていいの?』

『別に構わん。汝の体を流れる水に興味を持っただけの事、それ以上の興味は無い』

『ならいいや、実は貴方には、この世界で、……なんて言えばいいだろ、うう、こういうのはソルの仕事なんだけどなぁ。んーと、とにかくなんかこうこの世界の異変とか起こっていないか知りたいんだけど』

 

 言葉の所々に重大なキーワードがぽこぽこ出ているにも関わらず、あまりそれを気にしていないのは、人外たる水の精霊と元々あんまり頭を使うのが得意ではないナツミ故か……。

 

『異変か。我はほとんどの時をこの湖で過ごしているが、特に異変と呼べる事態には心当たりがないな』

 

 少し期待していただけにナツミはがっくりと肩を落とす。

 

『そっか、ありがとう水の精霊。わざわざ呼んだりしてごめんね』

『待て。単なる者よ。我は汝を異世界の大いなる意思の代行者として頼みたいことがある』

 

 

 

 

 

 水の精霊がナツミを包み込んで数分。それを見る事しか出来ないルイズ達は戦々恐々とした様子であった。なんせ、水の精霊は自らと触れた生物の心と命をさながら、人間が呼吸するのと同じ気安さで自由にすることが出来る力を持っているのだ。その水の精霊に体ごと包まれているのだ。焦るのも当然と言えよう。

 

「ど、どうしよう……」

「モ、モンモランシーこれは大丈夫なのかい?」

「大丈夫なわけないでしょ!水の精霊は生命と精神を操れるのよ。しかも一瞬でも触れただけでね……。水の精霊に敵意がなければ大丈夫だと思うけど、少しでも機嫌を損ねでもしたら……」

 

 水の精霊の恐ろしさを個人差はあれどそれなりに知っているハルケギニアのメイジ三人組は、いよいよどうしようかと慌て始める。そんな三人の脇で、一人ソルは腕組みをしてただただナツミを見ているだけであった。

 

「ちょっとソル。ナツミがやばいかも知れないのよ!?なにぼーっと突っ立ているのよ!」

 

 お互いに│相棒《パートナー》として認めているにも関わらずに、ソルはナツミの危機に際し、動こうとしない。

 そう見えたルイズは、今の現状を打開できない困惑を苛立ちと言う形でソルへとぶつける。自分には無い力を多数持ち、ソルならナツミを助けることが出来るのではという期待をしていた分その苛立ちはより増している様であった。

 

「……」

「ちょっと、なんで黙ってるのよ?知らないかもしれないけど、モンモランシーの言ったとおり水の精霊は命を自在に操れるのよ!?このままじゃ幾らナツミでも!」

「ル、ルイズ……っ」

 

 ソルはそんなルイズに対して、視線すら逸らさず無言を貫く、そんな態度はルイズの精神を逆なでし、ソルに詰め寄り、今にも掴みかからん勢いでルイズは怒鳴り声をあげる。

 ギーシュはあまりの剣幕でソルを責めるルイズを見かねて、窘める様に声をかけるが、ルイズの表情を見て、思わず息を呑む。

 ギーシュが見た彼女は今にも零れんばかりの涙を目尻に貯めていたからだ。

 どんなにゼロと馬鹿にされても、つんとした態度を崩さなかったルイズの思わぬ様子はギーシュのみならず、モンモランシーも驚きの表情を見せていた。

 

「……信じろ」

「えっ」

 

 ソルはルイズに一瞬だけ視線を向け一言告げると、すぐに視線をナツミに戻す。

 

「あいつはこのくらいでどうにかなる柔なヤツじゃない。どうせ悪意や敵意を感じないからあえて好きにさせてるんだろ」

「で、でも水の精霊は……」

「生命と精神を操るって?はっ!あいつは誓約者だぞ。水の精霊位でどうにかできるもんじゃない。それともお前が召喚したあいつ―ナツミ―はそう簡単に死ぬじまうようなやつなのか?」

「……違う」

「なんか言ったか?」

 

 ナツミを信じて疑わないソルの言葉にルイズが俯き、小さな言葉を漏らす。

 ソルはその小声が聞こえたにも関わらず、意地悪くも聞き返す。なんだかんだでソルがこの世界で色々な厄介事に次から次へと巻き込まれる原因はルイズにあるのだ。それを思い出してちょっと意地悪したくなったソル。

 だが、そもそも魔王召喚の儀式で一般人のナツミをリィンバウムに召喚したという自分に不都合なことはころっと忘れていた。

 二人が互いに相棒と思っているナツミの事を真剣に思っている中、当のナツミは青い水の 中に取り込まれ微動だにしない。

 そして、それがさらに数分続いた後、始まりと同様、唐突に水の精霊はナツミから離れて行く。

 

「「ナツミ!」」

 

 ナツミが解放されたと見るや、ソルとルイズは同時にナツミへ向かって駆け寄った。ルイズはともかくソルも口では平気そうにしていたようだが、やはりナツミが心配だったのだろう。

 

「ふぅ、わぁっと!?ル、ルイズ、どうしたの?」

 

 解放されたことにほっとナツミが一息つくと突然背後から体当たりをくらい、湖にダイブをかましそうになるが、なんとか踏みとどまった。

 

「よかった無事だったんだ……」

「?」

 

 水の精霊の力を知らないナツミはどうしてルイズが涙を浮かべながら自分に抱きつくか分からず、疑問しか湧いてこなかったが、とりあえず頭を撫でて誤魔化すことにした。感情が高ぶったルイズはこちらの言うことなど、少しも聞いてくれないのをここ数か月で何度も見せられたゆえの対応である。

 

「で、どうなったんだ?」

 

 心配なぞしてないぞ、という振りをしながら、ソルはナツミへと問う。内心はルイズのように抱きつきたいところであったが、そんなことをすればあとが怖い。それに今まで積み重ねたイメージというものもあるのだ。

 

「ん、とりあえずハルケギニアでの異変と思われる兆候とかに思い当たるのは無いんだって」

「そうか……」

 

 ナツミ同様に水の精霊に期待していただけに何も情報が得られなかった事に、ソルは肩を落とす。なんせ、この世界に関してはツテどころか、社会情勢や習慣といった基本的な事すら彼は知らないのだ。魅魔の宝玉の欠片を含む、悪魔の情報を得ようにも、方法すら思いつかないのが今の現状だ。

 

「あ、でも頼みごとされた」

「な、に?」

 

 肩を落としていたソルは即座に、機嫌の悪さを隠そうともせずにナツミを見やる。毎度毎度のことながら、どこからともなく厄介事を持ち込むのだこの少女は。ただでさえ、低級とはいえ悪魔がこの世界の何者かに召喚されているというのに、ほいほいと頼み事をなんで聞くのか、ソルはストレスで頭痛に襲われていた。

 

 

 

 水の精霊の頼みとは夜ごとに、水の精霊を襲撃するメイジの撃退であった。なんでも水の精霊が住む、遥か湖面の奥深くへ魔法を用いて水の中をまで侵入し、火で水の精霊を炙り、その身を蒸発させて体を消滅させようとする不届き者が毎晩のように出没するらしいのだ。

水の精霊が自分でなんとかしろよとソルは言ったが、ナツミ曰く水の精霊は今やることが有り、その襲撃者に手が回らないらしく、異世界とはいえ大いなる意思の代行者と見込んでナツミにその撃退を頼んだのだ。

 ちなみに見返りは無いそうだ。

 それを聞いたギーシュはぶーぶーと文句を垂れていたが、ルイズが物理的に黙らせた。

 

 

 

 

 

 

「はぁ、水の精霊が手こずる相手か、かなり厄介な相手だね」

「……」

 

 二つの月が天の頂点を挟むように煌々と輝く深夜、一番役に立たないギーシュが一端の戦士の様にそう呟くが、ギーシュの近くにはルイズとモンモランシーは姿はあれど、ナツミとソルの姿は無い。

 水の精霊でも一筋縄ではいかない相手、すなわちメイジで言えばスクエア、ないしそれに準ずる力を持っているのは明白だ。

 そんな相手に対し、足手まといになりかねない三人を連れて行くわけにはいかない。ギーシュとモンモランシーはここぞとばかりに喜んだが、ルイズは正直付いて行きたかった。無属性の召喚術に加えて虚無の系統に目覚めた自分は少なくとも昔よりは戦える。

 

(ワルドの時みたいになったら嫌だもんね。あれだって当たり所が悪かったら……)

 

 悔しさからルイズは唇を小さく噛みしめた。そして決意する。もっと強くなろうと、いつか背中を預けて貰える自分になってみせると。

 

 

 

 

 

 ナツミとソルがそれぞれが木陰に身を潜め、一時間ほど経った頃、湖の岸辺に二人の人影が現れた。

 漆黒のローブを身に纏い、深くローブを被っている為、性別は定かではないが、片方はやたらとちっこい。ナツミがデルフを右手にサモナイトソードを左手に握り、思考を戦闘へと切り替える。だが、まだ飛び出すようなまねはしない。まだ人影が水の精霊の襲撃者と決まった訳でないからだ。

 

「ふぅむ。どうやら相手は結構な手練れの様だな。特にちっこいほうは隙がねぇ」

「そうね……接近戦もそれなりにこなせるように見えるわね」

 

 長き時を歩んできたデルフと、数々の修羅場を潜り抜けてきたナツミの意見が見事に一致する。二人とも手練れのようだが、特にちっこいほうが手強そうだった。

 気配を消しながら、二人の様子を観察していると、ちっこいほうが湖に向けて呪文を唱え始める。どうやら、件の襲撃者で間違いないようであった。

 確証を得たナツミはデルフで隠れるのに使っていた樹をぶった切り、魔力を解放して二つの人影に向けて思い切り吹き飛ばす。樹はまるで木の葉のごとく吹き飛び、二人を襲うが、奇襲にも関わらず気付かれ、相手の呪文なのか、樹は二人を避けるように真っ二つ切られてしまう。

 だが、それは囮。本命はソルの岩石を召喚するロックマテリアル。

 巨石が突然素性の知れぬ二人の頭上に現れ、二人を潰さんと落ちていく。だが、それももう片方のメイジが唱えた大きな火球をまともにくらいぐずぐず焼け焦げる。そこにちっこいほうの風の魔法。おそらくエアーハンマーがぶつかり、脆くなった岩石を粉々に破壊する。

 

「結構やるわね」

 

 奇襲を二度も躱され、ナツミは襲撃者の実力を甘く見ていた事を反省しつつ、己の場所を悟られぬように更なる木陰の奥へとその身を滑り込ませた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。