モンモランシーの部屋の扉が開き、中からギーシュと……ソルが姿を現す。
「頼ってくれるのはいいんだけどな……こんなことで俺を呼ぶなよナツミ」
呆れながらソルは言い放つ。
そう、このギーシュ惚れ薬騒動の解決したのは彼、ソル・セルボルト。
モンモランシーがナツミとギーシュが二人きりでは、ナツミが良からぬ事をするかも知れないからと壮絶に嫌がったために、優秀な治療用召喚獣を多数持つソルが事態収拾の為だけにリィンバウムからわざわざ召喚されたのだ。
モンモランシーも最初はナツミが突然連れてきた何処の人間とも知れないソルに不審な目を送っていたが、ナツミとギーシュが二人きりになるよりはマシだと考えたのだ。
そ してモンモランシーの部屋に入るとものの数分でギーシュを元に戻して現在に至ったわけだ。
「はぁ……」
ソルは先に台詞とは裏腹に、ナツミに頼られたのは嬉しくはあったのだが、よりにもよってその頼られた理由が惚れ薬でよりバカになったギーシュの治療なので素直に喜べないでいた。
そして、
「モンモランシー……君はなんてものを僕に飲ませたんだい!そんなに僕が信用できないのかい!?」
「出来ないわよ!大体前に別れたのだってあなたが浮気したからでしょ!?それに本当に私が好きなら惚れ薬を飲んでも変わらないでしょ?」
「そ、それは……」
治療を終えたギーシュはモンモランシーと醜い言い争いに花を咲かせていた。……既に負けが見え始めていたが。
「……やれやれね」
「うん」
そんな二人を見て、ナツミとルイズは心底呆れたような声をあげていた。一つの問題を解決したら、落ち着く間も無く新たな問題が発生していたからだ。
だが、そんな空気を読まずにソルが動く。
「おい」
「大体ギーシュあなたわね。私の事が好きって言いながら、ルイズの使い魔に夢中なってたでしょ!!私が知らないとでも思ったの!」
「ぐっ……!」
「おいって言ってるだろ!」
「きゃあ!?」
二人の世界に入っているギーシュとモンモランシーを豪快に怒鳴って元の世界に引き戻すソル。一度無視されたせいか若干キャラが変わっているのはご愛嬌。
そしていつもはクールなソルがそこまでする理由があった。
「な、なによ……」
「聞きたいことがある。いいか?」
「う、うん」
有無を言わせぬソルの物言いに、思わず上ずった声をモンモランシーはあげた。
ソルはそんなモンモランシーには気づかずに質問を開始した。
「あの惚れ薬を作るのに、なにか、こう、人の心を強力に支配するような物を使わなかったか?」
「しかし、ナツミくんのワイバーンはいつ見ても素晴らしいね!並みの……いや火竜山脈に住まう火竜にも勝る程のワイバーンだね」
「最近学院の噂になってたすっごく大きいワイバーンって貴女の使い魔だったのね……確かにこれだけの使い魔を使役できるならスクエアって言われても納得ね」
ギーシュを惚れ薬から解放して翌日。ナツミ、ルイズ、ソル、ギーシュ、そしてモンモランシーという珍しい組み合わせのメンバーはラグドリアン湖へと向かっていた。
移動手段はもう周りには周知になってしまったワイバーン。
そしてラグドリアン湖に一行が行く理由はソルが水精霊に会いたがったためであった。
ソルはギーシュを治療した際に所詮はたかが惚れ薬と高をくくって、少量の魔力で召喚術を行使した。
その結果はなんと失敗。
意外な結果に驚いたソルは今度はそれなりの魔力を込めて再びギーシュの治療を行った。
そしてまたもや失敗。続けて二度の失敗にさしものソルもナツミに頼られた手前、無様は晒せんと自身が持つ最大の回復効果を持つ召喚獣を召喚し、ギーシュを完全回復させたのだ。
「ソル、どうして水精霊に会いたいの?」
「ん、ちょっとその水精霊と話がしてみたくてな」
「話?」
「ああ、人の心にあれほど強く作用する力。何かあるんじゃないかと思ってな」
「何かって何よ?」
「分からないのか?……まぁお前は頭を使うタイプの召喚師じゃないからな」
「……なんか馬鹿にされてる気がする」
「気のせいだ。話を続けるぞ。ギーシュを惚れ薬の効果を打ち消すのに使った俺の魔力は大よそ天使召喚も余裕で出来るくらい込めてようやく治るものだったんだ」
「それって……」
そこまで言われてようやくナツミもソルが気になったことが分かったのか、彼女も真剣な顔をする。
「ああ、天使召喚に匹敵する魔力でようやく打ち消せるほどの力を薬に持たせられる生物……少なくとも」
「水精霊は天使に近い力を持つ高位の生物ってことね」
「そうだ。タルブの戦いで貴族が持っていた魅魔の宝玉の欠片。他の悪魔達が召喚されている可能性が無いとは言えない。調べておく価値はあるだろう」
「はぁ……今までの経験からだと、絶対何かあるパターンね」
ナツミの呟きが青空に溶けた。
ラグドリアン湖の岸辺にゆっくりとワイバーンが着陸する。
ワイバーンの背から眺めるラグドリアン湖は湖面がきらきらと青く煌めき、空の青と重なり極上の景色を作り出していた。
「よっと」
元気よくナツミは高さが二階建ての建物張りにあるワイバーンの背から飛び降りる。
ほとんど着地音をさせないばかりか全く痛みを感じた様子を見せないナツミ、身体能力が最早人外の領域に達しつつあるナツミ。本人はその異常さに全く気付いていない。まぁリィンバウムのメンバーがメンバーだけに名も無き世界の常識は既に深淵の彼方にあるのだ。
そして、ギーシュもモンモランシーにいいところを見せようと、勇ましく飛び降りた。彼の脳内イメージでは雄々しい鷲と自分が重なっていたが、現実は甘くなかった。
ぎくっ!
なんとか、両足での着地は成功したものの、足を思い切り挫き、彼の足首から生々しい音が響きギーシュは体勢を崩しごろごろと転がり、湖へと転落した。
「わああああ!?た、助けて~」
ばしゃばしゃと湖面を叩き、無様さを晒すギーシュ、どうやら泳げないようであった。
「やっぱりつきあいを考えた方がいいかしら」
「そうしたほうがいいな」
ワイバーンが降りやすいようにと垂らした尻尾から恐る恐る降りながら、モンモランシーが呟くと、すぐ後ろを歩くソルがそれに同意する。だが、心中ではあの積極さに少し羨望を抱いていた。
「あら?」
ワイバーンの尻尾の途中でモンモランシーが気になるものでも見つけたのか、遠くを見て首を傾げた。
「どうしたんだ」
「水位が上がってるわ。昔、ラグドリアン湖の岸辺は、ずっと向こうだったはずよ」
「ほんと~!?」
ソルとモンモランシーの会話が聞こえたのか、ワイバーンの足元からナツミが大声で二人の会話に割り込んだ。
「ええ、ほら見て。あそこに屋根が出てるわ。村が飲み込まれてしまったみたいね」
モンモランシーが指さした先には、
モンモランシーはワイバーンの尻尾から降り、岸辺まで近づき、水に指をかざして目を瞑った。
こう見えてモンモランシーの生家、『水』のモンモランシ家は、ラグドリアン湖に住む、水の精霊とトリステイン王家との間で古くから交わされてきた盟約の交渉役を何代も務めていた。
だが……今はモンモランシーの父親が水の精霊を機嫌を損ねた責を問われ、その役を降ろされていたが、彼女自身が水精霊を怒らせたわけではないので、水の精霊との交渉が出来るかもというというのが今回の旅にモンモランシーが同行させられた理由だったりする。そしてギーシュは以前ナツミ達が宝探しの冒険に出た際に誘われなかったのが、よっぽど淋しかったのかあんまりにもしつこく付いて来ようとするので足手まといにならない事を条件に連れてきたのだが、
「おいおい、ほっとかないでくれ!ぼ、僕は泳げないんだ!」
と顔だけなんとか湖面に出し、必死の形相で助けを乞う姿は足手まとい以外の何物でもない。そして、皆はそんなギーシュを放っておいて、岸辺に近づく。
「おい!助けて……」
「そこ、膝より浅いぞ」
「え」
ソルの冷めた言葉にギーシュが立ち上がるとソルの言葉通り、水面は膝下より低い。ギーシュは頭までびしょびしょになりながら、恥ずかしげにあははっと笑っているが、モンモランシーを始めとした一行のきっつい白けた視線を受けながら、岸辺まで上がると地面にのの字を書いていじけ始めた。
そんなギーシュはさておき、モンモランシーは皆の前で使い魔の蛙を用いて、水の精霊を呼び出すことに成功していた。水の精霊はまるで水の塊そのもので目も口も耳も、そして手足すらも無い不定形であった。
「ありがとう、ロビン。言われた通り水の精霊を呼んだわよ」
女の子の割に、というのは偏見かも知れないが、蛙の使い魔に怖がる様子もなくお礼を言いながら、モンモランシーは使い魔の頭を撫でる。
「ありがとう、モンモランシー」
ナツミはお礼の言葉と共にソルとともに水の精霊へと近づいた。
「我に何の用だ。単なる者。……貴様には覚えがあるな、貴様の体内を流れる液体に確かに覚えがある。貴様に最後にあってから、月が五十二回交差した」
水の精霊は自らの近づく、ナツミとソルには興味が無いのか、自らを招きよせたモンモランシーへと言葉をかけた。
「私の事覚えていてくれたのね。水の聖霊よ、今あなたの前にいる二人があなたと会いたいといっていたので今日あなたを呼んだのよ」
「それで、我に用とはなんだ。単なる者よ」
モンモランシーの返答にようやくナツミに達に興味が湧いたのか、ぐねぐねとその不定形の体をくねらせるとやがてその姿をモンモランシーそっくり変えて、顔と思われる部分をナツミ達へと向けた。
「ええ、あなたに聞きたいことがあるの」
「問いにもよる。……単なる者よ」
「ん?」
水の精霊はナツミの姿を視界に納めると、モンモランシーを模した姿を激しく波打たせ、その姿を大きく変える。
「我の近くまで寄れ」
「?」
ソルとナツミは互いに首を傾げながらも、水の精霊の望み通り、湖すれすれまでその身を進ませる。すると水の精霊はそれを待っていましたとばかりに、手近に居たナツミの体をすっぽりとその身で覆ってしまった。
予想もしていなかったあまりの光景に、一行は驚きの声をあげられず、それを見ていることしか出来ないでいた。そして、それはナツミも同じ、突然水の精霊の体内へ取り込まれ、びっくりしていた。だが、不思議と恐怖は感じていなかった。体を覆う水には少なくとも敵意は感じなかったからだ。
「やはり、この世界の者とは違う水だ……汝は一体?」
水の精霊の問いがナツミの心に響いた。