トリステイン王宮で新女王に即位したばかりのアンリエッタは今か今かと客を待っていた。ちなみに客と言っても堅苦しい他国からの大使や、トリステイン内の有名貴族というわけではない。しばらくわくわくしながらアンリエッタが待っていると部屋の外に控えた者から来客者の訪問を告げる声が響く。
通して、とアンリエッタが静かに告げると扉が厳かに開く。
扉が開いた先に控えていたものが恭しく頭を下げる。
「ルイズ、あぁ、ルイズ!!」
政務で心身とも疲労が溜まっていたアンリエッタは気の置けない旧友であるルイズの姿を見るなり、女王という作られた自分自身を脱ぎ去り、年相応の少女のように抱きついた。その隣にいたナツミ、ソル、ジンガは微笑ましそうにその光景を眺めている。
「姫さま……いえ、もう陛下になられたのですよね」
「ルイズ、そのような他人行儀をしないで下さい。女王になってからは気苦労ばかり、それを癒してくれる最愛の友を貴女は私から奪うつもりなの?」
演技のような、冗談のような、それでいて本気でもあるようにアンリエッタは拗ねたように唇を尖らせる。
その今までと変わらないアンリエッタの様子にルイズはくすりと笑うと観念したふりをする。
「申し訳ありません。ならばいつものように姫さまとお呼びいたしますわ」
「ええ、そうして貰えると嬉しいわルイズ」
そこで二人の会話が途切れる。アンリエッタから王宮へ至急来るようにと使者が来たのは今朝。ルイズは授業を休んで、アンリエッタの馬車へ乗りここまでやって来たのだ。使者から渡された手紙には更に、タルブ村でアルビオン兵を相手にした方も一緒にもと書かれていたので、ソルとジンガもわざわざそのために召喚された。
ちなみにシエスタは来ていない、確かに彼女もタルブの村ではそれはもう大活躍をしていたが、魔法学院の一使用人である彼女がいきなり戴冠したばかりの女王アンリエッタにお目通りなどいらぬ騒ぎになるので、アンリエッタには報告だけしておこうとソルが判断したためだ。
そしてルイズには戴冠直後、しかも戦時下にアンリエッタが自分を呼んだ理由に心当たりがあった。
それは自分が目覚めた幻の系統『虚無』についてではないかと。
理由が理由だけにルイズ達から呼んだ理由を聞くのは
「このたびの戦勝のお祝いを、言上させて下さいまし」
と言ってみる。
当たり障りのない話題のつもりでルイズは話したが、アンリエッタは思うところがあったようで、ルイズの隣のナツミの手を握った。
「あ、あの?」
いきなり王族に手を握られ、流石の
「あの勝利は貴女のお蔭なのね、ナツミさん」
「は?」
てっきりルイズについて聞かれると思っていたナツミは思わず呆けたような顔をしてしまう。
「隠し事をなさらなくていいのですよ?ウェールズ様を守って下さった貴女に不利になるようなことは決していたしませんよ」
「い、いやそうではなくて……」
なおも言い訳(アンリエッタ視点)をするナツミにアンリエッタは羊皮紙の報告書を手渡した。ナツミはそれをざっと流し読みすると険しい顔をする。
「よ、読めない……」
緊張しきっていた空気がナツミのアホすぎる発言で瞬く間に霧散する。溜息を吐きながらルイズはその羊皮紙をナツミから受け取る。
「ここまでお調べになったんですか?」
「あれだけの戦果……隠し通せるものではありませんよ」
その羊皮紙には先の戦いにおいて、空の支配者のごとくアルビオンの竜騎士を
故にヴァリエール公爵の三女か、少なくともその使い魔の少女が今回のアルビオン撃退戦で竜騎士を相手どったと書かれていた。
「あの勇壮なワイバーンを駆って、敵の竜騎士を撃滅なされたのですね。厚く御礼をもうしあげます」
「いえ……、たいしたことでは」
「そればかりか、異世界の魔法でアルビオン艦隊の撃退までして頂いて、できることなら貴女を貴族にしてさしあげたいくらいなんですが」
「ナ、ナツミが貴族に?」
アンリエッタの思わぬ言葉にルイズがどもる。
「ですが、貴女に爵位をさずけるわけには参りませんの」
「はぁ」
ナツミは気のない返事を返す。というか爵位などナツミにはいらないとナツミは思っていた。。どうせ、いつかはリィンバウムに帰る身だ。それにナツミは権力に興味はない。本来、誓約者はその世界の王となってもおかしくないほどの称号なのだ。現にリィンバウムに存在する三つの大国は過去にリィンバウムを救った初代誓約者、エルゴの王の長男、次男、庶子を先祖に持っているのだ。
ナツミもその気になればそれぞれの大国でそれなりの地位に付くのは容易いだろうし、国際的に有名な召喚師の派閥の総帥にだってなれるだろう。なにせ名実ともに最強最高の召喚師なのだから。
だが、ナツミはそんなことはしない、リィンバウムに残る理由にもなった大切な家族との地に足をつけた生活、それがナツミの望む最大にして唯一の望み。
……メチャメチャ貧乏だが。
「多大な……、ほんとうに大きな戦果ですわ。ナツミさん「ひ、姫さま、ちょっといいですか」……どうしたのですかルイズ?」
話があまりに大きくなったことでナツミだけにその責を負わせるのは不味いと思ったのか、ルイズはアンリエッタの言葉を遮った。
あくまでナツミは帰る方法が分かるまでこの地にいる存在。それはとても寂しい事ではあったが、向こうに家族がいる彼女。要らぬ役職を与えて帰りにくくするのは好ましくないのだ。そうでなくてもナツミは他者を思いやる心が人一倍強いのだ。おそらくこの国が戦争に入った今、戦争が終わるその時まで彼女はいるつもりだとルイズは確信していた。無自覚にそんなことができる少女なのだナツミは。
「ルイズ……」
ナツミがルイズの考えが分かったのか、袖を引っ張ってルイズを諌める。力を持つものが厄介事に分かっているからこその反応だった。だが、ルイズはそんなナツミの優しさに心配ないと言いたげに笑うと『奇跡の光』と呼ばれるルイズが唱えた魔法についてアンリエッタに語り始めた。
長いようで短いようなルイズの始祖の祈祷書に記されていた話を聞き、アンリエッタは目を瞑り、天井へと顔を向ける。
「というわけです。何故私が虚無に目覚めたのかは分かりませんが……」
「そうですか……貴女は知らないと思いますが、……王家には言い伝えられてきたことがあります」
「は、はい」
「虚無を、始祖の力を受け継ぐ者は、王家に現れると」
「わたしは王族ではありませんわ」
「ルイズ、なにを言うの。ラ・ヴァリエール公爵家の祖は、トリステイン初代国王の庶子。だからこその公爵家なのではありませんか」
アンリエッタの言葉にルイズははっとなる。
「あなたも、このトリステイン王家の血をしかと継いでいるのです。資格は十二分にあるのです」
そこまで言うとアンリエッタは、ナツミの左手をとり、ルーンを見て頷いた。
「これが印はガンダールヴの印ですね?始祖ブリミルが用いた、呪文の詠唱時間を確保するためだけに生まれた使い魔の印」
ナツミとルイズは同時に頷く。
「やはり……、私は虚無の使い手で間違いないのですか?」
「ええ、そう考えるのが、正しいようね。でもこれで貴女に恩賞や勲章を与えることは難しく……いえ、出来なくなりました」
ナツミはどうしてそうなるのか分からず、首を傾げて尋ねる。
「どうしてですか?」
その質問にはアンリエッタの代わりにソルが答える。
「ルイズに勲章やら恩賞を与えるってことはその功績を……つまり『奇跡の力』を使えるということを白日のもとに晒すことになるからだ。そうなればルイズの力を、ただ一人で戦況を大きく変えることができる力を狙ってルイズが危険に晒されるからだ……それに」
そこでソルは言いづらそうに言葉を区切る。アンリエッタはソルが言うのを躊躇った言葉がなにか分かったのか苦笑し、代りにその言葉を続ける。
「そういう輩は空の上だけとは限りません。ゲルマニアはもとより、諸外国にも知られるのも危険です。それにこの国内でさえ、ルイズのその力を知ったら必ずやその力を私的に使おうとするものがあらわれる。そうですね?」
ええ、とソルは姫の問いかけに頷き返す。
「だからルイズ、誰にもそのことは喋ってはなりません。このことは貴女とわたしの秘密です」
アンリエッタとの話し合いも終わり、ルイズとナツミ以下二人は宮廷の廊下を歩いていた。結局あの後、ルイズはどうしようもない事態に陥ったらルイズの手を借りると言う話になり、アンリエッタ直属の女官ということになった。
とは言っても他国から責められた場合のみその力の行使を認めるという約束を交わしていた。いくら戦争中でアルビオンへの侵攻案が諸侯から出ているとはいえ、友人を戦地下へと送り込むのは忌避すべき事なのだろう。
というかアンリエッタ自体が戴冠したばかりで政策が定まらぬ今の実情で他国へ侵攻するのを嫌がっていた。
「基本的に今まで通りって事かしらね」
「多分、そうね……でもルイズ良かったの?」
「なにが?」
「姫様に秘密を喋っちゃったことよ。あたし自身がそうだったから、よく分かるんだけど、大きな力は大きな戦いに巻き込まれやすいのよ」
そう言ってナツミは顔を
アルビオン艦隊を落としたルイズの力はランクS召喚獣の力に匹敵しうるものであった。実際にこの世界のメイジの最高レベルであるスクエアと戦ったナツミには分かる。ルイズの力の大きさは異常だと、自身の力に匹敵しかねない位の強大な力をルイズは有している。
そして、その力は過去に存在した虚無の復活だという。ナツミは伝説の召喚師、誓約者の復活。
誓約者の復活はリィンバウムを滅亡の危機から救うためのものであった。
ならば虚無の復活は何を意味するのか、ナツミはそれを心配しているのだ。
「……ナツミのいう通りかもね、公式には六千年も音沙汰なかったのに、この時代に虚無が目覚めた。確かに何かが起ころうとしているかしら」
「かもな、リィンバウムを始めとした五界の
ルイズの言葉に賛成するようにソルが自分の考えを述べる。彼もナツミとともに魔王と戦った身、思うところがあったのだろう。というか他人事のように言っているがかつてナツミを召喚して戦いに巻き込んだのはお前だ。
三人+蚊帳の外一人(ジンガ)は神妙な顔をしながら王宮を後にした。
ナツミとルイズは戦勝から数日たっても未だ覚めやらぬ喜びの活気にあふれたブルドンネ通りを人を掻き分けつつ歩いていた。ジンガとソルは二人で適当に周ってから学院に戻ると言って早々にブルドンネ通りへと飛び込んでいったなんだかんだ言って異世界。リィンバウムでは見られない不思議なアイテムも豊富にあるため、好奇心を刺激された様であった。
二人は並んでブルドンネ通りを歩く。町は戦勝から数日経っているにも関わらず未だにお祭り騒ぎで通りのあちらこちらでワインやエールの入った杯を掲げ、口々に乾杯と叫んでいる。
「すっごい騒ぎね」
「まぁ、あれだけ国力に違いがある国に勝ったんだし、これくらいの騒ぎは当然ね」
国土も小さく、元々、貴族主義も強い事もあり、民草から優秀な人材を登用する事を良しとしないトリステインは徐々に国力を低下させてきた。その上、前国王が崩御してからは汚職などが蔓延り、国力低下に拍車をかけていたのだ。
もちろん古き貴族の誇りを胸に持つ貴族もいるにはいたが、そういう貴族は逆に出世しづらく極々少数派に留まっていた。そんなトリステインとアルビオンが真っ向から戦えば、敗北は必至、いかに国民に占めるメイジ率がハルケギニア中トップとは言え、多勢に無勢を覆すまでには至らないであっただろう。
そんな絶望から『奇跡の光』によってもたらされた勝利はまさに奇跡。トリステイン国民の喜びも当然と言えば当然であった。
「きゃあ!?」
そんな大騒ぎする人々の間をすり抜けるように二人が歩いていると突然ルイズが悲鳴をあげた。
何事かと思ったナツミはルイズを見ると、顔を赤らめた傭兵崩れの男がルイズの右腕を掴んでいるではないか、ルイズが嫌がるように体を引くが、もともと小柄なルイズ、いかにも傭兵崩れといった男とでは体格差がありすぎるため男の腕はびくともしない。
「貴族の嬢ちゃん、こんなお祭り騒ぎの時にただ通り過ぎるのはもったいないぜ。今日は無礼講!貴族も兵隊も町人も関係ねぇ。どうだ俺に一杯酒を注いでくれ」
男は大分酔っ払い気分が大きくなっているようで貴族であるルイズにずうずうしくも酌をしろと言ってくる。まあルイズは容姿だけはとんでもないほど整っているので、それに惹かれているのかもしれない。
……それか小さな子が好きな変態か。
「離しなさい!この無礼者!」
ルイズが怒りを隠そうともせずに男を怒鳴ると、途端に男の顔が凶悪に歪む。
「なんでぇ!俺にはつげねぇっていうのか!?誰がタルブでアルビオン軍をやっつけたと思ってるんだ!『聖女』でもてめぇら貴族でもねぇ、俺たち兵隊だぞ!」
目の前に先の戦いの最大の立役者が居る。
そんな事は当然知らない男は、ルイズを怒鳴っただけでは飽き足らず、その髪を乱暴に掴もうと手を伸ばすが、その手がパァンっと良い音を立てて弾かれる。
「っ!?」
「やめなさい、女の子が嫌がってるでしょ?」
「なんだとこのア……マ……」
ナツミが魔力をほんの少し解放しただけで周囲に緩やかな風が巻き起こる。
その様子を見て、数々の戦地を巡ってきた男は傭兵としての感が警鐘をならしているのか、尻すぼみに言葉が小さくなっていく。
「……」
ナツミがそのまま無言で男に視線を送っていると傭兵は舌打ちを一つすると仲間を促してその場をあとにする。
「大丈夫ルイズ?」
「う、うん。ありがとナツミ」
「ほら、手貸して」
「?」
ナツミは差し出されたルイズの手を取ると、人込みを自分の体を使って掻き分けて行く。
人込みなれしていないルイズを誘導するためだ。ルイズは地方領主であり最上位貴族の娘ではっきり言って世間知らず、そうでなくても同性でも見惚れる程の整った容姿をしている、一人でのこのこ歩かせてはまたトラブルに巻き込まれると判断したのだ。
それに先からよっぽどこの騒ぎが珍しいのかウキウキという言葉がしっくりとくる様子であたりをきょろきょろ見渡しており、危なっかしい事この上ない。
「ふふ、楽しそうだね、そんなにお祭りが珍しいのルイズ?」
「え、ええ、そ、そんなことな、ないわよ」
誰が見ても嘘と丸分りの反応をルイズがするのをナツミは微笑ましそうに眺めていた。
おかしい……。
40日位、休みが無いです。あってもセミナーとか勉強会。
来月の終わりまでそんな日々が続きそうです。