べったりと耳に沈黙が張り付くような室内でルイズとナツミは丸テーブルを真ん中にして向かい合っていた。
強く、それでいて負の感情が一切込められていない視線でルイズを見つめるナツミに対し、ルイズは終始うつむき、テーブルクロスのしわを見つめ続けていた。
ここはルイズの部屋であった。
あの後、情緒不安定であったルイズを何とか宥め、この部屋までコルベールに連れてきてもらったのだ。コルベールはルイズ言いたいことがあったようだが何度もナツミに謝罪するような言葉を言ったり泣きじゃくったりして手に負えなかったためナツミに任せたのだ。ナツミがルイズに危害を加えるはずがない、わずか数時間でそこまでの信頼を得たのナツミの仁徳がなせる技か、
ルイズは先程とは打って変わって静かなものであったがピクリとも動かない。ナツミもこんな空気の中、「気分どう?」などと空気ぶち壊し発言できるほど神経が太く出来てなかった。
しかし、なにもしゃべらないわけにもいかないので口を開く。
「まぁ誓約というか契約しちゃったもんはしょうながないか……。はぁ、でもなんで同意も無くいきなり契約したのかは聞きたいけどね」
契約しちゃったもんはしょうがない、本来なら理不尽さから怒ってもいいはずなのに、そのセリフを口にできるのは楽観的なナツミらしさだった。
彼女的には同意も無く契約したのはいただけ無かった。自らが強制ではなく召喚獣との信頼によって助力を得る
「こっちは家族のところにも帰れないんだから理由くらいは話して欲しい。ね、怒らないからさ」
ナツミはあの後の、ルイズの尋常ではない様子から、コルベールに聞いた生徒の中で唯一魔法が使えないというのも関係しているのでは無いかと考えていたためルイズがナツミに対し強引にコントラクト・サーヴァントをした理由を強くは聞けないでいた。
ナツミの質問以降、ルイズの部屋は沈黙に包まれていた。
ナツミの見つめるルイズは終始、顔を俯かせ彼女と目を合わせようとはしなかった。
やがて10分近くそうしていただろうか。再び、ルイズが口を開いた。
「……んで」
「……え?」
「……なんで怒ってないの?」
「んー、まぁ怒ってないって言えば嘘になるけど、異世界に召喚されるのは二度目だしね。それに……あの時に比べれば相当マシだからかな」
そう話すナツミからは怒りは感じられない。ナツミの言うとおり召喚された状況が良かったからだろう。いきなり異世界に召喚されて状況が良いも悪いもないが、それにしても前の状況は相当に悪いものだった。
「前に召喚された時って?」
「そっか、コルベール先生にも話してなかったっけ。さっきあたしが異世界から召喚されたって言ったでしょ?」
「う、うん」
そう言ってナツミはリィンバウムに召喚された時の様子を話を始めた。
自分が前いた世界―リィンバウム―とも違う世界から召喚されたこと、その召喚が魔王という世界をも滅ぼしかねないものを召喚する為のもので、それに捲き込まれたことを。
「でね、そのソルって言うのが酷いのよ、こっちはいきなり召喚されて、周りが死体ばっかりでしかも荒野よ、荒野!しかも、あたしが困ってるってのに、様子を見てるだけってどう思う?あんたはストーカーか!?って感じだったわ」
過去の話をしているうちに当時のソルへの怒りまで思い出したのかテーブルから身を乗り出して説明を始めたり、
「しかも、大事な話は全部『話せない』だの『信じてくれ』よ!ぶっきらぼうだし、すぐにあたしのこと馬鹿にするし!」
個人的な感情を交えたナツミの身の上話は夕刻をこえ夜半まで続けられた。
「……というわけで魔王を倒したあたしは、そのもといた世界に帰るんじゃなくてリィンバウムでできた大切な人たちと暮らそうと思ってそのままリィンバウムに留まることにしたってこと……あぁ疲れたわ。一気に話す内容じゃあないわね……」
喉痛い、とすっかり冷めてしまったホットミルクを一気に煽るとナツミは苦しそうに喉を撫でる。
ふぅ、とナツミはそこで一息つくと先ほどよりは大分良い顔色をしたルイズの目を見やる。 その瞳はルイズに「今度は貴女の番よ?」と問いかけているようだった。そして、ようやく硬かったルイズの口が開く。
「あたしは……」
ルイズは切れ切れながらも、なぜナツミに強引にコントラクト・サーヴァントを施したか話し始めた。
自分が名門の出にも関わらず落ち零れであること。
小さい頃から馬鹿にされ座学だけは誰にも負けないように頑張ったこと。
そして結局、それでも馬鹿にされたこと。
二番目の姉以外の家族は上の二人の優秀な姉達と自分を比べ落ちこぼれとだといつも言われていた事。
そして、サモン・サーヴァントで自分が召喚したもの―ナツミ―が唯の平民では無いと召喚した時にうっすらと感じていたこと
ナツミとコルベールの話を盗み聞く中、やはりナツミが計り知れない力の持ち主であると確信したこと。
それが嬉しくて、つい泣いてしまったこと。
そして、ナツミがコントラクト・サーヴァントは出来ないと言ったこと。
そこまで、話すとルイズは再び嗚咽を漏らし始め、説明を続けた。
「あ、たし、やっと、……ひっく。おちこっぼれ……って、うぐ言われな……くなる……ひっくと、お、おもっった、がら、……」
ナツミは泣きじゃくる彼女の言葉に懐かしさとも罪悪感にも近い感覚を感じていた。
ルイズが言うには、ナツミは召喚したルイズには不釣り合いなほどの力をもった存在……別にエリートじゃなくていい。普通のメイジになりたかった彼女にとってナツミはいままでの状況を打開するかも知れない一つの可能性であったという。そうでなくとも、召喚に成功し進級ができれば、少なくとも向こう二年は政略結婚には使われない。そう思い安堵していたと。
そしてルイズが寝ていると思い発言していたあの言葉はルイズにとっては奈落の底に叩き落とすに等しい行為だったと。
いまだに泣きじゃくるルイズにナツミはある二人の人物を重ねていた。
一人は自分をリィンバウムに招くきっかけを作った。現在の相棒―護界召喚師―ソル。ナツミの過去話にも出ていたが彼は無色の派閥の総帥セルボルト・オルドレイクの子供であり幼き頃から、召喚師として卓越した力を持っていた彼は魔王召喚の現場責任者でもあった。
総帥の息子として過度に期待され、個を持つことを許されなかった彼は正しく総帥の道具であった。ゆえに魔王召喚の際に生贄に選ばれその命を散らすはずであった。
しかし、儀式の際に生贄として命を捧げることに恐怖を覚え、助けを願う。その願いは世界の壁を超え一人の少女を呼び出した。
それが、後にエルゴの王、
魔王召喚により召喚された少女を監視する命がソルへと下る。
そして、ナツミやその仲間たちとの共同生活の中で少年は自らの心を成長させた。
彼の眼は無色の派閥より受けた教えの腐りきったと教えられた世界は光と優しさで満ちているように見えた。
そしてソルはやがて父と決別しナツミと仲間達とともに戦い魔王を打ち倒した。
そうしてもう一人は召喚され途方に暮れる自分を拾ってくれた仲間達とは敵対していた組織のリーダーのバノッサ。ナツミの事を敵視し何度も戦いを挑んできた青年であった。
彼は高位の召喚師の子供として生まれたが召喚師としての才能が皆無であったため、父親に母親もろとも捨てられたという過去を持っていた。ゆえにはぐれ召喚獣として召喚されたナツミが自分が持っていない召喚師としての才能を強く持っていたことに強い敵愾心を抱いていたのだ。
彼はのちに無色の派閥から無限に悪魔を召喚し使役可能な魅魔の宝玉を与えられ、サイジェントの都市の制圧に乗り出した。
無色の派閥の予想通り、強い負の感情を持つバノッサは魅魔の宝玉の力を完全に引き出し、リィンバウムには大量の霊界サプレスの魔力が流れ込み遂には魔王召喚の条件が再び揃う。
そんな彼を義理の弟であるカノンが止めようとするが、無色の派閥の総帥―オルドレイク―の返り討ちに合い殺されてしまう。
そんなカノンを見たバノッサは負の感情を爆発させ、その負の感情を呼び水に魔王が召喚されてしまう。
その様子に歓喜し、バノッサを褒め称えるオルドレイク。
…彼こそがバノッサの父であり、バノッサを捨てた張本人であった。
魔王に取り込まれそうな意識を振り払い、バノッサはオルドレイクを殺すが、魔王の意識が彼を飲み込んでしまう。
「俺が俺であるうちに殺してくれ」
という言葉とともに、
そして、ナツミがその魔王を―バノッサ―の変わり果てたものを打ち倒したのだ。
それが、力を追い求めた一人の男の最後であった。
同じ男を父に持つソルとバノッサ。
才能が有り道具扱いされるソル。
才能が無く捨てられてしまったバノッサ。
ナツミは思う。ソルとバノッサ、境遇もなにもかも正反対に見えるがそれゆえに二人はどこか似ていたと、自分と仲間たちはソルを救うことができた。だったらバノッサも救えたのでは無いかと、彼がいつも暴力を振りかざしてきたから、力で対抗していたが、思えばそれがかえってバノッサの召喚術に対する憧れを助長していたのではないかと。
そこまで、考え再びルイズを見やる。
貴族としては最高位の公爵家で生まれ、魔法が使えない彼女は、ソルとバノッサを足してニで割ったようなものだ。
(もう、バノッサの時のような間違いはしたくないよね)
そこまで考えナツミは決意した。
「いいわ、貴女の使い魔になるわ」
「……ひっく、う、……えっ?」
その言葉に今まで俯いて泣いていたルイズは泣き顔のままナツミへと顔を向けた。
「貴女の使い魔になるって言ったのよ。それとも人間の使い魔はイヤ?」
ナツミは困ったようないまいち状況を読めないでいるルイズに意地悪い顔をして問いかける。
「う、ううん。イヤじゃない!」
勢いよくルイズは返事を返す。その首は千切れんばかりに縦に振られていた。
「ちょっと気分転換しよっか?」
窓を開け放ちナツミはそうルイズに提案した。まだ春ではあるが少々、肌寒いが先ほどまで泣いていて火照っていたルイズには少しちょうどよかった。
「気分転換?」
「うん、こっち来て」
おいでおいでをするナツミを訝しみながらもルイズがナツミに近づくと行き成りナツミはルイズの腰を抱き上げ窓から体を投げ出した。
「え、あんたまさきゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
ここは塔、しかも相当に高い階層にあった。人が死ねるほどには。
そのまま、地面にキスしていればだが、
「あれ?」
地面のようなごつごつした手触りしてルイズが恐る恐る目を開けるとそこには想像してなかった光景が広がっていた。
「なによこれ……?」
さきほどの手触りは地面などではなかった。トリステインの竜騎士が跨る風竜の倍以上の巨躯を誇る飛竜がルイズとナツミを乗せ夜空を舞っていた。
「ワイバーンよ、幻獣界メイトルパに住まう幻獣よ」
「これが召喚獣……」
夜気を切り裂き飛竜は空を悠々と飛ぶ。その様子にまるでルイズは空の王者にでもなったかのような錯覚に陥っていた。
「まだ、自己紹介がまだだったね。あたしはハシモトナツミ。よろしくマスター」
「……あたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。よろしくあと、ルイズでいいわ。えっと……ハシモ……?」
ルイズもファーストネームで呼ぼうと思ったが馴染みの無い名前だったのでいまいち切る部分が分からなかったようだ。
「ふふ、ナツミよナツミ」
「……よ、よろしくね……ナツミ」
ルイズは自分が名前のどこで切るか分からなかったのがばれて恥ずかしいのか月明りでも分かるほど赤くなってしまっていた。
「くしゅ!」
「ごめん、ごめん体冷えちゃった?」
「う、うん。ちょっとね」
幾分か時間が経ったころ、ルイズは体が冷えたのか、くしゃみをして体を震わせる。
「なら、これでも抱いててね」
「これ?」
すると突然、ナツミの手が緑色に光り輝いた。
「おいで、プニム」
やがて光が収まるとナツミの腕の中には長い毛で覆われ、耳が腕のようになっている動物が抱かれていた。
「ぷに?」
「わ、可愛い……、ってこれも召喚術?」
「うん、まぁまだいろいろあるんだけどね。それより部屋に帰るわよ」
ルイズの腕にプニムを抱かせ、ナツミはワイバーンを帰路につかせる。
プニムを腕に抱きながら、ルイズは密かに泣いていた。
だが、それはもう悲しみの涙では無かった。
まだ、話していないことや、これからのこと。
決まってないことは山積みであったが今は自分を一人の人間として見てくれているナツミの優しさが唯、嬉しかった。
ハルケギニアの静かな空に一人の少女の温かい涙が零れていった。