朝ナツミは魔法学院の東の広場、通称『アウストリ』の広場のベンチでのんびりと座っていた。
初夏と言ってもまだまだ日差しはそれほど強くはなく、木陰で日の光が遮られているベンチはのんびり過ごすには最適だ。ルイズの事どうしようかしらね、と楽観的な彼女にしては比較的にまともな事を考えていると、肩を誰かに叩かれた。
「ナツミ、なにしてるの?」
そこにはキュルケが何故か髪をかき上げながら立っていた。キュルケは挨拶もそこそこにナツミの横へと腰かけた。
「キュルケ、授業はどうしたのよ?」
「今は昼休みよ、ってそんなことはどうでもいいのよ。ちょっとナツミに用事があるんだけどいい?」
「うん。別にいいけど」
「うーん、聞きたいことは三個位あるのよね。えっとまず最近タバサと仲良い?」
「仲良いかはよく分かんないけど、名前で呼んでくれるようにはなったけど」
キュルケはその質問に彼女らしくない小さな笑みを浮かべる。いつもルイズに見せる挑発的な笑みとは違う何処か優しさすら感じる笑顔であった。
「……ふぅん。じゃあアルビオンの……これはいっかルイズに直接聞くわ」
「?」
「ルイズになんかあった?」
いつもはルイズを馬鹿にするキュルケの顔はいつになく真剣に、そうまるで親友を心配するような顔を浮かべていた。その顔に適当にはぐらかすのは失礼だとナツミはとりあえずロマリア皇国に行ったことは内緒にして、ルイズ、タバサを連れてガリア王国に遊びに行ったことにして、そこで立ち寄った村の洞窟にミノタウロスが居たなどと大分真実をぼかしつつ事の顛末を話した。
そしてそのミノタウロスをルイズが殺して、現在ショックを受けていると。
「……なんてこと!」
キュルケは口を噛んで俯いていた。
「あたし抜きで泊りがけの旅行に行くなんて!」
仲間はずれにされたことをキュルケは悔しがっているだけであった。普段は大人っぽい彼女のちょっと子供っぽい仕草を見てナツミは少しおかしさを感じた。
「……そういえば、魔法が使えないルイズがどうやってミノタウロスを殺したの?」
「……あ」
「ナツミ!」
ミノタウロスの事を話して、危なくルイズの召喚術、ひいては自分の正体まで勘ぐられる寸前まで追い詰められたナツミであったが、なんとかキュルケから逃れることができた日の翌日。
ナツミは中庭を歩いていると、キュルケがナツミ目掛けて走ってきた。その両手にはたくさんの紙が抱きかかえられており、後ろを見るとこれまた紙に顔まで埋め尽くされたタバサが歩いている。タバサの持つ紙束がピクリとも動かないのは魔法のせいなのだろう。
「どうしたのキュルケ?そんな大声あげて」
「どうしたのじゃないわよ。いいから見てみてよ」
きょとんと問いかけるナツミをスルーしてキュルケは紙束の中から一枚の紙をナツミの目の前へ差し出す。
見てみるとどうやら紙は地図の様でその端には注釈なのか文字が刻まれていた。
「何これ?」
「見て分かんないの?ほらここに宝の地図って書いてあるでしょ?」
「えっどこに書いてんのよ」
ナツミはよく分らなかった文字はどうやらハルケギニアの言葉らしくキュルケ曰く、その注釈には宝の地図と書かれているようであった。
「いや、宝の地図に宝の地図って書かないんじゃないの……普通って……ん?」
「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
「?」
キュルケを嗜めようとしたナツミであったが、今まで見ていた地図に異変が起きたので言葉に詰まる。そんなナツミを不思議そうにキュルケは尋ねたが、にべも無く流された。
(あれ、さっきまで変な文字で書いてあったのに日本語になってる……もしかして)
「キュルケ、ここなんて書いてある」
地図の異変に心当たりを見つけ、即座に実行に移すナツミ。キュルケはそんなナツミを訝しみながらもその問いに答えた。
「えっとトロール鬼だけど」
「ありがと」
すると先まで読めなかった文字が見る見るうちに日本語へと変化していくではないか。
(ふぅん。言葉だけじゃなくて文字も文字の意味を知れば読めるようになるのね)
今自分の身に起きた事を興味深げに考察するナツミ。
「どうしたのナツミ、変なことばっかり聞いて」
「ううん。気にしないで大したことじゃないわ。それで話は戻るんだけど、その地図の山はどうしたの?」
「え、えっとちょっと、ひ、拾ったのよ!」
そんなナツミを気にしたキュルケが問いかけるが、キュルケには自分の正体を話していないナツミは話を地図へと逸らす。するとキュルケはわたわたと動揺し出す。
「で、その地図を私に持って来たってことはもしかして……」
「その通り!宝探しに行きましょ!」
面倒な予感がしたナツミは恐る恐ると言った感じでキュルケへと問うと、予感的中というかなんというか宝探しを高らかにキュルケは宣言する。その答えにあからさまにイヤそうな顔をするナツミ。
理由は簡単。この世界に来てからと言うもの一泊以上する遠出に出ると大抵なにがしかに巻き込まれたからだ。アルビオンは元々危険な任務とはいえ、戦艦に襲われたり、胸を貫かれたりしたし、ロマリアでは帰り道に寄った街でミノタウロス退治を依頼されたのだ。
流石に立て続けにこんなこんなことが起きたのではナツミじゃなくても遠出を嫌がるだろう。
「それに……ルイズの気分転換にならないかなって……」
「えっ?」
キュルケが小さな声で呟くそれをナツミの無駄に鋭い聴覚が見逃すはずがなかった。昨日キュルケは仲間外れにされて怒ってるかに見えたが、実際はショックを受けているルイズを心配していたのだ。
それに思い至ったナツミはにやにやと笑い始めた。
「へぇ~。ルイズの事心配してくれたんだ」
「ち、違うわよ!たまたま宝の地図を見つけたからよ!」
赤い髪を翻し、キュルケは恥ずかしいのかそっぽを向いてしまう。だが、その程度で追及を許す程ナツミは甘くはない。
「ふーん。その宝の地図はもしかして……」
ナツミはそこでちらりとキュルケの右斜め後方でぼーっと立っているタバサと目を合わせる。これが他の人間だったらいざ知らず、ナツミには比較的心を開いているタバサはあっさりとナツミが要求しているであろう情報をばらす。
「今日、トリスタニアに行って買ってきた」
「ちょ、タバサ!言わないでって約束でしょ!」
「……ナツミに黙ってるのは無理」
「ひどっ!ってあれ?今……」
タバサに食って掛かるキュルケであったが、タバサが初めて人の名前をまともに言ったことに気付いて追及は尻すぼみになっていった。
アルビオン空軍工廠の街ロサイスは、首都であるロンディニウムの郊外に位置していた。現在そこではアルビオン空軍本国艦隊旗艦レキシントン号が突貫工事で改装と修理を受けていた。そして神聖アルビオン共和国皇帝、オリヴァー・クロムウェルが共を引き連れてその工事の視察に訪れている最中であった。
「おお、なんとも大きく頼もしい艦ではないか。このような艦を与えられたら、世界を自由にできるような、気分にならないかね?
「わが身に余る光栄でありますな」
気のない返事で答えたのはレキシントン号の艤装主任に任じられた、サー・ヘンリー・ボーウッドであった。彼は革命戦争のおりに、レコン・キスタ側の巡洋艦の艦長であった。その際に敵艦二隻を撃破する武勲を建てていた。さらにレキシントン号の
「見たまえ、あの大砲を!」
ボーウッドの気のない返事に気付かぬようにクロムウェルは新型の大砲を見て一人ではしゃいでいる。そんな彼へと適当に相槌を打ちながら、ボーウッドは内心、前艦長の退任に疑念を持っていた。前艦長はその大型であるレキシントン号の大砲を過信せずに竜騎士の運用や艦隊の隊列などを深く考え実行する生っ粋の軍人であった。
そんな彼がワイバーンと軍艦一隻に中破させられるか?
否、ボーウッドの軍人としての感と前艦長の実力を知る故に彼は即座にそう判断した。ならば、なぜレキシントン号は敗走という辛酸を舐めさせられたのか、考えられるのは歴戦の彼をして対応しきれぬなにかがあったのであろうと。
(機会があれば直接聞いてみたいものだ)
失敗から学ぶものもある。ボーウッドもまた、叩き上げの軍人、それを誰よりも理解していた。
そして、未だに一人でべらべらと喋っているクロムウェルをこっそりと睨む。
ボーウッドは心情的には王党派であった。軍人は政治に絡んではならないと自らに課していたために、上官が貴族派についたから彼もなし崩し的に貴族派に組したに過ぎなかった。ボーウッドから見れば、クロムウェルは恥知らずの王権の簒奪者だ。
それに逆らわず、言うことを聞いているのも先に自らに課した誓いゆえだ。それに逆らうにはもう遅過ぎた。もう、王も皇太子もこの世にはいないのだから。
「そういえば、君には親善外交の概要を説明していなかったな」
「……概要?」
思わず、哀愁に胸を焦がしているボーウッドに、クロムウェルから言葉をかけられる。クロムウェルは、ボーウッドの耳に口を寄せると、二言、三言口にした。その瞬間、ボーウッドの顔が真っ赤に染まる。
「何を考えているのですか!そのような卑劣な行為聞いたことがありません!」
「軍事行動の一環だ」
こともなげに、クロムウェルは言い放つ。
「トリステインとは不可侵条約を結んだばかりではないですか!このアルビオンの歴史の中で、他国との条約を破り捨てた歴史はないのですぞ!」
その言葉にボーウッドは激昂して喚く。
「ミスタ・ボーウッド。それ以上の政治批判は許さぬ。これは議会が決定し、余が承認した事項なのだ。君は議会の決定に逆らうつもりかな。いつから君は政治家になったのかな?それに、アルビオン王国はもう滅んだのだ。そのような歴史は無関係だ」
まさに先程まで考えていたことを言われて、ボーウッドは黙ることしか出来なくなった。そんな彼を満足そうにクロムウェルは眺めていた。
「陛下。そろそろ他の場所の視察もありますので」
それ以上会話は無いと判断したのか、お供の一人フードを被った女性がクロムウェルを促した。クロムウェルは女性を見るなり破顔すると踵を返す。
「おお、シェフィールド殿もうそんな時間か、ではなミスタ・ボーウッド。親善訪問では期待しているぞ」
「陛下!」
祖国の名誉のために、今一度考えを改めてもらおうとボーウッドはクロムウェルに詰め寄るが、それはクロムウェルに付き添うお供の男達に遮られる。その男達に触れられた瞬間、ボーウッドは思わず真後ろへと引き下がっていた。
「っ!?」
そんなボーウッドを見て、ようやく言うことを聞くつもりになったと思ったクロムウェルは満足そうに去って行った。
クロムウェルが去って数分ボーウッドは未だに呆然とクロムウェル達が去って行った方向を見ていた。原因はお供の男達にあった。
別に彼らの力が強かったとか、メイジとして卓越した実力を感じたわけではない。トライアングルクラスの水のメイジであるボーウッドから見た彼らの存在があまりにも歪であったからだ。
死体に無理矢理命を込めたような水の流れをボーウッドは彼らから感じていた。確かに生きているものの水の流れを彼らは持っていた。だが、それは彼らの体の形に添ったものではなかった。
なにかが人間の皮を被ったようなそれはなんだったのだろう。未だに忘れえぬ怖気を覚えながらボーウッドは一人呟く。
「……あいつは、ハルケギニアをどうしようというのだ……」
彼の頬から冷や汗が一つ地面に落ちた。