「これがミノタウロスが寄越した手紙でございます」
ジジの母がそう言って、ルイズに渡したのは獣の皮であった。その皮の内側には血文字で、『次の月が重なる晩、森の洞窟前にジジなる娘を用意するべし』と書いてある。ハルケギニアの空に浮かぶ二つの月が、重なるのは明日の晩である。
ルイズはじっとその文字を見つめる。筆跡こそ荒かったが、ハルケギニアで公用語となっているガリア語であった。悪知恵の働くミノタウロスは、人の言葉も操るのだ。
「字は汚いけど文脈は整ってるのね。ミノタウロスってここまで頭が良いのね」
「……」
ルイズがなんでも無いように自分の考えを呟き、その呟きを聞いたタバサが口元に手を当て何事かを考え始めた。
「十年前も同じような事があったのです……。その時はこの子の姉が犠牲となりました。領主様は以前も何もしてくれず、我らは今回と同じように街へミノタウロスを退治して頂ける方を探しました。その時はラルカス様とおっしゃられた騎士様が快く引き受けてくださいました。ラルカス様も名うての騎士様でしたが、かなりの苦戦を強いられ、大怪我こそ負いましたが火の魔法を駆使して、見事ミノタウロスを退治なされたのです」
ジジの父親が説明した。
「なんであの洞窟にばかり、ミノタウロスが住み着くんだろうね……」
ジジの母親が疲れた声色でそれに続いた。
歓待の宴も終わり、後は寝るだけとなり、タバサはジジの父親に一つだけ質問した。
「十年前も娘の指定はあった?」
「いえ……、十年前は、ただ若い娘と書いてあっただけと記憶していますが……、だからくじ引きで決めたんです。それがなにか?」
暫しの沈黙の後、タバサは首を振った。
「なんでもない」
タバサとシルフィードはジジの家に、ナツミとルイズは村長の家に、ジンガもその他の家にと人数の関係から分かれて寝床が用意されていた。
ワイバーンの主と勘違いされたルイズとその侍女ナツミ(村人視点では)は、この村で一番の部屋である村長の家の部屋で一つのベッドを共有して眠りに就こうとしていた。
「ねぇ、ルイズ?」
「ん?どうしたのナツミ、寝れないの?」
「ううん。そうじゃなくてミノタウロスってどういうやつなのかなって思ってさ」
ナツミの問いに隣で目を瞑っていたルイズはもぞもぞと体をナツミへと向け視線を合わす。
「そうね、生命力が非常に高いって言われてるわね」
「死ににくいってこと?」
「ええ、例え首をはねたとしても、しばらくは動き回れるらしいわね。……しかもそれだけでも厄介なのに、人語を解せるだけの知能と、鋼鉄以上の硬さを持つ皮膚、巨大なゴーレムに勝るとも劣らない怪力も持っているわ」
流石に座学ではトップに君臨するルイズ、ハルケギニアに存在する幻獣の生態をすらすらと披露する。
「……タバサは風のトライアングルって聞いてるからミノタウロスの相手は厳しいかもしれないわね」
「なんで?」
「風のスペルは、基本的に風の刃で相手を切り裂くのが基本なのよ。人間相手なら強力な武器となるんだけどね。ミノタウロスの硬い皮膚相手では、相性が良いとは言えないわね。……タバサがライトニングクラウドみたいな雷を使えるなら、もしかしたらってとこね」
ミノタウロスに本来有効と言われているのが、呼吸を封じることができる炎をのスペルと言われている。雷も皮膚を介さずに内臓に直接ダメージを与えられるが、ミノタウロスに内臓がどの程度の耐久性を持つか不明なためルイズがあえて言葉を濁す。
「まぁなんとかなるでしょ……ふぁあああ」
「……あんたってホントのんきねぇ」
ルイズの危惧を聞きつつも、その程度の怪物なら数えきれないほど相手してきたナツミはいまいち危機感が無いのか、大きな欠伸を一つする。そんなナツミをじっとルイズは睨むが、無邪気に欠伸をするナツミを見ているとなんだか自分が馬鹿らしくなり、釣られて小さな欠伸をすると、睡魔が急に彼女を襲う。
(ふぁあああ……ねむ、……おやす、み、ナツミ……)
「おやすみ、ルイズ」
眠りに落ちる寸前、ナツミの声が聞こえた様な気がしたルイズだった。
翌日、ナツミ達はいつも通り目覚めたが、タバサ達は一向に目覚めなかった。起こそうかとナツミ達は考えたが、タバサが魔法学院を離れガリアに戻ってきた事情も詳しく聞かされてなかった為、夜まで起きてくればいいかと放置していた。
その間、ナツミとルイズは村の子供たちをワイバーンに乗せて空を飛んだりしたり、ジンガがミノタウロスとのガチを想像して落ち着かない体を力仕事を手伝ったりして消化したりと有意義に過ごしていた。
やがて日も沈んだ頃になるとようやく起きたのかタバサとシルフィードが広場へと姿を現した。
「さて、怪物退治と行こうか」
皆が揃ったのを確認するとナツミが場を仕切るように言い放った。
「いきなり噛みつかれないわよね……」
村から徒歩で三十分程かかる、洞窟の前に縄で縛られて座るナツミは流石に不安の声をあげていた。ここまでジジの父親が案内してくれたが、実際戦いになると足手まといの何者でもないので、さっさと村へと帰していた。ナツミはジジが着ていた服を身に纏い、髪も茶色に染め、自らの目の前に暗い口を開く洞窟を見やる。
高さは五メートル、幅は三メートルほどで、月明かりに照らされながらもその奥は、深い闇を湛え、いつミノタウロスが肉を貪りに現れてもおかしくない雰囲気を辺りに放っていた。
そんな洞窟の近くの茂みには皆が隠れ、いつでも飛び出せる体勢を整えていた。
v三十分いや一時間以上そうしていただろうか、二つの月が重なり、辺りが薄暗くなった頃……。洞窟ではなく、洞窟の右側の茂みから、ガサリと言う音が辺りに響く、タバサ達が隠れた地点とはナツミを挟んで逆の方向であった。
「……」
ナツミは流石、誓約者(リンカー)と呼ばれる伝説の召喚師、物音がしても微動だにせず泰然自若としている。そんなナツミを知ってか知らずか、物音はさらに大きくなり、茂みから完全にその姿を見せた。がっちりとした男の体躯。身長は二メートル近くもあり、手に大きな石の斧を携え、そしてその頭部は人ではありえぬ牛のそのものであった。
「……ミノタウロス」
ぼそりとルイズが呟くが、肝心のナツミが何故か反応しないため、動くに動けない。そうこうしている間にミノタウロスはナツミへと近づき、じろじろとその体を眺めまわした。
そして、
「なんだコイツ、寝てやがるのか」
とミノタウロスとは思えぬ、流暢な言葉を口にした。
というかナツミは寝ていた。
ルイズはナツミが寝ていたのにも驚いたが、ミノタウロスがこんな流暢な言葉を話すことにも同じくらいに驚いていた。そして、隣にいるタバサを見ると彼女もこちらをみていたのか、視線が合う。
「手紙を見て時点で怪しいと思った、これで確信した相手は人間」
視線が合うなり、ルイズの驚きを看破していたのか、ミノタウロスの正体は人間だとタバサは言い放った。それを肯定するようにジンガも続く。
「ああ、気配は人間そのものだな」
「そうなの?」
一行がロクにナツミの心配をせずに、ミノタウロスの正体を話し合っていると、向こうにも動きがあった。ミノタウロスはのんきに寝こけるナツミを「よっこらしょっ」と担ぎ、そのまま来た方角へと引き返していく。歩き始めたミノタウロスもどきが歩くたびに上下する肩に、ようやくナツミが目を覚ます。
「ふぁあああ、何?」
欠伸をしながら呟くナツミに彼女が起きたことをミノタウロスもどきも気付いた。
「騒ぐな、殺すぞ」
寝惚けながらも自分が置かれた状況に気付いたナツミはとりあえず言う通りに大人しくしていることにして、様子を探ることにした。ミノタウロスの事はルイズから昨晩に聞いていたが、聞いていた話に比べて随分人間らしいことに違和感を覚えた事もそれに拍車をかけていた。ナツミが担がれたまま運ばれしばらく経つと、ミノタウロスもどきが向かう先にカンテラの光が見えた。
明かりを中心に五人のガラの悪い男達の姿が浮かぶ。
連中はそれぞれ武器を持っており、短剣が二人、単発式の拳銃が二人にそして最後の一人が長柄の槍を携えていた。
「よぉジェイク、持ってきたか」
拳銃を握った、太った男の人間を物《・》扱いする言葉にナツミは頭に血を上らせる。
「あんた達、何者?」
苛立ちを隠そうともしないナツミの言葉に、ジェイクと呼ばれたミノタウロスに化けた男ははつまらなそうに答えた。
「おめぇには関係ねぇ」
そう言うなりジェイクは乱暴にナツミを地面へと転がした。
「痛ぁ!」
「……?おめぇ、よく見りゃ、ジジじゃねぇな?」
「なん……だと……エズレ村で売れそうな別嬪(べっぴん)はあの娘ぐれぇだぜ?」
売れそうな、その言葉にただでさえ血が昇ったナツミの頭は、爆発寸前まで怒りを溜め込むことになった。
「売る?あんた達、人を売り物にしてるっていうの?」
「ん?ああ、そうだぜ。ま、ジジじゃなくてもいいか、おめぇもよく見りゃ、かなりの美人じゃねえか。ジジより高く売れそうだぜっうばらあああ!?」
「ジェイク!?……てめぇ!」
男はナツミの顎を持ち上げようとした瞬間、ナツミの体から放たれる蒼い奔流をまともに受けて、奇声を叫びながら砲弾のごとく吹き飛ばされた。
それを見たルイズが頭を抱える。
「……ナツミ、何も考えてないわね」
もはや戦闘は回避不能、それを本能で察知したジンガがルイズを飛び越え、雄たけびをあげて、男達へ突貫し、タバサ、ルイズもそれに続く。
その後の展開は一方的であった。ジンガの拳が男の肋骨を粉々にし、タバサのエアーハンマーが相手を吹き飛ばし、ルイズのロックマテリアルが男を昏倒させた。
……シルフィード?風韻竜はその身に宿る大いなる力である先住の力を人に変身した状態では使うことができない。つまり、役に立たない。それに元の姿に戻って下手に怪我でもされれば、連れて帰るのも大変だ。
よってシルフィードは、茂みから蹂躙と言う名の戦いをただ見守っていた。
その後、男どもは武器を奪われ、ナツミを縛っていたロープで一まとめにして縛り上げられていた。
ナツミはそんな男たちを一睨みした後にタバサに向き直る。
「タバサ、最初から犯人はミノタウロスじゃないって気付いてなかった?」
「確信は無かった」
そう切り出すとタバサは詳しく説明をし始めた。
タバサの話では、ミノタウロスは確かに文字を理解する知能を持つが、あの手紙は字の汚さと文脈の整い方が不自然過ぎたという。さらに若い娘なら誰でも構わないはずのミノタウロスがジジを指定したというのも、普通ではありえない話だという。そもそもミノタウロスが人の固有名詞を理解することはまず無いそうだ。
とタバサが説明を終えるか終えないかのタイミングで、森に女性の悲鳴が響き渡る。
「ーっ!?」
真っ先に反応したのは、少年拳士ジンガ。
木々が生い茂り、辺りに女性の悲鳴が響く中、正確に女性の居場所へ視線を向ける様はさすがと言えた。
ジンガの視線の先、そこには、四十過ぎのほどの痩せたメイジが、左手でシルフィードの首を掴み、右手の杖をシルフィードへ突き付けた男が立っていた。
「シルフィード!」
「うう、ナツミ姉様ぁ、……きゅいきゅい」
ナツミが名前を呼ぶとシルフィードはよほど怖いのか大粒の涙を流して泣きじゃくる。いくら風韻竜でも人間の姿であんな至近距離から魔法を放たれてはただでは済まない。
「動くんじゃないぞ、動けばこの娘の耳を切り飛ばす」
殺しては人質としての価値は無い。それを正確に理解していることからも、相手は頭が回る冷徹な人物だと言えた。
皆が動けないのを視認すると、メイジは風魔法を唱え、男たちを縛っていたロープを切断した。
だが、ここでメイジは大きな誤算をしていた。暗闇故に部下の男たちの様子を正確に把握していなかったのだ。
メイジは部下が二、三人は意識が有ると思っていたが、そんな生半可な攻撃をするメンバーではない。彼部下は全員は見事に気絶していた。
そしてもう一つの誤算。彼の背後にそれはあった……否、それは居たのだ。
一向に起きようとしない部下を叱咤しようと、メイジが右腕を振り上げるとその腕は何故か遥か上空へと勢いよく飛んで行く。
「え?」
メイジは何が起こったのか分からないのか、自分の右腕があった場所に恐る恐る目を向けた。そして有るはずの腕が無い事に気付く、気付いてしまう。
やがて遅れてやってきた痛みを知覚し叫び声を夜空へとあげた。
「ぎぃやああああああああああああ!!!!??」
人質たるシルフィードを突き飛ばし、メイジはそのまま倒れ込んだ。
「うう、痛いのね~」
突き飛ばされたシルフィードが痛む腰を抑えて顔をあげると、そこには二・五メートルはゆうに超える生き物が目の前に立っていた。体中の筋肉と言う筋肉が異様に発達し盛り上がり、その右腕にはメイジの右腕を切り飛ばしたと思われる子供ほどの大きさの大斧を握りしめていた。ここまではまだ人間と酷似していたが、その最大の異様はその頭部にあった。太い角が側頭部から左右一本ずつ生えるその頭は雄牛。
そうその姿こそ、今回の事件を起こした者とされていた雄牛の頭部と人間の体を持つ異形、ミノタウロスそのものだった。