青く澄んだ大きな湖、ラグドリアン湖の湖面にこれまた大きな影が通り過ぎた。
それはハルケギニアでは有り得ない大きさのワイバーンはナツミの召喚獣の影である。
「うわぁ、大きな湖~!」
そう楽しげな声をあげるのは、誓約者兼使い魔のナツミ。
「釣りしたいわね~」
「……なにをのんきな事を言ってんだお前は?」
ワイバーンの背から湖面を眺めて、釣竿を振る真似をするナツミ。釣りはフラットにとって貴重なタンパク源たる魚をゲットする重要な行為であり、ナツミが誰に憚ることなく出来る数少ない仕事の一つなのだ。とは言え、フィッシュオン!等と大きな声を上げている辺り、ナツミも釣りが大好きなのは周知の事実だった。
「ガゼルと同じで、何もしていないソルに言われたくないわね」
「ぐっ」
ナツミの一言にソルが胸を押さえて蹲る。偉そうなことを言っているが、フラット内でソルはほぼ何もしてない。有事の際の参謀として作戦立案などの重要なポジションを任せられるソルだが、肉体労働には向かない。かといって頭脳労働しようにも人見知りが災いして上手くいかない。
それどころか、三人の子供達に振り回される日々。亡き彼の父もまさか裏切った自分の息子がそんな目に合っているとは想像もしていなかっただろう。
枢機卿マザリーニから書簡が届いた翌日、ルイズとナツミそしてソルは数日ぶりに王宮へと足を運んでいた。移動手段は先日、散々王宮を騒がせてしまったためワイバーンは使えず、ナツミが苦手とする馬を使用していた。
当然ナツミは嫌がったが、そんな頼みが通るはずもなく渋々馬に乗っていた。
ナツミは一路の希望を込めてタバサへシルフィードの乗せて欲しいと頼み込もうとしたが、タバサが先日から故郷の国であるガリアに用があるとのことで留守にしていたため、それも叶わなかった。
王都トリスタニアまでは馬で三時間、そこから王宮まで十数分。幾らラ・ローシェルまで一日中、馬に乗っていたと言っても、まだまだ馬での移動に慣れないナツミは当然のように腰を痛めていた。
ちなみに痛む腰を撫でひょこひょこと歩くナツミの右側を歩くソルは、よどみなく歩いていた。インテリ、インドア派の彼だが、リィンバウムでは基本的に馬移動。幼少の頃から馬乗りに慣れていたためだ。
「でも、枢機卿はどうしてソルも来て欲しいって言ってたのかな?」
馬を預けて、城門へと向かう道すがらナツミの左側を歩いていたルイズが頭を傾げた。
マザリーニがルイズ宛に出した書簡には、ルイズの他にナツミとソルを必ず連れてくる様に頼まれていたのだ。
ルイズを呼ぶのは、アルビオンへの大使を務めたりしたし、ナツミもルイズの使い魔であるもののメイジであのワイバーンの主として呼ばれた様な気もするが、どうにもソルが必ず来るようにと呼ばれる理由がルイズには思いつかなかった。
「王女様に色目を使ったのがばれたとか?」
ナツミがなんとなくソルをからかう。
「ば、バッカ!い、色目なんか使ってないぞ!」
突然の振りに思わず、ソルはどもる。確かに彼としても色目を使った覚えはないが、考えてみると見惚れるくらいはしたかもと思ったからだ。まぁ、世間知らずなヴァリエールのお嬢様にあまり頭脳派には見えない使い魔とくれば頭の回転の速いソルをわざわざ呼ぶのも当たり前と言えた。
「あんた達、なに馬鹿なこと言ってんのよ」
ルイズは溜息を吐きながら二人を注意する。もう正門まであと僅かだ、空中飛行禁止令が出ていたりと厳戒態勢が強いられたこの状況下で騒いでは、しょっ引かれかねないからだ。ルイズの注意に、二人も流石に周りの空気を感じていたのか、すぐに黙ってルイズに付いて行く。
相変わらずナツミは腰を抑えていた。
政務室。
「よく来てくれました」
そう声をかけるは枢機卿マザリーニ。厳戒態勢のため王宮に入るには面倒くさい手続きがあるかと思いきや、枢機卿から聞かされていたのか、正門の衛兵は三人を容易く通してくれた。
「ちょっと待っていて下され、ここにある書類だけでも処理してしまうので」
マザリーニはそう言うと、てきぱきと机に山と積まれた書類を次から次へと捌いていく。
十分ほど三人はその書類整理のスピードに感心していると、マザリーニが肩に手を当てながら三人に視線を移した。
「呼んでおいて待たせてしまい申し訳ない。アルビオン王国が共和制になって以来、国内外の政務が増えてしまって……」
「い、いえ、お疲れ様です」
数日前よりも幾分痩せたように見えるマザリーニの謝罪の言葉に、思わずナツミは恐縮してねぎらいの言葉をかけていた。普段から鳥の骨と言われる程痩せていたマザリーニが更に痩せたその姿は、枯れ木の様だった。
「それで、私達には一体どのようなご用件ですか」
ルイズが一同を代表してマザリーニへ質問する。
「悪いがここでは話せない内容なので場所を変えますぞ」
そう言ってマザリーニは立ち上がると、三人を連れて政務室を後にした。
大理石で作られた白亜の廊下を四人が連れだって歩いて行く、しばらく無言で歩いている。 とマザリーニがある部屋で立ち止まる。それにいち早く反応したのはルイズだった。
そこは。
「あ、ここって……」
「姫様、マザリーニです。客人をお連れしましたぞ」
こんこんとノックしながらマザリーニはそう言った。しばらく待っていると、ドアがゆっくりと開き、中からアンリエッタがひょこっと顔を出した。
「……どうぞ」
アンリエッタは巣穴から頭を出すプレリードックのように辺りをきょろきょろすると四人を部屋へと招き入れた。
「姫様、警戒するようにと確かに申しましたが、あれでは何かを隠してますと自分から喧伝しているのと変わりませんぞ」
「?」
マザリーニは呆れたようにアンリエッタに注意を促すがとうの本人は頭を傾げて、なにが悪いのか分かってないようであった。
「はぁ~」
マザリーニはここ数日、何百回目となるであろう溜息を吐いた。
「あの~」
全然本題が見えてこないため、ルイズが消極的に手をあげる。
「なんですかな?ヴァリエール嬢」
「は、はい。何故、私達が呼ばれたのか知りたいんですが……」
「おお、そうでした!」
ルイズの言葉にようやく本題を思い出しのかマザリーニは大声をあげる。そして、アンリエッタへ向き直る。
「姫様、では皇太子様を呼んで来てくだされ」
アンリエッタはマザリーニの言葉に一つ頷くと、奥の部屋へと入っていった。
皆が静かに待っていると、ドアがゆっくりと開き、アンリエッタが再び姿を現した。そしてそれに続く様に、ウェールズが姿を現す。
「ナツミ殿、どうもお久しぶり」
「ど、どうもお久しぶりです」
臣下や父王、果ては国まで失い、失意のどん底にあると思ったウェールズはナツミの予想に反して、以外に元気だった。そんなウェールズを見て夏美は首を一つ傾げる。ナツミの挙動が気になったのかウェールズがナツミに対して口を開いた。
「どうしたんだねナツミ殿?首を傾げて」
「い、いや。思ったより王子様が元気なのでちょっと意外でした」
最後にあった時とそう変わらないウェールズに一瞬ナツミはたじろいだが、思ったことを素直に口にした。
「……いや、確かに悩んだりしたさ。だが、アン……いや姫殿下の事もある。私一人が悲しみ暮れているなどゆるされることではない」
「姫殿下のこと?」
「ああ、そういえばまだ言ってませんでしたな」
ウェールズへのルイズの問いかけにはマザリーニが答えた。その内容は、本日正式に発表されるものであった。
それはトリステイン王国王女アンリエッタと帝政ゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世との婚姻というルイズ達には驚きの内容であった。
なんでも、アルビオン王国がレコンキスタに討たれ、聖地奪還、王族排斥を訴える彼奴らの次の狙いは、アルビオン王国と同じく始祖の血を引くトリステイン、ガリアの両国なのは疑いようがなかった。
だが、うちガリアは魔法先進国ということもあり、近隣諸国では抜きんでた軍事力を持っていた。ならば、レコンキスタが狙うのはトリステインの可能性が高い。そして、王不在が長らく続き、腐敗しきったトリステイン王国に単独でこの度、迫りつつある危機を乗り越えることは不可能であった。
そこで、枢機卿のマザリーニが考えた打開策が、王女たるアンリエッタを他国、この場合はゲルマニアへと嫁がせて、ゲルマニアの帝室とトリステインの王室を外戚関係にすることであった。
これによりトリステインはゲルマニアとの軍事同盟を結びやすくなり、ゲルマニアは近隣の国で唯一、統治者が始祖、そして弟子であるフォルサテの血を継いでおらず、国を統治する正当性が薄いため、下に見られることが多かったが、アンリエッタとアルブレヒト三世との間に子が生まれれば、始祖の血をその子供が継ぐため、国家の正当性が強まるという利点があった。
現状、アルビオンの事を考えれば、この婚姻は決して間違ったものではない。だが、そこにアンリエッタの感情というものは全く考慮されてはいない。
それに彼女の友が噛みついた。
「なんで姫様があんな野蛮人の国へ嫁ぐのですか!」
「……ヴァリエール嬢」
ルイズの激昂に思うところがあったのか、マザリーニは大人しくしていた。ルイズは今回の婚姻を決断した枢機卿が静かにしているのを、そして更に同じく大人しくしているウェールズ見てさらに、怒りがこみ上げるのを抑えられなかった。
「納得いかないわ!これじゃあ姫様はただの政治の道具じゃない!」
「ルイズ」
今度はナツミが窘めるように、ルイズに声をかけるが、ルイズは止まらない。
「それに姫様はウェ……」
「ルイズ!」
ルイズが決定的な一言を発しようとした時、部屋中に響く大声が響き渡る。その声の持ち主は、アンリエッタだった。
「姫様……」
「ルイズ、もういいのです」
「でも……」
内から漏れ出る困惑をルイズは隠すことができず、しかし気丈に振る舞うアンリエッタに 明確に反論も出来ずに弱弱しい声をルイズは上げた。
そんなルイズをアンリエッタは優しげに抱きしめる。ルイズは一瞬、アンリエッタの腕の中でびくっと体を強張らせたが、やがて自らもアンリエッタの腰に腕を回した。
「……」
「心配してくれてありがとう……ルイズ」
王族としてではなく、一人の友として自分を見てくれているルイズにアンリエッタはそう言った。
……部屋の中に響く嗚咽は誰のものだったのだろうか。
「あ、ありがと」
ナツミからハンカチを渡され、恥ずかしそうにそれをルイズは受け取る。あれからしばらく二人は抱き合っていたが、マザリーニが空気を読まず、軽く咳を一つして二人の思考を現実に引き戻していた。
「皆、落ち着きましたな?」
マザリーニは今一度、皆を一瞥すると、本題を切り出した。
「さて、時間もあまりありません。簡潔にヴァリエール嬢へ任務を依頼します」
「任務?」
いきなり、任務と言われルイズは訝しむようにマザリーニを見やる。
「ええ、私はこの後ゲルマニアに赴き、姫様の婚姻に先立ち締結されるトリステインとゲルマニアの軍事同盟の調印をして参ります」
「それの護衛が任務ですか?」
「違います。護衛して貰いたいのはウェールズ皇太子なのです」
「?」
「ここにいれば護衛なんていらないんじゃ?」
ルイズとナツミがそれぞれ疑問を露わにする。
マザリーニは、予想通りの反応に微笑する。
「いえ、貴女たちにはウェールズ皇太子をロマリアまで護衛して貰いたいのです」
「では、ロマリアは協力してくれるのですか!?」
「はい。こちらが送った書簡の返答も快く匿って頂けると書いてありました」
マザリーニは快くと言っているが、その中身はそんな綺麗なものでは無いと分かっていた。始祖の血が失われるというのに、内乱の際にアルビオンの王族にロマリア皇国は手を貸さなかった。
その理由にマザリーニは心当たりがあった。何人かマザリーニがアルビオンに遣わした密偵からの報告がそれであった。
その報告に記してあった一つの噂。
それは、レコンキスタ総司令官、クロムウェルが失われた幻の系統、虚無の使い手であるという内容であった。それが真実なら、聖地奪還を謳うロマリアが敵対するはずがない。
だが、それ以上にロマリアには葛藤があったのではないかと、マザリーニは考えた。
それはクロムウェルの虚無が虚言であった場合だ。
その場合は始祖の血を守るため、アルビオン王族に手を貸さねばならない。しかし、クロムウェルは虚無かもしれない。ならば、虚無の力は欲しい。以上の葛藤があったため、ロマリアは傍観に徹していたのではないかと、ならば今回のウェールズを匿ってくれというこちらの嘆願はロマリアにとって渡りに船だ。
これにより失われてしまったと思われていた始祖の血脈の一つを己が内に納めることができ、クロムウェルの虚無が嘘で、さらに始祖の血脈が一つ失われるという最悪の事態を避けられるからだ。
逆にクロムウェルの虚無が本物でも問題は無い。
どちらにしても始祖の血脈は残る事に変わりは無いのだから。そして、それを裏付けるように、ウェールズを匿うというハイリスクを背負うにも関わらずロマリアからの見返りは何もなかったのだ。そして、この軍事同盟締結のタイミングでウェールズをロマリアへ連れて行くのは
「レコンキスタの目をこちら側に向けさせるというわけか」
ソルがいち早く、その隠された意図に気付いた。おそらく、レコンキスタはアルビオン大陸を制圧したことで、各国がどういった反応をするかを、監視しているはずだ。
そして、ワルドがアンリエッタの手紙を狙い、アンリエッタとアルブレヒト三世との婚姻を阻止しようとしていたことから次の狙いはトリステイン。ならば、手紙の奪取が失敗した今、この王宮はレコンキスタの注意が最も向いているとマザリーニは考えたのだ。
その状況でウェールズをロマリアまで連れて行くのは困難。しからば、その目をどこかへ向ければいい、それが今回の軍事同盟というわけだ。
マザリーニはゲルマニアへ軍事同盟締結へ向かい、レコンキスタの注意を自分に向ける。
そして、その間にナツミ達がロマリアへウェールズを連れて行く。それが今回の依頼であった。
ワイバーンの背で風に髪を靡かせながら、ナツミはウェールズへと視線を送る。
その頭の中では数時間前の王宮での出来事を思い出していた。
あの時、ウェールズはアンリエッタの婚姻の話には決して混ざらなかった。そして、ロマリアで匿ってもらうという話にも自分の事にも関わらず何も言わなかった。青く澄んだラグドリアン湖の湖面がやけに憂鬱な色に彼女には見えた。
「姐御~!そういえば、どこに向かってんの?」
ジンガの明るい声でシリアスな空気が吹っ飛んだ。
お待たせしました。今年最後の更新です。
年末、人が辞めた。のコンボで悍ましい程の忙しさで疲労が……。一日の時間外が十四時間半。
今日と明日だけは休みが取れたのでちまちまと書きたいと思います。
正月とは……なんだったのか……。